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四月から新たに二名のPM(プロジェクトマネージャー)が誕生し、総勢11チームの体制で、新しい年度を迎える。PMとして問われる責任は大きいが、それを背負いきり、ビジネスの世界での自由を謳歌して欲しい。
話は変わるが、先週中国のパートナーが建設していた本社ビルが完成したという事で竣工式に出席させて頂いた。場所は中国の杭州だ。一棟目が完成し、後に二棟目も建設するらしいが、全てが完成すると五千人体制で開発する環境が出来上がる。
竣工式には、名だたる日本企業が参列していた。中国政府の要人達も多く参加されていた。これだけのメンバーをよく集めたものだと思う。
五千人を収容する自社ビルを創業十年足らずで建てる手腕は敬服に値する。巨大なビルと、爆竹や花火を使った中国らしい派手な竣工式を見ながら、パートナー企業の歩みに想いをめぐらす。
恐らく、日本をマーケットと定め設立された中国のIT企業は星の数ほどあっただろう。中国の人的資源を背景とし、また漢字文化という共通点を活かした日本語対応力の高さを武器とし日本市場を狙うのは当然の流れだ。
しかし、新しいビジネスモデルが簡単に成立する訳もなく、草創期には失敗の事例が量産された。その経験からか海外の方と連携し開発することを嫌うエンジニアは非常に多い。
泡沫の様に多くのIT系企業が消えていったことは想像に難くない。その中で、中国のパートナーがここまで漕ぎ着けたのは、時代背景や運が良かった訳ではなく、あくまでも企業力による。企業の手腕による。
儲かりそうな分野、伸びそうな市場には多くの企業が殺到する。その全ての財布を満たすことは不可能なので、他社を圧倒する手腕が必要となる。その手腕を持った企業だけが、生き残り時代背景を利して伸び上がる。
逆に競争が少ない分野であれば、その事業モデルを周知させる為の手腕が必要である。イメージ出来ない物に、人間はお金を出さない。周知されていない商品、周知されていないサービスでは、使用している姿をクライアントはイメージ出来ない。その状況下で購買意欲を湧き上がらせる手腕が必要になる。
儲かりそうなアイディアを得意げに披露する素人もいるが、アイディアなどはどこまで作り込んでいようが、所詮アイディアに過ぎない。実行する手腕とセットでなければ、ビジネスの成否や、価値を語ることは出来ない。
運やタイミングは利することは出来るが、勝ち残るにはいずれにしろ手腕が必要なのだ。
中国のパートナーも、日本のSIerとの区別化に成功し、同じ中国のSIerとの競争の中でビジネスモデルを作り込み、人材を育て今に至ったのだと思う。
私が中国で目にした物は、巨大なビルディングではない。執着心を持ち、工夫を繰り返し、多くの危機や苦痛を乗り越え、仲間達の力を結集して他社を圧倒し成功を収めた人達の歴史と想念が凝縮した塊を見たのだ。
まだまだ中国のパートナーもこれから伸び上がるには多くの課題を克服しなければならないだろう。逆にその課題が無いのなら、我々が手を組む余地も無い。また、既に巨大になりすぎ、アグレッシブにビジネスを仕掛けないのなら、やはり我々は手を組めない。
HWSも来期は全く別の姿の企業へと変貌を遂げさせるつもりだ。我々も、自身の繁栄と成功を持ってして、自分たちの想いを世に示さなければならない。その為には尋常一様な企業像に落ち着くわけにはいかない。強烈な個性、圧倒的な手腕を持ってして、他社が真似できない存在へと進むのだ。
そのお互いの前進の中で、必然としてパートナーシップが組める仲間達の輪を世界に広められたら幸せである。
前項にて、HWSのリーダー達が背負う重責について書いた。重責に堪えることは、ある意味覚悟があれば可能かもしれない。この項では、更にHWSのリーダー達に求めている事を書きたい。
HWSの仕組みでは、事業部ごとに収益を比較される。その収益によって、収入も変われば、会社内での評価も決まる。収益の責任は全てリーダーを中心に事業部で背負う事になる。
このシビアさや、ストレスについて私自身頻繁に書く。そのストレスに向かうリーダー達への激励を常に込めている。今回は更に進めた話をしたい。
収益に対しての重責により、多くの事業部制、カンパニー制を導入する企業ではセクショナリズムが横行している。自事業部に責任がなければ、社内であっても他事業部に協力しなかったり、事業の敗因を他チームに押しつけ合ったりと言う話はよく聞く。
責任感の面では、個人の感覚は進むのかもしれないが、運命共同体である企業の仲間達の信頼や連携具合が促進しないのは大きなロスだ。そのままでは良い制度とは言えないだろう。
人間的に見てもセクショナリズムに囚われるのは小さい度量に感じられ、事業も個人も成長するように思えない。企業には人格がある。企業の人格を司るのは社長の発言ではない。全メンバーの普段の行動に込められた、人格や意志の集合が社格となる。
HWSの各事業部のリーダーには、経営者と同等の裁量権と、責任を付与するのが、近未来的な理想である。しかし、その結果、自己の利益しか考えられない小物を量産するのなら、本末転倒だ。人材育成に至らない。多くの人を巻き込み、社会的に価値のあるビジネスを展開出来る人間にはならないだろう。HWS自体も、提唱する理想を達成することは無理だ。
HWSのリーダーに、更に要求するのは「大らかさ」だ。その「大らかさ」が示す、人間としての度量や器だ。
例えば、一旦問題が起これば、事業部の壁を越えて、共闘し問題を乗りきる。この時に「自チームの利益が・・・」とかは一時的に横に置き、自社に最大な利益をもたらす動きをする大らかさだ。
例えば、メンバーの育成を考えた時に、自チームの収益より、個人の成長を優先させる。もし、他チームにメンバーが移ることが最良なら、それも致し方ない。そんな度量を見せて欲しい。(ただし、最も人が育つ環境は自チームであるという思い入れは常に持って欲しい)
例えば、自チームの収益は徹底してこだわり、最大の収益を目指すが、他のチームには時に寛容な態度を示す。
例えば、どのチームにも受け入れられないメンバーがいたとする。他のリーダーが育成を放棄したメンバーがいる。彼を育てる事は自分にしか出来ない使命だと決め、育成に乗り出す。
これらはほとんど目先の利益には繋がらない。ヒモづけて将来の収益をイメージすることも出来ない。それでも、その行為はリーダーの人格や、信頼を間違いなく創り上げる。目に見えない感謝を生み、自分の行為に対する自信を育み、人間としての器を作り続ける。
その道は、刹那的に見れば楽ではない。お得でもない。何もしないよりも抱え込む物は多い。しかし、そもそも、大変さを厭うならHWSに集まるべきではない。自己の成長、真のやり甲斐、未来への挑戦を指向するから、他ではなくHWSなのだ。
多くの大変さを背負い、ビジネススキルなどだけでは語り尽くせない人間としての大きさを手に入れ、その器をもって、事業家として、エンジニアとしての道を極めて欲しいのだ。
本人が気づいていない失敗に対しては全力で叱り、本人が十分に反省しているのなら、大らかに受け止め、リーダーが全責任を負う。そんな度量の大きさを常に発揮して欲しい。当初は良きリーダーであろうと言う演技で良いのだ。その演技を十年続ければ、空虚の器は、はち切れんばかりに満たされ、裏も表も無い真のリーダーがそこにいるはずだ。
ビジネスマンとして徹底して収益やリスクにはこだわって欲しい。これをないがしろにする人間にビジネスを語る資格はない。そのシビアさを理解しているのに「大らかさ」を常に発揮するから価値があるのだ。
HWSのリーダー達は、最初にこの収益における重圧をとことん背負わなければならない。その重責の中で、平常時であれば「良い人」でいられた自分と、重責の中で人の事も思いやれない自分との狭間で、苦しまなければならない。
その葛藤の先にある、多くの仲間が信頼と期待を寄せる真のリーダー像を体現して欲しい。
これから、HWSに集う未来の仲間達にもメッセージを伝えたい。
HWSの挑戦は、生涯自力で食を得られる様な社会から求められる人材へと、既存のエンジニア達を昇華させる事だ。この試みに全力を捧げる。しかし、この道は平坦ではない。会社が何とかしてあげられるものではない。
多くのエンジニアが革新するために、必要な環境をHWSも全力で創り上げる。だが、その環境を使い多くの苦しみを乗り越え、新しい姿に変わるのは君達自身だ。
君達を会社の収益の為だけの道具にもしない。
一旦、HWSに集ったら、君達は「社員」ではない。「盟友」だ。「仲間」なのだ。
綺麗事を綴っているのではない。本気で、日本のエンジニア達が生涯幸せにビジネスを追求出来る道を我々は狙う。あくまでも「本気」だ。
自ら進んで、こんな会社に来る勇気があるなら、集ってくれ。俺たちは利害ではなく、理想によって集っている。君達が本気で全てをかけられるオープンでフェアな環境であることは約束する。得もさせないが、損もさせない。君達の力通りの未来を約束する。
世界最強の組織を実現し、経済史にHWSの名前を刻み込むまで、我々の挑戦は続く。君たちはITスキルとビジネススキルを武器に、多くの人の先頭に立ち事業に挑んで欲しい。その時の君たちの姿は、クールなビジネスマンではなく、ハートフルで大らかな、度量溢れるリーダーであるだろう。

HWSには、現在9チームの事業部がある。兼ねてからブログでもお伝えしているように、各チームリーダーには経営者に近い決裁権を預け、経営的なバランスを取れる人材として育て上げるのが目的だ。
自由な裁量権を得るためには、相応の収益に対する責任を背負わなければならない。これは、通常のサラリーマンであれば、あるいは一生涯自覚しなくて良い重みである。このストレスを日常とし、普通にビジネスに当たれる様に各リーダーが仕上がってくれればと願う。
私自身は、二十年のビジネス人生の中で、常人であれば耐えられないであろう状態を何度もくぐり抜けて来た。少しずつ増える重責に耐え続けることにより耐性が上がり、不意な苦況に対しても理性的に臨めたのだろう。耐性は、素材による上下も当然あるだろうが、後天的に鍛えられる部分が大きい。
もう十年も前になるだろうか。年末のNHKの番組で、カルロス・ゴーン氏へのインタビューが放映されていた。
うろ覚えで恐縮だが、あらましは以下の内容だと記憶している。
ゴーン氏が発言した「これからは大きな変化の時代です。従来の感覚を捨て、リスクや挑戦を当たり前としてとらえ、ビジネスに当たらなければなりません。」と言う内容に対して、インタビュアーが「我々の様なサラリーマンは、今まで変化やリスクに対応して生きてきませんでした。どうすれば、その様な変化を受け止めて行けるのでしょうか。」と聞き返した。
ゴーン氏は、簡単に言えば「慣れます。」と答えていた。その様な状況に早くから身を浸せば、それが当たり前になり、自然に受け止める様になると言う内容を発言していた様に記憶している。シンプルだが、真理だろう。私も同意だ。
会社に守られ作業だけに没頭できた従来のサラリーマンを、ぬるま湯から引きずりだし、現実の世界に放り込めば無事では済むまい。しかし、傷つきながら耐性を上げ、未来に生き残る人材へと一人ずつ変わって行けるはずだ。ただし、時間はかかる。
人間は心が弱るとマイナスな方向に意識が行く。以前にも書いたが、現状にはプラスもマイナスも無い。現状を利して自分の想いを果たすのがビジネスだ。
HWSが採っている制度は、見方によってはマイナス面もある。例えば、HWS程度の規模であれば、ワンマンに全ての決裁を預けた方が、スピードやダイナミックさを確保し続けるには有利だ。現状では会社の制度も、ほぼPM会議で決定し、マーケティング戦略や指向するビジネスモデルも各チームに大枠は任せている。会社としての理念、理想に合致しているなら、口出しも一切しない。ワンマン経営と比べ、現状では体制的に劣る。
今の規模で最も力を発揮するには、PMが予算を自由に出来る制度など廃止し、私が一切を握り、私の提唱する戦略や方向に全員が協力するような体制が良い。スピード感もあり、ベンチャーらしいダイナミックさもあり、経営資源も有効に一極化出来て、一般的に言う「良いベンチャー」の姿をとれるだろう。
しかし、一般的に言う「良いベンチャー」を超えた所に私の理想はある。また、今の規模での最良の策や、今の規模を前提としたビジネスモデルなど、正直なところ眼中に無い。
HWSが尋常ではない人材を輩出し続けるには、どの様な文化を育てなければならないのか。グローバルIT企業として、何のバックボーンも無かったHWSが、世界へと伸び上がるにはどうすれば良いのか。日本のIT業界に変革をもたらし、日本中のエンジニア達の見本となるには何が必要なのか。これらを達成する為に、現状の大変さや、社会からの評価はある意味無視して、未来に向かっている。
現在のHWSの取り組みは、通常の組織や社会人としてのあり方に慣れたサラリーマン達には多くのストレスをもたらすだろう。産みの苦しみではあるが、その中で心が弱った人間は、マイナスに目を向ける。
例えば、自由な裁量権が有ることよりも、サラリーマン的な感覚のままだと、のし掛かるストレスに意識が行く。そのプレッシャーから逃れる正当化として、この様な考えに行き着く。
・この制度では、責任が大きくなって、みんなチャレンジしなくなる。
・この制度では、会社が大きな予算を組んで、大がかりな事業に投資できなくなる。ベンチャーとして、間違っている。
などなど。
一理ある。ある瞬間を切り取れば正論かもしれない。前述したが、今の規模、普通の良い感じのベンチャーを指向するなら、もっとワンマンなスタイルにHWSを作り込んだ方が良い。自分で言うのもなんだが、リーダーシップを発揮しワンマンに経営することは苦手ではない。その道も、近未来的な収益だけ追うならありだ。
しかし、私は人を育てたい。自分の辿った道を見返すと、何の予算も組めないまま、知恵と精神と肉体を使い、常にビジネスを立ち上げて来た。金は無いなら無いなりに工夫が生まれ、それが独自の文化を創り上げる。最初から資金を投入して出来るモデルなど、どこも似たりよったりだ。資金が無ければ出来ないビジネスなど、本気とは思えない。資金の有無や、現況での社会的抵抗などに抗い、志を果たしてこそベンチャーだ。
HWSも、予算もなく、社会的信用も無い中で、ある物を使いまくって急成長を実現している。逆に資金が潤沢にあったら、今の成長は実現されなかったと思う。何も無いから、強い意志と、膨大なエネルギーが生まれたのだ。
私のスタイルがそうであったように、今のHWSのリーダー達にも同じ様な経験をさせたい。資金に飢え、信用に飢え、人材に飢え、何も無い中を意志の力だけで、事業を立ち上げ、回していく経験をさせたい。その飢えが、リーダー達の基本的なスタンスを作り、その飢えがいつか自力で満たされた時に爆発的に事業を躍進させられるのだと確信している。これは、私の経験から来る育成方針の結論だ。
初期は、サラリーマン的な一般論から脱却出来ず、苦労の連続だろう。本来事業家として持たなければならない常識を受け入れることも出来ず、心が逃げまどう事もあるはずだ。それでも、それも含めて己の糧だ。その糧を得て、常人有らざるリーダーとして、世に名乗りを上げて欲しい。素晴らしい事業を立ち上げ運営し、後発のエンジニア達に新たな道を示して欲しい。
HWSが創り上げるリーダー像は、大きくなった責任でチャレンジが出来なくなる人間ではない。大きくなった責任を正面から受け止め、それでもチャレンジし続けられる、手腕と精神力を持った姿だ。
HWSが創り上げるリーダー像は、会社が大きな予算を組み保護しなくても、自力で走りながら全てを調達し、自分の熱と力により周りを巻き込み事業を構築してしまうタフでパワフルな姿だ。
これらのリーダーを輩出し、エンジニア達のあり方を変え、世にうったえてこそHWSなのだ。
二十年間ビジネスの前線で奔走し、最後にHWSを創業し、未来に向かう私の視点は、現状のエンジニア達より多少は高いだろう。私が見ている風景を、多くの仲間達と共有する為には、まだまだ時間が必要だ。彼らに、私が味わった苦渋も与えなければならない。私が味わった克己の戦いも乗り越えなければ駄目だ。
今、HWSのリーダー達は、既存のサラリーマンから、新たな姿へと変化に向かう狭間にいる。その狭間で過去に引き返すか、未開の地へ向かうかが問われ続けるだろう。
狭間を乗り越え、日本の、いや世界のエンジニア達の起源となる、亜種達の登場をHWSの内に期待している。
今回で100項目を迎える。一年かけてここまで書いたが、書き足りないので、このまま何事も無かったように続けて行こうと思う。
実はこのブログには「感想メールを送る」と言う機能が付いている。せっかく100項も超えるので、少し切り口も変えたい。この機能から、何か相談や質問があれば寄せて欲しい。良い内容があれば、ブログで取り上げさせて頂きたい。
以上はお願い。ここから本題に入る。
私が過去を振り返った時に、何度が歯を食いしばって、意気地を見せた時がある。それは、大きなトラブルの責任を一人で引き受ける事だったり、合法的に得ることも可能な巨大な利得を見送る事だったりする。
ビジネスの世界では空元気、空意地を張らなければならない時が頻繁にある。リーダーシップを取る立場にあれば、その頻度は更に多い。
リーダーたる者は自分の発言はいつもプラスな単語で固めなければならない。雨が降っても、雪が降っても、「良い天気だ」と言い続けなければ駄目だ。忙しい人間ほど、笑いながら「いやー、余裕ですよ」と言うべきだ。
体調は常に絶好調で、元気が余ってしかたがない。こんな姿を見せ続ける義務がリーダーにはある。空の状態でも、元気を見せ続ける義務がある。
部下が使える使えないとか、育つ育たないと言う前に、リーダーは自分自身が適切な態度をとっているか振り返る必要がある。ネガティブな発言をして、チームの士気を落としていないか。「大変だ、大変だ。」と言って、不必要にプロジェクトが上手く行かないような意識をメンバーに植え込んでいなか。
リーダーの影響力は自分が思っているよりも大きい。チームの士気、雰囲気にダイレクトに影響を与える。リーダーが無能ならチームは腐る。一匹の狼に率いられた羊の群れは、一匹の羊に率いられた狼の群れに勝る。それだけ、リーダーの存在価値は大きい。
チームのメンバーは自分の鏡だ。リーダーが腐れば、組織は自然と瓦解する。リーダーが間違った態度を取れば、組織に不平不満は蔓延する。リーダーが無能なら、メンバー達は「こんなもんでもリーダーになれるのか」と言う侮りと、こんな無能な奴が俺より何で良いポジションにいるんだという不満を生む。
リーダーの立場とは、常にこの様な重責を受け止め全うしなければならない。
一度リーダーとしての立場についたら、自分の実務力を褒められても、喜んでいる場合ではない。リーダーが喜ぶべきは部下の成長や部下の実績を褒められた時だ。そもそも、実務力はあるので、リーダーの立場にいるのだ。その部分で褒めてもらっても、それは当然だ。
最初からリーダーシップがとれる天性のリーダーなどいない。多くの人間は自分に甘い。自分への評価も甘いし、物事も自分に都合良く考えてしまう。一度自分のあり方を振り返った方が良い。そして、自分の態度にネガティブなものがないか、部下の志気を下げる言動はないか、確認すべきだ。その作業を積み重ね、自分としてのリーダーのあり方を確立するのだ。
リーダーとしてのあり方を確立する為に、最初は空っぽな自分の中身を埋めていかなければならない。空っぽな自分の中身を埋めていく過程で、空元気や空意地が必要なのだ。いずれ、中身がそれについてくるはずだ。リーダーとしての姿を、歯を食いしばりながら演じる事によって、最速で中身も満たされるのだ。
だから、時には腹立たしい事も自分の腹に呑まなければならない。その手柄を自分の手柄にしたいところを、意地を張って部下の手柄にしてあげなければ駄目だ。部下の失敗も、教育はするにしろ自分の失敗だと上司には報告し、一緒にその穴埋めに奔走しなければならない。部下のせいにしたい気持ちをグッと抑えなければならないのだ。グレーゾーンにある、手柄や失敗は全て部下の良いように処理してあげるのだ。その時に自分の性能に自信があり、誇りがある人ほど意識して意地を張らねば駄目だ。
HWSのリーダー達を見てみると、素材的には素晴らしいし、技術力などは高いメンバーがそろっている。組織の構成員としては一級品だろう。しかし、リーダーへと進化する為の、ビジネススキル、リーダーとしての気概などは、まだまだ足りない。
これは頭の良さや要領の良さの問題ではない。どこまで意地を張れるかの問題なのだ。
リーダーには天性の才能でなるわけではない。一流のビジネスマンになるためには、頭の良さだけでは十分ではない。意地を張り続け、空っぽの器を満たし、良きリーダー、良きビジネスマンへと昇華することを、若い皆さんに伝え100項目の結びとしたい。

ベンチャーであるHWSは、常にチャレンジャーでなければならない。これも、言うは易しだが、実行は難しだ。事実、多くのベンチャー企業を見てみても、チャレンジャーで居続けられるのは、ごく僅かだろう。
経営を上手くやろうとしたら、チャレンジャーでいることは不可能だ。しかし、潰れない程度にバランスをとりながら、ギリギリまでチャレンジしなくては、尋常ではない未来は作れない。市況が良い時に、それなりの業績を上げるのに、大した実力はいらない。市況が傾いても他社との区別化を明確にし、企業価値を本質的に作るには、チャレンジの末に他社が真似できない境地に到達しなければならない。
意識した無謀さを身にまとってこそベンチャーだ。チャレンジャーなのだ。
企業内がチャレンジャーである為には、基本的に加点主義で評価をしなければ駄目だ。何も仕掛けず、今の仕事を守っていては、会社としては一時的に良いが、人を伸ばすことが出来ない。いずれ人も企業もじり貧となる。
加点主義で行くためには、多少の失敗には目をつぶらなくてはならない。しかし、無責任にチャレンジを繰り返しては、成る物も成らないし、間違った感性を担当者が身につけ、人材として駄目になってしまう。
この時に必要な暗黙のルールがいくつかある。
先ず、主体者としてチャレンジする人間は、全ての責任を負う覚悟で挑むということ。よくテレビなどで、不祥事が起こったり、成績不振で役職を辞任する光景を目にする。一般企業でも、「責任を取って退職します。」という人もいる。しかし、私から言わせてもらえれば、無責任極まりない。反省すら放棄し、ふてぶてしく開き直っている態度にしか見えない。損害を与えたまま、姿をくらましたら迷惑でしかないではないか。辞めさせられるのは仕方がないとして、自分から辞めて責任を取るという考え方は筋違いも甚だしい。
正しい態度は、失敗して損害を与えたなら、次に成功して取り返すと言うものだ。この責任から逃れる道はない。成果を出し、仲間に報いるまでやり続けるのだ。
このスタンスを固めている事が、チャレンジする為の最低限の資格だ。
逆にチャレンジを見守る立場にある他のメンバーは、成否は色々あるとしても、このスタンスをチャレンジャーが理解しているかどうかをチェックしなければならない。スタンスがずれていないのに失敗したのなら、その担当者はその後に身体を張ってでも、穴を埋めるだろう。企業にとって常に必要なチャレンジをしてくれている訳だから、頑張って支えるのみだ。
この暗黙の信頼関係があり、初めてチャレンジャーでいながら、リスクに対する正しい感覚が育まれた人材が育つのだ。チャレンジは勇気を振り絞って、敢行するものだ。最初から、怖くないのは鈍感なのか、無責任なのかどちらかだ。重責を感じ、なおかつチャレンジするには強靱な精神が必要なのだ。
また、常にチャレンジャーでありたいと思う人に、実体験に基づくアドバイスがある。精神と体力を極限まで使うチャレンジは、軟弱な肉体で耐えられるものではない。あらゆる言い訳を廃し、常に仕事場に身を置かなければならない。まあ、単純な話、休むなということだ。
休日は好きに休んで良い。これに一切の規制はない。仕事のある時に、会社を休んだり遅刻したりしては駄目だ。
人間なので、健康上どうしようもない日が有ることは分かっている。それでも出社しろという訳ではないが、休まず遅刻せず、何年も仕事に打ち込んで行く姿なしに、信頼を勝ち取ることは難しい。
成功が確約されていないからチャレンジなのだ。組織の中で、そのチャレンジの承認を得るためには、普段からの行動で語るしかない。何かやりたいことが出来た時に、「俺を信じてチャレンジさせてくれ。」と言っても無意味だ。チャレンジを許される人間かどうかは、普段からの態度によって既に決まっている。
仕事上のパフォーマンスを出すのも必要だが、ここで問題になるのは性能と同時に人格だ。人格が信用に足るので、不確定なチャレンジを行っても、こいつは最期には会社の為に何らかのプラスを放り込んでくれると確信出来るのだ。
そもそも、HWSはゼロから始まった企業だ。無から有を作り出すためには、チャレンジ以外の方法はない。多くのベンチャー企業も、発祥は同様であろう。その風土を規模の拡大に伴って無くさない組織を我々は実現したいのだ。
HWSが求めるのは、日本の未来を創り上げることだ。その為の一端を担うことだ。既存の社会構造の端っこを喰わしてもらって、生計を立てよと作った企業ではない。
だから、規模の拡大に左右されず我々はチャレンジャーでいることを、ここに宣言する。チャレンジすることが賞賛され、チャレンジがもたらす重責を強い意志によって背負いきる人材を無尽蔵に世に輩出する組織であり続けるのだ。
そのチャレンジの結果として、日本を背負う新しい産業を生み出し、テクノロジーを武器にした、技術立国日本を支える人材層を確立する。
先日、メンバーの一人が朝日新聞(be on Saturday)に掲載されたインドの特集記事を持ってきた。中心には、インドでベスト3に入るIT企業インフォシス・テクノロジーズの記事があった。特に創業者のナラヤナ・ムルティ氏へのインタビューを中心に構成されていた。
語られていたのは、事業の戦略や内容ではない。企業の信念についてである。
インフォシスは1999年に、インド企業で初めて米ナスダックに上場した。欧米からの開発を請け負って、急成長を実現した世界的IT企業だ。その実力は、今更私が語る必要もない。従業員数も8万人近い。
私自身、インドのIT企業は、大中小と何社も訪問した。元々財閥系資本を母体として作られた会社が多く、投機的な目的から創業された会社がほとんどだった。だから、ムルティ氏の思想は、決してインドのスタンダードではない。
ムルティ氏個人がそれなりに豊かな生活をするためには、海外でエンジニアとして活躍すれば十分だっただろう。欧米でビジネスを進めず、インドにおいて起業した動機を、氏はこう語っている。
インドに必要なのは「富の分配」より先に「富の創出」だ。
貧困という巨大な問題を抱えるインド。これを解消する為に国家的に社会主義に傾倒した時期があったらしい。しかし、分配する富がなければ、物理的に貧困は解決出来ない。世界と戦い、インドに富を呼び込む産業を創る為に、同氏はITの道を進んだのだ。
根本的な動機は、「面白い仕事をやりたいから」でも「大儲けしたいから」でもない。彼の中にあるのは、社会を背負う使命感だ。個人の充足よりも、使命への挑戦にエネルギーを傾けられる価値観、人格を感じる。僭越だが、私の求めている姿と非常に近い。
ムルティ氏にとって富とは何かという問いに対して、氏はこう答えている。
豊かなインドを実現するには、機会に恵まれた人間が、そうではない大勢の人間の生活向上のために必死で働くしかないのです。車も家も洋服も、しょせん1人が消費できる量には限りがある。富は大勢の他者とわかち合ってこそ、本来の力を発揮するのです。(ムルティ氏談)
社会のあり方、人間としての正しい生き方について、確固たる信念を持たれているのだと思う。内容はシンプルだが、一言一言に意志が込められている。一貫した主張に、ムルティ氏の深みが見え隠れする。
また、ムルティ氏が理想だけを訴える存在ではなく、理想を実現する為にシビアな戦いに身を投じられるリアリストであることは、インフォシスの成功を見れば明らかだ。インドが規制緩和の中で、多くの外資系企業を迎え入れた時に、倒産したIT企業は無数にあったはずだ。欧米の企業がインドに乗り込み、優秀な人材を資本にものを言わせかき集めた時に、インフォシスのその後の発展を予測した人はほとんどいなかったろう。
外資規制の緩和に対しての質問に、氏はこう答えている。
母国で彼らと戦えずに、どうして世界で勝負できるのでしょうか。見劣りしない給与を準備し、会社の設備を充実させ、インド初の従業員ストックオプションも導入しました。最初の10年の成長率は12倍。92年(筆者注:91年インドは外資へ規制緩和)からの16年間は2700倍です。私たちは競争で磨かれたのです。(ムルティ氏談)
資本主義のシビアさ、企業として本来持たなければならない覚悟をよく理解されている。競争は避けるものではなく、自組織を鍛える為に必要なプロセスなのだ。崇高な思想と、それを具現化する辣腕さを兼ね備えた希有な経営者である。
今まで、多くの経営者にお会いしてきた。経営者が書いた本も色々読んだ。しかし、ムルティ氏ほど、高い視点から使命を語る経営者は少ない。国を支えるため、国家を根幹から再構築するため、多くの国民の幸せにすることを、自社の存在意義とし、そのミッションの達成の為に事業がある。また、深い思慮から生まれた主張を、明朗に伝える術を彼は持っている。
人材を資源とし成長を実現するしかないソフト業界において、インフォシスが発展出来たのも、人を惹き付ける理想や戦略を明確に一貫して伝え続けたからだろう。
私がHWSを立ち上げたのは、未来に対する危機感からだ。
インドと事情は違うが、日本には日本の問題がある。平和で豊かな時代を重ねる中で、タフさも情熱もない社会人が量産されている。思想を研がなくても、日本にいるだけで日々の食を得られる若者達は、延々と時間を浪費している。
世界中では、国家の未来を憂い、同胞達の食を憂い、日々激務や学問に身を投じている若者が山ほどいる。本来、大人なら政治や経済や、国家の未来について意見をもっていてしかるべきだ。「生きる」というテーマが、日本においてはテーブルに乗らない。意志を持って生きなくても、先代達の努力により豊かな日本が実現されているからだ。しかし、この社会は今の若い奴らが作ったわけじゃない。我々の層は過去の遺産を食いつぶしているような状態だ。
日々膨らむ国家の借金額に危機を持たなかったとしたら馬鹿だ。
死ぬ気で学問に没頭し、激務に投じるアジアの若者達を見て、安穏としていられるなら、君達はおかしい。
食料自給率が40%を切っていく中で、世界に売るべき産業について、真剣に考えたことが無いとしたら、あまりも幼稚だ。
日本の若者達も大人にならなければ駄目だ。年齢を重ねれば大人になるわけではない。大事な事は何かを理解し、それに対して真剣に相対して初めて大人と言える。
私が大人になった時に、今の日本に対して大きな危機を感じた。消えゆく主力産業の競争力、ハイテク立国日本を支える技術者の衰退。本質的に国民が劣化し、世界的競争力を失っていく様を感じずにはいられない。
その国家を支えるべき新しいIT企業群が、蓄財や投資に走り、本来の産業構築と言う使命を捨て迷走する昨今のあり方に疑問を呈したかった。エンジニアを消耗品の様に扱い、収益を得てはいけない。そんな企業が売っているのは、従業員の労働時間ではなく、日本の未来だ。一種の国賊だ。自分の首すら、知らずの内に締めている。
不満や愚痴を並べ立てたところで、何もやらなければ同じだ。だから、成否は未来に任せ、日本のIT業界を変え、エンジニアのあり方を変え、未来の日本の競争力を根底から我々は作りにかかる。
私自身、金儲けには全く興味がない。事業資金として、企業内にガンガンお金がたまることには大変興味がある。私個人が贅沢するお金など、限界がある。また、贅沢をしたいとも思わない。
私が残りの人生をかけ、燃えられるとしたら、未来の日本を創るという使命感だろう。泡沫の様なHWSが、日本経済に名乗りを上げ、世界と戦える企業として成長することだろう。その成功をもって、新しい日本独自のエンジニアのあり方を作り上げたい。多くの若者達が、日本の主力産業であるハイテクの分野に喜んで歩みを進める構造を作り上げるのだ。この為なら全てをかけられる。燃えられる。
ムルティ氏のあり方には、非常に希望を頂いた。誰にも知られていなかった小企業が、その信念により、他社との区別化を実現し、国を支える組織となっている。我々HWSが、現時点で圧倒的に自信があるのは、この信念だけだ。崇高な使命だけだ。
私を含めた全メンバーもまだまだ未熟だ。実戦の中で鍛え続けなければならない。しかし、今の規模や、技術力などは問題ではない。足りない物は、自給自足しながら補って行けばよい。大事なのは一貫して、まっすぐと理想に突き進むことだ。その理想を訴え続けることなのだ。
若者よ、哲学を持とう。哲学の発露が、自分が生涯を費やすビジネスなのだよ。
自分の人生をかけるに足る使命を探そう。君の人生は何かを成し遂げる為にあるのだ。時間を切り売りして、日々の食を得るだけなら人間でなくてもできるじゃないか。
傍観せず、身を投じて、君達の未来を、いや日本の未来を創り上げて欲しい。
私はこのブログで、理想や夢についても多く語る。また、講演などでも経営者としての心意気を、情熱を込めて話す。「熱い経営者」として、認知されるのは嬉しいが、それは私の一面に過ぎない。
経営において、私は奇跡や運を期待しない。あくまでも、自分のコントロール下にある事象だけを積みあげて未来の成果を作る。予想外に良いことが起こる事も時たまあるが、その何倍も予想外のトラブルが起こる。プラスマイナスで言ったら、想定外の事はマイナスに分がある。
その意味では、私自身は徹底した現実主義者だと思っている。現実主義者でなければ、早期に事業を立ち上げたり、これだけ個性的な企業を正しい方向に導けるはずがない。HWSという特殊な企業が、夢だけを情熱的に語る人間に作れる組織かどうか、よく考えて欲しい。
先々の収益の予想については、常にシビアに見る。未知の事は大体マイナスに働く。楽天的に物事を考えず、常に最悪の状態を想定し、覚悟しながら動く。
だから、私にとって「夢」とはあくまでも現実の世界の話だ。現実として質感のあるものだから、熱がこもるのだ。その「夢」を語る為に、冒さなければならないリスクも、つぎ込むべき労力の量も知っている。その全てを覚悟し、理想を謳い続けている。
世の中には多くの間違った楽観主義が氾濫している。
楽観主義者の頭の構造を考える。
例えば、待ち合わせに五分遅刻するとする。この五分によって自分の信頼が無くなる可能性が20%、先方が寛容で大した問題にならず、軽く流してくれる可能性が80%としよう。
この様な場合に私であれば20%のリスクにフォーカスし、徹底して遅刻しないように努める。朝が早いのも、時間に正確なのも、この感覚が自分に染みこんでいるからだ。
しかし、間違った楽観主義者は80%に目を向ける。八割方問題にならないのだから、良いではないかという開き直りを持つ。しかし、この場合、パーセンテージの問題ではない。20%もリスクが有ることが大事なのだ。
昔、「ディア・ハンター」と言うベトナム戦争の映画を観た。もう二十数年も前の映画だったろうか。善良なアメリカ市民が、徴兵されベトナムによって大きく人生を狂わせて行く姿を描いた問題作だ。
映画の最期にロシアン・ルーレットをやるシーンがある。戦争による精神障害で、意識が混濁したかつての友人の記憶を呼び覚ますために、捕虜の時に余興でやらされたロシアン・ルーレットを友人同士で行うシーンが最後にあったと思う。かなり目頭が熱くなった覚えがある。
楽観主義者達を見ていると、このロシアン・ルーレットを喜々として行っている様に感じる。リボルバーに入っている弾丸は1/6だ。パーセンテージで言うと20%以下だ。しかし、この20%を引いたら、命が消し飛ぶのだ。80%は弾丸が発射されないから引き金を引けるという理屈は成り立たないはずだ。
即命にかかわる訳ではないので、多くの楽観主義者は80%を見る。実社会のロシアン・ルーレットにはタイムラグがある。ただし、確実に弾丸は発射されている。
日本中のエンジニア達を見てみる。技術だけに偏重し、それで生涯安定して生き抜ける人間はどのくらいいるだろう。膨大な負債を抱えている日本は、かつて無いほどのカントリーリスクも抱えている。その中で、会社に命じられるままの開発だけをやって、目の前の食を得ている姿は、まさにロシアン・ルーレットの射手として、引き金を引いている様だ。
就職をせずに、フリーターとして食を得ている若者達。国家の事も、社会の事も考えず、自分の興味だけで、楽しげな仕事に飛びつく学生達。自分の価値を上げる努力もせず、大きな存在に依存し安穏と生活している社会人。
引き金はすでに引かれていることに気が付かなければ駄目だ。
私には実弾でロシアン・ルーレットをやる勇気はない。ロシアン・ルーレットに興じる必要性もない。
だから、私は常に現実主義者でありたい。20%のリスクに常に目を向けるのだ。
最期に
ロシアン・ルーレットをやるなら、自覚してやるべきだ。世の中はリスクを冒してでも歩みを進めなければならない時もある。いつの間にかロシアン・ルーレットをやらされているとしたら、あなたは馬鹿か異常かどちらかだ。ロシアン・ルーレットをやるなら、意識して自らの意志で行うのだ。リスクを冒す代わりに手に出来る未来も担保してから、ゲームに入るべきだ。
正常な人間としてのリスクに対する感覚を養わなければ駄目だ。ビジネスの世界の先輩として若い方々にアドバイスがある。真のポジティブさとは、楽観主義者の事ではない。悲観する必要もない。徹底した現実主義であればよい。
今ある状態を正しく認識し、それに対して感情の上下はいらない。感情を上下させても、現状は変わらない。正しい認識をベースに、必要な動きをするだけだ。
リアルであることから、逃げないで欲しい。楽観は一種の逃避だ。心が弱い事を前提にした逃避なのだ。若い君達は強い心を育て上げなければいけない。強い心があれば、楽観をする必要はない。厳しい現実を受け入れるだけで良い。その現実と戦う覚悟と忍耐があれば良いのだ。
ビジネスマンとして真に完成されたポジティブなあり方を、自分自身の内側に作り上げて欲しい。