会長ブログ(株式会社ヘッドウォータース代表取締役:篠田庸介)

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2010年07月29日 14:22

一歩

hws0730_a.jpg最近は仕事の関係もあり、iphone4とXPERIAを使い比べている。スマートフォン歴はそれなりに長いので、シンビアンからウインドウズ、アンドロイド、iOSと色々なOSも使ってみた。携帯としての完成度で言えば、やはりノキアが抜きんでていたので愛用していたが、iphone4を使って見ると流石に売れるだけの実力を持っている。

iphoneなどはブルートゥースで繋がるキーボードをセットで持ち歩くと、ほとんどノートPCも必要ないのではという快適さだ。文章入力とウェブブラウジングなら快適に行える。もうポメラは必要ないかもしれない。当分は楽しめそうだ。

話しは変わる。

hws0730_b.jpg先日、弊社の関連企業である東忠ヘッドウォータース社長の疋田と中国ビジネスについて話し合っていた。最近、日本国内の中国への投資熱や、中国マーケットに対する進出意欲は凄まじい。それに関連して「中国はこうだ!」と論じるにわか評論家やコンサルもタケノコのように現れている。まあ、大体が胡散臭い。

大手企業を中心に中国進出を検討していない方が少ないだろう。我々が提案に行った時にクライアント側が求めるのは常に、成功事例と実績である。

しかしながら日系企業が中国マーケットにて成功した事例などほとんど無いのが現状だ。局地的な勝利を誇張し、成功事例に仕立て上げている資料は多く出回っているが、ちょっと掘り下げると事実が見える。

コストをかけずに「ちょっとやってみる」と言うレベルなら良いが、本格的に収益を狙うなら、課題は山積している。

ぶっちゃけ、他社の成功事例を真似して、伸長する中国マーケットで一山当てようと言うスタンスに無理がある。成功事例が無いのだから、または過去の成功事例が使えないのだから、リアルタイムで噴出する課題に自ら対処し、事業を推進する覚悟を持たなければ駄目だ。

hws0730_c.jpg大手であればあるほど、社内調整に手間がかかるので、説得材料としての事例は必要だろうが、ベンチャー的な感覚で言えば情報や事例は走りながら集めろとなる。身体を張って戦う中で経験を積みあげろとなるのだ。今の中国には、このスピード感が必要なのだろう。しかし、これは多くの日系企業が失ってしまったものかもしれない。

ベトナムでもカンボジアでも、韓国企業、中国企業の台頭は目覚ましい。彼らの最大の武器は決裁スピードが圧倒的に速いことだ。進出も撤退も風の様に行う。

カンボジアで日本の投資により建設中の橋を見せてもらった。メコンにかかる重要な橋なのだが、何故か作りかけの橋の横に完成された橋が架かっている。「二本も橋はいらないでしょ?」と質問してみると、既に架かっている橋は中国資本で建設されたものだという。日本が計画を煮詰めている間に、中国はササッと橋の建設を決定し開始し完成させてしまったのだ。日本資本の橋はまだ一年以上の工期が必要らしい。笑えない話しだ。

この一事も見ても分かるように、決定スピード、実行スピードでは勝負にならない。確かに、橋の品質では日本の方が上かも知れない。慎重に計画を立てることによって、リスクヘッジがなされるかもしれない。しかし、膨張する市場において価値を持つのはスピードの方だ。

先日、中国人経営者の友人と話しをしていた時に、中国マーケットの話題となった。彼自身は冷静に現状を認識していた。彼曰く、「かつて日本がたどった道を中国はより早い速度で進んでいるだけであり、いずれ飽和を迎える。そして、その時期は意外に近い。」との事だ。下手をしたら10年、長くても20年もあれば順調に中国が成長したとしても、飽和を迎える。その僅かな時間に勝利を掴み、日本の巨大企業群の様なポジションを掴まなければ、グローバルな企業は創れないという焦燥感を、彼自身は強くもっている様だ。必要なのはスピードだ。一歩を先に踏み出さなければならない。

多くの企業が慎重に、中国進出を検討している間に、着々と市場を獲得している企業群がある。中国国内の企業は当然だが、欧米からも多くの企業が進出している。ワールドワイドな戦いである。

成功事例と情報量で勝負が決まるなら、我々の様なベンチャーが出る幕はない。しかし、勇気を振り絞って一歩を踏み出すことが勝敗を分けるなら、そこに勝機がある。逆に我々より早い決裁スピードを持っている大手企業もあるまい。

hws0730_d.jpg先んじる一歩が重要なのは、誰しも理解しているところだ。それでも一歩が踏み出せないのは、混沌さ故である。不確定要素が折り重なっているかである。それが無ければ誰でも踏み出している。

これは中国マーケットに進出の話しに留まらない。今の日本で生きる多くの社会人にも同じ事が言えるのではないか。

現状の忙しさや、現状の体制に不満を並べても未来は変わらない。今現在、閉塞感を抱いている多くの社会人に当てはまると思うが、現状を打破するにはあえて一歩を踏み出すしかない。あらゆる言い訳を放棄し、ただ一歩を踏み出すしかない。資金が無い事も、リスクも、多忙さも、全てを受け入れた上で一歩を踏み出すしかないのだ。

難しい話しは抜きだ。「一歩」が出せれば、未来は己の手中にある。

2010年07月27日 14:13

いま起こっていること

日経新聞によると、ソニーが6月までの四半期で黒字が確定したようだ。他の大手メーカーも軒並み営業黒字となっている。業績回復と言うよりは、徹底したコストカットが功を奏した感じだ。当然、カットされた側の痛みは和らいではいない。現状における各企業の最適化は図られた形だが、社会的には未だ山積した課題がある。

現状我々が直面しているのは、不況ではなく社会的な構造変化の過渡期だと認識している。当然、前時代に強かったモデルが必ずしも未来にも競争力を持つ訳ではない。変化に対応した者が生き残るのだ。

昨日、知り合いの会社を訪問した。その会社では、以前からミャンマーに進出し、日本語とシステム開発の教育を行っている。このブログにも、書いたことがある。

社内を見学させてもらうと、ミャンマー人だけの島があり、システムの設計を行っていた。聞いた話しでは、上流工程はリーダークラスが日本で行い、実際のコーディングはミャンマーで行うという。品質的にも日本人が行った設計と遜色が無い上に、彼らは英語と日本語をかなり流ちょうに話す。しかも人件費は日本人の1/10程度ではないか。

この様な内容はブログで頻繁に書く。それは業界全体に、特に若いエンジニア達に警鐘を鳴らしたいからだ。実際、現実を目の当たりにすると感じるものが大きいが、人づてに聞いても、どこか人ごとの様にとらえてしまう。色々な事を運良く目の当たりにしている私は、出来るだけ臨場感を込めて事実を伝える義務がある。

ミャンマー語の文法と日本語の文法は似ている。彼らの日本語習得は非常に早い。2年で日本語検定2級程度は取得する。

先週はベトナムの関連会社で打合せを行った。いくつかのプロジェクトの状況を見ると、クライアント側が英語で適切に対応出来るプロジェクトは予定通り回っている。クライアント側が英語でミーティングしたり、開発に対して適切に指示を出せないプロジェクトは工期が遅れたり当初のイメージとアウトプットが違うケースが多い。

オフショア開発は、もはやベトナムがどうとか中国がどうとか言っていて良い段階ではない。問われているのは、オフショア先云々ではなく、クライアントサイドの海外を使う能力であろう。

英語対応出来ないベンダーはいずれ高コストにより収益性が破綻するだろう。英語対応できないクライアントも、やはりシステムにおけるコストの低減が困難になる。相対的に業界内での競争力は削がれる。

圧倒的な付加価値を生み出し、高コストを上回る収益を確保できるなら良いが、そんなソフトベンダーなど、一握りに過ぎない。日本側にも必要な開発は残るだろうが、それは付加価値の高い部分なので、現在SEと名乗っているほとんど人材は対応出来ないだろう。コスト競争になれば、日本人の半分以下の人件費で日本語を駆使し開発を行うミャンマーや中国の人材には勝てない。ポテンシャル的には、多くの開発現場において、彼らは上流工程にも十分対応出来る。

この事が良いか悪いかを論じること自体がナンセンスだ。構造が変わったのだ、対応しなければ座して死を待つ以外にない。これが世の常だ。

日本語は難しいので、多くの国のSEが習得するとは思わない。また、そんなに多くの国のエンジニアが日本語を覚えても、日本市場がこれ以上広がる様にも思えない。

例えば、ミャンマーの人材が安く日本語対応も可能で、更に英語も使えるなら、投入する場面は日本とミャンマーのブリッジに留まるものではない。

日本国内で、日本語を使い要件を詰め、ベトナムに渡り英語で開発を指示する。こんなスキームも可能だ。今までオフショア開発というと「ブリッジSE」という高価で、希少な人員を投入しなければ成功がおぼつかないと思われてきた。しかし、そのブリッジさえも対応できる人材が少しずつ近隣に育っている。上流から下流まで、徹底してコストを落とし、一定の品質を確保できる時代がすぐそこまで来ている。

未だに、どの国は良いか悪いかという議論をしている諸兄がいるなら、相当自分の認識は遅れていると思った方が良い。良いか悪いかではない。求められているいのは、それぞれの国の特性をどの様に使い、組合せ価値を生み出すかなのだ。各国の評論などいくら聞いても、何の生産性もない。

以前、菅総理が台湾の法人税が減税されたのを聞き、「そんな値引き合戦みたいな事をされては困る。」と言うようなコメントをしていた。(記憶によるので、多少ニュアンスは違うかもしれない)企業も国民も、国を選ぶ時代になりつつある。国家が規制を駆使し、税金を回収していれば良かった時代から構造が変わり、より多くの人や企業を惹き付けるフィールド作りが政治家には求められている。競争が生まれれば、ごまかしは効かない。より良い所に人が集まるだけだ。

これも善し悪しではない。構造が変わりつつあるのだ。日本政府は他国と適正な競争をし、良いビジネスフィールドを国内に構築しなければならない。政治家はこの事を理解し国政に当たるべきだろう。もう時間的な猶予も少ない。失敗すれば、優秀な企業から順番にこの国を去らざるを得ない。

構造の変化、時代の変化を受け入れ、過去と決別し新たな価値を生み出す。業界の変化を受け入れる。国際関係の変化も受け入れる。事実は事実として受け入れる勇気を持つ。その上で、自分が信じた道を力強く歩いて行く。それが今我々に求められている事であり、我々が幸せなビジネス人生を送る道である。

2010年07月26日 16:29

一致

仕事において本質的に幸せになる方法は一つしかない。それは全てのベクトルを矛盾無く一致させる事だ。

仕事に本気で取り組んでいる諸兄なら、事業や業務における理想像をお持ちだろう。自分の理想と所属する企業の未来が一致しているなら、業務において迷いはないはずだ。仕事が時に苦しいのは仕方ないが、理想へ向かって困難に立ち向かうのは必要かつ自然なストレスである。

家庭の幸せや理想と仕事での成功を一致させる。ビジネスに対する自らの理想と、組織のビジョンを一致させる。自分の成長と中前の貢献を一致させる。

高いレベルでこれらの全てが最終的に一致している事が得心できていれば、考えることは色々あるだろうが、迷う必要はない。迷わなければひたすら前進に労力を注ぎこめる。少なくとも迷わなければ、後悔のない人生が送れるはずだ。

この「一致」を実現するのは簡単ではない。自分の理想が明確ではない人間が一致する企業を見つけられる訳が無い。一致を実現するには、先ず自分が無くては駄目だ。毎年、就活生が就職先を迷っている姿を見かけるが、それに対するアドバイスは「企業を分析する前に自分の生き方を決めよ。」となる。自分の哲学がなく、理想も無いのに合致する企業が分かるはずが無い。論理として成立しない。

たとえ自分の理想があったとしても、実は素のままで企業のビジョンとそれは一致しない。組織に所属し、組織の一員となり、その組織に影響を与えて少しずつ一致を実現しなければならない。自分が時間と労力を使い、組織の繁栄に寄与しなければ、組織の理想と個人の理想は近づいていこないものだ。その意味では、個人の努力や貢献を覚悟しなければ、やはり期待する「一致」は得られない。ここが難しいところだ。就活生が現時点で理想の組織を探す行為自体がナンセンスでもある。多くの社会人も、所属後にその組織の発展に貢献する中で、自分の意志を少しずつ組織に練りこんでいってこそ理想が得られると理解すべきだろう。

つまり一致を実現するには、自分の意志と行動が求められる。しかも高いレベルで求められる。一般論に流されて生きていて、得られる境地ではない。誰かが与ええてくれるものでもない。自分の頭で考え抜き、実際の行動まで落とし込まなければ実現できない。

私が仕事を始めてから二十年を超える。仕事に関しては上手く行かなかった事の方が多かったが、常に幸せであった。今ある自分を理解し、一致の境地にて時間を過ごして来たからだろう。未来に対しても迷いは無い。誰にも予測しえない未来に対して迷う必要も無い。

自分の哲学と意思に従い、全てのベクトルをあわせひたすら歩み続けるのみである。

2010年07月21日 10:26

意志はあるか?

ビジネスを生み出す人間と、それが無理な人間との差異はいくつかあるが、根本的な違いは意志の有無であろう。恐らく多くの社会人は、「好きな仕事をしていいよ」と言われても戸惑うはずだ。理由は二つ、自発的な意志を求められること自体が日常的でないのと、意志を発したときに付随する責任を背負う覚悟がないからだ。

20100721_a.jpg人生は様々な選択によって成り立っているが、何かを主体的に行いたいという積極的な選択もあれば、相対的にこちらにしようという消極的な選択もある。当然だが、積極的な選択をしたほうが湧き上がるエネルギー量は多い。

先日、社内の総会にて木村事業部長が締めのスピーチをした。最近は私がスピーチをする機会は減っている。意識的に減らしてもいるし、メンバー達が成長し私自身が特別話すべき事も以前よりは少ない。

木村事業部では、今期に入り新しい取り組みをいくつかしている。その中で芽が出るもの出ないものがあるだろうが、いずれにしろその経験は後に生きる。自分が事業を構想するときに、蓄積した経験がリアリティを生む。また戦略上のオプションとなる。よって、何にしろ動いてみることが必要だ。特に二十代三十代は、多少のミスは取り返しが効く。何かをやる意志を持ち、動かなければ駄目なのだ。

木村事業部長の締めのスピーチの中核は、「ある意味、会社がとか事業部がとかではなく、自分自身が意志を持ち夢を持ち、事業に挑戦しなければ駄目だ。」と言うこと。会社のビジョンがあり、HWSという組織が基盤ではあるが、そのビジョンの達成と個人が主体的に事業に取り組む事は、基本的に同じ方向を向いていて然るべきだ。これについては次項にて詳しく述べる。

20100721_b.jpg私自身は先ず事業部の戦略を全員で達成し、しかる後に各人の夢を実現せよと話しているが、木村事業部長の話は一足飛びに「しかる後」の方を強く訴えている。私が「現状ならこの辺の認識をメンバーがもってくれたら・・・」と思っている先を要求している分だけ、厳しくも心強い。一足飛びでいけるなら、願ったりだが、メンバー一人一人にはより高い意識レベルが要求される。しかし、HWSが短期に偉大な企業へと勇躍するには、木村事業部長の要求の方が正しいだろう。

リスクと労力を覚悟しチャレンジするなら、HWSにおいてはメンバーが取り組めない事業は無い。基本的にはITの分野を軸とするので、それに沿い公序良俗に反しないなら一切の規制はない。

エンジニアがビジネスに取り組むとは、技術をないがしろにして営業や企画をやれと言う事ではない。自分の枠を広げて、もっと自由に技術の可能性を構想し実現せよと言うことだ。その為に必要な地力をつけるために若年の内からビジネス全般を見渡して、日々の業務に取り組めと要求しているのだ。

こんなHWSではあるが、まだまだ独自に構想したビジネスを発信するメンバーは少ない。世の中の常識としては、普段からビジネスを構想している人間の方が少く普通なので、努力して普通を超えるには相当の意志力が必要だ。漫然と生きれば、常識の範疇で過ごすしかない。

HWSには「俺は何としてもこの事業をやりたい」と言えば、事業部長も会社も全力で支援する風土はある。しかし、本当に「何としても」なのかは問われるところだ。その事業をスタートする為に、どれだけの代償を覚悟しているのか、どれだけの動きが出来るのかで本気度合いは問われる。それが思い付きや勢いでの提案なら、経験にもならなければ実現も不可能なので却下される。

20100721_c.jpg今の社会において意志を持つのは容易くない。世の常識に流される方が楽だ。テレビをつければ世の中の常識とは何かを教えてくれる。どの政党を支持すれば良いのか、どの業種に就職すれば賢く立派だと言われるのか、あらゆる価値観を与えてくれる。思考を停止させ情報に身をゆだねれば常識人が出来上がる。その中で意志を持つにのは容易ではない。

だから、あえて今こそ意志を持つ人々が全ての業界において必要なのだろう。常識の先には、付加価値や競争力は存在しない。常識を超えた何かに執着し、今ある姿を進化させる事が飽和し閉塞した日本社会には必要なのだ。日本の未来の競争力を生み出す為には必要なのだろう。

HWSが次の局面で世に示すのは、意思あるエンジニアの集団とはいかなるものかという姿である。組織に依存するのではなく、自らの意志で組織を作り、組織を動かし、己の夢を達成するエンジニア達の姿だ。

我々が生み出すのは、一つのソリューション、一つのサービスではない。それらを生み出すエンジニアの正しい姿を示したいものだ。

2010年07月15日 20:09

それは挑戦か?

2010_0717a.jpg朝礼でマルチメディア事業部の吉田が、ダイエットについて語っていた。彼自身は一念発起して体重管理を始めてから1年半くらいの間に20キロほど体重を落としている。一時は膨張の一途をたどっていたが、現在は結構細身だ。

ダイエット方法は弊社内にて二人ほど成功している手法なので実績がある。二人ともビックリするくらい健康的な体型になった。リバウンドも無く体調も良いようだ。興味のある人は、直接本人に聞いて欲しい。

今回、彼が語ったのはダイエットの方法ではない。挑戦とは何たるかという事について語っていた。ダイエット自体が、ある種の人生哲学に通じるので学ぶ事は多いと本人は言っていた。成功するに必要な考え方や、物事に対する正しいスタンスがダイエットにおいても必要な様だ。

彼が語った中で、慧眼だと思った部分がある。「よくダイエットに挑戦しますと言う話しを聞くが、ダイエットは挑戦ではなく、日々の黙々とした作業である。」と彼は言う。案外、深みがある言葉だ。

世の中では挑戦という言葉が安易に使われる。耳に気持ちよい言葉だし、失敗した時に言い訳にもなる。

2010_0717b.jpgしかし、ダイエットは挑戦ではない。物理的に可能なことをコツコツと積みあげれば良い。例えば語学も同じだろう。英語を喋れるようになるのは、挑戦ではない。日々の修練を積みあげる以外に、語学を習得する道は無い。逆に方法論に関わらず毎日二時間も語学の学習に充てれば、誰でも二年後には「英語が出来る」と言えるレベルにはなるはずだ。語学習得は挑戦ではない。作業だ。

理屈で言えば挑戦ではない事柄を、迷ってスタートさせないのはナンセンスだ。ジャニー喜多川風に言えば「YOU、やっちゃいなよ!」となる。しかし、継続が一番困難な事も我々はよく知っている。

そう考えると、我々が取り組んでいるエンジニアの革新は、挑戦なのか作業なのか。この観点から見れば、作業なのだと思う。人間が出来る事をコツコツ逃げずに積みあげた先に、エンジニアの革新はある。

2010_0717c.jpg基礎固めはファインプレーのいらない作業だ。エンジニア達が変化を覚悟し、腹をくくって取り組めば必ず成る。更に言えば、途中で投げ出さなければ、我々が提唱する未来は必ず実現できる。何故なら、そこにファインプレーを期待していないからだ。全メンバーが決意し、持続出来れば良いのである。

基礎を固め、それぞれのエンジニアが狙う新しいビジネスモデルを実現するには挑戦が必要だ。リスクを覚悟し、前人未踏の領域へと踏み込むのも時に必要だろう。どこかでファインプレーを期待する時もあるだろし、それが無ければ立ち枯れてしまうこともあるだろう。挑戦とはそう言うものだ。

HWSが生み出すエンジニアの土台は、もう少し強固なものなので、やはり挑戦と一言で片付けるのは適切ではないかもしれない。

最近は朝礼を聞いていても、たまに「ハッ!」させられることもある。彼らに気づかされることある。朝礼はメンバー達が工夫して取り組んでいる。理念を叫ぶ習慣もなければ、管理職だけが訓辞をたれるわけでもない。どちらかという若いメンバー達が牽引している。

2010_0717d.jpg改めて思う。私一人に出来る事などたかが知れている。私が考える領域も、知り得る領域も限界がある。全メンバーの思考や、行動の総和には限界がない。HWSのメンバーはまだまだ増えていく。質も量も更に増さなければ、我々が標榜する未来は獲得出来ない。HWSの全メンバーが一点の曇りもなく、自分の才能を使い切った先にのみ、HWSに関わった全ての人達が幸せになる未来が待っているのだろう。

2010年07月12日 13:13

参院選から思う

昨日は参院選があり、民主劣勢で終わった。新しいタレント候補も飛び交い、劇場的な演出もあり、いつも通りの雰囲気である。本質的な政策や国家戦略が焦点になることもない。政治も選挙も、そうそうは変わらない。

今回は菅総理が提議した消費税増税が話題となったが、それが民主の主義主張であり、それで負けたなら良いのではないかとも思う。私が政治家ではないから言える言葉かもしれない。

政治家が世論を読み、政策を打ち出すという流れがそもそも間違いだと思っている。先にありきは、政治家が実現したい政策であり、作り上げたい未来像である。政治家が世論に合わせるのではなく、民衆がどの主義主張に乗るかを判断するのだ。主義主張の中身も重要だが、誰が行うかも含めて判断すればよい。

100714_a.jpgだから、世論がどう流れようが、政治家はぶれずに主義主張を訴えて欲しい。他人のご意見を伺っている人間が強いリーダーシップなど発揮できるはずがない。本質論でいえば、世論に迎合する人間に国を運営するリーダーシップなど持てるはずがないのだ。集まった社員のご機嫌を伺って会社経営をしていて、良い企業など出来るわけがない。簡単な話だ。

だから、一端は世論も国民も横に置いておいて、自分が信じる主義主張を全力で訴えて欲しい。その信念の質と中身を我々は判断したい。しかしながら、選挙にて、政治家にぶれない信念を感じる事は今の所無い。

話しは変わる。

ワールドカップの決勝も今朝方行われた。私も三時半には起きて、観戦した。ラフプレーも目立ったが、皆が結果に執着していると言う意味では、両軍が最期まで戦い抜いた良いゲームであった。前の項で書いたが、これも「自分達のサッカーが正しい」と言う主義主張のぶつかり合いだ。サッカーにおける主義主張の正しさを結果で証明する場がワールドカップなのだ。今回はスペインが、自分達の主義主張の正しさを証明した。

スポーツにもビジネスにも言える事だが、主義主張がある姿は美しい。その主義主張が本物であり、正しさを証明する為に真剣勝負に身を投じる姿は美しいと思う。これは政治にも言える。

主義主張が個性を作り、その個性が競争力となる。

100714_b.jpg一方、今朝の日経新聞によると、NECが人事関連業務を中国に移管するという。ソニーやヤマト運輸などは既に、これらの動きを進めているが、NECが規模的には最大になる。当初、7万人分を対象に移管を行い、1~2年後には10万人分に対象を広げるという。

システム開発の分野では中国の台頭が著しく、開発の空洞化も叫ばれているが、間接部門の海外移管も進みそうある。何の特殊技能も付加価値も持ち得ない、日本の間接部門に従事するサラリーマン諸兄には厳しい未来が待っているだろう。大手が率先して間接部門を海外に移管する以上、大手に所属していても、この波を避けることは難しい。

正直、間接部門はぬるい雰囲気の職場が多い。その中で育った人材が、後に海外のリソースと競争すべく厳しさを求められて、対応出来るか疑問だ。厳しさの先にしか、高付加価値は存在しない。厳しさとは叱責の事ではない。要求のレベルの高さを指す。高い要求をこなす為に、思考の全てを注ぎ込み、業務を進化させ続けられる人材しか付加価値を生み出す事は出来ない。

テーマは主義主張だ。

意志の込めない業務に進化はない。業務を進化させなければ、コスト争いに巻き込まれる。自然と、途上国の人材に対して優位性は持てない。

今こそ、自分の目前にある業務に意志を込めるべきだ。誇りを持つべきだ。仕事に理想を持ち、その理想が正しいことを証明する為に身を挺してビジネスに取り組むべきだ。その時間だけが、多くの社会人の未来を保証する。個性を確立し、高い付加価値を実現するだろう。

また、ぶれない信念が多くの方々の協賛を得て、自分の存在と自分の仕事を、より高い領域に浮上させるだろう。焦る必要はない。ただ自らが信じる道を定めるのみである。

2010年07月06日 10:44

2010年ワールドカップ(2)

100706_a.jpg
先週末は6社対抗のフットサル大会もあり、参加したメンバー達は未だに筋肉痛を抱えているようだ。サッカー好きが高じて、この時期はワールドカップネタが多いのはご容赦願いたい。四年に一度しかないので、くどいというご指摘はあえて聞き流す。

実際、ワールドカップを見ていて、得心する事は多い。サッカー選手もある種の技術職なので、SEの世界と重なる部分がある。

100706_b.jpg今回のワールドカップで最も個々の技術が高い国はと聞かれれば、ブラジルと即答する。これは私の好みもあるが、世界的に一致する見解だろう。タッチの柔らかさ、ダイレクトパスの連動性など、見ていても美しい。ボールを止める、ボールを蹴るというシンプルな動作に高いクオリティを感じる。

しかし、必ずしもコンスタントにブラジルが勝利を収める訳ではない。メッシやC・ロナウドなどの圧倒的なパフォーマーを要したチームも今は決勝トーナメントから消えている。

サッカーにおいて技術は強力なアドバンテージになるが、絶対ではない。そもそもサッカーとは技術力の高さを競う競技ではない。技術力も一つの要素ではあるが、走力、戦術なども含めた総合力を武器に自陣のゴールを死守し、相手のゴールに一本でも多くのシュートを叩き込む競技だ。技術力はそのための手段に過ぎない。

100706_c.jpgエンジニアの世界でも、この本質を理解している人間は少ないのではと思う。少しでも技術力を向上させたいというのは、サッカー選手の性なので当然である。それ自体は間違いではない。しかし、プロの世界では、内向きに向上した技術は評価されない。あくまでもチームの勝利を導く技術だけが、評価の対象となる。

私は、エンジニアはビジネス視点を持って日々の業務に当たれと訴え続けている。これに対して、「エンジニアは技術があって、なんぼでしょう。」と反論的な意見もかつては多く聞いた。このレベルでは、話しが全く噛み合わない。

サッカーに例えれば明白だ。「サッカーはチームの勝利目指さなければ駄目だ。」と言う主張に対して、「勝利を考えるより技術を上げなければ駄目でしょう。」と言われている様なものだ。個々が技術を限界まで上げるのは、プロとしては当然であり、力説するべき事ではない。プロなら、他者から抜きんでるべく技術の錬磨を徹底すべきだ。その上で、個人の技術を誇るのではなく、チームの勝利を仲間達と目指すべく戦略を理解し、自らの役割を担うのだ。

話しはちょっと変わる。

ワールドカップを見ていて楽しいのは、国毎のサッカー文化がプレーに強く出るところだ。クラブ選手権では、練習量や試合数を多くこなしたチーム同士の戦いなので、組織としての完成度が問われる。ワールドカップは期間限定であり、チームのメンバーが集まれる時間にも限界がある。組織の成熟度で比べれば、クラブチームは代表チームを物理的に凌駕して当然である。

100706_d.jpg各国の代表チームに期待しているのは、様々な戦術のベースとなる国毎のサッカー文化を主張してくれることだ。ブラジルのサッカーとはいかなるものか。スペインは、オランダは。同じサッカーではあるが、根底に流れる理念が違えば、同じサッカーをしていても違う表現となる。細かいパスを繋いで切り込んでいくのが美しいと思うか、大きなサイドチェンジでデフェンスを崩し、空中戦で競り勝って得点するが強いサッカーだと思うかは、その国が育て上げてきたサッカー文化による。

色々なバックボーンを持った選手を世界中から集めるクラブチームよりも、ワールドカップに出場している代表チームの方が、価値観を同じくしやすい。ベースとなる国毎の理念に対し、全員が強い共感をもって試合に臨める。自然と国毎のカラーが明確に出る。サッカーに対しての価値観がでる。そこがワールドカップの醍醐味であろう。

戦術の基礎には理念がある。技術の向かう先は、チームの勝利である。

こんな事を感じつつ残り僅かとなった四年に一度の祭典を楽しみたい。

2010年07月05日 12:02

付加価値を身に纏う

当たり前の話し過ぎて声を大にして言うほどではないが、付加価値無き物はいずれコスト競争の波に呑まれるか、居場所そのものを無くすかが末路となる。

これは製品にも人材にも言える。また、業種職種を超えた真理であろう。

日本は既に成熟した先進国である。多く強さを有するが、経済成長は鈍化している。経済を支える様々なインフラは高価である。人件費も高い上に、法人税率なども尋常ではない。この中で、人々は生活し企業は儲けなければならない。人も企業も相応の付加価値が求められる。当然、日本自体に付加価値の高さが無ければ、社会が成立しない。

リーマンショック以降に、SIの世界では仕事の量が減少した。昨年度などは、業界的に社内待機のSEも多くいたようだ。自分の将来に不安を感じた方も多かったのではと思う。問題を外部環境のせいにしては進歩がないので、SE諸兄は少し自己反省に意識を向けて欲しい。

日本にはシステム系のエンジニアの総数は40万人以上いるだろう。その中で、常に必要とされるには何らかの付加価値が必要だ。かつては資格の有無や、業務年数などが重要視されているような雰囲気があったが、現在それらは付加価値ではなくベースという扱いだ。

どの方向で付加価値を上げるかには様々なオプションがあり、ここでは言及しない。大事なことは、付加価値を身にまとわねば、給与は下がり、いずれ社会からお払い箱になるという現実を受け入れ、今の時間を使うことだろう。

伸長著しいサムスンなどは、入社三年で三割が脱落するという。徹底した成果主義は一長一短ではあるが、企業理念に添っているのであれば、その企業においては正しい。その競争助長環境が示すとおり、サムスンが欲しい人材は、付加価値を生み出せる人材である。また、厳しい研修もあり、サムスンとは何たるかを徹底して叩き込むので、その理念に添った人材だけを求めているのだろう。

サムスンの成長が示す様に、市場も人材もボーダレスになる。その中では、付加価値の有無が生命線となる。どの国に所属しているからという有利性は少しずつ希薄化していくはずだ。大事なのは、企業も個人も付加価値を有することだ。

雲を掴む様な話しだけしても仕方がないので、個に話しを戻す。日本にいる多くのSE達は、「相対的に自分はまあまあのレベルだ。」という認識があったにしろ、「この分野だけは、自分以上の人材はいない。」と断言できる人は少ないのではないか。

「まあまあ」と言うレベルは付加価値があると他人からは認識されない。ましてや「ちょっと要領は悪ですけど、頑張ってます。」は新人にのみ通用する言葉で、二十代後半からはマイナス評価しか生まない。

全てに抜きんでるのは難しいだろうが、「この分野なら」という自分の技術的な核は必要だ。

徹底して研究し、知識を集積し、経験を積み上げれば、ある分野関しては自分以上の人間を会った事が無いというレベルは得られるはずだ。そう簡単に真似出来ない何かがあれば、どんなにマーケットが収縮しようと、自分しか出来ないプロジェクトの一つや二つは、その辺に漂っているものだ。

技術を標榜し、エンジニアを名乗る以上は、一つくらいは特化した何かが欲しい。その上で、未来は技術を武器に事業を展開する事実は曲がらないので、ビジネススキルも必須で身につけるべきだ。

この程度の事を受け入れ、実践できなければ、もはや自分の未来は他人任せと言うことになる。運良く伸びる会社にしがみつけばセーフ、所属した会社が斜陽となればアウト。

国内の市況は回復の兆しを見せているが、全く安心できるものではない。これから全世界的に始まるメガコンペティションの中で、HWSを含め日本企業が、どう世界に打って出て、世界に貢献できるのか。その戦いはまだ始まってすらいない。

多くのSE達はグローバルな戦いが始まると思ってすらいないだろう。グローバルな戦いを前にして、語学習得なども必要だろうが、大事なのは自分の付加価値を徹底して上げる事だ。昨年、一昨年くらいの市況であれば仕事には困らない程度の付加価値がなければ、そもそもスタートラインに立ててすらいないのだ。

この分野なら、誰にも負けない。そう言い切れる何かを数年の内で身につけなければ遅い。来るべき未来に向けて、着実に準備を進めていこうではないか。

2010年07月02日 14:07

乱高下せず

日本代表のワールドカップは終わったが、サッカー好きにはたまらないカードがまだまだ目白押しだ。当分眠れぬ夜が続くだろう。

帰国した日本代表のインタビューを聞いても、一定の成果を出した人間の自信と誇りのようなものが垣間見え、清々しい。三連敗で帰国したら、今頃は戦犯捜しに日本中が沸き立っていることだろう。

日本代表に対する世論の動向を見ていて私が危惧したのは、その振れ幅の大きさだ。韓国との強化試合で敗北した時などは、岡田更迭論が常識化していた。当時は岡田批判に対しては、一家言ある人で巷は溢れかえっていた。

hws100702_a.jpg現在は参議院選の最中である。菅総理が誕生するまでは、民主党の支持率は致命的な数字を示していた。小沢、鳩山体制が終息し新政府が出来上がるやいなや、民主党の支持率はV字回復の様相を呈する。ここまでは良い。菅総理に対する期待は私にもある。問題はその後である。消費税問題を菅総理が机上に置くと、一気に世論は離れ支持率は再度下降する。その間に、総理には何の施策も実現する時間はない。支持率が上がったときと、現状の間に世論が高下する程の変化は無いはずだ。

しかし、常道を逸した振れ幅で支持率は変わる。岡田ジャパンの評価がそうであったように、良い時も悪いとこも評価が瞬時に上下する。

ここに、物事の表層に注視し、起こっている事象に反射的に反応してしまう日本国民の、民度の低さを感じ危機感が募るのを否めない。

岡田監督にしろ、菅総理にしろ、説明責任はあるかもしれないが、全ての情報を一々説明し、リーダーとしての決断を解説するのは無理だ。恐らく菅総理が消費税増税をこのタイミングで発したのも、背景には我々が把握していない情報や体験があるからに違いない。岡田監督が不可解な代表選出、不可解なポジション選定を行ったのも、我々が知らない情報を掴んでいるからだろう。本田選手をフォワードとして起用する理由を、みんなに分かりやすく説明していては、無駄に時間ばかりくうし、言い訳がましく聞こえる。

つまり、各界のリーダーと全く同じ情報を持ち、その行動を批評するのは不可能である。その中で、どのリーダーを信頼するかを総合的に決め、未来を託すのだ。一端信頼し、任せたのならば簡単に評価を変えてはいけない。一定の区切りが来るまで信じ、全員でリーダーに協力しなければ、成るものも成らない。

結果は時間が経たないと分からない。だから、その人の能力と人格を信頼し、リーダーとして仰ぐしかない。今あるリーダーの姿勢を見て、未来を託すか決めれば良いのだ。そうして、未来を託したなら、運命共同体としてチームが勝利するような援護を全員で行えば良い。

リーダーを選ぶ時に手を抜くから、簡単に不信に陥るのだ。それは、選ぶ側の手抜きだ。流されず己の信念でリーダーを選び、当事者意識を持って成果を狙えば、支持率や評価は短期に乱高下しない。

自分の信念にそって人を選ぶのも、当事者意識をもつのも民度の高さが必要だ。克己し、思想を深めなければ当事者意識は持てない。当事者意識には精神的な負担が付属する。その負担は、必要性を理解し意識的に背負わねばならない。

hws100702_b.jpg何かへの評価を大きな振り幅でぶらして批判している人間は、そもそも持論も信念もない。そこに行き着くまで考えていない。また、「日本人なのだから日本のことを考えるのは当たり前だろ」と言うかも知れないが、案外日本人は日本のことについて当事者意識を持っていない。当事者なら、日本の未来について語れなければならない。その正誤を問うているのではない。レベルは様々だろうが、大事なのは持論を持っていると言うことだ。そして、その持論に従い行動していなければ、その持論も子供の戯れ言と大差はない。

自分の責任や、当事者としての立場を横に置いてしまうので、平気で批判も出来るし、いい加減に賛否も語れるのだ。「それなら、お前がやれ。」と言われた時に、逃げる人間と、是非にと背負う人間といる。私が社長で無かったときに、上層部批判を全くしなかったわけではない。ただし、当時の社長に対して正面から「社長を僕と代わってくれ」と自信と責任を持って主張したものだ。その時の人格や能力はさておき、責任感は真っ直ぐにあった。

私自身、負けていた時の岡田監督に対して、疑問はあったが批判は無かった。批判するほどのベースが私には無かった。ベースとは情報やそれに対して考えている量、その結果生まれてくる当事者としての意識だ。

私見で言えば、消費税増税も現状を考えると正論であろう。ただし、それを行うと同時に、どれだけ政府・省庁の膿を出し、適正な財政を作り国民を納得させうるかは菅総理の手腕にかかっている。手腕を示せなければ、正面から批判するしかないが、今はその時ではない。

枝葉を見ずに、核を見て物事には対処したい。枝葉を批評するのではなく、本質がどう動くかに目を配り、正しい対応をして行きたいものだ。