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人材を育成する為にも、組織を鍛え上げるためにも、最終的には実戦の場が必要だ。研修やマニュアルで準備は出来ても、実戦力は育まれない。人間は相当追いつめられないと、自分の本来の力を発揮しない。
その意味では、市況は傾いた方が良い。市況が良い中で、強い組織を作り上げるのは根本的に不可能だ。強力な企業、強力な組織を標榜するならば、厳しい実戦を繰り返し、組織を鍛えなければならないのだ。工夫や努力が必要な市況の中でしか、組織の進化は進まないだろう。
SI業界でも、来期から本格的に厳しい市況を向かえるだろう。今年に起こった様々な経済的なインパクトを受けて、各クライアントがシビアな予算編成をするのは来期からだ。大手の予算立てにはタイムラグがある。
市場が縮小する中で、その企業が本物かどうかが問われるはずだ。ただ単に儲かりそうなビジネスで売上を伸ばし規模を拡大しただけの会社と、明確なミッションを元に工夫と努力により強い組織を構築して来た会社とが明確に分かれる。
真価が問われるのが来期からだと思うと、気持ちが高揚する。
また、来期からは本格的に自社の人員と組織を鍛錬する時期に入ると認識している。市場からの要求も、コスト、品質共に一気に高まるはずだ。限られたコスト、限られたチャンス、限られたリソースで勝負する為には工夫や戦略が必要だ。人の質、組織の質も現場現場で高めていかなければ、事業が回らない。
放漫な意識で、経営判断が遅れれば巨大な損失を被るだろう。必要なら早期撤退をする事業やプロジェクトあるだろうし、それ以前の信用調査も徹底しなければならない。この判断が遅れ、回収出来ない債権があっても、これは事故ではない。自らの判断の遅さ、察知する努力を怠ったが為の人災だ。
この市況でなければ、HWSのメンバーを一段上のステップに育てる事が出来ない。サラリーマンとビジネスマンの大きな違いに、リスクに対する感覚の強弱がある。一般の社会人は、リスクを自力で回避も出来ないので、リスクを感じず意識もせず時間を重ねる。結果、リスクに関しては麻痺したような状態にある。しかし、ビジネスをコントロールする人間にとっては、リスクとは常に傍らにあり、その存在を感じながら業務に当たるものだ。自然、感覚も磨かれる。
また、市況が悪ければ、組織のより高いエネルギーが求められる。高いエネルギーが生み出す創意工夫や、結果への執着がなければ、他社との区別化は実現出来ない。リーダーに求められる能力も、オペレーション管理からメンバーへの動機付けへと比重が変わる。
工期や予算の管理だけなら、管理職の仕事は慣れれば楽だ。しかし、予測不能の未来に対応し苦難を乗り切る為には、リーダーはメンバーを鼓舞し、未来へ導かなければならない。慣れでは対応出来ない、メンバーへの確実な動機付けが出来なければ、不況時にはリーダーとして機能しない。
仕事も先手先手で働きかけ、長期の視点でクライアントニーズに応える戦略性も必要だ。目先の業務に右往左往しているだけでは、その現状が永遠に続く。長いスパンの視点も育てなければならない。
本物のビジネスパーソンとして、本物のリーダーとしてメンバーを鍛え上げるにはこの時しかない。最強の組織を標榜するなら、現状のメンバーのレベルで未来を目指すことはない。私も含めて、全人員の向上無くしては、世界と戦うグローバルIT企業へと変貌出来ない。
本物が問われる時が来た。実戦の中で組織を鍛え上げる時が来た。組織を鍛え上げるためにも、私が来期に行う決断は、あくまでも攻め続ける事だ。尋常ではない変化を常にHWSにもたらすことだ。その歪みを各リーダーが吸収し、加速的に理想の姿へとHWSを推し進めて欲しい。
最後に多くの社会人、学生達へ
市況が悪いとか、景気が悪いとかで弱っている場合ではない。少なくとも世界の中で、これほど体力があり景気が良い国もそう多くはない。この程度の状況で苦難だと言うとしたら、他国ではとても仕事が出来ない。軟弱すぎてビジネスマンを名乗ることも恥ずかしい。
今がチャンスだ。正しいスタンス、心の強さを作り上げるには、これからの時期しかない。市況などいい加減にどちらにも傾く。景気が良くなるか悪くなるかなどを予測するのもナンセンスだ。そんなことは他人に任せておけばよい。
ただひたすら自らを鍛えよ。ただひたすら自組織を鍛えよ。自分が信頼と尊敬をもってチームを組める仲間を創り上げよ。
歴史を見よ。戦いの中で強靱な軍を創り上げた国家が、天下を統べているではないか。安穏とした日常に強さは育まれない。冷水に身を投じ、自社を鍛え上げる覚悟を持って、来期を迎えようではないか。
最近私自身が具体的な指示をする事が減った。ほとんど、指示をしないと言ってもよい。
会社の方向性は言う。新たに仕掛ける戦略についても話す。しかし、現場でそれらを受けてどう動くかは全て任せている。多少の能力差があっても、現場の事は現場の人間が一番よく知っているし、即応できるはずだ。
求めるべき成果は明言する。しかし、その成果をどの様に導き出すかは、メンバー一人一人が考えるのが基本だ。
私が追い求めてきた、この体質故に、入社したてのメンバーは時に対応に困る。
「仕事を切り取ってこい」「事業部を立ち上げろ」
などの要求はする。しかし、それをどの様にやるかは現場の工夫だ。そこの能力が問われるし、どの様に成し遂げるかが自分の価値である。他社で会社からの細かい指示を仰ぐのが当然だった人間には、きつく感じるようだ。
より具体的な指示を仰げば、自分の頭をその分使わなくてよい。しかも、指示が細かいほど、自分の責任を回避出来る。「成果は上がりませんでしたが、言われたとおりにやりました」が通用してしまう。要は自分が悪いんじゃなくて、あなたの指示が悪かったから駄目だったんですよ、あなたに私を責める権利はありませんよという心理に逃げ込めるのだ。まあ、その結果ビジネスパーソンとしては使い物にならない人間として出来上がってしまうのだが、本人は日々の楽さ故に容易に腐っていく。
既存のメンバーにおいては、価値観の共有が少しずつだが進んでいるようだ。自由度が高いが責任がある状態を是とし、喜んでいるふうである。
私が実現したいのは、機動性の高い組織だ。ベンチャーが巨大企業を凌駕出来るのは、スピードと柔軟性だろう。これらの特性を活かした機動性を組織が持つことで、市場を縦横無尽に駆けめぐる事が出来る。
機動性を更に具体的に言えば、現場現場でメンバー達が自分で判断し勝手に仕事を進めて行くような状態だ。極論で言えば、報告はするが、決裁は余程の時以外は仰がずに仕事をスピーディーに片づけて行く様にしたい。その幅を極力広げたい。
一々「社に持ち帰って・・・」「上司と相談した上で・・・」と言う様な事では、他社に先んじてビジネスを展開出来ない。また、人間は責任の無い立場では成長しない。一つ一つの判断に、自分が責任を持つから考えるし、成果に対して執着もする。管理職になってからでは遅い。出来る限り若いうちから鍛えなければ駄目だ。
またベンチャーの基本は万全の準備をして100%の結果を求める事ではない。機会を逃すなら、先ず動いて70%の成果を残せば良しだ。
この機動性が実現できれば理想なのだが、簡単ではない。現場の判断が間違っていたらどうするのだという疑問もあるだろう。そもそも、そんな状態を社員は望んでいないという意見もあるだろう。
そこで、この機動性が成立するための要件を二つ挙げたい。
一つは全メンバーがリーダーシップをとりにかかることだ。以前にも書いたが、リーダーシップとは、人の上に立つことでも、人を纏める事でもない。あくまでも、組織が勝利する為に自分が出来る最高の動きをする事だ。リーダーシップとは組織を勝利させる技能だ。
リーダーになるという意識が希薄なメンバーが居ては、この機動性は実現出来ない。
その前段階で要求したいのは、自分を無視して組織を考える境地に行けるかどうかだ。リーダーがリーダーになるために最初に要求されるのは自己犠牲だ。組織を第一に考え、次に部下を考え、自分の事は後回しにしなければならない。それが最終的には自分への信頼に変わり、組織の統率力に変わり、自分のビジネス人生を豊かにするのだが、何年かは犠牲と思われる状態が続く。成果までタイムラグがあると言うことだ。
組織の為に一番良い事と、自分にとって一番良いことは長いスパンで見れば一致する。しかし、瞬間的には相反することもある。この時に長期の視野に立ち、一見自己犠牲に見える行動も厭わず、組織の勝利を第一に出来なければ、リーダーにはなりえない。
また、組織の勝利を第一に考える為には、経営的な視野が必要だ。経営的な視点がないままで、組織の為に一番良い事など分かるはずがない。全員が経営者と同等の視点で、物事を考え、己の動きを決めて行けなければならない。
全社員がリーダーとは何たるかを理解し、それぞれのポジションでリーダーシップを発揮しにかかる組織ではないと上記の機動性は成立しないのだ。
二つ目に、各現場での判断が一致する為には、共通の原点が必要だ。HWSとは何者かという共通の認識。この様な場合はどう動けば良いのかという、共通の認識。これらを一致させる為の原点の共有が必要だ。
これが判断の軸になる。
この軸を日々の業務の中で、時には何かしらの研修で、一致させる必要がある。
多くの研修系の会社が営業に来るが、未だかつて外部に研修を頼みたいと思ったことがない。よほど私と共通の認識あれば、頼んでも良いが、一つでも違いがあるなら、原点がぶれる。よって、私自身が尊敬し全幅の信頼を置いている人間なら研修を頼んでも良いが、そんな人間は今のところ世の中に存在していない。
原点は外注出来ない。自社で練り上げるしかないのだ。私自身が開催する勉強会には他社の社員も来ている。ここではHWSという色はあまり出さない。各人がビジネスパーソンとして成功する為の、共通の原理原則だけしか話さない。だから成立している。
共通の原点を作るのだ。見えないところで業務が展開していっても、信頼して任せておけるための軸を作るのだ。組織を挙げて、軸からぶれた行為や発言は撲滅するのだ。かなりの年月によって練り上げられた軸なしには機動性を実現することは不可能だ。
経営者の一つの役割は、この軸は何たるかをずらさない事だろう。
細かい要件は、まだいくつかあるが、かなり長くなったので、今回はこのくらいにしておく。
HWSのメンバーたるもの、何を発言し、どの様に行動すれば良いか、各人で必死に考えることだ。これを考えられない人間は、HWSを去るべきだ。我々が目指すのは最強の組織だ。最強の組織をもって、世の中を動かすことだ。その為に全力を注ぎ、生涯を走り抜こうではないか。
先日、ある集まりで落語を聴いた。身近で観るのは初めてだったが、プロの芸を感じ楽しくも充実した時間を過ごした。一滴の酒も入っていないのに、一瞬で泥酔した姿になり、酒の臭いまでしてきそうに感じた。プロの修練によって磨き上げた技は、常に人の心を動かす。
落語について会話もさせてもらった。その落語家は話を60話程度もっているらしいのだが、セリフなどは細かくは覚えていないとのことだ。よって、毎回毎回観ている人の反応や自分の気分によって、違う舞台になるそうだ。もし、一字一句間違いなく覚えたら、一カ所忘れるなり、間違えるなりしたら頭が真っ白になって止まってしまう。だから、大体の流れしか覚えていなということだ。
大事な事は、自分の頭の中に描かれている映像を、言葉やゼスチャーを使って相手の頭の中に描くことだと言う。決まった内容を上手く話すのが、落語ではないらしい。
この話には非常に共感する。
私自身、1対1でも1対多でも話さなければならない機会は多い。話好きの様に世間には思われている節があるが、実際は寡黙な方だ。(たぶん)人前で話す時は今も緊張するし、終わるまではプレッシャーがある。あまり、話す事自体が好きな訳ではない。ただ、練り上げた信念を人に伝えたいと言う欲求はある。
経営者の仕事の一つには、市場や社会、パートナーとの大規模なコミュニケーションがある。ビル・ゲイツ氏も孫正義氏もそうだが、優秀と言われる経営者は市場や社会とのコミュニケーションが上手い。彼らは技術者でも営業マンでもない。経営的なバランスを取るだけなら、彼らなみの人材はそれなりに存在すると思う。彼らの強さは、言葉やマスメディアを使い外部と語り合うコミュニケーターとしての力だ。
向き不向きではなく、トップは会社を代表してグレート・コミュニケーターとしての役割を担うべきだ。会社の発展には必要な役割だ。
私も向き不向きは分からないが、その方面の役割を背負っているので、若い頃から機会があれば人前で話す様にしてきた。その鍛錬により、今の自分の話す能力はある。始めの頃は、あがってしまって覚えた台本を話すのに必死だったが、今は台本もない。大枠な流れや話したいことは決めている。箇条書きで話すべき内容は整理しているが、どう話すかはその場のノリや話す相手を見て決める。
私がいつも見ているのは、話を聞いている相手の頭の中だ。もう一つは自分の頭の中にある映像だ。自分の頭の中の映像を、解説しながら相手の頭の中に描いていく。このことに注力するのだ。
たまに講演などもするが、長い時は三時間に及ぶ。三時間分の台本など覚える暇もないし、労力も無駄だ。三時間話し続ける為に必要なのは、いくつかのテーマとネタで十分だ。そのテーマを映像として覚えていれば、話に詰まることはない。後は、伝えることに注力すればよい。
私自身が持っている感覚と近いお話を落語家にされたので、成果を求めて何かを極めようと執着すれば、たどり着く場所は似ているのだと思った。
まあ、私の場合は玄人っぽい語りの上手さはいらない。話に分かりやすさと強さがあれば良い。一番大事なのは、つたえるべき信念だ。練り上げられた主張の方だ。それが正しく伝わるなら、巧みさはいらない。ただし、正しく伝えるぐらいの技量を磨かなければならないのは、言うまでもない。これから眼を背けるなら職務放棄となる。
もう一つ落語家が言っていたのは、「間」の話。
落語家達は「間」とは言わないらしいが、話の抑揚の為や相手が自分の話に着いてきているかを確認する為に、話を止めて間を作る時がある。この「間」の使い方を指導するのは不可能だと言っていた。「間」は教えられて掴むのではなく、何回もチャレンジしてみて、失敗して少しずつ覚えるしかないとの事だ。
よく人前で話すのが苦手なんですと言う人がいる。1対1の営業でも、上手く話せないんですと言う人もいる。事実、話させるとモゴモゴしていて、聴くに堪えない。これに対する処方箋は場数しかない。場数を踏む中で、もっと多くの失敗を経験し、僅かな成功も経験し、自信と実力を少しずつ重ねるしかない。
事実、口べたなエンジニアが一月も営業を経験すると、見違えるようになる。会社の事を客先で語り、それなりにプレゼンするようになる。
「篠田さんは話すのが上手いから良いですよね」と言われるが、私ほど不慣れな時から話さなければならない場に身を投じた人間も少ないはずだ。修練もせずに同じレベルで話したいと思うのは思い上がりだ。大多数の無口な人、話すのが苦手な人はこの思い上がりの中にいる。苦手かどうか、不向きかどうかは、必死に修練を積んだ後にしか答が出ない。修練を積みまくった後に、才能が無いという言葉は吐くなら、百歩譲って聞いても良い。
人間がリーダーシップを発揮する時に言葉は必要だ。無口、苦手は末端の作業員の時代、プライベートの生活では許される。しかし、リーダーとなる時に多くの部下達の眼にさらされながら言葉によって、コミュニケーションを図りチームを統率しなければならない。
君達も必ず歳を取る。40代に入り、君達が社会の中で好きに仕事に取り組む道は、管理職の道しかない。遅かれ早かれリーダーであれと、組織から求められるはずだ。その時間は二十年~三十年にも及ぶだろう。その中で、「苦手です」と言って逃げる道はない。それはリーダーとしての自分自身を長い年月否定する事に等しい。
いつか求められるなら、今から修練を積むべきだ。自覚と努力によって、人間はほとんどの事に対応出来る。必ず来る未来を、自由自在に泳ぎ切るために、今からあらゆる準備を怠らないことだ。
最後に繰り返し述べる。リーダーシップを取ることも、人前で話す事も、向き不向きの問題ではない。苦手かどうかも、関係ない。
自覚し、自ら必要と感じた道に身を投じられるかどうかの、勇気とバイタリティーの問題だ。場数を踏め。上手く出来ないなら、何度でも身を投じ失敗せよ。修練を積んで、平均より上に行けない事など、ほとんどない。
今回は落語家との会話から感じたことを書き殴らせてもらった。乱文につき、ご容赦願いたい。
毎年相当数の求職者と面談をする。HWSへの応募は月間で100件近く応募があるので、私が面接する人数も相当多い。累計するとかなりの数になる。
転職理由は色々だ。会社が倒産したり、新しいスキルを身につけたかったり、もっと裁量権のある仕事をしたかったりと切りがない。エンジニア自体を辞めようかという相談も来る。
あれもこれもと求めても理想の場所などない。自分が労力をかけ、信頼を仲間から勝ち取り、裁量権を広げ自分の存在を確立し、初めて居心地が良い場所となる。入社した時点での居心地の良さなど、誰かに気を遣わせてのお客様扱いに過ぎない。
そう考えると、出来れば転職などしない方がよい。終身雇用というのは案外理にかなっている。しかし、仕事を進める間に様々に不安や迷いが生じ、結果的に一社に留まることが出来ないケースは多い。また、転職しなかったとしても、妥協的に残る人間もいる。これも問題だ。
何故、迷いが生じるのか。
よく聞く話で、「自分には他に向いている仕事があるのではないか」「今の仕事をやっていて、面白いと感じなくなった・・・」などがある。向いているか向いていないか、好きか嫌いかで仕事を考えると、必ず迷う。
向き不向きを刹那的に考えたら判断を誤る。どれだけ好きで向いている仕事でも、極めにかかればかかるほど、大きな壁に突き当たる。その壁はどの道にもあるのだが、その瞬間に考えると「この道は不向きである」と言う結論に達する。
好きか嫌いかは感情の問題だ。仕事に関して感情が上下しないほど成熟していれば良いが、多くの社会人には気分の起伏がある。のっている時は良いが、仕事が忙しくなったり、上手く行かない時には「嫌いな仕事」になる。自分がやりたいことではないとなってしまう。この手の判断に人生を任せると、未来はハンドリング不能になる。行き先も定まらないまま暴走する。
私自身も、自分が何に向いているか、何が好きかと言うことは未だに分からない。仕事に打ち込み二十年が経った今でもだ。
私に関して言えば、好き嫌いという感情を仕事に持ち込むことは、とうの昔に止めている。向いているかどうかも、生涯通して振り返らなければ分からないと思っている。それでは、何を基準に自分の未来を決めれば良いのだろうか。
私がHWSを設立した理由は、「好きな仕事」だったからでも「むいている仕事」だったからでもない。未来の日本の為に、今の自分が出来る事、自分がすべき事は何かと考えた結果だ。
「したい事」を仕事にしたのではない。自分が使命感を持てる「すべき事」を仕事にしたのだ。
「すべき事」は自分の思想と哲学の発露だ。自分の才能の有無で人生が決まるのでは、人間はあまりに無力だ。後天的に自分の意志の力で自分の生き方を決めてこそ人間だ。犬や猫にも感情はあろう。しかし、意志を持ち思想を持ち、自分の生き方を主体的に決められる生物は人間しかおるまい。
感情の起伏で自分の人生を決めるのは愚だ。人間として生きることを自ら放棄しているに等しい。好き嫌いが生涯変わらない人も珍しい。向き不向きなどは、生涯を通して見ないと答が出ない。これらを前提に仕事を決める事自体が理屈に合わない。
だから、求職者にも学生達にもアドバイスをする。
自分の向いている仕事を探すのはもう止めよう。楽しそうな職場や、面白そうな仕事を探すのも止めよう。向いていると思った仕事でも、一流になるためには相当の苦労が必要だし、向いていないと感じる瞬間がいずれ来る。楽しそうな仕事、面白そうな仕事も年月を経ち自分の趣向が変わればつまらない仕事になる。
生涯を通じて変わらぬものを追い続ける為には、自分の人生を賭けるべき使命を定めなければならない。自分の心に誇りを持ち、自分が満たされる使命を定めなければならない。これは探して見つけるものではない。あくまでも自分の意志で定めるものだ。
好き嫌いも無視しよう。向き不向きも無視しよう。自分が背負うべき責務、背負うべき使命で自分の人生を縛り上げるのだ。
ここに迷いはない。不安もない。ブレもない。
自分が使命と定めた仕事なら没頭出来る。没頭した時間を継続すれば、能力も上がる、人格も上がる。途中に困難が待ち受けていようとも、使命なのだから逃げ道はない。突破して、使命を果たすしかない。自分を楽にする逃げ道もない。前進するしか道はないのだ。
好き嫌いで決めた仕事なら、嫌いになったら逃げて良いとなる。向き不向きで考えた仕事なら、向いてないと感じられれば、やはり逃げて良いとなる。それでは、何かを成し遂げた時の喜びも、人生を賭けた仕事への満足感も手に入る訳がない。
大それた事を要求しているのではない。先ずは、今の職場で自分の使命を考えてみることだ。自組織でのミッション。社会的なミッション。そこに一点の曇りもなく確信が持てた時に、君達の力は極大化するはずだ。そこに正誤はない。自分の意志によって定めたミッションは、全て正解だ。
人生は何かを成し遂げるには短い。この短い人生を十分に使い切り、自分の使命を果たす為には迷って良い時間は少ない。
誰にも頼るな。自分の意志で自分の人生を何に注ぎ込むのか決めて欲しい。
その結果、HWSが必要ならば、門を叩いてくれたら嬉しい限りだ。
このところリーマン・ブラザーズ社破綻のニュースで持ちきりだ。日本経済がバブルで沸いていた時期から、その後の二十年をビジネスの前線で過ごして来た私には自然な事だが、若いビジネスマンからすればショッキングな出来事かもしれない。
ネットで調べると、リーマン・ブラザーズ社は昨期で六兆円程度の売上を上げている。従業員数も3万人近い。押しも押されもしない巨大企業だ。しかし、いくつかの条件がそろえば破綻する。
昨年、採用活動を通して、多くの大学生達に触れる機会があった。やはり、大きな流れとしては、大企業指向であり、ネームバリューを追い求める。学生達は、巨大企業がもたらす安心感と、虚栄心に群がっているのだが、理由付けの部分ではやりがいや企業文化への共感を述べていた。私としては苦笑するしかない。そこに思想性の欠片も感じられないからだ。
日本の上場企業でも、利益率が2~3%の会社などゴロゴロしている。市況が変わり、前提条件が変われば、その程度の利益は一瞬で吹き飛ぶ。規模の大きさや社員数によって、本質的には安全は確保されない。それは10億円の売上でも、6兆円の売上でも本質的には同じだ。ただし、規模が大きければ国や金融機関も動くので、着地する場所は小企業の破綻とは違うかもしれない。規模により、破綻までのタイムラグもあろう。しかし、本質的には一緒だ。
大学生達は知識の欠乏と、思想的な未熟さ故に、名前が知れている企業、規模の大きな企業に飛びつくしかない。今までの学生生活では、常に誰かが決めてくれた答を追い求めて来たはずだ。テストの回答は決まっており、その時折の教員が求める答を出すように訓練されてきたのが現在の学生達だ。思想性など無くても、誰かが答を用意してくれるので、条件反射の様に答を探せば評価してもらえる。
仕事も、評価も自ら創り出すという感覚は無く、誰かが創り出した評価に便乗する為に大企業を目指す。誰かが創り出した会社に後から参加することによって、自分の価値も高くなったような錯覚を覚え、心を満たす。
これが大多数の大学生達の姿だ。就職活動の基準だ。
しかし、山一証券が倒産し、リーマン・ブラザーズが破綻する中で本質的な正しさを、学生達も理解すべきだ。ダイエーも破綻し、りそな銀行も破綻したではないか。エンロンもアンダーセンもしかりだ。
巨大企業が示す安定や安全などは、あくまでも一時的なものに過ぎない。何十年もの間、安寧の日々を過ごせる場所などない。巨大企業に就職すれば安全だという安直な発想は、幻想に過ぎないのだ。
そもそも、誰かに依存した安定などは理論上あり得ない。
社会構造が変わらないと言う前提ならば、巨大企業は圧倒的に強い。資本があり、社会的な地位がある会社の優位性は揺るがない。しかし、生物の歴史を見て欲しい。必ずしも巨大生物が勝ち続けてはいない。
ジュラ紀に地球上を支配したと言われる恐竜たちも、既に姿を見ない。色々と諸説はあるが、氷河期を含めて大きな環境の変化があり、それに対応できず恐竜たちは絶滅に至ったとされている。
温暖な気候が続き、食物が豊富に有った時代には、巨大化し体力の増した恐竜には圧倒的なアドバンテージがあった。しかし、その巨体を維持するには多くの食料が必要だし、巨大な身体を、温度の変化などに対応させるのが難しい。結果、環境が激変する中で生き延びることが出来ず、力は小さいが変化に柔軟に対応し、少ない食料でも生存できる生物が次世代を作ることになった。
経済の世界にも共通する部分がある。と言うよりも、本質的には全く同じ事が言えるのではないか。
一つ一つの企業を生命体と重ねて考えるなら、激変する経済環境に即時対応する事が出来るか、厳しい時は苔を食べてでも生き残れるかが、強さである。市況が悪ければ、少ない利益の中で企業を回し、必要ならば全社を挙げて新しいビジネスモデルにも挑む。
組織のしなやかな強さを実現し、冬の時代も生き残り、攻めの時代には徹底して攻撃する。これを一個の生命体として変幻自在に行えて、初めて規模を越えた強さは実現されるのだ。決して、小企業の方が優れていると主張しているのではない。小企業が大企業に優る部分などほとんど無い。規模が小さいだけの小企業は、一点の勝算すら無い。強靱な組織を実現し、始めて巨大企業が倒れる市況でも笑って次世代を目指せるベンチャーとなる。
市況が変化するスピードは年々上がっている。好景気も不景気も紙一重だ。市況の変化に一喜一憂しているようでは、経営など出来ない。変化の時代には、巨大企業を凌駕する力をベンチャーが持つことも可能なのだ。しかも、それは先代達から与えられた物ではなく、自分達の人生を注ぎ込んで、達成した物だ。当事者達は、その質感を味わう事が出来る。
学生諸君に告ぐ。
安心感や虚栄心を満たされ、思考を麻痺させるな。本当の安定とは何か考えろ。自分の人生を賭けるに足る仕事とは何か考えろ。楽しそうな職場や仕事など追うな。無知で無能な君達から楽しそうに見える職場など偽物だ。無能な人間が和気藹々と仕事が出来る場所などない。有ったとしたら、君達はその会社において仲間と思われていない。末端の作業員として扱われているに過ぎない。
思想を磨け。哲学を磨くのだ。誰かが、放ってくれた餌に無闇に飛びつくな。誰かが与えてくれた価値観や、常識を鵜呑みにするな。誰かが作った舞台の上で踊らされて喜んでいる場合ではない。自分達で脚本を書くのだ。土台から自分の未来を組み上げるのだ。何か価値があり、何が正しいかは自分達で決めるのだ。
本物の組織を探せ。本物の仲間を探せ。本気で理想を訴え、理想に挑んでいる組織を探せ。仕事の場は食を得るだけの場ではない。君達の人生の大半をつぎ込む場だ。寝る時間を除けば、これから何十年もの間、最も多くの時間をそこにつぎ込まなければならない。君達の人生をつぎ込むに足る、本物の場所を探すのだ。
本気で戦い、君達に実力が付けば、自然と仕事は楽しくなる。人間関係も良好になる。本気で闘い実力を付ける為には、ハードワークが必要だ。ハードワークに耐える為には、君達が本気で愛せる企業を探さなければならない。
明日、東京ビックサイトにて、マイナビ様主催の就職活動に先駆けた業界説明会みたいなものがあるらしい。「仕事発見EXPO」と言うイベントなのだが、HWSも出展が決まっている。
私も朝からビックサイトに行く。これは採用活動ではない。啓蒙活動だ。HWSに入社するかどうかなど、どうでも良い。この日本を地盤に、どこかで未来を共に戦う仲間として、多くの若者達に正しい道を示したい。そんな想いで参加させて頂く。
朝から晩まで私が直接しゃべり続ける予定だ。興味が有る方は、是非会場でお会いしたい。君達のご機嫌を取ることもしない。嘘もつかない。私が腹の底から思うことを全力で伝えたい。
先日、中途採用の面接をした。ご本人は、かなりこのブログを読み込んで面接に来て頂いた様だ。途中あまりの直言に退き気味になりながらも、心にささる事もあり、読み進めて頂いたようだ。結果、内容に強く共感して頂き入社を決意されたとのこと。
HWSの環境は、ほとんどのエンジニアにとって初めて味わう世界なので、飛び込むには勇気が必要だろう。しかし、この勇気無くしては、自分が未来にどこに向かうかを自分で決めることは出来ない。
私のブログは決して、過激な内容ではないし、厳しくもない。ビジネスの世界での基本的なルールを呈しているだけだ。このブログを読んで過激さを感じたり、退き気味になるとしたら、自分の価値観がビジネスマンとして未熟であると思った方が良い。
このブログで私が書いていることは、あくまでも普通の事だ。
経営者の方にもブログを読んで頂いている。多くの方の感想は「そうそう、これを言いたかったんですよ。」と言う感じ。内容に違和感はなく、上手く表現出来なかったり、徹底出来ていなかった事に対する一助になっている様だ。
実際のビジネスの前線は、ブログの内容より遙かにシビアだ。
IT業界も市況の悪化に伴い、再編を余儀なくされるだろう。多くの業界がそうだったように、生き残りをかけてM&Aが進み、業界構造も所々でほころんでいくはずだ。業界再編の末に、世界的な競争力を持てるのか、劣化するのか日本の実力が問われる。
中小のIT企業の倒産も相次ぐはずだ。ここ数年間の様に、戦略も組織力もほどほどで、市況の良さに頼って事業を延ばす事は出来ない。それなりのエンジニアを抱えている企業は大手に買収されるのが、当面で言えば一番安全だ。再編の波に飲み込まれ、市況の悪さに対抗せず、トップは経営を良いタイミングで止めてしまえばいいのだ。市況が良かった時の大言も忘れしまえばよい。
この中で、規模に頼らず、生き残るには相当の覚悟が必要だ。このシビアさに比べれば、平素の直言など生やさしい。エンジニア諸君は覚悟した方が良い。
HWSは、最後まで独自の路線を進む。どの企業の傘下にも入らない。この業界に真のベンチャーが無ければ、本質的な構造の改革は起こらない。構造改革されなければ、現状のまま世界と戦えるIT業界は作られない。
また、常に不況下で生き残ること、状況に関係なくビジョンを進めることを念頭に育成と組織の構築に当たって来たので、HWSの仲間や組織に対しての自信もある。これは力まずとも自然体で言える。
HWSが生き残る事が正義であり、多くの人の為になるなら、未来は開けるはずだ。
話を戻す。
私のブログはビジネスマンにも、経営者にも耳に痛い内容がある。また、普通の社会人にとっては、「そこまで成果に厳しくは・・・」「自分の立場はもうちょっと上なのでは・・・」と感じる事も多いはずだ。
ぶっちゃけ、言いたい放題言われて、むかつく内容もあるだろう。私自身は、このスタンスのまま会社説明会にも行くし、社員総会でも話す。経営者の懇親会などに言っても、このスタンスを崩す事はない。抜き身で当たる。
しかし、繰り返すが当たり前の事しか言ってはいない。私ごときの青二才が、凄いことなど言えようはずがない。私が声を大にして言えるのは「当たり前の事」だけだ。
私がこのスタンスで他者と対峙出来るのは、嫌われても良いと言う開き直りがあるからだ。コミュニケーションの力には自信があるので、変な態度を他者には取らない。変な態度、嫌らしい態度ではなく、直言を放ち受け入れられないのなら、仕方が無いと開き直っている。無理に人の好かれようと思っていない。人に好かれるよりも、人に影響を与え、きっかけを与え育てたい。
過度に人に好かれようとすれば、態度に媚びが出る。媚びが出れば舐められる。舐められた状態で、人材の育成など出来るはずがない。だから、人に好かれなくても良い。相手がいつか、思い出す様な記憶を残したい。成長の機会は人生の中に何回もある。その時に思い出せる様な記憶を残したい。そして、その時に初めて私が言ったことを受け入れてもらえれば本望だ。
私のスタンスはこの様なものだ。
このブログの使い方は様々あろう。最近では、社員研修に使って頂いている企業様も出てきたようだ。優秀なビジネスパーソンを目指す多くの方は、現状の自分のレベルを計る計器として使って欲しい。
人物評において、内政に強いタイプ、外交に強いタイプなどと分類される事がある。
内政に強いタイプは組織の統轄や育成など社内のマンマネージメントを得意とする。外交に強いタイプは、社外のネットワーク作りや、提案、営業を得意とする。
私の経験から言えば、この認識は間違いだ。内政に強いタイプは外交にも強い。求められる要素は変わらない。
外交は得意だが、内政が弱いと思っている人間は、自分の事を人当たりが良く、話術に長けていると評価しているはずだ。その話術が社内には通じないので、困惑していると思われる。
実は得意だと思っている話術自体のレベルが低い。表面的にサラサラと会話を流すことは出来るが、話す内容に一貫性がなかったり、言行が不一致だったりするので、毎日会う同僚には底を見透かされてしまう。当然、客先でも決裁権を持つレベルの人間には、その軽さを悟られてしまう。誰もその人間の言葉に心も動かされないし、価値も感じない。その手の人間が出来るのは、せいぜい御用聞きくらいだ。
このレベルの話力で「得意」だと思いこむのは過信だ。話力とは口先から出る音の事ではない。ビジネスの世界で通用する言動とは、信念や行動に裏付けられた信に足るものだ。この領域に踏み込まず、話す力が強いとか弱いとか論じる自体がナンセンスなのだ。
内政が得意で外交が強いと思っている人間も、自分のレベルを勘違いしている。社内の人間に一貫して正しいことを説得力ある言動で伝えられる人間が、社外で弱いはずがない。
このタイプは、実は社内でも大して人望を集めてはいない。部下に媚びを売り、ご機嫌を取っているだけなのに、自分は相手の気持ちを良く理解し、信頼関係が築かれていると勘違いしている。
部下も上司にご機嫌をとってもらえたら居心地は良いだろうが、冷静に考えれば、そんなリーダーの下で成長できるはずも、大きな実績も残せるはずもない。発展し幸せになる未来はイメージ出来ない。実際には、厳しくても能力が高く、組織を強くしてくれるリーダーを誰もが求めているはずだ。
組織が成果を出して勝利する。メンバーが成長し組織が発展する。これらの観点から言えば、全く内政的な能力を発揮していないのに、自分は人を纏めるのが得意だと言う勘違い君は多く生息している。
私自身は内政と外交で言えば、内政が好きだ。社内のメンバーと、社外のクライアントやパートナーとどっちが大事なのかという問題ではない。順番の問題だ。
先にありきは内政だ。強力な組織が無くては良いサービスを展開することは出来ない。いくら、外部にネットワークを作り営業に行っても根本的に売る物が無い。もしくは、売る物の競争力がない。これでは、外交をするだけ無駄だ。クライアントやパートナーが増えても、次々に信頼を無くしていくだけだ。組織力が弱い中で、外交を繰り返す経営者がいたら、本末転倒と言うしかない。
根幹は内政だ。自組織を強力に作り込み、圧倒的な競争力を全メンバーで結束して目指すのだ。この体制が無くして、ビジネスでの勝利はない。
私自身、HWSを立ち上げてから徹底してメンバーだけを見てきた。去年の10月頃までは、会社に計上される交際費はせいぜい月に数万円だ。2万円とかいう月もあった。外交する気がまるで感じられない。
内部からの要請があり、ここ一年程度は外交にも力を入れている。まあ、そろそろ時期だろうという判断だ。それはそれで必要だ。
私が器用な方ではないので、内政に力を入れながら外交をバランス良くやっていく自信がない。ならば全力で内政に注力するしか道がないではないか。現状では各事業部長や役員が、独自の判断により現場現場で決裁し、事業を進めている。メンバーの育成や社内文化の構築も各事業部長を中心進めている。何とか外交が出来るレベルに組織が進んだと言うことだ。組織が退化すれば、すぐに内政一本に戻るつもりだ。
外交も内政も求められる要素は同じだ。
先ず自分の中に揺るがない柱を作ることだ。それはビジネスに当たるスタンスだったり、自社のビジョンやミッションだったりする。これがフラフラしないように、自分の全精力を持って理論を構築し、微塵の疑念も無い境地に至らなければならない。
これが無ければ、君達の発言は場面場面でぶれるはずだ。そんな君達を信頼する部下もクライアントいない。誠実さがない言葉には力がこもらない。ブレが無い信念がなければ、言葉に誠実さを込める事は出来ないのだ。
相手を動かす熱は、思想からしか生まれない。怒りや喜びの感情は他の動物にもあるが、思考の深みは人類しか持ち得ない。刹那的な感情の吐露では、ビジネスの世界において他者に影響を与える事は出来ない。必要なのは、思想を深めた後くる揺るがない意志だ。この、じわりを燃え上がる熱が、信頼と強さを相手に伝えるのだ。
ビジネスの戦いは長期戦だ。瞬発力だけでは駄目だ。持続的に燃え続ける炎を自分の内に作らなければ、長い時間を戦い抜く事は出来ない。
目先の話術や、コミュニケーション能力に惑わされるな。それらのスキルは必死になれば、誰にでも身に付く。君達が目指すのは、人間として信頼される人格だ。ビジネスマンとして信にたる思想だ。
高いレベルでビジネスをしたいなら、道を間違えてはいけない。枝葉に眼を奪われず、柱を見定めて前進して欲しい。自分が身につけてと勘違いしている低いレベルの内政力や外交力に頼らず、太い幹を育てて欲しい。
福田首相の辞任により、政界の混乱が続いている。次期候補の名前もポツリポツリと挙がっているが、あまり期待の持てる人材もいない。そもそも、既存の政治家に国家の未来を描く能力があるのか疑問だ。
麻生氏は積極財政路線を提唱している。前時代的な公共事業による内需刺激を狙う政策にはあまり賛成出来ない。その結果が現在の、多大な債務と慢性的な赤字国債の発行となっている。パンパンに債務が膨らんだ国家に、新たにばらまく財源はない。無い袖を振る歪みを政治家は理解しているのだろうか。そのつけを払うのは、決断をした政治家ではなく、次世代の民間のビジネスマン達だ。権限と責任が乖離している事が、政治の間違いを生んでいるのだろう。
公共投資などは、良く言ってもモルヒネ的な効果しか生まない。モルヒネを大量に打ち続ければ、脳から破壊される。
本来、赤字国債を発行するとしたら、一度だけだ。二年連続で、借金で国家財政を切り盛りするとしたら、その方向を決めた人間は馬鹿か詐欺師としか言いようが無い。税収が思ったほど伸びず、予算がずれる時もあろう。しかし、50兆円の税収で、80兆円の予算を組む意味が分からない。
借金をしてはいけませんよ。入った収入の中で生活はやりくりしましょうね。
これは、小学生でも分かる理屈だ。個人において、これが出来ない人間がいたら、社会的に不適合者の烙印すら押される。まともに社会生活が営めない人間として、扱われる。しかし、このレベルの事を国がやっている。よほど馬鹿なのか、作為的にその様な予算編成をし、お金の流れを増やして、個人的な搾取を狙う詐欺師でなければ、この様な判断はしない。
五十兆円の収入しかなければ、五十兆円で国を回す。これが出来なければ、個人なら破産するし、企業なら倒産する。国家は大丈夫なのかと言えば、信用度合いが大きいので、多少の猶予はあるが、やはり同じように国家破産に至る。
理屈で考えれば、子供でも分かる。「いやー、国家レベルでは色々事情があって・・・」と言う専門家もいると思うが、権威で固められた虚論を肯定するしかできないなら、早々に専門家の看板を下ろすべきだ。
権威ある学者や政治家の理論、世間的な常識が全くあてにならないことは、バブル期から現在までビジネスの前線で生きてきた私は知っている。銀行が倒産することも、土地の値段が下がることも、大きな流れとしては誰も危惧していなかった。銀行は潰れないことを前提に、政治家も評論家も意見を述べていた。銀行だろうが、大手メーカーだろうが、国家だろうが、財政が貧窮すれば、倒れるしかない。真理は足し算引き算の簡単な計算で導かれるはずだ。
問題は、前述したように、責任を取らない人間が裁決をしている所にある。物理的に政治家が国家レベルの責任を取る事は不可能だが、せめてしくじったら自分の財産が没収されるくらいの責任を取る覚悟で、政策を進めて欲しい。その代わり、報酬は何億取ってもらっても良い。不正する必要すら無いくらいの報酬を国政を司る人間には渡すべきだ。
世の中は沢山の常識で溢れかえっている。私自身は常識を頭から信じる事はない。「こういうものです。」「一般的にはこう言われています。」と色々なアドバイスをしてくれる人も多いが、参考に聞くレベルで、それを信じはしない。信じるのは、矛盾の無い理屈のみだ。
例えば、世の中には色々な節税手段などもあり、そんな提案をする商売もある。しかし、私の事業スタンスでは、資金は常に流動性を重んじ、事業に投下できる状態にしておかなければいけないとなっている。これに反するなら、どんな節税手法も受け付けない。「みんさん、こうやって節税をしているのですよ。」「普通、経営者はこういう判断をされますよ。」というアドバイスは、私に対しては禁句だ。
どれだけ儲かる話でも、投機的な案件には全く興味が湧かない。私自身が事業家として自分を規定しているので、余ったお金があるなら投機に回すより、自分で事業に使った方が利回りは良くならなくていけない。よって、事業家が投機に走ることは自己否定であり、理屈に合っていないと言う理論が自分の中にある。
多くの社会人に警鐘を鳴らしたい。
世の常識を、思考停止の中で信じては駄目だ。自分の中に、自分が納得できる理論を構築するのが、真っ当な大人の義務だ。
会社に行って時間を使えば、自分の貯金通帳に自動的に給与が振り込まれるのも当たり前ではない。その収益が何によって生まれ、自分がその為にどれくらいの貢献をしているのか。これを把握しない中で、給料を当たり前の様にもらっている社会人には、もっと感性を磨けと言いたい。
赤字国債も当然の処置ではない。借金はゼロが当たり前だし、理屈で言えば出来るはずだ。それが出来ないなら、国家が個人の破産者を責める事も出来ない。給料が低い人は借金をしながら贅沢な暮らしをして良いと言う理屈になる。
金がなければ、キャベツでも食って腹を満たせばよい。タクシーも電車ですら極力控えて歩けばよい。外で飯を食わず、自炊すればよい。風呂無し、トイレ共同のアパートで生活をすれば良いのだ。俺自身も金が無い時代は、そうやって生活した。事務所の一階にある喫茶店でランチを食うのが二十代前半の頃の夢だった。カップラーメンですら高価過ぎてとても買えなかった。
金が無いなら、そうやって耐えて、収入を上げるまで生き抜かなければ駄目だ。消費者金融から借金重ねて、ご馳走を食べている場合ではない。
業界が好調だとしても、それが長く続いた歴史はない。戦後の高度経済成長では奇跡的に継続的な発展を実現したが、人類史上希に見る奇跡なので、基準にしてはいけない。自分が取り組んでいる業界が好景気だからと浮かれている場合ではない。好調な理由が分かれば、斜陽になる未来も十分想定出来るはずだ。
斜陽になった業界で生き抜く事を前提に事業と組織を作り込まなければならないのは、理屈で考えれば明白だ。好況を背景に、儲かって喜んでいては駄目だ。それは、自社の本来の実力ではない。
私は儲かること、第一に求めていない。どんな時代になろうとも生き残り、自社のミッションを遂行できる組織を作り上げたい。最強の組織を作り上げ、未来を背負う事業が作り上げられれば、儲けは必ずついてくる。財務的なバランスは取るが、儲けは目的ではない。だから、好況時に多少儲かって浮かれることも無い。逆に、景気が後退する中でめげることも無い。自社の強さが試される時だと思い、闘志が湧く。
当たり前を信じずに理屈を探るのだ。常識をうのみせず、思考を働かせるのだ。自己の哲学を持ち、自分の価値観、自分のスタンスを固め、自分を軸に判断を下すのだ。
世の中は間違った常識で溢れている。世論は正しい方向に常に流れる訳ではない。時に、間違ってはいるが、耳に優しい言葉に流されるものだ。多くの国民が、公より自己の保身を優先する現代において、世論もあてにならないし、世論に迎合する政治家も信に足りない。
自己の思考、自己の哲学を磨く、真っ直ぐに己の人生を歩んで欲しい。
一般の企業内には、多くのテロリストが潜伏している。また、気が付かない内に、自分自身がテロに荷担し、テロリストになっているケースも少なくない。
自社の力を削ぐ行為、自社にダメージを与える行為を「社内テロ」と名付けよう。そして、それを行う人間を「社内テロリスト」と呼ぶ。この項では、社内テロリスト発見と、テロとの戦いについて書きたい。
昨今の世界では、巨大勢力を持たない存在は多勢に対する対抗手段としてテロを用いる。テロリストにはテロリストなりの正義があるらしい。人を殺める全ての行為は許されないが、あらゆるイデオロギーの対立の中で、どちらかが100%正しいと言う状況はない。
当然、社内テロを行う人間にも、本人なりの正論はある。その正論をベースに社内テロを繰り返すのだ。結果として自分を含めた多くの仲間が不幸となる。大局観の無い正論では、誰も幸せになれない。人は救えない。
社内テロリストの具体的な例を挙げる。
(1)主張タイプ
会社の体制に対して意見したり、新しいメンバーが会社に来た時に、その人間のあら探しをする。本人的には、会社の為に発言していると思いこんでいる。自分がテロリストだという自覚症状はない。
一見良いことも言うので、ビジネス経験の無い未熟な社会人などは感心してしまう。リーダー的に見えたりもする。「会社はもっとこういう制度を作ればいいんだ」「俺だったらこういう事業展開をする」「部長はあの辺のやり方が上手くないんだよなあ・・・」など。
この言葉が建設的な意見であれば良い。テロにはならない。テロリストか愛社精神の塊かを見分けるのは難しくない。
自分の業績を棚に上げて発言している奴は駄目だ。これはテロリストと断定して良い。根本的に会社の足を引っ張っているのに、主張もくそもない。以前にも書いたが、意見というのは中身の正しさよりも、誰が言ったかの方が価値がある。言った人間に実行力があり、性能が高ければショボイ方法論でも形にしてしまうからだ。業績の挙げない人間が言った素晴らしい提案は、結果的に主体者として運営出来る人間がおらず、会社の為になる結末に至らない。
自分が責任を取り、行動する覚悟がない意見も駄目だ。これも上記の通り。責任感の無い人間の評論家的な話で、どこの企業も国も動いていない。常に、責任を持ち実行する人間の意志で世界の全ては動いている。責任を取らない人間の発言は、単体では無意味だ。実行する意志の無い人間の言葉の多くは、実行者からすれば邪魔になるだけだ。
つまり、ビジネスの世界での主張には「業績」と「覚悟」が必要なのだ。
これを理解せず、無駄な主張を得意顔で発する輩は、そのタイミングでは百害あって一理無い。テロリストだ。若い社員を惑わせ、会社の一本化を阻害するだけだ。
自分はリーダーシップがあると思いこんでいる君。自分は会社で良い意見を言っている自負しているあなた。自分がテロリストかどうか、もう一度確認して頂きたい。
(2)無気力タイプ
無気力なテロリストも存在する。彼らも自覚症状は皆無だ。かれらは自分のペースで普通に生活しているだけなのかもしれない。しかし、ビジネスの世界で自分のペースで普通に生きていたら、間違いなくテロリストだ。
例えば、朝会社に入ってきた時の声に「おはようございます」と大きな声で言えない奴。これだけで会社の雰囲気に大きな貢献が出来ることは明らかなのに、「面倒くさい」や「恥ずかしい」を優先させて、小声しか出さない。自分なりに、自分らしく振る舞っているのだろう。このプロ根性を微塵も感じさせないサラリーマンはテロ認定されて然るべきだ。
自分の顔にも気を付けた方が良い。顔が悪い奴が結構社会にはいる。顔が悪いと言っても造詣の話ではない。活気あふれた表情や、真剣な表情を社内ではする義務がある。困った顔や不機嫌な顔で周りに悪い影響を与えられては迷惑だ。
この不機嫌な顔が自分のマネージメントスタイルなんですと、豪語する奴がいるかもしれない。その手は無くもないが、意識的にやっている者と油断して感情に流されている場合とは見れば違いが分かる。
オフィス内ではキビキビ動け。挨拶は大きな声でしろ。ネガティブな表情はするな。ネガティブな発言もするな。
「めんどくせー」「ねむーい」「つかれたー」などはもっての他だ。お前はどれだけ社会人として素人なんだと言いたい。
これらの無気力テロリストは、会社の雰囲気を破壊し、仲間のやる気を破壊し、会社の評判を破壊しているのに、自覚はない。自分が無気力で楽な状態を得るために、仲間の努力を踏みにじっているのに、悪気はない。いや、本当は気が付いているのかもしれない。しかし、あまりの無気力さ故に、それらを治す努力をしたくないので、気が付かないふりをしているのだろう。
暗い顔を会社でしている人がいたら、話しかけ方の基本は「どうしたの?」ではない。「社内テロは止めて下さい!」だ。無気力な奴を甘やかしてもつけあがるだけだ。本人も自覚症状が無いまま使えない中年へとまっしぐらに進んでしまう。誰も幸せにならない。
(3)逃避タイプ
何かあると、すぐに退職に走るテロリストもいる。自分が会社内で大事にされていないと感じると退職を持ち出し、業績が上がらないと退職を持ち出す。フォローされる事によって、自分のミスをうやむやにするタイプだ。
以前にも書いたが失敗の責任を退職することによって、とろうとする人がいる。大企業の経営陣などもそうだ。退職で取れる責任など気楽なものだ。その意味では、大企業の社長など楽だ。家や土地を担保に入れ、失敗したら財産ごと持って行かれる中小企業の社長に比べたら、ある意味大企業の経営者など気楽だ。
自分の血と汗により、失敗による損失を埋める事でしか、責任は取れない。それは大変な事なので、感情的にはその立場からは逃げたい。その為の綺麗な言葉が「責任を取って退職します」である。全然、責任をとっていない。
最初から退路を確保し、中途半端に社内を混乱させ逃げるタイプのテロリストが、このタイプである。彼らは逃げ道を作ることに注力し、目前にあるビジネスに全力を投じないのだ。
※ その他にも亜流は多く居る。きりがないので後は各人のご判断に任せたい。
(4)注意
勘違いして欲しくないのは、チャレンジの末に失敗したり、会社に多大なる負担をかけたとしても、それはテロではない。全メンバーでリカバリーして、次のチャレンジを狙うのみだ。
前のめりにする失敗は良い。責任感を持ち、自分が身体を張って動いたなら、それは会社の為にいずれなる。失敗を恐れて動かなければ、組織は先細る。エネルギーを無くす。
時に企業の業績に致命的な痛手があるかもしれない。しかし、原因と責任が分かっている失敗は歯を食いしばれば耐えられる。主体者は「退任」ではなく、「再チャレンジ」でその失敗の穴は埋めれば良い。10年で均した時に、プラスになっていれば良いじゃないか。
これは断じてテロではない。
最後に
社内には多くのテロリストが存在している。テロとの戦いは、無限連鎖の中での持久戦だ。会社の文化が成熟し、体質が上がるたびにテロリストが生存しにくい環境が構築される。モグラ叩き的に対処するのではなく、根本的にテロリストが住めない土壌を作るのだ。
しかし、社内テロリストも、元々企業が責任を持って採用した仲間だ。現時点でテロリストであっても、ビジネスを学び多くの経験を積む内に、変わることもある。テロリストを発見したら、実社会を説き、ビジネスを説き、成長させなければならない。
ただし、教育を担当する者、マンマネージメントを担当する者に、テロかどうかを見極める眼がなければ、その改善は不可能だ。
この項は、テロリストであるのに、気が付いていない本人と、テロリストを撲滅し、素晴らしい組織を創り上げる任を負ったリーダー達に送りたい。