会長ブログ(株式会社ヘッドウォータース代表取締役:篠田庸介)

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2010年03月31日 14:22

終身○○

photo終身雇用という言葉がある。私の著書「生き残るSE」でも、これを目指したいと書いた。これは従来の終身雇用制度をなぞるという意味ではなく、成果主義をベースとして組織のパフォーマンスを最大化する為の新しい取り組みとして掲げている。

最近弊社のメンバーから「終身雇用という単語に違和感があります」と言う意見をもらう。HWSは一見トップダウン的な組織に見えるが、案外メンバーは私の言うことを聞かない。私の言葉が強いので、カリスマとして組織を統括しているではと思われがちだが実際は違うのだ。HWSのメンバーは、スイスイと自由に動いている。好きに言葉を吐く。

「終身雇用」という単語に違和感があるというよりも「雇用」の部分に違和感があるらしい。そう言われてみれば、私も強い違和感を持つ。既存に適切な言葉が無かったし、造語を作りすぎるのも主義に反するので「終身雇用」を主張してきたが、我々の取り組みはこの言葉が示すイメージではない。

本来、生涯を共にした方が組織の連携力は上がるはずだ。知識や経験も組織内に蓄積される。また、強い愛情を組織に持ち、それが生産性を向上させる。厳しい時代に粘りもでるし、攻守ともメリットは多い。

ただし、メンバーの意識が腐敗すれば、終身雇用を楯に仕事に手を抜き給料を上手く掠め取ろうという人間が増える。やってもやらなくても、給料は似たようなものだし首もきられない。やるだけ損だから、極力自分に負荷がかからないよう工夫する。昨今では、終身雇用がマイナスに働いた時のイメージの方が強いようだ。

これは「雇用される側」という受動的な意識がメンバーにあるからだ。最終的な責任は雇用主がとればいい、主張もしないが責任も取らないという楽な立場に自分を置くには、雇用という言葉は便利だ。雇用されるという言葉を上手く使う代わりに無くすものもある。自分のビジネスを自己責任で主体的に創る事は出来なくなる。

法律的な位置付けの問題ではない。意識の問題だ。

話を戻すが「終身雇用」という単語はHWS的に適切ではない。何か別の単語を探したい。まあ、「終身○○」的な単語が適切なのだろう。「生涯○○」というのもありだ。言葉は大事なので、適切な言葉を見つけたいものだ。

意味合いとしては、雇用ではなく同志が集うような姿がイメージできる二文字の単語が良い。同志が集い、生涯をかけて何かを成し遂げるようなイメージの単語を充てたい。それがHWSの本質に近いだろう。現実の社内の体制にもリンクするはずだ。

photo今日がHWSも年度末日である。今年度を振り返ると大変な事も多々あったが、結果的には多くのメンバーが成長に繋げた一年であったと思う。HWSが目指すのは、各人が自分の意志で縦横無尽に事業を展開する自由さと、規律ある強力な組織を同時に実現する姿だ。

組織化に注力し過ぎると、官僚的組織なり生産性が落ちる危険はある。逆に自由を強調し過ぎれば、連携力が落ちたりサービスの品質がばらつく可能性がある。

この二つを同時に実現するには、メンバー一人一人が意志を持つことだ。思考停止の中で組織作りに注力しては、作業効率が上がっても付加価値の高いサービスは生み出せない。各人が最強の組織とは何かを考え、そのイメージを持ち役割を演じるなら組織の一端を担うことに疑問もストレスも生まれないはずだ。

先日、グーグルの社長とお会いする機会があった。グーグルのエンジニア達のキャリアパスなどについて質問をした。グーグルとしてのスタンスを徹底し、各エンジニアの未来も創っていくというのが現状の答えなのだと感じた。

外から見るとグーグルは非常に自由で緩い社風に感じる。エンジニアのクリエイティビティを最大限に発揮させるために、作業的に追い込まない姿がある為だ。さらに事業スピードを最大化する為に、完全にフラットな組織を志向しているという。俗人的な管理工数を減らし、余計な決裁は仰がず報告などはクラウド上に上げていく。各メンバーは自由に自己判断で動ける。結果、事業スピードは素晴らしいがドキュメントに目を通したり、報告を書いたりする量が膨大に増え大変だとおっしゃっていた。ある意味、各々が自らを管理し、自由を失っているようにも見える。俗人的管理は減ったが、管理されていない訳ではない。

大事なのは、人から強制された管理なのか、その文化や制度に惚れ自ら進んで自らを管理しているかの違いなのだと思う。ハードワークもそうだ。誰かに強制的にやらされているのか、自分から自然にやっているのかによって、辛さも生産性も変わってくる。

誰かが管理するのでは、HWSが理想とする組織にはたどり着かない。グーグル的な自由さと、統率された鉄の組織を併せ持った姿を実現するには、構成する全メンバーが意志をもって進んで役割を背負わなければ駄目だ。この道は恐ろしく厳しいが、高みを目指さねばHWSの存在意義はない。

一人一人が意志持つ。一人一人が主義主張を持つ。その上で、自らHWSにおける役割を定め、組織の一部と化す。後に最強の組織を実現する。我々が進むこの道においては、大きく歩みを進める一年を過ごしてきたのだと思っている。

2010年03月25日 10:52

組織愛

photoHWSにはベトナム人の社員が一人いる。名前をベトナム語で発音すると、多くの日本人には聞き取れない音なのでズンと呼んでいる。調査、研究の分野に優れた才能を持つ。実際の開発もこれから経験を重ねてスキルを上げていくだろう。向上心もあり、対応力もある。

彼が今日の朝礼で話していた内容について書く。テーマは「愛」について。決して歌舞伎町のホストクラブの話しではない。

有名な会社については色々と本が出る。「Google Way」や「Apple Way」といったマネージメントや組織文化についての本である。ズンはそれらの本を最近読んだらしい。GoogleとAppleの組織文化は基本的に真逆にあると言う。

Googleはエンジニアの自由な発想と個性を活かす為に、リラックスした状態で自由に仕事に向かわせる様な制度にしている。「20%ルール」などは有名である。1週間の仕事の内20%は自由な研究などに使って良いらしい。その結果としてGmailやGoogleAppsなどのサービスが生み出されたと言われている。まあ、収益力の高い部門が有ってこそ成立する制度ではある。

一方、Appleは組織化を是としている。上下の関係を重んじ、納期や売り上げ目標などに重きを置くマネージメントだと言う。ジョブズ氏の個性を活かすには、この体制の方が良いのかも知れない。ハードをメインとする企業と、ネットをメインとする企業の差異もある。

ズンが言うには、対極に位置している様な二社には共通点があるらしい。

それは、両社ともメンバーの愛社精神によって成立していると言うことだ。メンバーが自社を愛していると言うことだ。メンバーが愛せる会社を目指していると言うことだ。

自社独特の風土に誇りと愛着があり、それが生産性の源泉になっていると分析している。ズンのスピーチは、「HWSも愛ある会社を目指しましょう」という言葉で締めくくられた。なかなか良い話しをする。

日本が強さを誇った時代において、愛社精神は基本であった。資本家と労働者を分けて考える発想が世界的な潮流である中で、日本人は終身雇用を是として、愛社精神を持った。

昨今では、「愛社精神」という単語は、あまり良い意味で使われない。愛社精神を持つと会社に利用されるとか、愛社精神を持つよりも自分らしい生き方をしようと言った使い方が多いのではないだろうか。

自分らいし生き方と愛社精神は対極にあるかの様に論じられる。個性と愛社精神も対極にあるかの様に論じられる。組織に為に身を挺する事は損であると、多くの社会人は認識している。

photoしかし、その論調は本当に正しいのかと思う。

自分の大部分の時間を使う企業を愛せた方が幸せではないか。それも瞬間的に燃え上がるのではなく、自分の信念や生き様に照らし合わせて、持続的に愛せた方が幸せなのではないだろうか。

私自身も、HWSの一人のメンバーとして、仲間も組織も愛したい。思い入れを持って過ごしたい。理想の会社を夢見て転職を繰り返すよりも、足りない部分は有っても愛すべき会社を研磨し、育てて行きたい。理想の場所は愛情を持って自らの努力で創りたい。

疑心暗鬼の中で、仕事に100%の力を注げず歳月が過ぎた時に、一番後悔するのは組織よりも個人だろう。組織は再生すれば良いが、個人の時間は戻らない。全力を注がずに実績を出せるような甘い業界も無いだろうし、確たる実績も出さないまま時間が過ぎれば加齢の分だけ自分の価値は下がる。

各々が自己を主張し始めてはきりがない。愛を持って組織を優先してこそ、強い力が生まれる。大事なのは「愛をもって」という所だ。愛が無い中で、組織を優先しては個性も殺し、人生を犠牲にし、会社に使役される気分になる。この愛だけは、強制出来るものでもない。会社が与えてくれるものでもない。

個人間の恋愛感情は、世間に溢れている。流行りの歌の中にも、映画の中にも、小説の中にもある。よって多くの人はその感情を自然と生みだし、受け入れる。組織に対する愛情は、そこまで一般的ではない。思想や、行動の先に各人が悟り、生み出すしかない。

愛情が注げる会社が最初からあるわけではない。自分が何かをそこに注ぎ込み、時間と労力を使い初めて出現する。

ITという情緒的ではなさそうな分野で活躍している企業群に共通している点が「組織愛」 だと言うのがちょっと面白い。分野に関わらず偉大な企業になるためにはそれは必要なのだろう。また、個人が最高のパフォーマンスを発揮する上でも必要なことなのだと思う。

既存の風潮に流されず、自らの頭で考えることが大事だ。多くの方が、組織愛に行き着き幸せな仕事人生を送られることを切に願う。

2010年03月23日 15:07

ブランディング戦略

photo先日、某大手メーカーで長年マーケティングを手がけて来た方のお話し聴く機会があった。流石に学者でもアナリストでもなく、現場の収益をマーケティングによって作って来た方なので、お話しはいたってシンプルで分かりやすい。

アジアにおけるブランディング戦略について語られていた。自分なら現在の中国でどの様にマーケティングしていくか、経営者はどの様な態度でブランディングに関わるべきかなど話しは多岐に及んだ。

具体的なスキームのお話しも参考にはなったが、私が面白いと感じたのは本質的な部分である。

一つの結論は、ブランドには生命があり、寿命も盛衰もあると言うこと。かつて成功したブランドも永遠ではなく、いつか古さの象徴になることもある。そんな事は分かっていると言われる方も多いと思うが、ご自身の多くの経験から至った真実なので言葉に力がある。これらの事を情報や理論として持っているだけでは、実際に現場で必要となったときに発動することはないだろう。

経営やマネージメントの本も世間には多くある。一通り読めば、「経営で大事なのは・・・」などと言える。実用を必須としない理論であれば学生でもこねくり回せる。しかし、彼らがその理論を使い何かしらの成果を出すには多くの経験を得た後だ。

photo価値があるのは、多くの時間と情熱を注ぎ込んで得た本質だ。その本質はビジネスの現場で自由自在に発動され成果を生み出す源泉となる。

もう一つ話されていた結論は「BrandValueは企業の総合力である」と言うことだ。

せっかく築いたブランドも、一つの失敗で霧散することもある。一時的にブランド価値を高めたとしても、業績が悪化したら一気に下降する。

かつては隆盛を誇った企業が倒産に至るケースも珍しくない。そんな時に「のれん」を残そうという議論が必ず起こる。商品名や企業名に無形の価値があるので、それは利用しようという話しだ。これがナンセンスなのだと言う。

業績が悪化し、倒産した企業の「のれん」に価値などない。有名ではあるが金を払って利用するほどの価値は無いと言うことだ。

業績、品質、ホスピタリティ、理念、日々仕事に取り組む姿勢など、企業活動の全てがブランディングを形成する。どこかに穴があれば、価値は上がらない。結論として「BrandValueは企業の総合力である」となる。

photo世の中には色々なマーケティング理論がある。マーケティングの本も山ほど出ている。様々なスキームが研究されている。それ自体は手段として進化し続けるだろう。進化し続けるスキームを研究し、より多くの売上を狙うのは当然の活動だ。

それはそれとして、私が現在の立場において面白みを感じ、そして企業の方向性を正しく決める為に必要なのは、この本質なのだろうと思う。

2010年03月15日 13:00

プロ意識

photo先日、マサカリ投法で有名な村田兆治さんとキャッチボールをする機会があった。軽く投げて頂いたのだと思うが、ボールが恐ろしく伸びてキャッチできない。変なところで球を受けてしまったらしく、左手の甲が紫色に腫れている。とても還暦を過ぎた方の球とは思えない。

村田さんのお話の中で、いくつか心に残っている事があるので、この項で書きたい。プロの世界で長年戦った方だけに物事の本質を突く内容が多かった。ここに記述するのは、あくまでも私なりの解釈なので、あらかじめご理解頂きたい。二点ほど書く。

若い頃に村田さんは4回2/3で交代させられた事が何度もあったと言う。後一人討ち取れば勝利投手の権利が手にはいるので、何としても続投したいところだが、「お前に投げさせたら負ける。」と言われて交代を余儀なくされたことがあった。

村田さんが、実力をつけ自分の意志を通せる様にしようと決意を固めたのは当然のなりゆきである。同時に監督やコーチが「責任は俺がとる」と言って決定をするが、結局責任をとれる人間などいないと言うことも悟った。

監督の決定を受諾し良い子でいても、成果が出なければ年俸も下がるしクビも飛ぶ。自分の未来や生活に対する責任をとれる人などいないのだ。監督も勝てなければクビが飛ぶが、結局それだけの事で他の誰かを救える訳ではない。

以降は実力をあげる為に全てをかけ、成果に対してロイヤリティを持ち、野球に取り組んだ様だ。当然、自分の判断と違えば、監督やコーチの助言も無視する。その態度に善し悪しはあるだろが、全ては自分の責任であるという覚悟は強く感じる。

ビジネスの世界でも、このくらいのヤンチャさと、「自分の責任で断行する」と言う強さを持つことは時に必要だ。協調性は大事だが、協調性は時として責任回避のすり替えだったりする。責任が回避できる状況では、後一歩の執着心は生まれない。

成果に対する絶対的なロイヤリティが育まれなければ、ビジネスマンとして一流になることはない。せいぜい理屈をこねる二流の人材止まりだ。

更に村田さんは言う。

より良いピッチングをする為に、徹底して練習する。納得が行かなければ登板した日の試合後にも4時間も5時間もフォームチェックをする。ご本人の言葉を借りれば「サービス残業の毎日」となる。還暦を超えた現在でも140キロ近い速球を投げるのだが、これも才能ではなく修練の賜だという。今でも毎日腹筋背筋を200回ずつこなす。また、ストレッチにも余念が無く、足を広げて座り、胸をべったりと地面に着けられる。

photo何故、そこまで努力するのか。村田さんの悟りは「自分の代わりはいくらでもいる」と言うことだ。村田さんと言えば、日本を代表する投手だ。その村田さんの悟りが上記であることに注目したい。

確かにレギュラーの座、エースの座を狙う選手は山ほどいるだろう。自分が気を抜き、手を緩めればそのポジションを奪取する後発の人材には事欠かない。その危機感が自分を動かし、こだわりを作ったのだろう。

「自分の代わりはいくらでいる」

この悟りに多くの人は行き着かない。分かっているようで、分かっていない。世間の社会人達はこの事実を認識しているだろうか。受け止めているだろうか。SEとして業界に身を置く人達は、この事実を認識した上で行動しているだろうか。もし、これが分かっているなら現在の様な危機感では無いはずだ。行動が変わるはずだ。成果に対する執着も、技術を習得するために充てる時間の量も違うはずだ。

私自身についても振り返る。

私の代わりなどいくらでいる。私が手を抜き、歩みを止めるなら私の代わりなどいくらでも現れる。この危機感が、今も自分自身を動かす一因にある。世間で色々な経営者にあう。才能では私など足下にも及ばない人材を多く目にする。しかし、HWSの未来、HWSと言う道を歩む上では、私以上の人材はいないと確信もしているし、そうでなければならないという覚悟もある。更に上、更に上へと自己を高めなければならないという危機意識が去ることはない。恐らく一生この危機感が去ることはない。

最期に村田さんがおっしゃっていた言葉を、もう一つだけ書きたい。

「同業者の実力を、才能のせいにした時は引退する時だ。」

イチローだろうが、松坂だろうが、彼らの実力は才能によるものではない。努力によって形成されたものだ。だから、今現在多少劣っている部分があっても、必ず修練を積めば追いつける。

こう思えなければ引退しろということだろう。これは事実かどうかは問題ではない。この態度が必要なのだ。この誇り、この自負心がなければ、とてもではないが一流にはなれない。仕事に自信も責任感も持てない。真の意味でプロフェッショナルにはなれない。

業界は違うが、先人の言葉を真摯に受け止め未来へ活かそうと思う。

2010年03月10日 11:10

成長市場

photo5~6年は、海外戦略の中心をインドに置いていたので、頻繁に渡印していた。驚いたことはいくつかあったが、韓国の企業が日系企業以上に入り込み活躍していた姿には脱帽した。実際にIT関連の対インド貿易額は、絶対値で韓国の方が多い。十倍近い経済規模の日本が、貿易額で同等以下ということは、韓国は日本の十倍以上インドを使っているということだ。

カンボジアでは、戦略的に韓国政府と韓国企業が組み事業を推進していた。その展開力、バイタリティたるや日本を凌駕している。「反政府ゲリラがいるのでは?」、「地雷が埋まっていて危険だ」、と言うようなイメージから日系企業が二の足を踏む中で、韓国企業はグイグイ進出していく。

その韓国を牽引しているのはサムスンであり、一社で韓国のGDPのかなりの部分を支えている。既に先発の日系メーカーを規模では抜き去り、巨大化の一途をたどっている。東芝もソニーも技術力で引けを取るものではないが、売り上げ規模では勝負にならない。中国市場などではブランドイメージも良い。

韓国自体は巨大なマーケットを国内に抱えているわけではない。ただし、隣国には日本や中国という巨大なマーケットがある。当然、欧米も彼らの主戦場である。サムスンは既に韓国企業ではないのかもしれない。マーケットも海外であり、製造も海外で行う。技術は国を問わず、良いものがあれば資金を投下し買い取る。韓国からスタートしたと言うだけで、主軸を韓国に置いていない。ある意味、韓国に囚われていない。

日本のITマーケットの規模は現在飽和状態にある。それを大手メーカー系企業が中心にシェアしている。マーケット規模が爆発的に増えるわけではないので、定まったパイを取り合うことになる。成熟市場でのビジネスとは、そんなものだ。ただし、これは主戦場、主たるマーケットが日本であると限定した場合だ。

現在の基幹企業群が成長できたのも、成長経済の中にあったからだ。時代の要請に対応し、マーケットを奪取したのだ。成熟経済の中では、彼らが今ほどの規模になれたとは思えない。

HWSは日本の未来を語る。日本の未来のあり方、日本の未来の存在価値を語る。我々が語る未来は、市場やビジネスモデル、経営スタイルなどの変貌である。つまり、それらの「世界」を変える事を標榜している。世界を変えるためには、影響力が必要である。ビジネスにおける影響力には、パワーが必要だ。それが社員数なのか、年商なのかは場合によるが、実績によるパワーが無ければ世界は変えられない。

自然、HWSはある程度の規模を求める。少なくとも数万単位の社員数にならねば、社会的なインパクトは与えられない。そして、その規模の企業を一気に出現させるには、成熟したマーケットを主戦場にしてはいけない。BRICSに代表される様な膨張するマーケットで戦うしか手は無いのだ。

それらのマーケットを我々日系企業群が狙うには、二つのテーマを意識しなければならない。

一つは、日本の強さは何なのかと言うことだ。今後膨張するマーケットは日本ではない。アウェイのマーケットにいて、老獪な巧みさによって事業を展開するのは難しい。要領良くマーケティングするのではなく、強烈な何かで突破するしかない。その何かこそ「日本の強さ」なのだ。最終的に発露する製品やサービスが何なのかは、正直私にも予想できない。しかし、日本が国際マーケットで戦うとしたら、今後は安いもので戦うのは無理だ。タタ自動車と安さで戦っても、持っているバックグラウンドが違うので、最終的に大勝には至らないだろう。

photo我々がこだわるのは高価な分野しかないだろう。値段を上げれば上げるほど価値が出て、他国の企業が追随できないマーケットで戦うしかないだろう。超高付加価値の分野に、国家の総合力をかけて取り組む以外に、日本が輝ける道は見当たらない。

もう一つは、冒頭にも書いたが、韓国企業群が持つタフさ、展開力がテーマとなる。韓国の真似をする必要はないが、日本の良さを失わないままタフに海外でビジネスを展開するビジネスパーソン達が大量に必要だ。

海外に赴任している大企業の駐在員に会う機会は多くある。私が感じる印象は常に一種のぬるさである。

特に多くのアジア駐在員にとって海外赴任は、バケーションみたいなものだ。マーケティング目的で赴任するならば、売り上げ的なノルマがあるので厳しさはあるかもしれないが、生産拠点に赴任するだけなら、定まったオペレーションを粛々とこなすだけだ。資金も仕事も日本から潤沢に供給されるし、日本では部長や課長級だった人間が、現地では最高権力者として振舞える。誰も彼もがチヤホヤしてくれる。貨幣価値も違うので、セレブになった気分も味わえる。そして、三年もすれば日本に呼び戻される。

とてもではないが、その国に根を張って事業を伸ばそう、マーケットを奪取しようという気にはなれない。そもそも、そんな意欲とハングリー精神などはなから持っていない。会社の命令で現地に赴任し、つつがなく過ごし良い経験をして帰るのが関の山だ。

日本がアジアに広がる成長市場に根を張るためには、海外マーケットに身を投じ市場を奪取するのだと言う意識が必要だ。その意識を支えるタフさや使命感がなかりせば、資本と技術があってもビジネスを展開するのは困難だ。

我々ベンチャーは、そもそも資本も技術も持っていない。私自身、大企業の資本や技術に憧れた時もあった。しかし、今は逆に彼らが持ち合わせていない強さを武器に、海外マーケットで戦うのは我々の使命だと思っている。

日本企業群が再度世界の中で輝く為には、成長マーケットに身を置き、その中で輝かなければならない。

HWSがグローバルIT企業となり、世に影響を与えるには、その道に乗るしかないのだ。今いるメンバーは100名200名と増やす事は想像に難くない。しかし、それで幾ばくかの利益を得ても、HWSがこの世に生を受けた意味がない。我々は、上層部が小銭を稼ぐ企業を作りたいのではないのだ。未来の社会を支える一翼を築きたいのだ。

この時代だからこそ、あえて未来を語りたい。未来を語ることは、夢をみることではない。自分達のベースは何なのかを再確認する作業に他ならない。

2010年03月08日 17:35

就活必勝法

photo昨夜、何気なくニュース番組を観ていると、2010年の大卒者で未だ就職が決まっていない人達の特集をやっていた。10万人程度の学生がどこからも内定が取れていないらしい。数名の学生をピックアップし追跡取材をしていた。どの学生も、平時であれば内定が取れそうな人達ばかりだ。

番組の演出もあるだろうから本当のところは分からないが、何かしら問題があって内定が取れないのかも知れない。実際に内定を取れている学生の方が多いのだから、いくら昨年より厳しい就職戦線だと言っても、問題は本人にあると考えた方が良い。実際、学生側もよく分かっていて、「内定を取る学生がいるので、基本的に自分の問題です。」と言っていた。この結論に達する学生は、早晩出口を見つけるだろう。

毎年、採用活動を通して多くの学生に会う。彼らの根本的に足りないのは覚悟だ。ポテンシャルは誰でもそれなりにある。全く使い物にならない人材の方が希ではないか。ポテンシャルがある人材が採用に至らない理由は、どの覚悟で仕事に当たるかという所にある。

では何を覚悟すれば良いのか。

「死ぬ気でやります!」「努力なら負けません!」「情熱があります!」と叫んでみても、我々の心にはいっこうに響かないし、余りにも抽象的で意味が分からない。そんな見せかけの気合いはいらない。

私の経験から言えば、この場合の覚悟とは「払うべき代償」の事だ。いったい、企業に貢献する為に、貢献出来る人事になる為にどんな代償を覚悟しているのかを問いたい。未熟な学生レベルが払える代償は、第一に時間だ。もし、SEとして大成したければ時間を代償として払わなければならない。

仕事時間は当然だが、土日が空けば勉強に充て、資格取得なり技術の習得なりを目指す。残業などあるものなら、喜んであらゆるプライベートよりも優先させる。必要なら、土日もGWも仕事に充てる。このくらいの意識が無くて、SEとして抜きんでる事は無理だろう。

photoより具体的に払うべき代償を決めなければ駄目だ。趣味を持つなとは言わないが、優先すべきは仕事だ。技術の習得だ。プライベートで友達と飲みに行くなとは言わないが、優先すべきは仕事であり技術の習得だ。どっちも充実させれば良いという意見もあるかもしれないが、私はそんな器用さを持ち合わせていないので、二十代は全てを仕事に充てた。

内定の取れない学生達の言動には、この覚悟が感じられない。入社してすぐは、いずれにしろ使い物にならないのだから、せめて少しでも組織に貢献する意欲が無ければ、そもそもの存在が害だ。

面接において、「やります!」「頑張ります!」は必要ない。それは当然で、口に出して主張しても、何の効果も期待出来ない。入社したい企業の価値を自分の言葉で語り、その企業に貢献するために自分が払うべき代償をより具体的に述べれば良い。その代償をコミットし、死守すれば良い。そこに迷いがなければ企業側は採用する。勿論、企業によって定まっている最低限の基準はクリアしての話しではある。

社会人になると話は変わる。学生の内はこの程度で良いが、ビジネスマンたるものがこれでは困る。ビジネスマンがコミットするのは、先ずは収益だ。自分の力を使い会社をどれだけ儲けさせ成長させるかをコミットしなければならない。これがコミット出来ず、自分の職歴や経歴を羅列するだけではビジネスマンとは言えない。ビジネスを理解している人間とは思われない。大事になのはその羅列した経歴を根拠に、将来の収益をコミットする事なのだ。

これが、この市況下で求められる人材のレベルだ。成長経済の中で常に人が足りないのであれば、ここまで要求はされない。しかし、現況において安定した生活と発展的な仕事に取り組みたければ、この程度のレベルは目指して欲しい。

弊社などは、昔からこのスタンスを全メンバーに要求している。出来るかどうかは、とりあえず横に置いて、要求をする。要求すれば達成すべきレベルが分かる。努力の方向が分かる。だから企業は要求し続けなければならない。育成力とは要求し続ける忍耐力でもある。

HWSの採用活動も佳境にさしかかっている。内定者は現在2名。最低でも10名程度は採用したいが、基準に満ちなければ2名でも良い。HWSの基準を突破する強者が、一人でも多く合流してくることを心から願う。

2010年03月04日 15:59

ジャック・マー氏曰く

昨日、某中国人経営者と食事をした。日本にも二十年住んでおり、経営者としてもビジョナリーかつアグレッシブだ。最近の日本人経営者にはあまり見ないレベルの構想力を持って、日中をまたにかけた事業を展開している。

彼との会話の中で、アリババのCEOとして有名なジャック・マー氏の話題が出た。マー氏の語録に以下のセリフがあるらしい。

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・絶対に人を引き抜かない
・絶対に人を引き留めない
・絶対に約束をしない

これは人に対するスタンスを述べているのだろう。これは私のスタンスに極めて近い。

HWS設立から約四年半の歳月が経つ。今年こそ採用ペースは落ちたが、一昨年までは年間40名~50名ほどの人員を中途で採用し、現在の技術力や組織力の基盤としてきた。当時入社したメンバーは、今やHWSの中核になっている。まだ、実績も人員も設備も揃っていなかったHWSを選び、ここまで牽引した彼らの成長は著しい。恐らく、他の成熟したSIerに行って、快適に開発に没頭する道も選べたのだろうが、成果にも厳しいこの環境を自ら選び、自前で全てを揃え仕事をこなし続けた彼らの意志と節義は賞賛に値する。

色々な人間が集まったが、基本的には正面玄関を叩いて入社してもらう。私から強く入社を促すことはしない。あくまでも、自分の意志で決めてもらう。社長から「君と仕事がしたい」と言われたら悪い気がしないだろう。そこまで言ってもらえるならと、いそいそと入社する人材もいたはずだ。しかし、私はこの手の手法をとらない。

自分は端っから重要人物であり、ある種の既得権があるように勘違いして入社されては、後の育成が難しくなる。実際、HWSに入社しても、その人間が特別扱いされることもなく、ガチンコの真剣勝負をよぎなくされる。生半可な気持ちで、入社されてはお荷物になるだけだ。正直、邪魔だ。

よって、基本的には引き抜くメリットを私は感じない。気の利いた人材を引き抜けば、瞬間的には儲かることもあるだろうが、その人間がよほどの人格者でもない限りは、いずれ組織の中で浮くことになるだろう。

メンバー達が「HWSはいいよー」と言うことで、HWSと親和性の高い人材を誘うのは素晴らしいが、私の立場で後発の人間を特別扱いしたら、組織はおかしくなる。

よって、引き抜きはしない。まあ、甘い言葉と今よりもちょっと良い条件をちらつかせて、ホイホイと来る様な人間は根本的に嫌いだし、信頼が出来ない。そんな人間が普通のサラリーマンとしていられる会社も世間には多くあるだろうが、HWSには必要ない。多少の技術がある人間を採用するのには一切困らない。節義が無い人間の替えなど世間には山ほどいるので、人材として価値がない。

同時に引き留めもしない。一生懸命引き留めて、その人材が残留しても長期に渡って組織に貢献する人材にはならない。何か強く指導したら、また辞めると言うのではないかという危惧がある中では、育成も出来なければ責任ある仕事をふることも出来ない。だから、もし辞めるというメンバーがいても、「残れ」とは言わない。「考えて選択しろ」とは言う。その上で自分の意志で留まれば良し。留まらなければ、それもまた良し。HWSを全力で推進していきたい人材だけで、未来へ向かえば良い。その人数が5人なら5人でも良い。そこから組織を再構築するのみだ。そんな人間が5人しかいないなら、本当の組織の人数は5人なのだ。

photo辞めるという人間に労力をかけるなら、何も言わず仕事に没頭する他のメンバーの育成と支援に全力を投じるのがリーダーの本分だ。ジャック・マー氏の語録には、自組織への誇りと明確な意志を感じる。

最期に「絶対に約束をしない」という項目。

企業は状況に応じて、戦術的な転換をしなければならない。それはマーケットの転換かもしれないし、人事や組織制度的な転換かもしれない。そこに聖域はなく、組織のビジョンに対して最短で突っ走る為の選択がある。

よって、いくらの給料を保証する。将来はこのポジションを確約するといった類の約束は出来ない。組織制度が変われば、その役職が無くなるかも知れない。役職の数が大幅に減少するかもしれない。経済状況に合わせて報酬制度を変更するかもしれない。誤解を恐れずに言えば、役職だの報酬だのは余事だ。大事なのは組織のミッションを成す事であり、組織の勝利だ。勝利の向こう側に、個人の利を目指すのは悪く無いが、優先すべきはあくまでも組織の勝利なのだ。負けた組織に所属して、金を稼げることも自分の価値が上がることもない。

余事を約束して、それを動機に仕事をしてもらっては困る。仕事に注力する為には色々な動機が必要だろうが、柱であるのは事業自体の価値であって欲しい。事業自体に誇りとやりがいを感じないと、いずれ飽きる。

私が面接の時も、社員総会でも約束するのは、「HWSは何たるか」という事だけだ。我々のミッション、我々の存在意義、それを追うことは金輪際曲げない。この一点を約束し、それに共鳴する人を採る。だから、余事に関することは約束しないのだ。

多くの社会人が求める保証などは、本来世の中に存在していない。将来の報酬、役職、安定を保証できる企業など世界中にひとつも存在していない。確率的に保証が有りそうに見える企業はあるが、あくまでも確立が高いだけで保証ではない。

安定も報酬も役職も、フェアな環境であるならリアルタイムでの実力と成果によって決まる。自らの意志と行動によって決めるのだ。だから、誰かに保証してもらうというスタンスが根本的に間違っている。

だから、約束しない。

ジャック・マー氏の真意は分からない。元ネタも人づてなので、セリフ自体の正確さも自信がない。昨日私が聞き及んだ彼の語録と私の人に対するスタンスが極めて近しかったので、ブログにて綴らせて頂いた。

分野によっては多少だが市況が上向いている。今年に入ってから大慌てで採用を始めた企業も現れている。一昨年ほどではないが、SEが転職しやすい状況にもなるだろう。しかし、覚えておかなければならないのはいずれまた市況が沈むときも来ると言うことだ。どんなに市況が良かろうと、普通のSEなら加齢によって自分の市場価値が下落するときも来る。この一年から大いに学び、未来にどんな状況が来たとしても、突破する力を持った組織を作るのだ。能力も人格も信頼に足る仲間を集め、自分自信も信頼されるに足る人間になろうではないか。

2010年03月01日 17:39

技術の足跡

photo幕末に大村益次郎という人物がいた。司馬遼太郎氏の著書である「花神」で描かれた事でも有名だ。

出身は長州の片田舎である。村医の子として生まれ、医学を修める為に大阪にある適塾に入塾した。適塾は、当時の蘭学塾としては最も盛んであったが、多くの塾生の中で抜きんでて塾頭まで上り詰めた。蘭語力では日本でトップクラスの実力であったであろう。

その後、父親に呼び戻され長州で村医をやっていたが、伊予の宇和島藩に召されて、西洋式の砲台やアジアで初の純国産蒸気船を製造する。全ての知識は西洋の書物から得て、自らの頭で構想した物を技術者として形にしていったのだ。西洋の兵学書なども多く翻訳した事があり、最期には官軍側の総司令官に任命され、戊辰戦争において大きな役割を担った。

恐るべきは書から得た学問を自分の中で消化し、具体的なイメージを仕上げ具現化する力であろう。彼の本分は医者だ。医学を修める中で培われた技能がいくつかある。第一に語学力。第二には、僅かな洋書を読み、その少ない材料から物事の本質を論理的に探る力。

この二つの技能を応用することによって、黒船も造り、兵も動かしたのだ。

今の世でも「技術力をつけなければ・・・」と言う話題はよくでる。しかし、そもそも技術とは何であろう。それはJavaの事なのか、androidの事なのか。大村益次郎にとって蘭語も、数学的な素養も素材にしか過ぎなかったであろう。彼にとって技術とは、それらの素材を料理して黒船を出現させることだろうし、革新的な用兵を行い戦の勝利を実現する事であったろう。

その素材を得るために、適塾にて学問に没頭し、後年はその学問を使って世に足跡を残したのだ。

繰り返しになるが、彼にとって兵を動かす事も学問であり技術であると言う事に、何のためらいも疑問も無かったであろう。医学を勉強したのだから、医学以外はやりたくないとは思わなかったはずだ。自分が修めた学問が、誰かの役に立ち、時代を動かしていくなら、その事に喜びを感じ進んで尽力したであろう。

この項では、二つの事を伝えたい。

photo一つには技術とは何であるかと言うことだ。エンジニア諸兄は自らが修めた技能を使い、何を実現させるのか。何かを生み出してこそ技術ではないか。時代の要請を知り、自らが修めた技能を使い世に役立ってこそエンジニアであり、技術ではないか。その為に必要な事の全てを修めるのがエンジニア道と言うものだ。大村益次郎の時代と今は違うので、全く同じ道を歩むことは無いだろうが、本質は大して変わらない。

30歳を越えたSE達は、特にこの意識を強く持たなければならない。いつまで塾生のつもりでいるのだ。技能を学ぶだけではなく、技能を使い始めなければいけない年齢になっているのではないか。技能に自信があるのなら、その使い道を考えよ。日々の給与も大事だが、その為だけに自分の人生がある訳でもあるまい。SEとしての誇りを、行動と成果で見せて欲しいものだ。

もう一つ伝えたい事がある。

大村益次郎は必要なツールを得るために、学問に没頭した。語学力を上げるには、いつの時代も忍耐力が必要だ。ましてや幕末である。効率的なテキストもない。断片的な情報を自ら組合せ語学を修めていくしかないのだ。途方もないストイックスさとモチベーションが無ければ、成るものではない。

彼が時間と情熱の全てを注ぎ込み、蘭語を会得した事は想像に難くない。多くの代償を支払い、語学力と科学的分析力を得たのだろう。そのツールを使い、後半生の奇跡的な偉業を実現したのだ。

私は現在のSEも、ツールに囚われず成果を目指して全精力を注ぎ込むべきだと説く。時には営業もし、マンマネージメントにおいても一定以上のレベルを持てと言う。今の時代において、SEが何かしらの足跡を残すのには、それらが必要だからだ。ただし、営業力もマネージメントも一朝一夕に身につくものではない。克己の中で研き抜かなければ、力を持ち得ない。だが、それ以上にSEなのだから、先ずは凌ぎを削ってITスキルを高めなければならない。克己の中で、ストイックにITスキルを高めなければならない。

後年に軍隊の総司令官になった大村益次郎のベースはあくまでも二十代に修めた学問であり、語学力と解析力という技能なのだ。この部分に絶対的な自信と力が無ければ、後年の偉業は生まれなかったはずだ。軍隊を動かすという、おおよそ技術者には似つかわしくない技能を、語学と医学の土台の上に身につけた大村益次郎がいる。現在の日本のSE達が、ITスキルを修め、その延長線上に事業を司り経営を司って行く姿を思い描く私の主張は荒唐無稽だろうか。

技術者は技術に誇りを持て。技術が実現する未来に誇りを持て。その誇りを持つために技術とは何たるかを考え、自分の生きる道を定めて欲しい。