会長ブログ(株式会社ヘッドウォータース代表取締役:篠田庸介)

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2010年01月28日 17:48

多様性

新オフィスにて2011年の新卒採用が本格的になってきた。会社説明会の枠もほぼ満員だ。3月で採用活動も終了する予定なので、それまでの間は説明会を増やそうかと思っている。

会社説明会では学生にとってはかなり厳しい話しもするので、弱い子はショックを受けたりもする。過保護に、まわりの大人達に守られて育った彼らが、初めて現実に直面するのだからショックもうけようというものだ。それはそれで価値がある。

世の中では正面から就職競争に取り組む学生は、よりステータスが高い企業を目指し、それからこぼれた学生は、エクスキューズの為に「ベンチャーで自分を試したい」「個性を活かせる会社を探したい」などと言う。大多数の学生の価値観など、この様なものだ。活かせるほどの個性も無いのだが、それにすがって自我を慰めるのだ。

確かに個性的な人材は会社に必要だ。今年に入りベトナム人のズンも入社した。人間的にも良いし、技術レベルも高いので国籍の問題は抜きに、一人の人間として採用した。当然、国も違うので日本人とは違う多くの価値観や個性も持っているだろう。これらの人材を活かす為には、会社自体に多様性が必要だ。

しかし、この言葉を学生が吐くとしたら勘違いも甚だしい。

多様性や個性をテーブルの上に乗せる前に、最低限ビジネスパーソンとしての土台を作れるかが問題となる。基本的なタフさがない。基本的な対人スキルがない。基本的な収益を生み出すための執着や手腕がない。こんな人材は個性云々以前の問題だ。使いものになるまでには相当な時間がいる。

学生が主張すべきは己の個性ではない。企業に貢献する決意や覚悟だ。将来、本人が育んだ個性を活かす為に土台が必要だが、その土台を積みあげられる人間かどうかが大切なのだ。

素材としての個性で生きられる人間は、一部の天才だけだ。大多数の凡人は、天性に頼らず後天的に個性を育まなければならない。己の価値を作り上げなければならない。その為に必要なのは、多くの時間を仕事に注ぎ込む覚悟と、収益に執着する意思だ。タフでない人間が後天的に個性を得ることはない。少なくともビジネスの世界で役に立つ個性を得るのは無理だ。

新オフィスにて私が目指す組織は、多様性に富んだ組織だ。多くの個性が自由自在に、己の才能を使い切り、巨大な推進力を生み出す様な組織だ。個性は無限の裁量権の中でこそ活きる。何の規制もなく、自分の思い描くビジネスを展開していく中で力を発揮するのだ。

しかし、その裁量権を得るために多くの実績を残し、仲間からの信頼を得なければならない。厳しい状況でも逃げ出さず、成果を狙う姿を見せなければならない。学生が社会にでてしばらくは敗北の連続であろう。自分の無力さを実感していくことだろう。今年HWSに入社した新卒達も、入社前に比べて遙かに大人になった。現実社会の厳しさ、収益を得ることの厳しさを体感し、尚かつその厳しさから逃げずに正面から収益をねらうからこそ、大人になったのだ。

失敗の連続があったとしても、成果への徹底した執着があれば、仲間からの信頼は失われない。無限の裁量権を取るには姿勢だけでは駄目だが、上手く出来なくても姿勢が曲がらなければ信頼は失われない。

最悪でも今ある信頼を失わない姿勢を保ち、更にチャレンジャブルに成果を狙って行くのが正しい姿だ。時間が立てば成果を得るタイミングがある。そこで伸び上がり、裁量権を得て育んだ個性を爆発させれば良いのだ。それまでは仕事に対するスタンスが曲がっていなければよい。

今年の冒頭にて、弊社の某事業部長(海外事業部長・山田)が今年のテーマは多様性だと言っていた。これには私も強く同意する。多様性を武器にHWSが次の局面に入る姿を想像すると、心が浮き立つ。

HWSの価値を失わず、その上でメンバー達の個性を育み多様性のある人材が活躍できる土壌を作りたい。ただ単に色々な価値観の人を入れれば良い訳ではない。我々のアイデンティティを死守し、今まで以上に多くの個性が力を発揮できる価値観や仕組みを作り込まなければならないのだ。

HWSが独自の多様性を得る為に、進化が始まる一年としたい。

2010年01月26日 18:19

机上に乗せる

新オフィスにて
新しいオフィスに移転して、今日で二日目だ。やっと落ち着いて仕事が出来る状況になってきた。多くの企業様から移転祝いを頂いた。この場を借りて感謝の意を表したい。また、皆様の期待に応える企業であろうと決意を新たにした。

書籍「生き残るSE」も今週から書店に並んでいるようだ。アマゾンでもコツコツ売れているので何より。
http://www.amazon.co.jp/dp/4534046677/

今回の書籍では、シンプルな事をストレートに伝えさせて頂いた。回りくどい言い回しも説明も省いている。背景に流れる独自の哲学もあるのだが、今回の書籍では書ききれないので割愛した。言いたいことが真っ直ぐ刺されば良い。グレーな部分を省いているので、賛否は分かれるだろう。しかし、それで良いのだ。

大事なのはテーブルの上に、問題を乗せることだ。

社会生活上の知恵として、極力自分の意見をオブラードに包んだように話す人は多い。経営者でも政治家でもこの傾向はある。これはこれで必要な事だが、時と場合による。グレーなままでは何が問題なのかさえ分からない時もあるのだ。

問題をテーブルの上に乗せなければ、自分が何らかの責務を背負う事はない。面倒くさい業務を抱え込むこともないし、責任を追及されることもない。精神的に楽なままでいられる。

しかし、問題をテーブルに上に乗せずして、何がベンチャー企業だろうか。今ある社会構造を変革させ、未来の豊かさや幸福を作らずしてベンチャーの存在価値はない。今ある産業を回すだけなら、既存の企業群で十分だ。

問題から逃げる人間に、リーダーたる資格はない。問題から逃げる人間にベンチャーたる資格はない。

思想も戦略性も無く、今ある業務の延長線を歩き続けるSE達に誰かが警鐘をならすべきだったのだ。私の主張の正誤など、どうでもよい。大事なのは問題をテーブルの上に乗せ、真摯に向き合うことだ。これから逃げていては、一切の問題は解決されない。

新オフィスにて企業内でも、問題を正式にテーブルの上に乗せず、陰で愚痴をこぼす人間もいる。陰で愚痴をこぼしても自分の価値を貶めるだけで、何の実入りもない。問題があるなら、それをテーブルの上に乗せ、自ら主体者となって解決に動かなければ駄目だ。これが出来ない人間に声をあげる資格はない。

ビジネスの世界は正しいことを言えば良いと言うわけではない。正しいと主張した事を形にしなければ誰も幸せにならないし、価値もない。これを受け入れて事業に当たるのが、ビジネスパーソンの心意気だ。

「生き残るSE」の最大の価値は問題をテーブルの上に乗せる事だろう。出来る出来ないは別として、テーブルの上に乗せた問題を主体者として全力で解決に動いているのがHWSだ。動くからには黙らない。発信するからには何としても実現する。

この心意気がHWSの価値とも言える。思考や信念が本物であれば、必ず行動へと繋がる。逆に言ってしまえば、行動に移されない意見や信念は偽物だ。聞く必要も無い。声なき声を拾ってマネージメントに活かせと言うご意見もあるだろうが、私のスタンスは違う。

声なき声を拾って欲しいなら、管理職であることリーダーであることを諦めろと言いたい。仲間ではなく、末端の構成員として気を遣ってもらい会社のお荷物として生きろと言いたい。今は無力で声を出す資格がないのなら、それをそのまま受け入れて、臥薪嘗胆の中で実績と実力を積むしかなかろう。

声は出すのだ。同時に責務を背負うのだ。これ以外の道はないのだ。

配慮をしてもらい、気を遣ってもらいながら上級管理職として職務を行う道など無い。その職についてからは、ちゃんと発言しますと言うような輩にリーダーは務まらない。能力の問題ではなく、生き方の問題なので上級管理職になれたとしても、やはり責務から逃げるような行動をとるだろう。

日本には多くの課題が山積している。この景況感の中で、各企業内にも多くの課題が存在するだろう。誰かではなく、先ずは自分が声をあげて問題をテーブルの上に置こう。そして、自分がその解決のために奔走し、いずれ生まれる多くの協力者達を巻き込んでいこう。その先にある進化した未来を目指し、各人の心意気を見せようではないか。

2010年01月21日 17:32

リーダーシップで満たされた組織

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お世話になった事務所とも後二日でお別れである。移転の作業も結構大変だ。明後日は東京ビックサイトで開催される「リクナビLIVE」に出展するので準備もある。来週末から出張も重なっているので、やることも多い。

書籍「生き残るSE」の発売日も明後日に迫っている。店頭に並ぶのは月曜日かららしい。書籍発売に当たって取材の依頼がいくつか来ている。本日発売のスポーツ報知新聞トレンド欄にもご掲載頂いた。

先日、某取材にて「理想の組織は?」と聞かれた。これに対しての返答は何種類かあるが、現況で私が最も注力しているのは「リーダーシップで満たされた組織」を作ることだ。

組織の全メンバーがリーダーシップを取ることを是とし、常にそのリーダーシップを発動している組織を目指したい。「組織には役割分担があり、全員がリーダーにはなれないじゃないですか」と言う意見もあろうが、私が提唱するリーダーシップとは先頭に立つことだけを指さない。

その組織が勝つために、自分が出来うる最高の動きをすること指す。組織を勝たせる能力を称して、リーダーシップと呼んでいる。能力や経験のレベルが低くても組織の勝利を一直線に狙い最大のパフォーマンスを発揮できるなら、その人間のリーダーシップは素晴らしい。

当然、組織に解決しなければならない問題が発生したら、人に任せず自ら先陣を切って解決に当たらなければならない。責任を背負い、身体を張って問題解決に当たらなければならない。仲間を糾合し、チームを作りマネージメントを行い、成果を狙うのだ。この時に人任せにしたり、一番上に立つことを嫌がったりするようでは、リーダーシップがあるとは言えない。自分の感情は横に置いておいて、組織が勝つために最も正しい動きを、最速で進めてこそリーダーなのだ。

組織のあちらこちらで、全メンバーがリーダーシップを発揮する組織。

問題が起これば自然発生的にリーダーが生まれ仲間を率いて問題解決に向かう組織。

全メンバーが組織の勝利を第一義に考え、その為に動ける組織。

これが私の理想とする組織だ。

リーダーシップを取る気が無い人間はHWSには必要ない。リーダーシップを取る意欲が無い人間は、いずれ組織の負荷となる。出来る出来ないなど問うていない。その気があるかないかが問題なのだ。

photo「人間は適材適所なので、リーダーシップを取れる人間と取れない人間で役割を変えてあげないと・・・」

こう言う人もいよう。しかし、本当に若い内から本人の可能性を見切ってしまって良いのだろうか。1万人を率いるリーダーになれと言っているのではない。必要なら5人でも10人でも率いて、戦場に赴ける人間になれと言っているのだ。これは才能の問題ではない。リーダーたることを義務と感じているかどうかだ。意識すれば、最低限のリーダーシップなど誰でも持てる。覚悟して責任を背負い、人格を磨けばそれなりの管理職にもなれるし、常に組織にとって必要な人材にもなれる。

「私にはできません」を安直に吐く人間は、いずれ社会から淘汰される。現況の豊かな日本なら居場所はあるかもしれないが、競争力が低下した未来の日本に弱者守る力があるとは限らない。だとしたら、少しでも自分の価値を上げ、所属する組織を強化していくしか道は無いではないか。

個性に応じた役割分担も必要だが、それは個人を過保護に守る為に行うのではない。組織をより強化し、厳しい市況の中で繁栄を掴み価値ある仕事を創り出す為に行うのだ。組織の中でどの役割を背負う様になるかは、自然と決まる。全員が全力で組織の勝利を狙えば、その為に必要な役割分担が自然と生まれる。

役割分担が大事なのではなく、組織の勝利を全力で狙う先に役割分担があるだけなのだ。

だから組織の勝利がどうすれば近づくかという議論の前に、「自分は縁の下の力持ちで・・・」「裏側で支えたいんです」「補助的なポジションが合っているので・・・」と言う人間を私は認めない。

「綺麗な表現をしているが、君は組織の事を考えてはいない。自分が動きやすい役割、自分が評価されるポジションを望んでいるだけだ。君がどうしたいかは二の次だ。組織の勝利の為に何が必要かの議論があり、必要なら先頭にも立つし表舞台にも立つ覚悟がなければ駄目だ。その上で最終的に補助的なポジションに納まることもあるだろう。」

これが私の指導方針だし、リーダーシップに対する認識だ。

今、私が注力しているのは「リーダーシップで満たされた組織」である。この組織を実現すれば、敗北の二文字はない。言うほど簡単な取り組みではないが、全メンバーの覚悟があれば、一瞬で成立する事でもある。

今期も後二ヶ月少々。理想の組織に一歩でも近づき来期を迎えたい。

2010年01月18日 10:58

鷹山のごとく

生き残るSEリーマンショック以降、多くの企業が成長を止めた。日本市場は縮小し、打つ手を無くした企業群はひたすら防戦にまわった。その姿勢が、市場から活力を奪い、デフレを更に進行させたのではないかと思う。

政治の世界では政権交代が起こり変革への期待は強かったが、現状は汚職の問題に終始している。未来を見据えた根本的な改革に着手するに至っていない。

組織が出口の見えない状態に陥ったときに、私の脳裏に浮かぶのは上杉鷹山だ。

ケネディが「最も尊敬する日本人」として、名前を挙げたことでも有名だ。破綻寸前の米沢藩の藩主となり、改革を断行し財政再建を実現した人物だ。多くの人が、出口がないと言う中で、ただ一人出口を見据え、組織全体を復興に導いた強靱なリーダーである。

彼の政治から学ぶ事は多くある。挙げると切りがないので端的に書く。

彼の素晴らしさは、経費の圧縮と産業の育成を同時に実現した事だ。

政治の世界では、国の借金を減らすのが先か、景気対策にお金を使うのが先かという議論がある。尤もらしくテーブルに乗っているが、いつも疑問を感じる。我々中小企業を経営している人間からしてみれば「財源には限界があり、ある資金を使って事業を行うしかない。」と言うのが基本だ。しかし、国は「お金がなければ、国債を発行して集めれば良い。」となっている。なんとも浮世離れした常識感である。お金を使うには稼ぐしかない。稼ぎが少なければ、経費を削減するしかない。一年くらいはこのバランスが崩れて赤字になったとしても、翌年には適正な財務状況をデザインし、バランスを取り戻し黒字化することは可能だ。しかし、政府はこの能力を持たない。

上杉鷹山は、先ず徹底的な経費削減を実践した。国費を湯水の様に使い、豊かに暮らしてきた層の反発を抑え込み、徹底して無駄を潰していった。しかし、無駄を無くしても藩民が豊かになるわけではないので、同時に新産業の創立に資金を投下し育成に取り組んだのだ。

民主党に国民が期待したのは、上杉鷹山のごとく国の財政を健全化させると同時に、未来に日本人が食を得るための産業を育てることだ。これを同時にやってこそ、政権交代の意義がある。改革となる。行うべき事はシンプルだ。あらゆる福祉も財源無くしては実現出来ない。財源は、徹底した経費の削減と、パイを広げる産業の育成しか方法が無いのだ。鷹山のごときリーダーの台頭を民主党には期待したい。

生き残るSE経営者の中にも、今期は攻められないという雰囲気を感じる時がある。市況は良いとは言えないので、財務的な防御は固めなければならない。無駄があれば徹底的に省き、筋肉質な財務を目指さなければならない。しかし、同時に未来を創るための攻めを忘れてはいけない。組織の構築を進め、事業をより強くするためにあらゆる手を打たなければならないのだ。これも上杉鷹山のごとくである。

藩民を愛し、皆が幸せに暮らす未来を目指した上杉鷹山だが、彼の改革に対し反抗した老臣達を一気に殲滅する果断さもある。優しさはあるが、一切の弱さはない。この姿はビジネスの世界で生きる全てのリーダーに求められるのではないか。

私自身も幹部の腐敗を感じても、処分できなかった過去がある。鷹山のごとき果断さを発揮することは簡単ではない。しかし、それが組織の繁栄に必要だったら、信念を持って行わなければならない。その決断に時間をかけるようでは、信念が無いと言われても仕方がない。

今、経済界でも政治の世界でも、鷹山のごとき改革者が必要である。成熟し、閉塞感のある日本の現状を打破するには、信念を持った改革者が必要なのだ。

どんな苦況でも出口はある。その出口にたどり着くには、組織が一丸となって事に当たらなければならない。先ずは信念を持ったリーダーが声を上げ、身体を張って改革を断行しなければならない。非常時に民主的に事を勧めてドラスティックな改革は出来ない。強いリーダーが責任を背負い、果断さを発揮してこそ、他を圧倒するスピードと力が生まれるのだ。

リーダーとは経営者一人を指すのではない。首相一人を指すのではない。組織の中のあらゆる場所に、それぞれの責任を背負い成果を狙うリーダーが生まれなければ、強いチームは出来上がらない。

多くの良質なリーダーを、時代が必要としている。自分がいる業界、自分がいる企業、自分がいる国家を自ら牽引するリーダーとして、自らを位置付け育てあげようではないか。

2010年01月15日 14:49

決断する組織

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決断をしない事は一種の知恵だ。決断者は責任を負わなければならない。保身を中心に考えれば決断しない方が良い。その知恵によって成長経済の日本を生きてきたサラリーマンは多いのではないか。しかし、幕末のごとく外圧がかかり、変化を余儀なくされる時代では、その知恵が自らの首を絞めることになる。

誰かが責任を取り、変化を断行しなかった旧勢力側は滅び、未熟ではあるが命がけで変化を志向した新勢力が台頭する。政治でもビジネスでも同じ様な光景は歴史な中に点在している。

決断力を言い換えるなら、覚悟の有無であろう。

決断をすれば、最終的に上手く行かなかった場合のあらゆる負の部分を背負わなければならない。経営者であれば、それがファイナンスリスクであったり、社内外からの批判であったりする。メンバーであれば、今後の出世にひびいたり、減給などのリスクが決断には伴う。

これらの負を背負う覚悟がなければ決断などできない。決断が出来ないならリーダーなど務まらない。

この決断は、従来ではあれば経営者の聖域であった。経営者は状況的に決断せざるを得ない立場になる。特に中小の経営者は個人では払いきれない個人保証を金融機関から要求される。それを前提に全ての選択に断を下さなければならない。ある意味、財産を保全できる上場企業の社長の方が、リスクもなく楽だ。覚悟もいらない。

ファイナンスリスクを背負いたくても(?)背負えないメンバーとは、覚悟の強さや結果への執着に格段の差が出る。当然、個人差はある。

私がHWSで実現したいと思っているのは、この決断力を全メンバーに持たせることだ。その結果HWSは、他を圧倒するビジネススピードと結果への執着を有するだろう。

全メンバーに決断力を持たせる事を言い換えるなら、全メンバーに覚悟を要求するとなる。自己の責任で決断したなら、それに伴った責任感と行動力で成果を導かなければならない。成果を出せなければ全ては自分の責任として、潔く受け入れなければならない。

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そして、自らのその後の行動で穴を埋めなければならないのだ。どこかの国の首相の様に、責任をとると言いつつ現場から逃げていく事は許されない。

HWSが独自の事業部制を組んでいるのも、この覚悟を養うためでもある。また、あらゆる要職に誰を就けるかを決める際に立候補制を取るのも、良質の覚悟を育む為である。「覚悟を持て」と言って、人が覚悟を持てるなら苦労はない。だから、組織体制やルールを作り込み、新卒の時から情操教育を徹底し、リーダーとして機能する人材を育て上げなければならないのだ。

理想の組織にたどり着く為の近道はない。コツコツと企業文化を育むしかない。この取り組みは一朝一夕には成らない。

覚悟しろと言うと大変なことに聞こえるが、実際はそうでもない。覚悟がなければ優秀なリーダーになれるはずがない。リーダーとして自己を確立出来ず、管理職として無能な人間として四十代、五十代を迎える事を考えるなら、若年のうちから全てを背負う覚悟を持った方が、実は楽なのだ。強いリーダーシップを発揮し、縦横無地にビジネスの世界を闊歩する未来を得る為に多少の代償を払っても、損をすることもないし大した辛さもない。腹をくくってしまえば、大抵のことは受け止められるのが人間だ。

全員が自らの意思で断を下し前進する組織を思い描いて欲しい。常にドライブがかかり、圧倒的な推進力が生まれるのは想像に難くない。そんな組織の仲間と一緒に、ビジネスの世界で戦ってみたい。

私が経営を考えるとき、ビジネスモデルよりも先に組織が来る。ヒットするビジネスモデルは時代によって変わる。それはそれで事業として追い求めるが、当たり外れはある。組織力には当たり外れがない。今まで注ぎ込んだ時間を使い、どれだけ強固な組織を作り上げるかは、全メンバーが流した血と汗の量によって決まる。そして、強靱な組織さえあれば、いかな状況でも生還し未来を目指す事が出来るのだ。

私自身は自分の商才に自信がない。人並みの才はあるかもしれないが、抜きんでているとは言い難い。だから、当たり外れもなく、我々の様な並の人材の集団でも、成果として、組織として一流となれる道を選んで行くつもりだ。

2010年01月13日 16:52

強さの源泉

photo個々の感情に焦点をあてマン・マネージメントを行うときりがない。リーダーは色々な人の意見を聞き、それを汲み取ることに必死になると段々と弱くなるものだ。弱いリーダーなど誰も求めていないのだが、結果的にはメンバーの事を思い、配慮することによって弱いチーム、弱いリーダーが出来上がってしまう。

以前、テレビでシンクロナイズドスイミングの特集を見たことがある。オリンピックに出場するチームは総じて厳しい。その厳しい要求を受け入れなければ、メダルを取ることは叶わないのだ。全員がプロ意識を持ち、その事実を理解しているから、その厳しさに不満も違和感も無いのだ。

もし、シンクロの監督が一人一人の精神状態のケアを中心に考え、一人一人の頑張りを評価したり、心の状態を慮る事に比重を置いたら、要求は弱くなる。当然、チームが行き着く頂は低いものとなる。

監督も選手の時代があっただろうから、厳しい要求に追い詰められた選手達の心境が分からないのではない。その苦しみも十分理解した上で、あえて無視をする。より完成度の高い演技、よりレベルを上げた技術を求めるのだ。多くの苦しみを味わい犠牲を払うだろうが、それが最終的に選手達の求めるゴールに向かう最良の道だと知っているのだ。

だから表面的には選手達の心情を無視し、成果を要求する強いマネージメントをとる。

私が経営者として時間を過ごす中で学んだのは、一人では何も出来ないと言うことだ。小金を儲けるくらいは出来るだろうが、社会的にインパクのある事業を生みだしドライブをかけていく段になっては、経営者個人の力など微少なものだ。

自然と多くの人間を巻き込み、事業を創り育てなければならない。多くの人を巻き込むが、巻き込まれた人達は、私に気を遣って欲しくて事業に参画するのではないだろう。事業に魅力を感じ、その発展を目指し合流してくるのだ。

当然、私は信念を曲げてはいけないし、自社のミッションを成す為にも強いリーダーとして存在し、強い組織を実現しなければならない。その強さを得る為に、私自身は「自分がやりたい仕事」「自分が創りたい会社」という発想を捨てた。私がいつも追っているのは、「自分がやるべき事業」だけだ。私情を排除し、使命に殉じることで誰にも気兼ねなく最短の道を突っ走る強さを得たのだ。

使命と感じる仕事に至までには多くの思考や行動が必要だったが、磨き上げた使命を得た後は、一切の迷い無く前進するのみとなった。その達成に立ちはだかる障害は粉砕し、歩みを進めるだけだ。

私が強くいられる理由は、使命に殉じているからだ。だから、私を含めたメンバー個々の心情を優先しない。多少の配慮はするが、優先しない。私が第一義とするのは、組織であり、その組織の存在意義でもあるHWSのミッションである。

photoリーダーとしての強さを持って、最強の組織を実現し、結果として全メンバーが充足した人生を送り、豊かさを掴んで行ければと願う。ぶれない軸となるのも私の組織における役割でもあろう。

不況の時代に右往左往し、生き方がぶれるのは自分の軸が私情にあるからだ。己の利得を短期的に追えば、発言や態度はコロコロ変わる。決断が鈍る時も、大体は己の保身や利得に気をとられているからだ。

そもそも、世の中に正しい答えなどないことが多い。就活中の学生なども就職活動における「正解」を探してさ迷っているが、その行為はナンセンスだ。今年は各業界ナンバー1企業を目指す傾向が強いと聞く。男子では三菱商事、女子は東京海上などが人気だという記事を読んだ。多くの学生はそこに就職する事が「正解」であり、それが駄目ならそれに近しい企業に入り込むことが「正解」だと考えている。

しかし、それが本当に正解なのだろうか。それで幸せな未来となるだろうか。これらの人気企業を目指す学生の軸は、個人の利を得ることだ。大きな会社、世間的に評価の高い会社に入り、安定を掴み高い報酬を取り、周りの人間からも「凄いね」と言われる為に人気企業に群がるのだろう。これを否定できる就活生はほぼいないだろう。

そこに思想性や哲学を感じない。個性も使命も感じない。犬が美味しそうな餌を見つけて駆け寄るのと、根本的な精神構造は変わらないのではないか。人間なら信念を磨き、己の価値観を研ぎ澄まし未来を決めたらどうか。

未来の安寧など、誰も保証出来まい。どんな人気企業も、どんな巨大企業も判断を間違えばいずれ倒れる。国にすら国民の生活を守る力はない。民間が稼いだ収入から税金を徴収する分配機関である国家に、そもそも国民を守る力などないのだ。国家を豊かにする国民がいるだけだ。

何の保証もない未来ならば、せめて信念に殉じて生きるのが人間らしくもあり、後悔もない生き様ではないか。

話しを戻す。

先日HWSでは、各事業部の存続すら決める「事業部評価会議」を行った。業績の良い事業部も悪い事業部もある。勝負には実力だけではなく、時の運も必要となる。運がなかったときは、それも自分の実力だと受け入れ評価として認めなければならない。そこに一切の言い訳は必要ない。臥薪嘗胆、次の戦いに向かえば良い。

ただ評価会議を通して私が強く感じたのは、HWSにも軸を持った強いリーダーが少しずつ育ってきたということだ。思想レベルに差はあれど、己の使命に殉じようという強いリーダーの姿を垣間見て、HWSの未来に希望を得た気持ちになった。当然、個人差はある。

事業を進展させ、大きな収益を上げるのは当然だが、HWS自体が強いリーダーを生み出す源泉となれるなら本望である。

2010年01月07日 10:58

人材を見極める

photo2011年の新卒採用も順調に進んでいる。月内には内定者が何名か出るだろう。中途採用も積極的に行っているので、毎月新入社員も入って来ている。なかなか良い状態ではある。

求職者との面接も頻繁に行うが、そのレベルは様々だ。技術レベルなどは面接では計りきれないが、人間としての成熟度やビジネスパーソンとしての成熟度は面接でも十分に察知できる。

面接で見るポイントはいくつかあるが、その中で大きいのは「当事者意識」を持てる素材かどうかである。地頭の良さや、人の良さは必ずしも組織の発展に繋がらない。当事者として自分の才能を、必要な事に全力で注ぎ込めるかが大事なのだ。

面接において「会社は何をしてくれますか?」という意識を強く感じる人間がいる。この人間は困難に際して踏ん張りが効かないだろうと予測する。J・F・ケネディの就任演説をかりれば「会社が何をしてくれるかではなく、自分が何を貢献できるか考えろ。」と言うことになる。組織の力を極大化するには、このスタンスはずらせない。

そもそも、「会社は・・・」と言っても、この場合の「会社」とは何を指すのだろう。社長なのか役員のことなのか、直属の上司なのか、同僚のことなのか。それなら「社長は何をしてくれるんですか?」と直接言えば良いのだが、本人の心理を紐解くと、実際は役割分担を明確にしたい訳ではない。単に自分の責任を寡少化し依存する立場にいたいだけなのだ。そんな真理の発露として「会社は何を・・・・」という態度になる。

「会社」には自分も含まれる。正しい発言は何かと言えば「会社を良くする為に動きたいのですが、どの程度の裁量権を得られますか?」「また、その為に自分に必要な事はなんですか?」などになる。「会社」という単語は便利だが不明確だ。時に社長を指し、時に経営陣を指し、時に組織全体を指す。不明確にものに何かをやってもらおうという発言自体が、本気で何かをやろうという態度ではないのだ。

最も明確なのは自分だ。自分が何をするかだ。自分が動く上で、環境をどう使えるかだ。また、自分が必死に動く価値のあるミッションがその組織にあるのか、当然成果との見合いになるが、自分の裁量権をどこまで上げる事が可能なのかが大事なのである。当事者の口から「会社は・・・」と言う発言は出ない。

当事者意識とは、この様なスタンスを確立することでもある。多くの組織では、頑張っても持てる裁量権に限界がある。自然、裁量権が足りない中で当事意識を持ち続けるとストレスがかかるので、多くの社会人は当事者意識を放棄する道を選ぶ。そのスタンスのままHWSの面接に来ても、諭されて帰されるだけだ。

よって、社長がいい話をするからと言ってHWSに入社してもらっても困る。私に万が一の事があっても、HWSのビジョンを成す為に組織一丸となって伸びて行かなければならない。その時に、「社長がいたから・・・」と言う話しをするなら、最初から他社へ行って欲しい。当事者としてHWSに関わらないなら、どの会社にいても結局は同じだ。

会社のビジョンも理念も誰かから与えられるものではない。最初は創業者が上げた声に惹かれメンバーが集まるのだろうが、一年も二年もその組織にいるなら、自分の頭で自社の存在意義を考え自分の言葉で自社のビジョンやミッションを語れなければ駄目だ。それを語れないとしたら、本当の意味での当事者意識を放棄し、誰かに依存して時間を過ごしていたことになる。

photoそして、自社の存在意義が自分のものになっているなら、社長の存在があろうがなかろうが関係無い。そのビジョンに殉じるのみだ。

私が目指す組織に流れる当事者意識とはこの様なものだ。簡単な話ではないが、後発の我々が最強の組織となり、世に一石を投じる為には必要なことだ。逆に全メンバーがその気になり、真の当事者意識を確立するなら我々の道を阻む者はいない。

私は面接において、この当事者意識を持てる素材かどうかを見る。

また、組織のメンバーに対しても、当事者意識のレベルを問う。

就活中の学生達は、経験も自信も無い状態なので、依存心の塊となって会社説明会にくる。当然と言えば当然だ。今の時点で自信があるような話しをされても笑えるだけだ。単なる勘違いだ。学生達に無駄な過信はいらない。依存心と若者らしいクリエイティブなエネルギーのせめぎ合いの中で、僅かに未来に対する情熱が勝てばよい。

面接では分からない事を聞けばよい。その上で自分がその会社のビジョンをどれだけ理解し共鳴しているか伝えればよい。更に言えば、その為に自分がどれだけ貢献する意欲があるかを伝えればよい。組織の勝利の為、組織の一翼を担う人材として自分の能力を伸ばす為にどれだけの代償を払う覚悟あるかを伝えればよいのだ。

君達の現時点でのパフォーマンスなど期待していない。バイトで頑張ったとか、サークルで頑張ったとかは、必要なら聞くが本質的にはどうでもよい。大学時代の何倍もの時間を使うHWSという組織をどんな想いで目指すかを伝えてくれればよいのだ。その言葉の重みや深さを感じ、私は君達の人間性や素質を見極める。君達の過去の生き様すら理解することができる。

会社は君達が何かを恵んでもらう場所ではない。仕事には人生の大半を注ぎ込むわけだから、ある意味人生そのものと言っても過言ではない。自分の人生そのものならば、当事者とならざるを得ないだろう。

外から見て会社を評価するのが就活ではない。自分の哲学を磨き、その哲学と共鳴する場所にたどり着くことが就活の本分だ。そもそも、君達に企業の善し悪しを判断する能力はない。しかし、自分がどう生きたいかくらいは、自分で考えて結論を出せるはずだ。未熟さ故に未熟な哲学と未熟な判断であろうが、現時点でたどり着いた結論を持って社会への一歩を踏み出せばよい。就活においては、多くの知識を得るよりも、心を澄ませて自分の内なる声に耳を傾ける事の方が何倍も難しく大切であると気づいてくれればと願う。

2010年01月04日 14:49

年始に想う

2010年が始まった。年始におみくじをひいたら小吉だったが、商売は「利益あり。損なし。」と書いてあったので良しとしよう。投資も買いが先行するが、儲かると書いてあった。

photo今朝の日経新聞を見ると、一面にはいくつか記事が載っている。人材派遣各社は派遣法の改正を睨み業態の変化を促進しているらしい。責任が客先にある派遣から、業績に対する責務を背負う請負へと踏み込んでいく企業が増えているらしい。ビジネスモデルを変えずに生き残る事はどの業種でも難しい。

日航向けの資金支援額も2000億円で落ち着いたようだ。航空は国家のインフラである。再建の道はいくらでもあるはずなので、頑張って欲しいと願う。

航空業界で言えば、以前に当ブログでも書いたがサウスウェスト航空に注目してきた。初めて同社の記事を読んだのは15年ほど前だろうか。従業員第一主義を掲げ、航空業界の常識を次々に打ち破り業績を伸ばしていく姿が刺激的に映ったものだ。

彼らが提唱する「従業員第一主義」は、個人個人の利己を追求したものではない。メンバー全員が最も誇りが持てて、安心出来るサウスウェスト航空という会社を全員一丸となって守り、結果として一人一人が充足感と将来の安定を掴んでいくというものだ。

実はHWSが提唱する「組織第一主義」と基本的なスタンスは同じである。ただ、本質論で言えば、従業員のみならず社長も含めた全組織人が全力を発揮し、組織を勝たせる事によって全てを手に入れていくわけなので、「組織第一主義」の方が正しい。「従業員第一主義」はメンバーに対する媚びが微妙に臭うので、私としては掲げられない。まあ、この辺は好き嫌いの問題ではある。

話しを戻す。

サウスウェスト航空では、当時としては画期的な試みとしてCAやパイロットまで清掃や出発準備に関わると記事に出ていた。コスト削減になるだけではなく、乗務員が整備などに関わる分だけ安全に対する意識も全体的に高まったという。コストを下げたのに、安全が犠牲にならないという奇跡的な状況を記事は伝えていた。事実、事故率は極めて低いらしい。

パイロットやCAは、かつての花形である。三十年も昔であれば、海外旅行に行くのも人生において一回あるかないかであった。その時代に海外へ日常的に渡り、高い報酬も約束されているパイロットは垂涎の的であった。その高貴な職業であるパイロットが清掃や客席の準備を行うなんてという風潮があったのだ。それを打破したのが、サウスウェスト航空だった。

大事なのは、個人の面子よりも組織の勝利である。この単純な真理を徹底したのが同社だと言うことだ。

photo私の様な航空関係に対する素人が持っている知識など、たかが知れている。サウスウェスト航空の事例に限らず、多くの情報を日航の幹部達は持っていたはずだ。恐らく日航の経営陣や管理職などは、日航が繁栄するオプションを10年以上前から何通りも持っていたであろう。しかし、「こうすれば自社は繁栄する」と分かっていても旧来の体質を改善出来ず今に至ったのだと思う。

どんなに賢くても、どんなに知識があっても、自己否定し自己変革を推進するのは極めて難しいのだ。

逆に日航の体力があり、変革を決意しドラスティックに動き出したら、世界屈指の航空会社に返り咲くことも難しくない。今回を良い転機として、世界の業界をリードする姿に変貌する様を見られたらと願う。

私が年始に思うことは毎年変わらない。

それは「囚われない」ことだ。

組織も人間も過去に囚われ推進力を失う。過去の成功体験に囚われ、新しいビジネスモデルに挑戦出来ずに消え去った企業は山ほどある。過去の人間関係に囚われ、正しい人事が出来ず瓦解したベンチャー企業を何度も眼にしてきた。業界の常識や業界の慣習に囚われ、競争優位が持てず不況下に沈んだ企業も昨年は多数有ったのではないか。

全ては囚われた事に敗因がある。何かに囚われ変化出来なかった事に敗因があるのだ。この不況下において、最大のリスクは何かに囚われ変化する力を持てない事なのではと思う。

HWSは生粋のベンチャーだ。変革者として世に名乗りを上げたのだ。変化出来てこそ、存在価値があり、社会に必要とされる存在となる。

過去のちっぽけな成功などすぐに捨てなければ駄目だ。時に現時点の自分を否定する勇気を持たなければ駄目だ。我々にとって重要なのは常に未来だ。

毎年、この想いを胸に年が始まる。今年もHWSは聖域無き改革の道を歩み続けるだろう。