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今年も後僅かで終わろうとしている。チャレンジの連続の中で、無事に年末を迎えられるだけでもメンバーに感謝だ。
今年一年は社名も変わり、新体制も導入された。PMの裁量権も増え、理想の形へと一歩ずつ近づいている。全力で進む分、歪みも生じているが優秀なメンバー達が包容し進化へとつなげている。
歪みが生じないような穏やかな進化は我々にとって敗北だ。歪まなければ駄目だ。全力で進んでいる者を基準にすると、大多数のメンバーは歪みを感じるはずだ。正しいのは全力で進んでいる者だ。
今年一年でかなりのメンバーがHWSに集結した。単純に人数を増やすつもりが無いので、厳選されたメンバー達は個性的で面白い。
面接はかなりの人数を私が行う。経営者として入社前に、いくつか約束をしたいからだ。入社される方に約束をしてもらうのではない。先にすべきは、私が会社のあり方をコミットする形での約束だ。
HWSが何を目指し、何を変えないのか。一貫すべきものは何か。それを確約し、信頼して頂き入社して頂く。また、せっかくの縁でお会いした方でもあるし、同業界を進む同胞でもあるので、人生の先輩として何かしら与えられる物は与えて帰ってもらうようにしている。これは入社云々とは別次元の話だ。
時代背景を説き、エンジニアとして目指すべき姿を説く。また、将来に備え何をすべきかを説く。世界の中の日本を説き、エンジニアのミッションを説く。
面接に来たほとんどエンジニアは共感して頂ける。また、これを機に自分の仕事や将来像に対して深く考えて頂ける。思考停止の中で作業に没頭する時期も必要だが、それだけでは生き残れない。
HWSにほとんどのエンジニアは共感して頂けるが、最終的に入社に至る人と至らない人がいる。いくつか要因はあるが、その中の一つに「焦燥感」がある。
焦燥感の有無がHWSへの入社を最終的に左右する。転職者は色々な会社の面接を受ける。しかし、HWSと他社を比べて、相対的に判断する人はいない。他のソフトハウスと全く違う会社なので、一般のソフトベンダーを選ぶなら、そもそもHWSには来ない。逆にHWSに惹かれる人は、一般のソフトハウスを志向しない。
HWSを志向し、HWSのビジョンに共鳴したにも関わらずスタートで出来ない人は、今までの環境を一気に変えるだけの衝動が持てないのだろう。必要であると分かっていることを行動に移せるのなら、一夜漬けでテストに向かう人はいない。前もって準備をするはずだ。分かっているが、相応の衝動が無い限り、人は行動に移せないのだ。
行動に突き動かす衝動は「希望」よりも「危機感」の方が強い。何かを成し遂げる為に努力出来る人間は、精神的にかなり成熟している。だいたいは危機感や焦燥感によって、行動に移る。
テスト勉強をするにしても、他人より大きく先んずる為にはやらない。他人において行かれないため、遅れていると言う焦燥感などで容易に人は動く。人より何倍もの所得を得るための努力はなかなか出来ない。しかし、人並み以下になりたくないという焦燥感により、大多数の人は一定の努力をする。
HWSの扉を叩く人は現状に危機感を持っている人だ。エンジニアとして20代30代を過ごし、40代を向かえた時に、社会に自分の居場所が無いのではという焦燥感を持っている人だ。または、自分が本来描いていたビジネスマン像にこのままではたどり着けないのではないかという焦燥感を抱いている人間だ。
現状より、ちょっと待遇を良くしたい。楽をして、今より割の良い職場に行きたいと思う人は、HWSには来ない。間違って面接の場まで来ても、HWSに受け入れられることはない。
普段は朧気だった焦燥感が、面接において明らかになった時に、その為の一歩を踏み出せるか、今のぬるま湯から抜けさせるかは本人の資質による。焦燥感の質やレベルによるのだろう。
人生に対して他力本願を排除し、未来を自力で保証しようと決めたエンジニアはヘッドウォータースのコンセプトに乗るしかない。自分の未来に正面から向かい、真摯に考えた時に日本のエンジニア達に対する現状の社会的扱いを受け入れる事は不可能だ。
真摯な姿勢から産まれる良質の焦燥感があれば、何かしら行動に移さなければならない。今の職場では行動が制限され、焦燥感が消せないなら、新しい環境を探すしかないが、多くの会社は五十歩百歩だ。明確に違う環境を探すなら、HWSしかない。(やや言い過ぎかと思うが八割は意気込みと言うことで・・・)
焦燥感が無い者はHWSに来てもそれなりの動きしかしないだろう。環境を変えても本人の姿勢が根本的に進化しない限り、未来も変わらない。あまりに焦っている人間には「落ち着け」とアドバイスするが、ほとんどの社会人に私がアドバイスをするとしたら「焦れ」だろう。
日本が右肩上がりに経済成長を続けた時代はもうとっくに終わっている。多額の負債を抱え、カントリーリスクも内包した日本において、人並みの性能とキャリアで安穏とした日々を送っているサラリーマンへのアドバイスは「焦れ」という事しかない。その性能と社会的ポジションで、どうやって生き抜くつもりなのか。自分の代わりがいくらでもいるのに、現在飯が食えている理由は、市況が良いからに過ぎない。市況が10年も20年も安定であり続けるのは奇跡に近い。奇跡を前提に、自分の現状のキャリアで納得し、それなりの努力しかしない社会人へのアドバイスは、やはり「焦りなさい」しかないだろう。
だから私は面接において過去の経歴よりも、この焦燥感を求める。焦燥感から来るエネルギーを求める。同時に、夢やロマンを追及し努力できる成熟したエネルギーも期待している。
現在の私も常に焦燥感に駆られている。
理想とのギャップを埋め、事業を推進しなければという焦燥感。自分の性能に対する未熟さを責める焦燥感。今居るメンバーをビジネスマンとして完成させなければという焦燥感。
良い具合に己の背中を冷たくする焦燥感を多く持っている。これも事業の醍醐味だし、この冷たさが生きていることを感じさせてくれる。
現実社会で多くの人に影響を与え、多くの人を巻き込んでロマンを追及する人間には相応の責任がかかる。その責任を正しく感じ取れる人間ならば、この焦燥感からは生涯逃げられない。
私も野望がある。私個人が幸せになりたい、豊かになりたいという野心はすでに無い。それは自分の性能をそこそこ発揮すれば自然と手に入る。私の野望は、HWSが提唱する理想を実現し、HWSのメンバーは当然として、全世界の多くの人々を幸せにすることだ。一種の芸術家の様な仕事なので、理想を形にする事自体が野望であり、その後に来る富や名声はおまけだ。
この野望が生み出す熱と、野望を追う人間が背負うべき焦燥感が生み出す冷気に駆られながら、来年も全速力で生き抜けるつもりだ。その速度に乗り、共に歩める仲間と来年も多く出会いたい。
HWSのメンバーも一年間お疲れ様。(と言っても最期まで現場で戦っているメンバーも多いが・・・)
来年は更に、HWSというみんなで持ち上げている箱を振り回し、我々しか実現できない組織を作り、我々しか実現出来ない事業を進めていこう。
私のメンバーの育成方針はと問われれば「エンジニアをビジネスマンとして自立させる」と言うことになる。事業を主体的に構築し、運営できるレベルのビジネスマンを輩出し続け、エンジニアという職業のあり方を革新するのがHWSのミッションでもある。
言い換えれば、起業家を育成する、経営者を育成すると言っても良い。
経営者として自立できるレベルのビジネスマンと、人に使われてこそ活きるレベルの人間では、そのあり方に格差がある。覚悟、責任感、構想力など主体者として問われる能力は数あるが、今回取り上げたいのは「執着心」だ。
HWSにはビジネス志向の強いエンジニアが多数いる。開発の合間に自ら電話営業を行ったり、自分の経歴書を手に営業に回ったりもするのもHWSにおいては日常的な光景だ。部下の育成や、組織作りにも前向きで、可能であれば自チームに未熟なエンジニアを抱えようと努力している。自分に割り振られた開発だけしていれば良いという感覚はHWSにはない。開発に没頭しているエンジニアも、より多くの工数を背負い自分のパフォーマンスを上げようと苦心している。
新しいビジネスアイディアもポツポツ提案される。まあ、アイディアレベルではあるが、こんなモデルならニーズがあるというような案の一つや二つはみんな持っている。
しかし、設立二年で贅沢な悩みではあるが、新しいビジネスモデルを主体的に立ち上げた人間はまだ見あたらない。まあ、これからの課題ではある。
アイディアレベルで終わる人間と実際事業を立ち上げ運営する人間の違いは二つだと思っている。一つは、やるかどうか。実際にやっちまう「勇気」とか「勢い」とかを持っているかどうかだ。もう一つは、やっちまった仕事を形になるまで、作り込むかどうか。その為の「執着心」を持てるかどうかだ。
誰かが考えるほとんどのビジネスモデルには新規性はない。自分が思いついたビジネスモデルと同様のビジネスモデルを考えた人は、少なくとも全国に1000人以上いると思った方が良い。その内企画書レベルまで、案を落としている人間も数十人はいる。しかし、ビジネスとして仕上げて収益が上がるまで作り込める人間は少ない。その段階に巨大な溝があり、多くの人は気が付いていないのだ。
潜在的なニーズに気が付く事は難しくない。既に顕在化しているニーズなどは、ほとんどの人が事業化できると思っている。事業化が簡単な物なら、競争優位を作らなければ成立しないし、事業化に何か問題があるモデルなら、それを乗り越える工夫を執着心の下に作り込んでいかなければならない。
私の所に持ち込まれるビジネスアイディアも、多くは何とも言えない物ばかりだ。何故なら、収益化する可能性もあるが、主体者がどれだけそれに執着心を持ち作り込むかによって成否が分かれるからだ。
「どうですか?このビジネスは。」的な事を言われても、何とも言えない。「君が覚悟を決めて取り組むなら可能だろう」「君がそこまで執着できないなら不可能だろう」が答だ。プレゼン資料から答える事は無理だ。
執着心、愛着心が区別化を産む。ビジネスを進行する途中で生じる様々な課題を徹底して考え、乗りきる中で個性が育まれる。それが企業文化にもなり、競争力にもなる。この執着心を持たない人間が、実社会で通用するビジネスモデルを仕上げる事は出来ない。
その執着なしに成立するモデルがあったとしたら、すぐに誰かに真似られてしまう。タケノコの様に後発の業者が乱立し、飲み込まれるだけだ。継続はない。
HWSは設立二年で百名体制を築いている。この百名がほとんどそれなりの技術を持った経験者で構成されている。昨今の人材市況では奇跡的だと評価もされている。また、ただ単に人数が集まった訳ではなく、ビジネス志向の強い変わり種のエンジニアが多い。しゃべれないけど開発は出来ます的なエンジニアは存在を許されない。これは本人の為でもある。
これに興味を持った企業様から、どの様に採用をしているのかという質問をよく受ける。フルオープンでお答えしているが、結局真似出来た企業は今のところ無い。我々の信念や理想までコピーはできない。使命感から来る熱まで焼き直せないのだ。
素人がビジネスを考える時に「真似されると困るので、まだ話せませんが・・・・」などと言う。杞憂だから心配するなと心の中で言うが、失敗も経験だと思い放っておく。恐らく、私の言うことも受け入れられず、そのアイディアに固執するだろう。これは私の言う執着心ではなく、思考停止を招く間違った固執だ。ビジネスは常に流動性の中にある。信念は一貫するが、それを実現するためには常に柔軟に対応し変化し続ける必要がある。
最期に
分かったような態度で他人のビジネスモデルを批評する人間も世の中にはいる。その態度自体が「分かっていない」証しの様なものだ。何故なら、現実的なビジネスの世界において、批評や論評は意味を持たず、執着し作り込む部分の実行が問われることを理解していない態度だからだ。
HWSのメンバーが一線を越え事業家と呼べるレベルまで成熟する為には、知識やスキルよりもこの執着心が最大の障壁になるだろう。ただし、それを理解していれば、その障壁は誰でも乗り切れるはずだ。世の中には何百万社という法人があり、同等の経営者がいる。難しくはない。
ビジネスモデルを作った段階で達成した様な気になったり、他人のビジネスモデルを論評し理解したような気になったりと言った勘違いをしなければ正しく成長していくはずだ。自分が主体者として、実行し執着してビジネスモデルを作り込まなければ先へ進めない事を理解していれば、間違った方向へは行かない。
HWSのメンバーが正しく前へ進めるように、羅針盤として私がいる。日々私自身が精進し、多くの若者達を導くに足る自分であり続けよう。
世間には、やりたい事が出来ない、自分の主張が通らないと会社を辞めていくサラリーマンがいる。HWSに面接に来る方の話を聞いていても、会社の都合で業務が決まってしまい、ある分野に取り組みたくても許されない様な話も聞く。同情の余地が多分に有る場合もあれば、本人の努力不足な場合もある。
会社には会社の都合があり、本人の希望と合わないこともある。それを「合わせてくれ」は身勝手ではある。会社の都合、会社の利益にも抵触せず、自分の理想をかなえるように調整するのが正しい姿だ。
聞いてみると案外多くのサラリーマンは、もっとこうすれば会社は良くなるのにと言う意見も持っている。終電に乗ると、泥酔したサラリーマンがくだを巻いていたりするが、案外良いことを言ったりもしている。しかし、その良いことが会社で通っているのなら、終電で後輩にくだも巻くまい。その「良い意見」を言っていない、もしくは会社に取り合ってもらっていないかのどちらかだろう。
正しい意見を持っている多くの方に対してのメッセージを今日は書きたい。
自分が思う正しい意見を社内で発言出来る人と出来ない人がいる。どちらが良いかは微妙だ。発言出来ない人でも、何かしらの行動でそれに変わる効果を狙っているなら良いし、発言出来る人でも、言うだけで終わったら意味はない。
多くのサラリーマンの間違いは正しい意見を言うのが大事だと思っている事だ。ビジネスの世界で正しい意見を言うことに大した価値はない。正しい意見を実現することに価値があるのだ。
この違いを認識していないサラリーマンが多い。だから、正しい意見を言って満足してしまう人もいるし、正しい意見が通らないと腹を立てる未熟者もいる。自分が信じた正しい意見は、間違いではないが、それぞれの立場や経験から来る様々な正しい意見があり、世の中は成立している。
ビジネスの現場は裁判所ではないので、その意見の善し悪しを裁決する意味はない。優秀な人間が主張する意見は粗方正しい。何故なら、優秀な人間は自分の意見を形にし、組織に貢献出来るように仕上げるからだ。逆にビジネス能力が低い人間が言う正論は、筋道としては正しくても採用出来ない。その意見を形にするまでの気概も能力も無い人間の提案を採用しても、組織に有益にはならない。つまり、結果としては組織にとって悪だ。間違いなのだ。
自分の主義主張を叫べば良いなら、世の中は楽なものだ。口だけで正論を言い、人が幸せになるなら世の中は棲みやすい。しかし、現実的には正論を吐くだけの行為は逃避に近い。
口だけの正論に正当性が無いなら、新人社員のほとんど意見はとるに足らない。先ずは会社に貢献し、能力を上げろと言うのが正しい。新人は臥薪嘗胆、エネルギーをため込み、成果や成長につなげなければならない。これが現実だし、これを受け止め前進する勇気と覚悟を新卒の方には持って頂きたい。
正論を言えば良いなら、正論を言うことで幸せになるなら、坂本龍馬も海援隊を作る必要はなかった。幕末の日本は極めて微妙な状況にあり、歴史の分岐路に立っていた。「日本は世界に目を向けなければ駄目だ。日本国内で争っている場合ではなく、挙国一致で列強に当たらねば、日本は侵略される。」と言う意見は当時で言えば達観であるし、正論だ。
しかし、龍馬一人が叫び、まわりを説得しても、その正論が国を動かすことはない。維新を実現し国を転回させたのは、薩摩藩や長州藩という、強靱な組織の力だ。一人の無力さ、藩の後ろ盾が無いことの悲痛さから、龍馬が海援隊を創設したことは想像に難くない。
龍馬は集団や組織を背負わないと、大業は成せないと理解したのだろう。本気で日本を守ろうと思ったが故に、組織の力に渇望したのだ。自分の言葉に酔い自我を慰撫できる人物ではなかったので、現実から逃げず、今できることに邁進したのだ。
世間で正論を吐いて満足しているレベルのサラリーマンは本気ではない。本気で、自力で何かを成し遂げようとはしていない。本気なら、力を欲するはずだ。個人の能力には限界がある。本気で組織の変改を考え、社会貢献を考えているなら、龍馬と同じ様な行動に出るだろう。力を欲するだろう。組織を作り始めるはずだ。
だから、私は最終的にリーダーシップを取ろうとしない、集団を組織しようとしない人間をある意味認めない。例え、個人として優秀だとしても認められない。何故なら、組織を編成しようとしない人間は、その個人としての優秀さを自分の幸せに向ける程度の低い志しか持ち合わせていないからだ。(当然例外もある)自分が飯を食うぐらいの志なら、組織を率いるだけ面倒だし、責任もかからない方が良い。リーダーとなれば、時間も取られる。そこそこ才能のある人間が、自分の腕にものを言わせて食を確保するのは極めて楽だ。ストレスもかからない。それなりで良ければ、会社の役にも立っている。
しかし、出来るなら自分の事だけではなく、より多くの人を幸せにすることや、より多くの人が飯を食える様な未来を考えて欲しい。高い志を持って欲しい。自分の人生の価値をより高みに置いて欲しいのだ。
このブログでもよく書くが、例外的な特殊技能者がいることも知っているし、組織を編成せずとも、意見を形に出来る人間もいる。しかし、これは例外である。ほとんどの社会人はその様な才能に恵まれない。高い志があり、高い命題があるのなら、集団戦で取り組むしかない。
そもそも一人の人間の生き様を考えた時に、自分だけ幸せになって満足なのかと聞きたい。これは私見なので、無視してもらっても良いが、人生は何かを成し遂げる為にあるのではないか。いや、そう思って生涯を生きてこそ、充足感がえられるのではないか。飯を食って生存していくだけなら、犬や猫と変わらない。人間は自分の意思で未来を決め、自分の人生の価値を決め、自由に生きる事が出来る。これは唯一人間にだけ許された特権だ。これを放棄するなら、自ら犬猫と同じだと言っている様なものだ。(ちなみに犬も猫も大好きで飼育もしているので、動物を蔑視しているわけではございません。区別の問題です。)自分の平安だけでなく、世の安寧に献じ、初めて人としての生を全う出来るのではないかと思う。また、一日本人としてそうありたい。
話を戻す。
正論だけ吐いて満足するのは現実からの逃避だ。もし、会社を良くする意見があるなら、形になる様に仕上げなければ駄目だ。それが大きな命題であるなら、組織を編成し、組織力をもって取り組むべきだ。その為に必要なリーダーシップを錬磨し、自分の主張を実現すべく動くべきだ。
私自身も国を良くするための多くの意見を持っている。IT業界を素晴らしいものにするための多くの意見を持っている。HWSを良くするための意見も誰よりも持っている。
機会があれば主張をするが、それを聞いてくれとは言わない。強靱な組織を仲間達とつくりあげ、その力を集結し多くの正論の具現化を狙うのみだ。
社会人の皆さんはそれぞれの組織で、それぞれの現場で、それぞれの事情を抱えているだろう。しかし、課題や問題はどの場所にもある。一切、言い訳にはならない。先ずは、それぞれの現場で、自分の主義主張を磨くことだ。主義主張を磨き、それがどうしても実現すべき志へと高まったなら、自ら立ち上がり、リーダーシップを取り、組織を編成するのだ。社内での集団でもいいし、起業してもかまわない。今の現場に創り上げも良いし、他所に創造しても良い。自分の主義主張を実現するための組織力を貯めるのだ。
一人の同志から集い、ビジョンを共有し、組織を作るのだ。
HWSのメンバーも現在各所にてビジネスを展開している。願わくば、近い将来だが、100名のメンバー全員が各所にてリーダーシップを発揮し、組織を編成する存在であって欲しい。それぞれの海援隊を作り、理想に向けてこぎ出して欲しい。その集合体をHWSとし、一時代を創り上げたい。
先ほどまで11月の試算表を元に役員会を開いていた。向こう半年の売上見込みから、予算計画の方向性を定めた。
HWSの財務諸表は極めてシンプルなので素人でも分かりやすい。租税回避的と思われる様な処理を嫌う事もあり、不自然にいじっている部分がない。無駄な出費も全くないので、何に使われたお金かは明確である。
交際費の科目を見てみる。ここ最近を均してみると、2~7万円/月程度しかない。想像を絶する少なさだ。交際する気が無いとしか思えない。まあ、今までは外部との接触をせず、内部の組織作りに没頭していたことは事実。これも善し悪しなので、今後は少しバランスを考えたい。
経費の中でも、一対一で効果がはっきりするものもあれば、タイムラグがあり効果が即時的に見込めないものもある。基本的に企業におけるお金の使い方は「費用対効果」を考えなければならない。
個人の財布と企業の財布は感覚的に多少違う。個人では基本的に蓄財は美徳だ。倹約し、質素に生き蓄財していくことは、堅実な生き方として高い評価となる。しかし、経営においては違う。
そもそも、株式会社とは資本を投下する資本家が、より高い利回りを求め、事業運営を能力の高い人間に委託するシステムだ。お金を貯めさせるのなら、人に預ける必要がない。経営者の仕事はある意味お金を使うことだ。お金を使い、銀行に預けるよりも、金融商品に投資するよりも高い利回りを実現すべく、より高い収益を生む義務がある。それが経営者の存在価値だとも言える。
より資本が大きくなって返ってくる事業にお金を使う判断力は、経営力の中でも大事な部分だ。経営者はお金を使って事業を伸ばす宿命を背負っている。だから、お金を使うことは悪でない。活きるお金はギリギリまで使うべきなのだ。それにより、最速での成長を実現させるのだ。そこで必要なのが、常に「費用対効果」を投下した資金とヒモづけて考える習慣だ。効果が十分見込めればお金を使うべきだ。いや、使えなければ駄目なのだ。
費用対効果を考え、お金を使うことはあまり難しくない。ちょっとした理性と想定力があれば間違った選択はしない。
理性が無い場合を考える。例えば、不必要に立派なオフィスをかまえる経営者がいるとする。業種によっては、そのオフィスが演出や信用力上必要な事もあるので、一概には否定できないが、効果があまり見込めないのに見栄や虚栄心で立派なオフィスを借りる場合もある。友人や家族、取引先に対する見栄であるなら、その投資は間違いだ。いずれ会社の財務や、体質に悪い影響を及ぼす。理性によって、自分の虚栄心を抑えなければならない。
想定力が無い場合を考える。企業が次の展開をする為の事業投資で失敗するケースがこれだ。確かに事業は勝ち負けが必ずあるし、ベンチャーなどで言えば10戦して2勝もすればなかなかのものだったりする。新事業の立ち上げなどは、そんなに簡単なものではない。
しかし、根本的に成功しても大して儲からない事業に投資してしまう人も多い。要はビジネスモデルをお金の流れも含めてイメージ出来ていないので、「売れるだろう」とか「この商品はいい」とか言うノリの延長で投資してしまうのだ。上手く行っても儲からないビジネスモデルを追いかけたり、多分にギャンブル的な要素を含む事業にお金をつぎ込み続ける経営者もいる。また、流行に左右されるビジネスは短命である可能性も高い。多少儲かっても集金しきれず終わる可能性がある。経験などから想定力が十分でない場合は、これらの最低限のポイントを抑えず事業に取り組んでしまう。余力があれば、失敗しても良い経験となるが、余力が無い場合は致命傷となる。想定力の甘さにより、「費用対効果」を確保出来ないケースだ。これは10戦2勝以前の問題だ。
経営力として「費用対効果」を常に考える事は大したレベルではない。意識し習慣化すれば、あまり道を逸れない。難しいのは、この「費用対効果」という感覚をしっかり身につけた人間が、即時的に効果が無いことにお金を使う事だ。
一見無駄な事にお金を使うのが難しい。
交際費などは、ヒモつけて「費用対効果」を考えられない資金の一つだ。決裁者のバランス感覚次第では、遊興費にもなるし文字通りの交際費にもなる。ここで必要なのは、理性と覚悟だ。事業の前線で周旋し、アライアンスの中から新しいビジネス関係を構築するのは簡単ではない。成否はあるにしろ、会社の経費を使うのなら、最期に成果を出す覚悟が必要だ。自分に甘くならない為の理性も必要だ。
これらを加味した上で一見無駄な事にもお金を使うべきだ。
ある意味、未来を作るための全ての予算は、その瞬間では無駄なお金だ。一対一の「費用対効果」を追うことは出来ない。そもそも個性とは無駄の上に作られるのではないか。余分なところが微塵もないのなら、全ての企業は同じ形を目指す事になる。
部下を教育することも、短期で見れば無駄だ。一年二年を考え、会社の体力を上げようと思えば効果はあるが、途中で部下が辞めたらご破算になる。現状の売上だけを確保しようと思えば、部下に関わっている労力を売上に直結する動きにつぎ込んだ方がよい。
人間も企業も全て無駄ない形で構成しては個性が消える。魅力も付加価値も無くなる。バランス良く無駄を内包する組織であり人であることを目指すべきだろう。
無駄が個性を作り、無駄が魅力を作る。無駄が新しい発明を生み、無駄が新しいビジネスを生む。
HWSの日曜日の勉強会なども、端から見れば無駄の塊だ。別に時給が出るわけでもないし、昇進に関係する訳でもない。それなのに、良い若い者が日曜日に集まり、新しいビジネスモデルを練ったり、技術を磨いたりしている。すぐに金になる事ではない。
起業なんて言うのも、ほとんど無駄な行為でもある。大多数が失敗するし、リスクがある割には軌道に乗るまではお金もほとんど稼げない。そのくせ休みもなくストレスは膨大にかかる。費用対効果で考えると、本来理性のある人間が進む道ではない。
しかし、その無駄を承知で進む人間がいるから、産業は前進し、国も豊かになるのだ。戦後に起業家達がチャレンジしなかった時の日本を考えると空恐ろしい。
私自身も後発の若者達に、全くの無償で経営を教えていたこともある。自分の持ち出しで会社を起こし、そこで若者達が自由に事業にチャレンジ出来るような場所も作った。一種の経営塾であり、若者達が少ないリスクで起業に向かえる登竜門の様な場所だ。
彼らが起こしたトラブルの処理は私がしていたので、リスクと負担しかなかった。結局その会社が伸びた時にも利益を取らず、当初の理念のまま会社は若者達にあげてしまった。設立から七年間報酬など全くもらっていない。かけた時間は膨大だし、背負ったリスクも大きかったが、それに見合った実入りはない。
端から見れば無駄だ。多くの経営者仲間からは、お金を取れば良いじゃないかというアドバイスも頂いた。起業家志望の若者達の指導の為に、休みの日を削り、本業で社長をやっていた会社が始まる前に朝礼を行い教育に当たった。報酬はなしだ。貧乏な若者達にご飯を食べさせたりもしていたので、出費だけはかさんだ。
しかしながら、今でも全く後悔はない。その無駄によって自分自身の人格や経営哲学が進んだのは事実だ。それが無ければ、今の経営理念もビジョンも、裏表無くHWSのメンバーに打ち込め無かったかもしれない。利得を無視し、人材の育成に当たった時間あるので、演技をしなくても心の底から理想を語れるのだ。自分の中にお金以外の財産が出来たのだ。無駄のおかげだ。お金に縛られず自由に経営の道を進む為の翼を手に入れたようにも感じている。
また、その頃に一種の師弟関係を築いた若者達がその後独立し、今では良い友人関係にもなっている。利害で最初に繋がった仲間ではないので、高い信頼で繋がっている。これも財産だ。
会社が潰れるような無駄はいけないが、自分が労力を払えば良い、自分がリスクを冒せばよい無駄なら、積極的に取り組むべきだ。すぐに金に換えようと思わない方がよい。金や利得に縛られず、世間の批判や助言にも流されず、無駄を断行してみたらどうか。
その無駄が君達の個性を作り、他者との区別化を実現するだろう。無駄の為に流した汗や血が、君達の競争優位を約束するだろう。
すぐに報われない事、すぐにほめられない事、すぐにお金にならない事でも自分の信念や理想の為なら取り組めばよい。それが本当に無駄になっても、そこに自分なりの信念があれば良いじゃないか。
賢く生きようと思っては駄目だ。賢さの先には普通の人材である未来しかない。一線を越える奴らは多くの無駄を体現し、魅力や経験を獲得しているのだ。
君達には無駄を勧める。価値ある無駄を理解し、内包することを勧める。そして、異彩を放つ強烈な人材として、世の中を闊歩して欲しい。
HWSの開発部隊は9チームに分かれている。それぞれが自分たちで定めた事業分野に進んでいる。色合いも違うし、業務形態も様々だ。
昨日は、某メーカー様のプロジェクトに参画しているチームの懇親会があった。現場が本社から遠いので、久しぶりに顔を合わせるメンバーもいる。
新製品の開発などが多く、コンプライアンス上の問題から、ユーザー様先常駐での開発となっている。更に開発現場では携帯電話も使えず、開発機もインターネットに接続されていない。
現場は大きなビルなのだが、周囲は住宅地でお店も少ない。仲間内では笑いながら「陸の孤島だな」と言っている。普段会えないので、たまに会って元気な様子を見ると素直に嬉しい。
陸の孤島には陸の孤島の役割がある。HWSがより強靱な組織になるために背負うべき役割がある。
例えば、我々日本人が日本国内で生活している分には、日本人であることを意識する機会はあまりない。何も考えずとも小さい時から積み重ねてきた感覚で日々を過ごせば良い。しかし、外国にいると生活態度や常識感など、他国民との間にある大きな違いが分かる。意識して訪問先の習慣に合わせないと日常生活もままならない。食生活も大きく違い、自分は日本人なのだと意識するはずだ。
日本人とはどの様な民族かなどとは、日本国内にいる間は考えない。歴史的な背景や、日本人の性質などを聞かれて即答できる日本人は少ない。外から見て初めて、日本の良さや今まで当たり前だと思っていた事が、実は恵まれている事に気が付く。逆に日本人であることに誇りを持ち、良性の愛国心も育まれる。また、日本人である誇りがあれば、海外でも毅然とした態度を取ることができる。
インドとビジネスを行い始めた当初は、欧米で成功している国際派のインド人達に圧倒された。ネゴで世界の常識を持ち出されると抵抗しがたい。しかし、日本の良さがあり、日本の強さがあるので、日本はアジアを牽引し発展したのも事実だ。日本にパワーがあるから、インド企業も日本市場に興味を持っているのだ。日本の資本主義は決して間違ってはいない。私が日本国内でビジネスを構築するスタンスはフェアであり、世界に通じるという確信を得てからは、国を越えた事によるプレッシャーは無くなった。最近では、欧米での常識は配慮するが、大事なのはお互いに幸せなゴールを目指す事なので、常識にも他国の文化にもとらわれない。互角以上に交渉し、正しい方向に導く自信もある。
話を戻す。
外部と触れ、外部に身を置く事により、日本を考え、日本人の強さを磨けるのも事実だ。他の日本人に、日本の良さや、日本文化の価値を発信し啓蒙も出来る。
同じように、HWSについて考える。HWSイズムみたいなものがあるとする。それは、本社に身を置いているから濃くなるわけではない。逆に陸の孤島にいるからこそ、HWSのメンバーとして、より高い誇りを育み、HWSイズムを磨くことが出来る。渇望感をエネルギーに転換し、組織を前進させる事が可能だ。
HWSとは何者なのか、HWSが他社と違い際だつために自分たちはどういう態度で日々ビジネスに向かい合わなければいけないのか。
外から見て、他のチームに対してHWSとしての取り組みと違うのではと警鐘を鳴らしたり、HWSとしての基本的なスタンスをずらさずに純化していく使命が、陸の孤島にはある。他のメンバーが担うことが出来ないHWSらしさを孤島隊には導いて欲しいと願う。
基本的には本人次第だ。
例えば、HWSも設立から二年しか経っていない。創業から考えても三年半程度だ。私一人から始まり、初年度は十名程度のメンバー数だった。会社というよりも私との師弟関係のような結びつきで当初は集団が形成されていた。経験的には未熟なエンジニアばかりだったが、皆若く可能性を有していた。真っ直ぐ前に進めるように情操教育には力を入れた。
時間が経ち、HWSのメンバーが百名を越えた。私自身も物理的に一人一人のメンバーと関われる時間は減った。古いメンバーであればあるほど、寂しさを感じるかも知れない。しかし、それは間違った感覚だ。
私が徹頭徹尾仕込んだのはビジネスマンであれということだ。自分の志気も自分でマネージし、自分の力で収益を創り上げる存在だ。また、リーダーとして他者を導く存在であるよう要求し続けた。これを正しく受け止めるなら、組織の拡大と同時に消失感を抱くのではなく、増えたメンバーにHWSイズムを伝導し、後発のメンバーの育成に全力を投じなければならない。抱くべきは消失感ではなく、使命感だ。
物理的な事には限界がある。HWSが高いステージに上がれば上がるほど、提唱するビジョンには近づくが、物理的に難しくなることもある。拡大を止めてこぢんまり経営する気はない。我々が提唱する未来を実現する為には、より早い成長が不可欠だ。
ビジネス環境は常に激変するが、その中で常に使命感を抱き、自分のミッションをこなさなければならない。陸の孤島にいると屈折して、斜めに見て現状を卑下しても駄目だ。例えば、自分の評価が会社で低い時に、僻んでもやっかんでも駄目だ。自分の使命を定め、そのポジションだから出来ることを為すのだ。
自分次第で「現状」は、より崇高な使命を生み出しもするし、自分を屈折させ腐らせもする。しかし、繰り返すが状況は常に変わるものだ。その状況に左右されて腐ったり蘇生したりしていては、短い人生で何かを為すことは出来ない。状況は自分を左右する要因ではない。自分の精神や未来を左右する要因であってはならない。状況は常に、自分の力量において利するものだ。状況を利して、その状況の中から自分の使命を作り、全精力をかけてビジネスに邁進し前へ進むのだ。
ヘッドウォータースには陸の孤島がいくつかある。彼らが作る未来に期待したい。彼らが背負う役割に期待したい。これぞHWSという成果に期待したい。そして、HWSの全チームが高次なステージで融合し、新たなHWSイズムを形成して欲しいと願う。
最近取材を受ける機会が増えている。社長業も10年を越えるが、立場上よく聞かれるのが「尊敬する人物は誰ですか?」という問い。
昔は、誰と言えば格好いいか考えたりもした。歴史マニア気味の私としては、適切な人物を捜すのに苦労はない。しかし、冷静に考えてみると、挙げるべき人物を物色している時点で、「尊敬する人物」と特定する人はいないのではないかと気が付く。
尊敬に値する人物はいないと言えば、これも嘘になる。例えば、幕末に奇兵隊を率い、藩内でクーデターを起こし、長州藩を維新の中心へと引き込んだ高杉晋作という人物がいる。その行動、思想の苛烈さ、胆力など、どれをとっても尊敬に値する。じゃあ、尊敬する人物は高杉晋作かと言われれば違う。若い頃に、英国公使館の焼き討ちを企てたり、後援者の金を使って遊興にふけったりと人間的にどうかと思う部分も少なくない。公使館の討ち入りなど、ただのテロリストであるし、人の誠意や義侠心を利して酒を飲む態度などは最低だ。
とても「尊敬する人物」として無条件で受け入れる気にはならない。ただし、彼が成し遂げた偉業、彼の行為の素晴らしさに疑問の余地はない。
感覚的には、人が生み出す行為は事実として受け止め素直に尊敬できるが、人物を尊敬すると明言するほどは、その人間に深く関わっていないので、得心できないと言ったところだろう。
松下幸之助氏も稲盛和夫氏も偉大な経営者であることは、業績を見れば明らかである。彼らの書物もいくつかは読ませて頂いた。しかし、尊敬する人物として全面的に受け入れるには至っていない。
別に全面的に受け入れられなくても、尊敬できる部分がいくつかあれば良いじゃないかと言う意見もあるかと思う。その人を「尊敬する人物」として挙げれば良いと言う考えもある。しかし、その前提であれば、「尊敬する人物」は無数にいすぎて、とても挙げきれない。
歴史上の偉人、偉大な経営者、友人、ヘッドウォータースのメンバーでびっくりするような成果を出したり、急激な成長を実現した奴らetc。
全てが等しく尊敬に値する。名前を挙げたらきりがない。だから、「尊敬する人物」と言われたら、少なくてもある程度思想的な影響を受け、自分がそれを認めて受け入れるレベルではないと、他者と区別が付かない。「行為」だけ切り分けて見れば、尊敬できる人物で世の中は溢れかえっている。
これは私の子供な部分なのかもしれないが、もう一つ「尊敬する人物」を素直に挙げられない理由がある。
特に現存されている偉大な方々を、尊敬する人物に挙げるには抵抗がある。私の様な若輩が、この様な意志を持つこと自体を笑われる方もいると思うが、前記した偉人達は尊敬の対象ではなく、私の競争相手なのだ。尊敬し全面的に受け入れることは敗北に近い。
例えば私が、「京セラの稲盛和夫氏を尊敬しています」と言って全面的に絶賛していたとする。私は良いが、ヘッドウォータースのメンバーの事を考える。ヘッドウォータースのメンバーは他のどの会社でもなく、ヘッドウォータースに集ったのだ。他者から多くを学ぶことは大事だし、私自身も心がけているが、他にもっと良い会社があるならそちらに行くべきだ。京セラが最高の会社なら、ヘッドウォータースにいることは妥協だ。妥協の中で誇り高き仕事が出来るわけがない。
他のどこでもなく、ヘッドウォータースを選んでくれた仲間に対して、我々は唯一無二なのだと叫び続ける義務が私にはある。仲間達が妥協ではなく、選択としてここに集ったのだと証明する義務が、私にはある。他者から多くは学ぶが、独立独歩、ヘッドウォータース道を進む気概を第一義としたい。
これは、経営者としての気概と、多少子供っぽい部分の吐露ではあるので、偏った部分は大目に見て欲しい。異論も多数あるだろうが、正誤の問題ではなく主観的な意思の話だと捉えてくれると助かる。尊敬する人物を持っている他の方を批判するつもりも毛頭ない。人を認め尊敬する行為は、間違いなく尊い。
話を戻す。
よって、私に「尊敬する人物は誰ですか」と言う質問は極力避けて欲しい。答えは二つしかない。「情熱をもって何か成し遂げた全ての人。」または「尊敬する人はいません。」のどちらかの答しか返せない。この理由を説明するのに前述の価値観を話さなければならないので、ちょっと面倒だ。
こんなヘッドウォータースだが、目指している高みは「世界一尊敬される企業」だったりする。規模的な肥大よりも、偉大な行為により多くの人から信頼と尊敬を得られる企業でありたい。この偉大な行為は、現場からしか産まれない。全メンバーの日々の判断、行動からしか産まれない。今日も一歩ずつ、世界一尊敬される企業へと歩みを進めて行こう。
今朝の日経新聞に「昇進拒否が相次ぐ」という記事が掲載されていた。三十代の中堅社員に、昇進を打診したところ「給料も大して上がらないし、部下を持つと面倒が増える」と言い現状のままを希望したらしい。
米国のコンサルティイング大手タワーズペリンが世界十九カ国・地域で収集したアンケート結果によると、仕事に「意欲的ではない」「どちらかというと意欲的ではない」と答えた人が、日本人では72%に達し、意欲レベルは国別で最下位とのことだ。
先日、就職活動にこれから入ろうという大学生と話す機会もあった。成熟する上で十分な経験を経ていない大学生が幼いのは仕方がないが、根本的な勤労意欲は極めて低いと感じた。「営業は嫌」「アパレルがいい」「有名な会社が・・・」etc思想性の欠片も感じられない。その上、やれば仕事も出来る自信はあると言うのだ。残業も嫌だし、割に合わない仕事も嫌だが、自信はある。特に大学までの学歴において順調に来た人間は、そのノリで社会も勝ち上がれるという甘い幻想を抱きやすい。
いつの時代も「今時の若い者は・・・」とは言われる。しかし、国際社会での相対的な評価を見れば、そのたぐいの批判とは違う事が分かる。
平和と繁栄を享受して来た若者達は確実に劣化している。その豊かさを実現する上で、自分は何の貢献もしていないことすら理解していない。口を開けていたら親鳥が餌を投げ込んでくる。その餌を頬張り、それが一生保証される当たり前の権利のように感じているのだろう。
そうでなければ、「勤労意欲がない」「昇進したくない」などとは言えないはずだ。自分で生きることのシビアさや、現状の自分の地位の儚さを認識していれば、生存本能が各人に勤労意欲を与えるはずだ。
ちょっと話は逸れるが、「出世をしなくても、安定して好きな仕事ができれば良いんです」という現実離れした価値観を持っている人もいる。
出世をしなくて、安定が手に入ると本気で思っているのか。組織にとって必要な人材だから、そのポジションに位置づけられるのが本来の正しい姿だ。出世が無い人間は、責任感、実務能力、リーダーシップなどに疑問を持たれているので低位のままなのだ。1%にも満たない職人的な実務者はいるだろうが、ほぼ全てのビジネスマンは個人で出せる成果を越えて、出世し上位から組織を率いての成果を求められる。これに応えられない人間は組織の状態が悪くなった時に最初に放出される。自明の理だ。
出世が出来ない人間に安定など無い。出世が出来ない人間は、ビジネスの世界で高いレベルのキャリアを積む機会がない。当然、自己を育て希少な人材へと昇ることは無理だ。
一旦ビジネスの世界に入ったら、全力でリーダーシップを取り、出世も狙い、よりレベルの高い役割を担い、大きな収益を狙わなければならないのだ。その戦いのプレッシャーや苦しみから逃げ出し、気楽な人生を選んだ人間が自力で保証する安定など掴めるはずがない。馬鹿でなければ分かるはずだ。
大事なのは、出世やビジネスの戦いで負けたらどうしようとか、そのストレスを背負うのが苦しいとかで逃げないことだ。逃げずに挑んで、駄目なら諦めもつく。
出世がない中でやり甲斐のある仕事が出来ればと言うのもおかしい。職人的に煮詰めていく仕事があることも分かっている。同じ業務をコツコツやることに喜びを覚える人がいることも知っている。しかし、そうではない仕事が大部分であることも事実だ。
やり甲斐のある仕事は、ほとんどの職場では出世しなければ手に取れない。自分の後輩が自分を乗り越え、上司として命令権をもっている状況でずっと笑っていられるだろうか?今楽しいと思っている仕事があるとする。40歳や50歳で同じ業務に取り組んでいて、同じように楽しいと感じられるだろうか?良くも悪くも人間には飽きというものがある。同じフェーズの仕事を何十年も繰り返し、「楽しい」という状況でいられる未来はあまりイメージできない。
多くの人に期待され、信頼され、自分しかできない要素が多分にあるので、職務に誇りを持ち満たされるのではないか。出世だけがその源泉ではないが、地位を上げる中で得る多くのストレスと責任の代わりに充足感を得るのだろう。
出世という世俗的な観点は捨てても良い。ただし、ビジネスのステージを上げるための競争から逃げては駄目だ。それを追い求めて行けば、必然的にポジションを上げることになる。ビジネスの本当の喜びを知り、生涯満たされつつビジネスの道を歩むなら避けられない事だ。
自力で生き抜く。自力本願で夢を達成する。安定は絶対的ではない。
この程度の常識を持ってもらえれば、「出世しなくても・・・」「勤労意欲は無いですねぇ・・」みたいな事にはならないはずだ。
自力で生き抜こうとしている若者の正しい姿は、がむしゃらに高い地位、大きな成果を狙い続けることだ。その戦いが終わる時は、リタイアする時か、自力で生きることを諦め、他力本願で何者かにパラサイトする時だけだろう。
話を戻す。
冒頭の記事から考えることは、若者の劣化と同時に、若者達の目前にある大きなチャンスについてだ。
七割のサラリーマンが意欲を無くしている中で、上位三割として抜きんでるのは難しくない。性能ではなく、精神的な部分の問題で上位三割には入れるということだ。上位三割の中でも、「燃えている」というレベルのビジネスマンは全体の比率で見れば5%もいないだろう。
パッションを燃やしまくるだけで、人材としての可能性、価値は全日本人の中で上位5%に入ると考えてもよい。難しい事ではない。ただし、パッションを燃やし続けられる人材はかなり少ない。
戦後間もない頃の様にハングリーさを基盤に高い意欲を生み出すのは、状況的に現代の日本では無理だ。豊かさの後に、若者達の腐敗が生じるのは歴史的には何度も繰り返されてきた。
我々のモチベーションはハングリーさでは駄目だ。ハングリーさ勝負では、日本に優位性はない。人間として民度を上げ、高い次元の欲求により「意欲」を生み出さなければならない。
それは「志」であり「義」であり、人間が意志の力によって生み出す全てである。過去に戻るのではなく、進化することによって、より大きなエネルギーを生み出すのだ。
資本主義全盛の世になり久しい。豊かさを享受した国もあるが、同じ流れの中で自然破壊なども進んでいる。森林の伐採、大気汚染、種の絶滅など資本主義の繁栄と同時に進行した。競争を奨励し、資本的な成果を世界中が求めた結果、環境を守るなど即時的な利益に繋がらない事は、おろそかにされてきた。
しかし、だからと言って過去に戻って人類の歴史をリセットするがごとくの解決策は非現実的だし、正しくもないだろう。同じ事を繰り返す可能性もある。過去に戻るのではなく、人類が進化することによって、精神性を成熟させることによって、問題解決にたどり着くべきなのだ。
自然の大切さ、目で見えぬ地球上の同胞達の配慮など即時的な利益より優先すべきものに取り組むには思想が必要だ。思想性を進化させ、民度を進化させ、新しい資本主義の形を作り、地球を維持するのが人類の目指すべき正しい未来なのだと思う。
もう日本はハングリーな国ではない。世界一の飽食国家だ。この国の若者が劣化せず高いエネルギーを持ち続けるためには、何のために仕事をするのかをしっかり考え、何かを成し遂げようと言う高いモチベーションで他国を圧倒しなければならない。貪欲さで他国と勝負するのではなく、国民の成熟度で抜きんでるべきだ。
HWSの役割はIT業界の変革である。それは同時に若者の劣化を止め、日本の資本主義を一歩前へ進める道でもある。
複雑な理論や、小難しい評論はいらない。
自分の即時的な得よりもチームを優先したり、利益より信念を優先したり、時間軸を付加して事業や人の育成を考えたりすればよい。それは、意志の力がなければ不可能な事だ。本能的な部分だけでは、たどり着けない高みを常識として有する組織が、未来にあるべき企業の進化型ではないだろうか。
結果、その組織はより大きな力を持つだろうし、自分の為だけでは出せなかったエネルギーを発揮するだろう。過去を懐古して今を批判する気は無いが、過去から学ぶべきは謙虚に受け止めたい。本来、日本人が持っていた精神性の高さを取り戻し、資本主義社会の未来像へと昇華出来れば何よりである。
チビッコ企業が大言壮語で恐縮だが、理想がなければ日々の仕事も会社経営も「処理」になってしまう。成し遂げる事があり、我々の日々の業務は本当の意味でクリエイティブなビジネスになるのだ。組織の存在意義もあるのだ。
意志を込め、今日も一滴ずつ、源流から水が流れていく。
経営者にも色んな種類があろう。どの姿が正しいという訳ではなく、それぞれが個性であり、主張だ。HWSにはHWSの主張があるが、他社に押しつける気も毛頭無いし、それは間違いだ。ただし、共通すべきいくつかの項目はある。
事業に求める物にプライオリティもある。事業自体が好きなのか、資金を集める手段として取り組んでいるのか、地位や名声などに高いモチベーションを持つのか様々だ。本気で社会貢献と考え取り組んでいる経営者もいるだろうし、自己の存在価値に挑んでいる方もいるだろう。いずれにしろ、良い悪いはない。私自身のスタイルとはずれるが、「お金」にプライオリティを置いて事業に当たることも、素晴らしい。お金を追い求める過程には、雇用を生み、GDPに寄与し、多くのクライアントを豊かにしなければならない。素晴らしい事だ。企業に寄食している並の社会人が批評できるレベルではない。
私にとって、経営とは求道である。経営とは何か、経営者とはいかなるものか、これを追い求め必要な能力を追及していく。道を極めんとする者にゴールはない。生涯今以上の高みを求め続ける。
書籍やインターネットなどで、著名な経営者の表層を見て理解したと思わないし、評論家ではなく、プレーヤーとして実践しなければ、当然経営の深みにはたどり着けない。分かったような話をする学生や、若い社会人も見るが、その気分は間違いだ。
道を極めて行く過程には、「どうすればメンバー全員が幸せになれるのか」「どうすればより早い成長が実現できるのか」「どうすれば自分が満たされる仕事に生涯取り組めるのか」「社会不安にどう対処すれば良いか」「人を育てる為にはどの様な環境が必要か」「どうすれば多くの方に尊敬される企業になるのか」etc沢山の命題に対し、腹の底から得心できる答えを一つずつ見つけなければならない。
この命題に真摯に取り組み続け、既存の常識にとらわれず本質的に正しい道を作り続けるのが求道者の進む未来だ。
私は普段、既存のエンジニア像を壊し、ビジネスマンとして未来を作れと広く呼びかけている。これを聞いたエンジニアの中には、浅く広くテクノロジー以外の事も学び、要領良く社会を渡っていくような完成像をイメージする方がいるかもしれない。スキル習得に対する注力を弱め、その分、マネージメントやマーケティングなど学び、現状の総合職の様なキャリアを積めと言っているのだと捉える方がいる。
しかし、この認識は間違いだ。
浅く広く、何かを撫でるように経験し、人間が深まる事はない。技術も胆力も深まらない。実戦で有効な力は身に付かない。
私が提唱しているのは「エンジニア道」を極めよと言うことだ。エンジニアという職業を極めろと言うのではない。技術を極めろと言うのでもない。エンジニアと言う生き方、エンジニアという道を極め、道を創れと言っているのだ。
先ず、エンジニアとは何者かを考えて欲しい。決して、企業の収益の為に、作業員として疲弊するまで使い込まれ捨てられる部品ではない。人間であり、哲学があり、生涯をかけて取り組むべき道であるべきだ。
エンジニアを単なる職種ではなく、道として昇華させる為には哲学が必要だ。人間は誇りのないものに全力を投じる事は出来ない。また、生活が出来なければ取りくみ続けられない。エンジニアは世の中に何を生み出す者であり、世の中の何を背負う者なのか。その答えをビジネスの前線で戦いながら、紡ぎ出さなければならない。
生涯エンジニアとして、価値を持ち、世に必要とされるためにはどうすれば良いのか。企業に依存せず、自力で生涯生き抜く為には、どの様な能力が必要なのか。これを考え抜いて欲しい。
これを実現する為には、自ずと技術だけではなく、会社経営全体を把握せざるを得ないという結論に達するはずだ。自分のスキルによって生み出されたシステムが、いかに世の中と接点を持ち、収益にも代わり、多くの人に貢献できるかの全体をイメージできなければ自力で生きる未来などない。
自然、マーケティングを理解しなければいけない、マネージメントを理解しなければいけない、アカウンティングを理解しなければいけないという結論にいたる。また、自力でこれらをコントロールする為には、ネゴシエーションやプレゼンテーションに強い力を持たなければならないことも分かるはずだ。
これらを習得し、初めてエンジニアとして、生涯自力で生き抜く事が出来る。エンジニアと言う道のたたき台が出来上がる。
エンジニア道を極める訳だから、従来より技術の習得に手を抜いて良いわけでもない。従来のエンジニア以上にスキル、開発に関しては徹底的にこだわりスキルを上げなければ駄目だ。その上に、エンジニアとしての完成像に必要な能力を乗せるのだ。
「今でも頑張っているのに、これ以上は無理ですよ」と言う声も聞こえてきそうだ。しかしながら、求道とはその様なものなので、しかたがない。
プロ野球選手なら、数年稼いで引退し、その金で余生を過ごす事も可能だろう。まあ、我々一般のビジネスマンは生涯仕事に取り組む必要もある。仕事は生涯取り組める形に仕上げなければいけない。最初から破滅が分かっているのに、その道を進む奴は馬鹿だ。燃えまくってのチャレンジなら、分が悪くても進む価値はあるが・・・。
HWSの役割は、エンジニア道を創り上げることだろう。血だらけになり、現場でもがきながら、エンジニア道を極めるのだ。エンジニアが縦横無尽に、年齢に関係なくビジネスの世界に身を浸し、生き抜き、満たされる道を作るのだ。その為に必要なエンジニア像を体現し、証明して見せるのだ。
誇りを持ち、熱く生きられる道ではあるが、生半可ではない。従来のエンジニアと同じ血と汗を流す程度で道が極まるはずがない。だから、道を作るなら、今も頑張っていると思うが、私のアドバイスは更に何かを背負い込めということだ。どこまで行けば十分もない。道が極まってくれば、自分で気が付くはずだ。そこまでは常に「もっとやれ」「まだ出来る」と言うアドバイスしかない。
HWSのメンバーにも求めているが、世の中にいるエンジニア全員に求めたい。道を極めてくれ。エンジニアの価値について、役割について、たどり着かなければいけない頂について、よく考えてくれ。そして、何かの縁で踏み込んだエンジニア道なら、生涯をかけ誇りをもって極めて欲しい。そして、その道を後発の者達に示し続けて欲しい。
妥協するな、現実から目を背けるな。過去のエンジニア像、職業としてのエンジニア屋の社会的な位置づけを正しく認識してくれ。何故、理系より文系の方が遙かに平均所得が高いのか考えてくれ。何故、理系出身の経営者が全体の20%もいないのか考えてくれ。現実から目を背けず、将来の不安からも目を背けず、現実を受け止めてくれ。
その不安や、劣等感からスタートし、エンジニア道を目指し極めて欲しいのだ。
私が常日頃言い続けているのは、エンジニアとしての部分を軽くしろではない。エンジニアという生き方をもっと考え、エンジニアであることをもっと深く突き詰めろと言うことだ。結果的に導き出された結論に全エネルギーをつぎ込み、道を創り上げて欲しいのだ。その先には、自分の天命を知り、生涯を生き抜いた人間の充足感があるはずだ。
繰り返す。
道を極めよ。自らの人生を全力で燃やし、自らが選んだ道を創り上げよ。君の人生はその道を極める為にあったのだ。その実感で満たされ、生涯がとじられるよう、今を生きようではないか。
最期に
道を極めて者がたどり着く悟り、ビジネスの世界での姿は案外どの職種からアプローチしても変わらない。営業から入ろうが、技術から入ろうが、財務から入ろうが、出口での価値観、あり方は案外変わらない。求道の先にある姿を真のビジネスマンとし、全ての社会人に目指して欲しいと心から願う。
先日、あるインド人の若手経営者とディナーを共にした。付き合い始めてから一年ほどになろうか。日印のシステム開発に関連するビジネスの協業がメインのテーマだが、ゴルフに行ったり、食事をしたりと幅広く交流させて頂いている。
当然、彼のインドの拠点も訪問したし、協業のアイディアもいくつか浮かんでいる。単純なシステム開発の請負関係だけでは面白くないので、お互いの強みを活かしたモデルを志向したい。
国際派の彼はインド人エンジニアの価値観について話していた。
やはり、欧米ナイズされたインド人エンジニア達は報酬に関しては、シビアだということだ。刹那的な報酬によって、会社を転々とする姿が普通であり、今の仕事は次に自分を高く売るための準備の様に考えていると言う。
もう一つは大企業に対する意欲が極めて高いと言うこと。世界的に名前の知られている企業に行くことがステータスであり、家族もそれを求めるとの事だった。これに関しては二十年前の日本人の価値観に近い。
ここで日本を考える。
日本人エンジニア達の価値観はどうだろうか?インド人経営者である彼は、日本はロイヤリティなどが比較的強く、その辺は素晴らしいと賞してくれた。しかし、日本人経営者である私の目から見て、昨今のエンジニア達の挙動には問題を感じる。
そもそも日本の強さは集団戦にあると認識している。一部のコンサルティングファームなどは、優秀な個人が集まって企業を形成し、それ自体が価値かも知れない。しかし、全世界のほとんどの企業は、組織の総合力が勝負である。例えばトヨタという日本を代表する企業を考えてみる。当然、世界的に見ても優秀な人材もいるだろうが、大多数は平凡な人間の集まりなはずだ。平凡な人間が徒党を組み、組織を作り世界的な企業体を実現しているのだ。集団戦の勝利だ。
資本主義全盛の時代に、日本が勝利し現在の豊かさを得ている理由はこの辺にあるように感じる。資本主義社会の基本的な仕組みとして、企業単位の集団戦で勝利した組織が、全てを掴める現実がある。その中で、集団戦を得意とした日本が台頭したことは必然と言えるのではないか。
逆に言えば、その集団戦を放棄した段階で、欧米の後塵を拝し、アジアの中でも際だった彩光をはなてなくなるのではと思う。
よって、我々日本人ビジネスマンのスタンスは他国と一線を画さなければならぬ。個人主義的な価値観で、欧米社会と同じ様に個人の性能を競い喜んでいるレベルでは駄目だ。個人の性能を軽視しているのではない。個人の性能を上げるのは当たり前とし、個人の実力でも上位を狙うが、その能力を使って組織の勝利を最優先にするという日本的なあり方によって、日本の強さは保たれる。
昨今の日本人エンジニアの価値観に疑問を感じるのは、この認識とのズレによる。多くのエンジニアは自分を職人だと勘違いしている。自分の技術で喰っていると勘違いしている。職人ではないので、自分の社会的な立場に賞味期限があるのではないか。絶対的な技術ではなく、相対的に必要な作業で飯を食っているから、歳を取ると居場所が無くなったり、技術的な潮流によって、自分の仕事が無くなったりするのだ。
職人ではない。そのままでは、ちょっとテクノロジーを学んだ作業員である。多くのエンジニアこのレベルまでしかいかない。
エンジニア達が本来狙うのは職人の道ではない。千人に一人くらいは職人と呼べるエンジニアもいるだろう。年齢に関係なく技術のみで、価値を生み出せる人間だ。しかし、大部分は普通に会社組織の中で将来を過ごさなければならない。集団戦に寄与することで、食を得て、自分未来を作らなければならない。
組織に高いレベルで寄与する為には作業者ではだめだ。ビジネス全体を理解し、組織を理解し、自分の動きを決めるビジネスパーソンである必要がある。
日本人エンジニアと他国のエンジニアを比べた場合に、常に考えるのは、どうやって棲み分けるかという事だ。彼らと同じものを担っては、今より生活レベルが国家的に下がるか、仕事がなくなるかしかない。
どの様なエンジニア像なら、他国が担えない分野を背負えるのか。
どの様な企業体だったら、他の企業と違う位置を担えるのか。
その答えを考えた場合に、現状での結論は、集団戦で勝利することを全員で目指す事だろう。日本の多くの組織ですら、日本の強みを忘れた現在において、我々は集団戦に圧倒的な強さがあることを思い出させる事だろう。全メンバーそのことを理解し、他国のビジネスパーソンが目先の利得でフラフラ動いている間に、強靱な組織を作り上げ、組織の勝利によって全ての利得を掴む深みを知ることだろう。
一人一人のちょっとした自覚によって、ちょっとした認識の成熟によって、世界最強の組織は実現できる。他国の多くの企業と関わりを持つようになり、他国の企業の現状を深く認識するにつれ、この思いは強まっている。
最強の組織は優秀なリーダーによって作られるのではない。その組織に粛々と流れる認識によって実現されるのだ。言うほど楽でないことも理解しているが、理屈上実現出来ることも事実だ。
何よりも、日本の多くのビジネスマンが未来においても圧倒的な強さを持ち、全世界に貢献できる様に、文化という土台を創造したいのだ。