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【日本型ITパーク】
先ずは理想像から書きたい。私が志向するITパークは、学校の様でもあり、企業の開発チームでもある。
そのITパークでは、全ての開発が英語をベースとして行われる。大学を卒業して日の浅い才能の豊かなエンジニアが世界各国から集う。中国、韓国、インド、ベトナム、インドネシアetcなど国籍を問わず、アグレッシブでチャレンジャースピリット溢れるエンジニア達が一個所に集い、実際の開発を共同で進める。
企業に一旦就職し派遣された者もいれば、大学を卒業して自費で合流した者もいる。この機関を回すコストは、派遣元の企業から頂く。学費の代わりに案件を頂き、その収益での運営を目指す。メンバーには給与は出ないが、大きな学費を取られる事もない。願わくば国から何らかの援助として、補助金なり開発案件なりを頂きたいところだ。その価値は十分に出せる。
全寮制で付近には娯楽施設は無い。メンバー達の週末は寮の仲間とキャンプでもやるか、ひたすら勉強するかに使われる。2年から3年程度の期間が過ぎ、必要な経験が積まれた後に卒業となる。各々は自国に戻り復職及び起業に取り組む。日本人エンジニアも所属している企業に戻り、現場に投入される。海外との連携においては、リーダーシップを取って、自社に貢献する。
自社に戻った日本人エンジニア達には、いくつかのアドバンテージが存在する。
● 英語環境での開発技術
● 世界標準での開発経験
● 世界中に散る同胞のネットワーク
特に三つ目のネットワークが重要だ。海外と連携した開発は、契約書を綿密に作成したり、オペレーションの完成度を上げるだけでは高いパフォーマンスを実現出来ない。ビジネスの世界は基本的にウェットな部分も多く、「あいつなら信頼できる」「この仕事はあいつに任せたい」などの思い入れがあり、初めて強い連携の下に付加価値を生み出せる。私自身も立場上多くの経営判断を行うが、表面的な条件の良さを判断基準にしていない。一定のメリットは取るが、大事なのは「一緒に仕事を進めるパートナーは本当に信頼できるのか?」「その仕事を成すことに情熱が持てるのか?」ということだ。文字通り同じ釜の飯を食い、汗を流し開発を行った仲間が世界中にいる事の価値は、ビジネスをスピーディーかつダイナミックに進めるには必須条件だろう。
【ITパーク実現のタイミング】
現在の日本にはまだ経済的なパワーがある。インドもベトナムも日本市場に対する意欲は高い。今なら、日本マーケットを攻略する為の訓練が出来るITパークがあれば、世界中から人材は集められる。
先日ミャンマーに渡航し、若いエンジニア達と交流する機会を持った。彼らは口々に「ジャパニーズ・クオリティー」を学びたいと言っていた。ソニー、トヨタなどを筆頭に日本製品の品質の高さは、どの国に行っても周知されている。アジアを中心とした多くのエンジニアは、漠然とでも日本の技術に対する憧憬を持っている。
今の日本は多くのエンジニアを世界中から惹きつける要素を持っている。ホスピタリティの高さも卓越しているので、来日したエンジニア達のストレスも比較的少ない。唯一の難点は、物価の高さだ。しかし、今回のITパークのスタイルなら、地価の安い田舎で外部への接触は少ないので、生活費を抑えることは可能だ。賃金を払う訳ではないので、人件費の高さも問題にならない。
先日ベトナムに行った際に、同国内業界最大手のFPTソフトウェア社で要職者と会談する機会があった。現在、同社のクライアントは六割方日本企業だと言う。業界最大手企業の最大のマーケットが日本なのにも関わらず、現場のエンジニア達は日本マーケットを目指していない。やはり、英語を勉強し欧米及びシンガポールなどを目指す。IT関連の資料も英語の物が多いし、英語圏は広いので、未来に対し多くのオプション残せるという言うことだろうが、日本人として多少の寂しさを感じる。
アメリカのIT業界で多くのインド人が活躍した様に、日本も多くの人を惹きつける場になることが必要だ。アメリカは多民族国家という事もあり、早くから世界中の人材を積極的に受け入れてきた。大学には他国からの留学生も多く、卒業後も自国に帰らず、アメリカで就職する。自然、途上国の優秀な人間はアメリカで働くことになる。アメリカの国力は上がる。このアメリカ的なモデルを模倣する必要はないが、日本なりのスタイルで他国の優秀な人材を惹きつけ、他国と連携するする未来を作らなければ、将来に禍根を残す。
ITパーク実現への動きを始めるとしたら今しかない。一日でも早い実現が、日本の国際的競争力を担保する。
【最後に】
日本国内にはまだITパークと呼べる代物は無い。名ばかりのITパークを自治体主導で作った為に、本来のITパークにならずコールセンターの拠点になった例もある。コールセンターをバックアップしても、日本の国際的競争力は得られない。地元に雇用は生まれるだろうが、長期のキャリアパスが見出せる業務ではない。恐らく、日本において新たな文化となるITパークは政府主導では成立しない。政府の援助は必要だが、構想するのは実態を知り、ビジネスを推進する民間企業でなければ実現出来ない。
我々が構想するITパークは日本に必要であり、誰かが旗を振り早期に実現しなければならない。それにより、アジアをリードし世界と戦えるIT産業が日本国内に成立する。
大きな構想であり、今の弊社の体力を考えると戯言と言われるかもしれない。しかし、政府も大手企業も今までITパークを実現していないし、戦略的な構想すら浮上していない。誰かが先導し作らなければアジアの優秀なIT立国に勝利し、未来において日本の地位を確保するのは難しいだろう。
この構想にはロマンがあるし、我々がやらずしてITパークを実現できる集団は無いと勝手に思いこんでいる。アジアとの連携を進め、日本がハイテク立国として未来を獲得するために必要な事業だ。だから我々はチャレンジする。
小企業には小企業の戦い方がある。いきなりコストをかけ、一か八かの仕掛けは出来ないが、現在社内において取り組んでいる環境を、少しずつ巨大化することが日本型ITパークへとつながる。実際、インド、中国、ベトナムと連携した開発経験を持ち、ダイナミックに動ける企業体は国内を見回してもあまりない。大儲けはしていないが、多くのチャレンジを繰り返してきた弊社だからこそ取り組める事がある。
ITパークの候補地もいくつか視察に行った。某離島では、二年間程度家賃を無料にしてくれるという提案も頂いた。まあ、払っても大した額ではないだろうが、我々の構想へ協賛してくれる気持ちが嬉しい。多くのエンジニアがアジア中から集まるには、人を惹き付ける磁場が必要だ。また地理的要件もある。条件が許せば候補地の買い取りを進めても良い。地域も国も巻き込みながら日本型ITパークを実現し、アジアの融和を進められれば本望だ。
京セラの稲盛会長がDDIを作った時に「動機善たるや私心なかりしか」と自分に問いかけていたと聞く。せっかくの通信の自由化も巨人NTTに対抗する勢力が無ければ、通信コストも落ちないし、業界のサービスも向上されない。自分の進む決断が正義であれば社会が自然と後押しをしてくれると考え、周囲の反対を押し切ってDDIを設立したと聞いている。
私のITパーク構想が、ビジネスとして成功するか失敗するかは分からない。未来の事なので、常に勝ち負けはある。ただし、自分の本心には嘘をつきたくない。成否は不明だが、確かな事をあげるのであれば、私自身の心境は「動機善たるや私心なかりしか」である。
ロマンを追求し多くの人を幸せにする事業を創り上げたい。
【はじめに】
小企業ながら、オフショア開発に挑戦し、海外との連携を模索し続けて来た。成果が出た部分もあったが、対処しきれない問題も多くあり、未だに苦闘の日々を送っている。その中で得た結論が一つある。現在のオフショア開発に対する取り組みのほとんどは対処療法であり、根本的にオフショア開発を日本に根付かせるには、今の延長線上では駄目だと言うことだ。
五年十年という歳月をかけ、新たな枠組みを作らねば、オフショア開発が有効な武器として日本企業全体に使われる様にはならない。日本にオフショア開発と言う文化が根付く為に、必要なインフラについて、この項では書きたい。それが「日本型ITパーク」だ。
【他国のITパーク】
私自身、インド、中国、ベトナムなどのいくつかのITパークを歴訪した。そこには様々な優遇措置があり、伸びゆく産業を計画的に援助していた。いずれは、成長した企業群が納税し、雇用を生み出し、国家や地方を支えることになるので、土地をただ同然で貸してくれたり、IT企業に対しては、税金を大幅に優遇してくりたりする。その分、各企業は人材や開発に資本を集中させ、国際的な競争力を確保していくのだ。
何カ国ものITパークを巡ったが、やはり一番大きな衝撃を受けたのはインドだ。インドは国策として、国が主導してIT産業を育んだ。元々、イギリスの植民地だったこともあり英語人口も多く、数学的素養もあったので、ITの分野で欧米の仕事を引き受ける下地があった。しかし、それを国家的な産業に育て上げる為には、民間任せだけではなく、国を挙げた取り組みが必要だったのだ。
現在インドには60カ所を越えるITパークがある。バンガロールが有名だが、プネやチェンナイにもある。多くのITベンダーが集まり、規模が大きい場所では万を超えるエンジニアが一カ所に集まる。その溶鉱炉の様な場所で各ベンダー、各エンジニアがしのぎを削り錬磨されている。ひとつの町として全てがそろうITパークの中でエンジニア達は開発に没頭できる。
インドのIT業界における成功を語る時に、このITパークの存在は無視できない。私自身も数カ所訪問したが、トリバンドラムのITパークではリアルタイムで名だたるインドのITベンダーが新しいビルを建設していた。数字だけでは理解できないインドIT産業の熱や勢いを実感した。ITの為に作られた町なので、建物や通信インフラなどもセキュリティーも含め極めて整備されている。
【現況の日本】
当然、これらの国々と日本は状況が異なるので、単純に比較は出来ない。GDP、所得水準、技術力などに大きな開きがある国と同じ取り組みは出来ないし、する必要もない。それを十分承知の上で、あえて日本のIT業界と比べても危機感がつのる。実際、弊社内の開発においてインド人エンジニアの実力も見ている。彼らのパフォーマンスに疑いの余地はない。そもそも、インドではITを生業にすることが成功への近道であり、11億人を越える人口の、素材的には上澄みの人材が優先的にエンジニアとなる。素材が良い層がエンジニアになり、更に国策としてIT産業を伸ばそうと強い力が働いている。
一方、日本国内を見ているとエンジニア職の不人気さはとどまることを知らない。以前にも書いたが、理系の学生でも、文系の職種への転換を希望する者は多い。平均所得も低く、将来のキャリアパスも不明確な中で、学生達にエンジニアを目指せというのも酷な話だ。国自体もIT産業を育てる意欲があまり無いように感じる。もう少しIT分野の育成にかける予算を増やすべきだし、税制にも問題がある。現在、IT業界は税務的に見てサービス業に分類される。売り上げに対して原価が存在しないので、膨大な消費税を負担している。実態の構造を考えれば、人件費を原価に当てるのが適切だろうし、他の業種と同じ様に原価分の消費税は差し引いて課税すべきだ。優遇どころか、不適切な重税が存在しては、伸びる企業も伸びない。ITの分野はサービス業としての側面と製造業としての側面がある。その実態に税制が追いついていない。
日本がハイテク立国として世界と戦う為にはシステム開発のレベルアップは不可欠だ。今後、日本が世界に発信するサービスや製品を考えると、ITが必ず介在する。この分野での敗北は日本全体の敗北に直結する。ただし、インドやロシアなどと同じ土俵で開発競争をする必要はない。インドにはインドの強みがあり、日本には日本の強みがある。我々の強みは完成品に対する要求が厳しく、完成品をイメージし製品開発を主体的に行えるところだ。その強みを活かし、あらゆる製品開発を最上流から指揮し、エンドユーザーの満足度を上げる力において、日本は他国を凌駕するはずだ。いや、凌駕せねばならない。中国、ベトナムなどが台頭し、ツールの進化や言語への対応が各所で進み、ボーダレスに開発ができる時代が来た時に、日本人エンジニアに求められるのは、単純な開発スピードや品質ではない。上記の様な強みを活かし、開発をリードする役割だろう。その為には日本人エンジニアはマーケティング感覚を伸ばし、ビジネスモデル自体を構想し、新しい分野や製品を生み出す前線を指揮しなければならない。
また、アジアとの連携の中で最適な開発チームを組織し、品質、価格ともに世界的な競争力のある体制を実現しなければ、日本の役割はなくなる。アジアのソフトウェア産業の連携モデルをリードするのが日本の役割であり、私が率いるヘッドウォータース社の使命でもある。
この未来を実現する為に浮上したのが日本型ITパーク構想だ。インドやロシアの高い開発能力と棲み分けながら、日本の強みを活かす場所としてインドを含めた他国とは違うITパークが日本国内に必要だと思い至った。
世の中では様々なセミナーが開催されている。セミナーにも色々な種類がある。ノウハウの提供であったり、何かしらの成功談であったりする。営業目的でノウハウをチラリと見せる手法も一般的だ。講演者の腕によって満足度は変わるが、最も訴求力が強いのは恐怖に訴えることだ。
「このままでは大変なことになりますよ」という切り口はシンプルだが効力がある。先日ある著名な政治家の講演を聴いたが、巧みに恐怖心をあおり自分の正当性を主張していた。古典的だが巧みだ。
不況の時代には、この恐怖心をあおる手法が氾濫する。恐怖心をあおるまでも無く、恐怖心が世に溢れているからだ。しかし、恐怖心に駆り立てられ闇雲に走って、本当に正しい未来へむかえるのだろうか。
企業にとっても人にとっても正しい進み方は、恐怖にそって歩むのではなく、何かを成し遂げるために未来へ進むことだろう。羅針盤は恐怖ではなく、内から湧き上がる使命感やチャレンジャースピリットでなければいけない。
人類は民度を上げ進化を続けるべきだ。詳しくは少し前の項にある「懐古主義にもの申す」を参照して欲しい。進化するなら原始的な感情にそって未来を決めてはいけない。意志の力で未来を組み上げていくのだ。克己し、理性を発動し、感情に流されず、正しさを追求してこそ人間ではないか。恐怖や欲だけなら犬でも豚でも持っている。
昨今の市況からか「大変なんだから頑張ろう」と言うマネージメントをする経営者もいる。大変なんだから頑張ろうは、一見正しいが間違っている。頑張る理由は大変だからではない。今を乗り切るためでもない。意志の力で描いた未来を実現するためだ。
その企業が未来に存続する価値がなければ、社員も頑張る必要は無い。いくら大変でも頑張る必要性は無い。企業はあくまで公器だ。社会に生かされている公器だ。公器として社会の一翼を担う義務がある。その義務を遂行しなければ、いずれ社会からの退場を余儀なくされる。義務を遂行しないなら、存続する必要は無いので社員も頑張らなくても良い。
頑張る理由は使命感だ。その企業がなかりせば幸せになる人が減る。社会が進化しない。だから自らの存在と事業に誇りと使命感を持ち苦境の時も頑張るのだ。大変でも結束して頑張る価値があるのだ。
この不況下でリーダー達は安直に恐怖をあおって人を導いては駄目だ。リーダーなら理想と使命感に燃え、仲間達にその熱を伝播し希望と情熱を生み出すべきだ。
11/11(水)にHWS主催で交流会を開催する。今までいくつもの交流会に参加したことはあるが、開催するのは初めてだ。労も多いし、仕事になるわけではないの実利は無い。何故、今回初の試みをするのか。その背景にある私の感情は、この項で訴えた内容に近い。
この交流会のテーマは「日本型ITパーク設立」だ。日本型ITパークについては以前にも当ブログにて軽く触れた。詳しくは雑誌に掲載した内容を次回以降にこのブログに転載する。ビジョナリーかつ壮大なテーマだ。HWSの規模からすると壮大すぎて、実現への道はかなり険しい。ただし、訴えなければいつまでたっても理想は近づいてこないので、計画を綿密に立てられるほど進んでいる内容ではないが、先ず声を出して一種の啓蒙活動をしようと数年前から訴えている。
HWSが訴える日本版ITパークは一社の利益ために存在しない。日本の中小IT企業、アジアを中心とした多くのITを必要とする企業群のインフラとして存在する。だから、我々が事業として推進するのではなく、多くの同志を集め全員が使えるインフラとして皆の意志で作り上げたいのだ。
今回はITパークをテーマとするが、初回でもあるので海外に興味がある企業、IT業界の未来に希望を持つ企業の交流が目的だ。その交流の中でいずれ日本版ITパークを生み出すきっかけが生まれれば本望だ。
何よりも、壮大な理想を打ち上げることによって本来の企業スタンスを世に示したい。大変だから頑張るのでもなく、不況だからひたすら耐えるのでもない。理想を持ち使命感を持ち、その達成に命をかけるのが本来の仕事であり人生なのだ。今に対する対処に追われるのではなく、何かを創造するのが企業の価値ではないか。
だから、交流会の題目は「不況に打ち勝て」ではない。「厳しい未来を生き残る戦略」でもない。厳しい現状への対処ではなく、理想を叫び理想の実現をテーマとした交流会なのだ。不況も厳しい未来も関係ない。必要なのは自ら定めた使命に燃える自分だけだ。
交流会の情報を下記に示す。定員は200名程度を考えている。懇意にしている経営者の方々も早々に参加を表明してくれた。何十名か分の枠は既に埋まっているようだ。こんな時は仲間のありがたさを実感する。この項は中国に渡る飛行機の中で書いている。まだお誘いの連絡をしていない友人達にも出張中に参加をお願いする予定だ。
このブログを読んで頂いている方々も興味を持っていただけるなら是非「感想メール」から参加を表明して欲しい。交流会場にてお会いしたい。
それでは詳細を記す。
「日本型ITパーク設立パーティー」
日時:2009年11月11日(水)19:30より受付開始 20:00~22:00
場所:ライブ&ダイニング NB Club
http://www.ginzanet.com/nbclub/index.html
03-3571-7636(当日のみ)
アクセス:JR・地下鉄銀座線 新橋駅、地下鉄銀座線 銀座駅
参加費:5,000円(お食事・お飲み物代含む)
参加資格:ITパークにご興味ある方、ご賛同頂ける方
この項は上海から杭州へ向かう電車の中で書いている。この特急列車は通常の線路を走っているので、あまりスピードは出せないらしい。ロマンスカーくらいの感じだろうか。席は広々としていて快適だ。
ただし、前の席に座っている子供がボリュームを上げてテレビを観ているのがちょっと煩い。電車の中で携帯を使って大声でしゃべってもテレビや音楽をイヤフォン無しで聴いても、誰も文句を言わない。本人も気にしない様子だ。
先日の朝礼で、メンバーの一人が海賊版のソフトウェアについて話していた。日本では全体の20%が海賊版であり、中国では80%が海賊版だとネットだか雑誌だかで見たというような話だ。
そのメンバーは「そういったルールを守り他者に配慮する感覚が、日本の製造業の品質を上げ競争力を持ち豊かさを実現した」と言うような話で締めくくっていたように記憶している。この意見には強く同意する。
「損して得をとれ」とよく言われる。まあ、割りに合わない時に人を納得させる言葉として使われることが多いが、実際にも金言である。
一時的な損を覚悟し、長いスパンでの得をデザインする為には強力な理性と緻密な戦略的思考が必要だ。未来を見る想像力と、今を我慢する精神力がなければ、この行為は難しい。
自分の信念に殉じれば一時的にはマイナスを被るときはある。バブル期などは二束三文の土地を儲けの為に片っ端から売っていた不動産屋がいた。その時は儲かっただろうし、言葉巧みに売ることは比較的楽だ。信念もくそも無い。あるのは実利のみだ。しかし、そこで掴んだ利益で自分が満たされることも無いし、継続的に同じ手法で利益を生み続けるのは不可能だ。実はあまり得な行為ではない。そんな時代でも、良い商品を頑張って販売した不動産屋も多くいたはずだ。バブルに流されず、信念にそって進めた事業の方がはるかに継続性が高い。追跡調査はしていないが、信念に殉じた人間の方が結果的には納得できる人生を送り幸せだろう。
私も瞬間的に自分の利益を最大に出来る選択をあえてしなかった時も多くある。武士は食わねど高楊枝といった心境だ。目先の何億を無視して自分の正義に殉じた時もある。もし、自分の信念を捨て、その金に手を出していたら今のHWSはない。今のHWSを創るために私が発した言葉は力を持たなかったはずだ。
一生遊んで暮らせる富よりも、何のわだかまりも無く世に正義を訴え、信頼できる仲間と理想を追えるほうがはるかに価値がある。幸せである。
富は流動的なので、ビジネスの前線で戦い続ければそれなりには手に入る。少なくても家族を守る程度の富は何とかなる。自分が得る富はそれで十分ではないか。後は自分の人生をつぎ込み、成し遂げるべき理想を追い生涯を過ごせれば良い。
話を戻す。
来年には中国のGDPが日本を抜くと言う。国土や人口と言う絶対的な体力を有する中国はさすがに強い。一人当たりのGDPは日本が上だからと言って溜飲を下げようとする狭量な日本人もいるが、それを言うなら日本はとうの昔にGDP世界第二位ではない。日本より上の国はある。また、国際的な発言力は一人当たりのGDPでは決まらない。一国のGDPでポジションは決まる。
中国に接していると、日本人が昔に忘れてきてしまったバイタリティーを感じる。成長経済に生きる人間の逞しさや強さを感じる。国が伸びている時だからこそ、誰もが希望を自然に持つことが出来る。
日本もそんな時代があったはずだ。中国の著作権問題をテーブルに挙げる事は必要だが、恐らく戦後の日本人も未来より今の実利を追ったのではないか。もし今の段階で、中国が体力だけではなく高付加価値の製品やサービスを生み出し始めたら、まさに脅威だろう。隙がない。
しかし、今の中国も先進国として次のステージにあがる為にはいくつかの課題があるはずだ。一瞬の損があってもフェアでオープンであることを徹底すれば、国内に大きなマーケットが生まれるし、サービスや製造のレベルも一段上がるだろう。
今まで違法コピーしていたものに料金を払って買うのは損だ。しかし、それをすることでマーケットを作り、総合的な人材の品質を上げることが可能だ。よって未来に大きな得を生めるのだ。
逆に言えば現段階でいかに損して得をとれるかが日本人の価値であり、日本を先進国たらしめている基盤ではないか。実利的には一見無意味に見える高楊枝をくわえる姿は、高い精神性の現れであり、その精神性が強い組織や連携を生むのだ。
危惧するのは日本と中国の体力差ではない。我々が我々であるための精神が劣化していくことだ。新卒採用もスタートしたが、若い方々に一種の啓蒙活動として、この精神性を求めていこうと思う。またHWSでは人の意志によって、最強の組織が生み出せることを証明したい。
多くの若者達に告ぐ。我々の武器は研ぎ澄まされた精神だ。それを君達が継承できなければ、この国に未来は無い。君達は自分の首を自分で締め続けることになる。自らの振る舞いを振り返り、未来はより高みを目指して欲しい。
世の中には多くの専門家がいる。自称専門家もいる。何かに凝り、知識や経験を増やすのは大事だ。しかし、これには反作用もある。自分が得た知識や経験に、囚われるというリスクが同時に生まれるのだ。
人間は何かに囚われるとクリエイティブになれない。その人間が提案する案は、良くできてはいても凡であるケースが多い。ビジネスの世界で良くできた提案は競争力を持たない。同じ様に良くできた提案をする者が、他にいくらでもいるからだ。
生半可な専門家は無価値だ。徹底して凝りに凝り、創造性豊かな専門家となれば当然価値はある。
自称専門家を名乗る営業マンは世間に多くいる。それは採用に関することだったり、投資に関することだったりする。専門家を名乗るほど力は無いのだが、交渉を優位に進めるために専門家を名乗る。
私自身、専門家と名乗る人間をあまり信用していない。確かに、経験と知識は溜まっているだろうから、手垢のついていない情報提供であればありがたい。その情報を自称専門家が加工している時は、聞き流すことにしている。
以前はやれ税理士だ、やれ弁護士だというと、その権威に対して畏怖する部分があった。しかし、実際に経営経験を積んでいくと、税理士は税務のプロではあるが経営の専門家ではないし、弁護士は法律を熟知しているが、決して訴訟に勝つ技術が高いわけではないのを学んだ。税理士の言うとおりに全ての処理をしても、自社にとって最適な会計が作られるわけではない。弁護士も予想を語るが、結論を指導することは出来ない。
ましてや、自称専門家の営業マンの指導を素直に聞くことはない。実際に社員採用なども、自社の考えのまま動き成功している。採用コンサルタントを名乗る営業マンが多く訪問してくるが、一切採用活動に触らせることはない。それでHWSの採用に関する個性は作られたのだ。
SEの世界でも業務知識に対する要求は高まっている。Javaだの.NETだのと言っているレベルから、クライアントに近い部分の業務知識が求められる様になる。しかし、それなりに深い業務知識があっても、そこに応用力と汎用性がなければ、いつか自己の価値は薄まる。
いつかは専門家であることが、足かせになるときも来る。その時のためにも、今から囚われないという意識をもつべきだ。
多くの専門家が、自分が得意とする分野に固執するのは保身だ。専門知識を得て、一種の既得権益を作り、自己のポジションを守りたいのだ。こだわりがあり、プライドがあるように見えて、その根底にある精神は貧しい。
多くのSEに対して私が言いたいのは、精神を自由にしたらどうかということだ。それによって、生半可な専門知識では未来が渡れないという現実が突き付けられるが、その分だけ今何をすべきかが明白になるはずだ。
その辺の一束いくらで売っているようなありふれた専門家もどきで満足するのではなく、本当に価値のある専門家を目指したらどうか。そう、SE諸兄には提言したい。案外SE道を極めるのは楽ではない。SE道というよりも道を極めることは楽ではないし、極めなければ一生人材としての価値はあがらないのだ。
自分を振り返ると、私自身はどの分野の専門家にもなりきれていない。強いて言えば、HWSの経営に関する専門家だろうか。経営者としてはそこそこの苦境を乗りきり、経験を積んでいる。経営に対しては一家言ある。しかし、胸を張れるのはHWSについてくらいだ。
私自身も現在のHWSに縛られず、常に未来のHWSを創造的に見つめていきたい。囚われず自由な精神でHWSの発展に寄与するつもりだ。
11月は講演の依頼が5件程度入っているので、毎週話しっぱなしの予定だ。内容はオフショア開発についてであったり、IT企業の組織変革やSEの育成についてであったり多岐に渡る。私が役に立てるならと、基本的には依頼があればお受けするようにしている。HWS自体を世に周知させる活動となるので社益にもつながるだろう。
どんな講演の時も経験談に終始するだけでなく、独自の見解や未来を語る。そもそも経験談を語るなら、もっと経験豊富な方が世にいるだろう。私の出る幕はない。私に求められているのは、独自の見解をベースとして実現すべき未来を語ることだ。経験だけで物事が判断されるなら、そもそもベンチャー企業の存在意義はない。大手と系列があれば事足りる。
僭越なのは百も承知の上で、鼻息も荒く産業界の未来も語る。予見するのではない。「こうあるべきだ」と言う理想を語るのだ。実際、日本の形がどうなるかを予測できる人間などはいない。あるべき論は、未来の話ではなく今の話なので語ることができる。
以前、産業界の未来を語っていると、ある聴講者から「人類は進化しない方が幸せなのでは」という若干哲学的な質問を受けた。自然の中で生き、農業を中心として、必要な食を得るだけの仕事をしていけば、ストレスもなく地球も汚さず心豊かに生きていけるという主張だ。これはこれで一つの見識なので是非はない。こんな生き方を全人類が共同で行えば確かに幸せだろうが、現状ではありえない。
人類の特性は上昇志向だ。良くも悪くも上昇志向が進化を促し、他の生物との区別化を実現した。私見だが、人間の本質を曲げた未来を志向しても実現するとは思えない。よって、昔に戻ろうという懐古的な発想には賛同しかねる。
一見過去に戻ったように見えたとしても、それは何かしらの進化の結果であって、復古ではない。復古であってはいけない。復古を求めるべきでもない。
だから私は未来を語る。産業も精神も進化し、自然も守り、より豊かな精神で人が生きられる様な未来を標榜する。民度を下げ幸せをつかむのではなく、民度を上げることでの幸福を目指す。
規模は小さいがベンチャー企業内でも、同じような話はよくある。
「創業期はもっとみんなで飲んだりして、結束していたのに・・・・」
「昔は僕の意見をよく聞いてくれたのに・・・」
「会社が収益を追うようになって、窮屈になりました」
「会社が小さい頃はこんなにルールが無くて自由だったのに・・・」
あげればきりが無い。学生時代の楽しさを懐かしむ社会人もいる。昔の上司と今の上司を比べて、美化した過去の人を想い、心を慰める人間もいる。
しかし、もうその過去には戻れないのだ。
ちゃんと目を開けられるなら気がつくはずだ。時間とともに失ったものと同時に得たものもある。もし、進化せずにその時のままだったら、企業は収益力が無く、自分の生活も家族の生活も不安定なままだ。弱い企業としての立場に甘んじ屈辱を感じることもあるし、取り組める仕事のレベルもそれなりだ。何よりも、何かを成し遂げようと進化を標榜せねば、生きる活力が生まれない。マンネリの倦怠感で、毎日が辛い。
企業の成長と共に自己の成長も実現し、リアルタイムで担うものがある人は懐古する必要もないだろう。回顧的な発言の多くは、企業の成長から取り残された人員の口から発せられる。後発の人間が実力をつけ会社の発展に寄与している中で、自分の無力感や焦燥感をごまかすために、安易に懐古に走るのだ。
いくら愚痴ってみても、企業が時間を巻き戻すことは無い。進化を進め、より理想の姿を実現するしかない。その進化に必要な一翼を自ら背負うしかないのだ。前述したように、何かを成し遂げようと前を見ている人間が懐古の念を抱くことはありえない。
日本も過去には戻れない。日本独自の精神性は強みにもなるし、その劣化は防ぎたいが、歴史好きの私をもってしても過去を礼賛する気は起きないし、過去に戻る気も無い。企業も過去には戻れない。より強くなるように進化するか、衰退するかしかない。過去に戻ると言う選択はない。個人も同じように、輝いていた過去の一瞬にすがっても、自分も家族も本質的に幸せにはできない。
進化の先に理想を実現する。
これが人類の本質に合致するのだろう。だから、HWSは常に進化を狙う。過去を懐かしむのはプライベートの世界だけでよい。ビジネスにおいては、終わったことは即時過去のこととなる。常に見るのは未来だけだ。
不況下でベンチャー企業で戦う同胞諸君に告ぐ。過去よりも今よりも、未来を生きよ。それがベンチャーとしての正しいスタンスではないか。
先日、これから就職活動を始める大学生に対して講演する場があった。二十数名の参加者に対して、いつも通り思いのまま話させて頂いた。
人前で話すのはそれなりに慣れているので、壇上でも余裕はある。いつも、順番に全員の表情を確認しながら話す。相手の反応を見ながら、話す内容を決める。結論は同じでも、具体例や例え話などは参加者に合わせて、その都度変える。
参加者とは初対面だが、相手のことはその場で相当分かる。趣味や家族構成などは分からないし、講演に際してはどうでもよい。どの話に、どの様な反応をするのか。どのレベルで一番反応がよくなるのか。これらを見ていると、その人間の現在のレベルや性質がある程度分かる。
表面的な相槌をうっているのも分かるし、集中力が無くなってきたのもすぐ分かる。興味がある話が続けば集中力が落ちることはない。
ネタとして使えそうな話に食いついてくる人間もいれば、哲学的な話に食いつきが良い人もいる。国家天下の話をするとあくびを連発する人間もいるし、逆に身を乗り出す人間もいる。カジュアルに話すと聞けるが、熱く打ち込むとひく人間もいる。
講演の時は最大公約数で相手に合わせるので、全員にフルタイムで身を乗り出させる話は出来ないが、最終的にそれなりに飽きさせず、伝えたいことをしっかり伝えて終わるように心がけている。
HWSのメンバーは私の面接を受けて入社した人間も多い。よく笑い話で「1時間も2時間もマシンガンの様に一方的に話して、よく合否を判断できますね。」などというメンバーがいる。ちょっと心外なので、「そこまで一方的に話してないっしょ。」と言い訳したい気持はさておき、実際は相手の話を一々聞かなくても分かることは多い。
1対1で話しても、どの部分の反応が良いか、面接後にどんな心持ちになるかを見れば、かなり正確に人間性が分かる。また、本人の人間として円熟具合がわかる。別に上っ面な面接でありがちな話をする必要もない。私が9割方話していたとしても、一方的にこちらの話したいことを伝えている訳ではないのだ。相手を常に観察し、こちらも同意の合図を出したり、同意するかどうか合図を発信するよううながしたりする。言葉のキャッチボールは少ないが、意思のキャッチボールは成立しているのだ。
だから、経験から言わせてもらえば、20対1でも100対1でも会話は成り立つし、意思の疎通を持ちながら時間を過ごすことは可能なのだ。
このことを案外聴き手側は気がついていない。20人いれば1/20だと思って油断して聴いている。本人の態度や人間性をこちらが冷静に推し量りながら話していると思っていないので、適当な態度や失礼な態度を取る人間も多い。
本来は1対1だろうが1対20だろうが、人間対人間としての礼節があるはずだ。多人数に隠れて、礼を失うようでは本人のレベルが知れるというものだ。根本的に相手に対しての敬意や配慮にかける。人として幼い。
私自身が聴衆側になったときには、常にスピーチをする人間に対して、合図を送る。「その話は理解した」「その話には同意できない」などのこちらの意思を、頷きや眼の動きによって講演者に送る。
拍手をするときも、周りに合わせておざなりでするのではなく、相手の発言や行動に対する敬意を込めて、顔の前まで手を持ち上げて相手に届くような音を出すようにする。また、自分の意思を講演者に送るだけではなく、その場の雰囲気も盛り上げ良い時間にしようと思い拍手する。一つに拍手にも意思を込める。
これらの全てが、コミュニケーション能力というものだろう。
コミュニケーション能力とは上手いプレゼンのことではない。気の利いたギャクが言えれば良い訳ではない。人なつっこい笑顔で相槌が打てれば良い訳ではないのだ。
根本は相手に対する敬意であり心配りだ。その根底にある礼節なのだ。相手に何かを伝えようという気持ち、相手の気持ちを受け取ったと伝えようとする努力がコミュニケーションの源泉なのだと思う。
皆さんのコミュニケーションの力は、面接や公の場以外でも絶えず見られている。必要な時だけ発動して上手くコミュニケーションを取ろうと思っても難しい。表面的に楽しい会話、まとまった話をすることは慣れれば誰にでも出来るが、時間が経てばボロがでる。
私も元々は並のコミュニケーションの力しか無かったし、その方面の才能が無い事は明白だったので、習慣として身体に叩き込むしかなかった。いかなる時も、相手の感情や意思に配慮しつづけ、それを習慣にするしかビジネスマンとして必要な対人能力をつけることが出来なかったのだ。
不器用なりに、今はビジネスマンとして及第点の能力はあるだろうと自負している。それは、持って生まれた才ではなく、後天的に作り上げたものだ。その力が無ければビジネスの世界で生きる道は閉ざされるので、やむなく作り上げたものだ。
就活中の学生諸君。対人能力が低いと悩んでいるエンジニア諸兄。現状を悲観する必要はない。全てはこれから作り上げるものだ。慢心せず、卑下せず、自らの可能性を信じ、必要な力を育て上げて欲しい。
最近、ご縁があって故白洲次郎氏を題材にした小説を読んだ。白洲氏と言えば、戦後GHQと渡り合い新憲法制定に尽力し、吉田茂首相の側近として、通産省を作り電力会社の民営化などでも中心的な役割を担った人物だ。戦後の日本が国の形を作る上で多大なる貢献がある。
大臣の椅子も断り、最後まで在野の人材として吉田内閣を陰で支えたが、その政治的影響力は多大であったと聞く。
彼の緻密な戦略立案の力と、それを断行する胆力はどこから来たのか。当然、持って生まれた才気もあるだろう。後天的に鍛え抜いた技能も必要だろう。しかし、私が彼から感じるのは無私の強さである。
全てを無くしても良いと言う開き直りの境地。自分の為ではなく、国のためであるという絶対的な正義。これに対して一点の曇りが無いところが、彼の戦略やネゴシエーションを鋭く研ぎ澄まし、迫力を生み出していたのだと思う。
幕末に西郷隆盛という偉人がいる。相当な策謀を巡らし、領主すら騙し、維新の中軸を担った。その存在の大きさに、明治政府においては、政治と軍事を両面から統べる立場を得られた訳だが、その全てを放棄し野に下った。
一般的な感覚では、狡猾に策謀をめぐらす人間は悪だ。信用もできないし、人格的にも疑ってしまう。庶民の感覚としては、受け入れられない。
しかし、西郷隆盛も白洲次郎も自分の正義には一点の曇りもなかったはずだ。策謀という手段は使ったが、その結果求めた物は、自己の利益ではない。豊かな日本、誇りある日本の創立だったはずだ。それを証明するかのように、事が成された後には両名とも官を辞し、百姓として自ら野に埋もれるつもりだった。
白洲次郎は悠々自適と老後を過ごしたが、西郷隆盛はご存じの通りの結末をむかえる。尤も、西南の役の巨魁に祭り上げられ、その立場を甘受した姿は、西郷隆盛が最後まで無私のまま生き抜いた事実をより鮮明にしたように感じる。また、維新後の社会を落ち着かせる為に、必要な役割を最後に担ったのではないかと思う。
無私で生きることで、自分の利を捨てる様な不遇感を持つ人もいるかもしれない。しかし、両氏を見れば分かるように、無私の中で何かをやり抜いた人間には悠々自適な未来が待っている。
無私でなければ多くの民意は糾合できまい。民意を糾合しなければ、大事は成せない。何かを成し遂げた人間は、それなりの利と権限を自然と手に入れるものだ。無私に生きていても報われない人もいるだろうが、それは無私に生きることが目的となってしまい、何かを成し遂げる事に執着しなかったからだろう。無私で生きても何の収入も権限も手に入らない。それらを自分に呼び込むには成果を作らねばならない。何かを成し遂げたいという成果がなければ、収入も権限も己の下には来ない。
無私でいる自分に酔ってはいけない。無私の中で、正義の言葉を吐いても誰も幸せにならない。無私の自分を使い、何かを成し遂げ、他人の幸せに寄与してこそ価値がある。
今回挙げた両氏に共通するのは、無私であることと同時に成果への執着だ。執着故に謀略も駆使したのだ。謀略の先になる国民の幸せに対し、一点の曇り無い確信があったので、手段を選ばず進めたのだろう。
各企業は、現在の市況を受けて改革を余儀なくされている。あたかも、ペリー来航を受けて国の体制を変えなければならなかった日本の様だ。あたかも、敗戦後に日本の新たな形を作らなければならなかった日本の様ではないか。
この時期に、各企業は優秀なリーダーを欲している。経営者がリーダーシップをとるのは当然として、現場から組織を変革するリーダーの台頭を求めている。
立場が低かった人間、若年な人間が多くの仲間の賛同を集め、組織を動かしていくには、無私の中で身体を張るしかない。無私が本物なら、立場や年齢に関係無く人を動かす力を持つはずだ。私も自社内において、無私の中で身体を張る人間を止める事は出来ない。そして、無私であることはゴールではないと知り、成果に対して執着しなければならない。
いつまでも「こうすれば会社はもっとよくなる」といったような正論を吐いて喜んでいるガキでは駄目だ。良いことを考え、良いことを言うことに微塵の価値もない。必要なのは、それを断行するリーダーシップだ。
今はひたすら組織を見ればよい。組織の勝利、クライアントの勝利を目指して全力で走り抜ければよい。自分が志す正義を固め、全力で生きれば、欲しいものは自ずと手中にある。
今週はブログのアップが多少滞り気味だ。実はビジネス本を出版する話が以前から進んでいる。せっかくのご依頼だし、良い機会なのでお受けすることにした。私の様な若輩がという気持はあるが、私の感情よりも組織の発展及びIT業界に対する貢献を優先するのが信条なので、執筆を続けている。そろそろ、締め切りなので、そちらに忙殺されてブログの更新が若干減るのはご理解頂きたい。
年内には発売する予定なので、一読頂ければ嬉しい限りだ。詳しくは本が完成したら、当ブログにて報告させて頂く。社員研修や経営幹部研修にも使えるはずだ。念のために言っておくが、あまりの偏り具合に出版者が二の足を踏んだら、発行されないので、悪しからず。内容には自信がある。
話は変わる。
10月に入り、2011年の新卒採用も正式にスタートだ。それに伴って、学生用のサイトをリリースしたので、確認して欲しい。今年も2010年に入社する内定者が、サイトを構築した。3チームに分けて、この後に説明会に来場してくれた学生達の投票によって順位が決まる。例年通り、トップのチームだけベトナムでの研修が待っている。
これが、かなり面白い。
内容も濃く、多くの学生は入社前にHWSとは何ものかをしるだろう。技術の研修も併せて行っているし、そろそろ営業の研修なども始まるだろうから、HWSの内定者を全うするのは相当ハードだ。
その結果、三ヶ月で今回のサイトリリースに漕ぎ着けた。学生が作ったものであるが、なかなか馬鹿に出来ない出来だ。メンバー募集用のサイトの目的は、その企業が何ものかを明確に伝えることだ。綺麗で無難な募集用サイトもよく見かけるが、画一的な採用ページは企業の為にも学生の為にもならない。その企業の本来の姿が見えない。学生も迷うし、企業も自社にマッチする人間を集められない。
その意味では、インパクトもありHWSがどんな存在かも伝えるには十分のサイトに仕上がっている。これだけの伝達をしている企業がどれだけ世の中にあるだろうか。イメージビデオよろしく、きれいな印象だけ伝えてはお互いの関係に間違いを生む。技術的な未熟さや文章作成上の拙さはあるだろうが、本質論で言えばかなりいけてるサイトだ。
HWSの新卒は流石であり、誇りに思う。ちなみにサイトの一つに私と萱沼取締役の対談PVがあるが、あまり生産性の無い会話が続くので、こちらはとばして次の内容を見た方が賢明だろう。
▼2011新卒採用サイト
http://www.headwaters.co.jp/2011/index.html
そうそう、最後にHWSの社風を話す。
我々は異端であることを是としている。異端とは奇をてらった言動を指すのではない。今の世の中を更に良くするために、老朽化した仕組みや価値観を打破する行為だ。今の社会構造の中で潤沢な利を得ている者は、それを指して異端と呼び非難する。
ベンチャー企業の存在価値を一言で言えば、異端であることだ。基幹企業群が踏み込めない領域へ、強烈なバイタリティーで踏み込むことによって、文明を進化させることがベンチャー企業の誇りであり、責務だ。これは大手には真似出来ない。
よって、我々の社風の一つに「どれだけやり過ぎるか」がある。HWS内では「それはちょっとやり過ぎだろう」という言葉には、賞賛の意が込められる。それが何かしらの損失を生んでも、粗方容認される。
やり過ぎを目指せば、エネルギーが生まれる。やり過ぎを目指せば、当事者意識を持たざるを得ない。やり過ぎねば、既存の体制を打破することなど不可能だ。
よって、我々はクライアントを勝たせる為に、HWSのミッションを成し遂げるために、全メンバーが幸せになる為には、常にやり過ぎる所存だ。
その結果出来上がった採用サイトなので、やり過ぎな部分は勘弁して頂きたい。
また、HWSでは社長(私)の威厳は相当低いので、「良い人材を採るため」「会社の発展のため」という大義を大上段に振りかざされると、私の抵抗力は一切なくなる。サイトでの露出も、PVも好きで登場している訳ではない。案外、シャイでナイーブなのだが、公人であるがゆえに、個人の感情を横に置いてサイト内の各所に登場している。
「社長の趣味で、色々出てるな」と思われると心外なので、一言いわせて頂きました。(何故か最後だけ敬語)