会長ブログ(株式会社ヘッドウォータース代表取締役:篠田庸介)

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2008年07月25日 15:35

勉強会締め切り迫る

九月から始まる日曜日の勉強会に多くの参加希望者からの申し込みがあった。最終的には四十人前後に絞る予定だ。今月いっぱいで締め切って出席者を確定する。興味ある方は、お早めに。次回は年末か年始くらいになるので、ちょっと時間が空く。

この勉強会は現在無料で開催している。レベル的には研修を主たる事業としている多くの企業様より高い自信はある。全て私自身が経営の前線で体感した事ばかりだ。実感を元に構成された、活きている内容しか伝えない。一般論はない。経営の前線に身を起き続けている人間だからこそ強い言葉で伝えられる事ばかりなので、内容を知っても容易に模倣は出来ない。

ただし、現在は無料だ。

また、多くのエンジニアが集うHWSでもあるので、どうすれば採用力を格段にアップするかの答も持っている。目先の採用技術ではなく、本質的にどう企業を作り込んでいけば、人が信頼と期待の中で集うのかの答を持っているのだ。これを、IT業界を進む、同胞たる他社様にもフルオープンで伝えたい。今のところ無料だ。

主たる事業でHWSは収益を上げる。勉強会や採用コンサル的な動きは、業界及び日本に対する貢献だと思っている。今のところ収益を上げるものだとは思っていない。しかし、その効果は、他の人材系の企業を遙かに超えたレベルに持っていこうと思う。

我々HWSが創りたいのは現在の収益ではない。IT業界の未来だ。日本が世界的な競争力を確保し、それを支えるエンジニア達が活き活きとビジネスに向かう未来だ。

この実現の為に必要な事は全てやる。既存の概念にも囚われない。上場が必要なら、全力で行う。無償の勉強会やコンサルテーションが、多くの同胞企業の一助となり、業界全体の繁栄とエンジニアの未来を実現出来るなら、それも良し。

現場現場でHWSの担当者達は、当然収益を確保し、それぞれのビジネスを繰り広げるのだが、大きな流れとしてHWSは定めた未来へと直進するのだ。

こんなスタンスでずっと来たので、独自の文化が育まれ、HWSという特異な集団を生み出したのだと思う。

企業活動とは文化を生み出す事だ。文化は、狙って創る物ではなく、何かを純粋に追い求めた後に、象られて行くのだと感じる。

もう、無償での勉強会をやり始めてから、十年以上になる。日本の未来を背負う人材を世に送り出そうと思い、収益を顧みず取り組んだ。多くの方から途中途中で、常識的なアドバイスも頂いた。

「料金を取らないとビジネスじゃないよ」
「損得を考えた方がいいんじゃない」

また、分かった様な同意も頂く。

「人のために、そう言う行為は大事ですよね」
「身体を張って人の為に頑張れるのは素晴らしいですよ」

ちょっと、私の志向しているものとニュアンスが違う。そんな軽い動機、思想性の薄い動機では十年以上も継続出来ない。目の前にある多額の収入を放棄出来ない。

自分の人生を燃やし尽くすと言うこと。

日本の未来を背負い、創り上げようと言う気概。

経験と思想の中で、自分のミッションを定め、出来ることに一つずつ取り組んだ結果が、この勉強会だ。だから、止める訳にはいかないし、多くの若者に何よりもこの意志を伝承したい。

こんな所をベースに二千名近くの若者を送り出した、勉強会だ。私が求める姿ではないが、講師としてのキャリアも同年代では屈指だろう。研修やセミナーの営業で弊社に営業に来る企業も多いが、私よりノウハウやキャリアを持っている担当は、ほぼいない。提案先を間違っている。

無償な分だけ、逆に無駄な時間にしたくない。出席者の時間も頂くが、私の時間もつぎ込むので、無償な上に成果がなければ馬鹿みたいだ。

だからこそ、逆に全力でこの研修には向かう。暑苦しいまでに、熱い研修なので覚悟して欲しい。

それでも、出席したい強者が門を叩くのを心から待っている。

2008年07月23日 12:49

自縛せよ

私がまだ27歳~28歳くらいの時だと思う。「篠田さんは何でそんな不自由な生き方をしているんですか?頑張り過ぎないで下さいね。」と辞めていく社員に心配された事がある。

私自身「リーダーとは、こうあるべきだ」「経営者とは○○でなければならない」「私はこう生きると決めている」などの、ある種の行動指針をいくつも持っている。気が付いたらこれらにがんじがらめに縛られて日々の生活を送っている。

この姿を指して、「肩の力を抜いて、リラックスして生きて下さい」となったのだろう。

まあ、基本的には余計なお世話だ。「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」と言うとこか。自分の才能や現状を無視し、大それたロマンを追うなら、リーダーとして、ビジネスパーソンとして、優秀である自分の姿を後天的に意志の力で作り込まなければならない。とても、リラックスして生きている状態で、現状を越えられるものではない。

そもそも、人生の選択が違う他人と比較する事自体がナンセンスだ。私が求めた未来には、当時の私の能力では進むことが出来ない。だから無理矢理にでも、自分の性能を上げるしかない。不自由な姿に見えて当然だし、望むところだ。

多くの人々がイメージする「自由」とは、「楽」である状態を指すのではないかと思う。仕事にも縛られず、人間関係にも縛られず、何もコミットせず、極力ノーストレスで生きる姿を指して「自由」と言っているのではないかと感じる。

私が志向する「自由」は違う。私にとって自由とは、現状の状態を指すのではなく、未来へと進む道を選ぶ自由を指す。どの様な生き方をするか、どの様な未来を創るかを思い通りに決める事を指し自由と呼んでいる。

その過程は、不自由で良い。自分自身を鍛え上げる過程が楽で自由なわけがない。自分自身の成長が無ければ、未来の自由はない。前提に成長が無いなら、出来そうな事しか選択出来ない。本質的に不自由な未来しか進めないのだ。

多くの社会人は未来の自由を放棄している。今の楽さを追求するあまりに、自分の人生を燃やしきる事を放棄しているのだ。

現状は不自由であればあるほど良い。自分が不自由さを感じる様に、自分の自由を奪ってやれば良い。その先にある、己の進化を信じるのだ。

進んで、リーダーシップを取れば良い。自らコミットし、リーダーシップを取れば言い訳は出来ない。逃げ道はない。リーダーとしての責務に縛られ、それを背負いきった成果を出すしかない。

会社内で、自分の出すべき成果は周りにコミットしまくれば良い。狙っている成果をカミングアウトすれば、途中で妥協は出来ない。その成果を出すまでは、自分を激務に追い込むしかない。自分の目標で、自分自身を縛り上げるのだ。

自分が惚れた会社に入社したら、退路を断って、その会社を勝たせれば良い。転職の自由も、職業選択の自由も一時的に捨ててしまえば良い。背水の陣の中で、自分のパフォーマンスを最大に発揮し、組織を勝たせる術を学べるだろう。結果として、自組織を勝たせた上で、ステップアップするのは良しだ。

若い皆さんに提言がある。

もう、楽を求めるのは止めよう。徹底して自分に負荷をかけよう。責務とコミットによって自分を縛り上げよう。

その先にある、本来の自由を追い求めてはどうか。

例えば、メジャーリーガーのイチロー選手は、色々なもので自分を縛っているはずだ。成果を出す責務に縛られているので、日々の食事、毎日の練習、自分の心のあり方なども不自由なはずだ。しかし、その結果としてメジャーリーガーとしての成功や、賞賛を目指せるのではないか。

例えば、大統領になって国を動かす立場に立ったとしたら自由などほとんど無いだろう。しかし、最終的に国を動かし、自分の重要度を実感し、責務によるストレスに苛まれながら達成感と充足感を得るのだろう。

君達に要求したい。君達がロマンを求め生きるなら要求したい。

自分の意志で、逃げるのを止めよ。自分の未来から、自分の可能性から逃げることを止めよ。管理職としての責務から逃げるのを止めよ。ビジネスパーソンとして求められる成果から逃げるのを止めよ。自分の意志で未来を語り、未来を決める事によって生じる「自己責任」から逃げるのを止めよ。

自らを自らの意志で縛り上げるのだ。他者に縛られるのではない、自らの自由意志で自分自身を縛り上げるのだ。

自縛せよ。自らの価値を信じ自縛せよ。

2008年07月16日 15:51

ノータイ

先ほど銀行関係の方とお話をしていると、最近では都市銀行も軒並みクールビズ対応で、ノーネクタイだと言う。昔はお堅い仕事の代表格だったのに、時代の流れを感じる。私も外からのお客様が来ない日は、ノーネクタイで過ごす日もある。大抵誰かしらと会うアポイントは入っているので、ネクタイを付けている日が多い。

二十代の頃はノーネクタイなど考えられなかった。社長でなかった時も、外に出れば会社の顔は自分であると意気込み奔走していたので、ビシッとした格好で信頼と期待をお客様に持ってもらいたかった。出来ることは何でもやった。

元々顔が若めに見られがちだったので、時にはワックスで髪の毛を上げて外見を老けさせてみたり、眼鏡をかけて年齢を分からなくしたりもした。結局は老けて見せるよりも、内面を磨く方が手っ取り早いし本質的にも正しいと言う結論には達した。経験と決意からくる自身と熱意、責任感みたいなものが一番相手に安心や信頼を与えるのだと悟った。

いずれにしろ、出来ることは何でもやろうと思った。だから、スーツとネクタイが無いと、仕事をしていても落ち着かない習性になってしまった。

大学を辞めて、仕事を始めた時からネクタイとスーツは自分にとって、仕事の象徴でもあった。一種の戦闘服みたいなものなので、ネクタイを締めた瞬間にスイッチが入り、戦闘モードに入る。この状態になれば、何時間激務が続こうが、ハードなネゴが立て続けて入ろうが問題ない。侍で言えば、日本刀の様な物かもしれない。

そのスーツとネクタイも少しずつ無くなろうとしている。感慨深い。

基本的にプライベートでは極限までラフな格好を好むし、手ぶらが良い。だから、クールビズへの流れは、個人的には好ましい。

エンジニアの世界では、いち早く私服での勤務が奨励されてきた。エンジニアは開発に没頭すれば良いので、外向きの出で立ちであるスーツはいらないだろうという判断だ。エンジニア達も楽な格好で開発した方が、作業がはかどると言う事で歓迎した。

基本的にクールビズの風潮には賛成だ。エコが叫ばれる昨今の時流に合致しているし、合理的だ。しかし、このエンジニアに対する扱いには、疑問を呈したい。

ビジネスの世界では自分の意識を外と内の両面に向けなければならない。8:2で外に意識を向ける方が多いだろう。

普段、エンジニアは自分の内側に入り、与えられた開発をこなす。自分が集中すれば「作業」は捗るので、内向きの集中力があれば優秀と言われる。

しかし、エンジニアが管理職となり経営陣としてステップを踏み、四十代、五十代も仕事を続けるなら、ビジネスパーソンとして強く求められるのは、自分の頭ではなく相手の頭の中に意識を向けることだ。

クライアントのニーズを読み、ネゴシエーションの流れを考え、部下のモチベーションをはかる為には、自分の内側ではなく、相手の意識に焦点を当てなければならないのだ。このセンスが多くのエンジニアは絶望的に枯渇している。天性の問題ではなく、仕事を始めてからずっと内向きに作業を続けた結果、ビジネスパーソンとしての修練が足りないからだ。

「私服などの自分の効率が上がる格好で作業をして良いよ」と言う流れは、エンジニアは内向きに意識を使えば良い作業員として生きて下さいと同義だろう。自分が楽だからと言って、この様な扱いに喜々とするから、エンジニアは舐められたままなのだ。文系出身者より遙かに低い生涯所得となっているのだ。

スーツを着る本来の目的は、相手に不快な思いをさせず信頼を勝ち取る事だ。私の場合は、自分自身の気合いもあるが、根本は目の前の相手の頭の中を良好な方向に持って行くための手段だ。

だから、社会的に私服での仕事が一般的になる中で、私もそうなっていくことには全く抵抗はない。手段が時代の流れに沿って変わるだけだ。大事なのは、本筋である事業をより強くすることだ。

誰も会わない日にノーネクタイなのも、私服なのも良い。それでマイナスな要因は無い。自分の気合いがやや減退か・・・。

ただ、ビジネスの主戦場では、ネクタイとスーツが必要な中で、あなた方は私服で良いですよと言われて喜んで欲しくない。誰かにビジネスの根幹も責任も任せ、与えられた作業に没頭するのは入社二三年に留めて欲しい。

「自分が楽」を追求するから、管理職として不適合な精神しか育たないのだ。自分の内にばかり意識を向けるから、会社という組織が見られないのだ。マネージメントも取れないし、地位に相対した責任感も育まれないのだ。

多くのエンジニア達にアドバイスしたい。「自分」から一度意識を切り離した方が良い。「自分」などは意識しなくても、それなりには自動的に大切にしているものだ。

自分が疲れた。
自分が辛い。
自分が儲けたい。
自分が出世したい。
自分が・・・

人間なので、最終的にこれらの欲求を持つことは否定しない。しかし、自分にしか意識がいかない人間が、管理職として手腕を発揮することもない。また、市場のニーズやクライアントの感情なども読めるようにならない。

相手がどうすれば喜ぶか。
相手がどうすれば気持ちよいのか。
相手をどうやって出世させるか
相手をどうやって儲けさせるか。
相手を・・・

この場合の「相手」は、クライアントでも上司でも、家族でも良い。大事なのは、自分の意識の中心を他人の頭の中に持って行くことだ。ここが、エンジニアからビジネスパーソンへと進化する為の要所である。

人前で話すのが恥ずかしいと言う感情がある。これは私もあるので、当然の心の動きだ。しかし、私なら自分の内側の感情は無視し、仲間達の感情や会社の未来へと意識を馳せる。相手の意識を中心に自然と動く。

朝、会社に入ってきた時にも大きな声で「おはよーっ!」と言う。大きな声を出すのも、意志と体力を使うし、気恥ずかしさもある。しかし、出社したての仲間達に少しでもエネルギーを注ぎ込み、オフィスに活気をつけられるなら、そんな自分の内にある感情は無視すべきだ。自分の意識はオフィスや、仲間の感情に向けるべきだ。

この辺りが、分かっていて実行できる人間と、分かっても実行できない人間に分かれる。しかし、意識を外に向けられないエンジニアに未来は無い。出来ないでは済まされないステージに、君達も上がる時が来る。一朝一夕には修正出来ない。

今からでも遅くない。自分の意識を常に相手に向ける様、日々鍛錬を積んで欲しい。自分が生涯ビジネスの前線で生き抜くために必要な事を想像して欲しい。HWSの存在価値は、エンジニアをビジネスパーソンへと昇華させる道筋を築き上げる事だ。君達が前進する為の援助は惜しまない。

2008年07月15日 13:40

経営会議

以前、「PM会議」と銘打って開催されていた会議が、「経営会議」と変名された。PMという役職が無くなり、チームを運営する11人は事業部長となった。会議名も経営会議の方が実体に伴っていて分かりやすいだろうと言う判断だ。

私が表に出る機会が多いので、ワンマンな印象を持たれる方が多い様だが、実際はそうでもない。会社の制度や目標なども協議の上、一致点を見つけ進めている。方向性が大幅にずれなければ、基本的には私主導ではなく、経営会議主導で会社の方向も決めて行くつもりだ。

ダイナミックに動く部分は、私の即断即決に任せてもらっているが、会社の制度など基礎を作り込む部分は全員の意志で決めている。会社の制度や戦略で不明な点があると、事業部長間ですぐにメールが飛び交い、落としどころが決まる。一致しない部分あれば経営会議で話し合う形だ。

私自身、ワンマンにリーダーシップを取って、組織を運営するのは得手不得手で言えば得意な方だが、HWSにおいてはあえて違うスタイルを通している。これは過去の失敗経験による。

私くらい不器用で失敗経験を持った経営者も多くはあるまい。現状の手腕には自信があるが、素材としては並以下であろう。その分、多くの失敗を経験出来た。

失敗によって、人間の地力は成長しない。失敗から学べる事は、次には同じ轍を踏まぬ様に前もって手当をすることだ。突破力は成功経験によってのみ培われる。その成功経験を得るまで耐え抜くしぶとさは失敗から学べる。

社長のワンマンでは組織が巨大化した時に問題が起こると、一般的に言われている。間違いではないが、実は相当な規模まで、ワンマンでも会社は回る。それで十分経営者も稼げるし、優良な企業となる。ただし、ワンマンを通した会社で、真に自立したビジネスマンが育つとは思えない。

社員が経営層として育つ環境を志向せず、一定の売上利益を確保するなら、ワンマンで経営した方が楽だし、組織も強い。全社員が社長のご機嫌を伺うので、気持ちも良いし、気を遣う必要もない。

人材育成を標榜する会社は多いが、どのレベルまで育成するつもりなのかは各企業の覚悟が問われる。

作業員として資格を取らせ、技術を学ばせる事に終始する人材育成もある。部長クラスの管理職として、会社の役に立つ人材になるまで必死に育てる会社もある。それぞれが人材育成だ。

作業員として育成するのか、優秀な部下として育てるのか、それともHWSの様に、自力で起業できるレベルまで育てようとチャレンジするのかは各企業の自由であり、何か正しいかはない。ただし、そのゴールを明確にせず人材育成を同じ様なイメージで謳うのは、やや乱暴な気がする。

ワンマン経営で一番多く作れられる人材は、やはり「作業者」だろう。管理職も結局は社長の意向を伺う事に注力し、市場よりも内部の眼を中心に考えるようになる。経営層を育てるには、経営に参画させる以外の手はない。

よって、創業期の急成長よりも、エンジニアを経営層として自立させる道を優先し、現状スタイルへとなったのだ。

これは過去の経験、失敗により学んだ事だ。

ただし、メンバーを経営に参画させればそれで良い訳ではない。自企業に留まる価値がなければ、経営に参画し性能が上がった順に離れて行くはずだ。目先のちょっとした小銭や、社長という肩書きに憧れて、小さい会社がポツポツと出てきても社会的な影響力は持てない。良い意味で徒党を組み、既存の巨大勢力に対抗し、新しい価値を世に生み出さなければベンチャーとは呼べない。小さい会社は大手の小間使いとしての存在価値しか持てない。

若い人材が、小さな見栄や小銭に流されず、大志を抱きビジネスに向かえるように、理想や思想の卸元として、トップは存在出来なければ駄目だ。ぶれない柱をしっかり握り、その上で、メンバーを経営に参画させ責任と権限をフルに与え育成すれば良い。任せるだけなら簡単だが、その次の役割を背負えなければ経営者としては失格だ。

理想で言えば、経営会議で私自身はほとんど発言せず、議事が進んでいくのが望ましい。私はブレやズレにだけ目を光らせ、後は若いメンバーが自発的に決めていくのが理想だ。

HWSの経営会議を基軸に経営を進めていく。それぞれのチームが独自で責任を持ち構築していく事業は、各事業部で大胆に展開して欲しい。その上で、全体の流れは経営会議にて決議して行くのだ。

私がワンマンに戻る時があるとしたら、過分な権限に酔い、事業部長達が腐敗し、軟弱な集団へとHWSが堕落し始めた時だ。この時は、私自身が全権を持って、HWSを再構築する。そんな未来はないと思うが、覚悟で言えばこの様なものだ。この覚悟があるので、ギリギリまで、現事業部長達に経営判断をゆだねて行ければと思う。

HWSへの入社を希望される方々は、この経営への参画をいち早く目指して欲しい。会社への貢献、強力なリーダーシップがあれば、入社半年で事業部長となることも可能だ。事業部長になった君達は、エンジニアでは体験出来ないストレスと、やり甲斐を見いだすだろう。ビジネスの深淵を知るだろう。

HWSが目指す人材育成は、ITスキルを極め、事業をゼロから構築していく、スーパービジネスパーソンを生み出し続けることなのだ。

2008年07月11日 11:40

自由

先日、某大手企業の支社長と、部下の方とお話をする機会があった。会社を良くするための案も多く持っており、それに対して行動する事もやぶさかではない感じだ。しかし、巨大組織故に、他部署との調整や決裁を取っていく過程があまりにも遠路で、改革に踏み出せないのが現状。

ほとんどの巨大企業では、前向きな社員ほど上記の様なジレンマに悩まされるはずだ。この状況に耐えられず、高い学歴や巨大企業での安定に背を向けHWSに集合するメンバーも多い。

HWSに限らず、大手には無かった「自由」を求めてベンチャーに来る層は少なからず居る。

HWSでは「自由」が謳われている。この項では「自由」についての根本的なスタンスを書きたい。以前にも書いたが違う切り口から今回は書く。

そもそも、「自由」を求めて大手からベンチャーに転職するなら相当な覚悟が必要だ。転職すれば、そこの自由が落ちている訳ではない。自由が降ってくる訳でもない。自由を権利としたら、傍らには義務がある。この義務とは責任と成果だ。これを背負えば、自由が手にはいるのがベンチャーだと言って良い。

つまり、ベンチャーに転職した時点では、大手企以上に自由など無い。自由を期待してもいけない。これは、新卒の人達にも言っておきたい。「大手には無い自由があるのでベンチャーを志望しましたっ!」という話もよく聞く。「入社したらどの様な仕事をまかせてもらえるのですかっ!」みたいなことを意気込んで言う学生もいる。バイタリティーがあるのは悪くない。しかし、就職してすぐにやり甲斐のある仕事や、大きな責任を任せてもらおうと思うのは間違いだ。未熟で無能な新入社員に、大事な役割を背負わせる馬鹿はいない。自由なども限られている。

入社をした人間が最初にすべきは、どの様な手を使っても良いので、成果を出すことだ。ベンチャーでは、自分の力によって出した成果は明確に分かる。誰が見ても明らかな成果を狙わなければならない。その成果をバックボーンに一つずつ自由を手に入れるのだ。それが、ビジネスの世界の根本的なルールだ。

入社した段階で自由を主張するのは筋が違う。新入社員に他社で出してきた実績が有ったとしても、それは新しい会社には関係ない。組織に対しては微塵の貢献もしていない。過去の実績によって培われた技能をフルに使い、新しい組織に貢献をするのだ。その貢献度合いによって、その後の自由度が決まってくる。

繰り返すが、入社した段階では自由はない。入社後に出した成果によって自由度を無限に高められる環境がHWSにはある。だから、転職の際には成果を出すという覚悟を持って来ることだ。その覚悟があり、初めてHWSを始めとする多くのベンチャーの良さを享受出来る。自由は与えられる物でも、存在している物でもない。自力で創り上げるのが前提だ。

もう少し、自由に対して言及する。

貢献度合いとは、既に結果が出ている過去の事だ。ところが、自由とはこれから取り組もうとしている未来の事だ。この違いも理解しなければならない。

過去にいかなる貢献があったとしても、それだけで全ての自由を手渡す訳にはいかない。自由を手渡す為には、未来に対する覚悟や責任感が必要だ。過去の貢献は、未来に対するパスポートだ。貢献が信頼を産み、信頼が自由を与える。しかし、アグレッシブに挑戦をし続けるとしたら、過去の貢献で全てを保証することは出来ない。そもそも、未来の事は誰も分からない。その道に進むためには過去の実績と同時に、主体者の覚悟や責任感が重要なのだ。一定の能力が保証された人間が、覚悟と情念を持って進んでくれるなら、止める力はベンチャー企業には存在しない。

未来のあり方を自由に主張するために成果が必要であり、それを主体者として実行する為には、リアルタイムでの覚悟や責任感が必要なのだ。

ベンチャーと大手との自由における違いは、成果を出した後にどれだけの裁量をどれだけ早期に得られるかの違いだ。どちらを選ぶにしろ成果を無視した中で、自由が存在していると言う様な幻想は早々に捨てられた方が良い。そんな都合の良い環境は世の中に無い。

ただし、この違いは相当大きい。人生が全く変わると言っても良いだろう。人間は生きなくてはいけない。生きる糧であることが、仕事のベースだ。人生における大半の時間をつぎ込み、生きる糧をえる場所が企業だ。大半の時間をつぎ込む場所が、スピーディーかつ自由である事によって人生全体が変わるのは当然のことである。

卑屈にならず、自分の主義主張を通しきり、自分の人生を自由に誇り有る仕事につぎ込み一生が終われれば幸せだろう。また、自分が生涯をかけて取り組むべき事があるなら、人生という限られた時間を全力で突っ走らなければならない。最速で前進できるベンチャーと言う環境は理想だ。

人間が楽を追求するのではなく、満たされた生涯を追求した時に、ベンチャーは最高の場所である。当然、その最高の場所を手にし、有効に使う為には、「覚悟」が必要だ。

成果を出す覚悟

成果を出すために時間をつぎ込み、労を惜しまぬ覚悟

成果が出るまでは何も主張せず何も要求しない覚悟

責任を背負う覚悟

これらを受容し、初めて自由を語り権利を語れる。そんな場所が本来のベンチャーなのだ。これを聞いても、自分の実力や意志に自信のある人は、是非ベンチャーに挑戦して欲しい。HWSのドアも叩いて欲しい。素晴らし未来がそこには必ずある。

ベンチャーにおいては、この覚悟を持って常に「俺がやります」と言う態度で臨まなければならない。会社の体制を変えたい、新しい事業にチャレンジすべきだ、社内のシステムを強化しよう、これらを発言するだけでは「考えとくよ」で終わる。それはマネージメントサイドの問題ではない。ベンチャーには余力はない。優良なベンチャーであればあるほど、ギリギリの仕事を抱え全員が動いている。何かしらの意見が出ても、「考えておく」「機会があれば・・・」で終わるのは必然だ。君達の意見が本当に必要であり、本気での提言だとしたら、身体を張って「俺がやります」の一言が必要となる。それは今の仕事にその作業を更に乗せるという意味でだ。

この覚悟ある人には自然と自由が訪れる。色々背負い込んで難儀になりそうに見えるが、覚悟さえすれば全てが自由だと悟った時に、心は解き放たれるはずだ。そして、君の存在も組織の中で無限に大きくなるはずだ。

物事には正負が必ずある。

体力をつけるにはトレーニングを地道にするしかない。仕事が出来るようになる為にはハードワークをするしかない。英語を覚えるには、単語一つずつを暗記しなければならない。これらに継続して取り組まなければならない。ここに近道は無い。

それを百も承知で若い君達に求めたい。

究極の自由を追い求めて欲しい。自分の人生を自分の意志で決め、自分が満たされる何かを成し遂げて欲しい。苦しみもストレスも君達の糧だ。自由を謳歌するには、苦しみやストレスに笑顔で耐えられる強さが必要だ。その強さも最初から持っている人間などいない。自由を追い求める過程で、傷つき再生しながら、強くなるしかないのだ。

いつか強さと実力を手にした君達が、究極の自由の中で、次々に偉業を成し遂げていく未来を期待している。

2008年07月08日 16:24

美しい言葉

美しい言葉は、真実を覆い隠すのに便利だ。

「個性」や「自分らしさ」と言った、どちらかと言うと良い意味で使われる言葉がある。この言葉を安直に使い、現実から逃げる輩が実は多い。

HWSでは挨拶は大きな声で自分から言う事を奨励している。エンジニアの世界では挨拶するまともに出来ない者も多い。社会人としては明らかに失格だ。転職してきた新しいメンバーは、営業系の会社かと見間違う空気に一瞬戸惑う。普通のSIerを渡り歩いて来たのではなく、HWSという特殊な企業に合流したのだと実感する。

しかし、なかなか馴染めず、小さな声でしか話せない人間もいる。朝礼で発言する場も毎朝用意されているのだが、大きな声で挨拶や発表がなかなか出来ない人もいる。自分の不得手を自覚し、変化に挑戦する人間は良い。毎朝、朝礼の司会をやって、人前で話す訓練を積むメンバーもいる。その姿勢や良しだ。

問題なのは、これが自分らしさ、自分のスタイルだと言わんばかりに開き直りに入る奴だ。声が小さいのに個性などない。弱さがあるだけだ。

リーダーシップを取ることから逃げる人間もいる。責任を背負う事への潜在的な恐怖心を拭えない人間はいる。彼らの言い訳は、「俺は一番上に立つタイプじゃないし・・・」「いやいや、僕は斜め後ろから応援するのが生にあってますから」といった感じだ。

一番上に立つタイプとか、立てないタイプとか私でも良く分からない。立たなければならない立場かどうかは分かる。誰かが手を挙げ、組織を引っ張らないと誰も幸せになれない事も分かる。タイプの問題ではない。覚悟や意志の問題だと言うことは良く理解している。

自分のスタイルという言い訳に隠れ、チャレンジから逃げ、責任から逃げるのだ。そのストレスからの隠れ蓑として美しい言葉を使う馬鹿者が多い。彼らは、そこから先に成長する事が出来ない。会社の損失と言うよりは、本人の未来に暗い影を落としてしまうのに気が付くことが出来ないのだ。

HWSに限らないが、企業に入社をしておいて、組織戦に積極的に参加しないこと自体が、そもそもナンセンスだ。現場の作業をこなし、満足している様では、あまりにも社会人として未成熟で幼稚だ。全ての作業は、最後に組織の勝利を実現する為に成されている。組織の勝利を言い換えるなら、組織のビジョンの達成だ。この為に、現場の作業もしかりだが、自分が出来る組織への貢献を狙い、積極的に組織戦へと参加しなければならない。これを自分の意志で進めない限り、君達はいつまで経っても「作業員」の域を出ないよ。

例えばHWSでは月一で社員総会が開催される。参加率が低いメンバーは少し悩んだ方が良い。現場の都合もあるだろうが、君達は流れてきた作業をこなす為にHWSに来たのではなく、HWSの一員としてHWSのビジョンを仲間達と達成する為に来たのではないか。その道を進むには、組織のメンバーとの信頼や連携を強化しなければ駄目だ。目先の作業をこなし、時給を稼いで喜んでいる場合ではない。受け身で流れてくるのは作業だけだ。クリエイティブな事がしたいなら、受け身の姿勢を変えるべきだ。自分が貢献出来ることを自分が動いて探し続けるのだ。

このスタンスから言えば、新人の研修を任せられたら面倒くさがらず、率先して行うべきだ。自分の実力や、指導が苦手かどうかなどはどうでも良い。身体を張って、滅私の中で人の指導に当たり、会社の文化を創り上げる一端を担うべきだ。

君達が気を付けなければならない美しい言葉沢山ある。

例えば、「部下の為」
例えば、「人間関係を重視して・・・」
例えば、「クライアントの為」

言葉通りの意味で使われているなら良いが、軟弱な社会人が成長を放棄し、穴蔵に逃げ込むための材料に使われては駄目だ。真実を見抜く感受性を是非育てて欲しい。

個性など、一旦は捨ててしまった方がよい。組織に貢献出来ず、自己の成長も阻害する個性など百害あって一理無しだ。自分のちっぽけなプライドに囚われず、格好悪くても良いので、身を挺し、組織の勝利、組織の発展に少しでも貢献するのだ。誰も幸せに出来ない個性など捨ててしまえ。

自分らしく生きようなどと思うな。未熟な君が自分らしく生きると言うことは、無能なまま歳を重ねるのと同じだ。自分らしさなど、自分が意識して作らずとも、全力で何か没頭し、全精力を使い全力で生きれば、勝手に身に付くものだ。自然と自分の内に湧いてくるものだ。ストレスからの逃避の為に、自分らしさをふりまわすのは止めた方が良い。

私自身、未だに自分らしさなど知らない。振り返って、あの行為が自分の個性だったのかと思える時があるくらいだ。

私が追い求めているのは、常に組織の勝利だ。組織を発展させ、仲間達が幸せを実感する未来だ。その為には一切のプライドなど捨てる。私がプライドを持つのはHWSのビジョン達成に対してだけだ。

常に馬鹿みたいに元気な方が、組織に活気が生まれるなら、個人の感情など捨てる。リーダーシップを取って、人に影響を与える事が必要なら、身体を張って何時間でも打ち込むよ。大変だとか、辛いとかもどうでも良い。自分の個性や、自分らしさなども気にしない。そもそも分からない。

私には私が信じた正義がある。私の生涯を費やすロマンがある。この達成に純粋であることが、自分の人生を意識して使うということだろうし、あえて言うなら「自分らしさ」なのだと思う。

求職者の面接などをしていても、自分がいた組織に対して客観的な批判をし、転職事由にあげる者もいる。批判があるのは良しとしよう。しかし、それが客観的ではいけない。どうしようもない転職は人生の内で何度か有っても良い。しかし、「どうしようもない」と言う結論を導くまでに、何をしたかは問われる。主体者として身体を張り改革を断行し、それでも既存の抵抗勢力を打破できず、傷だらけになり転職なら次もあろう。

客観的に傍観者として、組織を批判し、それを理由に転職する姿に正当性はない。売り手市況の昨今なら転職先もあるだろうが、それもこの1~2年で反転するはずだ。間違った価値観しか持てなかった人間が生きられる場所など無い。

綺麗な言葉で自分を装飾する必要はない。多くの求職者は、その時点では敗北者だ。組織の改革に失敗し、組織戦に参加も出来なかった経歴しかない。営業の経験がある、経理の経験がある、開発の経験があるなどは、一線を越えたビジネスマンとしては価値を持たない。価値を持つのは、そのキャリアにおいてどれだけ組織を勝たせたかだ。本質的に組織を勝たせたキャリアを持っているなら、基本的には転職していないはずだ。

最後に繰り返し言う。

勝利するまでは、組織に絶大なる貢献をするまでは、

個性を捨てよ。自分らしさを捨てよ。美しい言葉で自分を飾るな。君達の価値はどれだけ、組織を勝たせたかだけだ。作業力がいくら上がっても、君達の評価は作業員でしかない。自らの意志で動き、組織の勝利に貢献出来てこそビジネスパーソンだ。

声を出せ。身を挺せ。その結果、君達は組織を事由に使い、自分の夢を果たす権利と力を有するはずだ。その時、真の自分らしさ、真の個性は君達の中にやさしく輝いているはずだ。

2008年07月07日 11:27

慣れ

ここ二日は茹だるような熱さが続いている。日本の夏と言うよりは、東南アジアの熱さに近い。湿気が身体にまとわりつく。

昨日なども、外をちょっと歩いただけで全身から汗が噴き出した。最初は嫌なべとつきを感じたが、しばらくして慣れると気にならない。かえって気持ちが良い。

人間には良くも悪くも「慣れる」という能力がある。これを理解し使い切った者がビジネスの世界で勝利を掴むのではと思う。以前、成功する為にはこんな習慣を付けましょうと言うような本が流行った。ある種の真理ではある。

私の場合は、どんなに深酒をしても毎朝出社する時間は変えない。朝方まで付き合いが伸びた場合には寝ずに会社に行く。別段辛くはない。ちなみに、大型犬を飼っているので、朝晩の散歩もかかさない。どんなに遅く帰っても自転車に乗って散歩に行く。流石に深夜だったりすると、出るまでは面倒くさいと思うこともあるが、自転車にまたがってしまえば、面倒くさいとも辛いとも感じない。

「犬の散歩も大変ですね」とか「朝も早いですね」とか言って頂く事もあるが、本人的には別に大変ではないのだ。既に脳と身体が慣れている。

二十年もビジネスの前線にいて多くのトラブルやリスクと対面してきた。通常の社会人なら、胃を痛めたり、ノイローゼになるような多くの問題に直面した。私自身、それらの問題を何とか乗りきり今に至っている。相当の苦況においても、平常心で対処する自信がある。これは慣れから来た自信だ。

私の武器は「慣れ」によって培った胆力でも「慣れ」によって育まれた規則正しい生活リズムでもない。人間はいずれ「慣れる」という事を知っていることだ。

自分に厳しいストレスを課さなければならないチャレンジがあるとする。多くの方は、そのストレスを恐れ撤退するはずだ。私なら、いずれ自分自身がそのストレスに慣れるであろう事を知っているので、一歩目を容易に踏み出せる。

例えば、現在HWSでは内定者研修を開催している。先輩社員の中から指導員を募り、研修に当てている。現状の自分の業務をこなし、更に新卒の研修に当たらなければならない。何かのモチベーションの無い人間からすれば「面倒くさい」と感じるはずだ。

しかし、面倒くささもいずれ慣れるし、逆に面倒くさい事をした後にある達成感や充実感などに意識も持って行ける。「面倒くさい」というマイナスを、慣れを知っていることによって消せるので、プラス面に自然と意識を向けられる。だから、面倒くさくても必要な事なら、容易に一歩を踏み出せるのだ。

慣れの効用とは、実際にはこの様なものだ。

日曜日の勉強会なども十年以上続けている。基本、無償だ。大変さがフォーカスされがちだが、プラスの事の方が多かったように思う。

慣れを知ることで、出来ることの幅は広がる。判断力や決断力も研ぎ澄まされる。人間には様々な感情があり、ネガティブな面が人の成長や発展を阻害する。あらゆる事にネガティブな面はあるのだが、ネガティブな側面に支配されず、自分のあるべき姿を追求する為にも「慣れ」を知り「慣れ」を支配し生きることをお勧めする。