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HWSにおいて採用と人事を一手に担っているのが、萱沼という取締役だ。学生時代に私の所に来たので、かれこれ17年くらいは一緒に仕事をしている。不器用な人間なので、基礎から鍛えこんだ分、ビジネスに対するスタンスは終始一貫している。HWS以前に起業した会社では営業の前線に配置した。プレーヤーとしてもマネージャーとしても実績がある。
採用は人を見極めなければならないし、HWSの最前線にいる人間として応募下さった方にHWSの熱をありのままに伝えなければならない。これを実践するには相当の対人スキルが必要だ。他人に熱を伝えるなら、自分の内側にも巨大なダイナモを持たなければならない。現状では萱沼以外に、この任を担える人材がHWSにはいない。
そんな萱沼取締役が今朝の朝礼スピーチで以下のような内容を話していた。
「HWS内定者にも社員にも厳しさを要求する。成長には厳しさが必要なので、それを突破して未来へ繋げなければならない。しかし、最近応募者に対する面接をしていると、苦しい時に隣の芝が青く見えてしまい、安易に転職をして来た人が多い。過去にはHWS内にも厳しい要求に耐えきれず脱落した人間がいた。目前の苦しさから逃げ出せば、確かに一瞬は楽になる。しかし、本当にそれで楽になるのだろうか。踏ん張らなければならないところで逃げ出してしまった自分を抱えながら、その後何十年も生きる方が実は辛いのではないか。一瞬の楽を選んでしまった為に、その後何十年も続く苦しみを選んでいるのではないか。」
採用面接における萱沼のスタイルは、採否に関係無く本人の未来を考えた時に一番良い形を探ると言うものだ。これを言うのは易いが、行うは思ったよりも難しい。1時間も2時間も採用という実利を無視して本人の為にしゃべるには、相当の根気が必要だ。自分なりの信念がなければ継続出来ない。
そんな萱沼なので、面接にやってくる若者達が間違った価値観で苦しい未来へ進んでいく姿が残念でならないのだろう。その思いが上記の発言となっている。
人間の人格は、過去の自分の選択や行動が作っている。逃げた、投げ出したと言う事に対して、対外的には言い訳が出来たとしても、自分自身は案外騙せないものだ。自分は駄目なんだと潜在意識に刻まれる。自分はいざという時には逃げ出す人間なんだと潜在意識に刻まれてしまう。それが自分の人格となり、性能となる。その卑屈な人格を抱えながら生涯を過ごす苦痛は耐え難い。
以前にもブログに書いたが、何かを得ようと思えば必ず代償が必要となる。一見代償が無いように感じても、それは自分の未熟さ故に見えていないだけで、実際は代償が存在する。
何かしらの困難から逃げた時に、何かを成し遂げたという自信や、他者からの信頼を捨てなければならない。将来の信頼や自信を失う代わりに、今の不安や困難から逃げられるのだ。得る物と代償を秤にかけて判断しているなら個人的な趣向なので好きにすれば良いが、天秤の片方が空だと勘違いして得るものだけを掴みにかかる行為は愚かだ。
経営者にも、この天秤が壊れた者は多い。美味しそうな事業に飛びつくのは良いが、代償を見ようとしない。どこからか持ち込まれた美味しそうな事業で、一発当てようと思えば思うほど、美味しそうな事業の裏側にあるリスクや労力という代償が見えないのだ。良いところしか見なければ自制する理由は無いので、ダボハゼのごとく餌に飛びつくしかない。後で代償に気づき、騙されたような気分になるのだ。
何かを得ようと思えば、必ず失う物がセットで来る。
自分の性能を上げようと思えば、時間を使い労力を使わなければならない。苦境を自力で何度も乗りきらなければ、性能的な向上も精神的な向上もあり得ない。これらを覚悟して自分の価値を上げにかからなければ、その苦痛に耐えられない。最初から覚悟していた苦難なら、多少きつくても踏みとどまれる。覚悟が無ければ、人間は必ず楽な方に流れる。覚悟をしていても、途中で折れてしまう人間は多い。覚悟もなく、苦難に立ち向かえる人間などいない。
人間にはバランスが必要だ。大人になると言うことは、このバランス感覚を養うことでもある。「狂」を是として、常にベンチャー的な独自性を好む私の言葉とは思えないかもしれないが、人間にはバランスが必要なのだ。バランス感覚が優れている人との会話は、非常に心地よいものだ。バランスが取れるのに、あえて志に殉じ狂となるのが私の本分だ。
得るものと失うものを秤にかけ、その上でアグレッシブに生きる姿は美しい。天秤の片側だけを見て、即断即決していく人間は、時の勢いを借りれば圧倒的な強さを得るだろうが、本質的には脆い。
もし、職種を変える、業種を変える、会社を変えるなら、それで得られる物ばかり見ている自分を一度省みるべきだ。
もし、失う物ばかりを見て、何も動く事が出来ないなら、動く事によって得られる物も天秤の上に乗せるべきだ。
若い読者へのアドバイスで、この項は締めさせて頂く。
君達は、これからの長い人生において、己の天秤を磨くべきだ。人間の中には、一つの天秤がある。何かの行動をする時、何かの判断をする時に、この天秤を使わなければならない。天秤の両方に正しく重りを乗せることを学ばなければならない。
恐怖や不安や飽きなどが天秤の精度を狂わす。狂った天秤を使うと、片側に重りが無いのに、違和感すら持たずに重さを判断してしまう。狂った天秤を使って、自分なりに正しい答えを導いてしまうので、その判断の正当性に固執する。天秤が狂っているので、そもそも間違った答えなのだが、本人は気がつかない。
こう言っても、多くの方は良質の天秤を作ることが出来ないだろう。常に平常心でフェアに天秤に重りを乗せることは難しい。不安や恐怖に震えている人間では、バランスなど取れない。苦しさに耐える強さが無い人間は、常に間違って天秤を使う。他人の事を慮れず、自分中心にしか物事を感じられない人間は、やはりバランスを欠いた判断しか出来ない。
私も採用活動において、毎年多くの方とお会いする。また、過去にも数えくれないくらいの部下を持って来た。部下と言うよりも師弟関係でいう弟子を持って来た。
本質的に悪い人間ではないのだが、未熟な天秤しか持たない為に、間違った未来へ進む姿を無数に見て来た。残念でならないし、私自身の未熟さが歯がゆい。もう少し、私に影響力があれば、私の天秤を使い彼らを正しい方向に導けるのにと思う。
最後に繰り返しになるが、もう一度自分の天秤を見直して欲しい。自分の失う物にも眼を向けて欲しい。自分が得る物にも眼を向けて欲しい。強い克己心を持ち、正しく動く天秤を手に入れ、その上でチャレンジャブルに自分の未来へ歩みを進めてくれればと心から願っている。
歴史を顧みると、人も国家も悲劇や苦境に立ち向かうときに、未来への創意工夫が生まれ、後の発展を実現する。
日本も敗戦の苦境なかりせば、その後50年に及ぶ右肩上がりの経済成長は無かったであろう。ペリーが来港し、外圧がかからなければ明治維新は起こらず、後の日露戦争の勝利も無かったはずだ。結果的に、日本の領土は今より狭まった可能性が高い。国際社会で有効なのは、その土地が誰の物かという道理や倫理ではない。武力により実効支配してしまえば、何を言っても支配している者の領土となる。これが現実だ。
日本には多くの危機があった。逆境があった。その度に底力を見せ、苦境に挑み未来への発展に繋げて来たのだ。尤も、これから先も同じ様に底力を見せられるかは、別の話だ。
日本が戦後に高度経済成長を実現出来たのは、敗戦を受け入れたからだろう。敗戦を受け入れず、テロなどの抵抗活動を繰り返していたならば、国情も安定せず、国際的にも受け入れられなかったはずだ。結果、今日の繁栄は無い。
敗戦を受け入れて、国力を経済発展に迷い無く集中出来たので、本来の実力が発揮出来たのだ。
また、苦境からの脱出を考えた時に、大切なことは苦境から逃げないことだ。苦境から逃げず、苦境に挑んでこそ、創意工夫は生まれる。未来への扉も開かれるのだ。
戦後も好調に成長を続けたように見えるが、様々な危機があった。バブル経済の崩壊に始まり、円の高騰などもあった。輸出立国である日本にとって、1ドルが90円を切る事態は致命傷であった。それでも、創意工夫の中で苦境を耐え抜き、その後トヨタなどは自動車の販売台数世界一へと上り詰めた。
・敗戦を受け入れる
・苦境からは逃げず挑む
この二点が、未来の繁栄を掴むためのキーワードではないだろうか。
個人と企業において考えてみる。
敗戦を受け入れられない個人は多い。局地的な敗戦、一時的な敗戦は、本来大した問題ではない。それはそれとして受け入れ、他所で攻勢に出れば良い。しかし、根本的な部分で自信の欠落した人間は、己の自我を守らんが為に、敗戦を受け入れない。
負けている現実はずらせないので、敗戦に対して何らかの理由付けをする。例を挙げればきりがない。
「この仕事は、本当にやりたい仕事ではなかった。」
「会社の方針が見えない・・・・」
「上司又は部下に恵まれなかった。」
「もともと、他にやりたいことはあった。」
「俺の価値観が認められない。」
etc
敗戦の分析は必要だが、理由付けはいらない。ただ、事実を受け入れれば良い。そして未来へ繋げれば良いのだ。
社内においての敗戦も色々ある。売上で負ける。利益で負ける。技術力で負ける。対人スキルで負ける。人望で負ける。成長度合いで負ける。挙げれば切りがない。新卒などは成長度合いでの勝ち負けが明確に出る。スタートが一緒なだけに、本来言い訳をする余地も無く現実が突きつけられる。
この敗戦に対して理由付けをしては駄目だ。勝った人間は、それだけの根拠を持っている。現時点では、その人間の方が優秀だから成果を出したのだ。その事実を受け入れれば、次に自分がすべき努力の量が分かる。
敗戦に対して萎縮しても駄目だ。負けを受け入れるのは良いが、その結果として自信を無くしチャレンジャースピリットを失っては、成長に必要なエネルギーが得られない。敗戦から逃げても駄目なのだ。
敗戦を受け入れられない経営者も何人も見て来た。儲かっていた時代に自我が発達し、自分の価値を過分に認識してしまうのだ。タイミングに恵まれ、市況に恵まれただけなのに、「俺は経営を悟った」となってしまう。
伸びている間は良いが、事業が衰退し財務バランスが崩れても、新規事業で一発当てようと粘ってしまうのがこのタイプだ。早期に敗戦を受け入れ、無駄をカットし再起への道をデザインすれば立ち直ったはずの企業が、経営者の勘違いにより破滅へ向かう例は多い。
また、現在の市況は昨年に比べれば厳しい。業界によってはリーマン以降、壊滅的な打撃を被っている。HWSが進んでいるSI業界も、設備投資縮小のあおりを受け、厳しい市況が続いている。この時期に必要なのは、やはり敗戦を受け入れる事と、逆境に挑む事だろう。
現在売上が低下している企業は、昨年、一昨年の間に、どれだけ戦略的に組織を作り込み事業を作り込んだのだろうか。市況の良さにあぐらをかき、自社の競争力を研ぎ澄ます努力を怠ったのではないか。現況での売上低下は天災ではなく、単なる怠惰だ。
本来やるべき経営をしなかったつけが今に回ってきたのだ。この敗戦を、一度SI業界全体が受け入れるべきだろう。そして、その後に本来事業体行うべき戦略的な行動に出れば良いのだ。
一度、敗戦を受け入れたら、弱気になる必要は皆無だ。未来に対しては挑まなければ駄目だ。誰も成し得ていない領域へと、自社を引き上げるのだ。決意を持って、その為の挑戦を始めるのだ。
単純にレイオフを含めたリストラを進めれば良いのではない。撤退戦は、一時的な退却の後に、必ず攻め上がるという明確な意志がなければいけない。攻勢の意志がなければ、未来に待つ破滅を少し延ばしただけとなる。だったら、規模を縮小して守勢に入る必要もなく、組織を解散させた方が良い。
最後に
人間も企業も、苦境を迎えねば未来の成長は無い。過去に成功した国家も企業も個人も、多くの苦境を乗り越え強さを手に入れたのだ。苦境は負の要因ではない。未来の飛躍への必要条件だ。追い込まれなければ、人間はなかなか本気になれないものだ。本気になり、全力を費やさねば、他の追随を許さないほどの成果は生み出せない。
今ある市況は、負ではない。未来へのステップだ。
敗戦を受け入れるタフさと自信を持って、苦境に挑もうではないか。頭と身体をフル回転させ、前人未踏の道を作る時は、今をおいて無いのではないか。
先日、とある友人からお勧めの本を推薦してくれと言われ、何冊か挙げさせてもらった。私自身、コンサルタントが新しい飯のタネとばかりに出版する経営スキームを論じる本には興味がないし、経営者の自伝などもあまり読まない。
そんな私が勧めた一冊は、「リー・クアンユー回顧録」だ。ベンチャー企業家は必読の一冊だと思っている。以前にも書いたが、シンガポールをマレーシアの一領国から、世界第二位の競争力を誇る国家に引き上げたアジア最強の政治家がリー・クアンユーである。彼の取り組みは、企業経営に直結する。劣勢のベンチャーが巨大企業相手に戦いを挑む際には、彼の軌跡から、多くのアイディアと勇気を授かるはずだ。彼の生涯を回顧録として綴ったのが、この一冊だ。
民主的な独裁者と揶揄されるリー・クアンユーであるが、実はシンガポールの独立を望んではいなかった。リー・クアンユーは華人であり、シンガポールは華人が大半を占める地域だった。マレーシア内には、マレー人と華人との民族対立もあったが、マレーシアに対してシンガポールは経済的な依存もあり、緩やかに領国として関係を持続することが望ましかった。
しかしマレーシア政府は、意に従わないシンガポールを、制裁の為に無理矢理独立に追い込んだのだ。他の領国に対する見せしめでもあったのだろう。
リー・クアンユー自身もギリギリまでは、連邦制を志向し周旋したのだが、その想いは叶わず独立に至った。決して華々しい独立劇があった訳ではない。夢破れた後に、仕方なく行き着いた独立であった。
その後、リー・クアンユーを中心にシンガポーリアン達は何十年もの時間をかけて建国の偉業を成し遂げたのだ。
私もリー・クアンユーには多くの勇気を頂いた。私自信、独立したい、社長になりたいと思ったことは一度もない。常に、仲間達が幸せになる道を探り、組織がより強大な力を持つ道を目指した。結果、泣く泣く社長として独立しなければならなかったのだ。もし、若い内にお世話になった経営者が、無私の姿勢を貫き、組織の勝利を最優先にしてくれていたなら、経営者としての私はいない。私が経営をする必要がない。ビジネスの前線で、一人のリーダーとして全力を投じてはいただろうが、経営者として道を歩むことはなかった。
しかし、一旦その任を背負い経営者としての役割を担うなら、その道を極めなければならない。そこにあらゆる言い訳はなく、その任に着いたという事実だけがある。その瞬間に他のオプションは消える。己に課した職務を全うするのみだ。
そうして後天的に創られたのが、私の経営者としての姿だ。
事業を行う動機は、人様々であろう。動機は10:0で割り切れるものではなく、金銭もあれば社会貢献もあるだろう。
私の場合は、「俺がやらねば」という使命感に突き動かされている様に感じる。事業は好きだし、自分の人生の価値を試してみたいと言う欲はある。自分の人生を使い切って終わりたいという気持ちも強い。自分の人生の使い道が使命であり、それによって実現される未来が人生の価値だ。
己が使命と定めるのは、必ずしも当初に志向したものではない。リー・クアンユーも最初から現在のシンガポールを志向してはいなかった。状況に対応し、完全なる独立国としてシンガポールを創り上げる事が使命となったのだ。
それで良いのだと思う。現在、私の使命はHWSが実現する未来だ。しかし、これは二十代の頃に描いていた事ではない。全力で生き、目の前の課題を突破していく中で、自然にたどり着いたのがHWSなのだ。全力で何かに挑んだ先にしか、自分の生涯をかける使命は見つからないのだ。
大切なのは、全力で挑むことだ。自分の性能をフルに使っても、簡単には進めない道を歩んでみる事だ。そうすれば、自分がすべきことが自然と分かるはずだ。眉間にしわを寄せて何時間考えても駄目だ。何年考えても駄目だ。今現在、成すべき事に全力を傾けよ。その結果、未来の道は自ずと開かれよう。
使命を追える人生は幸せだ。成果や責任に追われ苦しいだろうが、使命もなく無為に時を過ごすよりは格段に良い。
苦境の時こそ、意識を横にそらさず、今ある道を前進せよ。あらゆる障害を突破せよ。苦難に耐え抜け。その先にある自らの使命を求めて、ひたすら前進せよ。
人間には二面性がある。企業にも二面性がある。私が二十年間で学んだ一つの結論だ。
この二面性とは、難しい心理学の話しではない。シンプルなビジネスの話しだ。平常時と非常時という二面において、その人間、その企業のあり方が問われる。
平常時であれば、ちょっと気の利いた人間なら、人格者の様に振る舞える。聞き分けも良く、責任感もあり、他人のことを慮るような態度も取れる。平常時であれば、十分優秀な人材だ。しかし、この平常時の人格者も非常時には全く別の人間になる。「あの人があんな事を・・・」という話しがよくあるが、これは人間を知らない人の発言だ。平常時と非常時では、全く別の人間だと考えなければならない。
私が人を信頼する基準は「変わらない」事だ。
多少性格に難があろうが、不器用だろうが、変わらない人間はその範囲において信頼出来る。私は二十代に多くの人の変貌を見て来た。
日本の未来を語り、若者の未来を語るカリスマ的な経営者が会社を私物化し、個人の贅を極めんがごとく変わっていく姿も見た。これは内部から見た。尤も、変貌したのではなく、最初から同じスタンスだったのかも知れないが、二十代の私には見破ることは出来なかった。
逆に会社が苦しくなると、自分の資産を守る事ばかり考え、会社や取引先の迷惑を考えない経営者も多く見て来た。平時では社員の幸せや、自己の社会的責任をしたり顔で語っていたのに、非常時にはいの一番で逃げる。尤も、そう簡単に逃げられる訳でもない。
良い時も人間は変わる。良い時は、豊潤に実った果実を独り占めしようする。組織の未来よりも、組織のビジョンよりも目先の享楽を選ぶ。草創期に有った夢や希望よりも、保証された未来の安楽を選ぶのだ。
悪い時も人間は変わる。あれほど主張した責任感も、使命感も消し飛び、身の安全を追う。何とか悪い状況から逃げる事が命題となり、その他の事に頓着しなくなる。そこには潔さや、前向きなバイタリティーはない。卑屈な姿で現状から逃げようともがく姿がそこにあるだけだ。
「変わる人間」には、総じて言い訳癖がある。反射的に自己の正当化に頭を使う。そして、間違ったプライドの高さも「変わる人間」の特徴だ。成果に対してプライドを持たず、恥ずかしい状況で自分が傷つくことを恐れるのだ。成果を出すことよりも、成果が出ない自分への言い訳作りに必死になるのだ。成果を出すには努力と時間が必要だが、自己の正当化なら一瞬で終わる。遙かに楽なので、底の浅い人間はこちら側に安易に流れる。
「努力して何かを成し遂げる」と言う決意は簡単に捨てるが、「努力を止めて目標を捨てる(変える?)」という決意には固執する。
「死ぬほど努力をして、一流のエンジニアになる。」と言う決意は、壁に当たれば簡単に捨てる。その割には「一流のエンジニアにならない」と言う決意は、一旦決めると妙に強く主張する。何を言われても「もう決めました」と言ったところだろうが、その前に「一流のエンジニアになる」と決意した自分はどこに行ってしまったんだと問いたいところだ。本人はその矛盾に気がつかない。気がついても認めたくないという心理が働き、自分の中では正当化が完結しているのだろう。
HWSでも毎年十数名の新卒を採用している。中途も入れると、年間五十人近い新入社員がいる。楽さや面白さを見せて入社させる事はしないので、厳しさを見せて、厳しさを要求して入社して頂く。結果、業界的に言うと退職者は極めて少ない。脅しではなく、厳しさをしつこく言うのだが、それでも年間に数名退職者はいる。入社前までは自分の常識感の中で大丈夫だと思っているのだろう。軽い言葉で「自信があります」「本気です」と言う。
昨年も新卒の内定者は18名いた。HWSにおいては、一般で言うような内定辞退はない。研修に耐えきれず、脱落した人間は若干名出るだけだ。結果、入社まで漕ぎ着けたのは15名だ。入社後は内定者研修の時よりも更に厳しさを要求されるので、内定者の段階で脱落するならお互いの為だろう。出来れば労力の無駄なので、面接までに判断してくれると助かるのだが、内定を取るための必死さで、正しい判断が出来ないとしたら残念だ。今年は更に厳しさを増して、面談をさせて頂いた。
脱落するときは、当初の決意は一切忘却している。今の自分の感情を中心に置き、その感情を守る為に理由付けをする。重圧から逃げたい、激務から逃げたいという感情を第一にしてしまうのだ。
最近でも毎月百数十名の求職者にご応募頂く。経歴書を見れば、その人間の生き様が見えてくる。目先の楽しさや、興味に流されて、信念も義もなく生きてきた人間はすぐに分かる。どんなに業務経歴を積みあげて、自分のスキルを主張してみても、生き方に根が無い人間は信用出来ない。HWSでは採用しない。
話しを戻す。
極度のストレスがかかった時に、変わらずにいられるか。又は、マンネリに陥ったときに、自力で動きマンネリから抜け出して、決意した方向へ動けるか。これが信頼の根源だ。将来変わってしまう奴の何を信頼すれば良いと言うのだ。そんな人間に何を任せれば良いと言うのだ。
信頼すべきは人間の強さだ。見せかけの威勢の良さではなく、非常時も平常時も変わらず、自分の信念に沿って歩める強さが、パートナーとして信頼できるかどうかであり、その人間の価値なのだ。
多くの人間には二面性がある。しかし、私は一面しか無い人間として、仕事人生を歩みたい。多くの方の信頼も勝ち取り、価値ある事業を創り上げたいのだ。
ビジネス道を歩むなら、人格は一面で良い。その一面を必死に守り抜けばよい。目先の損得に囚われては駄目だ。上手く立ち回ろうとするな。リスクから逃げ回っていては、何も成し遂げることは出来ない。リスクは正面から撃破すべきだ。
人間の本質は弱さにある。弱いので、哲学や信念を作り、一面で済む人生を意志の力で創り上げるのだ。その信念を創り上げた者こそが、多くの方の合力を得て偉業を成し遂げるのだろう。
世の中には雇用調整助成金と言うものがあるらしい。社員を自宅待機させておけば、給与の60%が国から出るのだ。もっとも業績が下降しないと、支給対象企業にはならないので、HWSでは使えない。
SI業界に関して言えば、雇用調整という名目だが、実際は在庫調整の様に感じてしまうのは穿った見方だろうか。
本来、エンジニアとはビジネスパーソンだ。その役割は企業に貢献し、収益を生み出す事だし、企業を成功に導くために技術を駆使する存在だ。企業の業績が悪くなった時に自宅待機するのではなく、営業でも提案でも行いながら収益を生み出す為にがむしゃらに動くのが正しい姿だ。
自宅に待機するエンジニアには、自力で社会へ復帰する道は無い。あくまでも他力本願で、自社の業績が回復するか、市況が回復しない限り後退はしても前進はない。状況が自活的に良くなることは金輪際無くなる。待機という何も生み出さない時間が、己の精神や技術を蝕み、人材としての価値を落とすのが関の山だ。
自分の意志や努力で未来を制御できず、僅かな給与をもらって縮こまっているエンジニア達に言いたい。「君達の誇りはどこにあるのだ?エンジニアとしての誇りはどこにあるのだ?」と。
高い価値を生み出せず、自分の給与の倍程度の粗利も稼げず、状況が悪くなると簡単に切られてしまう。ビジネスパーソンではなく商品なので、生み出す付加価値を経営陣に期待してもらうことも出来ず、需要が沈んだ市況では在庫調整よろしく破棄される。そんな存在がエンジニアだとしたら、何とも誇りもなくつまらない仕事ではないか。
本来、エンジニアは日本の中核なのだ。技術によって生み出された製品やサービスによって、外貨を獲得し豊かさを実現したのが日本ではないか。誤解を恐れずに言えば、日本中を食わしているのは、技術であり、それを支えるエンジニア達ではないか。
政治家よりも、金融マンよりも、広告マンやテレビ関係者よりも、はるかに実があり重要な仕事がエンジニアだ。技術によって生み出された富が、日本人の幸せを担保して来たのが戦後の歴史だ。日本には技術以外に売れる商品がない。少なくとも、国家を支えるほどのボリュームで海外へ売れる製品は、技術によって生み出された物しか無い。
ハイテクを底支えするエンジニアが、何故誇りも捨て、無気力となり、物として扱われなければならないのだ。そんな扱いを甘んじて受け入れるのだ。
断じてエンジニアは商品ではない。エンジニアは人間であり、ビジネスを司る存在なのだ。会社の業績が落ちたら、自宅待機などせずに、自社に給与を返納してでも、前線に踏みとどまるべきだ。前線に身を置き、徹底して足掻くのだ。足掻きに足掻いて、現状を自分達の力で突破するのだ。自分達の精神と技術を注ぎ込み、仲間達が生き残れるくらいの収益を作り出すのだ。
世の中、損得だけで考えてはつまらない。損得の前に意地や誇りがある。思考停止の中で、前線で戦うストレスから解放され、自宅で待機しているくらいなら、エンジニアとしての誇りと意地を見せ、給与を止めでも戦えと言っているのだ。業績に対する責任、給与を稼がなければと言う重圧、仲間からの期待など、全てを背負ってビジネスの前線へ行かなければ駄目だ。
企業の業績が悪いだの、国の経済状況が悪いだの評論家のように理屈をこねるよりも、プレーヤーでいる道を選ぶのだ。誰かに人生の舵を渡さず、傷つこうが辛かろうが、自らの力で状況突破を目指して欲しい。
市況が良かった数年間、エンジニアは自分の存在意義を考えなくても次々に仕事を獲得出来たし、商品としての需要があったので、チヤホヤされもした。あくまでも商品としてチヤホヤされていたのに、人材として価値があると勘違いしたエンジニア達が現状に対応出来ず苦しんでいる。
エンジニアも「単金100万円くらい取れるんだから、給与は70万円くらいもらっても当然でしょ。」とばかりの態度を前時代では取ってきた。この様な考えを、ビジネスパーソンなら持たない。どれだけの利益を入れるのかが自分の価値だし、この程度の粗利率しか稼げないならビジネスパーソンとしては四流五流だ。基準外のレベルの低さだ。でも、多くのエンジニアはこれに似たような感覚を持っている。人ではなく、商品だからだ。「70万円で仕入れて、100万円で売れれば会社には利益があるでしょう」と言う理屈なのだろうが、これこそが自らを物として扱っている態度なのだ。
会社もエンジニアを商品として扱い、エンジニア自身も自らを商品として高く売ろうとした歴史が、市況の良かった数年の間に積みあげられて来た。
良い機会だから、声を大にして言う。
君達は商品ではない。君達は物ではない。君達は組織を構成するビジネスパーソンであり、所属した組織のメンバーと連携して未来を創る仲間だ。人間としての心と態度を取り戻して欲しい。エンジニアとしての誇りを見せて欲しい。
収益は会社の誰かが確保してくれるのではない。誰かの責任下で作業をしていれば、自然と湧いてくるのではない。自らが持てる全てを使って生み出すのだ。そして、自分の家族も守り、組織の仲間も守るのだ。その責任を背負い、覚悟を決めてこそ誇りある未来を目指せるのだ。
エンジニア諸兄に告ぐ。
萎縮をするな。投げやりにもなるな。誇りを持って、覚悟をもって、今までのエンジニア像を変え、未来へと進んで欲しい。エンジニアの意地を見せつけて欲しい。
日経新聞の一面を見ても、増産などの前向きな記事が増えてきた。サントリーとキリンの合併も、戦略的な理由であり、単純に規模の拡大を目指していないとコメントされている。基本的には海外マーケットを睨んだ攻めの合併という事らしい。
すでに、攻める企業は攻め始めている。市況もそれなりに動くだろう。タイミングを間違わなければ、中小SI各社は飛躍の機会を早々に得られるはずだ。現況の中で、反攻への体力を維持出来るかがカギとなる。
市況が反転した時点で、メンバーはいない、会社の料金設定は厳しい時代に叩かれて下落の一途を辿っているでは、せっかくの機会を逃す。私自身、二十年のビジネス人生を通して、攻めるときに攻めきれずに、成長出来なかった事も多い。逆に蛮勇をふるい伸びた企業も多く見て来た。
チャレンジは推奨するが、私には蛮勇がない。ギャンブルに当たったがごとく企業を急成長させた経験もない。今のHWSもそうだが、手綱が効く範囲で着実にステップを踏んできただけだ。「HWSさんは急成長していますね」とイメージ先行で言われることあるが、事実は違う。何をもって急成長かは意見の分かれる所だろうが、私の感覚で言えば、今ぐらいの成長は普通だ。駆け足を志向しているが、速度が出ていない感じだろうか。蛮勇を武器に急進するチームがHWS内にいくつかあったら面白いとは思う。
しかし、基本的には私のスタンスを継承するHWSなので、現状で言えば誰でも伸びられる時代に商才を発揮して、更に爆発的に伸びる企業ではないかもしれない。しかし、誰もが投げ出す時代にしぶとく生き抜いて、反転と同時に徹底的な攻勢に出る事には自信がある。今の市況の流れは、我々には優位に働くだろう。
人にも組織にも強さと弱さがある。この時代でも、コンシューマー向けのサービスを展開している会社などは、業績を伸ばしている所も多い。逆に、高い技術力を蓄えて来た企業なのに、基幹系や組込系の開発をメインにしてきた所は、手控えられた設備投資の為に苦境に陥っている。これは単純に優劣の問題ではない。
時代が変われば弱さと強さも逆転する。時代に合わせて、個性の活かし方を変えなければ、営業が難しくなる。テンポラリーな成果は、その組織の実力を表さない。
HWSも小なりとは言え、百名を超えた個性が集っている。状況に応じて、それぞれの強さが活かされれば、不況下でも攻勢に出られる。
私自身、過去の経験から個が生み出せる価値も、個が生み出せる限界も理解してきた。私個人の力だけで、この時代を切り開いて発展する事は出来ない。メンバーの総力を結集する以外にHWSが志向する未来を実現する道はない。
社内でワサワサと動いているメンバーの姿を見て、HWSの未来の発展を感じる。世の中には、社内にいるメンバーの姿を見て、人件費の圧迫しか感じられない経営者もいるだろう。規模にもよるが、メンバーの動きに不安を感じたら経営者は自ら営業に走り、自らメンバーを鼓舞して回るのだろう。不安故に、動かずにはいられないのだろう。現状、私は自ら営業活動に力を入れてはいない。メンバー達を必死に鼓舞もしない。
私がそんな動きに出なくても、奴らは必ず営業を成功させ事業を伸ばす。事実、彼らの努力でHWSは成長を止めていない。私が百人を超える人員を直接鼓舞することは出来ない。一人の人間が直接管理し、モチベーションを制御できる範囲は、せいぜい二十名が限界だ。それ以上にメンバーが増えれば、役割を誰かに委譲するしかない。その委譲が上手く文化として定着すれば、千人でも二千人でも組織は統率出来る。
世の中には、企業の力を自分の力と混同して、勘違いしている経営者も多い。足掻くことは大事だが、右往左往して混乱に陥ってはリーダー失格だ。今更経営者が焦っても、経営者にはアスピリンのごとく組織の痛みを急激に消す力は無い。そもそも、組織に効くアスピリンはない。組織に効く遅効性の漢方薬はあるが、基本は薬に頼らず身体を鍛え、節制し予防に努めるのが正しい。
この一年の市況下で、メンバー達の成長は著しい。その分、権限の委譲も急激に進んだ。今のHWSのメンバー達なら、ジワジワ売上を伸ばしながら、このまま何年でも地道な成長を実現できるだろう。しかし、既に維持した体力を使い攻勢に出る時期は近い。今の彼らの動きに市場の伸長がついてきた時が、我々が一気に次のステージに上がる機会だ。尤も、現場で疾走しているメンバー達は必死なので、攻勢をイメージするには至っていないだろう。それで良いのだ。これは役割分担だ。
今は静かに時を待つだけだ。外形的には静かだが、組織の内部は激しく動いている。私が動かしているのではない。まだまだ未熟ではあるが、一人一人の意志で動いているのだ。この組織が、私の希望であり、誇りだ。
HWSは終身雇用を是としている。終身雇用自体が目的なのではなく、HWS流に最強の組織を目指した時に、結果として終身雇用にならざるを得ないと言うことだ。
本来、終身雇用は自然な姿ではない。事業には良い時も悪い時もある。僅か数%の利益の差で赤字か黒字かが決まる。売上が二割下がる、三割下がると言う企業が日本中に溢れている中で、雇用だけを死守する事は不可能だ。物理的に計算が合わない。無理矢理雇用を守れば倒産の時期を早めるだけだ。
中核の人間は守るとしても、その他の構成員に関しては事業の状況によって流動的に増減させる事が適切であろう。日本のみならず世界中の企業が大なり小なりのリストラを断行し、現在に至っている。
企業において一番大事なのは、その組織が持つミッションだ。何を成し遂げるのかという組織の存在理由が最初にある。そのミッションを達成する為に人を集めるのが雇用となる。雇用は大事なことだが、第一ではない。
良いサービスや製品を作り、継続的に世に提供出来なければ、企業は存続を許されない。ユーザーがお金を払うだけの価値を作らなければ社会から撤退しなければならない。商品は品質とコストの両面から判断される。コンペティターと比べられ、相対的に判断される。コストの部分は不適切な雇用の維持により一瞬で競争力を失う。コストに競争力が無くなれば、商品は受け入れられず企業は倒れる。
これが前提なので、終身雇用を目指さない他社に対しての批判はない。派遣切りが話題になろうが、大規模なレイオフを世界的に展開する企業があろうが、資本主義社会の歴史を顧みれば日常的な判断だと感じるだけだ。
そもそも、派遣切りの問題などは、労働者側にも甘えがある。世界を見れば分かるとおり、現代社会で雇用の保証などは無理だ。保証出来るだけの財力を国も企業も持っていない。セフティーネットなどの要求をするのは自由だが、日本は世界最大の債務国であり、毎年借金を増やしている国に個人の生活を保証する力は無い。
雇用は誰かが保証出来るものではないのだ。自分達で力を合わせ、守り切るしかないのだ。これは戦いだ。
戦意を失えば、全てが奪われる。資本主義の根底には競争の原理がある。ルールに則った戦いをすれば、敗者から全てを奪っても文句を言われない。逆に強者が盛る事で雇用や市場が生み出され、社会は良い方向へ向かう。資本主義の仕組みとはこの様なものだ。一時的な敗者は、再起を図り次の勝者となれば良い。ただし、戦意を失わなければの話しだ。
現在、仕事が無く社内外に待機しているエンジニアが世の中には多いと聞く。現時点では不安だろうが、誰もその不安を解消してはくれない。戦意を持った人間から順番に、自らの力で不安から解き放たれる。
競争が是とされる社会に我々は生きている。善し悪しは分からないが事実だ。日本経済が奇跡的に強かった時代であれば、多くの需要が社会に存在し、「生きる」と言うテーマを意識せずとも食にありつけていた。しかし、今は少しだけ本来の資本主義社会のルールが見え始めている。競争に勝たなければ、食は得られない。
一つのプロジェクトを取るコンペに百社が名乗りを上げたとする。ここで、ショックを受け意気消沈している場合ではない。百社の中で抜きんでて、勝つことを普通と思えなければ生き残れない。戦意を失えば、他社がその仕事を持っていくだけだ。
「無理です」「出来ません」などと言っている暇があったら頭を回し身体を動かすのだ。「無理です」と言えるのは甘えだ。「出来ません」といった瞬間に「じゃあ、さようなら」と言われるのが、プロの世界では普通でありルールなのだ。
HWSではエンジニアも営業を行う。「出来ません」は許されない。戦意を失えば、誰かに何かを奪われるだけだ。それが未来の地位なのか、将来の報酬なのか分からないが、戦意を失った瞬間に、未来を一つ失うのだ。
「出来る出来ない」など聞いていない。「出来なければ生き残れない」と言っているのだ。
今の日本なら、戦意さえあれば何とかなる。失業率を見ても僅か5%程度に過ぎない。現金を掴む道はいくらでもある。戦う意志があれば、何かしらの仕事で食を得ることが可能だ。
多くの業界が不況だと声を上げているが、激しい競争は本来資本主義社会の前提ではないか。他社から抜きんでなければならないなら、戦意を持って挑まなければ駄目だ。仕事が無いなら、仕事を作らなければ駄目だ。そこに「出来ない」という言葉は必要ない。何とかしなければ「座して死を待つ」のみだ。やるしかないのだ。
HWSはあえて終身雇用に挑む。全メンバーが高い戦意と生産性を実現し、一点の贅肉も無い組織を目指す。一人として欠けない方が、組織はより強くなり体力を増す組織を目指す。
私にとって終身雇用とは、弱い人間を守る事を指さない。辛いときは支えるが、羊の集団を強い人間が守るのでは駄目だ。そんな企業が未来に生き残りはしない。ましてや我々はベンチャーだ。過去のストックなどない。
私の覚悟は、全員が地力で収益を上げ、価値を創出する集団を作ることだ。それを実現出来るだけの性能は全メンバーに要求し続けることだ。その結果として、終身雇用が実現され、最強の組織がHWSのミッションを達成していく未来を創ることだ。
これは私を含めた誰か個人の力で成し遂げることは出来ない。全メンバーの覚悟と努力によってのみ実現可能な道だ。この時代だからこそ、声を大にして終身雇用を謳いたい。その言葉に我々の戦意を込めて、資本主義社会の未来を示したい。
東国原知事の発言を機に、道州制の議論が活性化している。個人的な意見を言えば、現状の日本は地方分権を進めるべきだ。中央が集中管理するには、日本経済は巨大になりすぎたし、歳入と歳出のバランスが崩れた現在では、より小さな政府を志向すべきだ。
そもそも、雇用も富みも創出するのは民間企業だ。国は企業から吸い上げた税金を割り振るだけなので、富が創出されない現在において分配する機能は重要ではない。必要なのは創出だ。現在の中国なら、国が圧倒的な権力を行使し、即時必要なインフラを作ることが大事だが、日本のインフラは国の過剰投資によって十分を超えている。空港建設などを見れば分かるように、既に過剰投資の領分に入っている。
今は政府を極力小さくし、何も出来ない状態にすべきだ。その上で国債の発行が必要ないレベルまでバランスを整えるべきだ。外交や最低限の生活保護などは国が支え、創出に関わる部分は民間企業と地方行政で取り組んだ方が、個性があり付加価値の高い産業が作られる。
政府が不要だと言っているのではない。任せられる事は地方に振ってしまった方が、本来中央ですべきこと、中央しか出来ないことに注力出来るではないか。国家として政府しか取り組めない課題で、まだ出口が見えない問題も山積しているはずだ。
これは企業経営にも通じる。権限委譲が進まない組織は、委譲できるタスクですら、自己の存在価値を確保する為に手放さない管理職で溢れている。社長には社長がやらなければらないタスクがある。部長には部長がやらなければならないタスクがある。それは、固定されたルーチンワークではなく、上級管理職になればなるほど、クリエイティブな領域になる。クリエイティブな領域が本来担わなければならない職分なのに、自分の立場を守るためにルーチンワークに固執するのだ。
各県も国の援助を放棄し、それぞれの地域で黒字化を進めるべきだ。各道州が新しい産業を育成し黒字化することで、日本の全体の強さは担保される。
私がHWSで目指しているのは、この道州制なのだ。
HWSには現在12の事業部がある。事業部制導入を進めるに当たって、道州制が私の脳裏をかすめた。規模感は相当違うが、根本的な理屈は変わらない。ただし、HWSが今現在、悪い意味での官僚的な組織として停滞している訳ではない。
SI業界自体が既得権益の中でパイを取り合う閉塞感の中にあり、そこで生息するITエンジニア達が不健全に育ってしまったのが現状である。利益やリスクに対する察知力も鈍く、管理職としてもビジネスパーソンとしても未熟なエンジニアが量産されている背景には業界構造の老朽化がある。
どんなに素晴らしい仕組みでも、十年も変わらなければ淀む。当初の志しや刺激は無くなり、意志を持たない人間達がその仕組みの上に乗り日々の糧を食む。組織や社会は劣化し弊害が生まれる。その仕組みに問題があるのではなく、単に老朽化したのだ。
エンジニア達がビジネスパーソンとして正しい感覚を養うには道州制導入しかない。利益を担保すること、リスクを回避することを人任せにせず、自力で今を生き抜く覚悟が無ければ、人も組織も腐敗の一途を辿るだけだ。
これが私の結論だった。
優秀なリーダーの下で、エンジニア達が事業の構築や収益の確保を担う一種の道州制。責任を背負う代わりに、報酬も事業領域も自分で決めることが出来る。それぞれの個性に伴った産業が各地方(各事業部)から育って行く事を目論んでいる。
道州制(事業部制)がもたらす効果は多い。
各事業部は会社を支える同志でもあるが、健全な競争も事業部間にはある。自チームに所属するメンバーが、どれだけ幸せなのか、安心して生活できるかは事業部の方針や実力によって変わる。他のチームに負けないようなビジネス環境を作るには、メンバー達が総力を挙げて戦わなければならない。
適正な競争がなければ、やはりあらゆる組織は腐る。自動車産業が国家事業であり、トヨタが独占的に車を作る権利を持っていたら、今ほど競争力がある商品は生まれなかったはずだ。お金は潤沢に使えるし、人も多く集まっただろうが、そこに他企業との競争が無ければ、出来上がる製品のレベルは上がらなかっただろう。上げる必要がないからだ。
SI業界では、企業間の競争はそれなりに有ったにしろ、エンジニア同士が凌ぎを削る戦いをしてきたとは言えない。企業の傘の下で作業を繰り返して来ただけで、他者と比べられる経験は少ない。だから、少し市況が悪くなった程度で、軟弱にも「一人の枠に何十人も応募があるので、仕事が取れませんよ・・・」と、めげてしまったりするのだ。この程度の競争はビジネスの世界では日常だ。
事業部制により常に適正な競争の中にエンジニア達を置くことが出来る。競争を是とする感覚がエンジニアには必要だ。
事業部制が進めば、事業部毎にもっと特色が出るはずだ。その特色に応じて自事業部毎のビジネスを作り込んで行けば、今回の様な市況になっても、全ての事業部が駄目になることはない。日本も一律に悪いような雰囲気になっているが、地域ごとに全く違う産業があるなら、今の市況を受けて伸びる地域もあるはずだ。一律に駄目になり、一律に良くなると言う構造では、いつか立ち直れない痛手を受ける。立ち直るきっかけが日本中探しても得られないからだ。
当然、事業部制が進めば繁栄するチームと衰退するチームが出てくる。それは極めて健全な事だ。これを中央の力で無理矢理救う必要もない。繁栄も衰退も一過性のものだ。衰退したなら、小チームの良さを活かし、再建の道を作れば良い。国家でも、国力が弱まれば安い人件費やインフラ費用を武器に新たな産業を興すことも可能だ。一時期の負けで自らを全否定するから未来が閉じるのだ。全ては一過性のものだ。心を折らず、次の発展を狙い続けるマインドがあれば、悲観する必要はない。ほとんどの事は何とかなる。
小単位に分けると、物事の本質がはっきりする。
企業はいくつか選択を誤ると倒れる。こんな簡単な事が、強大企業の社員には実感として理解出来ない。一人一人がコストと利益を上げなければ、やはり企業は倒れる。この事実の上に存在する社会人なのに、プロフィットとコストを意識し続けられない人間は多い。例えば三人で会社を回していたなら、否が応でもプロフィットとコストを考え続けるだろう。
事業の目的は、「売上○○億円達成!」でも「10年連続増収増益!」でもない。ましてや、「社員数1000名!」でもない。
この様な目標に囚われすぎると、企業は正しい道を外れる。
見なければならないのは、己の事業においてお客様をどれだけ幸せに出来るかだ。それが目的であり、企業の価値だ。売上も店舗数も増収増益も、クライアントを幸せにして、自社が社会の一翼を担う為の手段に過ぎない。手段を目標として叫び続ける姿が、そもそも本質から外れているのだ。
小さな単位に区分することの一番の価値は、本質が明らかになることだ。明らかになった本質を一人一人が得心し、適切な行動を取れば企業も社会も良くなるしかない。それで良くならなかったら、地力が低すぎるので鍛錬するしかない。
我々はIT業界における先駆者として、道州制の完成を目指す。道州制により、本質を理解したエンジニア達が社会の変革を実現する未来をひたすら目指す。
最近、朝礼では役員にスピーチをさせない様にしようという空気が高まっている。朝礼は自分達で創り上げるものだし、メンバーのスピーチが十分であれば、役員がわざわざ話す事も少なくなるはずというのが理由だ。
実際、最近はなかなか良いスピーチも見受けられる。スピーチの質が低下気味の日もあるが、自分達でという意欲が大事だ。社長がプログラムを組んで、軍隊よろしく朝礼を進めればメディア的にインパクトが強い姿を作れるが、人材の育成面で言えば意義は少ない。
最近はメンバー達のスピーチに「ゆうよねぇ~」(死語?)と感じる事も多い。
先日、某営業社員が朝礼で話した内容を書きたい。
彼の弁を借りれば、このまま市況が回復することに危機感を感じるとの事だ。現在は業界的に芳しい市況ではない。その中で、様々な工夫をし、知恵を絞り、身体を動かしてメンバー達は仕事を作っている。ここまでやらなければ仕事は生まれないのかと言う実感と、逆にここまでやれば仕事は作れるのだと言う自信を得るには、この時期しかない。昨年までの市況では、どれだけエンジニア達に「大変な時代がくるぞ」と言っても、「はあ、わかりました・・・」と実感の無い反応しか返ってこなかっただろう。
だからこそ、この時期にメンバー達に営業も覚えさせ、地力で仕事を創り上げる術を得させたいのだと言う。自ら営業もこなし、外部とのリレーションも作っていけるなら、それこそキャリアパスなど個人の思い通りになる。組織にとっても、より良いプロジェクトを生み出す源泉になる。全てメンバー一人一人が、自分で動いて決めれば良いのだ。
「この不況が早く終われば・・・」と言う社会人は多い。多くの経営者と会っても、出る言葉は未来への願望ばかりだ。HWSの営業担当の発言は、ファイナンスリスクが無いから言える言葉かもしれないが、この時期の価値を理解し、今しか出来ない事、この時期を使って組織の能力を高める事をクリエイティブに狙って行ける姿勢には凄みがある。
尤も、現場のリーダーや仲間達が最低限の成果は出してくれるだろうと言う信頼があって初めて言える言葉でもある。死ぬか生きるかの瀬戸際だったら、何でも良いから市況が回復してくれとなってしまうはずだ。信頼の中で、自分の役割を理解し、この時期に組み上げられる部分にひたすら取り組む姿が、組織人として良いと言う話しだ。
私も過去に多くの危機を体験した。
それに比べれば、現況などかなり平和な感じだ。今思えば、過去に体験した危機があったからこそ、この市況下で涼しい顔をしていられる。先手も打てているのだろう。
経営はギャンブルではない。基本的に数年で儲けて、後は放り出してお終いというものではない。何年も何十年も時間をかけて、事業を育て社会に根付いてこそ経営だ。投機やギャンブルではない事業なのだ。
二十代、三十代の皆さんは、これから先何十年も仕事が続くのだ。その時間の中には今回以上の危機が何度も訪れる。家庭を持ち、今より厳しい状況がやってくる。その時に平常心で先手を打ち、乗りきって行くための基礎は、この時期にしか作れないではないか。
実は今しか出来ないことが、各企業にはあるはずだ。今だからこそ、一時的に売上は停滞しても、逆に進化できる部分も必ずある。進化を実現する為には、現実から目をそらしては駄目だ。運や偶然で会社の売上が落ちていると思っては駄目だ。市況は全く悪く無い。工夫次第では去年以上に業績を伸ばすことが可能だ。事実、弊社も昨期よりは間違い無く業績が伸びている。
今ある現状を認め、自社の現存する能力を認め、その上で未来に生きる道を探るのだ。精神論だけでも駄目だ。未来につながる道を定め、今の苦しさに耐える意味を知り、その上で最後は精神論で、現況を突破するのだ。
今を耐えるのではない。耐えるという後ろ向きな行為をするのではない。今しか出来ないことを、このチャンスにやり切るのだ。残された時間は多くない。気がついたら市況が回復してしまう。市況が回復基調に入る前に、自社の命題に取り組むのだ。
今こそ、市況が回復することに危機感を持とう。市況が当分回復しないことを祈ろう。その中で、未来に繁栄する組織、未来に繁栄する事業の基礎を作り込もうではないか。
それがビジネスパーソンの心意気と言うものだ。