会長ブログ(株式会社ヘッドウォータース代表取締役:篠田庸介)

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2009年12月24日 17:19

書籍にて伝えたいこと

出版する書籍の文章チェックも大方終わった。多少の修正はあるが、1/23(土)の出版日には間に合うだろう。気がつくと既にアマゾンの商品ページに載っている。出版社がしっかり動いてくれている様だ。既に予約して頂いた方もいる。

表紙1月23日(土)発売
「生き残るSE」篠田庸介著
日本実業出版 定価1575円(税込)

http://www.amazon.co.jp/dp/4534046677/

改めて内容を読み返すが、良い出来に仕上がったと思う。このブログで語り続けてきた主張とは基本的に一貫していてぶれは無いが、順序だってまとめてあるので分かりやすい。恐らく様々な企業の経営層が内容を把握し、必要な部分だけを自社のマネージメントに導入することも可能だろう。

書籍とは一人で書き上げる様なイメージだったが、関係者一同で作り上げて行くのだと知った。ベースは私の主張ではあるが、それをどう伝えるかをチームで練りながら制作を進める。文章を簡素化し、必要ない部分はカットする。構想から出版までは、一年程度かかった。

小説「白州次郎」の作者が言っていたが、良い本を作る上で難しいのは加筆することではなく、文章を削ることらしい。確かに無駄が多い分は読みづらい。主張があまりにも重なっていると煩いし、前後に関係無い文が挿入されると頭に内容が入りづらい。作者は一つ一つの文に思い入れがあるので、なかなか文章を削除出来ない。よって、チームでの制作が必要なのだ。

「生き残るSE」と言う題目なので、当然SEの方やSIerの管理職や経営幹部には一読して欲しい。HWSの取り組みや私のスタンスに対する好き嫌いはあるだろうが、知識として押さえておくべき内容に仕上がった自信はある。

ただし、私自身はSIer以外の企業を創業し、経営した経験もそれなりにある。業種業界を越えて、多くの経営者に対してある種の主張を発信している。業種によって変わる経営ノウハウなどもあるだろうが、業種を越えて存在する真理もある。私の経営に対するスタンスは常に王道を目指している。真理に基づき、正義に基づき、強い組織を作り込む事を是とする。強い組織があって初めて、しなやかなしぶとさと、成長性を同時に内包できると考えているのだ。

よって、組織を作らなければならない全てのリーダー、または未来に各界のリーダーを目指されている方々にこの本は送りたい。偉そうな講釈というよりは、一つの問題提議として受け取って頂けるとありがたい。

HWSの取り組みも一つの情報として伝えたいのだが、もっと伝えたい事はある。大事なのは、信念を持つことであり、それに執着と情熱を注ぎ込むということを真摯に伝えたい。当たり前だと感じるかもしれないが、明確な信念を持ち生きている社会人も企業も、昨今では案外少ないのではないか。

091224_a.jpgHWSが掲げる理想の是非は、再三言うが三十年後に聞いて欲しい。HWSの全メンバーがギリギリの戦いに勝利すればビジョンを成し社会に貢献しているだろう。成否は後に問うとして、大事なのは今の「生き様」だ。今の「生き様」は納得できるものかどうかは、リアルタイムで結論が出ている。

「生き残るSE」の内容を見ると、多分に偏りもある。現況に対する改革者として、あえて偏る道を選んでいるので当然と言えば当然だ。偏る分だけ受け入れられない人もいるだろうが、それも良しだ。事実としてあるのは、HWSにはHWS独自の主張があり、それに執着し達成に全力を挙げていると言うことだ。信念を持ち貫こうという「生き様」がそこにあることだけは事実だ。

己に信念に沿って、偏り、執着し、主張する。実行し、何度失敗をしても果敢に実行し続ける。企業の文化を創るとは、この様な試みではないだろうか。コンサルタントが綺麗なプレゼン資料で企業文化を育む為のマイルストーンを提示しても、実際にゴールには行き着きはしない。

私の書籍から、この時代においても戦意を失わず、何かに戦いを挑んでいる集団の姿を感じて頂けたら嬉しい。存続を目的にし、市況の変化に恐れおののくではなく、チャレンジャーとして何かを成し遂げようとする集団のエネルギーを感じて欲しい。

それぞれの企業にはそれぞれの使命があるはずだ。それぞれの企業にはそれぞれの挑戦があり、その為の戦いがあるはずだ。創業の原点にもどり、自社の使命を再度確認して頂けたら幸いだ。今回の書籍は、そんな思いを込めて我々HWSの主張を綴った一冊となった。

2009年12月21日 10:41

一段ずつ

photo今年を迎えるに当たって、私が志向したのは組織力の強化だ。肥沃な土地では、強い軍は育たない。辺境において、戦いに明け暮れた蒙古のごとく、苦況によって鍛え上げられた軍がいて、初めて覇業も成せる。

SI業界においても、マーケットが縮小し、市場を取り合わねばならないのは、一年以上前から承知していた。よって今期を迎える上で、相当の決意や覚悟が必要であった。高い技術力があり、優秀な人材がいたところで、「絶対」は無いのがビジネスの世界だ。変化は望むところだが、気を引き締める必要はある。

その中で当初に決意したのは、HWSの組織力を一段上げようということだ。今までは、市況の良さに隠れてごまかせていた事を白日の下にさらすのだ。そして、本物の強さを手に入れるための道を明らかにするのだ。それには、今期の様に縮小するマーケットが必要である。向こう何十年も成長する組織にするには、今期は必要な時間であった。

企業が成長している間は、文化も組織力も大して重要ではない。必要なのは蛮勇と、実行力だ。その強さに惹かれ多くの人員が集まってくる。高い報酬や、未来の繁栄を保証してくれるのではという期待で人が集まる。その勢いを文化と勘違いしてしまう経営者は少なくない。

組織の真価が問われるのは、あくまでも苦況の時だ。メンバーの組織人としての成熟度が問われるのも、同じく苦況の時だ。好況時に組織に対するロイヤリティが高いのは当たり前だ。飲み会をしても、会議をしても勢いがあるのは当たり前だ。しかし、その成長が延々と続くわけではない。

photo今期は厳しさが当初から予想された。手前味噌で恐縮だが、HWSにおいても9割のメンバーは、不況感を見せずに仕事を取って来ていた。しかし、1割のメンバーはなかなか仕事も取れず営業に追われていた。これはこれで、悪いことではない。己を知るに必要な時間となれば良い。

厳しい状況になると、勢いに惹かれ、ノンポリのまま組織に残っていた人間は去ることになるだろう。「何故この会社なのか」「この会社で何をするのか」これらを主体的に考えられない人間は、そもそもベンチャーにいるべきではない。何とか大手企業に潜り込むべく必死になるのが正しい姿だ。

苦況でこそ組織の純度は上がるのだ。それは、没個性になるという事ではない。各人は個性を研ぎ澄まし、自分しか背負えない範疇を組織の中に作らなければならない。組織の純度を上げるとは、組織の文化、組織のミッションに対するロイヤリティを、各メンバーが自分の哲学や信念をと照らし合わせて主体的に持って行くことだ。思考停止の中で、流されることをロイヤリティとは言わないし、その様な組織が苦境下に強さを発揮するとも思えない。

私自身が発するメッセージが強い為か、案外外部からはワンマンな会社に見られがちのHWSだが実際は違う。以前のブログにも書いたが、私が理想とするのは各所からリーダーが現れ、それぞれがリーダーシップを発揮し組織をドライブしていく姿だ。上意下達の徹底を是とする組織ではない。

今期は、様々な課題に対して、自然発生的にリーダーが現れた。リーダーが責任感を持ち、自分が背負うミッションに取り組んでいた。それは会社から与えられたミッションではない。各人が自分で感じ、自分で考えた現状の課題を解消する為に、自主的にリーダーシップを取り始めたのだ。社内から仲間を集めタスクフォースを組み、問題に当たるのだ。

業務時間以外でも集まり、対策を話し合い、実際に業務にて実行していく。社内全体に波及させるよう活動もする。これをそれぞれのリーダーは、自ら決めて実行するのだ。彼らの台頭によって、自分の義務だけを遂行し、それ以外に関しては他力本願な希望や批判を言っていた人間は、組織内に居場所を失うか、自分も動くかしか選択肢は無くなるだろう。組織の文化、組織の純度はこうして進んで行くしかない。

photo私自身は大きな流れの中でHWSが正しい方向に進んでいくよう舵を取るつもりだ。これは組織における現在の私のタスクだ。極限まで自由度を上げ、その自由をはき違えず、苦境下で自発的に動く組織が少しずつ形になって来たのではないか。今は未熟なHWSではあるが、未来に進もうとしている道は正しいと言う確信を得た一年であったように思う。最近は私が舵を切る必要もあまり感じない。多少のズレが生じても、組織の文化が自然と、組織の進む道を矯正していく。

HWSにおいては、人員も足りず仕事が余ってきた。一段上がった組織によって、来期は攻勢に出たい。とりあえずは良い年末が迎えられた事を、仲間達みんなに感謝したい。

本の出版が1/23(土)に決定した。実は原稿の最終チェックを行っていて日々締め切りに追われている。ほぼ完成ではある。私のしつこい文章はあまり多くの読者に受け入れられないという尤もな指導を出版社から受けて、かなり読みやすい文章になっている。読み返すと、確かに直した後の方が、ダイレクトに言いたいことが伝わりそうだ。

よってブログは本年最後の更新になるかもしれないが悪しからず。時間が取れれば、もう一項追加する。

2009年12月16日 19:55

アジアンマーケット

photo日経新聞によると、アジアにおける上場企業の売上高が米のそれを抜いたという。スズキなどは早くからインド市場に注力し、現在は営業利益に占めるアジア比率は8割にのぼる。逆に日系企業の米での収益は低迷の一途を辿っている。

SI業界では、アジアをリソースとして捉え、経営戦略を構築する事がほとんどだった。安い人件費を利して利益率を上げ、日本マーケットにおいて収益を上げようというスタンスだ。現在もこのスタンスは大幅に変わっていない。

しかし、メーカー各社のマーケットがシフトして行ったように、いずれSI各社もマーケットのシフトは必須となるだろう。日本マーケットは世界の中でも潤沢な方であるが、成長市場ではない。近未来を見越しても、停滞か縮小しか予想できない。自然、成長をノルマとする上場企業を中心に海外のマーケットを狙わざるを得ない状況になるだろう。

実際海外に出てみると、大手SIerが取り組むほどの規模ではないが、日本の技術を必要としているプロジェクトは多くある。中小企業なら取り組む価値は十分ある。中国も、ちょっと前までは安い人件費を利した生産拠点という位置付けだった。海外から多くの資本が投下され、その中で上手く立ち回った人間が富裕層となり、少しずつ魅力的なマーケットとして成長していった。今では、中国マーケットを無視しての国際戦略は成り立たない。

インド、ベトナムなどまだまだ成長の途中にある魅力的なマーケットがアジアには目白押しだ。ここを攻めずして、後発の我々に飛躍的な発展はない。

アジアマーケットを攻める上で、必須なのはやはり英語力だろう。アジア諸国が生産拠点だった頃は、日本がお金を払う側なので、先方が日本語を覚えてくれたし、日本の文化にも配慮してくれた。だから我々としては比較的ストレス無く仕事に当たれたのだと思う。しかし、アジアをマーケットとして狙うとしたら、金を払うのは先方だ。日本語を使ってビジネスを展開するのは無理だ。

アジアでビジネスを行う階層は、大抵英語が出来る。カンボジアに行こうがミャンマーに行こうが、ベトナムに行こうが英語であればコミュニケーションが取れる。

また、アジア諸国がマーケットなのであれば、マーケットを調査し、マーケットに合わせるような配慮をしなければならない。ビジネスの基本だ。相手の嗜好を読み、対応するのはこちら側のタスクだ。

アジア各国に進出した日系企業の責任者とお会いする事は多いが、時たま仕事を出す側のエゴみたいなものを感じる。簡単に言ってしまえば、態度が横柄だったりする。

photo大手企業であれば、現地法人に配属されると何百人という部下が、いきなり出来るケースがある。円も強いので、現地ではちょっとしたお金持ち気分だし、現地人の部下が常に自分の顔色をうかがってくれる。大抵の人は慣れない立場に酔い、気がつかない内に増長し、自分の存在を勘違いしてしまう。

これでは何年その国にいても、その国でビジネスを展開する感性は育まれない。立場を変えなければいけないことに気がつかない。そもそも、気がつきたくないという心理が働いてしまう。

現在オフショア開発が話題になっている。中国を中心に日系の開発を受ける力を持ったSIerも台頭してきた。海外をリソースとして上手く使えなければ、競争力が減退してしまう時代も近い。しかし、日系SIerの本当の課題はオフショア開発にあるのではなく、その先にある海外マーケットの攻略だ。ここを突破しない限り、日系SIerは衰退の一途をたどるはずだ。それはアメリカの自動車メーカーが、次々と力を失っていった構図に近い。

リーマンショック以降、SI業界は厳しさが続いている。HWSにおいても、人が足りなくてお断りしなければいけない仕事が次々と出始めたのは最近の話しだ。しかし、今回の市況は一つのチャンスでもある。我々は日本市場にどっぷり依存している事のリスクを身をもって学んだはずだ。成熟経済の中で、今ある市場に頼っていると、市況に変化が起こり、マーケットが縮小したときに地力で立ち直ることが不可能になる。人間は、理屈で分かっていても身体に叩き込まれなければ行動に移れない。多くのSE、多くのSIerは、文字通り身をもってグローバル化の必要性を感じたはずだ。それはリソースの拡大ではなく、マーケットの拡大と言う意味でのグローバル化だ。

変化への決意を固める、挑戦しようと覚悟を決める。SI業界全体が、これに必要なきっかけをリーマンショック以降に得たのではないか。

SI業界の巨人であるNTTデータ社などは、この時期にあえて中国やインドに合弁企業を作り積極的に海外展開をしている。先ずは、開発拠点なのだろうが現地と深く関わることで、マーケットしての開拓も狙っているのだろう。

我々ベンチャーは、金も人も潤沢ではないが、一人一人の燃えるようなエネルギーと、身体を張ったアグレッシブさでは決して負けない。ベンチャーしか出来ない戦い方があるし、ベンチャーしか作れないSI業界の未来もある。来たるときの為に、技術を磨き組織力を高め、競争力のある人材の育成に当たらなければならない。

この一年でHWSも多くを得た。今年度も後半に向けて攻撃態勢は整った。後三ヶ月で今期も終了だが、未来へ繋がる一歩を踏み出した実感はある。弊社は、来期には必ず次のステージにあがる。その為に必要な成果を残りの時間で必ず積みあげる。HWS全メンバーの総力戦において未来を紡いでいくつもりだ。

2009年12月14日 14:53

モバイル

photo海外での仕事がふえてから、出張時に快適なビジネス環境を実現すべくモバイルにはかなりこだわってきた。今はノキアの携帯を愛用している。どの様な機能があるか話すと長いが、出張時における様々な状況を、ノートPCを使わずにある程度処理できる。当然、快適に使える様にカスタマイズしている。慣れるまでは、相当使いにくい。

日本ではiPhoneが全盛だ。気がつくとIT系の社長やらエンジニアやらがみんなiPhoneを持っている。モバイル関係のアプリやサービスの分野は発展の可能性が高いので、ユーザーとして使ってみるのも必要だという気になってきた。うちのメンバーからも相当押されている。

私が二十歳の頃はポケベルが全盛だった。携帯も出始めていたが、実用性があるサイズにはなっていなかった。電池も数時間で切れてしまうので、日常的に業務には使えない。何度もの飛躍的な進化を遂げて、現在の携帯に至っている。

携帯電話は最初規制があり、レンタルのみのサービスだった。それでもレンタル代が二十万以上していたように記憶している。その後規制の緩和で、販売が可能になったが値段は二十万円前後のままだった。モトローラ-製の携帯が五万円弱で売られるようになって、やっと各メーカー、各キャリアが値段を下げ始め、一時は無料が主流になった。機体はただで渡し、後の通話料なので回収するモデルだ。

二十年の歳月を振り返ってみると、社会のあらゆるインフラが一新していることが分かる。携帯市場だけみても、激変の二十年の中で様々なビジネスチャンスが生まれ、それを掴んだいくつもの企業が台頭してきた。

私が二十歳の頃、ある友人に「将来はでかい会社を創るんだ」的な事を語ったときに、その友人は冷静に「戦後の何も無い時代ならいざしらず、今から大企業を作るなんて無理だよ。今は大きな会社に入るのが一番なんだよ。」と言っていた。友人の発言は、当時の常識であり、ほとんどの日本人はそう思っていた。

photoしかし、それから二十年経ち世界に目を向けてみれば、いくつもの巨大企業が生まれている。我々の浅慮では時代の流れを読むなど不可能だ。予想を超えてあらゆる仕組みが変わる。

世界中のあらゆる分野で制度疲労が起こり、多くの人が次の枠組みを欲している。自社が爆発的に伸びる余地などいくらでもある。二十年の歳月があれば、世の中は一新する。

現在の市況は市況として、組織力と戦略で乗りきれば良い。しかし、我々が実現せんと狙うのは、今を生きる事ではなく、一新すべき時代をリードする企業として大きな役割を担うことだ。

今後、我々が予想だにしない変化来ることは間違いない。その変化を利して台頭する企業群があることも同じく間違いない。

この変化を前にして、大志を抱かずしてどうするのだ。野心を持たずして、何の為に生きているというのだ。私自身が、この心境で事業の世界に踏み込んでから二十年が経つ。未だ大志は成せずだが、心にともるチャレンジャースピリットは増すばかりだ。私にもまだ十分な時間が残っている。北条早雲よろしく、心さえ枯れなければ戦う時間は十分にある。

就活中の学生達に言いたい。目先の就職活動に目を奪われ、ロマンあふれる未来が見えなくなっては駄目だ。就職活動の為に生きてきたわけでも、就職活動が一生続くわけでもないだろう。その後何十年と続く仕事人生を、大志を持って生きられる道を探して欲しい。

市況の悪化から元気を無くしている経営者も多いと聞く。初心を再度取り戻して欲しい。時代の変化を感じ、大志を抱き実業の道へ足を踏み入れた時の事を思い出して欲しい。誰にとっても、生き抜く事や大志を抱き続ける事は楽ではないが、その中で雄々しく立ち続けてこそ事業家ではないか。何も持ち得なかった原点に回帰し、一人のチャレンジャーとして時代の変化に挑んで欲しい。

もうしばらくしたら、御苑近辺でiPhoneを持ち歩くミーハーな私の姿を見ると思うが、何も言わず黙って見過ごして下さい。

2009年12月09日 16:21

人事考課

photo以前、死ぬほど人事考課制度について考えた事がある。様々な仕組みも調べたが、評価の段階でどこかに個人の主観が介在するので、真に平等な評価制度はあり得ないという結論に達した。

私自身が一番納得できるのは、尊敬できる直属の上司が自分の動きや成果をみて評価してくれることだ。人間が完璧でないことも十分承知しているので、多少自分の思惑と違う評価でも、本質的に尊敬と信頼が持てる上司が決めたなら、様々な事情を受け入れて、一言諾と言うのが私の美学でもある。そして一旦諾としたら、それについてはその後語ってはいけない。

HWSが現在の制度に行き着くためには、過去に平等な人事考課について考えた膨大な時間が必要だった。どうせどこかで誰かの主観が入るなら、徹底した俗人的評価制度にしようと決めた。俗人が不平等にならないように、メンバーは評価者である上司も自分で選ぶ。評価者である事業部長が管轄する事業部単位の収益と、個人の評価は関連性を深くして自分の動きで未来の状況を変えられるようにもした。また、そこまでしても納得が行かないなら、実力を持って自ら事業部長となり、評価する側にまわる事も可能だ。あらゆる選択が自らの責任で行える。これで駄目なら納得できる人事評価制度など作りようがない。

基本的に評価とは他人がしてくれるものなので、あまり気にしない方が良い。評価を考えながら仕事に当たると、ダイナミックに動く事が出来ない。リーダーなら、仲間や外部にどう見られているか意識することは大事だが、それは良い評価を受ける為ではなく最終的に組織の力を最大化し、より多くの成果を上げる為だ。

一般的には評価によって報酬と職位が決まる。報酬は収益との連動性が高いが、職位のプロモーションでは、収益と同時に会社の勝利に対しどれだけ貢献出来たかが問われる。自分の担当事業において最大の成果を上げる事は責務だ。それにプラスして、すぐに収益には結びつかないが、組織がより良くなる為の影響を主体的に与えられてこそ管理職として資質があるというものだ。

会社全体に対して何か働きかけることは、多くのメンバーにとって職務を超えた行為だ。担当業務以外の事はやりたくないと一般的なサラリーマンなら考えるはずだ。しかし、自分の範疇だけを上手く終わらせて、余力を残してストレスフリーで作業する事に固執する様では、部下の範疇まで抱え込まなければいけない管理職は務まらない。自分の範疇という枠がそもそも無い経営幹部はそれこそ無理だ。「その立場になったら頑張ります」と言う人もいると思うが、いざと言うときに嫌々ながら部下の責任を背負ったり、会社全体を見ようと思っても上手くいかない。基本的な資質として、全体を良くするために身を挺するという指向性は必要なのだ。

HWS内部でも上司の命令が一切ないのに、タスクフォースを立ち上げ組織の改善活動に勤しんでいる者もいる。それは営業活動の改善が目的だったり、内部の連携を深めるための活動であったりする。

photo新しいプロジェクトを獲得する為の戦略会議や、会社の制度を検証してより良くしようという会議なども随時開かれている。業務とは別にエンジニア達が自発的に行っている。

その中でリーダーシップを取る人間は、自然な流れの中で経営幹部となり組織の支柱となっていくだろう。文字通り自他共に認めるリーダーとなるはずだ。自分が発する影響力は、確実に組織に浸透する。上司に媚びてアピールする必要もない。

そう考えると、職位というのは最終的に自然に決まるのだと感じる。最後は、なるべき人がなるべきポジションに着く。私自身も、かつて社長として仕事をしようと思ったことは一度もない。必然に迫られ、使命感の下に泣く泣く経営者となった。自然とその任についた。

私の持論だが、報酬も立場も最後は適切なところに落ち着く。ある時点を切り取ってみれば不公平もあるだろう。自分より無能だと思う人間が高い所得を取っていたり、使えない上司がいたりもするだろう。

しかし、言うほど自分に価値があり、自分の影響力があるなら、最後は適切な位置にいるはずだ。その位置に行けなかったとしたら、それなりの実力しかないということだ。決して不遇なのではない。純粋に組織に対する貢献が足りないから、それなりの位置なのだ。

私に関して言えば、この境地の中でひたすらビジネスに勤しんできたので、社長ではなかった時も不平不満は無かったし、間違っても愚痴を口に出すことはなかった。ひたすら成果を狙っていた。その上で、どうしても社長の能力が足りなければ、愚痴をこぼすのではなく、壮絶な覚悟と責任感を持って社長交代を要求した。自分の方が組織を発展させ、仲間達の未来を切り開けるという自負があり、組織を糾合できるなら、その選択が正しい。

上司や部下の不満を陰で並べ立て腐っているくらいなら、部下はしばき倒してでも成果を出させ、上司には交代を要求するくらいのやんちゃさとバイタリティを見せたらどうか。所詮多くのサラリーマン諸兄の給与などたかが知れている。どんなにクールに世の中を知っている様にふるまっても、所詮その地位とその所得しか取れない実力なのだ。これは私も含めてだ。

無能で無力な人間が悟り顔でクールに振る舞っては駄目だ。滑稽さに拍車をかけるだけだ。全身全霊をかけて成果を狙い走り抜けた後には、適正な報酬も職位も手中にあるはずだ。これは生涯を通した戦いだ。

我々は既存の概念に囚われず、独自の進化の中で人事考課も組み上げるつもりだ。その制度は、メンバーの不満を吸収するためにあるのではなく、メンバーが才能を極限まで引き出し組織を勝利させる為の制度でなければならないのだ。

2009年12月08日 12:53

大学での講義にて想うこと

photo昨日、某大学に臨時講師として講演に行った。研究室などには産学連携などの話しで行く事はあるが、授業に出るのは学生以来である。まあ今回は話す側ではある。

いつもの通り、全力で話させていただいた。学生達も真剣に耳を傾けてくれた。彼らの未来につながればと願う。

最近学生に会うのは採用活動の最中だけだ。就活中の学生はそれなりに、緊張感のある顔をしている。就職活動を成功させたいし、自分を売り込むことや企業を見極めることに必死になっている。未熟なりに頑張っている。

実際大学に行ってみると、雰囲気は一転する。学舎には緊張感がなく、授業を受ける学生に活気もない。学生時代の自分を省みれば、緊張感も勉学に対する熱意も無かったので、同じと言えば同じだ。

最近は他国の若者と会う機会が多い。自然と日本の大学生と他国の若者を比べてしまう。学ぶ事に貪欲で、成功と成長を信じエネルギッシュに生きる姿を他国では多く見る。私が関わる若者が、それぞれの国のエリート層であるからかもしれないが、日本人とのギャップは大きい。

他国の若者は、学べる機会があることの大事さをよく分かっている。努力することは自然だと思っている。成長の機会を頂けるなら、あらゆる労は厭わない覚悟がある。結果、英語も日本語も現地語も話し、SEとしても優秀な人材なども多く生まれている。

日本の大学生は学べる機会の大事さが理解出来ていない。大学にいて時間を自由に使えることの価値をはき違えている。買い手市場だと言われながらも、頑張ればそれなりに就職できる現状は、相当恵まれているという自覚がない。だから、仕事にも勉強にも熱意が足りないのだ。

photo私自身も、これらの自覚はなく勉強に対しては熱意を欠いた学生だった。ただし、仕事を始めてからは、売上も上がらず給与も頂けない日々が続いたので、仕事がある事の価値やお客様が代金を支払ってくれる事の有りがたさは骨身に染みている。自然、仕事に粘りも生まれ、熱意も人並み以上に有するに至った。一時的な困窮によって、物事の正しさを理解した。

生きる為の根源である仕事に情熱を注げないとしたら、人間としての劣化ではないかと思う。趣味や余暇も大事だが、全ては仕事があってのものだ。そして仕事とは、善し悪しにかかわらず、メガコンペティションの中で奪い合いが生じ、勝者しか得られないのが事実だ。勝ち負けで人を区分するのはどうかというご意見もあると思うが、仕事を得られる者と得られない者が分かれていくのは事実だ。

勉強をして仕事の基礎体力を鍛え、実際にビジネスの前線に行き成果を生み出す。そして、人間はその成果をもってして人生を生き抜かなければならないのだ。生き抜くと言う本能的な力が弱まるのは、やはり劣化であろう。

メガコンペティションの中で、「仕事に情熱を持て」とは誰も真剣に言ってくれない。君達の代わりは世界中に山ほどいるので、情熱が持てないなら脱落しろというのが現実だ。勉強をする気がないなら、仕事に熱意が持てないなら、君達の居場所は無いので社会から退場しろとなる。

日本には先人達が築き上げた過去の成功があるので、それを食いつぶしながら多くの若者達は生活している。しかし、いずれその資産も尽きる。

当たり前の話しだが、大学は遊びに行くところではない。死ぬ気で勉強すべきだ。仕事は否が応でも全身全霊を注ぎ込まなければならない。それが無理なら、君達の居場所は世の中には無い。世界中の人間が食を追い、富を追っている。命がけで豊かさを追い求めている。ノホホンと過去の遺産にしがみつき、情熱もなく努力も怠った人間に人材としての価値などない。

久々に大学を訪れ、学生時代に対する少しの懐旧の念と、未来への強烈な危機感を得た。今回はメッセージというよりも心情の吐露として、思うがままに書かせて頂いた。

2009年12月01日 12:20

十年先を決めるのは

photo御苑の紅葉もそろそろ見納めとなる。このオフィスからみる御苑の秋は素晴らしい。雪景色も春の桜も良いが、一番心ひかれるのは秋の御苑だ。今のオフィスに越してきてから業績も順調に伸びて来たし、この景色は何ものにも代え難いので、規模の拡大と同時に近隣にサテライトオフィスを借りる形で増床してきた。しかし、それもそろそろ限界なので、今より広いオフィスへの移転を決定した。

新宿駅にも近く今のオフィスよりも広く新しいので文句はないのだが、この景色だけは正直惜しいと思う。HWSの草創期を支えた風景を記憶に留め、次のステージへと仕掛けていこう。一月には移転する。

話しは変わる。

昨日、某大手企業の情報系子会社の役員とお話しをする機会があった。普通、大手の関連子会社と言えば、親会社からの仕事が9割以上であり、外販などは「一応やってますよ」程度であることが多いのだが、この会社は外販が四割を占める。親会社から分離してからの10年で売上も倍増し、この市況下でも堅実な経営を続けている。

外販がそこまで伸びた理由をお聞きしたところ、その原因は設立の経緯にあると言う。情報システム部を親会社から分離し運用系の子会社とくっつけて新会社を設立する計画だったのだが、この案は二度まで役員会にて却下されたらしい。

分離する意味が分からない。どんな価値を生み、どんなメリットがあるのかを示してくれと言うのが役員会での意見だったらしい。コスト削減を実現するという話しでは役員会の承認は取れず、三度目に「外販を進めシステムにおいても業界の中心たる」と方針を示したところで最終的に承認が下りて設立に至った。

自分達は何ものか。何の為に独立した事業体を作るのか。

これを何度も揉まなければ、今の発展はないだろと役員の方は言われていた。一度目でOKが出てしまったら、普通に分離し他グループの情報系子会社と同じ様に親会社から降ってくる仕事のみを当てにして、上のご機嫌を伺いながら仕事をしていたのだと言われていた。

photo何度もNGを出され続け、何故分離するのか、何をしたいのかを何度も考えただろう。また分離するからには親会社を頼らず自立しなければという決意も固めただろう。独立自尊の精神を設立段階で持てなければ、市場で戦う力は養われなかったはずだ。無為の10年を過ごし、親会社の付属として今も存在しただろう。

決裁も親会社の承認を得ず行う代わりに、経営判断の多くを自社で行う。リスクも背負う。ビジョンも定める。これが出来て初めて企業だ。独立した法人なのだ。

HWSはITの世界の住人なので技術にはとことんこだわる。しかし、10年の歳月が経ち、20年の歳月が経ったときに、どの様な姿になるかを決めるのは創業の精神だ。同じ業界に同じ経緯で設立しても、未来の姿は同じではない。経営手腕の差もあるだろうが、所詮経営者が影響を与えて伸ばせる規模にも限界がある。その会社に流れる創業の精神が、見えない力となり企業を推進するのだろう。

その事実と価値を学ぶ機会が昨日であった。

私も理想の企業を作れなかったという意味では、過去に多くの失敗をしてきた。振り返ると、ほとんどの失敗は設立の精神を共有しなかった事に起因している。だから組織に粘りもなければ、ギリギリの部分での結束も生まれなかった。

そして、理想の組織を実現すべく一から組み上げて来たのがHWSだ。創業の精神を共有し、その為に全力を投じる仲間を一人ずつ募っていった。この組織は私が朽ちても推進力を失わないだろう。既に創業時に私が唱えた精神は、私のものではなく意思を持ちHWSという法人の人格へと昇華した。組織のそこかしこで、HWSとは何たるかを自立的に考え行動に移すメンバーが出現している。

技術やビジネスモデルは、企業の精神の上にのる。全ての基盤は、創業時の決意と覚悟によって作られる。その精神を劣化させず昇華する為の活動は、組織が存続する間は延々と続く。劣化が始まれば、組織は瓦解へと向かうだけだ。創業三年で瓦解する組織もあれば、創業百年で瓦解する組織もある。

我々は永久に劣化しない組織を目指す。何十年という歳月の中で劣化せず、強靱な組織を武器に自らのミッションを全力で追う姿を目指す。