会長ブログ(株式会社ヘッドウォータース代表取締役:篠田庸介)

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2010年06月30日 19:28

交差

成熟市場の日本を尻目に、日系各社はアジアへの投資を進めている。製油所の建設や太陽発電など、数千億円規模の大がかりな投資も次々に決定されているようだ。

中小企業もアジアへの感心は高い。巨大な中国市場は当然として、市場としては未成熟だがベンチャーでも参入の余地が十分あるベトナムやカンボジアなども、頻繁に話題に上る。しかし、実際海外市場に進出しようと思っても、多くのベンチャー企業には数千億円の投資資金などなく、スモール・スタートを前提としても負担は大きい。

ただし、ビジネスにおいて時期を失すれば戦いは規模の世界へ流れてしまう。ベンチャーの優位性は言うまでもなく、そのチャレンジャースピリットが生み出す、攻撃性とスピードだ。市場自体が草創期ならば、この武器は圧倒的な力となるが、市場が成長し成熟期を迎えれば力を持つのは規模だ。本来ベンチャーが新興市場を攻めるなら、早すぎてもコストがかさむので難しいだろうが、遅くては話にならない。基本は前傾で攻めなければ勝機が見えない。

成長市場において、競合という概念は必要無い。市場は膨張の一途をたどる。増え続ける市場をそれぞれが切り取ればよい。切り取っても、切り取っても、また増えるのだから競合を意識するより、マーケットの動向を注視し、目の前にある領土を刈り取る事に専念すべきだ。

hws100701_a.jpg以前、日本版ITパークついて書いた。先日、国会議事堂内にてITパークについてのプレゼンを行い、いくつかの提言もした。このITパークは、日本企業のリソース確保を目的としているのではない。最終的にはITにおいて日系各社が他国のマーケットに進出する足がかりを創る事に意義がある。競合という概念を外し、日本のベンチャーやアジアの各企業の連合軍で市場を作り、その果実を分け合うイメージだ。

ベトナムで展開しているLTT社も、テンポラリーな利益を期待して運営しているのではない。そもそも、ベトナムの貨幣価値である程度成功しても本体に対するインパクは少ない。LTT社は、日本中の中小ベンチャーがアジアに進出する為のインフラとして作り込みたい。

HWSにおけるLTT社の存在意義は、日本市場で競争力を持つためのバックボーンではなく、グローバルマーケットで戦うための足がかりとしたい。よって、競合は考えず多くの中小企業が自由に使ってくれればよい。聖域無くあらゆる選択を考え運営して行く予定だ。

これからは、アジアの中だけでもマーケットもリソースも複雑に交差するだろう。

今朝方、人材系ビジネスに従事されている方と話す機会があった。一昨年のリーマンショック以来、多くの人材が職を離れ、未だに次のフィールドを得られていない。その中には今までの経験を新興国で活かしたいと考える方もいるようだ。多少なりともHWSに海外経験があると言うことで、その可能性を打診されたので、簡潔に私見を述べた。

hws100701_b.jpg海外に進出する企業は大なり小なりコストメリットを求めている。特にオフショア開発の世界では、優秀でコストの低い人材を確保し、日本マーケットの開発をこなすのが目的となる。普通に日本人の人件費を開発コストに乗せると、そのサービス自体に競争力が無くなる。国にもよるが、100名規模のSIerがあったとして、日本人の管理者をおける人数は1名が限界だ。それ以上になると経営は極めて厳しい。

よって、自分の経験を活かし海外で活躍したいなら、生活できるギリギリまで報酬を落とす覚悟が必要であろう。成果が上がれば今以上の収入も得るが、成果が無ければ現地で生活出来る最低生の収入で耐える覚悟がなければ、海外に出たいなどと言わない方が良い。条件を満たし海外に出たいなら、大手企業に残留し、辞令を得て赴任する道を志向すべきだ。

サラリーマンを長年続けて来た人が、市況が悪くなりリストラを行った先に、その報酬や待遇を維持し、発展的な仕事に取り組める場所などない。そんな場所が潤沢にあるなら、そもそも企業もレイオフなどしない。自社で利益が上がるような仕事を与え雇用を維持した方が、問題も少ない。

経験から培った技術は素晴らしい。しかし、仕事に対するスタンスを再構築しなければ、次の世界には進めない。事業家として長年過ごして来た私からすれば、生活出来る最低限の報酬があり、海外でチャレンジングなビジネスに取り組めるなら、全く過酷には感じない。逆に、なんて厚遇なのだろうと思ってします。まあ、サラリーマン的な観点からすれば、この面に関して私の基準が低いのは重々理解している。

現実問題として、この様に成果にコミットするというスタンスが取れるなら、経験を積んだ高齢の人材が、再度活躍する場は海外にも多く存在する。これからも増え続けるだろう。リソースが国を越えクロスしていくだろう。

日本で作られた化粧品や一部の食品は海外で人気なのだという。日本製品の品質、安全性は高い評価得ている。よって、日本から新興国に輸出される製品も十分ある。製品も国を越えて行き来する。

マーケットもリソースも交差する中で、自らの立ち位置を見失わず、過去にも囚われず、ビジネスを展開する力が、我々日本人には求められているのかもしれない。

2010年06月24日 10:49

ワールドカップ

最近は夜な夜なワールドカップを観て寝不足気味の諸兄も多かろう。私が幼少の頃は、ビデオも普及しておらず、サッカー人気もさほどでは無かったので、海外のハイレベルな試合を観る機会がなかなか無かった。眠い目をこすって、マラドーナの活躍に熱狂した幼少時代が懐かしい。

今大会では欧州勢が低調である。世代の変わり目か、たまたまなのか分からないが、本来の実力が発揮されていない様に見える。逆に韓国、ウルグアイなどが面白い試合を展開している。日本も決勝トーナメントに駒を進め、一波乱起こしたいところだ。

hws100624_a.jpg全般的に感じるのは、勝つことを義務づけられた強豪国は、その呪縛故に本来の強さを発揮出来ないと言うことだ。負けて当然、勝ったら大殊勲という小国の方が試合展開に迫力がある。かつて小国は大舞台に呑まれる傾向が強かったが、メディアの進歩や、グローバル化により世界の一線を経験した選手が各国にいるので、無駄に萎縮せず相手に挑めるのだろう。

決勝トーナメントに入れば星勘定は必要無いので、古豪達のアグレッシブで面白い試合を期待したい。

ビジネスの世界でも、この二十年の間に小企業、泡沫ベンチャー達が、ネットという飛び道具を使い大手には実現出来ない価値を生み出し、一時代を築いた。過去の呪縛を一切持たないベンチャーにとって環境の変化は好機だ。負担やリスクは少なく、逆に事業機会を得る事が多かった。

自分達が小国であるという自覚と、それ故にリスクを冒してでも新しい領域に挑もうというスピリッツが、多くのネットベンチャーの根底にはあったはずだ。多くのストックを有する大手企業は、過去に縛られ、ステークスホルダーに縛られ、潤沢な経営資源を攻めに使えず、新しい産業において中軸たる動きが出来なかった。

HWSは言うまでもなく、一切のストックを持たないベンチャーである。エンジニアの革新を標榜するが、その過程において業態の進化が必須となる。

hws100624_b.jpg我々が歩むシステム開発の分野は9割以上が500人以下の中小企業によって形成されている。当然、SEも大手に所属し、ピラミッド構造の頂点に立つのはごく一部だ。9割を超す大多数のSEは中小企業に所属している。当然、累々と自社が積み重ねてきた既得権益を期待して生涯設計が出来る立場にはない。直接的な生産性を実現しなければ、企業にも社会にも居場所が無くなる。

ピラミッド構造の途中に位置し、付加価値の低い業務に終始しては、当然だがSEの未来は暗い。積み重ねた経験、知識、技術を武器に業態の変化に挑戦しなければならない。その道は何通りもあるので、各企業、各SEによって選択は違うだろう。共通して言える事は、業態を変えねば生涯にわたり所得を上げ続ける事も、職を確保する事も、物理的に不可能だと言うことだ。

業態を変えるには、新たな領域に踏み込まなければならない。理論や分析を持って、未知の世界に歩みを進めるのは不可能だ。必要なのは、チャレンジャースピリッツのみだ。当然、出来る限りのリスクヘッジや営業上の手当はするだろうが、新しい領域でビジネスが展開された時に予想通り事が運ぶとは思えない。理屈で言うなら、未知の領域に行くなと言う結論しか導けない。今の業態で堅く稼いで、多少じり貧になろうとも、何とか粛々と事業を継続するのが賢い選択だ。だから、馬鹿にならねばベンチャーとしてチャレンジャブルな領域に踏み込めないのだ。

しかし、このチャレンジをしないなら、そもそも起業などすべきではない。ベンチャーに所属するべきではない。危険を冒さない事を是とするなら、もっと賢い生き方がある。

hws100624_c.jpg今期、HWSでも業態を変化すべくいくつかの取り組みをしている。局地戦では成果が出つつあるモデルもあるが、会社を覆うほどではない。一年かけて、局地戦から全面展開へと移行させる予定だ。SEの新たな可能性を、世に示すのがHWSの義務であり存在意義なのだから、自らの存在をかけ前へ進まなければならない。

業態を変えると言っても、何かしらのアプリやサービスを一発当てて、それで食っていこうと言う発想はない。一発当てて生涯食っていけるほどの事業など、そうはない。個別のサービスや製品の話しではなく、業態自体を変える事が必要だ。

残念ながら、HWSは日本中から優秀な頭脳を集めた集団ではない。賢さで日本一まで駆け上がる自信はない。ただし、日本一馬鹿集団になら、なれる可能性はある。日本一、馬鹿なSE集団ならば、多くの先行者が危惧した領域に踏み込めるのではないか。技術を磨き、強固な組織を作り、ビジネススキルを駆使する、日本一馬鹿なSE集団が新たなビジネスに挑む姿を見てみたいと心から思っている。

2010年06月22日 17:47

瑞々しく

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先週末に6月度社員総会があった。しゃべりたい人間が多すぎたせいか、時間が押し気味でプログラムのいくつかは割愛された。その後、2011年に入社が確定したメンバーの決意表明もあり、かなりの盛り上がりを見せた。

ベトナム研修の報告、中国関連の勉強会立ち上げ宣言、販促EXPOの協力要請など。会社の行事だからと、義務的に行われた発表は皆無であり、発表者が主体的に仕掛けているので、聞いていて気持ちが良い。

事業体が前進しているどうかの指標はいくつかある。それは売上であったり社員数の増大であったりするが、人材の成長とエネルギーを感じたときに、事業の推進を強く感じる。特にHWSは、何かしらのビジネスモデルを当てる為に創設したのではなく、エンジニア像の変革を実現すべく立ち上げた組織なので、人材の革新なかりせば存在価値がない。

時間と共に人が育つとは限らない。逆に時間が経てば経つほど、人材が劣化するケースの方が多いのではと思う。

人材の価値はいくつもの要素によって形成される。経験値、知識、技能、バイタリティ、人格、その他諸々の要素によって成り立つ。歳月を重ねれば経験値は上がろう。しかし、同時にバイタリティを失い、人格が歪む者も多い。プラス・マイナスで考えた時に、得たものより失ったものが大きいケースが多い。私はこれを人材の劣化と見る。

hws100623_c.jpg経験を語り自分の価値を訴える人材もいる。知識の量を主張し己の価値を誇る人材もいる。逆に新卒などは、情熱だけは負けませんと主張する。ビジネスの世界で伸長したければ、情熱は持っていて当たり前なので、それを主張する事自体が間違っているのだが、他に知的資産の無い新卒なら多少は大目に見てあげるべきか。

それなりに長い社会人生活を送ると経験ばかり豊富で、仕事に情熱を持たない中途半端な人材が出来上がる。意識して自分の知的レベルも、ビジネス・スキルも研いていかないと、努力する後発者に生産性で負けかねない。何よりも常に上のステップ、難しい領域、心躍る未来にチャレンジしていなければ、精神の瑞々しさは消える。瑞々しさが消えた人間が、心躍るようなビジネスを生み出すとも思えない。

多くのストックに守られた大手企業の中で、自分の立場や生活を守るだけなら、瑞々しさは必要ないかもしれない。しかし、ベンチャーに身を置き、ベンチャーという生き様を全うするなら、精神の張りを失ってはいけない。

私がHWSを見るときにも、いくつかの観点がある。技術の蓄積や開発実績もビジネスの根幹なので大事だ。ただ総合的に人材が劣化しなければ、いずれ何かを彼らが生み出すと言う確信もある。

心の瑞々しさやバイタリティは、無駄な動きに現れる。効率を追求したときに、人間は面白みある行動を取らない。「やり過ぎてしまう」「勢い余って」という様な挙動がビジネスの世界で見受けられるのは、ある一面から見れば無駄であるし、別の一面から見れば溢れ出たエネルギーの吐露であろう。

効率を追求するなら、先行した基幹企業群に追いつくのは無理だ。局地的な効率で勝てたとしても、圧倒的な規模の優位性を後発が脅かすことは出来ない。我々は全く違う切り口からビジネスを仕掛け、リスクヘッジや効率という概念の及ばない領域に身を進めなければ勝機を得られない。

だから私は人材の劣化を見張る。人材の劣化に危機を覚える。今あるビジネスを守る為に必要なレベルをメンバーには要求しない。私が要求するのは、エンジニアを革新させ、新たなビジネスを生み出すレベルの人材像だ。そのレベルの技術と、強烈なバイタリティだ。

HWSとしての基本的な方向付け私が行うが、一線を超えた人材は誰かが育てるものではない。自らの意志で、自ら育つものだ。強い信念を持ち、過酷な要求に応え、尚かつバイタリティを発揮する仲間の姿を見る度に、誇りを感じ将来の発展を確信する。歩みの進みを確信する。

2010年06月15日 11:10

人材採用の潮流

今朝の日経新聞によると、大手各社は海外で幹部候補を大量採用するとのことだ。パナソニックで前年度比50%増の1100人。ファーストリテイリング300人。東洋エンジニアリング170人。労働力確保と言うよりは、新興国市場の開拓に備え現地幹部の採用育成が目的だろう。

人材のグローバル化は急速に進みつつある。海外の人材というと、地方の工場勤務や看護師など担い手の少ない労働力確保が話題になるが、実際は付加価値の高い管理層の採用も着々と進んでいる。

以前にも書いたが、私の友人が経営しているカンボジアの企業では、四カ国語を操り、市場分析なども日本のコンサル並に行える人材を3万円/月程度で雇用している。友人の弁では、日本で大手コンサルティング・ファームに就業している大多数のコンサルタントよりも、提出されるレポートの質は高いと言う。英語ベースなら日本人を雇う経済的合理性が見あたらない。

この手の人材が、新興国にはゴロゴロいる。国力が弱いので、この程度の能力では、多くの報酬は得られないが、実質的な生産性は十分高い。この人材群と日本の中堅層の人材は今後比較されることになる。これはグローバル化がもたらす一面でもある。

かつての日本であれば、内需にぶら下がり自分の職を決め、生涯プランを立てれば良かった。日本という箱庭の中で相対的に抜きんでれば安定と豊かさが手に入るので、箱庭のルールに則り受験をし、安定した企業を選定をすれば勝ち組となった。

今、そのルールや常識が壊れようとしている。日本経済は依然として一定の強さを持っているが、成長性は弱い。それに比べアジアには新興市場の台頭が目覚ましい。自然、日系大手各社を中心にマーケットもリソースも海外へシフトせざるを得ない。人的リソースに関して言えば、海外へシフトというと付加価値の低い分野をイメージしがちだが、現在はその状況も変わっている。いずれは企業の経営層も部分的にはアジアから登用した人間が担って行くだろう。

我々の世代や、特に我々の次の世代はこの流れの中で職を確保し、自分の未来を組み立てなければならないのだ。ある意味気の毒だが、状況の変化は世の常なので対応しなければならない。

四カ国語を操り、コンサルの出来る月給3万円の人材と競合し、職を確保する自信が持てる日本人がどれだけいるだろうか。若い世代になればなるほど、この競争はフラットな環境の中で行われる。

恐らく、一定水準以上の高度人材は、どの国でもどの時代でもそれなりの職を得て豊かに生きるだろう。日本人でも群を抜いて優秀な連中はいるので、彼らがグローバル化の中で著しく領土を狭めることはない。問題なのは特殊技能もなく、取り立てて主張できる実績もない中間以下の人材群だ。初期段階では、この階層と新興国の優秀な階層との競合となろう。

能力は然りだが、努力する力、成果に対する執着心などメンタルな基盤でも多くの日本人は、新興国の人材群に太刀打ち出来ないはずだ。

国家の繁栄は一部のエリート層によって作られる訳ではない。産業の付加価値は、その業界に関わる全ての人員の品質によって担保される。総合的な労働力の品質が良く、高い生産性を実現したのがかつての日本だ。

日本人の大部分を占める中間層的な人材が、活躍する道を無くしたときは、彼らの生活が危うくなるだけではない。当然、日本の国力、国際的競争力の衰退に繋がる。この危機感は他国でビジネスを仕掛ける度に強く感じる。

素直で努力を惜しまない人材がアジア中に溢れている。地頭が良く、その上でアグレッシブに成長を目指す人材がいくらでもる。日本でちょっと優秀な人間はアグレッシブさを欠く。既存の社会構造が変わらなければ、それは賢い生き方だろうが、世界が変わる中で保守的に生きる事は決して良い選択ではない。

日本に帰ってきて、多くの大人しい賢い人材を見る度に、私は現実を認識する。本来立派な大人として未来に向けて、学問を修めなければならない大学時代に、大した努力もできず遊びに流される幼稚な若者を見る度に、危機感が募る。

彼らが戦う相手は、それぞれの国で牙を研いでいる。いずれ時期が来て、実力のままに戦える時を心待ちにしている。今は国力の差によって生じている格差が、グローバル化の中でいずれ埋まることを予期し、日々の努力を積み重ねている。

HWSはSE達に対し警鐘を鳴らし、将来のオプションを示すべく存在している。SEのみならず、未来の日本を背負う多くの方々が、何らかのヒントを得る為に前線で身体を張りビジネスを展開するのが我々の存在価値なのだろう。

グローバル化を止める必要はない。これは、世界が前進していく流れなのだ。日本の都合は関係ない。目線を外に向け、グローバル化を受け入れ、世界に価値を発信できる日本でいなければならない。その為に、ベンチャーが背負うべき役割は必ずある。大手では背負えない分野が必ずある。その領域を狙い、HWSはひたすら前進するのみだ。

2010年06月14日 14:28

成長を担う人材とは

この項では人材について考えてみる。良い人材、悪い人材の差異はどこにあるのか。様々な視点はあろうが、今回はある種のバランス感について書きたい。

HWSは設立から五年が経とうとしている。まだまだ駈け出しのヒヨッコ企業に過ぎないが、チャレンジした分だけの経験はある。振り返れば出来た事、出来なかった事が両方ともある。

私一人から事業をスタートしたときは、当然ではあるが何も揃っていなかった。人材、資金、設備、実績など、事業に使うべき全てがそろっていなかった。そこから一つ一つ必要な事を積み重ね現在に至る。

何も無いときは、当然だが「あれがあれば・・・、これがあれば・・・」と頭を過ぎる。それは無い物ねだりなのだが、先行する競合他社は、当たり前のように揃えている経営資源を後発の我々は有しない。同じ成果を出すためには、何倍もの創意工夫が必要となる。その創意工夫が後の発展に繋がるので必要な経緯ではあるが、困っている瞬間は余裕が無いので、不満の一つも言いたくなるのが人情だ。

過去を振り返ると、色々なメンバーが問題提議をしてきた。「会社はこの部分が足りない」「会社はこの部分を改善すべきだ」と言う主張だ。

この手の提案はそれなりに多く有ったが、私が取り上げる場合と聞き流す場合がある。

聞き流すのは、当事者意識なく騒いでいるだけの提言に対してだ。まあ、提言とも呼べない戯れ言と言い換えても良い。所詮、立ち上げたばかりの零細ベンチャーなど、制度も資金も人材も穴だらけだ。どんな馬鹿でも、企業の粗を見つける事など簡単だ。その粗を指し、「ここが駄目だと」騒ぐ人間に対応する意味がない。未熟な人間にでも分かる事を、鬼の首を取ったように話す相手に対応するのは疲れる。それが徒労だとよく分かっているからだ。

私が取り上げるのは、本人が本当に問題意識を持ち改善を考えているときだ。この場合、提言する人は、問題を自らの課題として改善への具体案を持っている。その具体案の正誤はあろうが、自分の手で何とかしようと思っている。その課題解決を自分のタスクだと定めているのだ。当然、何かしらのアクションを起こす。

この意見は聞き流さない。しかし、根本的な改善を実現するには時間がかかる事も多いので、その取り組みは長期に渡る可能性もある。執着し、腰を据えて取り組まなければ改善されないのだ。粘り強く、根本的な改善に取り組める人間は少ない。その価値を理解し、実践出来る人間は希少だ。

私の中で、現在のHWSは理想には程遠い。未だに粗だらけだ。当然、改善すべき課題はいくつもあるし、その為の取り組みもしている。しかし、騒がさないし焦りもしない。今実現出来ていないことは、致命的な問題ではない。一つずつ改善すべき課題だ。それが致命的な問題だとしたら、そもそもHWSなど成立していない。そもそも、立ち上がらなかったであろう。

だから、この五年間をかけ一つずつ理想に近づけてはいる。この段階で成否は論じるに値しない。成せた事と、成す途中の事があるのみだ。

企業を成長させる為には、問題意識は必要だろう。ベンチャーとして急激な成長を実現するのであれば、時にリスクを冒しチャレンジすることもある。その時には、チャレンジすべき課題を声高に叫び、組織全体の方向を一致させるのも必要だ。

意識的にアグレッシブに事を起こす。長期に渡りしぶとく変革を狙う。

この両面が、企業の成長には必要なのだ。このバランスを理解し、提言できる人間は間違い無く優秀であり、組織に必要な人材だ。

「長期に渡り粘り強く」に傾倒すると、時にチャレンジャースピリットを無くす。チャレンジするエネルギーを無くしてします。「今すぐに事を起こし変革する」に傾倒すると、粘り強く地力を上げていく事が出来ない。

だからこそ、状況や、事の本質を判断し、正しい態度を取れる人材は優秀なのだ。

このバランスを見失わない為のキーワードは当事者意識であろう。最終的にこの課題を解決する責務は自分であると決めれば、正しい態度が取れる。時間がかかる課題には、適切に騒がず処置が出来るし、今すぐ変革が必要な課題には、自らが身体を張り断行することも出来る。

最終的に問題を解決する責任者という意識があれば、幼稚に騒ぐこともなく、途中で飽きることも折れることもない。

HWSのみならず、この様な人材で組織を満たせば、必ず企業は前進する。現況から下降せず、理想に向けて歩みを進められるはずだ。

多くの読者は自分の発言と行動を振り返って欲しい。バランスを欠いた発言は自分の価値を落とすだけだ。バランスを取るためには、バランスを取ろうとするよりも、当事者たる覚悟に磨きをかけることだ。

2010年06月11日 12:16

弁護

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先日、HWSの顧問弁護士のスピーチを聞く機会があった。普段は飄々としているのだが、仕事に対しては職業人として強い思い入れと自信があり、尊敬出来る仲間でもある。そのスピーチの中で話していた内容を二点ほど書きたい。

一つは弁護に対する姿勢の話だ。ドラマとかを見ていると、有罪無罪を争うような裁判で、格好良く答弁をする弁護士の姿が描かれている。しかし、実際は有罪無罪を争うようなケースも少なく、多くの弁護士はその様な裁判を嫌がるという。ほとんどは、被告が罪を認めた上で刑を軽くするような裁判らしい。

罪を認めた被告の情状酌量を求める時は、当然「被告は反省しているので、少し考慮してくれないか。」となる。この前提で、弁護士として被告と被害者の間に立ち和解を進めたり、また法廷において主張するには、自分自身が「被告は心から反省している」と確信しなければ駄目だとのことだ。弁護はビジネスだが、お金さえもらえば何でもするわけではない。社会的な正義の無いところで、職務は全う出来ない。

よって、もし被告が心から反省している様に見えなければ、本人がどれだけ大変な事をしでかしたのか、被害者だけではなく、自分の家族や親族がどんな負担を背負うのかを切々と説き、泣いて心から悔いるまで詰めると言うことだ。そして、被告が心から反省していると実感できれば、「被告は心から反省をしているので・・」を心の核として、プロとして弁護活動に注力する。

hws0613_b.jpg弁護士は何気なく話していたが、これを徹底する弁護士はさほど多くないのではと思う。分かっていない人間に何かしらを分からせるのには多大なる労力がいる。その労力をかけるなら、本人は反省していると言うことにして、事務的に法廷をこなしていった方が得策であろう。勝ち負けを争うと言うよりは、上手い落としどころを見つけるのが目的となる多くの裁判では、それで十分仕事になるはずだ。ただし、クライアントの為に最高の結果を導こうと思えば、自分自身の気持ちを腑に落とさねば強い主張も出来ない。また、長い人生を通して弁護士業に取り組むには、自分の仕事に対する正義感を燃やさねば、心が保たないだろう。

もう一つ言われていたのは、裁判に勝つ秘訣みたいなものだ。

その弁護士が、仕事を始めるときに先輩からアドバイスされたのは、「準備が全てを制する。準備は才能や実力に勝る。」と言う内容だ。

私は今まで経営者として何人もの弁護士とお会いした。著作権に強かったり、刑事に強かったり、弁護士と一口に言っても、それぞれの専門分野がある。全てに秀でた弁護士はいない。

一つ一つの案件も、過去の判例に似たものはあるだろうが、微妙に状況は違う。多くの弁護士に意見を聞いたが、基本的に弁護士は相談しても勝ち負けを言わない。「余地がある」と言う。勝てる余地、負ける余地。交渉の余地。可能性と言い換えても良い。余地を示した上で戦略的なオプションを示してくれれば十分優秀な弁護士だ。最終的な方向性を決めるのは、経営者の仕事であり、弁護士は判断する立場にない。

最終的な判断をするにも、戦略を考えるにも多くの情報が必要だ。過去の成功に頼って一般論を教えてくれる人よりも、自分の知識は十分ではないと知り、必死に調査してくれる人の方が力になる。どんな権威のある先生に頼むより、頭の切れる優秀な先生に頼むより、依頼した案件に対して、労力を使い親身になって深く掘り下げてくれる人の方が力になるのだ。

商用の多くの裁判においては、上記の認識は正しいと確信している。弁護士に頼むと言う考え方は間違えだ。将として戦略を確定する為に、弁護士を能動的に使わなければ勝てる戦も勝てない。

だから、準備の量、勉強の量が背後に見える弁護士は信頼できる。そう思って弁護士とお付き合いしてきた私にとって、二つ目のスピーチ内容は身に染みた。また、弊社の顧問弁護士として、信頼を深めた。

上記の二点は、弁護士の世界だけの話ではない。ビジネスの世界にも通じる真理だ。真理は業種、職種を超える。自分が歩む業界に照らし合わせて一度考えて欲しい。

その弁護士とはかれこれ7~8年のお付き合いになるが、普段フランクにお付き合い頂いているだけに、改めて見直す機会となった。

2010年06月09日 10:28

燕雀いずくんぞ・・

今年で私も42歳になったが、時たま昔を振り返るときもある。私が昔を振り返るのは、HWSのメンバー達を眺めているときだ。私が彼らと同じ歳の時に何を想い、何を成すべく日々を過ごしたか。彼らの指導を考える度に、自分の歩みを見つめ直す。

私が大学を辞めたのは22年前の今頃の時期だ。お金も実績もなく、休みもなく毎日倒れるように眠りにつくまで仕事をしていた。睡眠2時間くらいと、身支度1時間程度がプライベートであり、それ以外は全て仕事であった。年間で休みは一日二日だったろう。当時乗っていたポンコツのディーゼル車を営業に使っていたが、4万キロの走行距離で買ったその車は一年後には10万キロを超えていた。

余りの睡眠不足と、成果に追われる日々のプレッシャーで流石に顔つきは憔悴仕切っており、当時の私を見かけた高校時代の友人は「何か変な薬でもやってんのかと思ったよ」と心配したそうだ。

車を運転していていも、一定のサイクルで意識が朦朧としてくる。その頃に会得したのは15分寝ると2時間運転できるという技。これは今も健在で、HWS取締役の疋田にこの技を披露した時には、ビックリすると同時に「便利っすねー」と羨ましがっていた。「じゃ、ねるよ」と言った瞬間に眠りに落ち、ほぼ15分程度で目覚め、その後は何事も無かったように運転できる。

時間が無いので、マニュアル車を運転しながら弁当を食べるのは日常だった。これも隣に載せた多くの人達は目を丸くしていた。最期には足で運転して両手を空けようか思ったが、危険すぎるので思いとどまった。まあ、20年以上前の話である。

何故、そこまで仕事に没頭するのか。

大学時代は楽しい事も沢山ある。そこそこ単位を取っておけば「学生」という社会的な地位もあるし、バイトで稼いだお金は自由に使える。激務に身を投じる必要もないし、ストレスもない。快適な状況だ。

それに比べて当時の私は、そこまで仕事をしながら成果も上がらず給料も出ないので、飯すらまともに食べられなかった。ノリ弁を買うなどもってのほかで、100円で熟れすぎたバナナを束で買ったり、パンの耳を頂いたりして食いつないでいた。いつの日か喫茶店でランチを食べるのが夢だった。

たまたま電車で乗り合わせた大学時代の友人が、夏休みに彼女と沖縄旅行に行くという。当時は沖縄に行ったことが無かったが、青い海や白い砂浜で彼女と遊ぶ友達の姿を思い浮かべ、羨ましく思ったものだ。

こんな私の話をすると、当時は馬鹿にする人と哀れむ人しかいなかった。その感情でしか私の行動を理解出来なかったのだと思う。大学を辞め、もう逃げ道も無かったので泣く泣く頑張ったという部分もあるが、前向きな話をすれば

「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」

の心境であった。

大志ある者は、その代償を払うべきだ。目指すゴールが違うのだから、払うべき代償も違って当然だという境地にはあった。

サッカーをやるにも、部活で良い思い出が得られれば良いのか、プロになりたいのかで払うべき代償は違う。プロになり大成したいなら、持てる時間全てを注ぎ込まなければならない。また、成否が分からないというリスクを背負いプロの世界に飛び込まなければならない。その代償が払えないなら、プロを目指さない方が良い。

仕事も同じだ。

目指す大志に向けて代償を払っている姿は、他者が理解できるものではないし、理解して欲しくもない。その代償は他者へのエクスキューズの為に払っているのではないのだ。大志が成された時にのみ、他者から理解されればそれで良い。

私が抱いた大志は、未だ近づいて来ない。恐らく、私が払うべき代償が十分でないのだろう。馬鹿にされ、哀れみを受けた二十代の私の時間は、まだ報われてはいない。報われるまでの仕事を私は成していない。

若いHWSのメンバーを見るときに、彼らの未来に想いを馳せる。彼らが抱く大志と、支払う代償を比べてみる。そして、彼らが生きる道を考える。

十分な代償を払っていない人間には、その事実を伝える。その上で大志を諦めるのか、完遂する為に何かを注ぎ込むのかは、本人しか決められない。

代償を払うのは苦しいが、大志を持って生きられる事の幸せには代え難い。自分の人生に意味と価値を感じて時を過ごせるなら、全てを注ぎ込んでも見返りはある。成否は人生が終焉を迎えたときにしか分からないが、大志を持つかどうかは今の話だ。大志を持って、誇りを持って人生を歩む事に価値を感じるなら、他者が何と言おうと己の志しに殉じて、生を全うするのみだろう。

2010年06月03日 09:46

10年ベトナム研修

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11年度新卒採用も完全に終了した。今月半ばからは、内定者研修に入る。厳しい戦いが始まるが、頑張って乗り越えて欲しい。内定者研修は、HWSを最強の組織へと作り上げるステップと理解し、自己の教育に留まらず、未来の企業文化を育む一翼を担っていると言う意識が必要だ。

先週、昨年度の内定者研修にてトップを取ったチームのメンバーを連れてベトナムに行った。昨年の新卒達はベトナム最大手のSIerを訪問して、パンチの効いたプレゼンをかましていた。余りにパンチが効いていて、エアコンがよく効いた部屋で冷や汗が止まらなかった事件は、記憶に新しい。

100603_b.jpg懲りずに10年新卒も、全くプレゼン内容もチェックせず、ぶっつけ本番でベトナムの関連会社(LTT社)及び、外部の企業一社でプレゼンを行わせた。HWSの教育や研修についてのプレゼンなのだが、最期は一緒に世界を変えるような仕事をしましょうというメッセージもあり、昨年よりもまとまりはあった。ただし、所々に笑いを意識した演出があり、滑りそうでハラハラした。これも私の感情を動かす演出か・・・。

今回はHWSとLTT社の連携を深める事をミッションとしての出張であった。具体的には以下の二点について討議した。一つは、ベトナムにおいて日本で普及しているウェブ・サービスを展開したいので、どんなサービスに取り組むべきで、それは技術的に可能かという内容。二つ目は、我々が仕様を固めて持って行ったandroid appli の企画を、技術的にどう対処して開発するのかという内容だった。

会議を仕切ったのは、新卒達と教育担当だった二年目の人間である。技術やマーケティングについて掘り下げなければ、会議の実りは得られない。また自分とは言語も文化も違う人達に対して発言させ、巻き込んでいかなければならない。難しい状況の中、よく三人で切り盛りしていた。貴重な体験なので、後に活かしてくれればと思う。

100603_c.jpg夜になってLTT社のメンバーとビアホイ(ビアホールみたいなもの)で一杯やる。新卒の野田の身体を張ったパフォーマンスがベトナム人にも相当うけていた。ベトナムでは恒例の一気合戦がここかしこで始まる。私は肝臓が保たないので、適当なところで避難した。若い奴らはその後カラオケに流れたらしい。ベトナム後と英語の曲しか無いので、歌はあまり歌えず、しょうがないので数時間踊り続けたと言っていた。

日本に帰ってからもスカイプやメールにてやり取りを続けているようだ。顔を知り、酒でも飲まないと、なかなか感情的に一緒に何かやろうという気分にはなれない。こいつらと一緒に仕事をしたいという気持ちは、仕事内容よりも優先する事もある。この辺の感情は世界共通だろう。

今回、ベトナムに興味があるという知り合いの経営者が二名ほど出張に同行した。よくある査察ツアー的な訪越よりも、実際ベトナムと連携してビジネスを進める前線を見せた方が質感のあるベトナムを味わえると思い、討議から酒宴までお付き合い頂いた。気がつくと、酒宴で若者に混じって一気をしていた。お歳を召しているのに流石である。

HWSの新卒達も、飛行機からホテルまで常に外部の経営者と一緒だったので、色々意見も頂き勉強になったのではと思う。

昨年の内定者研修で勝ち抜いた結果が、今回の経験に繋がっている。同じ様に10ヶ月にわたる研修をこなした同期の仲間達は、日本にて留守番だ。チャンスは平等だが、結果は平等ではない。抜きんでた人間が何かを得て、経験に差が生まれる。最期には能力の差も生まれる。

経験が人を造る。漫然と時間を浪費しても成長はないが、全力で何かに挑み勝利して成果を掴んだ経験は必ず結実する。

100603_d.jpg内定者研修に限った話ではない。内定者研修など、長い仕事人生で言えばアイドリングに過ぎない。本番はビジネスの前線に立った時だ。開発の現場で分からなかった事を家に帰ってから徹底して勉強するかどうか。面倒くさそうだが、誰かがやらなければいけないタスクを躊躇せず手を挙げて引き受けるかどうか。朝、会社に入ってくるときに大きな声で挨拶をしてみんなが気持ちよく仕事を出来る事を、自分の気分よりも優先させるかどうか。

色々な状況下で、抜きんでる動きをすれば、多くの業務が自分に降ってくる。その業務を必死に受けきれば、気がついた時は他者よりも前に進んでいるはずだ。楽という感情よりも、成長という理性を優先させられるなら、自分の可能性は一気に広がる。これは生き方の選択なので、自分で考えて決めるしかない。

私自身、抜きんでた才能があるわけではない。それでも経営者として企業を牽引しようと思うなら、後天的に実力を育むしかない。メンバー達が信頼を持って未来へ挑むに足る人間でなくてはならない。

そう思い、多くを引き受けて来た結果が今の自分であり、未来の自分なのであろう。

2010年06月01日 12:09

クラウド

昨日、日の丸クラウドについて議論する場があった。難しいのは技術的な要件ではなく、運用方法であるという。国家の大事な情報は、当然国内に置きたい。しかし、AmazonやGoogleの様に、大規模なデータセンターを使った方がコストメリットは生まれる。重要度を計り、指定のサーバーにデータを置くものと、ある程度幅をもってデータ保存を考えて良いものを選別しなければならない。その判断を誰が、どの様な手順で行うかが決まらない様だ。

100601_a.jpgクラウドの話とセットで必ずセキュリティの議論がある。クラウド推進論者からすれば、逆にセキュリティは強化できるし、それを言ってしまえば自社サーバーを立てたところでハックされることもあるでしょとなる。

自分の大事なデータが物理的にどのサーバーに収納されているかをリアルタイムで知れないと言うことには、ちょっと恐怖が伴う。理論ではなく、多分に感情的な問題でもあるのだが、この感情で人は動く。

モバイルもアプリを仕様する為のプロダクトから、クラウドを活用するためのインターフェイスに変わりつつある。androidもiphoneもネットとの連動で初めて価値を持つ。既に通話をする道具ではない。MSもそろそろ追随に力を入れてくるはずだ。

この流れの中で、もう一つ話題になるは、SEの絶対数が今までよりも少なくてすむのではないかという事だ。SIerもSEも今ほどの数は必要なく、国全体でクラウド化が進めば、この業界の人間は窮地に追い込まれると言う主張だ。

まあ、実際社会に必要無い存在なら、助成金などの保護によって延命させるよりも、ひと思いに潰した方が良い。それが嫌だと本気で思うなら、自分達の存在価値を生み出す為にリスクに挑戦し、汗を流さなければならない。そうやってクラウド化が進んだ社会において、居場所を産み出せばよい。これは、真剣勝負なので当然勝ち負けもある。

前時代の勝者が、その成功に縛られ次世代への動きが鈍るケースは多々ある。大企業ならば、過去の遺産を食いつぶしつつ一定の期間は存続が可能だが、財務基盤の弱いベンチャーなどは一発で消し飛ぶ。

ITの世界は他の産業に比べて時代の移り変わりが早い。大した成功もしていない小企業が、守りに入って生き残れる未来はない。

100601_b.jpg次世代において、SIerやSEのあり方が変わらなければならないのなら、その前線で身体を張るのはベンチャー企業であり、そこにいるSE達であろう。頼るべき過去の成功もなく、現在の体力も少ないベンチャーが駆使出来るのは、強い意志に支えられたチャレンジャースピリットだけだ。挑戦者としての自分を理解し、価値観が変わる時代には、進んで前線に身を投じるのだ。

クラウド化の流れは当面止まるまい。総務大臣が示した「原口ビジョンⅡ」を呼んでも、政府を挙げてクラウド環境の整備に力を入れて行くようだ。その中で、次世代に勝ち上がるSE像を各人がイメージし、果敢に変化に挑戦して欲しい。