会長ブログ(株式会社ヘッドウォータース代表取締役:篠田庸介)

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2007年08月31日 13:56

起業家たれ

私はメンバー達に常日頃「起業家たれ」と言っている。

ここで言う起業家とは職種や状態の事ではない。起業家という生き方を選べと指導している。では、起業とはなんなのか、この項では述べたい。

シンプルに言ってしまえば、起業家とは既存の常識に戦いを挑み新しい価値を創造する存在である。会社を出した人、法的な見地からの独立をしただけの人を私の中では起業家と呼ばない。

よって、別に独立しろと言っている訳でもない。

常識を覆す存在。既存の価値に戦いを挑む存在。道無き道を進み、新たな道を作り上げる存在が起業家だ。

190902_c.jpgよって、起業家はサラリーマンの中にもいる。公務員の中にもいる。政治家の中にも、スポーツの世界にもいる。

例えば、野球界に目を向けてみる。近年、メジャーに挑戦する選手が増えている。イチローや松井の活躍なども毎週楽しみにしている。今年はイチローも首位打者が狙えそうな位置にいるので、頑張ってもらいたい。

好きな野球選手は多々いるが、最も尊敬できる選手はと聞かれれば、「野茂投手」と答える。

彼の野球選手としての実力は、メジャーでの二度のノーヒットノーランを挙げるまでもなく明らかだ。しかし、私が彼を尊敬しているのは時速150キロを超える速球を投げるからでも、消えるほどの切れ味のするどいフォークを持っているからでもない。彼の価値はその生き方にある。

彼がアメリカに渡るまでは、日本の最高峰とも言われる投手が最盛期にメジャーに本格的に挑戦した例はない。当然、メジャーで成功を収めた日本人選手もいない。彼は日本において、巨額の所得と地位や名声が保証されていた。メジャーに挑戦する必要は、物理的にはない。

その全てを捨てて、一野球人として自分の実力を、日本野球界の実力を試す為にメジャーに挑戦したのだ。それが簡単で無いことは、彼の前に何十年もの間、その様な選手が一人もいなかったことでも明らかだ。

結果、彼はメジャーにおいて成功し、彼が作った道を通って、イチローや松井や松坂が渡米した。よって、野茂とその他の日本人メジャーリーガーとは、本質的な価値が全く違う。

起業とはこの様なものだ。

勝負事なので成否は後に訪れる。その成否を無視して前例の無い物に挑戦し、新しい道を作り上げる。これが起業家という生き方だ。

イギリスにおけるサッチャー元首相なども起業家かもしれない。日本の官僚界にも起業家が生まれてくれたらと願う。当然、ビジネスの世界にも多くの起業家はいる。今までに無かった新しいビジネスを作り上げた人、業界の常識を改革した起業家など数え切れない。

私自身も死ぬまで起業家として、一生を終えたい。大きな会社が出来たから、会社が上場したから、などで一息つく気は毛頭無い。自分の才能を、自分のエネルギーを、自分の人生を使い切って一生を終わりたい。その為には起業し続けなければならない。成否はあまり考えていない。世の中が求める仕事を作り上げられれば成功しているだろう。

190902_e.jpgSVTでは、現状のIT業界にある種の戦いを挑んでいる。別に他社と抗争関係に有るわけではない。私と長くお付き合いのある方は、耳にタコだと思うが、何度でも言わせて頂く。SVTは、エンジニアのキャリアパスを革新する集団だと決めている。エンジニアが作業員として安い生涯所得と、低い地位で疲弊するまで使われる現状のIT業界では、日本は世界と戦う力を失う。技術立国日本において、エンジニアがマネージメントサイドに入り、技術に執着と愛情を持ち、経営をリードしなければ、日本が世界と戦う為のベースが消えてしまう。

これを実現するために、企業もエンジニアもスタンスを変えなければいけない。企業はエンジニアを金儲けの道具として使い回してはならない。同時にエンジニアも、技術だけの世界に逃げ込んで、若い内に有る程度の所得があるからと言って、その他の努力からも逃避してはならない。

両者が歩み寄り、新しいエンジニアのキャリアパスを作り上げ、日本の花形として技術者が名乗りを上げられる社会を作りたい。日本は世界に技術以外に売る物がない。目先の話ではなく、長期の視点に立った場合、この技術的なベース、それを担う人間的なベースが必要だ。

190902_d.jpg地味ではあるが、我々が革新するのはエンジニアという職業だ。これには長い時間と多くの仲間の努力が必要だ。しかし、誰かが道を作らなければ、松井もイチローも生まれない。彼らの才能は日本の中だけで輝きで終わる。

私も一生起業家として生きる。だから、君たちも起業家として自分を作り上げてくれ。

それが、私の社内メンバーに対する要求だ。一足飛びに自分の性能を上げるためには、今ある自分のキャリアに頼っては駄目だ。それでは過去の自分から抜け出せない。起業家という生き方は君たちが短期に成長する唯一の手段でもある。

君たちが社会の中で自分の価値を上げようと思った時に、人と区別化できる要素は挑戦の中からしか生まれない。人間の才能なんて、所詮五十歩百歩だ。出口の能力の部分で抜きんでたければ、人が歩めない道を、勇気を持って進むしかない。君たちが将来、安心し誇りを持ち、多くの人に希少だと言われ、楽しく生き抜くためにも起業家という生き方をお勧めしたい。

SVTにおいて導入されているあらゆる制度も、他社の方に話すと驚かれる。メンバーを信頼しているということもあるが、必要とあれば他社が出来ない様な道を進んでいなければ、起業家ではない。

190902.jpg「今まで誰もやったことがない」「こんなに沢山のリスクがある」は私にとって制止する言葉にはならない。それがどうしても世の中にとって、我々にとって必要な事なら、勇気を持って断行するのみだ。

SVTのメンバーに対しても要求したい。常に起業家として、自分の業務、戦略に取り組んで欲しい。既存の焼き直しは確かに、安定した利益を保証する。しかし、それだけをなぞっていては、いずれじり貧になる。何よりも自分の人生が燃え上がらない。

自分が起業しているかどうかを簡単に確認する手段がある。

起業とは、言い換えれば「戦う事」だ。

自分が起業家として生きているか知りたければ、何かと戦っているかどうか考えてみればよい。業界と、競合と、仲間と、常識と、自分が戦っていれば、君たちは起業の最中だ。そのストレスやプレッシャーが無い中で、順調に業務をこなしているだけでは、サラリーマンとしては合格だが、起業家ではない。

戦いから逃げたい奴は、誰かの陰に隠れていれば良い。それはそれで生き方だ。相手が大手企業だろうが、国だろうが必要とあれば喧嘩を売れる潔さがあれば、人生は自由に生きられるはずだ。

君たちには無限に伸びて欲しい。だから、君たちには起業家として生きる道を選んで欲しい。生き方なので、強制する権利は誰にもない。選べるのは常に自分だけだ。

SVTにおいて、私が実現したいのは燃え上がる起業家達の集団なのだ。

2007年08月26日 11:54

離職(2)

前々項で、経営者からの視点でみた離職について述べた。今回は離職する側からの視点で述べたい。

一般に言う就職はしたことが無いが、かつては経営者ではない時代もあり、結果として離職に至った経験もある。

まあ、私の場合は会社が経営的危機に陥り1年間無給であったり、独立せざるをえない状況になりやむなく起業したり離職理由は様々である。その経緯については、またの機会があれば話したいが、この項のテーマからそれるので割愛させて頂く。

離職に対する理由や状況は、それなりのものが各々あるだろう。どの理由なら良く、どの理由なら駄目だという話も、私は裁判官でもないので述べる立場にない。

私がこだわっているのは、一宿一飯の恩義があり、同じ船に乗り、一時は命運を共にした仲間に対する礼節として、十分な貢献を残して去るということだ。

190826_a.jpgビジネスマンにおける十分な貢献というものは、言うまでも無く利益だ。在籍した年数にもよるが自分の中では最低でも億単位の利益を残して去らない限り、あらゆる理由付けは正当性を欠くと思っている。また、経営者と言うよりはビジネスの世界で生きる人間としての、信義や誇りに反する。

本来、優秀なビジネスマンは自由人でいる権利を持っている。十分な所得も保障され、いつでも複数の就業場所がある。だから、常に経営者に媚びる事もなく対等でいられる。

何故そのような自由が持てるかと言えば、その人間を組織に迎え入れる事により、必ず大きな利益を組織は保障されるからだ。だから、そのような人材がいれば三顧の礼により迎え入れる。

サラリーマンではなく、ビジネスマンとして世に認められたいと言う人は多い。その差は業務に対する習熟度によって決まるわけではない。当然、資格や年齢によって決まるわけではない。所属している企業の規模で決まるわけでもない。必要なのは、一端入社したら必ずその組織を莫大に儲けさせようという不退転の覚悟だ。それが済むまでは自分の主張や自由までも投げ捨てる覚悟があり、初めてビジネスマンとしての信頼と実績を積む事が出来る。

だから、例え実務能力がある程度の基準にあっても、会社に損害を与え、または十分な利益を残さず離職する人間はサラリーマンとしては存在できるが、ビジネスマンと呼ぶに値しない。よって、自分が人生の一時期をかけられる会社かどうかは、就職前に熟慮すべきだし大きな問題だ。就職後に「合いません」「イメージと違いました」を連呼し転職を繰り返すと、生き方としての信頼が社会から失われる。

190826_c.jpg
よって、あなたがビジネスマンかどうかを判断するには、過去に在職した会社を、そのレベルで儲けさせたかと言うことで自ずと答えが出る。サラリーマン的なエンジニアとしては、「単金が100万円で自分の給与が年俸で600万円だから、年間600万円は会社を儲けさせているな」という認識の人間もいる。

しかし、単純に考えて会社負担分の厚生福利費や交通費も上乗せされるし、単なる粗利で考えても年間600万円以下の利益しか出していないので、20年は在籍しないとビジネスマンとしての会社への貢献を語るに値しない。

この様な自分にとって負担になる感覚を受け入れ、なおかつ成果を出して初めてビジネスマンとしての一歩が踏み出されるということだ。ほとんどの社会人はその覚悟が持てない。そのストレスの中で、平常でいられる胆力も覚悟もない。だから、日本は他力本願なサラリーマンで満ちあふれてしまうのだ。

以上は私自身が受け入れた価値観であり、自分が今まで踏んで来た道だ。

以前、あるリクルート出身の経営者がこんな話をしていた。

彼はリクルートに在籍していた時に、採用関連の営業を担当していた。営業成績も優秀だったが、ある時自分自身で海外の大学を卒業する新卒にターゲットを絞って募集しようという企画を立案した。会社の方針というよりは彼の企画であった。

営業力のある彼は、あるクライアントに対して「この企画で絶対に成功させますので、1000万円出してください。万が一失敗だった場合は私が御社に入社して1000万円以上の利益を出しますから安心して下さい。」と言って成約までこぎつけた。

結果、この企画は失敗した。

営業トーク上、自信を示す意味で使った言葉であり、恐らくクライアントも本気にはしていなかったのではと推測されるが、彼はリクルートを退職しクライアント企業に就職した。当時のリクルートと言えば、かなりのエリート集団であり入社も大変な企業であったが、それを捨てて約束を守ったわけである。

※もっとも、もっと上手いやり方もあったはずだし、それ以前にリクルートに対して大きな貢献を残している事が前提での美談ではある。

約束通り早々に利益を出し、クライアント企業を退職後に当時のリクルート時代の仲間に誘われ某企業の副社長として現在も手腕をふるっている。

ビジネスマンとして見事な生き様である。

目先の利得や保身に流されず、ビジネスマンとしての誇りある生き方に殉じている。私自身非常に共感が持てる。この結果として自由に生きる資格、能力を得て分厚いキャリアを積みあげている。これがビジネスマンとしての生き方である。

190826_b.jpgこのブログを読まれている方は基本的に若い方が多いと思うので、「どうやればそんなに利益を会社に入れられるのか想像できません」「自信がありません」という感想を頂かれる方がほとんどだろう。しかし、それは全てのビジネスマンも若輩だった頃は総じて持っている本音だ。

ここで問われているのは皆さんの能力ではない。これを勘違いしないで欲しい。ビジネスマンになる為に皆さんに求められているのは、ビジネスマンとしての「生き様」だけだ。

その「生き様」にこだわり、妥協しなければ、その経験の後に高い能力は必ず手に入る。自信も収益の出し方も学習できる。しかし、この「生き様」による信頼の無い中では、君たちが高いポジションで仕事をする未来も、一線を越えた高い能力を身につけるチャンスも訪れないだろう。

何も恐れる必要はない。何の妥協もする必要はない。未来は勇気と行動力で変えていけばよい。現状の不利さ未熟さも、同様に変えていけば良いのだ。

今、君たちに求められているのは、どんな「生き様」を後に残すかの「覚悟」だけなのだ。

2007年08月22日 11:51

営業について(2)

以前、「エンジニアも営業をすべきだ」と言う項を書いた。ビジネスマンとして必要なバランス感覚を身につけるために営業は必要な経験だという内容だ。

今回は少し営業について掘り下げてみたい。

営業の奥義は何かと聞かれることがある。人それぞれポイントは違うだろうが、私的な悟りとしては「与える事」である。

190821_a.jpg契約を取ると言うことは、先方にお金を出す決断をさせなければならない。相当のエネルギーが必要な行為だ。この行為をさせるためには、先出しで何か相手に与える必要がある。それが、将来への確信なのか、現状に対する提案なのか分からないが、先方が購入する(契約する)エネルギーを生み出す何かを与えることが必要だ。

私がいつも心がけているのは常に与える人でありたいと言うことだ。世界を見てみても、多くを稼ぎ社会に影響をもたらしている人は何か与える物を持っている人だろう。これは営業のみならずマン・マネージメントにも相通じる。

お金(給与)しか与えられない企業には、それなりの労働力とそれなりのロイヤリティーしか、メンバーはその代償として提供してはくれない。ここから経営努力によって、将来の安定、エキサイティングな仕事、成長、感動などお金以外の報酬があって初めて高いモチベーションや付加価値を生み出す様な生産性が発揮される。

だから、営業に関しても上手くトークを駆使して相手に商品を売ろうとは思っていない。常に相手に与える物を多く持とうと心がけている。情報収集をし、自分なりの理論を確立し、相手が単独では実現できない付加価値を与えられるのであれば、営業は難しくない。また、マネージメントも難しくない。

与えるものは、リスクに対し勇気を振り絞って一歩を踏み出し、体感した確信でもよい。

現状の自分のレベルのまま都合の良い話法などで、営業成績を上げようとするから軋轢が生じるのだ。営業のゴールはクライアントも自社も幸せになることだ。この道を全力で目指し、身体を張っていくのであれば長期に渡って成果を発展的に掴める分厚い営業体力が身に付くはずだ。

190821_b.jpg自分のレベルを上げ、自分の体力を上げ、人が自分を都合良く使ってくれる為の何かを自分の中に作り上げた時に、お願い営業ではなく、先方から感謝されお願いされ契約が取れるスタイルの営業が確立出来るはずだ。私は営業においては常にこの高みを目指して来たし、これからも目指して行きたい。

当然技術的な事も多数あるが、それは土台の上に成立する。その土台を正しく築き、営業を学んで欲しい。更に詳しくは私が日曜日に開催している勉強会において指導している。日曜日の勉強会には他社のエンジニアも参加しているし、お金もかかるわけではない。向上心のあるエンジニアであり、成長の為に時間を使い汗を流せるエンジニアは是非遊びに来て欲しい。

2007年08月21日 11:58

離職

弊社の離職率の低さについても頻繁に他社からノウハウの伝授を請われる。これに対しての返答は極めて難しい。以前も書いたが、社員が辞めないための体制作りという方向性は本質からずれているようで好きではない。

本当に優秀な人材が何を求めているのかの根本を考えてみる。

優秀な人材は安定を求めない。何故なら安定は一定レベルを超えた人材には自ずと訪れるからだ。追うものではなくなる。

優秀な人材は高い所得も求めない。実績があり実力があれば、自然と自分の希望する報酬額は手に入る。自分の欲しい報酬額と、実際の報酬に隔たりがあり不満があるうちは、自分が思っているほど自分の社会的な価値は高くないと思った方が良い。言い換えれば会社への貢献力は自分が思っているほど高くないと言うことだ。この感覚に大きな乖離があり気がついていないエンジニアは多い。以前にも書いたが給与には高いも低いもない。そこには適正金額があるだけだ。3年、5年の長いスパンで見れば、自分の実力に合った金額に報酬は落ち着くはずだ。

優秀な人材は会社の体制に対して不満を持たない。何故なら、会社の体制は自分で変えれば良いし、何よりも本当に優秀な人材であれば、その人を活かす形で会社が動くはずだ。それが会社の戦闘力の最大化につながるからだ。例えるならマラドーナが現役時代のアルゼンチンの代表チームだろうか。マラドーナが自由に動き、周りはそのサポートに入る事によってチームが最も強くなり、結果的にワールドカップで優勝している。組織は優秀な人間をコアにし、未熟な人間はそのサポートに入る形が一番力を発揮する。能力による役割分担は必要だ。

自分に照らし合わせて考えてみる。

私が一番求めているのは、自分の人生を燃やし切ることだ。自分の才能を使い切り、自分の人生を使い切り、何が出来るかを試してみたい。結果云々はあまり考えない。それを予測して動いたら、結局何も出来ない。少なくても開拓者として新しい領域には踏み込めない。

190820_a.jpg本当に優秀な人間は自分の才能を使い切りたいのだろう。自分の能力が必要なハードな場面、自分がいなければ成功に導けない厳しい局面を求めるのだろう。そして、自分の能力を使い切り、「自分だからこそやり遂げた」という実感に満たされたいのだろう。

よって、優秀な人材が辞めない環境とは何かと考えると

●無限の裁量権
●エキサイティングなビジネス

この二点が常に存在する環境ではないだろうか。

仕事の面白さは裁量権の多寡によって決まる。才能を使い切るには、無制限な裁量権が必要になる。それを許し、優秀な人材の能力をいかんなく発揮できる環境が必要だ。

経営者の立場からすると、これには多くの勇気が必要だ。無限の裁量権を与えることによって、腐る人間の方が世の中には多い。逆に責任がかかるのを嫌い裁量権からも逃げまどう人員すらいる。

世間の経営者を見ても感じることがある。ある種、無限の裁量権を掴んだ後に更なる高みを目指し、厳しく自分を律することが出来る人間と、一定の成功の後に誰にも縛られない状況で、もっともらしい理由をつけながら堕落する人間とがいる。自分を作り上げるには忍耐と長い歳月が必要だが、腐るのは一瞬だ。

私自身も根が小心者な事と、私が目指す理想にはほど遠い現状があるので、未だ気はゆるめられない。多分、一生この緊張感から解放されることはない。これは私が選んだ生き方なので、悔いはない。基本的な事だが、遅刻などもしないし、会社もあまり休まない。朝も一番に出社する日が多い。自分のリーダーシップや、自分に対する信頼などちょっと手を抜いたら一瞬で消えてしまうことをよく理解しているし、創業時に一定の貢献があったとしても、既得権には賞味期限あり、その期限は思ったより早いことを体験的に知っているからだ。

話を戻す。

無限の裁量権をメンバーに渡すには勇気がいる。しかし、エンジニアを優秀なビジネスマンに育て上げ世に送り出すのが私の本望であり、SVTの存在価値なのだから、これが出来ないのなら経営など止めた方が良い。

だから、私はメンバーを信じようと決めている。人間同士なのだから、時には行き違いがあるとしても、同じ理想を持ち、理念を共有する仲間として信じてみようと決めている。彼らを信じ、その上で最期にどの様な結末が来ようが後悔はない。

そして、このブログは他社の社長様も見ていらっしゃると言う事なので、僭越ながらアドバイスもしたい。

190820_b.jpg離職については経営者とメンバーとのガチンコ勝負だ。優秀な人間が追うに足るエキサイティングなビジネスがそこにあれば、他に転職する必要はない。メンバーは起業する必要すらない。優秀な人間が燃えられるようなビジネスを絶えず狙い、本気で追う姿勢がとれれば自然と人は残る。これに負ければ優秀な人間から会社を去るはずだ。全員が燃えられるビジネスを狙い続けられるか、作り上げられるかのガチンコ勝負なのだ。

どうやって離職を減らそう、どうやって社員がいやすい環境を作ろうと考える前に、事業の本質として、自社のミッションを明確に持ち、全員が一丸となって追える理想に本気で取り組むべきだ。

この真剣勝負の舞台に居ることを自覚し、小手先ではなく仲間達が生涯をかけて燃えられるビジネスを作るために全力を投じるようお勧めする。

SVTにおいては弱者を救うセーフネットの様な物はあまり主眼をおいて考えない。我々は現段階では総じて若い。全員が自分の才能を燃やしきり、一流になることを目指して欲しい。だから、セーフネットよりは一流になったメンバーが自由にビジネスに取り組める環境を目指す。結果として、弱者が生まれるかもしれない。しかし、その弱者に向上心があり、責任感があるのなら、先へ進んだ者が身体を張って支えればよい。これを制度化し、安心感を社員に持ってもらうことはSVTの方向性ではない。それは大きな度量で、先行した者が支えれば良い話だ。

最後に

青天井の裁量権もエキサイティングなビジネスも、仲間達との信頼があって初めて成立する。人間は間違いもする。それは性能の問題なので、致し方ない。しかし、間違いを認め直ちに改善できるかどうかは、能力の問題ではなく人格の問題だ。この人格を高みに位置させ続けなければ、メンバーとの信頼は築けない。何を提唱するにしても、どんな戦略を打ち出すにしても、それは信頼があって初めて機能する。

小手先ではなく、日々仲間達と約束をし、それを守る事に全力を費やそう。そうすれば組織全体は厚い信頼でつながり、打ち出していく戦略や理想はそのまま浸透するはずだ。

2007年08月15日 19:56

メンバー紹介(2)・石澤PM(過激派)

SVTには私が「過激派」と親愛の情を込めて呼んでいるPM(プロジェクトマネージャー)がいる。

以前からこのブログでも書いているが、SVTにおけるPMとは単に開発の管理をする存在ではない。部下の将来を作り、新しいクライアントを開拓し、経営にも意見し、社内の制度すら決める存在である。

毎月PM会議が開かれるが、そこでは数字的な追及だけではなく、会社の方針や制度などの決定も成される。事実上の経営会議でもある。あらゆる経営上の提案や意見を述べる事が可能だ。

190815_a.jpgこのPMの中に石澤という男がいる。SVT歴は約一年だが、入社時から某大手企業の案件を引っ張り、メンバーの教育及び受託案件の開発をこなしている。PMになるまで半年とかかっていないので、実力は言うまでもなく高い。

ちなみに弊社のPMはそうそうなれる訳ではない。なってもらっても良いが、数字的な追及もある。それなりの覚悟が必要だ。PMには社員の給与の決定まで、来期をかけて委譲する予定なので、下手な真似をすると部下からの突き上げもある。楽なポジションでもない。

話を戻す。

この石澤PMはエンジニアとしての能力が高い事はクライアントからの評価からして明らかだ。単に技術が高いと言うだけではなく、顧客が求めている事を察知し対応しているので、高い評価につながっているのだろう。過去にはクライアントからも表彰を受けたりしている。

また、元々がベンチャー育ちなので、コストに対する意識も高い。ある物を使い、成果を出すというベンチャー的なスタンスも確立しているので、信頼度は高い。軟弱なサラリーマンエンジニアは、「あれが有れば」「これが有れば」と言い訳を述べながら開発にあたったりする。「もっと優秀な要員を手配してくれたら・・・」「このインフラがあれば・・・」などである。しかし、ビジネスの世界に完璧に土台が用意され、「はいどうぞ」などという状況はない。その様な状況があり、やっと事が成せるのであれば、それは誰にでも出来る作業だ。

更に彼は債権がスムーズに回収出来ない開発なども経験している。集金が出来て初めてビジネスだという事も理解し、納品しただけでは安心しないリスク感覚も有している。そのリスク感覚があるので、最悪の想定もしながらクライアントとの対応をする老練さも持っている。

この石澤PMだが、冷静な外見とは裏腹にかなり直情的な部分も持っている。単純に負けず嫌いであるし、確信した事柄に対する妥協がない。

SVTではどのチームに所属するかはメンバーが自主的に選べる訳だが、その前段階で「全メンバーからどのプロジェクトチームに所属するか理由を明記して出してもらおう」と言う意見が交わされた。その時の石澤PMの提案は「この配属先は嫌だという逆指名の欄も作って、出してもらいましょう。PMの自己反省を促すのでは。」という様な内容である。

この様な提案や反応は随所に見られる。万事この様な極論を腹に持ち爪を研いでいる。よって、私は彼を過激派と呼んでいる。

190815_b.jpg普通なら波風がたちそうなので、そう言うのは伏せておきましょうという対応のはず。しかし、石澤PMの場合はそれでメンバーからノーが出されるようなら反省しなければいけないし、オブラートに包んではいけないのではないかという意志を示している。自信もあるだろうが、ごまかしをせず本質に突き進むストレートさが早い成長を予感させる。その結果として自分が傷つくことを厭わない意志を感じる。

間違いなく逸材である。

何よりも彼の素晴らしさとして私が評価しているのは、これだけの直情性を持ちながら、自分が間違っている、自分が至らないと微塵でも感じた場合は瞬時に自己反省出来る点だ。普通これだけ激する感情を内包し、頭も良く、自信もあるならば、反省をせずに責任を上手に他者に転嫁出来るはずだ。彼はそれをしない。

だから、過激な意見を投げながらも他者からの反応を素直に受け止めバランスを取る事が出来る。これは並の人材に出来ることではない。

彼のエンジニアとしての性能は勿論買っている。また、部下の指導も過激派なので、高いレベルを常に求める所も鬼軍曹よろしく組織に必要な人材であることは間違いない。

しかし、繰り返しなるが彼の素晴らしさはそのバランス感覚だ。平常時にバランス感覚をある程度持っている人間はそれなりにいる。しかし、彼の秀逸さは、自己否定すら必要な局面でも、素直に反省し正しい一歩を即時に踏み出せるバランス感覚にある。

これから普通のエンジニアを越え、どの様な姿に育っていくのか楽しみにしている。願わくば永遠の過激派であって欲しい。

2007年08月13日 16:49

理想郷

190813_a.jpg私はこのSVTにエンジニア及びあらゆるビジネスパーソンの理想郷を築き上げようとしている。現在の社会人は多くの不満や不安を抱え就業している。上に伸び上がるためのストレスは必要だが、停滞感の中で悶々とする精神的な負担はあまり良いものではない。

不安の根源は、将来生活が出来るかということだろう。家族を養い、老後に安心した生活を送りたいと思うのは当然の感情だ。

エンジニアという職業が生涯所得において、あまり優位でないのは統計的に明らかだ。これは同時に雇用不安も表している。要は年齢を重ねたエンジニアが会社にとってさほど重要でもなく、必要でないから所得も上がらず安定も得られないのだ。

不満の根源を同じ様に考える。退職者の不満を勘案してみると、「給与が適正ではない」「人間関係が上手くいかない」「仕事に面白みがない」「もっと成長できる仕事をしたい」などがある。

飽きただけだったり、何かしらの壁に当たって現場を逃げ出す為に理由付けをするケースも少なくないが、若年者の転職理由は上記の要に前向きに表現される。

では、この様な不満や不安を社会人が抱く責任は誰にあるのだろうか?将来の不安は国の責任なのか?現場の不満は会社の責任なのだろうか?

八割方本人の責任であることが正解だろう。

この責任を国や社会に求める心理があるとしたら、あまりにも幼稚だ。全世界において、これだけ平和で安定し、豊潤な市場を持つ国がどれだけあるだろう。この一点をもってしても、老後の不安は国の責任ではない。これだけ恵まれた国に生まれただけでも大きなアドバンテージを得ているのに、これ以上の保証を求めるとしたら、他国民に比べて我々の軟弱さは救いようがない。

子供が親に食を求める様に、国に老後の安泰を求めるのは間違っている。そもそも、構造的に国(政府?)を喰わしているのは我々の税金である。民間の強さによって、国家や政府は成立している。国は食を保証してくれる存在ではなく、我々が喰わせてあげるべき存在である。民間が多くの税収を与え、その原資によって国際的な関係を築いたり、国内の共同のインフラを整備したりするのが「国」の役割だろう。

よって、物理的に国には我々の生活を保証する力はないのだ。心理的な幼稚さから、親の代わりとして国を見る感情は分からなくはないが、正しくはない。

つまり老後の不安を保証してくれる存在などは本来この世の中にはなく、それを実現するのは自分の性能や自分が人生をかけて作り上げてきた成果しかない。当然会社にもその能力はない。それが、一部上場の巨大企業でも無理なことは、バブル経済が崩壊した直後に大手を中心にレイオフの嵐が吹きまくった事でも明らかだ。

給与や仕事内容による、不満も同じだ。好きなことが出来ない代わりに、一時の安心を求めてその会社に入社したのではないか。俗に言うサラリーマンとはどの様な存在なのかは、先人達が語りつくしているではないか。給与もある程度の範囲内で決められてしまう代わりに、ある程度の範囲以下にもならない道を選択したので、今の職にあるのではないか。

会社を変え、目先を変えたところで根本的な変革は自分の人生には訪れない。給与が2万円上がっただの、下がったのだのは目くそ鼻くその世界だ。

190813_b.jpg私がSVTにおいて実現したいのは、軟弱な大人子供が逃げ込める楽園ではない。社会人として正しく大人になった人間が、責任を背負い血と汗を流す代わりに、燃えられる仕事や、満足行く所得や、将来の安心をつかめる場所だ。

根本的な生き方を変え、あらゆる他力本外を放棄し、自分の力で生きる決意をしたビジネスパーソンが青天井の裁量権で仕事にあたり、自分のキャリアを作り上げていく環境だ。

その為の規制を一切排除する事と、本来のビジネスの世界に対応するための情操教育を若い社会人に行う場所として、SVTを機能させたいのだ。

SVT的な方向にはリスクもある。しかし、大手に行っても市況によってはより大きなリスクがあるし、他者に人生を依存しているうちは、本質的なリスクは自分の上から去りはしない。

死んだら土に帰るだけなので、生きている間に何を成すかが人生だと思っている。よって、人生において最大のリスクは「何も成さず一生が終わること」ではないのか。

難しい話はない。今、SVTが進んでいる道は多くの社会人が持つ、あらゆる不満が発生しない場所の実現である。ここで駄目なら、どこに行っても満足することは出来ない環境の実現だ。

自分がやりたい「やり甲斐のある仕事」以外はやらなくてよい。給与も自分がフェアーに取れる分は好きに決めて取ってくれ。上司も部下も自由に選んでくれ。マーケットもクライアントも自分が望む様に決めて良い。

ただし、あくまでも現実社会においてこれを実現しなければならない。自分の能力を上げ、組織を作り、組織に貢献し、その結果でしか前には進めない。誰も君たちに与えてはくれない。君たちが周りに与える存在になった時に全ては手に入っているはずだ。

自力本願であれば、あらゆる方向に進む自由がここにはある。自分の努力と覚悟によって、好きな未来へ進める自由がここにあるのだ。

「自由」を手に入れた若者達が、「平穏に過ごす為」ではなく「何かを成し遂げる為」に人生を燃やし始め、それが社会に波及し日本の競争力は回復するのではないかと思う。我々はその道標となれば良い。

2007年08月08日 17:46

ビジョン

参院選は自民党の大敗に終わった。私自身選挙には行くが、あまり現在の日本の政治家に期待していない。政治家の能力に問題を感じていると言うよりも、よく分からない事があるからだ。

地方格差の問題や、社会保険問題などが政治の焦点になっている。日本社会には様々な問題があり、その問題をいかに解決するかが政論であり、政治家の役割だというのだろう。

私が分からないのは、日本という国がどこに向かっているかだ。

これを企業に置き換えて考える。

例えば、福利厚生が充実していないので、それを解決するために、何かの制度を作ろうと言う話があるとする。悪い話ではないが、その提案を聞いても、その企業が進むべき道は見えない。

例えば社員が足りないという問題があったとする。どういう風に募集をすれば採用できるかを考え、資金をかけて実行する。この結果採用力が上がったとしても、その会社が実現する未来は全く分からないのだ。

180808_a.jpg私が政治家に期待しているのはビジョンなのだ。福利厚生も大事だし、募集も大事だ。しかし、全てはその企業がどこに進むのかがあり、その企業が背負うべき社会的ミッションがあるから、それらの問題解決をしながら前進できるのだ。進むべき道が無いまま、問題解決に勤しむ姿の意味が分からないのだ。

有権者に対する訴求力を期待するあまり、国民に媚びて問題解決ばかり提示する現在の政治家の姿に期待が出来ないのは、経営者としては当然だと思う。社員に対して「福利厚生を充実させますよ」「給料をちょっと上げますよ」「社員旅行に行かせますよ」と言って媚びてばかりいる経営者が、素晴らしい事業を作るとは思えない。この媚びは社員の為と言うのとはニュアンスが違う。

私が現在の政治家に期待しているのはビジョンだ。この際難しい話は抜きだ。この国をどこに向けようとしているのか明言して欲しい。それに国民が投票していく姿が本来の正しい選挙ではないか。少なくとも私には日本が向かうべき道に対するビジョンがある。そして、それと共鳴する政治家に投票したいのだ。

180808_b.jpg日本の国民が何により食を得て、世界において何の役割を背負い存在して行くのか。それを明言して欲しい。別に政治家に景気を良くしてくれと言う期待はない。景気の善し悪しを左右する力は政治家にはない。その力を有するのも、責任を有するのも資本主義社会においては民間の企業だ。この面では政治は無力だ。邪魔しない事くらいしか出来ない。同じ様に会社も社長一人でどうなるものでもない。全員が一丸となった時に何某らの成果を世に示せるのだ。

ただし、政治には教育や立法など、長期にわたって国力の基礎を作り上げる力がある。その役割を期待しているので、どの方向に国を作るのか示して欲しいのだ。

戦略の基本は選択と集中だと言われる。国家戦略においてもこの考え方が有効なのはシンガポールの繁栄などを見ても明らかだろう。日本が勝利したのも製造業を国が擁護し支えたからだろう。

今の日本は何を選択し、何に集中すべきなのか。その方向性を示すのが政治の一番の役割だ。

ところがこのビジョンを示す政治家を昨今は見ない。モグラ叩き的に問題解決案を提示するだけだ。世の中の問題を見つけようと思えばきりがない。よって問題解決は恒常的に推進するが、それを全部やり終えた時に国家も企業も豊かになるわけではない。無数の問題が残っていたとしても、何か一点で圧倒的な力があれば、それにより豊かさと繁栄を享受出来るのだ。これが現実的な考え方でありリーダーシップだ。

ただし、政治のレベルは国民のレベルの現れであることも確かだ。

平社員的な愚痴として「うちの会社にはビジョンがないからねぇ・・・」などがある。しかし、こういう社員に限って、自分自身の未来へのビジョンも方針もない。自分がそのレベルだから、会社もそのレベルのままだということに気がついていない。

会社の不満を言う前に、自分のビジョンを持てと言いたい。自分がそのスタンスで仕事にも人生にも向かうのであれば、自然と周りもその様になるはずだ。

180808_c.jpgSVTにはビジョンもミッションも明確にある。ただし、SVTにおけるリーダーはその中で自分の役割や将来を示さないと、他のリーダーとの区別化がなされない。会社に頼らず、自分の口で、自分の心から湧き上がるビジョンを示さなければ許されないのだ。そのビジョンに惹かれ、多くのメンバーがリーダーの元に集うのだ。

ビジョンとは本来企業のアイデンティティだ。その企業が存在する理由だ。君が課長だとしたら、他の課ではなく君の課が存在する理由をメンバーに対して明言すべきだ。

私はこのビジョンを政治家に求めている。そして、求め続ける為に私自身がビジョンを語れる人間であるよう日々精進していくつもりだ。同時にSVTにリーダー達、いや全メンバーにも求め続けて行きたい。

我々は優秀なリーダーの元に集まった、子羊の集団ではない。全員が自分の頭で考え、自分の意志を持ち、自分の人生を燃やし、何事かを成し遂げる。そう言う集団なのだ。

2007年08月03日 08:31

インターンシップ

8月の新入社員は4名いる。よって、8/1から社員研修が始まっている。今回は福岡から、研修に来ているメンバーもいる。一名は研修が終わると同時に福岡に戻り、現場に配属される。

今回は新入社員研修に社員ではないメンバーが2名参加している。SVT初のインターンシップが実施されている関係上、社会勉強に来ている学生が2名いるのだ。

180803_a.jpgこのインターンシップに関しては今のところ打算は無い。一般的には人を見極め良い人材であれば早めに確保し、採用戦略の一端という意味あいが強い。しかしながらSVTの場合は、かなり特殊な企業風土もあり、採用基準も独自の高さがあるので、数名の人員をインターンシップと言うことで受け入れても費用対効果が得られるとも思えない。

先ずは社会貢献で良い。

少なくともこの業界に興味があり、将来的にシステムに関わった仕事に就く可能性が高い若者がインターンシップに来る。彼らには、業界を知り、ビジネスを知り、社会を知り正しいキャリアを目指してもらいたい。そして、いつの日か日本の産業を担う人材としてより大きな貢献を社会にもたらしてもらえれば本望だ。

だから、今回に関しては打算も無く育成に当たりたい。いつもの採用スタンスと同じだが、打算が無い中でお互いの本質をぶつけ合い、最終的に同じ船に乗り未来を目指せるのなら、それはそれで嬉しい限りだ。

今後インターンシップでSVTに来る学生もいらっしゃると思うので、少し話しておきたい。

SVTの内部を見て普通の会社とはこの様なものだと思ってはいけない。こんな会社はあまり世間にない。ただし、ビジネスの本質、企業の本質に近い風土は濃厚に感じられるはずだ。新入社員研修と言いつつ、我々が求めるのは経営層と同じ感覚だ。

例えば、「意欲が減退したときはどうすればいいんですか?」「やる気がなくなった時のやる気の出し方を教えて下さい」と言う極めて学生的な、末端の社員的な質問があるとする。

これに対する我々のスタンスは「意欲が減退する」「やる気がなくなる」状態を認めないと言う強引なものだ。自分の意欲は常に人工衛星の様に高みにあり、落ちてきてはいけない。だから、上げる必要もない。

もし自分が戦場におけるリーダーだとしたら、悲観論や悲壮感を部下の前で微塵でも出せないではないか。「やる気がなくなった」「ちょっとブルーなんです」なんて言えるのは、無責任な末端の兵卒だけだ。自分で管理職として機能出来ない人格としての評価を作り上げている馬鹿な行為だ。

トップは常に不動であり、平常でいなければならない。動揺する姿は決して見せてはいけない。口から出せる言葉は「やる気が余ってしょうがない」くらいだ。

180803_b.jpgどこを目指すかで、物事に対するスタンスは変わる。SVTでは平社員希望の人材はいらない。平社員のお気楽さで、40歳を越えて居られる場所がない。ビジネス層として将来自力で生存し、更には多くの人を喰わせて行ける様な人材を作りたい。それは、管理職になったら学べば良いわけではない。最初からそこを目指していくから、実行者として必要な年齢になった時に完成しているのだ。

「私は縁の下の力持ちで良いんです」と言う人もいる。

このスタンスの根本的な間違いは、「縁の下」かどうかは結果の話であって、目指すのは「力持ち」だろうという事だ。優先事項は組織にいかに貢献できるか、その実力をつけるかということだ。縁の下かどうかは、どうでもいい。縁の下を強調する人は、どこかに逃避の匂いを感じる。自分自信が一線を越えて変革する為には努力が必要だ。その努力からの逃避、失敗からの逃避、駄目だった時の布石の為に「縁の下」を強調する。

結果として「縁の下の力持ち」は必要だ。組織としての役割分担も必要だ。しかし、社会に出た瞬間にそれを全面に押しだし目指すのは、少しいただけない。そんなどうでも良いところに囚われず、自分の能力を上げることに邁進して欲しい。実社会で「力持ち」になることは生半可ではない。多分、本当にこいつは頼りになると言うレベルは百人いても三人くらいなれれば良い方だろう。「縁の下の力持ち」として機能するのは簡単ではない。

180803_c.jpgトップと同等以上の経営感覚を持ち、実行力を持ち、それでいて自分の業績や実力に対する評価をトップに付け替え、会社の発展に貢献する。ジェラシーを持ってもいけない。不遇感なども持たないほどの実力と人格を養わなければならない。「無能さ」と「謙譲の美」を混同する未熟者が簡単に口に出せるポジションではないのだ。

特に野生が必要な草創期のビジネスの前線では、強引なまでのパワーや実行力が要求される。そして、その野生は本来大企業になっても失ってはならない。この野生を残しつつ、ビジネス的なバランス感覚や大局的な視野で社会を見る力を共存させるのだ。

SVTでは入社前の面接から、この野生を求める。新入社員研修から、経営層と同じ感覚を持つように求める。インターンシップに来られる方は学生だが、社会に出る前からこれを求められてしまう。

しかし、この事がSVTと関わった学生達の未来に多大に貢献することを信じてやまない。我々は微塵のブレもなく、技術に特化したビジネス階層を日本社会に産み落とすつもりだ。

2007年08月02日 18:26

徹底

IPOにも本格的に取り組む所存なので、最近は事業計画書などを作成している。また、SVTの事業について説明をする機会も多い。

別にIPO用に新たに作ったものをではなく、以前から有った戦略や指針を書面化するわけなので、これにより微塵もずれる部分はない。

180802_a.jpg難しいのは、一般の投資家や金融機関が理解できるように表現することだ。一般の投資家や評論家は既存の事業や、ファイナンス的な弱さなどに対しては鋭く分析できる。しかし、これから伸びるかもしれない事業や組織に対して正確に予測できる人間なんているわけがない。ましてやSVTに関しては素人だ。

戦略や提案資料をもっともらしく仕上げていく訓練を、20年のビジネス生活の中であまりしていない。私自身は常にプレーヤーであろうと心がけてきたし、事実、常に事業の前線にいる。よって、「結果で語ろうじゃないか」「言い訳も愚痴も吐くな」「能書きより、実行」という野性的な体質を好み、踏襲して来た。

だから、自己の事業の成功する理由を列挙してくことにあまり価値を感じないのだ。戦略が無い訳ではない。例えば「徹底して顧客満足にこだわる」と言う戦略があったとする。しかし、執行者によってどこまでを「徹底」と呼ぶのかレベルの違いがある。徹底して顧客満足を追求する組織があればあらゆる業界で勝利できるはずだ。ただし、この徹底度合いが想像を絶しているという事が前提だ。この徹底具合を書面化していくのが難しい。

戦略の大部分は突飛な事をすることではない。何かにこだわり常識を越えて徹底し、執着することによって競争優位は得られる。その吐露として、出口では突飛さが現れる。しかし、その突飛さは狙って考えられたものではないのだ。

以前テレビで、とある流行のソバ屋の特集をやっていた。ソバの実にこだわり、水にこだわり、鮮度にこだわり、調理にもこだわる。水も色々な水を使ってソバをこねてみる。ソバ粉は粒の粗さから、種の種類までいくつも試す。当然、ソバの打ち方や道具にもこだわりいくつもの試行錯誤の上、自信のあるソバを出している。かなり旨いらしい。

このソバ屋は競争優位を確保しているし、一朝一夕に他者が真似をすることも出来ない。しかし、戦略はというと美味しいソバを作るという一点こだわっただけだ。あらゆる戦略の根底はこの様なものではないか。

180802_c.jpgもし、我々が人材の育成にこだわるなら、出口では様々なシステムが導入されるだろうが、コアとなるのはメンバー一人一人の人生を徹底して真剣に考える事だろう。教育マニュアルや人事制度などはあくまでも「徹底」の結果にすぎない。目的ではないし、変化もする。

SVTのあるPMが言っていた。チームのメンバーの名前を見ながら一日一度は、彼らの将来や現状の問題について考えるらしい。単純に今の作業によって、トラブルが起きない様に管理するのではなく、言葉通り生涯の仲間として、共に戦う戦友として仲間の成長を願い考えるのだ。

その結果として厳しい叱責が生まれようが、冷たい突き放しが生まれようが、それは時々の判断だ。リーダーとして上手く部下を育てられなかったとしても、必死に育てる姿があれば文句はない。リーダーとして自信をもって経験を積んでいって欲しい。

我々が志向する海外との連携スキーム「Fusion」もそうだ。根底にあるのは、相手側を下請けとして扱わず、同格のパートナーとして共に豊かになる未来を目指す事だ。それを徹底する過程にスキームが生まれる。この基本的なスタンスをずらさずに、心の底から追い求めれば分厚いビジネスが出来上がる。競争優位は自ずと手に入るはずだ。

私のビジネスに対するアプローチ、戦略に対するスタンスはこの様なものだ。発想やアイデアや運気によって成功される方もいらっしゃるのかもしれない。しかし、私自身はあらゆるラッキーや不確実な思いつきなどを期待しない。何らかの運みたいなものはあるかもしれないが、一切期待はしない。

180802_b.jpgいかなる市況になろうとも、生き残り発展を実現できる組織と自分自身を作り上げたい。凡庸なアイデアすら、最高のビジネスモデルとして仕上げてしまう、奇跡の集団を作り上げたい。固い決意と、実行力によって、配慮し、徹底し、ビジネスを推進する人材を輩出したい。

その強靱な組織が10年事業を営めば、時の運が巡るって来る時もあるだろう。また、この組織と卓越した事業アイデアが結びつく事もあるだろう。その相乗効果により、SVTのメンバーが爆発的な発展をする未来を実現して行きたい。