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最近HWSでは事業部長会議なるものが自発的に開催され、私も出席させてもらえない。そこでは営業戦略や会社の制度など、様々な事が話し合われ随時決定されていく。あまりにHWSの基本的なスタンスに合致しない決定であれば、私が責任をもって止めるが、それ以外は全て無言で通す。
色々な報告をリアルタイムで受け、状況を常に把握していることで安心感を得る経営者も世の中には多いだろう。私も社内で起こっている事は気になるし、知りたい。必要であれば聞くし、大事なことは出来るだけ早期に報告して欲しい。
しかし、一定のレベルを超えた人間からの細かい報告は特に要求しない。担当者が必要と判断する報告は聞くし、ありがたがい。逐一私に報告をする必要が無いことは、報告しなくてよい。最近は、その報告を必要としないレベルが上がってきている。
HWSにおける最大の管理者は組織にながれる精神だ。
HWSを司る精神が、HWSのあらゆることを管理する。よって、事業部長会議は野放しにしているのではなく、HWSの企業文化が直接管理しているのだ。
私が最も眼を光らせて管理すべきは、HWSの創立の精神が劣化しないかである。企業文化は固定されているものではなく、日々進化を続けるものではあるが、その方向性が曲がっているなら直さなければならない。最終ラインで、HWSの舵を支えるのは私の仕事である。
経営上必要だという判断で色々と報告するのは組織において必須だが、中には自己の責任回避の為に過度な報告をする人もいる。常に上司と意識を共有していれば、最終的な責任を分散させられる。少なくとも直属の上司からは叱られないので、精神的に楽だ。「その件はあらかじめ相談したじゃないですか・・・」となる。
しかし、このリスクヘッジは自分の自由度を極端に減らす。ダイナミックに動くこと、人に理解されないが自分が確信を持って何かにチャレンジしたい時、動きを極端に制限される。その時はコソッとやってしまえば良いじゃないかという人もいるだろうが、リスクヘッジが習慣化していると、その時だけ上手く動くのは相当難しい。
組織において適切な報告は義務だ。しかし、自己の裁量で物事を納めてしまう努力をして、自分の可動範囲を広げなければ、能力の向上がない。自分の物事を見る立ち位置も変わらない。経営幹部として本来持たなければならない視点を得ることは一生できない。
やっと、HWS内に、自己判断、自己責任で事業を動かそうという気概が育って来たように思う。これはインテリジェンスの問題ではなく、気概の問題だ。
経験値が低くても、能力がさほど高く無くても、この気概が育っていれば大抵のことは任せられる。逆にどんなに頭が切れて、経験豊富な人材でも、この気概がなければ一々報告を受け、お墨付きを与え、本人の性能を使ってあげなければならない。正直、面倒くさいし、この人材が将来自社の支柱にはならない。また、今現在はそれなりに優秀でも、それ以上の急激な成長は見込めない。
多くの社会人の皆さんへの提言で、この項は締めくくる。
どれだけ上司を関わらせず、仕事が出来るかチャレンジしてみたらどうか。
当然、自分のやる気が上がるとか下がるとかをテーブルの上に乗せるようでは、信頼など出来ないので、この提言を実行するのは無理だ。自分のエネルギーは常に周りが呆れるほどあるくらいではないと、上司の仕事を取るなどおこがましい。
君の気概、君の精神の安定、君の責任感、君の実績を順次上司に示していけば、誰も君の仕事に口を出すことはなくなる。責任故の不安はあるだろうが、それ以上にビジネスの世界で自由になる喜びを知るだろう。
上司への報告は基本的に「問題ありません」で良い。水面下で必死に足掻いても、それを見せずに何とかしてしまうのがクールだ。大問題に発展しそうなものは早期報告だが、自分の範疇で処理できるものは極力何とかするのだ。その線を命がけで上げていくよう努めるのだ。これは情報共有とは別次元の話なのは言うまでもない。
私は、社会人として上手く生きるノウハウを話しているのではない。この項で君達に問うているのは、君達の生き様だ。人生に対するスタンスを問うているのだ。
報告も相談も誰かにするのではなく、誰かにされる人間として生きてみてはどうか。自由にダイナミックにビジネスの世界を生きてみてはどうか。
そろそろ本格的に11年新卒の採用シーズンに入る。今年はどんなメンバーが集まるか楽しみだ。多くの学生は、経験もなく思想性も未成熟で幼い。頭は悪くないので、即席で知識を詰め込みそれらしい話はする。
頭は悪くないが、思想性の無い彼らは一般的に良いとされている企業を思考停止の中で目指す。自分の価値観や哲学の発露ではなく、世間体や常識を基準に企業を目指す。そうして、大手企業に入った人間は画一的で魅力に欠ける場合が多い。思考停止を選択した人間がその後の歳月で魅力を増すことはない。
多くの学生に見受けられるのは、自己愛からくる保身を第一に考え、他力本願で自分の未来を保証して欲しいと言うパラサイト精神と、自らの価値観で自ら何かを生み出す事を放棄した、思考停止という状態だ。
余談だが、昨今の過度な自己愛を肯定する風潮はどうかと思う。「好きな事を仕事にする」「自分が豊かになるための投資」「自分らしく生きる」と言うような、自分に焦点を当てすぎるきらいがある。仲間の為、組織の為、社会の為という風潮を良識のあるメディア各社は意識して訴えるべきではないか。
先人達が我欲を超えて上げた社会の中で、その恩恵を受けている現代の若者が、自分の事ばかり考えるのは卑怯だ。自分の事ばかり考えるなら、社会基盤が出来てない国に行き、勝手に自力で生きながら「自分らしく」を主張して欲しい。誰かが作ってくれた社会の恩恵にあずかりながら、社会にコミットしないのは正しい大人の態度ではない。
話を戻す。
HWSの採用活動は、これらの学生に一石を投じる啓蒙活動でありたいと思う。
時代は常に移り変わる。現況の基幹産業が強くあり続ける訳ではない。中国のGDPが日本を追い越そうかという時代である。国際社会の中で、今のポジションを日本が維持し続ける可能性も高くはない。現在力がある者に寄生したところで、本質的な安寧は手に入らない。
この中で、必要なのはパラサイトではない。何が悪く何が良いのか、自分の頭で考える力だ。時代を読む力など無くて良い。そんなものを持っている人間をお目にかかったことはない。どんなに有名なアナリストでも、いくつかのオプションを予測は出来るが、確実に当てることは出来ない。ましてや学生ごときに未来を読むなど不可能だ。
未来の動向を読み、より得である道を模索するから迷う。損得を正確に予測できる人間はいないのだ。だから、外部的要因を探るよりも、自己の精神を鍛錬し、自己の価値観を定め、内から来る動機によって、未来を選択すべきなのだ。
権威にも規模にも阿らず、孤高の精神を持って未来を定めれば、多くのお金を得られるかは保証出来ないが、誇りを持ち生涯を生き抜けることだけは確かだ。その誇りだけ持って人生を過ごせるなら十分ではないか。
私は採用活動において、学生にも中途のエンジニアにも否応なく現実を突きつける。思考を停止させ、大事なことを他者に預けた方が人生は楽なのだが、そこで行った選択は、本当の選択ではない。
本当の事を知り、自分の意志で物事を判断すれば厳しさや責任を受け入れなければならない。しかし、多くの重荷を背負い苦渋の中で行った選択こそが、本当の自分の選択だ。一見、自己判断や決断に見える事も、私から見ると状況に流されているだけだと感じる事がほとんどだ。
これは学生に限ったことではない。企業の選択や政治家の政策なども、意志を感じず世論や市況に流されているだけの場合が多い。本人が描く未来が全く見えず、相手の耳に心地よい一瞬をつなぎ合わせて政策にしたり、企業方針としているだけだ。
お笑いで言えば、ストーリーをつなぎ合わせ、落としどころを意識して観衆を導く落語ではなく、昨今の一発ネタを連発するだけで笑いを取ろうとする芸人の様なものだ。一回だけ聞くと面白いときもあるが、二回目以降は明確に飽きる。
面白そうなこと、得そうなこと、それをつなぎ合わせて人生を作ろうとする姿勢が本来は間違っている。人生は苦いことがほとんどで、苦さを理性で乗り越え少しの甘味を得るのが実体だ。その苦さを受け入れてこそ、本当の選択が出来るのだ。
私がHWSのメンバーに要求しているのは、先ずは苦さを受け入れろと言うことだ。これが出来ると人生は楽になる。苦しさから逃れようとすると、正しいことや必要なことが見えなくなる。自分への負担や、自分の得を棚の上に上げておけば、最も正しいこと、今やらなければならないことが見える。頭の良さや、知識の多さの問題ではない。心の制御が可能なら、学生でも迷わず正しさが何かを見極められるはずだ。進む道は苦しいが、心は常に晴れやかになるはずだ。
HWSには創立の精神がある。好況だろうが、不況だろうが変わらない精神がある。これが朽ちるなら、HWSも共に朽ちなければならない。我々はそう言う組織だ。伸びるも縮むも外部の問題ではない。自己の信じた正しさを追い続けられるかの戦いだ。
HWSのメンバーにも、学生にも、多くのビジネスパーソン諸兄達が、本当の選択をし、未来へ進まれることを祈っている。
組織内において強い発言をするには、二つのバックボーンを持つことがルールだ。一つは自分が生み出した業績であり、もう一つは組織に対してフルコミットしているというスタンスだ。
一般的に社長の発言が強いのは、どこかに逃げると言う選択肢が法的にも状況的にとりづらいからだ。基本的にフルコミットだ。また、少なくとも創業時の苦労は背負っているので、実績もある。ただし、過去の実績に賞味期限があるのは社長であっても例外ではない。
以前は入社したばかりの人間が「もっと会社のこの部分を直すべきだ」などと発言して、早々に退職して行ったこともある。組織に対して何の貢献もないし、誰の幸せにも寄与していない。まあ、自分がいい事を言った気になって気持ちよくなるくらいしかメリットはない。
最近では、実績も無く組織を伸ばす覚悟もない人間の話に耳を傾けるメンバーもいない。HWSのカルチャーは社内外に喧伝されているし、面接の段階でも厳しく言うので、新卒ですらHWSにおいて何が正しかを理解している。
逆にHWSでは何を言ってもいいし、根本的に組織のビジョンに合致していれば何をやってもいいが、言ったもの責任のルールが暗黙の中で存在している。
社員歴に関係なく、年齢に関係なく、HWSが勝つためならあらゆる提案が可能だ。提案は可能だが、それに他のメンバーが同調してくれるかは、前述した実績とコミット具合によるのだ。
そして、言ったからには自分が主体者として提案を形にしなければならない。どんなに素晴らしい意見や提案も主体者として実行する人間が責任を持ってやり続けなければ形にはならない。ある意味、提案の善し悪しは基準以上であれば良い。革新的である必要もない。その提案を実現する人がいるのかいないのかが問題なのだ。
よく世間の会社では辞め際に、「会社はこうすればもっと良くなります。最後の貢献とし覚えておいて下さい。」と言う人もいる。私だったら、そんな話は右から左に聞き流す。その言葉には聞く価値が無い。情熱や意志が込めれていない一般論に右往左往していては事業などできない。それなら在籍中にお前が主体者としてやれとなる。私なら、色々な思いを飲み込んで黙って去る。その方がいくぶん美しい。
提案した内容が、最終的に上手くいくときも失敗するときもある。想いのたけを込めて取り組んで上手くいかないことに対する批判は一切ない。実績としては認められないが、その経験を元に未来に何かを作り上げてくれと思うだけだ。
また、言い出した者が主体者としての労を背負い込むのが割に合わないと思う人もいるだろう。言ってしまったら、後で大変なことが増えるので、黙っていようと思う人もいるだろう。しかし、主体者となって最終的に損をしたと感じることは、ほとんどない。
主体者になって物事を動かすのは大変ではあるが、本質的に面白いのだ。気持ちが入るので、生まれた結果にも一喜一憂できる。心が満たされる。普段はサッカー観戦をしない人でも、日本代表の試合なら楽しんで観たりする。それはサッカー自体がすきということよりも、日本代表に対しては気持ちが入るので、楽しく観られるのだ。
仕事には多くの時間をとられる。面倒くさいと思って気持ちの入らない状態で時間をダラダラ使うよりは、額に汗しながら仕事に没頭したほうがはるかに精神衛生上はいい。心も体も疲れは少ないはずだ。
また、進んで責務を負うメンタリティーがなければ、とてもではないが管理職として機能できない。自ら進んで労を背負う人しか、真の管理職として登用することはない。自分のタスクは終わっているからいいでしょう思っている人に、部下をつけて部下の責任や未来を背負わせるわけにはいかないのだ。
自ら進んで何かを背負っていけば、未来には必ず利子がついて報酬が返ってくる。能力が上がることなのか、部下や上司から確固たる信頼を得ることなのか分からないが、未来に必要な何か手に入れることが出来るはずだ。
HWSはようやく、この仕組みを理解するメンバーが出始めてきた。体を張って組織に貢献する代わりに、プレーヤーとしての進歩や感動と、未来の発展をつかめることを理解し、動き始めたメンバーが出始めてきた。
自信と責任を持ったメンバー達の強い言葉で、組織を満たして行きたいと思う。
私の感じている組織作りの要所は、統率と野生の共存であろう。要所であるがゆえに難しい。
統率されない組織は烏合の衆だ。その組織がもっている最大の力を発揮することはできない。統率されない組織でも一時の勢いを持つことはあるので、一瞬は強く見えるかもしれない。しかし、長期の戦いになれば力を同じ方向に向け続けることはできない。
ファンには怒られるかしれないが、かつてバース、掛布、岡田などを擁してタイガースが優勝をかっさらった時に似ている。選手個々の個性と能力に任せて打ちまくって勝利を重ねたが、一年でその勢いは終わった。プロ野球の世界でも常に上位にいるチームは、自分達はどう戦うかが全体にいきわたり、自分達のルールや規律を持っているところだ。
彗星の様に現れたベンチャー企業が、彗星のように消えていくケースも日常的にある。勢いに惹き付けられ集まってき烏合の衆が、勢いの低下と同時に霧散していくのだろう。そこに統率があれば、苦しいときこそ優秀な人間を中心に組織が結束し次の勝利をつかめたはずだ。
勘違いしてもらっては困るのは、統率とはリーダーが上から行うものではない。質の高い統率を実現している組織は、メンバー一人一人が自分の組織を自ら統率すべく、自分の動きや発言を律している。全員の意志が込められ初めて統率した組織は実現される。
リーダーがいちいち指示を出さずとも統率を実現する為には、共通の認識やルールが必要だ。自分達としては何が正しいかと言う価値観や、組織をどの様に作り上げたいかというビジョンも必要だ。これらを便利な言葉で言い換えればカルチャーとなるのだろう。
カルチャーに完成はなく、常に所属するメンバー達で作り続けなければならない。誰かに与えられたカルチャーでは、そもそも優秀な人間ほど本気にはなれまい。カルチャーは常に息づいている。
このカルチャーが組織を統率し、最大のパフォーマンスを実現する。これが組織における一つの理想だ。
しかし、カルチャーの浸透を急ぎすぎて上から大上段にやり過ぎると、組織は野性味を失う。メンバーが自らの意志で何かにチャレンジするエネルギーが消える。ストックがある大手企業なら良いが、組織のエネルギーが勝負のベンチャーでは致命傷だ。
小さくまとまってこじんまり稼ぐなら、素直ないい子だけを集めて社長が常にメンバーを鼓舞して頑張らせれば問題ないが、メンバーの未来を考えたときにあまり希望を感じない。社長はある程度稼いでエグジットすれば良いが、その他のメンバーの未来は暗い。
社長もいずれ引退する時がくる。不慮の事故があるかもしれない。それでも全メンバーには未来があり、家族がある。社長が強いリーダーシップを発揮し、組織を統括するのは本質的には間違っている。クライアントにもメンバーにも責任を持てない。スターターとしてワンマンな統率が必要なのは否定しない。
いずれにしろ、社長に鼓舞された元気に動く羊達の群れでは、出来る事に限界があるのだ。
組織には常に野生が必要だ。ある時は上司の命令にそむいても、組織の勝利を一直線に目指す純粋さとあくの強さを併せ持った野生が必要なのだ。
強い組織は、経営者の思惑を超えたファインプレーが各所で起こる。羊達は言われた方向にはメェメェ鳴きながら歩くが、自ら新しい牧草地を探し仲間を導いたり、襲ってきた狼に対して徒党を組んで防衛したりはしない。リーダーの思ったとおりに草を食い、歩くだけだ。
独立を志向する人間がある程度の野生を持っていることは当然だ。別に特殊なことではないし、難しいことでもない。規律やルールの深みも知らず、好きなことをしようと独立した人間が、後に組織作りに困るのも自然なことだ。
各人が意識して組織を統率しようとし、更に野生を失わない状態を実現できるかが、組織作りの要所なのだ。
エンジニア達はレベルの差はあれど、本来統率されることを望んでいる。野性的なエンジニアにお会いする機会はほとんどない。まあ、これはサラリーマン全般にいえることかもしれない。野心があるやつは統率を避ける。
HWSが実現するカルチャーは、野性的なメンバーが全てを理解した上で自分を含めた組織全体を統率しにかかるというものだ。各メンバーは、その辺の下手な企業家以上に野生に溢れているが、同時に組織の勝利を最優先とし、仲間と強力な連携を生み出す。個人の楽さや気持ちよさを短絡的に追わないので、長期の戦いになればなるほど他社が実現できない成果を上げる。
こんな組織が実現できれば最強ではないか。野生が消えなければ、時代の流れに伴って次々に新しいサービスやプロダクトを生み出すだろう。野性が消えなければ、組織のエネルギーも衰退せず、時代時代において大きな勢いを見せ付けることだろう。統率が消えなければ、組織の勝利のために常に全員が連携と自分の責任を意識するだろう。仲間達の頑張りも意識し、長期の戦いでも心が挫けず最大のパフォーマンスを発揮するだろう。
このカルチャー醸造に向かって、組織のルールを作りこみ、道を示しハンドリングしていくことが私の責務なのだと決めている。このブログも書き始めて二年半になるが、注意して読むと野生と統率のバランスをとり続けている様が分かるはずだ。
最初は統率を意識させた。優秀なエンジニアは個人事業主でもそれなりに仕事を得て稼ぐことができる。市況が良かった一昨年前などは特にそうだ。「俺は自分の腕で食うんだし、自分の責任は自分でとるんだからとやかく言うな。」と言うタイプが優秀な人材の中には多くいた。だから、あえて彼らには組織と統率を意識させた。企業とはカルチャーであると分からせた。
市況が傾き、今は内側からエネルギー湧きあがる組織でないと、業績を上げられない時代となった。今メンバーに求められるのは野生の方だ。今の牧草地に草が無ければ、穴を掘って根っこを食べるなり、山を越えて次の牧草地を探すしかない。リーダー一人がこれを行うよりは数百匹の羊全員で牧草地を探した方が良い結果が得られることは明白だ。また、内から沸き立つエネルギーの量が違う。
全員とは言わないが、多くのサラリーマンと同じ羊だったメンバーが、一人ずつ野生化しようとしている。ただ野生に解き放たれるのではなく、統率を常に意識しながら野生に向かっている。
言うまでもなくカルチャーの醸造には時間がかかる。一足飛びに変化はしないが、ブレークポイントはある。HWSが今期に残す最大の収穫があるとしたら、このブレークポイントを全員の力でこえることだろう。やはり、簡単なことではないが、予感はある。私ですら計り知れない未来を見てみたいものだ。
昨日の日本代表戦は久しぶりに胸のすくゴールラッシュだった。ガーナがワールドカップ予選を終えたばかりで疲れていたとか、モチベーションが高くなかったとか言う話もあるのだろうが相手もプロだ。いざ試合となったらそうそう手を抜けるものではない。1-3の劣勢をひっくり返して、4-3の勝利は純粋に見事だった。
どんなに良いプレーをしても、ゴールが入らないときもある。逆に蹴ったシュートが次々にゴールに吸い込まれていくときもある。これは運と言うか、流れと言うか、いずれにしろ人智の及ばぬところだ。
事業にも同じような事はある。緻密に計画し、必死に営業努力をしても収益が得られないときもあるし、逆に偶然商品化されたものが爆発的にヒットするときもある。
大事なのは、一定のレベルを超えないと運も期待出来ないので、最善を尽くし運が働く領域へと自分を持っていくことだろう。
今回書きたかったのは運の話ではない。
日本代表が勝利した理由は1-3の劣勢でも攻め続けたことだろう。心を折らず攻め続けたので、流れを呼び込むことが出来たのだ。昨日の試合を観ても分かるように、攻める攻めないは状況の問題ではない。姿勢の問題だ。
どんな状況でも攻める奴は攻めるし、守る奴は守りに入る。
数日前にはオランダに0-3で敗北し、昨日の試合も途中までは1-3でリードを許していた。状況で言えば、とても攻めの精神状態にはなれない。そこで攻める気持ちがなくなれば、勝利は生まれなかったはずだ。
ちょうど一年前にリーマンブラザースの経営が破綻した。それを機に金融危機が訪れ世界は同時不況へと向かった。金融業界を中心に不安が広がり、設備投資を差し控える企業が増えた。BtoBでビジネスを展開していた企業は必然的に苦しい状況をむかえた。
まあ、乱暴な話ではあるが、1-3でガーナに対しビハインドを背負った日本の様なものだ。状況的には好材料がない。流れも悪く、守勢にならざるを得ない。
ここで、状況に関わらず攻められるかどうかで、未来が決まるのだろう。日本代表の様に勝利を手繰り寄せられるのか、ジリ貧のまま沈むのかが決まる。
市況の悪化と同時に、いきなり弱気になり、それを外部にカミングアウトしてしまう馬鹿な経営者も少ないだろう。ちょっと気の利いた経営者なら、ギリギリまで「こんな時こそ攻めますよ」「百年に一度のチャンスですね!」と言ってポジティブな姿勢を見せるはずだ。外部からの信用低下を招かない為にも、内部に不安を広げないためにも、前向きな発言を続けるはずだ。
しかし、それが空元気なだけではいずればれるし、厳しい状況を突破する力を生まない。空元気で許されるのは現場のマネージャークラスまでだ。上級管理職ならば、空元気ではなく、本当に攻めなければ駄目だ。体を張って攻めなければ、駄目なのだ。
昨日の後半の日本代表の様に、サイドバックが何度でも全力で駆け上がり、攻撃し続けなれば駄目だ。中盤でプレスをかけ続け攻撃的にボールを奪いに行かなければ駄目だ。これは空元気ではなく具体的な動きだ。具体的な動きにおいて攻めなければ1-3からの逆転は望めない。
各企業は今の売り上げに必死で、何かにチャンレジする気力を失っているかもしれない。チャレンジと言っても、厳しい時期に新規事業に挑戦し一発逆転を狙うのは愚の骨頂だ。立ち上げた事業が収益化するには、上手くいっても数年の歳月はかかる。既に仕込まれていて爆発寸前だという手ごたえがあるなら期待も出来るが、熟していない事業はどんなに儲かりそうでもすぐに収益は生まない。
チャレンジは今収益を上げている柱の事業を更に強固に作りこむ方向で行うべきだ。特に攻勢を強く打ち出したいなら営業強化が望ましい。私自身、営業はプロフェッショナルだと自負しているが、多くの企業を見るとまだまだ営業改善の余地がある。手法もあるが、営業体質を改善する余地が多分にある。
チャレンジとは単純に新しいことを行うのではない。自分の主戦場において、今まで踏み込めなかった領域まで歩みを進めれば良いのだ。自企業が標榜しているビジョンに向かって歩みを速めれば良いのだ。
HWSは今期も攻めの姿勢を止める気は無い。金を使わずとも攻める道はいくらでもある。我々には体と時間がある。かけるべき原資は金だけではない。9月も終わる。今期も半ばに差し掛かる。
日本社会の中で経済活動に勤しむ同志の皆様に告ぐ。残り半年を攻め抜いて終わろうではないか。気力を振り絞り、市況を支配しようではないか。全員で攻めあがれば、自然と勝利は手に入る。少なくとも勝てる可能性が見えてくる。1-3の不利などものともせず、勝利のホイッスルを聞くまで攻め続けようではないか。
10月に入ると、本格的に2011年の新卒採用が始まる。新卒採用には、今年も力を入れるつもりだ。HWSが求める人材のレベルは、ある意味相当高いので何人採れるか楽しみだ。毎年、人事には採用人数を指示していない。要求水準をクリアするなら、二十人でも三十人でも採用しろ、もし基準に満たないなら0人でも良いと言うのがHWSのスタンスだ。
厳しさを前面に打ち出すHWSなのに、毎年多くの希望者が集まってくる。しかし、ほとんどの学生は面接を進めて行くと、「そこまでは出来る自信がありません・・・」と言い、最後に残るのは10名~20名くらいだ。
市況柄、新卒の採用を止めている企業も多い。今を生きるためには、当然の判断だと言うことらしい。生き抜くことは大事だが、再度考えて欲しいのは何の為に生き抜くかと言うことだ。
生き抜く事が目的ではない。目的を成す為に生き抜かなければならないのだ。「会社が苦しいのだから、このくらいは当たり前だろ。」と檄を飛ばす管理職も世の中にはいる。私が常に感じるのは、「その会社をどうしても未来に発展させたい。」と言う共通認識がなければ、会社が苦しいなら潰れるのも一つの選択となってしまうと言う事だ。「何としても生き残る」と言う理由が無い。頑張るのは当たり前ではないのだ。そこには明確な理由が必要なのだ。
もっと頑張れと檄を飛ばす管理職はいるが、何の為にそこまで頑張らなければいけないかを示せるリーダーは案外少ない。
自己の成長の為なのか、お世話になっているクライアントの為なのか、自社の繁栄、ビジョン達成の為なのか。
それを明確にし、イメージを同じくし、その為に頑張るというなら理屈が合う。頑張る意味が無いことを、何でも無理くりに頑張る必要はない。頑張る必要があるなら、死ぬ気で頑張れば良い。その必要が無ければ、頑張らなくても良いのだ。
生き抜くのは、未来の為だ。それぞれの企業が志向する未来を実現する為に、今を生き抜くのだ。同時に新卒採用も未来の為だ。今の体力では、壮大なビジョンを成すことが叶わないので、自社の戦力を順次増強し続ける為に採用活動を行う。
今年来年の売上を確保する為の採用ではないが、確実に来る未来の為には必要な戦力だ。優先順位は相当高い。
今生き残らなければ未来が無いのは分かるが、生き残るために未来の繁栄を捨てるなら本末転倒だ。ビジョンを成す為に企業があるのに、そのビジョンから遠のきながら生き残って何になるというのだ。
この時期に自社が取り組むべき事の優先順位を再度見直すべきだ。コストダウンも大事だが、安直なコストダウンには弊害がある。私も財務に関しては相当渋い方だが、必要な資金投下に躊躇はない。コストダウンに簡単に頭が行き過ぎると、営業的な強さを工夫する方向に頭が働かなくなる。思考停止に陥る。コストダウンをする前に、営業の強化、マーケティングの強化を徹底して行うべきだ。そして、出来るなら当初描いた成長ラインを死守すべきだ。
それでも、どうしようもないならコストカットもやぶさかではない。物事には優先順位があり、順番がある。これを間違えると、企業は強さを失い、個性を失う。効率だけを追求すれば、企業などみな同じになる。企業文化もへったくれもない。ギリギリのラインを意地でも死守し、努力と工夫を積み重ねる中に文化は育まれるのだ。
基本的には我々は市況を読んで新卒採用をしない。来年がどの様な状況になろうが、新卒を採り、育成し、合流した仲間達と未来に挑む。現状そこまで苦しくはないから言えるのだと、指摘される方もいるだろうが、苦しくともこのスタンスは崩さず行くつもりだ。
何故なら、我々の目的は生き残りではない。生き残りは手段であり、限られた人生の中で到達すべき頂は別にある。その頂を狙いながら、同時に今を生き抜くのだ。今後、今以上の市況の悪化もあるだろう。日本の国際的競争力が危機にさらされることもあるだろう。その都度、全メンバーの力を合わせ、生き残りながら頂を目指し続けるのみだ。
ビジネスの世界で、経験は非常に大事だ。私も多くの経験を経てHWSの設立に至った。過去の経験がなければ、今のHWSは無い。
しかし、一方で経験がもたらすマイナスもある。経験は必ずしも万能ではない。経験が万能だとしたら、年齢が高いほど人間は優秀だと言うことになる。しかし、実際の社会では経験の少ないチャレンジャー達が、新たなビジネスを起こし、新たな価値を世に広めている事も多い。必ずしも経験があることが優位とは言えない。
経験のマイナス面は自分の内側に固定概念を作ってしまうことだ。一旦固まってしまった枠から抜け出すことは容易ではなく、常に自分の物差しでしか物事を考えられなくなる。
「あの時は、こうやって乗りきった。」「経験からすれば、必ずこうなる。」
過去の成功経験によって、自分の内側に出来た信念により、他人の意見や状況の変化を受け付けなくなる人もいる。狭い範囲、自分の経験に酷似した状況では力を発揮するが、それ以外の場面では役に立たなくなる。
私自身の過去を振り返ってみる。
二十年の間に、いくつもの業種職種を経験した。事業の立ち上げばかりやってきたので、常に出来る事は何でもやらないと会社が回らなかったのだ。
経理担当者を雇うお金も税理士を雇うお金もなかった時は、自分で仕分けなどの細かい経理処理も全部行った。給料計算から年末調整まで、社長業の傍ら自分で行った。節税も自分で勉強して考えた。売上が必要なら、前線に出て営業もした。社長になった後でも苦しい時は社員達を鼓舞するために前線に立ち営業に奔走した。当然、成果も出した。パッケージソフトの開発を行った時は、コンテンツの提案からソフトの制作までこなした。もう十年も前に社内の連携用のポータルを独力で作ったりもした。あのまま発展させればSNSの走りのようなサービスになったはずだ。
業種も貿易、事務機器の販売、不動産、ソフトウェアと幅広い。売上を確保し、事業を回す為に、過去の業務経歴は一切役に立たなかった。
役に立ったのは、業務経験ではない。それぞれの業種や職種において、掴んだ真理の様なものだ。やることが変わっても応用できる真理は存在する。その真理を積み重ねて行けば、過去の経験に囚われることなく、経験を武器にして未来に挑める。
今風に言えば「抽象化」だろうか。経験した事から、真理を抜き出す作業を行えるかどうかが、応用力のカギになる。
今まで見て来た多くの人達をベースに考えてみると、出来る人間は何をやらせても相当出来る。出来ない人間は分野に限らず、使い物にならない。職種や業種を変えてあげると一瞬輝いたりもするが、それはマイナスから並になっただけで、「出来る人間」になったわけではない。
余談ではあるが、今の仕事が向いてないから他の仕事をと考えるのは止めた方が良い。そんなあなたに極められる仕事はない。今の仕事で成果を出し、けりを付けて次を探すのは良い。まあ、その時は成果を出した仕事を天職と感じる事が多いので、職を変えることは無いかもしれない。
話を戻す。
営業で掴んだ真理は、経理にも応用出来る。経理で行き着いた真理は営業にも応用出来る。システム開発で掴んだ真理はマネージメントにも応用出来る。抽象化され応用出来るところまで、自分の特化した分野を極めていれば、その経験は多岐にわたり役に立つはずだ。
HWSではエンジニアも営業を行っている。その中で、別の分野に挑戦する様な意識しか持てなかったとしたら、それは営業が向いていないのではない。システム開発の世界でも、真理を抽出出来るほど成果に固執し、業務を極めていないのだ。エンジニアとしてもレベルが低いので、他の分野に応用出来るほどの真理も掴んでおらず、慣れないことに対する不安だけが頭をもたげるのだ。
経験は重要だ。しかし、中途半端な経験は自分に枠を作るだけだ。徹底的にやり抜いた経験を多く持つのだ。その経験を抽象化し、他のビジネスにも応用出来る事を知るのだ。
ビジネスを司れば、成果を出すための全てが自分のタスクとなる。何でもやらなければならない時が来る。その時に焦る必要はない。今までやったことが無い事ばかりだろうが、みんなそれに対応しビジネスを進めているのだ。その領域に入らなければ、一生作業員として分割されたタスクに勤しむしかない。責任も応用も誰かに任せ、切り分けられた作業を行うしかない。所得も安全も他人任せのままだ。
若い方達の提言で、この項は締める。
君達がビジネスの領域に踏み込むなら、好き嫌いは許されない。成果を狙う為の全てを自己の責任として、行わなければならない。しかし、不安になる必要はない。真の自信を掴めば、全ての業務に挑む気力が生まれる。
先ずは組織の中で、今やらなければならないタスクを極めよ。極める経験を積む間に、真理を掴み自信を得よ。そうすれば、次にやるべき課題が浮上しても、焦らず恐れず取り組めるはずだ。成果も必ずついてくるはずだ。
市況を受けて、不動産の賃貸料金が暴落している。二年前にこの事務所に越してきた時には考えられない値段だ。引越には最適のタイミングが来ている。
今までなら声がかからなかったエンドクライアントから、コンペへのお声がけが来る様になった。市況の問題もありクライアント各社は、従来の様に高いお金をかけて大手ベンダーに発注することに疑問を持ち始めている。企業努力により、なりは小さくても安価で質の高いベンダーを探そうと企業努力を積んでいるのだろう。これも現在の市況が追い風になっている。
このブログを始めて二年半になる。週二回ペースで書くようにしている。二年半前と言えば、市況はすこぶる好調で、エンジニア達はこの世の春が続くと思っていた。このブログを始めた動機の一つには、そんなエンジニア達に対して警鐘を鳴らす事であった。
自分達の技術が陳腐化したらどうするのか?市況が悪化したらどうするのか?給料を右肩上がりに上昇させていけるほどの付加価値を提供出来るのか?
様々な角度から警鐘を鳴らした。
今は市況が反転している。その意味では、警鐘を鳴らす必要が無くなった。近視眼的な観点から言えば、警鐘は必要ない。しかし、未来には更に大きい変化の波が来ることを訴え続ける意義はあるだろう。
近視眼的に言えば、逆に明るい材料に目を向けることを教えたい。
今の市況だからこそ、狙える領域がある。この門は市況回復と同時に閉じ始める。今しか出来ないこと、今しか狙えないターゲットがあるのだ。これは精神論ではない。現実の話だ。
不況下で、今しか狙う事が出来ないターゲットに目を向けるには、精神力が必要だ。もし、不況下において、精神力を要さずして未来へ目を向けられるとしたら、感受性が麻痺しているとしか思えない。逆にビジネスセンスに問題があるのではと思う。
しかし、目線を上げれば確実に、今しか掴めないものが見えてくるはずだ。「元気を出せ」と自分に言い聞かせなくても、自然と獲物を狙う人間の眼になられるはずだ。
人類の歴史を振り返れば、苦境下で下を向きうなだれる多数の人間と、混乱の中で目線を上げ小さなきっかけを掴み伸び上がる少数の人間とに分かれる。この分水嶺は勇気の有無によって行き先が決まる。勇気を振り絞り、僅かに目線を上げられるかどうかで行く末は決まるのだ。
最近、HWSには応募者が増えている。しかし、なかなか採用に至らない。多くの求職者達は、自社が厳しくなったので転職活動をしている。待機を要求され給料をカットされ、追われる様に退職してくる人も少なくない。
結果、求職者は増えているが採用には至らない。不況下で目線を下げ、次の依存先を探している様では、HWSの門は開かない。今までのスタンスでは生き残れないので、転職に至ったはずだ。過去を捨て未来へ生きる覚悟が無いなら、ただの使えないSEのままではないか。変化する覚悟、変化する勇気を持たずして、この時期に転職活動に勤しむのは根本的に間違っている。変わらずに済むなら、転職活動の必要はなかったはずだ。
この項は多くの求職者諸兄に送りたい。
目線を上げよ。希望は目の前にある。ただし、その希望を手に入れるためには、革新を覚悟せよ。過去を捨てよ。新たな領域でビジネスに取り組む勇気を持つのだ。
今を乗りきるのではない。今を踏み台にし、高みに伸び上がるのだ。
これは私自身が、過去二十年のビジネス人生で持ち続けてきたスタンスでもある。