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昨日ベストベンチャー100の記念式典に出席した。多くの若手の経営者と懇親させて頂いた。この一年は外交活動にも、それなりに注力して来たので、知り合いも多い。
懇親会の前に二つセミナーがあったので参加してみた。一つはIPOコンサルの会社で、市況についてのお話。もう一つは、企業のブランディングについてのお話。
IPOコンサルの会社はクライアントが現在750社ほどあり、IPOをさせた実績も多く持っている。ここの社長が話されていた内容をいくつかピックアップしたい。
上場後失速する企業を見ると、経営者が人変わりするケースが多いと話されていた。感覚的には六割以上の経営者は上場すると人が変わるとのこと。増長し、謙虚さを無くし、初志を忘れてしまう。本来、上場は手段に過ぎない。その後に達成したいロマンがあるから、手段として用いるのだ。達成したいロマンが無い、もしくは薄い中で金を追い、地位を追った上で運良く上場に至ったので変節してしまうのだろう。
人間が欲に流されることは難しくない。正当な欲ならば推奨するが、刹那的な金銭欲や物欲に流されては駄目だ。私も物欲も人並みにあるが、それに見合う仕事や所得を達成した結果、ついてくるものだ。
よく営業系の会社では、物欲や金銭欲を刺激しモチベーションをかけるマネージメントスタイルが推奨される。刹那的なパワーが要求される営業の世界で、モルヒネ的な効果を習うのであれば良いが本質的には正しくない。持続性もない。苦しい時はその物欲を諦めれば良いので、いざという時にも逃げられる。
時計であったり、車であったり、遊興費であったりするのだろうが、その欲求と事業は直結しない。それは個人が満たされる為の欲求である。もし経営者としてビジネスの前線に立つなら、自分の欲と会社の発展や、メンバーの幸せが合致するのが望ましい。物欲が最優先では、営業マン止まりの価値観に過ぎない。
自分の思想を育て、自分の哲学を育み、事業自体の達成を自分のモチベーションにしなければいけない。ビジネスの世界でリーダーシップを取るなら、あらゆる欲求の上位の組織の勝利、自組織の勝利によってもたらされる社会的な貢献を欲としなければ駄目だ。この欲は、関わる全ての者達を幸せにする。
このスタンスが確率されていれば、上場ごときで人変わりするとは思えない。上場もしていない会社の経営者が言うのもなんだが、私は変節しない自信がある。変節する意味が論理的に考えて見あたらない。本来、上場などは人生において従だ。主は自分の人間としてのあり方だ。
そのIPOコンサルの方が語られていた内容で、半分は営業トークなのだろうが真理をついた話があった。
今の市況やJ-SOX対応などのコストを考えると、IPOのメリットは減っている。多くの会社が上場準備を止めるか延期するかの判断を下している。しかし、その時期だからこそ逆張りで、IPOの道に進んだらどうか。
IPO云々は横に置いたとしても、基本的にこれは正しい。
私自身、この二十年ベンチャー街道をひたすら走り続けてきた。逆張らなければ、表舞台に浮上できないのがベンチャー。既存の巨大勢力は、現状の中で安定と収益が保証されている。しかし、社会の前提が変われば、その勢力は維持出来ない。我々の様な後発の小勢力が社会の表舞台に飛び出す為には、潮目が変わる必要がある。世の中が激変し、混乱が生じ、新しい安定を社会が求める時に、未来を示すのがベンチャーの役割だ。
多くのベンチャー企業にお勤めの方や、ベンチャー企業家に訴えたい。相手が大手企業だろうが、上場企業だろうが、自社を卑下する必要はない。大手に入社出来ないから、ベンチャーに流れ着いたという様な精神では駄目だ。また、そんな経緯が例えあったとしても、所詮過去の事だ。忘却すれば良い。ベンチャーは大手の下位にあるのではない。社会における役割が違うだけだ。既存の社会を否定し、未来の社会構造を作る力はベンチャーにしかない。その役割を自覚し、誇りを持って事業に邁進して欲しい。
私自身が無力な中にも、誇りを持ち、仲間達を率いてリーダーシップを取るために得た結論であり、真実だ。逆にこの真実がなければ、大手に就職していただろう。
逆張りは私の価値観、生き方として私の中にとけ込んでいる。
ただし、逆張りはしばらくの間は厳しい時期が続く。最初から儲かってしょうがなければ、それは逆張りではない。厳しい時期を工夫や、組織の結束で乗り切り、潮目が変わった時に一気に伸び上がるのが逆張りの醍醐味だ。この工夫や組織力の強化が逆張りの前提となる。これが出来ない企業に逆張りの中で生き抜くのは無理だ。
逆境や、不況に恐れを抱く必要はない。恐れるのは信頼できる仲間や、結束できる組織が成立していない自社に持つべきだ。常に問題は内にある。外部の問題は急激に発展できるか、ゆっくりしか発展しないかの差くらいのものだ。生き残る残れないの問題は全て自社の内部にある。
強靱な組織をもって、逆張りに挑みたい。逆張りに挑み次世代のリーディングカンパニーとして日本社会を牽引したい。これは私の欲だ。
ベンチャー企業家は天の邪鬼な一面を持つべきだ。時代が変わる事を期待し、時流を見続けるべきだ。逆張りには不遜さが必要だ。今の安定した社会を否定するわけだから、既存の安定した人達にとってはいい迷惑だ。しかし、好む好まないに関わらず、かつてない早さで世界は変動している。その中で日本だけが、同じ姿でいる訳にはいかない。
戦争もないすばらしい形態だからと言って、鎖国のまま発展も混乱もない安定した状態を維持することが許されなかった幕末の様に、一国に閉じこもり変わらないという事は現在でも許されない。世界規模で様々な圧力がかかり、しのぎを削る現代社会においてはなおさらだ。
日本人が世界に誇るDNAは不変で良い。そのDNAをいかに使い、経済戦を戦い抜き、世界に貢献するかは戦略や変化が必要だ。経営も同じだ。
その変化を司る役割を我々ベンチャーで担おう。その気概を持って、日々のビジネスに当たろうではないか。
今朝、ヤフートピックスを見ていると、北京オリンピックでの野球の話題が掲載されていた。敗因のひとつには日本チームのひ弱さがあり、状況への対応力の弱さが指摘されていた。
韓国内でプレーする選手は、日本選手の1/10程度の所得しかなく、ここで活躍して海外へ出るんだという意欲あること。また、日本に勝ってメダルを取れば兵役も免除される。これらの背景がもたらすハングリーさが、今回の勝因の一因であろうという分析だ。
全てを肯定は出来ないが、一理あるとは思う。プロ野球選手に限らず、現在の日本人を見ていると、「生きる」と言うテーマを全く自覚せず生活している様に感じる。強い生命力を感じる人は少ない。
世間一般のエンジニアが、収支にそこまでこだわらず、言われた開発だけやっていれば収入が降ってくるのは、誰かが徹底して収支を追うパートを担っているからだ。ボーダレス化が進むあらゆる業界において、世界規模の戦いは進むはずだ。良い悪いではなく、現実だ。その中で、成果、収支などのバランスを取ったり、その責務を負わずに給料が入っているとしたら、君達のポジションは収入の大小に関わらず「生かされている」立場でしかない。決して、自分の力で生きてはいない。
世界に眼を向ければ、半数以上の人類は栄養が十分行き届いてない。日本の豊かな現状は、一種の奇跡であり、継続が約束されているものではない。世界中の人々が豊かさを求め、生きるために必死に戦っている。
日本が豊かで在り続けているのは、君達の知らないところで必死に戦っている人がいるからだ。責任を背負い、ストレスに耐え、成果をコミットして戦っている人達がいるからなのだ。
前線で戦っている人に、生かされている多くのサラリーマンがいる。
彼らの感覚や発言が、時として現実離れしているのは、リアルな世界を知らず、温室の中で守られている人の発言だからだ。皆さんも、小学生が世の中を分かった様なセリフを吐けば、微笑ましく見守るだろう。就職活動中の大学生が、聞きかじりの知識で、世の中を語っていたら、それに対する反応は失笑しかない。
しかし、多くのサリーマンは自分で生きたこともなく、誰かに生かされていながら、世の中を知ったような顔をする。多くの人の生活を支え、成果をコミットし続ける重責を背負おうともしないくせに、批判や論評は一人前である。
HWSでは、エンジニア達に先ずは生きる力を与えたい。生きるということが何かを理解させたい。自力で生きる重責を知り、正しい認識を世の中について持てる大人を育てたい。生きるのは生半可ではないという事実を知り、生涯を生き抜ける逞しさを手に入れて欲しいのだ。
今の自分は「生かされている」のか「生きている」のかをもう一度考えて欲しい。生かされている人間が根本的なタフさを得ることもない。リアリティーのある世界で戦えるわけもない。
多くの読者には、自組織での責任を進んで背負う事を勧める。リーダーシップを常に取りかかり、少しでも自力で生きる実感を得て欲しい。企業の業績や、行く末を自分のものとして心から感じられないとしたら、やはり皆さんは生かされている。
自力で生きろと言っても、独立しろと言うわけではない。人類の戦いは常に組織戦だ。強大な組織を作らなければ、最終的な安定や発展は担保されない。個人の技術をいくら上げても、結局はその技術を強い組織に買ってもらうだけだ。強い組織の下につく道しかない。
今居る組織の責任を背負え。その責任から逃げるな。ストレスが無い世界を求めるな。これだけ人口が増えた、現在の地球において食や豊かさを取り合う競争は必須だ。座して死を待つのでなければ、戦いの中に身を投じるしかない。ストレスが無い状態など、生きる中で存在しないのだ。ストレスを極力取り除こうと思えば、あらゆる思考や責任を誰かに任せて、「生かされる」しかない。
選択せよ。
自力で生きる人間にしか、富は近づかない。自力で生きなければ、最終的にリスクから解放されることもない。誰かの思惑の中でしか生きられないなら、その思惑によって未来は左右される。リスクは消えない。
生きるのか、生かされるのか、自分で選択をしなければ駄目だ。選択をしなければ、生かされる未来が君達を待っている。
辛いことも、苦しいことも、嬉しいことも自分の物として受け止めて生きる道は素晴らしい。リスクも理解し、リスクに対する手当もし、リスクがある緊張感も常に持ち、生きる姿が本来人間としては正しいはずだ。
八月度の社員総会が開催された。今回のメインは内定者に取り組ませている課題の中間発表。現在内定者は四チームに分かれ、勝敗を競っている。最終的に勝利したチームは来春に海外研修が待っている。負けたチームは国内で留守番だ。
中間発表の内容は、完成度で見れば「まあまあ」と言ったところ。学生にしてはよくやっている。しかし、HWSに対する思い入れの強さや、「フォ・ザ・カンパニー」の精神は既存のメンバーと遜色ない。これが継続し、エンジニアとして、ビジネスマンとしての基礎体力をどこまで上げられるか、今後が楽しみだ。
何故か、全チームとも普通のプレゼンでは飽きたらず、「笑い」を狙っている所に社風が見え隠れする。下手な若手芸人より面白い。少なくても私は腹を抱えて笑わせてもらった。笑いにおけるパフォーマンスはHWSでも、既に上位に位置するのではないか。歌って踊れて、ビジネスが出来るエンジニア集団が出来上がりそうで、十年後のHWSを考えると楽しみな様な不安な様な気持ちだ。(本当はめちゃくちゃ楽しみ)
ビジネスにおけるプレゼンテーションも、インパクトがなければ誰も振り向いてくれない。並のものは多くのコンペティターの中で埋もれてしまう。その中で、頭一つ抜き出る為の、内容とプレゼン力が必要だ。勝負度胸に関しては、今年の新卒は合格点だ。
今回は某新聞社の方も取材に来ていた。変わった内定者研修を取材するという事だったのだが、変わりすぎていて記事への落とし方が難しい感じだ。感想を聞くと・・・
「エンジニアの会社なんですよねぇ・・・」
とのこと。恐らく記事にはならないですよね・・・。
今は勢いだけだが、既存のエンジニア像を打破し、世界と戦えるニュータイプのエンジニアを創造する一歩としては手応え十分だ。こいつらが成長し、次世代のエンジニア達の標準となり、時代をリードする姿は十分イメージ出来る。
HWSが標榜するビジョンは、結構壮大だ。現状だけ見れば、賢い者なら不可能だと言うだろう。常人が不可能と断定する道なので、逆に我々が踏み出す価値がある。不可能を可能にするためには、リスクに対して次々に挑み組織のスピード感を上げる必要がある。
奇跡的な成果は、上手いオペレーションからは生まれない。無謀な挑戦と、それに対する執着心で一線を越えるしかない。しかし、無謀な挑戦の成功率は当然高くない。最終的なゴールに執着しつつ、手段としては「挑戦」「撤退」「再構築」を、想像を絶するスピードで繰り返す事によって、成功に導かなければならない。
よって、決断、行動のスピードで負けたら、HWSに成功はない。ベンチャーとしての存在価値もない。緻密なオペレーションはほどほどにして、先ずは踏み出しスピードを上げるのが、戦略のキモだ。
現状、HWSの業績自体は順調に伸びている。SI業界の斜陽を訴える企業も増えているが、その程度の余波でHWSはびくともしない。組織の結束力やビジネスマンとしての成熟度が同業の他社よりも進んでいるので、変化への対応が早い。柔軟性もある。
しかし、その業績の伸びで満足はしていない。目先の業績の浮沈よりも、優先すべきは未来において、HWSのビジョンを成し遂げる様な組織を作り上げる事だ。また、事業を創造し、作り込む事だ。
関係各社の都合もあるので、このブログで発表を控えるが、いくつか新しい戦略が現在仕込まれている。
私自身、ギャンブル的な事業は好まない。よって、現在の事業を基盤に他社が真似できない領域を攻め込む。更に「当たる当たらない」という事業も嫌いだ。土台から組み上げ、継続的な事業として社会に根付くものを狙いたい。
そんな、事業がいくつか仕込まれている。
HWSにおいて、守りの年度はない。現状の規模や社歴で守っていたら百年経っても大したことは出来ない。今期もそろそろ中間にさしかかるが、あくまでも攻め抜いて終わるつもりだ。
再三再四社内のメンバーには言っているが、潰れない程度のチャレンジなら、やりまくるべきだ。今の日本の税制の中で幾ばくかの現金が残るよりも、強い組織、強い事業を創り上げるためにチャレンジしなければ駄目だ。チャレンジする中で、戦略性や対応力は磨かれる。経験から組織の強さは進化を続ける。
今後はHWSの動きは雑誌などで眼にされる機会も増えるだろう。マスコミに取り上げられる為の奇をてらった制度や戦略には興味がない。しかし、組織のビジョンを達成する為に、全力で進んだ結果、他社が真似できない特種な戦略や制度が出来上がり、話題になるなら本望だ。
奇をてらって話題を作っても、そこにスピリットはない。スピリットの無い組織が強くなるとは思えない。強くない組織が、これから来る不況の中で生き残れるとも思えない。ましてや、日本の未来を創るリーダーとして存在など出来るわけがない。
今年も夏が終わろうとしている。09年の内定者がメンバーとして正式に合流するまで後半年。彼らが面接を受けていた時と全く違うHWSになるよう事業を進めよう。HWSの一年は、尋常ではないことを彼らに現実を持って示す事をここに宣言しよう。その結果、HWSのスピード感をもたらすDNAは彼らの体内にも息づくはずだ。そして、そのDNAが日本のエンジニア像を変え、日本社会の未来に一石を投じるだろう。
オリンピックの時期は一時的に、国中の愛国心が増大する。平和の祭典でもあるが、日本人であることを日本国民が自覚する儀式でもある。もっとも、この感情はオリンピックの終焉とともに去り、愛国心から国に貢献しようなどと考える若者は輩出されない。
しかし、それはそれで良いように思う。オリンピックに出場した選手達は、国に貢献する為に、その競技を極めて来たのではない。その競技が好きだったり、才能に恵まれていたりした選手達が、その道を進んで行ったら国の代表となり、国民の期待を背負う様になり、本人もその気になって、結果的に国に貢献したり、貢献する感情が生まれているのだ。
愛着心、執着心は本人の流した汗や血の量で育まれるものだ。いきなり頭ごなしに強要すべきではない。強要しても、内側から湧き上がる感情は生まれない。意味がないのだ。
愛社精神にも同じ様な事が言える。
入社して間もない人間に、いきなり組織を第一に考え、愛社精神を持って行動しろと言っても、「分かりました」とは言うかもしれないが、それは表面的な事だろう。彼らには「愛社精神を持て」よりも、「腕を見せろ」「成果を出せ」「先ずは、会社に貢献をして自分の存在価値を証明しろ」と要求すべきだ。
その過程において、仲間と連携を繰り返したり、自分の行動や成果が会社の一部を作ったりを繰り返す事になる。自分が組織に所属している実感が序序に育まれる。
適当に流して、成果を出せるほどビジネスの世界は甘くない。必死に成果を追い求め、かろうじて幾ばくかの成果を積み重ねるしかない。能力が高い人間でも自分に課すノルマも高いので、やはり流して成果を出すのは無理だ。自分の才能を値切り、低い目標を提示し楽を選択する人間は、所詮四流五流の人材なので問題外である。
自分が成果を追求し、自分の可能性を追求する行為は、同時に自組織に貢献し、自組織を延ばす行為ともなる。自分の貢献が少しずつ組織を組み上げ、同時に組織に対する愛情が育まれるのだ。また、仲間達への信頼や愛情も育まれるのだ。
誰しも自分が出した成果を無駄にはしたくない。より有効に活用される事によって、自己の存在を実感する。自分の成果が有効に活用され組織が前進する姿を実感したら、もう他人事として組織を見られないはずだ。
「俺は組織にロイヤリティーなど持たない」とうそぶき、自分の技術や能力を主張するエンジニアなどもいる。オリンピックの個人競技を見て欲しい。柔道だろうが、水泳だろうが、個人競技を極めた後に国の代表となり、結果的に国の期待を背負い、国民達に喜びや希望を与え貢献しているではないか。国民の期待により、選手自身も大きな喜びや充足感を得ているではないか。
個人の技術も、本人に安定をもたらすほど極めていけば、たどり着く場所はより巨大な組織への貢献へと繋がる。この流れから、降りることは出来ない。それがエンジニアリングだろうが、セールスだろうが極めていけばより組織に貢献する事になり、いずれ組織への愛情が増していくはずだ。
一人で生きていけると思い、組織へのロイヤリティーを否定して生きている社会人がいるとしたら、あまりにも未熟だ。あらゆるビジネススキルは組織へ貢献する為に使われる。望む望まないに関わらず、結局組織に貢献せざるを得ない。組織への貢献に自分の能力を使わざるを得ないのだ。
今、組織へのロイヤリティーを持っていない多くの社会人に言いたい。冷めたスタイルで、組織へのロイヤリティーを否定している社会人に言いたい。
君達が組織へのロイヤリティーを持たないライフスタイルを選択しているのではない。君達が、未だ大した成果も出したことがないから組織へのロイヤリティーを持てるレベルに達していないのだ。自分が組織へ大した貢献をしたことがないから、組織への愛情が生まれないのだ。
君達のレベルが低いから、組織へのロイヤリティーを持つに至っていないという事実を認めた方がよい。何故なら、それが真実だからだ。
多くのエンジニアがHWSの門を叩いてくれるのは嬉しい。しかし、打算無く言わせて頂ければ、先ずは今所属している企業に徹底して貢献する事を考えて欲しい。愛情が持てるほど十分な貢献をして欲しい。その上で限界を超え会社に裏切られる様な事があれば、転職も良いだろう。目先を変えるためにHWSに来ても後悔する。エンジニアをビジネスマンへと昇華させるべく誕生したHWSは、それほど甘い環境でもない。逃避先としては不適合だ。
繰り返す。
組織を愛せとは言わない。先ずは死ぬほど努力してみてくれ。先ずは死ぬほど成果を出してみてくれ。先ずは社内の人間が認めざるを得ないような役割を担ってくれ。それらを全て実現した後には、自組織に対する居心地の良さと、愛着心が自然と湧いているはずだ。これが、本質的に正しい姿だろう。
良い仕事、良い会社を探して放浪しても、終着駅はない。
今立っている、その場所で努力出来ない人間に逃げ道などない。
日本中がオリンピックで浮かれている昨今ではあるが、どうせなら冷めてお祭り騒ぎを脇から見るよりも、その渦中に入って満たされた方が幸せだ。願わくば、観客ではなくプレーヤーとしてフィールドに立ちたい。日本代表として、会社代表として多くの同胞の期待を背負い、負けた屈辱も勝った喜びも、全て受け止めて生きたいではないか。
愛社精神は会社から与えられるものではない。仲間が与えてくれるものでもない。自らの努力と成果によって、組織に貢献した量によって、自然と育まれるのだ。
世間は北京オリンピックで盛り上がっている。日本人選手で強さを発揮しているのはベテラン勢だ。今までの経験や実績が本人に、落ち着きを与え、気合いを成果へと上手につなげている。一朝一夕にたどり着く境地ではない。
若手の才能と勢いも素晴らしいが、心技の完成を目指す求道者としてのスポーツ選手の姿の方が、私の胸を打つ。
水泳の北島選手が先ほど二冠を達成した。前回のオリンピックから今に至るまで、選手としてのピークは過ぎた様な気配さえあったが、見事復帰した。多少体力がピークを過ぎても、技と精神で過去最高の成果を出している。
ビジネスマンはスポーツ選手と比べて体力的なタフさは必要とされない。尤も、体力が落ちたり、体調不良の状態では精神も蝕まれるので、最高のパフォーマンスを出すことは無理だ。そのレベルでの体力の維持は必要だ。
ただし、経験の中で積みあげられた技と精神はスポーツ選手以上に求められる。心技を極めなければ、継続的に成果を出すことは出来ない。
優勝した金メダリスト達は、一様に「皆さんのおかげです」「感謝しています」と言う。多少は、自分のイメージ向上の打算もあるのだろうが、大部分は本音であると思う。個人の力だけで、オリンピックで頂点に立つほど自分を良い状態に保つ事は来ない。
ビジネスマンの世界も同じだ。多くの二十代三十代の人達は、自分が前面に押し出されすぎている。
開発にしろ、営業にしろ、その成果は多くの方の援助の集大成として完成したのではないか。トップセールを自負する営業マンも、周りの人間との連携無しには、その成果を導くことは難しい。
商品を作った人、事務処理を受け持ってくれた人、モチベーションが保てる環境を作ってくれる仲間など、多くの人の援助を土台に成果を出す。その成果を誇る気持ちは分かるが、超一流になるとしたら、その成果を心から感謝出来た時だろう。
私自身、多くの経営者と交流する機会がある。観察をしてみると、ある程度会社の規模が大きくなり、一般的に成功している状態にある場合でも、経営者のスタンスは分かれる。成功や会社の状態を自分と一体視して、自我を肥大させる人間もいる。会社の成功や勢いは、多くのメンバーの努力の集大成だと理解し、内側からわき出す謙虚さを纏える人間もいる。
多少賢ければ、表面だけ謙虚さを装う事は出来るが、思ってもいない謙虚さはかえっていやらしく映る。
元からやたら謙虚な人間は卑屈と紙一重だ。大元は傲慢でも良い。傲慢だからこそ、表面的な謙虚さを装わない。多くの人の助力を感じ、心の底から感謝の念が湧き上がり、その助力の事実を述べる事が、謙虚な姿として映るのだ。
私自身も、本質的には相当不遜で傲慢だ。だから、メンバー達に媚びる為に「皆さんが頑張ってくれていますから・・・」「皆さんのおかげで・・・」という様な発言をする気がない。
本当に「こいつらすげえな」「こいつら頑張ってるな」と感じれば、あるがままに受け入れ、賞したい。
根が恐れ入らないし、謙虚ではないので、「上場企業の社長です」「売上何百億を達成している人です」「有名なあの会社の役員です」などと紹介されても「なんぼのもんかい」と値踏みする。いずれそのステージまでHWSも上がりますから、しばらく待っていて下さいくらいのものだ。
水戸黄門が印籠を出しても、「ほー、これが噂の印籠ですかい」と言って、写メでも撮るだろう。
無意味に、ありがたがる事もない。恐れ入る事もない。ただし、事実として認めたものには、全力で感動する。恐れ入りも、感謝もする。実感のある事実だからだ。
世間には「ありがとうございます」を何にでも言うようにしなさいとか、「感謝を忘れずに」と言うような訓辞が溢れている。そのスタンスを奨励して人に好かれ運を呼び込み成功しなさいと言うような書籍もある。
前項でも書いたが、思考停止の中で反射的に感謝をしても、ありがとうと言っても、何かが好転するようには思えない。そこに美しさも価値も感じない。思考の先に、結論として積みあげられる感謝には重みもあり、強い力がある。
北京オリンピックで北島選手が二冠を達成し、インタビューにて発した感謝の言葉を聞いた時の所感として書いた。彼の顔つき、普段の発言を聞いていれば、元々は相当不遜なのだろうと思う。それだけに、彼の感謝の言葉には真実を感じる。
感謝は成果を出した時に一番実感出来る。成果が出るまでは必死だし、最後に成果が出なかった場合は、感謝より反省で脳は支配される。
自分が人に感謝し、他人を慮れる人格を築いて行くためにも、日々成果を狙い達成していく事をお勧めする。
HWSには、「○○十箇条」とか「行動規範」的な文章がない。今時で言えばクレドみたいなものを明文化し、みんなで守っていくと言う様な作業をしていない。これは足りていない訳ではなく、あえてしていない。
過去に創業したいくつかの会社では、行動規範を作り、朝から声を振り絞って読み上げたりした。気合いも入るし、何となく活気あるオフィスの雰囲気も作られる。その効能は十分あるし、多くの会社においては明文化して唱え続けることが必要であろう。
では、何故HWSでは、自社の哲学を明文化しないのか。ちなみに、私自身根っからの日本人なので、クレドよりも「志」や「理念」の方がしっくり来る。経営経済用語の中で急に脚光を浴びた物は、ほぼ全てすぐに廃れる。千に一個くらいが定着して生き残るので、それまでは会社の公文章には使うべきではない。ましてや社名に流行りの用語を入れる前に、一考することをお勧めする。
さて、あえて企業理念を明文化しない理由について述べたい。あくまでも明文化しないだけであって、無い訳ではない。誤解をしないで頂けると嬉しい。このブログでも一貫して、HWSの方針やビジョンは語っている。ビジョナリーな企業であるし、こだわっている価値観もある。
物事には必ず効能と副作用がある。万能薬は基本的にない。副作用を覚悟し、又は副作用に対する手当をあらかじめ行い、作用を狙って処方する。お題目を全員で発声しながら念じる事で得られるプラスと、同時に来る副作用がある。私自身が気合いの入った組織の構築運営には実績があり、お題目を叫んでいた人間だけに、その副作用についても熟知している。
理念を唱え続け、仕事に向かう姿には、どこかしら自分の思考を放棄した様な臭いを感じる。決定された理念が提示され、それを絶対的なルールとして、受け入れ日々の激務に飛び込む姿は、私が本当に求める組織だろうかといつしか考えるようなった。
徹底した理念を社員に渡し、その解釈をリーダーが行う。社員には思考よりも行動を求め、哲学的な思考の部分はリーダーが受け持つ。メンバーは思考停止の中で、号令通りに激務に行けばよい。
この様な組織は、実は短期的に見れば強い。多くのサラリーマン達は、「自主性」「個性」を見て欲しいと訴えるが、彼らが「自分なり」に「自主性」や「個性」を発揮しても、甘過ぎて、組織の力は極大化されない。そこまで自分に厳しく成果を追求できるサラリーマンなど、1%もいないだろう。日々、他者が評価した時に、「あいつは限界まで頑張っている」と断言出来る姿を見せてから「自主性」は主張すべきだ。
だから、本当は理念という組織の正義の下に、無理矢理にでもメンバーを追い込んだ方が、組織のパフォーマンスは高くなる。強制しないとほとんどサラリーマンは手を抜きまくる。少なくとも最大値の力は出さない。だから、社員には出来るだけ物を考えさせず、命令を聞く用にし向けた方が組織は強くなるのだ。
しかし、これはあくまでも今の組織を強くしたいという観点で言えばだ。
私が見ているのは、このHWSが30年後、40年後に理想を達成し、強大な力を得て世の中の一画を担う姿だ。今いるメンバーが、歳を重ねて行った後に、優秀な事業家としてITスキルを駆使し事業のマネージメントを自在に行う姿なのだ。
よって、私が求めるのはメンバーが思考停止の中で一生懸命仕事をしてくれることではない。思考停止するなら、HWSから離れるべきだ。ビジネスマンとして、一人前になるには、激務は不可欠だ。激務を体験していない、ビジネスマンなど片腹が痛い。しかし、その激務は与えられ押しつけられるものではなく、自分の意志で自ら激流に身を投じる様なものだ。
多少、組織のパフォーマンスが落ちようが、潰れない程度の手当は私が行う。メンバー達が困難に遭い、様々な問題に直面し、それを乗りきる過程で、理念を醸造し、それぞれの体内に脈打つ様な姿が見たい。与えられた理念ではなく、自分達の内側から湧き上がる理念を実現したい。
私は命令通り動く兵隊を作りたいのではない。この数年稼ぎまくって引退したい訳でもない。長いビジネスの戦いの中で価値あるものを仲間達と築き上げたいのだ。
リーダーは自ら思考しなければ駄目だ。理念だろうが、戦略だろうが、最終的に自分の後ろに人はいない。自らを最上流に位置させ、組織を運営できるリーダーを育てたい。一瞬たりとも思考停止する暇はない。理念にすがっても駄目だ。他社のコンサルタントや、書物の受け売りでも駄目だ。
自分の行動と思考から生み出された信念に殉じるのだ。その信念、理念を持って、組織の理想を達成しいていくのだ。
自社の行動理念は自分で考え、積みあげるのだ。自分の内に常に熱く脈打たせるのだ。
今後も私が行動規範の様な物を作って、壁に貼ることは無いだろう。メンバー達が自発的に行動規範を作り壁に貼るなら止めることも無いだろう。
企業理念や企業哲学は生き物だ。常に変化し、成長もすれば衰退もする。壁に貼って固定すること自体が、実はナンセンスだ。新たに参加したメンバー、既存のメンバー達によって磨き上げ、熟成させ日々進化させるものだ。
理念は壁に貼るものではなく、各人の胸に脈打つものだ。
企業哲学はHPに掲載する為に用意するものではない。毎朝社員に唱和させて経営者が安心感を得るための材料でもない。自然と企業全体からほとばしるものだ。
営業に行ったエンジニアが自社の理念を自然と語り、新入社員達に先輩がついつい語り、あらゆる文章や、メンバー達の行動ににじみ出てしまうものだ。
HWSを見た場合に、まだ理想の組織からは程遠い。しかし、着実に歩みを進め、いつの日か理想の企業理念のあり方を世に示したい。

先日、管理部の原島に「篠田さんは面倒くさがらずに、色々動きますね」と言われた。社内で憂慮すべき点が、可能性レベルでも浮上すると、手当をせずにはいられない。確かに、我ながら落ち着きは無い。
多くの手当は、徒労に終わる。多くの心配は杞憂であったりする。しかし、リーダーたるものこのくらいで丁度良いのではないかと思う。一軍を戦地に導く時に、一敗は時に死を意味する。杞憂や徒労では人は死なない。労を惜しむ必要はない。
この性格はいつ頃育まれたのか考える。元々の性格ではない。また、多くの杞憂を持つ為には、鋭敏な感受性と想定力が必要となる。元々の凡な自分では無理だ。あくまでも、後天的に創られた性質であろう。
山ほどの失敗を重ね、トラブルを経験し、それに対する嗅覚を増していったのだろう。問題が起こる臭いに相当敏感なのは、ビジネスを始めてからの密度によって醸造されたものであろう。
経営者のタイプも色々ある。運良く、さほどの失敗経験やトラブル対処を乗り越えることなく一定の成功を掴むと、この感覚は身に付かないはずだ。逆に攻めに攻めて、前進する事で全ての問題を解決に導こうとするだろう。天性の才があれば良いのだろうが、ほとんどの凡人はいずれ大きな落とし穴にはまる。
凡人が経営者として一定以上の成功を掴むには、やはり労を惜しまず動くしかない。
私にとって、徒労はネガティブな言葉ではない。ほとんどの手当が必要の無い事だったとしても、万に一つの大きな問題を回避出来る保険となれば良い。世に溢れる、多くの保険は使われないまま終わる。そうでなければ、保険会社があんなに儲かるはずはない。それでも、自分の人生に対して保険をかける欲求をほとんどの国民はもっている。
徒労、杞憂は保険だ。経営者として仲間達が致命的な痛手を受けない為の、保険なのだ。
最近、唐の時代の武后の本を読んでいる。唐の二代目皇帝である太宗の后妃の一人となり、太宗の死後は三代目皇帝高宗の寵愛を獲得し、正妃となり高宗を動かし唐の最高権力者として手腕をふるう女傑の話である。
低い身分から身を発し、己の裁量で唐を手中に収める手腕を凄まじい。日本で言えば斉藤道三の様な感じか。政敵を次々に謀略により死に追いやる。兄弟や子供まで必要あれば亡き者とする。自分の権力を固め、繁栄させる為にはあらゆる手段を用いる。恐ろしいまでの生命力である。
ただし、この時期の唐は武后の治世により、繁栄を続けている。掴んだ権力は己の欲得の為だけに使う訳ではない。大きな流れとして国家の繁栄に注力し、成果も上げている。
最終的な始末の付け方は、時代もあるだろうからこの際置いておく。彼女の才覚で特筆すべき点は、やはり常に杞憂を含めたネガティブな想定をし、優良すべき点には即時手当をしていく力だろう。
将来自分の立場を危うくするのではないか?自分の政敵として成長するのではないか?自分に対する批判を助長させているのではないか?
これらのフィルターを通して、武后は宮中を見回していたはずだ。その上で生まれた多くの杞憂に一々手当をし、自己の権能を固めたはずだ。強大な唐を手中に収め、良好に運営するなどは、ちょっと権力欲に取り憑かれた凡人が成せる業ではない。一種の異能者であり、偉人でもある。
話を戻す。
HWSの事業部長クラスはかなり、この危機に対するスタンスが成熟して来たように感じる。リスクに対して敏感に反応する。(個人差あり)しかしながら、まだまだ多くのメンバーは、「なんでその状態で安心できるの?」と目を疑いたくなる様な判断をする。
心配性で、つい色々手当をしてしまうくらいの方が、格好良く鷹揚な態度でいるより、実は美しい。ビジネスの世界で生きてきた私には、そう感じる。
最後に
多くの杞憂を持つことは大事だ。ただし、杞憂に追われ、ネガティブなオーラを全身に漂わせては、やはりリーダーとして失格だ。
皆さんが一流のビジネスマンたらんとするなら、多くの杞憂を持つべきだ。その杞憂に労を惜しまず出来る限りの手当をし続けるのだ。
ただし、この手当は常に平常心で行わなければならない。特別な手当に追われては、その雰囲気は自分の発言や行動に出る。組織にマイナスの影響を与えるようではリーダーとしての職務は全う出来ない。
杞憂を腹に含みつつ、その全てに平常心で手当をするのだ。徹底して手当をしながら、いつも前向きで、アグレッシブな姿を保つのだ。
この程度が出来なくて、どうしてリーダーとしての重責を全うできよう。ビジネスを創り上げ制御できよう。ビジネスマンとして、大成できようと言うものだ。
皆さんが取り組んでいる事業、皆さんがマネージする組織は、思ったよりも多くの問題を抱えている。ただし、それを恐れる必要はない。世界中にあるあらゆる組織はそんなものだ。それを日常として、組織を繁栄させる術を体得して行こうではないか。
雑誌等の取材において、HWSの課題について問われる事がある。現状では順調に事業も進んでいるが、いずれは市況も下降するだろうし、変化への挑戦に苦労する時も来るだろう。本来、事業を継続して行けば、追い風が吹いている状況の方が希であろう。少なくても経営者は、逆風の中進むことを前提とし、自企業を作り込むべきだ。
市況が悪くなることや、不景気をどう乗りきるかを課題とは認識していない。それはあくまでも日常だ。課題とは理想に向けて挑戦を続ける中で、現状から進めなければならない変化のことだ。
その意味でHWSの課題は、理想への挑戦の為に、現状で足りていない部分だと考える。
私の理想と比較して、HWSに足りていないのは、優秀なリーダーの数と質だ。エンジニアをビジネスマンとして昇華させていくと言う事は、ビジネスにおいてエンジニア達により高次のリーダーシップを発揮させる事だ。
周りを巻き込みながら、新しい事業を仕掛けるには、強いリーダーシップが必要だ。ビジネスアイデアや個人のパフォーマンスだけで成立する事業などたかがしれている。それが、大きな潮流なる為にリーダーシップは不可欠だ。
以前に書いたかもしれないが、リーダーシップの目的は組織の勝利だ。単に指示の出し方が上手い、場のしきり方が上手い人間を指して、リーダーシップを発揮していると評するのは間違いである。
組織の目的に向かって、一つ一つ勝利を掴み成果を出す技能をリーダーシップと呼ぶ。HWSには十一名の事業部長がいる。しかし、ビジネスの世界で求められるリーダーとしては、まだまだ不十分だ。
一般のサラリーマン、エンジニアと比較すれば十分ではあるが、HWSのメンバーが日本中のエンジニアのスタンダードになる未来を考えるなら、まだ物足りていない。
リーダーシップが、強く求められるのは混乱期であろう。良い時期には、リーダーシップの強弱の差が現れづらい。日本が高度経済成長に入り、バブル崩壊までの期間、経済は右肩上がりに上昇を続けた。国の保護の下に、守られた業種もあり、多くの企業では、強靱なリーダーシップ下において組織の生産性を極大化しなくても、それなりに存続し、成長する事が可能だった。
リーダーシップの有無は、あらゆる組織に置いて最重要課題ではなかったのだ。それよりも社内政治において、上手く立ち回った方が出世もあり、利得を享受出来たりもした。
しかし、混乱期にはリーダーシップの有無によってたどり着く場所は全く違うものとなる。
戦後の日本などは混乱期の最たるものだ。焼け野原の中で、人も資源も足りない。失業者も多く、国民の生活を支える産業も無い。この様な状態で何も動かなければ状況は悪化の一途を辿るはずだ。
しかし、戦後の日本には多くの優秀なリーダー生まれた。優秀なリーダーの号令により、ソニーが生まれ、松下が生まれ、ホンダが生まれた。今は巨大企業であるが、元々はリーダーシップを取ろうと決意した創業者の意志から始まっている。
これらの成功した企業群の内部では、創業者のみでなく、数多くの豪腕なリーダーが生まれ、組織を牽引したことだろう。優秀なリーダー達の集合体として、世界と戦える企業は創られたのだ。
現在も世界がボーダレスになっていく中で、未曾有の経済戦が繰り広げられている。ゴールの見えない混迷の中で、強いリーダーが求められている。世界と戦える企業を目指すには、自企業の業界におけるリーダーシップが必要だ。そのリーダーシップは、経営者の個性によるのではなく、自社内にどれだけ優秀なリーダーを生み出せるかによって、発揮されるはずだ。
だから、HWSは良いエンジニア、良いビジネスマンを生み出す前に、良きリーダーを生み出すというスタンスで人材育成に当たるべきだ。良きリーダーとなるためには、技術も必要だし、あらゆるビジネススキルも必要だ。それらの技を使い、リーダーシップをいかんなく発揮して欲しい。そして、事業、企業を未来へと導いて欲しい。
繰り返すが、HWSの課題は、今よりリーダーの質と数を増強していくことだ。他社が真似出来ないほど、圧倒的な強さを持ったリーダーを次々と生み出してこそ、我々が社会に存在する意味がある。世界で戦える企業にもなろう。
しかし、これは言うほど容易くはない。
我々は幼少の頃から、あまりリーダーシップを取ることに注力をして来なかった。社会全体がリーダーシップを取ることに重きを置いてこなかったと言える。勉強が出来ることや、スポーツが出来ることには脚光が当たるので、自然とその方向の努力をするようになる。しかし、リーダーシップに関しては、数値化されないし、逆にリーダーシップを取ろうとすると、「うざい」などと嫌われるケースも多い。
そもそも、教員にもリーダーシップがある人間は少ないし、採用基準にリーダーシップという項目は無いだろう。リーダーシップが無い人間に人の育成など出来るはずはない。
身の回りに優良なリーダーシップを見ずに育った子供達は、リーダーとは何か、どうすればリーダーとして力が発揮できるのかを学べない。そもそも、リーダーシップを取るという概念すら希薄だ。リーダーシップの価値を実感しないまま歳を重ねる。
私の経営人生の中でも、多くのメンバーを抱えたし、その何倍もの人達と面接や、勉強会で関わって来た。最初から「縁の下の力持ち」になりたいと言い、リーダーシップを取ることから逃避する人間もいる。自分はリーダータイプでは無いと断定し、責任の無い立場を望む人間もいる。
一般のエンジニア達の間では、部下を抱えることを面倒くさがる傾向もある。たとえ部下を持っても、育成したりリーダーシップを発揮して最大の生産性を発揮させようという意欲もなく、適当に指示をし、それで部下が成果を出せなければ無能扱いして自らのプライドを慰めたりする。
この風潮を誰かがひっくり返さなければ、世界での戦いの中で、日本の勝利は無いのではないだろうか。
政界、財界においてリーダーの不在が叫ばれて久しい。特に政界の混乱は目に余るが、政界にリーダーが生まれない根本的な問題は、国民のレベルが低いからだろう。国民自体が、リーダーシップを自らとろうとせず、ビジョンも持たず、他力本願な中で、その兆しとして存在する政治家達の質が上がろうはずがない。
今の職場で、今の会社で、自分が何かしらの御旗を掲げ、変革に挑戦している人間がどれだけいるだろう。責任やストレスを避け、「何もしない」「ことなかれ」を選び、自分の楽さだけ考えて生きている人間に、政治や自企業を批判する資格はない。
繰り返す。
リーダーで満たされた組織しか、世界と戦う事は出来ない。経営者にリーダーシップがある程度では、こぢんまりと儲けるのが関の山だ。経営者の能力には限界がある。しかし、組織の総合力には限界はない。
私自身の経営者としての力量、リーダーとしての強さには一定の自信はある。しかし、世界のリーダー達と比べれば明らかに未熟だ。これは、生涯をかけてもどこまで埋まるか想像もつかない。
個人の性能で金メダルを取る自信は無いが、HWSが強靱なリーダーで満たされた時に、世界において揺るぎない領土を確保する事は決して難しくない。
HWSの全メンバーが、自分がリーダーだと自覚し、現場現場でリーダーシップを発揮する未来を想像して欲しい。誰も責任から逃げず、自分の作業だけではなく、仲間達の責任まで抱え込み事業に邁進する組織を想像して欲しい。
全メンバーが、常に高みを見据え、変革へのチャレンジを行う組織があれば最強だ。その為のリーダーシップを全員が理解し発揮するのだ。
組織の細部までが強い意志で満たされ、あらゆる業務において他社を圧倒する成果を出す。営業だろうが、管理部だろうが、開発だろうが、強い責任感と目的意識の中で圧倒的な生産性を上げ続ける組織が実現出来たらと、想像するだけど心が躍る。
日本の強さは組織戦だ。かと言って復古的に日本の良さを提唱する気もない。人間は進化すべきだ。戦後よりも、明治時代よりも、戦国時代よりも、更に進化した組織の強さを、日本発で世界に示したい。
日本の組織戦の強さを、経済戦争の中で示したい。かつて無かったほどの進化した組織を作り上げたい。
私の理想は優秀なリーダーで満たされた組織だ。リーダーとは才能によりなるものではない。後天的に自分の意欲により、作り上げられるものだ。HWSのメンバーにも、このブログを読んでいる皆さんにも提言したい。結果は別にして、常に自分がリーダーとして、責任を背負い、多くの人を導くエネルギーを持つ様にすべきだ。君達がリーダーシップを狙えば、君達がリーダーになるだけではなく、その風土がより優秀なリーダーを生み出すはずだ。優秀なリーダーが量産される組織や国家が実現されるなら、君達の未来も豊かで幸せな方向に向かうはずだ。
君達に今必要なのは、リーダーシップを取る覚悟だけだ。
現状の自分のレベルは無視をした方がよい。未来を自分の意志で作り上げる覚悟を持ち、日々の仕事に挑戦して欲しい。