会長ブログ(株式会社ヘッドウォータース代表取締役:篠田庸介)

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2007年05月31日 12:22

権限委譲

マネージメントの要所として、権限委譲が話題になる。組織を拡大し、個々のパフォーマンスを最大化するにはそれが必要だという論理だ。正しいが簡単ではない。

その難しさは委譲する側とされる側双方の心理にある。

譲渡する側が憂慮するのは、建前上は部下のパフォーマンスだ。委譲前に自分が出した様な実績を委譲後に部下が実現出来るかという不安を掲げる。しかし、自分が思っているほど、自分は特別ではない。よほどの付加価値の高い仕事ではないかぎり、部下は時間と共に自分と同じ様な動きは出来るようになる。能力が高い人間の実力は、ルーチンになった作業では顕著にならない。新しく何かを開拓していく時に優秀さが際だつ。ルーチン化された業務にしがみつき、その業績を誇るに人間は根本的にビジネスが好きではなく、自分に自信が無いのだろう。

よって、実は上記の不安は杞憂であることが多く、実際は問題がない。逆に任されて方は高いモチベーションで臨むので、成果は向上したりする。

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一番の問題は譲渡する側が自分の既得権を奪われる様な錯覚を起こす事だ。部下にその仕事を渡すと、自分の仕事が無くなるか、部下が自分と同格になったような焦燥感にかられる。何か新しい実績を出さないと、自分の立場が危うくなると感じるのだ。よって、何かと理由をつけて自分の業務を部下に任せないようにする。「彼にはまだ早い」などと言いつつ自分の既得権を守ろうとしてしまう。

本当に自分に価値があり、能力があると信じているのであれば、出来上がってしまった仕事なんて後発の奴らに任せて自分は前線を常に走れば良いじゃないか。本物の自信を証明し作り上げて行けば良いのだ。

そもそも業績なんて、常に劣化していくものだ。何かの実績を出しても、その賞味期限は自分が思っているより短い。常に前線でパフォーマンスを発揮出来る自分がいて本当の安心は手にはいるのだ。

ビジネスの世界で、間違った安らぎを求めては行けない。実績を出しての安らぎなんて一瞬のものだ。その実績を何層も積み重ねて初めて、身体一つで生き抜いていけるという、自分に起因した良性の安心感が得られる。この自信が得られて真にビジネスマンと言える。弊社のメンバーも、まだこの道への登坂の途中だ。

自分が出した実績なんてすぐに捨てた方が良い。達成した瞬間に、それまでの苦労も達成の喜びも過去のものだ。血肉になった経験は大事だが、過去の成功は今の利益をダイレクトには生み出さない。すぐに次ぎの頂きを目指すべきだ。

優秀だと思う人材、ビジネスマンとして基礎ができあがり、次のステージで戦わなければいけないと思う人材からは、過去の実績を取り上げたいと思っている。何故ならそのメンバーにとって大事なのは過去の業績よりも未来の性能だからだ。未来に実現する今以上になった本人の姿だからだ。恨まれようが、不満を持たれようがかまわない。本人を穴蔵から引きずり出し、前線に送り込む所存だ。人材育成はその様な真剣勝負の先にある。

話を戻す。

0531_b.jpg権限を譲渡される側にも問題がある。基本的には部下であるうちは上司の批判や、体制に対する意見を言うが、自分が主体者になって成果を出していくのを嫌がる人間は多い。要は責任を背負うプレッシャーに堪えられないのだ。評論家的な立場でなら物が言えるが、主体者として責任を背負って批判を浴びる側になる恐怖とは対面できないのだろう。

権限を委譲されればビジネス上の自由度は上がる。裁量権の多さがビジネスの面白さである。業種、職種で面白さが決まると思ったら間違いだ。どの業種、職種でも徹底的にこだわり昇華させていけば、やりがいや面白さはある。大事なのは裁量権だ。

その裁量権を無限に近く得る為には、相応の覚悟が必要なのだ。その覚悟が出来ない為に一線を越えられない人材が多くいるという事だ。

また、権限を部下に譲渡した上司は、本来次のステージへの挑戦を始めるはずだ。権限を委譲された方は、思い上がってもいけない。上司は挑戦を始めるので、当初は思ったような結果を出さないだろう。逆に委譲された方は、地ならしが済んでいるので早期に成果につなげられるはずだ。何事も無から有を作り出す部分が難しい。長期の継続はそれ以上の苦労や新しいチャレンジが必要なので同様の困難さがあるが、継続して2~3年発展させることは、創業に比べれば楽な作業だ。

この楽な作業を継承していながら、上司を見下すようになる部下も多い。勘違いも甚だしい。私などから見ると苦笑しかでない。自分は結果を出しているのに奴は何をしているのだというスタンスだ。

権限を委譲された人間の正しい姿は、成果を以前にも増して出す事は当然として自分に課し、その上で新しい事にチャレンジしている人間は、必ず同胞として先駆者として成果を出すはずなので、それまで全力で支えようという姿勢だ。

0531_c.jpgそもそも組織は発展している状態か衰退している状態かどちらかしかない。維持という状態は存在しない。維持だと思っているのは衰退の初期段階である場合がほとんどだ。よって、常にチャレンジが必要だし、それを担える希少な人材がチャレンジするパートに進んで行かなければならない。それは、成果が早急に出ない事が多いし、割に合わないポジションである時間が続く。それでも、自分がそれを背負う立場だと思った人間がそのポジションを担わなければ組織は衰退へと進むだけだ。

組織における問題は「嫉妬」「不安」「逃避」「見栄」etcなどの心理から生まれる。全員がチームの勝利を最優先し、パラサイトもネガティブも拒否し、大らかに未来へ挑戦し続ければ、課題はあっても問題は起きない。問題もなく全力を出していて負けるなら、そもそも駄目なので鍛え直して再チャレンジだ。

そして、上記の弱さの根元は本質的な自信のなさである。自信が無いので、たまたま掴めた既得権にしがみつこうとする。自信が無いので、嫉妬する。自信が無いので、他人を貶め批判しネガティブなリーダーシップを取ろうとする。自信が無いので過去の成功にしがみつこうとする。

今の君たちに自信を持てと言うのは酷だ。自信なんて無くて良い。ただし、自分の可能性には常に希望を持って欲しい。根拠なんて無くてよい。俺は大丈夫。俺は出来る人間だと唱え続けて欲しい。そして、先ず到達して欲しい境地は優良な開き直りだ。俺ほどの人間がここまでやって駄目なら仕方がない。失敗したらその後の5年でも10年でもかけて取り戻しますよ。この様な境地から、不安や迷いのない状態で現在発揮できる最大のパフォーマンスを出せるようになってもらいたい。既得権なんて全て捨てて、新しい道を切り開いて欲しい。

そして、その開き直りから来る大らかさを武器に、若者らしいエネルギッシュかつチャレンジャブルな仕事に突き進んで欲しいと願っている。

2007年05月29日 18:31

不変のもの

初めて企業のトップに立ったのは20代半ば過ぎだった。既に経営者としてのキャリアは10年を超えている。追い求める理想に対する情熱は微塵も変わっていない。経験の中から多くを学び、当時に比べれば経営者としての性能は格段に上がっていると思う。

私が20代後半の頃は、ちょうどITバブルの走りの頃だった。年商が3億もいかない頃でも、ベンチャーキャピタルや証券会社から、いくつものアポイントが入り、上場を勧められたものだ。

経営者同士の会合にもよく誘われたし、何度か顔を出した事もある。将来は一兆稼ぐ、二兆稼ぐと景気の良い話が飛び交っていた。また、経団連ではないが、色々な企業の経営者が所属する協会や団体なども勧誘も多く、世間的に名前の知れた経営者や政治家とのコネクションが作れると言うふれこみで多くの社長さんが参加していた。

社長の使命の一つには外部とのアライアンスの構築やトップ同士の営業などもあるので、上記の様なロビー活動も必要だとは思っている。私もそろそろ力を入れて活動しても良いかとも思う。

しかし、多くの若手の経営者を見ていると、この様なロビー活動に勤しむうちに自らを過大評価し見失っていくケースも多い。理想があり志があり決意して前進する姿と、過信し増長する姿は似ていて非なるものだ。また、著名な人達といくら会って話しても、自分の価値は全く変わらない。政治家と顔見知りになろうが、有名な経営者と顔見知りになろうが、凄いのは彼らであって自分ではない。自分達の価値は自分達が作り上げた事業の価値によってのみ決まる。

私に言われたくも無いと思うが、一番大事なのは自社の仲間であり、自分達が魂を込めて作り上げた事業だ。これがあるからベンチャーキャピタルもよって来るだろうし、チヤホヤしてくれるのであって、自分の価値だけを評価してもらっているのではない。組織の総合力の評価を社長が代表して受けているに過ぎない。仲間達の血と汗の結晶を代表して持っているのだ。

0530_a.jpgビジネスにおいて自分が困った時、悩んだ時に力になるのは、友人でも家族でもない。共に前線で戦う仲間だ。だから、外部の人脈を作る事よりも社内の仲間達とのコミュニケーションや教育を重視してきた。相当大きな会社になるまでは、トップは内向きで良いと思う。外向きと言っても事業としてマーケットを見る事は同等に最優先だが、その他のロビー活動は二の次だ。

経営者は孤独だという話もよく聞く。私自身は孤独を感じた事はあまりない。一番近くにいる仲間達を同じ船に乗る運命共同体として信じているし、一昔前の労使交渉の様な敵対関係は現在のビジネスシーンではナンセンスだ。誰にも得がない。壁に当たれば社内の人間と最初に対策を練るし、共に乗り越え喜びを感じていきたい。もし、社内を自分の陣地として一番安心出来る場所に思えない経営者がいるとしたら、不健全なストレスに苛まれ続けるだろう。

本来、私自身は外交的な能力は極めて高い。(←自己評価・・・)ロビー活動むきではある。それ故に一番大事なものを見失わないように、自ら戒めてきたとも言える。

経営者は会社の規模が変わっても、お金を沢山稼いだとしても変わってはいけない。本来、「こんな事業をする」「この事業で社会の一翼をになう」と言って、社員を集め、出資を募り事業を推進したはずだ。これを節義として曲げてはいけない。経営者は事業をしなければならない。元来投資家ではない。資金が出来れば事業につぎ込み次ぎの発展を狙うべきだ。また、一時の方便で社員を丸め込んではいけない。会社がアーリーステージの時に手段として理想を語り、発展したらそれを変えるのでは詐欺師と一緒だ。

不退転の決意の下にビジョンを示し、リーダーシップをとり事業を推進するのが経営者の正しい姿だと思っている。これは私の価値観なので、他者に強制はしない。

会社には市況などにより変えなくてはいけないものと、何があっても変えてはいけないものがある。状況における戦略は柔軟かつスピーディーに変化させるべきだ。それこそがベンチャー企業の強みでもある。企業のアイデンティティの様なものや、求める理想は、目的達成までは変えてはいけない。目的が達成されれば次の理想を追うのも良いし、解散するのも良い。

社風を維持しろというのではない。社風やその企業のカルチャーは常に錬磨し、進化すべきだ。過去に縛られるのは良くない。カルチャーが錬磨された場合は「変わった」とは思わないだろう。社内全体が自然な流れの中で組織が「進化した」という実感を持てるはずだ。これは、朝令暮改とは区別したい。

0530_b.jpg先日、中(ナカ)君というエンジニアと個別面談をとった。彼は現在100名を超えるSVTのエンジニアで最古の存在だ。シーラカンスみたいなものだ。SVTに来たときはアセンブラのスペシャリストだった。スキルの幅をオープン系に広げる為に当時は転職活動をしていた。

コミュニケーション能力もそこそこあり、技術に関しても学習能力が高いので順調にスキルを積み重ねて、入社から3年経ったが現在はWeb系の開発で要件定義を徹底的に行っている。

彼の素材の素晴らしさは一緒にいて嫌みを感じない人徳だと思う。これは自分に合ったリーダー像を造る上で大きな武器だ。当時、事業の立ち上げ時期だったのでメンバーは私一人。そして、この中君が来たので、二人で事業部を立ち上げていた。オフィスも今の様な高層ビルではなく、築ウン十年のお化け屋敷の様な渋谷の線路脇のオフィスだった。そんな状況なのに、社歴や環境ではなく私という人間を信頼してくれて共に歩んでくれた。そして、日曜日の勉強会なども共に立ち上げ、飄々とSVTの基礎作りを担った貢献は大きい。誰にでも出来る事ではない。

その彼が話していたのが、「会長はあの頃も今も変わらないですね。」という事。二人でやっていた頃も100人を超えた今でも同じ未来を見て、同じスタンスで、同じ理想を追っているということ。自分ではそのつもりだが、他者から言われると確認になる。変えてはいけないものを変えずに歩んでいけているのだと思う。

5年後も10年後も、この節義を曲げず、「上場しても、巨大企業になっても全く変わりませんね。」と言われる人でありたい。

2007年05月25日 17:58

才能

よく才能があるとか無いとかいう話を耳にする。私自身が自分の才能には全く自信がない。人より格段に落ちる部分もないだろうが、人より優れている部分も見あたらない。二十歳の頃は「俺は特別だ」「人と違う事をしたい」と言う感情と、何をしても平凡な成果しか残せない現実とのギャップに悩んだものだ。

今までの平凡さに決別し、大学を辞め事業の道に進んだ時も、周りには同年代ですばらしく口が上手い奴もいたし、リーダーシップのある奴もいた。自分が事業家として抜きんでる道は見あたらなかった。スポーツをやっても学問でも十人並みだったが、事業でも同じなのかとも思った。正直なところ、自信なんてものは存在しなかった。

0525_a.jpgそもそも、成果を出す前に自信などあるはずがない。その時点で自信があったら、それは勘違いだ。だから、自信があるから何かをするというスタンスは間違いだと思う。自信があることだけやっていたら今以上にはなれない。つまり、成長するためには不安と挫折の中を歩み続けなければならず、不安や負荷を感じていない時間があるとしたら歩みを止めていると言うことだ。

自分は才能が無いのかとも思った。ただ大学も辞めたし、今更帰る場所もない。帰ったところで、残るのは三流大学の学歴だけ。両親にも友人にも太いことを言って事業に踏み出しただけに、戻るのはあまりにも情けない。道をそれることも許されず、大学を辞め2年程度は手探りで暗闇を歩むがごとくであった。

0525_b.jpgそのうちに、「仕事とは」「成果とは」「マネージメントとは」と少しずつ悟る事が積み重なり、いつしか成果が出るようになった。紙一重で事業家への道から脱落せずにすんだ。運が良かったとしか言いようがない。ただ、しぶとく耐え、かろうじて生き残ったというのが正直な感想だ。よく起業家の伝記などにあるような華々しい逸話などない。泥臭く営業に回り、収益を上げ、事業家としての土台を養っていた。

実際の経営者としてのキャリアを見ても、巧みに事業を推進したというよりは、挑戦と挫折を繰り返しながら何とか今の状態まで来た感じだ。自分の才能の無さにあきれる。

劣等感にさいなまれる次期もあったが、今は才能の有無なんてどうでも良いじゃないかという結論に達している。自分が信じた道を歩めるだけで幸せだし、物事の成否は才能ではきまらないという現実も見えてきた。

人間の素質は平等ではない。一生懸命勉強しても三流大学すら落ちる人間もいれば、大して勉強しなくても東大に合格する人間もいる。あくまでも不平等だ。微笑みかけるだけで、相手の目がハートマークになる容姿もあれば、微笑みかけた瞬間にストーカーと間違えられ、警察に通報される容姿もある。不平等だ。(本人の努力によってかなり改善されるとは思うが・・・)

しかし、その手のDNAに関わる部分が不平等だとしても、その素質によって結果がきまるわけではない。また、その素質によって幸せの度合いが決まるわけでもない。

今は才能に恵まれないで良かったと思っている。もし、私自身が元々学問もでき、弁舌も爽やかで、リーダーシップもあるような人間だったら、若人達に「もって生まれた才能に関わらず、人間は高みを目指す事が可能だ」と断言出来なかったと思う。それが真実だったとしても人の心を動かすような熱は帯びなかっただろう。

挫折と劣等感から今の自分を作り上げたからこそ、人にもこの程度の性能は必ず持てると断言できるのだ。自分自身は今も成功とか言うにはほど遠い。何が成功かには議論が必要だが、私は自分の理想をつかんだ時に一定の区切りがつくと思っている。成功は己の脳裏にある。そのスタンスから言えば、俺の道程はまだ最初の一歩を踏み出したに過ぎない。富士山の頂を成功だとすれば、現在位置は東名高速の東京インターあたりだ。

それでも、一応経営者としてそれなりに思い描いた事業に取り組め、ビジネススキルにおいては相応の能力はあると自負している。好きな仕事をやれている。所得にも不満はない。この程度までは誰でもなれると断言できる。それも自分の才能の無さ故である。

だから、今は才能が無かったことに感謝している。おかげで人材の育成を生涯の仕事とし、己の天命であると実感出来ている。これも自分の才能の無さ故である。

このブログを読んでいる方の中には何かしらに挫折し自信をなくしている方もいるかもしれない。そんな君たちにアドバイスしたい。

0525_c.jpg才能があるなしなんてどうでもよい。そもそも、本当に才能があったかなんて、人生でも終わってみないと分からない。物事の成否も同じだ。局面ごとの成否はあるが、根本的な人生の成否は当然人生が終わった頃に結論がでる。

人生はあくまでも重層的なものだ。ある一時期を切り取って成否を論じるのは間違っている。自分の意志がめげていなければ、今は成功への道程だ。失敗して必要以上に落ち込む事もナンセンスだ。逆にちょっと状況が良いからと言って、傲慢になるのも駄目だ。粛々と自分の信念を貫き、自分の理想を追い求めれば良い。自分が描いた志を、情熱を持って形にしていけばいいのだ。人生が終演を迎える頃に振り返って成否について考えてみればいいじゃないか。

最後にSVTのメンバーに私が送ったメールを掲載してこの項は締めたい。


【ここからメールの内容を一部抜粋】

焦りや不安は結果を考えると自分の中に湧き上がってくるものだよ。世の中に必ず勝 てる勝負はなく、その意味では結果を考えた場合に不安にならない人間はいない。

しかし、それが弱さとなってあるうちは自立的なリーダーシップは取れない。トップ としては何かしらの結論を持たなければならない。

俺が行き着いたのは、「俺がやることの是非は30年後に聞いてくれ。今は俺が信じた道を進むのみ。」と言うことだな。物事の成否はそもそも5年、10年で分かるものではない。一生かかって振返ってみた時に何かしらの答えがあるくらいだよ。世間で失敗者と言われるのは自分であきらめた奴だけだ。60歳になっても70歳になっても自分がその気なら成功への途中さ。

だから、根本的な成否を気にするのはそもそもナンセンス。出来るのは自分の能力を、自分の人生を燃やしきることだろう。それでダメならしょうがないと言う悟りで事にあたるのみさ。

成否は分からないが、分かっているのは今自分がどんな姿勢で、どんなスタンスで物事に当たり生きるかと言うことだ。これに対して、妥協や後悔をしないようにすればよい。

それは難しい話ではない。シンプルな事で自分が納得することは遵守すればよい。その自分の哲学に殉じればいいよ。

例えば、「仲間は裏切らない」とか「必ず今以上にチャレンジし続ける」とか「嘘でも良いからリーダーとして弱い姿は見せない」とか「無理でも良いからリーダーとしての姿を演じきる」とかなんでもよい。仕事は必ず攻めるでもいいし、常に組織の勝利を第一に考えるでもよい。

自分が正しいと確信した生き方に殉じればいいんじゃないか。それは実行した時点で成功している訳だし、自分の姿の事なので、不確定要素はなく自分さえその気なら100%勝利できるはずだ。

俺から学ぶのはビジネスの基礎でよい。組織を運営していくリーダーとしての基礎でよい。その上で、俺では実現できないお前独自の事業家として、リーダーとしての姿が現れる。俺はそれを見るのが楽しみでならない。

2007年05月22日 09:48

一期一会

0521_a.jpg私が人と会う時に、常に心しているのが「一期一会」だ。

人生を通して関われる人数には物理的な限界がある。また、人との関わりによって人生の豊かさのかなりの部分が決まるとも思う。よって、人との出会いは大事にしたい。

大事にする為に私自身が信条としているのは、もうこの人と二度と会わないと思い接することだ。次につなげよう、次があると思うと打算も入るし、言い残した事があっても次に伝えれば良いやと思ってしまう。

大事なのはこの会っている時間に全力を注ぐ事だ。今のこの時間が価値ある時間となり、縁があり必然が生じれば次の機会は自ずと訪れる。

その為に私自身が決めているのは、とにかく腹を割って話そうと言うこと。そして、伝えたいことがあれば意志を込めて全力で伝えようということだ。可もなく不可もないような時間をサラサラと流していては、良い縁も消えてしまう。自分が出来る全力で取り組み、その後のことはなるようになるだろう。

だから、どこに行っても必ず全力で打ち込む。自分達の主義主張を全力で打ち込ませて頂く。立場上、世間的に地位のある方や実績のある方にお会いすることも多い。先方から出来る限り学びたいので、全身全霊で相手の話も聞く。その上で、私の話す順番であれば、私との出会いで何かを持って帰ってもらうことに全力を注ぐ。

相手が海外の著名な政治家であろうが、上場企業の経営者であろうがお構いなしだ。一人の人間として全力で相対する。そもそも、政治家だろうが大企業の経営者だろうが、一人の人間としては同じだし、大企業とベンチャーを比べて尊卑などあるはずがない。背負っている部分が違うのと、時間による状態の違いがあるだけだ。お互いに社会の一翼を担い事業を営むという事では互角だ。

とは言っても一人の人間として、私より人生経験も長く、私が見ていない世界を知っている方も多いので、尊敬をもって相対する。

そして、自分がSVTに対して込めている想いを伝え、将来の展望を伝え、我々が背負うべきミッションを伝える。経営とは何だと思っているかも伝え、どの様な組織を作り上げたいかも伝える。かなり暑苦しい。

ただし、相手の脳裏にはSVTの存在は焼き付くはずだ。

0521_b.jpgそもそも、私が外部の人と会うときには「篠田庸介」という個人で会うわけではない。SVTの代表として全メンバーの誇りを背負って会う。世界中の他のどの企業でもなく、SVTに参加した事を全メンバーには誇りに思ってもらいたい。どの企業の人間と相対しても胸を張ってビジネスを進められる為の誇りを持ち続けたい。

だから、どこにでもいるような経営者であってはいけない。卑屈な人間であってもいけない。相手が誰だろうが、誇り高きSVTのメンバーとして堂々と渡り合わなければならない。現場で必死に戦っている全メンバーの顔に泥を塗ってはならないのだ。仲間達が意気消沈するような姿は、絶対に見せてはいけない。それが、SVTの一人のメンバーとして私自身が常に背負っている責務である。

よって、可もなく不可もなくではなく、最終的に嫌われても良いので、暑苦しく打ち込む。特にトップ同士のアライアンスなどは双方時間が取れない場合も多いので、会えた時に相手の脳裏にSVTを刻み込む。それがプラスであれマイナスであれだ。大企業の取締役に対して、初対面で組織批判をし、SVTならその穴を埋められるというプレゼンをしたときもある。嫌われると思いきや、相手がビジネス経験も豊富で本当に自社を伸ばそうと思っているなら、こちらの気持ちも伝わる。それ以来取引が順調に始まった。

初対面の相手であっても腹を割って、本音で気持ちを込めて話した方が良い。俺も君たちもまだまだ若いし未熟だ。上手くやろうと立ち回っても、すぐに底がしれる。人の心を動かすのは知識や経験じゃない。パッションだ。パッションは自分の内側からわき上がるものだ。本音で語らねばパッションは伝わらない。相手の心も動かない。薄い印象だけ残り、相手はすぐに忘却してしまうだろう。パッションがない人間は根本的にビジネスの世界で成功できないので、それなりの道を歩んだ方が良い。

SVTに面接にこられる方にも、同じ時代、同じ業界で戦う仲間として全力で接したい。入社するかどうかは、お互いの本音をぶつけ合った上での結果なので、どうでも良い。ただ、時間と労力を割いて来社して頂いた方には今後につながる何かを持って帰ってもらいたい。その一心で必死に話させて頂く。縁なく、就職に至らなかったとしても、一人の人間同士として一期一会を全うするのみだ。

こんな暑苦しい会社、暑苦しい私で良ければ、是非一度見物に来て頂ければ幸いだ。

2007年05月21日 14:27

オープン&フェア

以前シンガポールの項で、「道徳」について書いた。これを少し掘り下げてみたい。

私自身19年のビジネス人生ではあるが、キャリアを重ねるごとに道徳の必要性を重く感じるようになった。例えば、対外的なネゴや調整において、取引を上手く騙して一時的に利益を上乗せすることは難しくない。個人でも就職活動の時に経歴書に嘘を書き、過分に高い評価を頂き内定を得ることもできるだろう。それと同じ様なレベルで比較的簡単にはばれないと思われる情報操作によって一時的に有利になることは出来るし、これはある程度は社会的に許されているようにも感じる。

しかい、不誠実な対応によって失うものが二つある。一つは嘘がばれたときに失う「信用」である。もう一つは嘘を付き続けることによって、作られてしまう自分自身の「人格」だ。または組織自体の「社格」であろう。

0520_a.jpgビジネスにおけるパートナーシップは、階層が高くなるほど条件や社会性だけではなく、人間同士の信頼が必要となる。特に何のバックボーンもないベンチャー企業においては、それが全てだと言っても良い。相手の担当が優秀であればあるほど、こちらの人間としての信用性を問われる。そして付け焼き刃で相手にうけそうな姿を演じてみても、すぐに底が露呈する。要はビジネスの世界で信頼されない、ビジネスを任されることがない、そんな性質が図らずも作られてしまうのだ。

キャリアを積み能力は上げるとして、最後に問われるのはこの人格だということを先ずは認識して欲しい。

話を戻す。

現代社会において「道徳」を言い換えれば「オープン」と「フェアー」を徹底することだと思っている。ズルが出来なければ、実力で勝負するしかない。

例えば、企業の中で業績を上げることよりも上司に気に入られることによって、出世できたり、給与が上がるのであれば、真面目に売上を狙ったり、質の高い製品を作り上げたりと思う人間はいなくなるだろう。それよりも、上司に贈り物をしたり、上司と飲みに行くことを優先するはずだ。その方がリターンは楽で大きい。

0520_e.jpgオープン&フェアーであれということは実力を育て上げる前提だということだ。シンガポールのリー・クアン・ユーも、小さな自国内で自分が良い思いをすることを優先せず、国家が世界と戦える実力を育ませるために、道徳や規律に固執したのだと思う。国民にも官僚にも、法律や道徳を遵守するよう厳しい罰則をもうけたのは、その様な理由なのだろう。

逆に言えば、国家官僚の汚職や腐敗は、国家が破綻する先行指標のように感じる。国家の中枢が既得権にしがみつき、国民から絞り上げた税金にパラサイトしていては、真面目に事業をするのが馬鹿らしくなる。官僚や政治家が腐敗すると、その雰囲気が国家的に波及しても止めようがない。実力をつけることよりも、上手く生きることを是とする国風となる。

企業でも同じで、トップが「道徳」を理解し、「オープン」で「フェアー」であることを目指さなければ、社員がこっそり手を抜いたり、上手い報告をして自分の実績をごまかしたりしても当然だ。陰で会社に文句を言いながら、平然と給与を頂く様なやからが増殖しても文句は言えない。それがその会社の「社格」であり「文化」だからだ。

昔、金融ビックバンなるものが話題になった。当時の大蔵省の庇護をはずし、各銀行は自力で経営し、後発の新規参入者と同じ土俵で戦うように制度を変えて、日本の金融業界を世界と戦えるようにしようという取り組みだ。これも「ビックバン」などと大げさに言うような事ではない。「オープン&フェアー」と言う本来の正しい姿に戻しましょうという話だ。結果、フェアーに戦いいくつかの金融機関が倒産したが、本来倒産すべき会社が能力通りにそうなっただけなので、社会的に問題もないはずだ。逆に資本主義の原則通りフェアーな良い社会になったと思う。

「道徳」とは人として本来歩むべき正しい道だと理解している。この正しき事を実践していくには判断力が必要だ。間違った事を正しいと確信し進むケースは多い。だから、各人の「正義」を玉のように磨いて、内側から湧き出る確信を追求しなければならない。

0520_b.jpg自分達が取り組んでいる事業は「正義」であると確信がない中で燃えるような仕事も出来ないし、市場からの協力も得られない。また、この「正義」が底の浅い思慮から発していてはやはり優秀な人たちの心は動かせない。子供戯言になってしまう。

本来大人が、優秀な人間が持たなければいけない「正義」は公のものでなければならない。自分、自社がという動機は仲間や個人に対しては正しい事かもしれないが、反対側に不幸になる人間を作る可能性がある。

我々が追うべき正義はあくまで「公義」だ。公に貢献し、より多くの人々に幸せと豊かさを供するのだ。自分だけが幸せになるための正義ではない。日本全てに貢献し、インド、中国もひっくるめて豊かにしたい。大き過ぎる話だが、目指す分には文句を言われる筋合いはない。少なくとも姿勢として、この「公義」を追求しなければ事業として取り組む価値を感じない。

よってSVTはあくまでも「公義」を成し遂げる集団とする。その前提とし「オープン&フェアー」を徹底したい。オープンでフェアーなのでごまかしも逃げも許されない。しかし、真っ正面から戦い戦果を得た者は大きな報償を得る。そんな風土に作り上げたい。

0520_d.jpg「公に貢献する」ときれい事だけで言っている訳ではない。SVTが未来に発展し生き残るために必要な価値観だ。そもそも、我々はこの豊かな日本というインフラがあったので現在の様な生活やビジネスが出来ている。多くの国民や企業が、税金を納め勤労し、世界でも有数な豊かで平和な国家を作り上げた。我々若人はそのおかげで教育も十分に受け、様々な製品を手にして経験を積んでいる。これは我々の功績ではなく、先人及び、先人達が作り上げた社会のおかげである。

公に貢献し日本という広義でいう社会インフラを作り上げ、日本企業の競争力が確保されている。その日本を背景に我々は国際社会の中でより有利に事業を推進できる。多くの人や企業の公に対する貢献で我々は幸せな社会生活を送れているのだ。

つまり、「公義」が文化として存在しなければ、社会自体が風化し沈没していくのが必定である。

同じように君たちも就職した企業に貢献すべきだ。その企業は君たちがビジネスをやるための土台であり、武器じゃないか。同じ武器なら、竹槍よりはマシンガンの方が良いだろう。強力な武器を作り上げる中で貢献した量に比例して、その武器を使う資格を手にできる。

会社を批判し、仕事の手を抜いていく人間は真綿で自分の首を絞めているようなものだ。望むかどうか別として、その会社の評価や能力を使いながら仕事を推進していき、自分の業績を作り上げなければならない。以前にも書いたが、その事業を作り上げた業績が君たちの未来へのパスポートとなる。自社が力を無くしていくような、全ての行為は自傷的であり、タイムラグの後に自分へマイナスインパクとなって返ってくる。君たち組織に害する存在として、成立してしまい未来への扉は閉ざされる。少なくともビジネスの世界ではだ。

最後に。

0520_c.jpg我々はオープンでフェアーな組織を徹底して目指す。それは経営者がやれば良いという簡単な話ではなく、メンバー全員が実力で戦う事を覚悟しなければならない。実力で戦い、そのキャリアをもって本物の人材集団としての完成を目指す。

我々は、我々が信じた「正義」を追求したい。色々な仕事が世の中にあり、色々な企業が世の中にあるなかで、今の仕事を選び今の会社に行き着いたのだから、誇りをもって一生過ごしたい。その為には「正義」ある事業を狙いたい。

我々の「正義」はあくまでも「公義」である。自社の発展はもちろんだが、我々の事業によって豊かになり幸せになる人を一人でも多く作りたい。多くの人が幸せに暮らせる、社会の一翼を担いたい。その平和な社会があり初めて我々は思い描いた未来へ挑戦できるのだ。

2007年05月18日 20:23

07年5月度総会やりました

0519_a.jpg時間が経つのは早いもので、ついこの間納会を開催したばかりなのに、もう5月度総会である。

今回は議題も盛り沢山だった。

総会では、何かを発表したいエンジニアは立候補すれば好きに主張できる。各PMからの報告もあるし、現場で活躍するエンジニアから、新しい事業案や社内制度の提案もプレゼンされたりする。

・ 無限有給制度提案
・ フォー・ザ・カンパニー制度提案
・ 会社をどうしたいかの主張
・ その他社内に新しく導入したいツールや仕組みの提案
・ インド企業の視察報告
・ 自分のプロジェクトへのリクルーティング

様々な内容が展開されてきた。

我々の社内文化として、あらゆる言い訳や他力本願を否定している。そもそもベンチャーであるし、強さもあれば整っていないものある。もとい、整っていないものが多い。まあ、それでも1年前に比べれば社内環境はずいぶん良くなったとは思う。

0519_b.jpgだから「あれが足りない」「これが足りない」と自分の責務が果たせなかった時の言い訳をせず、あるものを使いまくって何とかしろと言う話になる。ない袖はふれない。そんな無駄な主張はいらない。ある袖を振りまくって、人が出来ない事を成し遂げるから君の人材としての価値あるのだというスタンスだ。

話を戻す。よって、各PMは自分のプロジェクトの魅力や可能性、自分の思い入れなどを周知させ、時には1対1で口説き、メンバーを自分のプロジェクトにアサインさせなければならない。待っていたら誰かがメンバーを連れてきてくれるという体制ではない。「営業が・・・」「会社が・・・」というのではなく、「自分」が動く事によって、自分のチームを作るのだ。その分当然メンバーに対する責任も一般の会社より重い。その重さを実感して、リーダーとしての人格を形成していく。

そもそも、各メンバーも納得の上で決意して現場に行かなければ良い仕事が出来る筈が無い。無理やり本人の意に反した現場に行かされることはSVTにおいてはない。ただし、自分の実力や社会的評価に勘違いがあった時は気づかされることになるが・・・。

0519_c.jpgまた、総会も含めてあらゆる制度を提案し実行できるので、何かに不満がある人間は「それを改善するように動いたか?主張したのか?」と言われてしまう。影でふてくされる事はできるが、動かない人間に正当性は主張できない。俺が詰めるのではない。頑張っている仲間に詰められるので、逃げ場がない。実力と覚悟があれば何でも出来てしいまうのがSVTだ。逆にここで出来ない事があるメンバーは実力か覚悟が欠けているのだろう。

総会は以前に書いたが、情報共有し経営により参画させたいという意思が一つある。しかし、ただ単に情報共有したいだけなら、テキストを送れば良いわけで、集まる必要はない。各メンバー(俺も含む)の想いのたけをぶつけないと血が通った組織にならないので、直接あって自分の言葉で伝え合わなければならないのだ。だから、総会がある。真の目的は情報共有、情報開示などではない。志の共有だ。

教育者として若いメンバーは極力追い込みたいと思っている。正しく追い込まれた状態を自力でクリアしていかないとビジネス体力は上がらない。指導者の一つの役目は要求することだ。現状ではクリアできない目標を、百も承知で要求し続けなければならない。今以上にならなければ許されない状況が自分を育てるのだ。総会も普段から多くのメンバーの意見をサルベージしているのも、人がいいからでも、社員の機嫌を取っているからでもない。何でも提言でき何でも実行できる環境を作り、君たちの成長に最も有害な「言い訳」を徹底的に排除したいからだ。未来に最強の人材と最強の組織を生み出す為のステップで必要なのだ。

0519_d.jpg社内のリーダー達に要求したい。チームのメンバー達を妥協無く追い込んで欲しい。本人の可能性を自ら値切らせず、より高い頂を目指させて欲しい。部下に要求し続けるには強靱な意志が必要だ。限界を超えた要求をすれば、必ず摩擦は起こる。要求もせず摩擦から逃げ、ストレスを避けるリーダーは、一見やさしそうでも、本当は職務を放棄し部下の可能性をつぶしているのだ。

摩擦を恐れるな。君たちの仕事は部下の機嫌を取ることではない。楽しげなチームを作ることでもない。高い実行力を有した人材と組織を作り上げ、未来への布石を打つことだ。そして、何よりも各リーダー自身が、ストレスの中でも崩れない仲間との信頼関係と、それを支える自分自身の人格と実力の向上を実現して欲しい。

2007年05月16日 17:14

カルチャー

法人とは、法で定めた人と書く。文字のごとくいくつかの人と似通った性質も持っている。

その中で私が最初に着目し、重く受け止めたのが本来企業にも寿命があるということだ。

分かり切った話だと感じるかもしれないが、これを理解し意識しつつビジネスに取り組んでいる社会人は少ない。倒産寸前の企業であれば全員が実感するのかもしれないが、平時においてこれを自覚している人間は至極希だ。

繰り返す。企業とは本来倒産するものだ。それをCIなどを含めた企業努力によって延命しているのだ。これが基本だ。

素晴らしい商品を持っていても、商品にも寿命がある。CDが出てくれば、レコードは売れなくなるし、関連して倒産する会社も出てくる。プレステだって売れ続ける訳ではないし、デジカメが出てきてフィルムのマーケット規模も激減したはずだ。技術革新や社会構造の変化によって、特定の商品は構造的に売れなくなるときが来る。

私が昔疑問に思ったのは、ある特定の商品を作る為、売る為の会社では、破綻を前提に歩み出している様なものだと言う事。商品、サービスを売るのが事業なのに、それを目的にしてはいけないのではと言う矛盾に悩んだ。

0517_a.jpg大事な人生を注いで取り組む仕事なので、気持ちを込めた仕事をしたい。仕事で燃え続けていたい。しかし、破綻を前提とした仕事で燃える事は出来ない。

また、企業に寿命がある原因のもう一つは、資本主義の原則とも言える「競争の原理」だろう。素晴らしい商品、仕組みがあれば、多くの後発者は模倣するはずだ。ただ模倣するだけではなく、更なる工夫を加えてくるはずだ。更に立ち上げ当時充満していた社内のエネルギーは、組織が成功し巨大化するに伴って減少していく。後発者が提示するものを上回る何かを生み出す優位性は本来先行者としてあるはずなのだが、新しい事に挑戦する風土や、エネルギーを成功後も維持できる企業は少ない。ところが後発者はチャレンジャーとしてのエネルギーに満ちあふれている。

結果、資本力や社員数などの体力はあるが、局地戦での敗北が続き、結局は全体が赤字化し倒産していくケースも多い。

企業の寿命はビジネスモデルの寿命と、組織的な減退と両面から訪れる。

結論として私が得たのは

● 企業とは常に何かを成し遂げる為に存在している
● 企業の財産は「カルチャー」であり、これを作り続ける継続的な活動が経営である。

存続を目的として瞬間に全ての組織はエネルギーを失い腐り始める。企業にはミッションがある。そのミッションを成し遂げる活動が経営だ。ミッションを狙い続けるので、組織のエネルギーは減退しない。役割が無くなった集団は社会から撤退を余儀なくされる。

流通革命、ディスカウントを前面に押し出し、奇跡的な成功を収めたダイエーが、経営的な破綻に追い込まれた原因は、不動産投資などの経営的オペレーションの問題ではなく、本質的な部分で役割が終了したからだと私は理解している。

自社のミッションと自分のミッションを常に念頭に置くべきだ。それが無い中で良い仕事は出来ない。

また、企業の商品や企業の仕組みは、その企業の思想の現れだ。例えば冷房という商品がある。冷房のミッションは空気を冷やす事ではない。人を快適に、幸せにすることだ。その為の手段として冷房がある。企業のミッションは冷房を作る事ではない。人を幸せにする事だ。

その企業が何を実現したいのか。その企業が何を主張したいのか。その思いを商品に込め、社内のシステムに込めるのだ。そして、その組織のカルチャーを練り上げ、それを武器に事業を推進し、市場におけるブランディングを実現するのだ。

商品は変わっても良い。組織の形態も変化してよい。財産として使い続けられるのは、その企業が持っているカルチャーだ。このカルチャーがあるから、他社は外形を真似しようとも、同等の商品力を実現できない。組織は競合他社にとらわれず己の道を進む事が出来る。

品質にこだわるのか、最先端の技術を追い続けるのか、オープンやフェアーを徹底するのか、誰を幸せにするのか、そう言った想いを込め自分たちのこだわりを徹底し自社特有のカルチャーを作り上げるのだ。

何かを成し遂げにかかっているうちは、寿命は訪れない。

商品を売る事が事業ではなく、競争力のある、他には真似できないカルチャーを作り上げるのが経営であり、それに終着点はない。

この観点で経営に取り組むようになって、私の中にあった矛盾は消えていった。
0517_b.jpg弊社のメンバーや、これから入社される方がいたら伝えたい。

君たちの役目は、SVTのカルチャーを作り上げる事だ。これは、俺が作って君たちに伝えるものじゃない。俺たち全員で作り上げるものだ。君たちが日々現場でしている判断や行動。この集合体が我々のカルチャーだ。

後、10分早く現場に行こう。
大変だが前もって明日の準備をしておこう。
もう一件だけ営業してから今日の業務を終えよう。
部下の失敗だが、俺が飲み込んで処理しよう

日々君たちが判断し行動に移している事柄がある。経営者が「こうしようっ!」と叫んだところで、実体とそれが離反していては意味がない。その企業の実体は経営者の弁ではなく、全員が日々行っている一つ一つの行動や判断だ。これに想いが現れ、競争優位を実現するのだ。

難しい話ではない。普通ではない、自分たち独自のこだわりを常に持ち続けよう。他社のエンジニアが持っていないもの作り上げよう。そして、自分たちが作り上げた風土に誇りを持とうじゃないか。

君たちの使命は、「世界で唯一」「世界で一番」というカルチャーを作り上げ、社内外に周知徹底することだ。その為に身体を張って前線で戦った者から、一流のビジネスマンとして階段を上がっていくのだろう。

2007年05月11日 18:12

リーダーの条件

0514_e.jpg
SVTには前向きなメンバーも多いので、頻繁にでる話題として「管理職の条件」などがある。どの様な人間がリーダーとして相応しいかは社内外から聞かれる機会が多い。

それに対する私の回答はシンプルだ。ビジネスにおける「自己犠牲」を理解し実践できる人物が管理職としては相応しい。

これは日本語の意味するところの「自己犠牲」ではない。本当に犠牲になる必要はない。言い換えるなら、行動の後に来る成果を得られるまでのタイムラグを受け入れろと言う事だろう。

現在の厳しいビジネス環境の中で、優秀なメンバーを与えられ、全てが整った状態で業務に当たりなさいと言われる管理職などいない。これは楽天イーグルスを見るまでもなく明らかだ。

逆に優秀なチーム、全てがそろったチームを率いなさいと言うなら、あなたではなくヌイグルミが管理職の席に座っていても、そこそこの成果を出すはずだ。その管理職でなければ成果は出ないという状態だからこそ手腕が問われる。リーダーとしての実力が試されるのだ。

だから、「あれが足りない」「これが欲しい」と不満と要求ばかり述べる管理職は当然論外。既存の材料を使い、更に育て上げ、チームを勝利に導いて初めて管理職と言える。

よって、リーダーに就任した当初は何もかもそろっていない。先輩の管理職に比べれば人材が圧倒的に足りない。管理職に就く人間は実務ではそれなりの成果を出したので管理職に就くわけだから、現役として最近まで前線に立っていたプライドもあるし、ノウハウなどで他のチームに負ける気はしないだろう。しかし、自分のチームは組織として熟成度が低いので、優秀な両腕もいないし、自分の意志なども周知徹底されていない。思ったように成果が出せず苦悩している管理職は多いはずだ。

これに対するアドバイスは「もっと苦しめ」「身体を張って成果を狙え」だけだ。

そして、その時に必要な概念が「自己犠牲」である。

部下の育成やフォローは成果に直結しないことが多い。半年間教え続けても期待した成長を実現出来ない部下がほとんどだろう。半年間かけた労力や時間は無駄に感じるときもある。「いつになったら成果がでるのだ」「あいつにかける時間を自分で動いた方が成果は出たのに・・・」などの焦りや後悔の念を抱く事もあるだろう。

しかし、損得で人間の育成を考えるのは根本的に間違っている。人間の成長は論理や打算で計れるものではない。予想外に長く時間がかかるときもあれば、ブレイクポイントを迎えて急激に成長する者もいる。どれだけ時間と労力をかければ、どれだけ成長するかは誰にも分からないのだ。

0514_d.jpgよって、人材育成を損得勘定で「何時間労力をかけて、いつ頃にいくら回収して・・・・」と考えても、思ったようにはならない。打算で考えると損をしたと感じる。これは事業も同じで、どのタイミングで割に合うほど儲かるかは誰にも分からない。損得だけで考えると、損と感じる時間が事業のスタート時は延々と続く。

だから、「自己犠牲」を覚悟してし、取り組むのだ。自己の打算を捨て、とにかく部下が育成され、あらゆる面で会社に貢献出来ればよし。己の利得は二の次にする。このスタンスで取り組めば良い。「フォー・ザ・部下」「フォー・ザ・カンパニー」を第一義とし、それ以外は些事と定めれば良い。見返りは期待せず、いつか自然と自分に成果の果実が降り注ぐのを待てばよい。

私が得た結論は「世の中上手く出来ている」というものだ。頑張ってやり抜いた事は必ず報われる。例えば、自分の時間を犠牲にして部下の指導に当たったとする。その為自分のプライベートの時間が取られたり、自分の仕事が予定通り終わらなかったり、その瞬間で見ると損をしたとする。その代わりに自分自身は、「尊敬」や「信頼」を得られる。そして何よりも、他人を活かし、他人の成長を喜ぶ中で自分の人格が練られる。リーダーとして動く中で練られた人格は一生自分の財産として武器になる。

私自身も全くの無償で、しかし全責任を背負い、若者達が事業に取り組む為の場として会社を設立し運営した時がある。設立から7年程度は無給どころか持ち出しで、リスクだけ背負い若者が事業を運営できるように後押しした。労力と時間だけ取られお金にはならなかった。周りの経営者仲間からも「馬鹿な事をせずに上手くお金にかえたらどうだ」と多くのアドバイスを頂いた。しかし、その結果現在は信頼できる仲間が手に入り、その後経営者として巣立った者達とのよいアライアンスが築かれている。損得なしで付き合った仲間だから、今の様な関係が築けているのだろう。何よりも私自身が「身体を張って部下を育てよ」「若者達の育成に全力で取り組んでいる」と断言できる資格を手に入れたのだと思う。結果的に損はしていない。

君たちもよく考えて見ればよい。リーダーに性能を求めるのはもちろんだが、公平さや、誠実さ、責任感などの人格部分を求めていないか。逆に言えば君たちが管理職になったときに求められるのは事務能力以上に人格だとは思わないか?特に管理職として高い位置にいくほど、大事なのはこの人格となる。しかもこれは付け焼き刃では何ともならない。

「自己犠牲」とは前だしで、先ず自分が人や環境に何かを与える事だ。そして、5年後になるか10年後になるか分からないが、自分がギブしたものが高い金利がついてテイクされるのを待てる価値観の事だ。

価値のあるものほど作り上げるのに時間がかかる。タイムラグは大きくなる。逆に簡単に手はいるものは、手に入れても感動もなく価値もない。本当に価値あるものを追い求める正しいスタンスが出来て初めてリーダーと言えるのだと思う。

見返りを期待してはいけない。先ずは人に与える事だけを考えよ。何も返ってこないのならもっと与える事を考えよ。変な宗教の話をしているのではない。私がビジネスの世界で20年近く戦ってきて体感した事実を伝えているのだ。不平等感も焦りも不遇感もいらない。そんなものは全部捨ててしまえ。君たちさえ人に何かを与え続けていれば必ずなるようになる。

管理職はこの意味で「自己犠牲」を払わなければならない。その覚悟と理解をしなければならない。トークの強さも必須ではない。実務能力も補える。一般的に言う所のリーダー的な魅力なども、通用するのは学生や平社員のうちだけだ。ビジネスの世界でコンスタントに発動される能力は実践の中で使い込まれた能力だけだ。自分の人格、リーダーとしての胆力を実践の中で鍛え上げ、来るべき将来に備えていこう。

2007年05月10日 18:03

個人面談開催中

SVTでは半年に一度ずつ「個別面談」と称して、私とメンバーが一対一で話す機会を設けている。まあ、普段から私もその辺にウロウロしているので、機会があるごとに現在のプロジェクトの報告や、今後の戦略などの話はストリート会議よろしく展開はしている。

しかし、クライアント先での作業が中心のメンバーや、性質的にあまり普段は自己主張しないメンバーもいるので、その様な場を設ける必要はある。

0514_a.jpg一番の目的は、各人が思い描いている自己の未来を私が共有することだ。現実の世界でどこまで順調に行くかは、本人の努力次第だが会社としてはそれが実現できるように全力で動きたい。そもそも、会社の方向性と本人の思い描く未来が一致しないと良い仕事は出来ないし、会社に各人が留まる論理的な前提が崩れる。

その他にも、半年の間で本人が進歩した部分や、会社に貢献した実績などもヒアリングする。本人の給与も現状ではそこで話し合って決めている。後々は基本的に各プロジェクトの責任者と本人の話し合いで、チーム毎のルールに則り、給与は決定していくつもりだ。

また、各人から見えていない部分の会社の戦略などを話し、現状の経営状況における疑問なども解消している。私自身の本人に対する評価や先々に担って欲しい役割なども伝えたりする。

0514_c.jpg現状SVTでは本人が身体を張って、取り組みたいと主張することが通らない事はない。当然、自分が発した言葉には責任が生じるので相応の覚悟は求めるが、それを背負えるメンバーを押しとどめることはない。自分がやりたいこと、会社に導入したいルールなどあれば、直接私に申し出れば良いのだ。これは個別面談とは別に随時受け付けているし、企画書などもよく持ち込まれる。

愚痴の無い環境を作りたい。そもそも、愚痴とは無力な人間の卑劣な逃避だ。自分に実行力があれば、会社の不満がある部分を改善すれば良いし、上司や同僚に不満があれば、上司が文句を言えないような実績を積み上げれば良いので、愚痴は存在しない。無力で他力本願なので、自分でどうしようもないことを愚痴る。つまり、自己の努力と可能性に対する否定が愚痴となって吐露されるのだ。当然生産性は皆無だ。

0514_b.jpg「愚痴は出すな」が前提ではあるが、会社側がやるべき事を上げるのであれば、各人が自力で問題解決する為に、組織の風通しの良さや柔軟性を堅持することだ。自分が動けば不満の根元は解消できると言う組織の柔らかさを文化として定着させるのは会社の責務だ。この責務を果たして初めて「愚痴は吐かずに飲み込め」と言える。

今は決算時期を過ぎて、ちょうど面談シーズンなので土日は面談予定で一杯だ。面談は希望者のみで、強制ではないので土日と平日の終業後に行っている。今まで、見えなかった社員の一面など見られて面白い。毎回楽しみにしている。

例えば「この半年は十分な成果が示せませんでした。半年後までに頑張りますっ!」と言ってササッと帰っていく人間もいるし、プライベートから仕事に関してまで、半年間やってきた事を企画書の様にまとめて持ってくる奴もいる。

一見物事を斜めに見て批判的な感じの印象を与えるメンバーが、話してみると実は非常にフェアーで、辛抱強く地道な努力ができる人間だったりもする。不器用さ故に、本人の美質が普段隠れているのは、非常に勿体ない。そう言う部分を見つけ出し、今後の育成につなげて行ければ何よりだ。

今は100名ちょっとの人数ではあるが、人を育て続けるのが私自身のミッションなので、何名になっても拒否されない限りは全員と関わり続けて行きたい。そして、全員の輝ける未来を共有し、私自身の喜びとしていきたい。

2007年05月07日 14:45

一流

事業において、100%確実に成功する方法がある。キーワードは「一流」だ。

多くの社会人は勘違いしている。「資格を取ろう」「自分の技術を磨こう」という啓発記事が世間に溢れている。それ自体は間違いではない。しかし、説明が足りない。「取った資格を使い、磨いた技術を使い、組織に貢献しよう」が正しい。

世の中を広く見てみればよい。社会の基本単位は企業であり、組織を編成し各個人は己の豊かさや自己実現に挑戦している。

確かに、「医者」「弁護士」「税理士」など、いかにも個人で成立しているような職種もある。しかし、医者が大規模な治療を行うためには組織だって動く必要があるし、弁護士に払う報酬も企業からのものが大部分だし、個人が払うにしてもその個人はどこかの組織に所属し収入を得ている場合がほとんどだ。税理士は言うまでもなく、大多数は法人をクライアントにしている。

先進国家の大部分の市民はどこかの組織に所属するか、組織と緊密な関係の中から収入を得ている。

つまり、ほとんどの社会人に必要な能力は「組織を勝たせる力」と言い換えても良いのではないか。

資本主義の原則の一つは自由競争だろう。本質的な既得権は存在せず、ある時代における勝者が10年もせずに敗者になり得る。組織に安定した状態はなく、常に勝負し勝ち続けなければならないのだ。それは、昨今の巨大企業の倒産事例をみれば明らかであり、今の状態を安定だと思っている方がいるとしたら、それは「勘違い」だ。

いつの記事かは記憶に定かではないが、マイクロソフトのゲイツ氏は一つか二つ選択を間違えれば、マイクロソフトすら倒れるという危機感を抱いていたし、日本を代表する経営者であった松下幸之助氏も「自社は大企業だから、つぶれないという人間が増えれば組織は終わりだ」と述べていた。

大小に関わらず、経営に近い所にいる人間で、「自社は安泰だ」と思っている脳天気な人間はいないだろう。無限の発展の可能性もあるが、手を抜けば坂道を転がり落ちる。安心しているのは末端の無責任な立場の者だけだ。責任がかからないので、浅い部分で経営を認識し安心を享受出来る。まあ、これはこれで幸せか。

よって、組織は常に勝利を求めなければならず、一切の既得権は存在しない。どの企業でも必要としているのは組織を勝利へと導ける人材であり、自分の職務を理解している人材だ。

組織を勝利させる為に、必要なら資格をとり、必要なら技術やキャリアを積みあげる。これがビジネスマンとしての正しい姿だ。「組織を勝利させるため」ではなく「顧客に豊かさを呈するため」の間違いではないかという意見を持つ方もいらっしゃるとは思うが、前記の二つは私の中では同義である。その様に理解してもらいたい。

話を戻す。

事業において100%成功するためには、上記を理解した組織を全員の力で実現することだ。「フォー・ザ・チーム」を全員が徹底し、その結果として所得が伸びる、自分の動きやすい環境が作られるなど、自分へのご褒美も段階的に享受できる。

個人の力にはある種の限界がある。例えば、エンジニアのコストの計算単位として「人/月」が使われる。大手ベンダーのエンジニアが会社の信用力を背景にしても、せいぜい200万円~300万円が人/月としては限界だろう。個人の能力のみで言えば200万円を越える事は先ずない。

つまり、一人のエンジニアが会社に貢献できる売上は3600万円/年程度が限界だと言うことだ。これはビジネスマンとしては極めてレベルが低い。通常、世間でビジネスマンを名乗るのであれば、最低でも億は超える売上が必要だろうし、自分の所得の3倍以上の利益を出せなければならない。この計算でいくと、最大でもエンジニアの収入は1200万円だ。たいした金額じゃないし、ここまで行けるエンジニアもごく希だ。

そこで組織の勝利に目を向ける。組織が勝つことによって様々なレバレッジ(てこ)が働く。

例えば、組織全体をマネージするのがあなたの役割だとすれば、自分の時給に比例せずに組織の大きさに比例して所得が生まれる。時給計算で所得を稼ごうと思えば、単価を上げるにしても24時間という限界がある。しかし、組織の数で言えばちゃんと組み立てれば無限に増やす事も可能だ。所得も無限に増やす事が出来る。

例えば、個人で所得を上げようとしたら、年俸2000万円も取れば大成功だし、そこまで行くのも大変だ。同じ仕事量をしていても、全員で結束し力を合わせ、会社として上場まで行くのであれば、ストックオプションなどで数億円の所得を上乗せできるかもしれない。

細かい例を挙げればきりがない。しかし、このレバレッジを使うことが一線を越えて、社会の中で自由に生きるためには必要だ。ゴールがずれていてはいくら頑張っても身にならない。君たちが性能を上げるのも、資格を取るのも、組織に貢献出来る力を育み、組織を運営できる力を身につける為だ。

弊社の社員も読んでいるので、改めて言わせてもらうが、SVTに貢献しろと言っているのではない。自分がその船に乗って、世にこぎ出そうと思ったら、その船に貢献して自分の生きる場所、武器となるキャリアを身につけろと言っているのだ。その船がSVTなら同じ船に乗った仲間として嬉しい限りだが、全国民が乗れる訳でもないし、それぞれが「自分の船だ」と確信した場所で、全力で貢献すればよい。これは経営者としてではなく、人生の先輩として若者達に対するアドバイスだ。

ゲーム理論で言うところの「囚人のジレンマ」をご存じだろうか?自分達にとって一番得なのは、全員が一点の迷いなく組織に貢献することだ。それによって、上記したレバレッジを自由自在に使うことが出来る。しかし、「囚人のジレンマ」にあるような失敗をほとんどの社会人は踏襲してしまう。

己の利を第一に考え、組織に対してマイナスな要因の愚痴や、さぼり、士気の低下、ネガティブな発言(本人は気がついていない場合もあり)などを日常的に行ってしまう。結果、組織の推進力は減退し、個人の評価も下がり、能力も向上しないことは明らかなのに、前向きな行動が取れない人間は多い。組織の力を減退させる全ての行動は、自分の首を真綿で絞めているようなものだ。自分の会社が枯れたら、他へ移れば良いと安直に考えているかもしれないが、そんな君たちを受け入れる馬鹿な企業はない。若い内の転職はある程度人生経験と言えなくもないが、30歳を過ぎてからは組織に貢献出来なかった証になってしまう。気をつけた方が良い。

0507_b.jpg繰り返し言う。君たちに必要なキャリアはいかに組織を勝利へ導いたかというキャリアだ。これが、今後君たちがあらゆる組織に受け入れられる為のパスポートだ。組織を勝利させられないあらゆる技術や知識は、趣味なら良いがビジネスの世界では必要ない。

よって、我々が目指すべき組織は「一流」でありたい。「一流」とは大企業や歴史のある企業のことではない。象徴的な表現であるが、組織の全メンバーが一本の流れとなり、未来へと進む姿を称して「一流」と呼んでいる。一人一人の力は微々たるもので、それを結集させ、大きな力を生み出すことを「一流」と呼んでいるのだ。

全員が組織の勝利に貢献し、その結果として凄まじい成果を実現したい。迷いも、恐れも無く、全員が一点のゴールを目指し、先ずは最初の成功をつかんで行きたい。

巨大でなくても良い。著名でなくても良い。ただただ、一流を目指したい。その境地を持って、我々のミッションを達成していきたい。

私の過去の経験から言えば、一流の状態になった組織が負ける事はない。どの様な競争相手にも必ず勝利できる。顧客からも絶対的な満足得ることが出来る。一点の無駄もない、筋肉美な組織が出来上がるはずだ。

0507_a.jpg個性を無くせというのでもない。お分かりだと思うが自分の個性をフルに使い、誰も出来ないような貢献するのだ。全体主義的な組織を作りたい訳ではない。これに関しては統制ではなく、思考によりこの境地に各メンバーが到達しなければ駄目だ。ビジネスの世界は、常に柔軟な対応力が求められ、マニュアルで乗り切れる事は少ない。個性を殺し、集団に合わせる事で一流を目指しても、人も育成されないし、組織の対応力は向上しない。

あくまでも自分が組織のトップに立った時をイメージし、今のポジションで何をすれば組織が最適化されるかに思考でたどり着き、自分達の意志の結集として一流にならなければ駄目なのだ。

長くなったので、この辺で終わりにしたい。一流への道は険しく厳しい。SVTもまだまだ一流にはほど遠い。メンバーの意識も、リーダーの成熟度も不十分だ。だから、挑戦であるし、目指す価値もある。一流を実践し体験したリーダー達が、世に出でて活躍する未来を実現するために明日も前線に立ち続けたい。

2007年05月03日 20:06

GW・バーベキュー大会

本日は毎年恒例のバーベキュー大会。(と言っても2回目)これについては書き連ねるよりも、写真を見て頂きたい。

0503_i.jpg会場は東京都ではあるが、最寄り駅から歩くと1時間半はかかる深山にて開催するので、自然に接するには良い。希望者のみ参加なので、当初20名程度でこぢんまりやるつもりだったが、50名ほど集まってしまいかなり大がかり。メンバーの家族の方も何名か来て頂いたので、普段と違う各人の父親としての顔などが見られ一興であった。

バーベキュー場の前には川が流れていて、その川を渡るとタケノコも堀放題。掘ってすぐのタケノコをそのまま焚き火にくべて、蒸し焼きにして食べる。絶品。

午前中からビールを飲みながら肉を食い、飽きたらテニスや卓球をやって腹ごなしをする。犬も2匹来ていたので、犬と戯れてみたりもする。気がつくと腕相撲大会が開催されていて、異様な盛り上がりをみせていた。(女性も参加・・・)

後半はかなり疋田取締役を中心にへべれけな軍団が形成されていて、娘を引率して来た父親が帰りは酒に飲まれ娘に引率されて帰って行った。(←マナブ)

ちなみに「へべれけ」ランキング(からみ系)
1位 木村(マナブ)
2位 清水
3位 疋田
※ グロッキー系 1位 内田

ちなみに腕相撲ランキング
1位 新井さん(ダントツ)
2位 一色
3位 近藤(慎)
※ 女子の部 1位 白井

0503_a.jpgちなみにテニスランキング(私見)
1位 私
2位 黒田

ちなみに卓球ランキング
1位 三野(元ジャニーズjrらしい・・・)
2位 黒田
50位 遠藤

終了の合図を出さないと、延々と飲み続けそうだったので、肌寒くなってきた頃に強制的に解散しました。また、来年も開催したいと思います。へべれけチームには、開催のご連絡がいかないかもしれません。悪しからず。


■■そうそう、少し真面目な話も書こうと思う。■■

0503_c.jpgSVTのメンバーはよくエンジニアらしくないと言われる。比較的一般的に認識されているエンジニア像よりも、社交的でバランスの取れた人間が多いからだろう。それだけクライアントからも評価も高い。

世間で言われるエンジニア像は、技術はあり自分の興味ある分野の知識にこだわるが、比較的場の雰囲気を作ったり周りの感情に配慮して発言や行動をする様な部分が弱い姿だろう。自分の感情が中心であり、他者への配慮は弱い。当然、ビジネスの世界は技術だけで成立していない。その事実に対する本質的な認識が弱く、結局クライアントを含めた他者が喜ぶ開発を指揮できず、管理職としては成立しない。

手前みそで恐縮だが、SVTのメンバーはこの配慮に優れている。自分以外の人間の喜びを感じ、自分の喜びに代える性質を持っている。これはビジネスの世界の基本だ。自分の利益の為だけに仕事を進めれば、いずれクライアントと自分達との利益のベクトルが逆を向いてしまう。クライアントの喜びを自分の喜びと感じ事業にあたり、初めて長期に渡り健全に成立する関係がマーケットと自社の間に構築できる。

0503_h.jpgまあ、今回はお遊びのイベントだが、人格にまで落とし込まれた性質は場面を選ばない。輪に入りづらい新人がいたら、話し込みに行くメンバーもいるし、片づけから準備から多くのメンバーがお互いに自然と配慮しあい、快適に楽しむことができた。

難しい話は抜きにして人が喜ぶ姿は見ているだけで幸せになる。それを公私ともに徹底していけば良い。

本日のまとめ。

●喜ばされるより、喜ばせる方が実は自分は多くの充実感を得ることができる

●仕事も食わされるより、多くのメンバーを食わせてやる気概と立場の方が多くの充足感と収入を得られる。

●配慮されるより、配慮する人間になった方が、高いポジションと自由度を手に入れる事が出来る。

●先天性のせいにせず、過去にとらわれず、これから30年以上過ごすビジネスの世界で快適に生き抜ける性質を、自分の意志の力で作り上げていこう。

2007年05月01日 19:00

教育に対するスタンス

シンガポールの項でも書いたが、私自身の教育に関するスタンスを述べたい。

0501c.jpg次世代の日本を背負うビジネスマン輩出を志向して10年以上経つ。その間、様々な試みをした。実際の経営組織を使っての試みなので、机上のものではない。

ある時は完全に統率された組織を作り上げた。一人のカリスマがいて、神経が細部まで通っている組織である。まるで手足の様に組織が動き、高い機動性を持つ組織だ。立ち上げから数年は順調に会社も伸びた。その中で篠田イズムを浸透させ人材の育成に当たろうとした。

結果的には、優秀な社員は早期に育ったように感じるが、独立した事業家を輩出する方向に行ききらない。カリスマが存在する為に、どこかで事業を自分の支配下で立ち上げる野性味に欠ける風土ができあがってしまう。

余談だが、以前(株)リンクアンドモチベーションの小笹社長とお話をさせて頂いたとき、事業におけるカリスマ性に対して意見を頂いた事がある。

カリスマ社長は是か非かという話だ。私自身も腑に落ちたが、小笹氏の弁では「カリスマは51%のメリットと、49%のデメリットをもたらす」とのことだった。

カリスマのメリットとしては当然組織の統率だ。恐らく、その時点でカリスマがいなければ、その企業、組織は成立していなかっただろう。そこまでの成長を実現出来なかったはずだ。

カリスマのデメリットは依存心だ。組織のメンバーがそのカリスマを頼る事によって、各部署の独自性や自立性が損なわれ、一定以上の発展を阻害してしまう。組織が拡大したときに、全てにトップの指示を仰ぎ進行する様では、勝利できるビジネススピードも維持出来ないし、カリスマの能力を超えた発展は見込めない。

それではカリスマは悪なのかと言えば「51%のメリットと49%のデメリット」なので、結論で言えば必要であると言うことだ。ただし、どこかの段階で組織の吸引力はカリスマによって成立するものではなく、組織のカルチャーによってもたらされるよう転換しなければならない。これがカリスマに対する答えだろう。

話を戻す。

ある時は、完全に放牧状態の組織を作ったときもある。まあ、ビジョンと会社の方向性だけ示し、実際の事業の推進は好きにやってくれというスタンスだ。代表取締役ではあったので、最後の責任は私が全て持つというのは当然の前提ではあるが。

これは立ち上がりにずいぶん時間がかかった。食うや食わずで、休みもなく寝る間も惜しんで仕事をしても、成果が上がらない状態が何年も続いた。まあ、私自身が事業の世界に飛び込んだ時もそうなので、同じ道を歩かせた事になる。

しかし、10年程度のスパンでその後を追っていくと、この方式の方が経営レベルの人材は育つようだ。真の事業家は温室の中での育成は無理なのだろう。風雨に晒され、生き残るうちに野生を残したまま、必要なキャリアを積み重ねるのだと思う。

この場合のデメリットは、成否がある程度本人任せになってしまい成功者の何倍もの失敗者を生み出すことだ。最初にこのリスクを理解しているのであれば、自己責任ではあるが、これで育成と言えるかは疑問だ。立ち上がりの遅さが失敗者を多く生み出すのだろう。

フォー・ザ・カンパニーを徹底させた組織も作ったし、逆に個人主義、個人の成果にこだわらせたマネージメントも試みた。どちらも良い面もあり、難しい面もあった。

0501a.jpg結論で言えば、人材の育成にはこれらの経験を元に作られたバランス感覚が必要だ。現在SVT内で私はカリスマにはほど遠い。(日本一フランクな会長を自称している)今の自分の社内での有り様は、いくつも試みの中で、最も「人が育つ」為にはというテーマを探求した上でたどり着いた姿だ。「人が育つ」とは経営レベルのビジネスマンを育てるという意味でだ。会社にとって有用な人間を育てるという事とは違う。

このバランス感覚の中で、放任と統率の正しい姿を実現する舵取りが私の役目である。

基本的には、責任を果たしたメンバーがチャレンジするがままに組織は任せていきたい。自分の仕事だという実感の下に各メンバーには事業に当たらせたい。だから、俺が牽引している組織にはしたくないし、実際今現在SVTを牽引しているのは俺じゃない。各所各所のメンバーだ。

人を育てるのはマニュアルやアドバイスではない。「環境」だ。教育力とは何かと言えば、巧い講義をすることではなく、人が育つ「環境」を構築する能力だ。人が育つ風土を作る能力なのだと思っている。

人が育つ為に必要な要素を端的に言えば「無限の決裁権」と「身の毛のよだつ様なリスク」を両方背負い、事業を推進することだろう。全て自由に自分が決裁する代わりに、失敗したら身ぐるみはがされる様な状態だ。リスクを実感しない中で決裁権を持ち自由に仕事できる環境はこの世の中に存在しない。誇りを持ち、自分しか出来ないような仕事を狙っていくのなら、全てを背負うストレスを覚悟することだ。これが嫌なら高い所得もやり甲斐のある仕事も狙わない方がいい。ちなみに、完全能力給などは甘過ぎて、リスクには含まれない。結果が出なかったときに給料が出ないくらいはどうということはない。

長くなったので、まとめる。

SVTが目指すのは「無限の決裁権」と「リスク」を背負いながら各人がビジネスを展開する姿だ。統率と放任のバランスが正しくとられた、最も事業家が育つバランスを持った風土だ。

これにより、各人が野生を保持し、責務につぶされない強さを持ち、出来る限りリスクを回避し、事業家として育成される環境を実現する。

このブログを読んでいる方は、若い方多いのではと思い、自分自身を育てる為の助言をしたい。

0501b.jpg今の君たちに必要なのはリスクを恐れず挑戦することだ。その結果、リスクに耐える強さと他者が手に入れることが出来ない経験を得られる。いくら環境があっても、最終的には本人が勇気を振り絞って挑戦しなければ、成長は実現出来ない。人材育成なんて本来他人が何とか出来る問題じゃない。自分を育成できるのは自分しかいない。自分の決意のみが自分を創ることが出来る。

自分にもっと負荷をかけるべきだ。負荷だけが今以上の自分を実現できる。ストレスから逃げるな。ストレスから逃げられる場所はこの世の中に存在しない。逃げようとするからストレスは強まるのであって、開き直って立ち向かえばストレスは霧散するはずだ。仕事のストレスは仕事が出来るようになるしか、根本的な解決手段はない。週末に遊んで発散しても、ストレスは消えない。月曜日になれば倍増してのしかかる。仕事を自由に制御できて初めてストレスはなくなるのだ。

いくら負荷をかけようが、いくらリスクに挑もうが、今の君たちが失うものはほとんど無いはずだ。リスクは意識の中にあり、現実的にほぼ存在しない。

もう逃げ場はない。ビジネスの世界にどっぷりつかり未来を切り開くか、一生不健全なストレスを背負って生きるか、若い君たちは選択出来る。自分が思い描く未来へ進むために、勇気を振り絞ってひたすら挑戦して欲しい。