会長ブログ(株式会社ヘッドウォータース代表取締役:篠田庸介)

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2010年05月27日 15:10

基盤たらん

hws100528_a.jpg
iphoneが驚異的な販売台数を記録し、話題になっている。それに伴いアップル社の売り上げは日本の巨大メーカー群へと迫る勢いだ。クラウド的な環境が広がれば、モバイル市場はよりスマートフォンが中心となり、シェアを伸ばしていくだろう。

アップル社の驚くべき点は、日本の総合電気メーカーの様に多品目を製造し、その総和としての売り上げではないと言うことだ。意志を込めて、こだわった製品だけを世にだし、結果として日本のメーカーを凌駕しつつある。更に言えば、政府と癒着し公共事業を狙うわけでもなく、誰からの支配も受けず、コンシューマーと正面から相対し、実力のみで売り上げを伸ばしている。

規模が拡大し、体力も上がり社会的な地位が確保されれば、次は安定する為に既得権益を求めるものだが、今のところその気配はない。

小品目だけに勝ち負けもあろうが、先手が取れた時は強い。あらゆる経営資源は分散されず、戦うべき市場に投入される。高い利益率も実現できる。その資源を再投資し、次の先手を狙うこともできる。

iphoneは既にプロダクトではない。一種のインフラだ。iphoneというインフラを通して、ビジネスやエンターテーメントが繰り広げられる。私も常々言い続けてきたのは、事業家が目指すべきは、インフラ構築であると言うことだ。初期の事業は一つの製品であったり、サービスであったりするだろうが、それをステップに目指すべきは社会の基盤へと昇華することだ。現在の実力は各企業様々だろうが、その大小に関わらず目指すべき目線をどこにするかが大事だ。

Windowsも製品時代はOSであったはずだが、結果的にはコンピュータを社会に波及させインフラとなった。インフラとなったからこそ、現在の業績を実現している。インフラ故に、自らが創り出した世界は支配できる。当然、賞味期限はある。驕れば必ず後発の雄が、その地位を奪う。

hws100528_b.jpgネット関連のビジネスにおいて、未だ日本は世界に向けてインフラを発信していない。各企業もプロダクトやサービス構築に意識を向け、インフラを創ろうという気概を見せない。結果、日本マーケットのみでしか売れない製品・サービスしか生み出されない。その意味でグローバルIT企業は、日本には存在しない。ただし、楽天なども海外の企業を買収したり、外国人の採用に積極的な姿勢を見せたりと、飽和した国内市場から視線をグローバルに移しつつあるようだ。今後に期待したい。

HWSは小企業なので、先ずは一点突破しなければならない。一点突破で一定のステージをクリアしなければ、次の一歩はない。しかし、目線は常にその先にありたい。HWSが社会のインフラとして、広く貢献できる未来を目指したい。

HWSはエンジニアのキャリアパスとして、技術に卓越したビジネスパーソンになる道を提唱している。エンジニアの世界では、最終的に技術だけで生きていける少数の天才と、それだけでは抜きん出る事が出来ない大多数に分かれて行くと思われるが、後者のキャリアパスを確立し、日本の競争力を担保できればと思う。

よって、時たまメンバーからビジネスアイディアなども私の所に持ち込まれるが、常に聞くのは、収益モデルと未来への広がりだ。持ち込んだ人間の視点が、短期的な売り上げなのか、連続性のある収益構造を見ているのか、インフラとして発展する未来まで求めているのかを探る。

メンバーから持ち込まれたビジネス案自体が形になるならないもあるが、出来れば積極的ビジネスを考えて来た人材を、その機会を利して教育したい。

hws100528_c.jpg世界の潮流を見てみると、面白いものでインフラとなる様なサービスを生み出す企業は「総合○○」ではない。凝りに凝らなければ、技術力があってもインフラを生み出すまではいかない。IphoneにしてもWindowsにしても、同じ時代に似た様な製品を作る技術を、多くの巨大企業群は有していたはずだ。しかし、インフラを作るのは常にベンチャー気質を残し、その製品に全てをかけた企業だった。

社会のインフラを生み出す上で、決して規模は優位に働かない。企業は巨大になる過程で多くの資産を創出するが、その資産の中には負の部分もある。それは余分となってしまった全時代の事業に関わる人材だったり、他の企業や政府との関係だったりする。最大の負は大手のネームバリューに惹かれて集まってきた人材群が形成する根本的に保守的な企業体質だろう。

大手企業には資本もあり、技術力もある。ブランド性も高く、優秀な人材がそろっている。それにも関わらず、インフラを生み出せないのはその体質故だ。巨大企業の唯一の弱点は自己変革できないことだろう。更に言えば、自己否定できないことだ。

よって、偏りに偏り、凝りに凝ったベンチャーがインフラを生み出す。身体を張って体力の無さを補い、ベンチャーがインフラを生み出す。ただし、日本のベンチャー群は未だインフラを創り切れていない。

願わくば、我々は未来のインフラとなりたい。我々は何も持っていないが、同時に負の資産もない。何者にも拘束されないHWSは、大いなる未来を目指し、ギリギリの戦いを繰り返してこそ、世に存在する価値がある。

2010年05月23日 02:03

攻めの要点

hws100523_a.jpg前年度、市況の荒波に抗う中で、企業の体力は向上した。しかしながらこの体力は企業を存続する為のものではなく、次の領域に攻め込むに必要な原資である。今期、攻めに徹せねば昨年が無駄になろう。

前年度、市況が悪いからと、あえて「攻め」を提唱する経営者は少なくない。正しい対応であると思う。ただし、攻めを謳うなら押さえなければいけない要件がいくつかある。

HWS名物と言えば、「むちゃぶり」と「やり過ぎ」は外せない。この二つは企業を伸ばす推進力とも言える。

HWSでは、やらずしてミスした事に関しては強烈な叱責が飛ぶ。何故やらなかったのかと言う追求が入る。自ら動かなかった人間の主張を取り上げる気もない。声無き声を拾う気がない。HWSのメンバーなら声を出せと要求する。安易なミスや、自堕落な生活などは問題外だ。

ただし、やり過ぎて失敗した事に関しては寛容である。ある程度は大目に見るし、心意気や良しと言うことで、次のチャレンジも促す。やり過ぎはベンチャーの価値である、エネルギーの吐露であるし、企業の経験値をあげることにもなる。我々にとっては、バランス感よりも推進力が優先される。

そもそも順調に行っている時は、過去に積み重ねた経験や能力を使っているに過ぎない。過去の焼き直しなので、制御が効き予定通りの成果を生み出せるのだ。過去の堆積で対応できない事に挑めばリスクが生じ、ストレスを背負うことになるが、成長があるのはその先である。

だからHWSでは「やり過ぎ」を奨励している。その結果、失敗があろうと成功があろうと寛容に受け止める。ただし、身体を張って挑めとは要求する。

hws100523_b.jpgまた、会社を挙げて攻めるなら、自然に「むちゃぶり」が発生する。新しい領域に進むとき過去の経験は通用しない。また、ベンチャーでは潤沢な資源を使って、順序良く新規の取り組みなど出来ないので、今ある業務に次の命題が乗る。それを処理して成果を出すことが求められる。自分のスペックを超えた要求が飛び交っていてこそ、会社が成長していると言うものだ。それが嫌なら急成長を志向しない企業で働くべきだ。


そもそも、ベンチャー企業に行くなら、チャレンジャースピリットを持つべきだ。チャレンジには常に代償がつきものだ。その、代償を見ず、格好良さやフランクさなどを求めてベンチャーの門を叩くと必ず後悔する。ベンチャーに身を投じるなら、「むちゃ」をふられてこそ本望ではないか。「むちゃ」をこなさなければ、自分の存在価値もないし、ベンチャーにいる意味もないではないか。


企業が何かに挑む時、それを推進するリーダーが存在する。それが社長なのか、役員なのか管理職なのかは場合によるが、リーダーは挑むべき命題達成に、全精力をつぎ込まなければならない。命題達成のためならば、それに関わるメンバーの状況など省みず、自分を含めた全員が「むちゃ」に挑まなければ駄目なのだ。

リーダーが涼しい顔で「むちゃ」を要求する。メンバー達は一瞬眼に動揺の色が映りながらも、平常心でその要求を受諾する。そんな組織がベンチャーの理想ではないか。成長を平常とするような組織のあるべき姿なのではと思う。当然、リーダーは自分自身で「むちゃ」を受容し、自らに課すのが前提ではある。

hws100523_c.jpg最近私は社内のここかしこで攻めを謳う。皆に「攻めろ」というメッセージを発信している様に見えるかもしれないが、本意は違う。君達がどうであれ俺は攻める。攻めるので、ついてこれる奴は来い。ついて来れないなら、置いていくので、その気になったら遅れて来いと言っているのだ。共に攻めるなら、「むちゃ」を受容せよ。やる過ぎるまで仕事に没頭せよ。そう言っている。

「むちゃ」を投げて拒否する人間には、二度と私からは「むちゃ」はふらない。「できません」「やれません」と発する人間を、上手く導いて頑張らせる気は無い。自分でチャンスと可能性を拒否するなら、それまでの人としてそれなりの役割を与えるだけだ。「むちゃ」を受容できるなら、共に前線へと赴ける。

私が組織内にて「攻め」を提唱するのは、メンバーを鼓舞する為ではない。ベンチャーの原点に回帰し、成長を狙い、その為の代償を覚悟させたいのだ。

攻めを提唱する時の要点は、代償の覚悟だ。

これは誰かに導かれて覚悟するのではない。自らの思想に基づき決めるのだ。だから、この点に関してはメンバーに強制は出来ない。HWSとしての要求はあるが、強制をする権利は私にもない。自らの思想、自らの信念のみが、己を攻めの境地へと導く。

私は私自身の攻めの意志を伝える。HWSの代表としてメンバーに伝える。後は、各々が自らの意志で今年一年の処し方を決めればよい。その結果、一歩でも理想の組織へ近づければ嬉しい限りだ。

2010年05月18日 17:06

意味づけ

若い頃に先輩社員から受けたアドバイスだが、「外角低めが得意なバッターを相手にするピッチャーに対して、外角低めには投げるなと指示してはいけない。かえってそのコースを意識して外角低めに投げてしまう。その場合は内角高めに投げろと指示を出さなければ駄目だよ。」と言っていた。同じ事をやらせるにしても、指示の出し方で受け取る方の心持ちはまったく違うという事を言いたかったのだと思う。

hws100521_a.jpgこのアドバイスは、場合によっては正しい。外角低めには投げるなという逃げではなく、内角高めに投げろと攻めの方が気持ちも乗る。相手の得意なコースを意識せず、恐怖心を持たずにすむ。だから私も友人とゴルフコースを周り、目の前に池がある時は「池だけにはいれるな。池だけには・・・」と池を意識させるように心がけている。

先日、ある著名な経営者のセミナーにて、聴講者の一人が「会社が大きくなってきて、ちょっとした失敗で訴訟などのリスクも大きくなったので、ミスをするなと言う指示が多くなった。しかし、それによってベンチャーとしての勢い無くなってきたように感じる。その様な問題はないでしょうか。」と質問していた。

講演者は「同じ問題に自社も直面しました。その時に自社がスローガンとして挙げたのは、ミスを無くせでは無く、世界最高の品質を実現しようでした。」と回答していた。

取り組んでいる事は変わらないが、その行為をどう意味づけるかで、事に当たる人間の心持ちは全く違う。同じ課題に取り組んでいても、意味づけによって、ミスを恐れ萎縮した姿になるのか、勇敢にも前人未踏の地へと挑戦する姿になるのか分かれる。

生涯を嫌なストレスに苛まれず、充実して生きるには、この「意味づけ力」が必要なのだと思う。誰かの為になっている、誰かが喜んでくれると思えば、人間多少の苦難は耐えられるものだ。

自分の仕事、自分の行動に意味があるなら、厳しさに進んで身を浸す事も出来るし、忍耐も生まれる。どうせ徒労だろうと思えば身体が動かないし、命令だから仕事だからと嫌々やっていては心が病むのも当然だろう。

自分が刻々と使っている時間。日々従事している仕事。

hws100521_b.jpgこれに意味がなければ、生きていること自体に価値を感じられない。肉体よりも精神が疲労する。この意味づけは、時に他者がしてくれるのだが、根本的に自分の納得感がなければいけないので、自分の仕事、自分の人生には自ら意味づけをしなければならない。

仕事だからやろう。職場の慣習だからやろう。みんながやるからやろう。

これでは、駄目なのだ。今自分が取り組んでいる仕事の意味は何だ?

報酬の為か?スキルを上げる為か?自社の発展の為か?評価を上げる為か?クライアントを勝たせると言うビジネスマンとしてのポリシーから頑張っているのか?

今やっている仕事は自分以外の誰かの為になっているか?

家族の為か?仲間の為か?クライアントの為か?社会の為か?業界の為か?

自分が今現在相対している仕事に、価値が有るとか無いとか考えるのはナンセンスだ。何かしらの必然があり、目の前にその仕事がある。将来は変わるかも知れないが、今はその仕事を成し未来へと進むしかない。そして、前述した様に、自分の意味づけによって、目前の仕事は徒労にもなるしチャレンジにもなる。意味づけをしなければ間違い無く作業であり、心を蝕む時間となる。

迷いはいらない。目の前にある課題から逃げる事は出来ない。突破するしか道は無い。だから、迷う必要はない。どうせ突破しなければならない、その仕事を完遂しなければならないのなら、気持ちを乗せて未来へ繋げて行った方が良いではないか。

自分の仕事の価値を、自分の仕事が作る未来を自ら意味づけ、全力で当たるしかないではないか。

最期に付け加えるとしたら、リーダーには特に「意味づけ」が求められる。皆さんが、ビジネスの世界を進んで行けば、昨年の様に厳しい市況も来る。攻めている時は勝手に市況も組織も舞い上がっているのでマネージメントも意味づけもいらないが、未来の成長に向けて勢いだけで事業を伸ばすだけではなく地盤を固める時期も来る。

臥薪嘗胆、泥をすすってでも耐え抜けるしぶとさがあれば、未来に様々な可能性を生み出せるのだが、その泥をすする行為に意味がなければ、痛みがあるだけだ。

hws100521_c.jpgこれは経営者だけに向けた話ではない。現場のリーダーも、一人の先輩社員も、時に後発の者達に日々の仕事の価値を示さなければならない。意味づけに正解はない。あるのは、それぞれが意味を感じるか、腑に落ちるかと言う個人の趣向の違いだ。この辺は気持ちが乗るかどうかなので、個人の趣向に任せる。

だから、自分が先人であると自覚があるなら、「仕事だから・・・」「昔からそうだから・・・」「みんながそうしているから・・・」などと言ってはいけない。自分の頭で考えた答を後発の者達に示し、今取り組んでいることの価値を上げ、全員が気持ちよく仕事に没頭できるよう動いてこそリーダーだ。

そして、いつかは後発の者達も自分の頭で自社の価値や、仕事の意味を考え示すようになるだろう。その連鎖が組織人達の幸せを産み出すはずだ。

気をつけて欲しいのは、意味づけは手段ではない。マネージメントスキルでもない。自分の哲学の吐露であり、人生への態度だ。人を動かす為に意味づけるのではなく、自分自身の人生を無駄にしないために、仲間の未来を無駄にしないために、本気で想うことを示すのだ。

2010年05月13日 17:57

安定走行

今朝の朝礼で、某メンバーから自動二輪の免許を取りに行っているとのスピーチがあった。運転中に車体がフラフラする時は、目線が近いところを見ている時であり、安定させる為には遠くを見れば良いと言っていた。彼曰く、仕事も同じであり、目先だけを見ていると心持ちも行動もぶれるが、遠方のビジョンを追えば真っ直ぐ進めるとのこと。真理である。

世の中には転職を繰り返す人もいる。朝令暮改を繰り返す管理職もいる。就職活動の方針が二転三転する就活生もいる。迷う事は人の常ではあるが、どこかで生き方を定めて、その道に注力しなければ、何も残らず人生は終わる。四十歳を超えて実感するが、人生はさほど長く無い。

フラフラと生き方がぶれてしまう理由を挙げればきりがない。それはちょっとした目先の損得であったり、目先の苦しさからの逃避であったりする。美味しそうな待遇や、事業分野があるとダボハゼのごとく食いつく人間は多い。仕事を続けていれば、解決出来ない難題にも直面するし、人間関係のストレスも時にはあるのだが、転職などの逃避によってその問題から逃げようとする人間も多い。このリセットは、クセになる。

自らが育んだ哲学があり、信念を持って転職するのは間違いではないし、人生に何度か転機もあるだろう。これをぶれるとは呼ばない。ブレは近視眼的な考えから来る。哲学ではなく、感情の反射からブレは生じる。

かく言う私も感情的にブレが生じそうになる時もある。ただし、私の場合は自分がぶれそうになっている状態だと自覚するので、理性で押し止める事が可能だ。駄目な自分を認める勇気を、辛うじて有している。

私自身、ぶれずに生涯を突き進む人間でありたい。過去にも紆余曲折あり、これからもあるだろうが、ぶれずに生き抜きたい。

ぶれない人間であるために、私は二つの事を心がけている。

一つは、目線を遠くに置くことだ。全てを線で考える。感情の反射で物事の判断をしない。未来を自分の意識した通りに創り上げる事を第一義とする。そして、その他の事は些事として判断基準にしない。

正直、十年以上前から自分の報酬の事も、立場の事も頓着した事は無い。頓着しない自分を意識して作り上げてきた。目先に頓着しないことによって、何ものにも囚われない自由を得た。自分が誇りを持って進める未来だけを追える自由を得た。これは私の個人的な心の持ちようなので、万人に勧めるものではない。

もう一つは、自分の信念は、常に外に向かって発し続ける事だ。自分の理想も、自分の戦略も、自分だけのものにせず、公にさらす。さらすことによって、ビジョンも思想も研ぎ澄まされる。更に言葉を発することによって退路を断ち、自らぶれられない状況を作れる。だから、ブログでも書籍でも、批判も十分覚悟の上で尖った主張を発する。

十年以上にわたり、ボランティアでセミナーや講演なども行ってきた。労は大きいが、一切金にはならない。物質的な見返りはないが、主張を繰り返すことによって、定めた未来にぶれずに進める。いや、進むしかなくなる。朝礼でも毎日話すし、総会でも毎日話す。社内外にコミットし続けている。

並の精神力しか持たない自分がぶれずに歩むためには、この程度の自戒が必要だ。

本来、仕事においては損得よりも節義を重んじることが大事である。節義を重んじれば、生き方はぶれようがない。それを実行できる精神力と人格を育むには時間がかかるので、先ずは上記の様な自戒を持って自らの人生を制御するのである。

2010年05月11日 10:32

GW明け

hws100511_a.jpgGWも終わり、世の中は仕事モードになった。HWSでも毎年恒例のBBQイベントを行い、参加者は楽しんだ様だ。GWの全日程が快晴になったのは五十年ぶりらしい。

GWが楽しい反面、仕事が嫌いな人は休み明けの憂鬱を抱えることだろう。テレビのニュースを観ていても、明日から仕事というお父さんが疲れた表情で「頑張ります」などと答えている。

事の善し悪しは別として、世間の風潮は「仕事は辛いもの」「出来れば仕事はしたくない」となっている。よって、自然な流れで「GW明けは頑張らなくちゃ」となる。辛い仕事を何とかストレス発散しながら乗りきって行くのが人生だという価値観を持っている人も少なく無いだろう。

hws100511_b.jpgもし仕事が楽しいものであり、あらゆる趣味よりも没頭できるものだとしたら、GWが明ける前のリアクションは違ってくるはずだ。「やったー、仕事が出来る」となるはず。ニュース番組のリポーターも「やっと明日から仕事ができますね」と楽しそうにマイクを向けるはずだ。

この仕事は嫌なものという認識を何とか変えたいと思い組織作りに取り組んでいる。HWSでは、ハードワークを要求するが、それは強制されて行うものではない。強制されて嫌々ハードワークなどして欲しくないし、最終的には誰のためにもならない。ハードワークは自らの信念に照らし、自ら進んで身を投じてこそ意味がある。未来にも繋がる。

私個人で言えば、仕事は嫌なものではない。ただし、二十年の仕事人生を振り返ってみると、仕事が嫌だった時期が2、3回ある。いや、仕事が嫌だったのではない。会社が嫌だった時が2、3回あると言い直した方が的確だ。

その時期は、純粋に仕事が出来なかった。仕事以外の社内政治に翻弄され、事業を純粋に推進出来なかった。私自信の能力の問題もあるが、状況的に企業を成長させる為の前提が崩れていたのだ。

その時以外は、会社に行きたくなくなった時は一度もない。月間に700時間以上仕事に当てようが、睡眠時間が取れなかろうが、まあ、意識は挫けない。尤も当時はまだ若く体力が有ったからかもしれないが・・・。

hws100511_c.jpg私が仕事を好きな理由は、一切人にやらされていると思っていないからだろう。経営者である今は当然と言われるかもしれないが、二十代の後半までは社長ではなかった。社長ではなく、一人のメンバーとしてビジネスの前線でひた走っていた時期も、仕事は自分のものであった。誰かにやらされて仕事をした事はない。自分で選び、自分で決めた仕事だ。自分の未来を創り、自分の充足感を作る仕事なのだ。この仕事は間違い無く、自分のものだ。

金銭的な報酬が高くなれば確かに嬉しいが、金を目指して仕事をしたことはない。仕事自体に誇りを持ち、ひたすら成果に執着して仕事に邁進した。仕事自体が目的であり、何かを産み出す達成感が最大の報酬だった。金は良い仕事をすれば必ず、相応についてくる。

全メンバーが生涯仕事に没頭出来る人生を歩む為には、いくつかの要件があろう。

前述したが仕事を自分のものと思い取り組めなければ没頭出来ない。その為に必要なのは、組織がオープンでフェアな環境であること。そして、その環境において自力本願で仕事に取り組めるメンタリティを持った人材を育てる事だ。

更に無駄な社内政治に奔走せず、事業に推進出来る様な信頼感を組織内に醸造することだろう。無駄なヒエラルキーは排除し、純粋に組織の勝利、事業の推進を第一義とする文化を創り上げるのだ。

私が今目指している組織は、規律があり全員が信頼の下に高い連携力を実現するものだ。ただし、その規律は人から与えられたものではなく、強い組織、未来の成功を目指して各人が自らの意志で作り上げるのだ。

我々は、思考停止の中で規律を成立させるのではなく、意識した思考の先にある規律を目指している。メンバー達は組織の規律に動かされるのではなく、自分達が作った統率された組織を使いビジネスを縦横無尽に展開して行くのだ。

だから、外部から見ればメチャクチャハードで厳しい環境に見えて、実は中に入るとオモローでもある。そんな組織が良い。オモローさを追って、緩い環境にすることは難しくない。グーグルの様な文化の中でラボ的な雰囲気を漂わせれば、安直に喜ぶエンジニアも多いだろう。多くのサラリーマンには不評だろうが、逆に軍隊さながらの厳しい規律を持たせることも可能だ。

我々は双方の強みを併せ持つ姿を標榜したい。誰かを楽にしたいのではなく、最強の組織を目指したいからだ。それには各自の意志と思考が必要だ。簡単ではない。ただし、HWSが提唱する未来を実現するには、この程度の課題はクリアしなければならないのも事実だ。

多くの社会人が、GW明けにスキップしながら出社出来る様な価値感を、仕事へのスタンスを世に示せればと思う。

2010年05月07日 17:16

相違?

ベトナムのLTT社(ライフタイムテクノロジーズ)において、各社員からどうすればもっと良い会社になるかをヒアリングした。少しはネガティブな意見が出るかと思ったが、総じて前向きで少し肩透かし気味だ。

ベトナムと日本の違いもあるが、類似点の方が多い。彼らが日本人に理解して欲しいと主張したのは、会社での福利厚生的なイベントや、旧正月(テト)前の家族へのちょっとしたプレゼントなどの配慮をする事などだ。ちょっとした気遣いによる精神的なつながりを強く求めていた。いたって日本的だ。

実は大手企業に今より報酬的には良い条件で転職が決まっていたメンバーもいたのだが、色々話した結果、自分のやりたいことはLTT社にあり、会社と共に成長したいという結論に達して残ることを決めた。最大の障壁は嫁さんを説得することらしい・・・。極めて日本的だ。

DSCF1003.JPG話してみると当然価値観の違いもあるだろうが、価値観を同じくできることの方がはるかに多い。そこにフォーカスして、より良いチーム作りを進めれば良い。後は具体的なビジネスを共に作らなければならない。日本の下請として存在させては、成長に限界がある。

彼らからもマーケティングに力を入れて行きたいと言う発言があった。受託だけでは受身なので、こちらからマーケットに対して攻める開発をやろうという主張は正論だ。ただし、発言した本人に「君がマーケティングもやれば」とふったところ、「僕は開発が大好きで、作れといわれれば何でも作ります。出来れば開発に没頭させてください。」との事。教育の余地は多分にあるが、前向きさは買いである。

もっと日本語を勉強したいという発言もある。QA部門のメンバーは週に三回は日本語を勉強する時間がある。技術が分かり日本語とベトナム語を操れるメンバーはいくらでも欲しいので、望むところだ。出来る限りの援助はするつもりだ。

開発において成功するチームと失敗するチームがあるので、プロジェクトの進め方など情報交換をもっと頻繁に行いたいという意見もあった。これは、すぐにやれと言うところだ。自分達で仕事の仕組みを作っていく意識はまだ希薄だ。これも教育の必要性がある。

話を聞いていくと、いちいちもっともだったが、HWS的なスタンスで言えば「そんなのやっちゃえばいいじゃん」と言う様な事柄を実行していない。若いメンバーが中心なので、どこまでやっていいのか、問題解決にはどんな方法があるのかが分からない様だ。

これは国民性の違いではなく、若さゆえに未熟なだけだ。バイタリティと問題の認識力は日本人の同世代にひけをとるものではない。

DSCF1004.JPGLTT社を考えたときに、今のところベトナムと日本の違いはあまり感じない。言語の問題により、日本ほど素早くストレートにこちらの意志が伝わらない事が最大の障壁だ。ベトナムに来てあらためて思うのは、普段どれだけ言葉や文章で意志を伝えていたのかという事だ。コミュニケーションがスムーズに取れないだけで、どれだけ企業経営が難しいかと言う真実を再認識した。

逆に日本国内にいて、「先輩社員との人間関係が・・・」「上司と上手くやれない」などと言っている様では、お話にならない。我々には共通の言語がある。ちょっとした勇気と行動力があれば、コミュニケーションによりほとんどの問題は打破できる。

配慮すべき国ごとの文化は確かにある。しかし、それは問題のコアではない。大事なのは、面倒くさがらず、恐れずコミュニケーションを進めることだ。正しさを共に模索することだ。これは日本を含めた全ての国で当てはまる話である。