会長ブログ(株式会社ヘッドウォータース代表取締役:篠田庸介)

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2010年08月25日 11:54

乱世に

海外に出るときには暇つぶしに本棚から昔読んだ本を数冊バックに放り込んでいく。今持っているのは「翔ぶが如く」だ。

平時に強い人間と乱世に力を発揮する者がいる。HWSは意識的に乱世に強い集団を創ろうと思い、体質を組み上げ中である。平時には巨大企業群があれば世の中は事足りる。皆が安心して生活できる。後発ベンチャーの定めではあるが、現状が続くなら存在価値は無いのである。

よって、ベンチャーを創る以上は、またベンチャーに所属する以上は乱世を望み、乱世にて力を発揮出来るよう意識しなければならない。乱世に喜びを見出せなければ、そもそもベンチャーを目指してはいけないし、ベンチャーに所属して幸せにはなれないだろう。これは能力の問題ではない。性質の問題だ。

乱世が終わり世が定まれば、また違う能力が必要なのだろうが、その時は主たる人間、リーダーを変えれば良い。先ずは変革の必要があるなら、一線を突破しなければならない。それに必要な集団を作らなければならない。

維新は薩摩と長州を中心に展開した。両藩にて推進力の源となったのは、薩摩なら西郷だろうし、長州なら高杉と言った所か。両名とも維新後には居場所がない。彼らの歴史的な役割は維新にて終了している。乱世の巨人として生きた両人は、平時の凡人として世を過ごす事に耐えられなかっただろう。高杉はある意味幸運にも早世したが、西郷の不幸は西南の役と続く。

維新前も維新後もバランスよく生きた人間も多いが、どちらかに圧倒的に秀でた人間は、どちらかでは生きにくい。

私個人で言えば、乱世で光彩を帯びる人でありたい。その役割を担える人でありたいと願う。平時の治世には頭の良さが大きいな比重を占めるが、乱世であれば度胸やバイタリティが力を発揮する。実際、ベンチャーで成功した方々を見ても、際立っているのはそのバイタリティだ。頭の良さもあるだろうが、彼らと同じ賢さを持った人材は世に多くいるだろう。その頭脳の上にベンチャー的な性質が乗ってこそ彼らの成功はある。

まあ、私など賢さで言えばせいぜい十人並みだ。そこで勝負しても、未来は目に見えているし、自分しか背負えない役割など見つけられない。よって、乱世に才能があると言うよりも、乱世を選ばねば突出する可能性は皆無だと言うことだ。だから、私自身は才能の有無は一旦わきに置いて、乱世にて戦うことを望むのだ。

現実世界を見てみると、各所で過去の枠組みでは対応出来な状況に陥っている。アメリカを中心とした軍事のバランスも崩れつつあるし、資本主義のあり方も変化を求められている。利益を徹底して追及することの弊害も顕になり、企業も未来に向けて新しいスタンスを取る事が求められている。日本のSI業界も構造改革が必要だろうし、日本政府自体も今のまま税収を浪費し続ければいずれ破綻する。優秀な企業や個人にとって、日本でビジネスをする経済的合理性が無くなるので、産業が外に流出する危険もある。

我々にとっては、ある意味運良く世界は乱世の様相を呈している。この局面は当分続く。そう簡単に平時にと着地できる状況ではあるまい。いよいよ変化の時代となり、賢いオペレーションよりも、断行する意思と力が必要となろう。

高杉晋作が奇兵隊を原資に藩の改革、一種のクーデターを完遂した様に、坂本竜馬が亀山社中を原資に薩長同盟を実現したように、小なりとは言え乱世に力を発揮する集団を武器に世を変えることは可能だ。

HWSも吹けば飛ぶような小企業だが、乱世のテコとして価値を発揮する力は持ちつつある。平時には単なる泡沫であるだろうが、乱世なら役割はある。先ずは乱世を収める指針となり、後に世の幹となりたい。

HWSを立ち上げた心意気は常に私の内にはある。ここには微塵の変質もない。微塵の変質も許さない。

変質しない核に沿って、現在のHWSを組み上げ、更に共闘する仲間を集めるつもりだ。それなりの経営経験を積んできた私にとって、企業の存続や個人の生活に対する不安はない。一秒でも早く、乱世に名乗りを上げなければという良質な焦燥感が、私を四六時中責め続けている。

2010年08月24日 13:04

解釈

2010_0824_a.jpg企業にはビジョンがある。文化もある。明文化されているものもあるが、何とかなく認知されているものもある。

常々思うがビジョンと一口に言っても、解釈の仕方で全く違う。例えば「インターネットの未来をリードする」と掲げても、幅が広すぎて企業の意思統一にはつながらない。このビジョンは人によって別ものとなる。

「我々は常に挑戦する集団である」と言ってみても、どのレベルの挑戦をするかで意味合いは全く変わる。企業の存続をかけて挑戦をするのか、比較的に前向きに業務の改善を図るのかは全く別物だが、見方によってはどちらも挑戦だ。

よほどシンプルな表現でないと、ビジョンも企業理念も統一されたものにはならない。シンプルなものでも、異なった解釈の余地は十分にある。

人間は様々な事を自分なり解釈し、自分の中に積み上げていく。その解釈の質により、人格もビジネスパーソンとしてのレベルも定まっていく。仕事柄多くの人と合うが、この解釈の質が高い人間は総じて仕事が出来る。信頼も出来る。

色々なタイプがいるので、別に明らかに聡明で無くても良い。竹を割ったように、明快かつ迅速に解釈されなくもてよい。自分なりに咀嚼し、深みのある解釈が生まれればよい。それぞれの中で矛盾無く、得心した答えがあれば良いのだ。ただし、外から見ればそのレベルで自分の価値は量られるあ

ビジョンの徹底とは、明文化した内容を暗記させることではない。毎朝、連呼することでもない。組織全体の解釈のレベルを向上させる事だ。思考停止の中で暗記されたビジョンにも理念にも、何かを生み出す力は宿らない。実行力を宿すには、各々の思考、解釈の先に理念が無ければ駄目だ。

2010_0824_b.jpgHWSにも掲げるビジョンがある。標語化はあえてしていないので、壁には貼っていないが、ここかしこで私も発信しているし、HWS内部でも判断基準として「HWS的にはどうだ・・・」と普通に使われているので、ビジョンも理念も確かに存在している。

HWSにおいて各メンバーは、各所に点在している理念の断片を拾い集めて、自分なり解釈しなければならない。HWSにおけるビジョンとは何か。理念とは何か。自らの意思で答えを組み上げなければならない。その解釈の質の高さがビジネスパーソンとしての質の高さでもある。

人間は時に外形にとらわれがちだ。大きな本社ビルや、ネームバリューなども企業を判断する指標ではあるが、内部の人間として大事なのは、自らが解釈し理解した自社の存在価値であろう。その目的の為には面子など捨てるべきだ。

先日、某都市銀行の方とお会いした時に、合併が上手く行った理由を聴いた。合併の際に、規模の大きい銀行側の頭取が、記者会見にて次の様な質問をされた。
「吸収する側として、どの様なマネージメントをするつもりですか?」
これを聴いた頭取は感情を顕にして怒ったと言う。
「我々は対等に合併し、新しい銀行を作るのだ。吸収とはなんだ!」
と言い質問した記者に叱責を浴びせたと言う。また、都内某所では、規模が大きい方の銀行の支店長が、隣接する規模が小さいほうの銀行に支店に、支店の全社員を連れて挨拶に行ったと言う。次の日は逆に小さい銀行の支店長が全員を連れて挨拶に行ったと言う。

どちらが吸収する側とか、どちらが格下とかは面子の話だ。一緒になってしまえば、同じゴールを目指すしかない。その為にはチームワークが必要だ。面子という障壁なしに交わらなければ、強い組織になるわけがない。ゴールも近づかない。

大事なのは資本主義社会の心臓とも言える銀行業務において、社会の基盤たる組織を作ることだ。その機能を全うすることだ。それ以外は二の次であろう。

2010_0824_c.jpg理念やビジョンには解釈が必要だと書いたが、そもそもビジョンや理念に対して真摯に向き合わない社会人も多い。彼らの動機レベルは、飯が食えればよい、平穏無事に暮らせれば良いという、原始的な部分を超えない。それは生存のベースなので否定はしないが、その欲求のみを抱えて生涯を過ごすのは、あまりにも残念だ。誤解を恐れず言えば、犬でも猫でも平穏に暮らしたいと思っているし、ご飯が食べたいとも思っている。その感情の上に、自らの意志で何らかの目的を人生に織り込んでこそ人間なのだと思う

人間として、意志を持って生きようと思った時に、自分が人生の一部をつぎ込む組織のビジョンや理念は重要となる。これが自分の人生と重なってこそ、人は迷い無く幸せに仕事に向かえる。

そして、そのビジョンや理念は口を開けていれば、自然と流れ込んで来る物ではなく、自らの意志で解釈し、形にしなければなならないのだ。ビジョンの解釈まで企業に求めては駄目だ。それは無理な相談だし、無意味なことだ。解釈は各人が行い、自分のレベルを示せば良いのだ。

私にとって企業において大事なのは、実現する未来だ。標語でもなければ、規模の事でもない。多くの人たちが幸せになり、喜んでくれる未来のことだ。その他は全て些事に過ぎない。その為に全速力でHWSを成長させ、強い影響を世に与えたいと願う。

2010年08月19日 19:30

純粋たれ

2012年の新卒採用に向けて、HWS内でも色々準備が始まっている。今回もどんな個性が集うか楽しみだ。いずれにしろ、将来のHWSを牽引する存在になるだろう。

会社が大きくなった時に失う物と得る物がある。会社のネームバリューも上がり、財務的にも強く規模が大きくなればなるほど、純粋な人間の採用は難しくなる。例えば、大手都市銀行に就職する人達を考えてみる。彼らの中で、銀行業務を愛し、金融ビジネスへのロマンを動機としている人間の方が少ないだろう。

社会的な地位、給与水準、手当や安心感などが入社動機の大半をしめるのではないか。不純な動機で入社すると、仕事だからとそれなりには業務はこなすだろうが、付加価値を生むほど、そのビジネスに没頭したり、プライベートを犠牲にしてまで成果に執着するほど、自社にも業務にも愛着は持てないだろう。そもそもの動機が不純なので仕方がない。それでも人気はあるので、基礎的な学力が高い人間が集まるだろうから、平均的な仕事はこなしはするだろう。

しかし、世界の潮流を観て頂けば分かる通り、付加価値が無いものは他国の企業でも同等のサービスを提供できる。発展途上国であれば、遙かに低いコストでそれなりのサービスを提供する事が可能だ。高付加価値の製品やサービスは値崩れしていないが、そこそこの商材はデフレ化の一途をたどっている。

メーカーであれ、金融を含めたサービス業であれ、日本でしか実現できない価値を生み出せなければ、いずれこのデフレ化の波に呑まれる。人件費を含めたコストカットを徹底するしか、生存する道はなくなる。しかし、コストを下げるにも途上国と比べて競争優位を得るまでやるとしたら、尋常なレベルでは駄目だろう。一番負担の大きい人件費を他国並に落とさなければ、コストで戦えるはずがない。

よって、あくまでも日本独自の付加価値を追わなければならない。付加価値を追わなければ豊かで平和な日本は世界から消える。

付加価値は人が創る。人の執着や愛情が創る。平均レベルの物はオペレーションを研ぎ澄ませば生み出せる。どの国でも、どの民族でも生み出せる。しかし、平均レベルの商品価値は下がる一方だ。

車が大好きだからトヨタに行く。銀行は資本主義国家の心臓だから、何としても極めて国を支えたい。情報を使った新しいビジネスを追いたいのでリクルートに何としても入社したい。

心の底からこんな気持ちで入社すれば、長い時間をかけて何かを産み出す人材となるだろう。ちょっとした作業のクオリティも自然と上がるだろう。その総合力が、世界で頭ひとつ抜け出す為の源泉となるだろう。

就活生へのアドバイスがあるとしたら、純粋に生きよと言うことだ。損得勘定をして、不純な動機で入社しても幸せになれない。社会に出たら大半の時間を仕事に注ぎ込まなければならない。週末に息抜きをして、平日の仕事の時間は耐えると考える人も多いが、冷静にイメージして欲しい。楽しい週末の2日間と退屈でストレスのかかる平日の5日間が生涯続いて、本当に幸せになれるのだろうか。

多少報酬が高ければストレスが無くなるという理屈もない。高所得であろうが、業務が嫌ならストレスは溜まる。平日の5日間はそのストレスを背負いながら生活し、週末の2日間はそのストレスから逃げながら生活をする。そんな時間が何十年も続く未来へ向かいたくはないだろう。

所得は仕事が出来れば、いずれ自然と上がる。仕事が出来るようになる為には実社会での鍛錬が必要だ。成果を要求され、責任を背負い、ビジネスと向かい合わねば実力は身につかない。

そこまで仕事を頑張っても、ストレスが溜まらない為には仕事自体に愛情を持って当たれなければ駄目だ。だから、就活生達には目先の餌につられて間違った一歩を踏み出して欲しくないのだ。本当に愛情が持てるビジネスを志向し、正しい社会への一歩を踏み出して欲しいのだ。

繰り返す。

今就活生に言いたいのは、純粋であれと言うことだ。自分の本質に対し、純粋でいることが、ビジネスにおいて自分自身を幸せにする道なのだ。心から愛せる会社、愛せる事業を全力で探して欲しい。

2010年08月16日 15:48

建築す

組織作りは建築に似ている。土台から計画的に組み上げねば、強固なものにならない。

先日、某大手金融機関の方と食事をした時に、「経営幹部を集めるのに苦労しませんか?」とご質問を頂いた。まあ、この規模で勢いのあるベンチャーは社長のキャラクターで牽引している場合が多い。弊害として、優秀な上位人材が集まらず、苦労している経営者は多い。

社長の魅力は創業期には大事なのだろう。社歴も資産も無ければ、そのくらいしか人材を集める術は無い。しかしながら、物事には作用と反作用がある。これは善し悪しの問題ではない。

基本的に社長の個性で人材を集めては、社長以上のスタッフは来にくい。社長としては、「社長に惚れて来ました!」と言われれば心地良いだろうが、この手の人材は伸びしろに限界がある。この言葉には多少の依存心が含まれている。

基本的な話しになるが、企業には大義が必要だ。その企業が何を成し遂げるのかという、存在意義が必要なのだ。本当に優秀な人間は、誰かに殉じるのではなく、大義に殉じるものだ。誰かに殉じるのは、私である。多くの人を動かす原動力にはならない。大義に殉じるのはあくまでも公だ。そこには万人を動かす正義がある。

大義に反するなら、社長すら排斥するくらいの純粋さが組織内にあってこそ、社長の器を超えた人材も集まる。社長の上に大義がある以上は、社長の言葉は絶対ではない。社長はある種の不安を抱えながら経営に当たる事になる。常に努力し、自分の存在価値を組織に与え続けなければ居場所はない。

そもそも論で言えば、安心したいなら大きな組織に所属すれば良い。何かを成す為に起業したのなら、優先順位は安心よりも発展であり、事業の成功だ。あらゆるメンバーの上位に来るのは、企業の大義であり、その大義を成す為の組織である。これは社長の上位にも来る。

ここに一点の曇りも無ければ、良い人材も集まるだろう。自分を上回る素材も惹き付けるだろう。

HWSにおいて、今の所スタッフに不満を感じた事は無い。それぞれ未熟さはあれど、私には及ばないものを持っている。問題が生じれば、当事者としてそれぞれが解決に向かう。会社のせいにする訳でもなく、市況のせいにする訳でもなく、ひたすら解決に向かう。そんな人材がHWSには多く存在する。私が口を出す余地は年々減っている。「奴が駄目なら、俺がやっても駄目だ」という信頼があるので、目くじらを立ててメンバーの素行を監視する必要もない。

事業部長や役員だけではない。多くのメンバーは昨年の市況下でも、このスタンスを堅持している。立場があるからではなく、一人一人がHWSなのだと感じる。

よってHWSでは、ヘッドハンティングに全く興味がない。幹部は外から採るのではなく、内部の人材が必要に応じて、その役割を担う。HWSを理解し、HWSの発展に貢献した人間が自然とその任を担うのみだ。

人に恵まれたという軽い話しでもない。メンバー達が純粋に組織に貢献し、大義に向かって行く事で必然的に良い人材が集まったのだ。運や縁だけではなく、我々の明確な意志によってHWSの組織は成形されて来たのだ。

HWSが選んだ道は、あくまでも公であると言うことだ。

公が正しい訳ではない。何を目的とするかは企業によって違う。個人が富を作る為に創業することも、それはそれで良い事業が生まれるなら社会貢献となる。徹底して私を追う姿も、ある意味清々しい。ただし、我々は企業は特定個人のものではなく、株主のものでもないと考える。あくまでも社会のものであり、多くの人に貢献する為にある。これが我々のスタンスであり、我々にとってはこれが正しい。

HWSが純粋である間は、多くの良い人材が集まるだろう。己の腕を活かす場所を探している強者は世に多くいる。彼らはどこに行ってもそこそこ稼げるのだが、報酬と同時に自分の人生を注ぎ込む大義を探している。人生は短いので、淡々と日々の糧を得ている内に気がついたら年老いてしまう。同じ時間を使い、同じ様に糧を得るなら、より価値を感じる事に従事したいはずだ。

良い人材が欲しい、経営幹部が欲しいと考えるなら、上手い採用の切り口を考えるよりも、お金をかけて良い広告を出すよりも、純粋である事が必要だ。人が自然と集まるくらいに、純粋で情熱に溢れているのなら、必ずやその想いは必要な人に届くはずだ。

HWSでも今期は増員に力を入れる。実際、仕事が溢れて戦力が足りない。欲しいのは、HWSの大義に、HWSの環境に魂が震える人材だけだ。

2010年08月12日 15:43

気概

世間はお盆休みのせいか、新宿の街並みもやや閑散としている。その傍らで円は1ドル84円台に突入している。15年ぶりの高値との事だ。

昨日懇意にしている中国人経営者と話す機会があった。日本での生活も長く、日本を内外から観察出来るので、日本に対する論評は鋭い。日本の政治に対しても率直なご意見を持たれている。極論で言えば日本の法人税など0%で良いと言う。法人税を下げ、産業を強くし、その他の財政収入を増やせば良いと言う意見。一つの見識ではある。発想が極めて経営者的であり明確だ。対面や過去のしがらみに囚われず、実を取る為に必要な事を考えている。

日本の政治家から経営的なセンスを感じた事は、未だかつて無い。実を一直線に追い、あらゆる聖域を打破する強さを政治家に求めたいのだが、無理な要求なのだろう。日本国を経営しないのなら、税収を使うだけの団体が政府だ。コストセンター出身者のみで経営陣が構成された企業を想像して欲しい。とてもでは無いが、運命を預ける事は出来ない。

今の日本には打つ手が山ほど残っている。資金も技術も、社会的な信用も含めて、これだけの体力がある国なのだ。戦う為の武器はある。逆に嘆く部分の方が極めて少ない。リスクはどの国にも、どの時代にもある。どこにでもあるリスクを取り上げて、悲観する行為が本来はナンセンスだ。リスクや社会不安が無いとは言わないが、それは日常だ。常に我々の傍らにある。見ようとするかしないかの問題だ。

日本が頂点を過ぎて下降している様な論調をよく目にする。当然、その可能性もあるだろうが、逆に成熟してより強い経済を創る可能性もある。それを決めるのは我々だ。市況ではない。

国家レベルだと規模が大きすぎて、実感が湧かないかも知れない。自社に照らして合わせて考えれば良い。所詮、成功も衰退も人間の意志によって決めるしかない。自社が成熟の頂点にいるのか、草創期を駆け上がっているのか決めるのも他人ではなく当事者達だ。

ビジョンを持ち、成長を志向すれば、相応の動きをする。チャレンジもする。仕事量も増える。今が頂点だと思えば、余裕を持って維持を目指す。先にありきは人の感情であり、物事に対する態度である。

ただし、決められるのはあくまでも「当事者」だけだ。当事者であることを放棄した多くの社会人や国民は、他人の思惑で流されるしかない。自らの運命を自らで切り開く資格も無ければ、能力も無い。全てを自ら放棄したのだ。

現在世界中でエコの問題が叫ばれ、環境保全が重視されている。中国ですら、既に成長だけに注力をしている訳ではなく、環境基準を満たさない企業を閉鎖するなど、未来に向けての対策を打ち出している。

限られた資源を使い人類は生きなければならない。水、燃料、土地、あらゆる資源は有限だ。そして、人類は増え続けている。この時代において、もう一度日本が世界の先頭に立つ時が必ず来る。

狭い国土で作物を栽培する技術は、恐らく日本が世界で最も進んでいるだろう。大規模な農園運営のノウハウは日本に無いが、同じ土地からより高品質な穀物を大量に栽培する技術は世界でトップなのではないだろうか。

水の淡水化もしかり。太陽電池やハイブリッド車の製造などでも世界をリードしている。端的な技術が凄いというよりも、日本人の国民性に根付いた品質に対する要求の高さが、全ての製品を生み出しているのだ。この日本という東洋のガラパゴスにて、独自の進化をたどった日本人達が世界に対して貢献できることはまだあるはずだ。

戦後からバブルまでの50年間は、時流に乗っての繁栄だと規定したい。実力もあったが、基本は勢いだ。日本が進む次のステージは民度の向上をベースにした、成熟した強さだ。これは勢いではなく、地に足を着けた確かな強さである。

日本は頂点を過ぎた、斜陽の国家ではない。真の実力を育み頂点に向かう途中にある。そう信じて、これからの経営に当たりたい。人の育成に当たりたい。

決めるのは、他国でも市況でもない。我々プレーヤーが自らの意志と動きによって未来を定めるのだ。

2010年08月09日 13:25

喉元過ぎても・・・

昨年に比べれば、業界の市況はかなり良い。開発の手数が足りないと言う話しを各所から聞く。業界のデフレ化が止まっている訳ではないので、業績が著しく回復するのはまだ先だろうが、多くの経営者は元気を取り戻している様だ。

喉元過ぎれば熱さ忘れると昔から言われる。この二年の市況からエンジニアは何を学んだかが大事だ。今まで積み重ねてきた事の延長線上には、安定も繁栄も無い事を学べたのなら、結果的に価値ある時間を過ごせた事になる。

止まっていたプロジェクトも動きだし、優秀なSEほど日々の開発に忙殺されるはずだ。その中で次の一手が打てるかどうかで未来が変わる。当然、タスクが増えるので楽ではないが変革という単語は、その程度の負荷を覚悟しなければ吐ける言葉ではない。未来を変えることは、無理ではないが当然相応の代償が必要となる。

HWSの主張は微塵もぶれない。この程度の市況の上下、構造の変化はこの先二十年を考えれば何度も来るだろう。その度に悲観に明け暮れても、社会を呪っても幸せにはなれない。次回には、楽に苦況を乗りきるためにも、競争力のある姿に己を作り込む必要がある。

かつての途上国の台頭もあり、より日本の存在価値は何かと問われるようになった。今までと同じレベルの業務をしていては、他国のエンジニアと区別がつかない。区別が付かなければ、仕事を失うか途上国のエンジニア並に給与を下げるしかない。段階的にこの現実が突き付けられるだろう。

実際、ベトナムと日本のエンジニアの間には10倍近い給与差がある。ベトナムのエンジニアの給与は、経験を積み国力が上がると同時に上昇するだろうが、日本人のエンジニアの給与は付加価値を生めない限り下降の一途をたどる。下降という概念が間違いかもしれない。差が無い以上は、途上国での所得と比べて、日本人の所得も平均化されていくだろう。下降ではなく、適正な平均化がおとずれるのだ。

先日、HWSと同業界で創業し30年以上も経営されている大先輩が愚痴をもらしていた。今年になっても根本的に市況は良くなっていないと彼は言う。今まで仕事を流してくれていた大手ベンダー内に変化が起こっている。極力、大手ベンダーも自前で開発をするようになり、仕事が下まで流れてこない。大きな案件は、一度は必ずオフショアを検討する。それらを経て中小まで来る案件は厳しく、数も少ない。そう嘆いていた。

恐らく、過去の業態に留まれば、その事実を正面から受け止めるしかない。事実を知り、変化に挑戦できるなら、次の出口も生まれよう。

HWSも創業期に比べると多少は名前も売れてきたらしく、HWSの取り組みをフォローしてくれている経営者の方も増えている。市況に流されず、何かをやってくれるだろうという期待を感じる。

我々は業界の変革、エンジニアの革新を訴えここまで来た。これが微塵もぶれることはない。そして、少しは期待もされるようになってきた今、我々は期待に応えるべく仕掛けなければならない。期待されると言うことは、同時に影響力も持てるという事だ。この期待を背負ってこそ、HWSのミッションを全う出来る。

体質は永久にベンチャーで良い。しかし、いつまでも泡沫企業のままで世に大きな影響を与えられるはずもない。小さくまとまって、ちょっと黒字を出しつつ運営し続けては、HWSの名がすたると言うものだ。我々は商才も乏しく、凡たる人間の集まりだが、その我々が一線を突破してこそ世に変革の是非を示せるのだ。形は小さいが、小さいからこそアグレッシブに仕掛ける事も可能だ。

前述したが、日々の業務に忙殺されている中で次の一手を打つのは至難の業だ。しかし、それが至難でなければ誰でも先手を打てる訳で、「業界を改革するHWS」など必要ない。それぞれが次の一手を勝手に打てば良いだけだ。しかし、次の一手を打つのは忍耐と勇気の双方が揃わねば無理だ。

自分が歩んできた過去に、善し悪し無い。過去から何を学んだのか、その過去を踏み台としてどんな未来を描くのかに意味がある。何も学ばなければ、無為の時だったと言う事だし、何かが生み出せれば全ては正当化できる。

これはHWSの話しではない。日本中の全エンジニアに問われていることだ。厳しい市況から何を学んだのか問いたい。何を学び、未来をどう生きるかを問いたい。

HWSはエンジニアの次のステップは技術を使ったビジネスマンたることを提唱している。同時に、我々は組織戦において他国の同業他社に対して、優位性を見いだす道を歩む決意をした。これは一つのオプションに過ぎない。我々が正義と信じて進む一つの可能性である。

他のエンジニア達は、他の同業の企業群は、各々が正しいと思う変化に挑めばよい。忍耐と勇気を武器に、新たな道を踏破すればよい。正解は一つではなく、大事なのは自分が魂を込められる道を全力で歩むことだ。

これから大きな波は何度も来るだろうが、その度に輝きを増す企業を創りたい。苦況を喜びとし、前線で戦うタフな人材を育てたいものだ。

2010年08月06日 12:22

夏の雑感

hws100806_a.jpg八月に入り、益々暑さが増している。最近はベトナムよりも日本の方が気温は高いようだ。外回りを主とする営業マンなどは、スーツも脱げず、汗を吹き出しながら仕事に勤しんでいることだろ。

今期は新しい事にもいくつか取り組んでいる。振り返ってみると、大きなチャレンジや変化は常に夏に来る。夏の熱で脳も身体も活性化するのだろうか。留まっていられない衝動は夏になると強まる。

初めて、自分が社長として企業の登記に奔走したのも夏だ。金も無かったので、ノウハウ本を買い全ての書類作成から手続きを自分で行ったものだ。HWSを経営不振となった本体から分離すべくMBOを敢行したのも夏だ。

この季節は何かをしなければという衝動に駆られる。頭と身体をフル回転させた記憶がよみがえる。また、多くの社会人が休暇を取る時期なので、逆に他者から抜きんでるチャンスだと感じてしまう。これは休暇が全く無かった二十代の頃に、忙しさに対して自分が納得する為の理由付けとして定着した感覚なのだろう。

よって、今年の夏も仕掛けなければ気が済まない。市況は多少回復気味だ。しかし、一息ついている暇はない。ここで一気呵成に攻めなければ駄目だ。攻めを意識し、攻めに勢力を注がなければHWSという零細企業など、いずれ立ち枯れる。

hws100806_b.jpgシステム開発の世界でも少しずつ保留にされていたプロジェクトが動き出している。市場に開発案件が流れるようになった。HWS社内でも人員が足りず、採用に関する議論が活発化している。ITエンジニアの中には、安定したプロジェクトに従事するようになり、安心している者いるだろう。

しかし、ここで安心しては駄目なのだ。一休み入れては駄目だ。

逆にここで一休み出来る人間は、所詮そう言う人材なのだとも思う。追うべき獲物が前を走っているのに、一休みする狩人もおるまい。一休み出来る人間は、追うべき獲物を決めていないのか、そもそも狩人では無いかだ。

HWSには追うべき獲物がある。達成すべき、ビジョンがある。よって、一休みする機会は永遠に無いかも知れない。志を保つとはそう言うことだろう。我慢をするのではない。衝動が勝るのだ。

HWS社内を見回してみても、売上を確保しつつ、次の事業を構築すべく動いているメンバーがここかしこに頻出し始めた。彼らも夏の暑さに駆られ、新たなチャレンジに取り組んでいる。

HWSが内包する衝動は、私の衝動ではない。HWSという法人格が有する衝動なのだ。この衝動がある間は、HWSは留まることを知らず成長の一途をたどるはずだ。

2010年08月04日 17:09

厳しさ

今日の朝礼にて、萱沼取締役がHWSの厳しさについて発言していた。HWSにおける厳しさとはどの様なものかについてだ。厳しさにも色々な種類がある。徹底的に管理され、微塵の手抜きも妥協も許されない様な厳しさもある。管理はされないが、成果に対してはコミットと実行を求められる厳しさもある。

我々は入社前の求職者に対し、HWSは厳しい環境だと言う。世間的にもHWSは厳しい会社ですねと評価される。我々の求める厳しさとは何か。

企業文化として定着すべきは、長い年月使用に耐えうるものだ。それには本質的な正しさが必要となる。HWSは特種に見える部分も多々あるが、実際は奇をてらった事はしていない。本質を徹底した結果、異質に見える事があるだけだ。

厳しさについて考える。

厳しさが必要な理由は、大きく分けて二つだろう。何らかの戦いに勝利する為。自己の成長の為。後は個人的な趣向で厳しさが好きな人もいるが、これは除く。

学問であれ、スポーツであれ、一流になるには厳しさを受容し修練に励まなければならない。これに関して、今更説明の必要もないだろう。何かしらのコンペに勝利する為には、その戦いが激戦であればあるほど、厳しく個人やチームを追い込まなければならない。これも経験的にほとんどの方は理解しているはずだ。

楽しさだけを追求して勝てるレベルはたかがしれている。楽しさだけで、一流になれた人もほとんどいない。イチローにしても、遼君にしても、好きなスポーツに取り組んでいるのに、常に苦しそうだ。尤も、成果を出した後には一瞬の満足感を除かせる。厳しさを乗りきった男の顔をしている。極めて魅力的だ。

現在の日本は多くの社会不安に覆われている。政治への不信、経済の停滞、隣国の台頭、多額の国債。年金すら保証されず、国を頼ることも出来ない。これだけ不安なら、本来は自助を前提として、未来を考えなければならない。必要な資金や社会的なポジションを得る為には、相当の努力が必要となる。

イチローほどでは無いにしろ、厳しさを受け入れ修練に勤しみ、勝利を目指さなければならないのは、どの業界、どの職種でも同じはずだ。一昨日、ある著名な会計士の方とお話しをする機会があった。現在は国の方針もあり会計士を作りすぎて余剰の状態だという。一生懸命勉強して会計士になっても、高い報酬や安定を得られるわけではない。会計士の中で抜きんでてこそ、全てを得るができる。弁護士なども同じだ。抜きんでるいは、それなりの武器が必要となる。それを後天的に得るには、相応の代償を覚悟しなければならない。

ましてや司法試験レベルの優位性の高い資格すら持たない普通の社会人は、厳しさの先にある自己の成長を目指さなければ、未来はあくまでも暗い。

当たり前の話しなのだが、実際は社会で厳しさを求めることが減ったような気がする。採用活動の段階でも、手当や休日の多さで人を集める会社も少なく無い。学生も厳しさが匂う企業は敬遠する。本質論で言えば、厳しさを避けて競争力を持てない。好き嫌いではなく、本来は生きるために受け入れるしかないのだ。日本に限って言えば、今は過去のストックがある。社会に守られていれば、当面は厳しさと対面しないが、その状態は一時的なものだ。厳しさから逃げた人間が幸せになれる場所は世界中探しても、ほぼ無い。

長期に渡って、生き甲斐と幸せを掴む為には、厳しさを受け入れることが基本的には前提だ。自力で生きるという事であれば、甘さは命取りになる。どれだけ声高に厳しさを叫んでも、言い過ぎではなかろう。

また、本来その厳しさは他人から強要されるものではない。上記の事を得心し、自らの意志の下に受容すべきだ。他人から強要されては精神が保たないし、継続出来ない。

HWSが目指すのは、強要された厳しさではない。自らの未来を見据えた結果、自然と舞い降りる厳しさである。HWSに入社すると、実際は驚くほど自由がある。自由とは案外曲者で、楽と同義ではない。

ゴールの設定も自ら行うので、厳しくしようと思えばどこまでも厳しく出来る。楽をしようと思えば楽も出来る。HWSとはそんな環境だ。ただし、楽をして成長も勝利も実現できない人間が、他者に頼って居続けられるほど甘い環境でもない。いずれ、居場所を無くすことになる。

例えば年間に2000万円の売上を上げるメンバーがいるとする。現状で一人のエンジニアが上げる売上としてはそこそこだ。まあ、ビジネスパーソンとしては幼稚園児クラスではある。この2000万円で自分を許せば、その範囲で仕事を流しておけばよい。これを4000万円にしようと思えば、自分の全てを注ぎ込んでも、簡単には到達できない。厳しく自分を律し、策を練り努力をし、高いレベルを狙わなければならない。他人に与えられたノルマではないので、言い訳が出来ない。言い訳する意味がない。

基準をどこにするかによって、厳しくも出来るし、楽にも出来る。そのラインは他人が与える物ではない。自分が腹の底から湧き上がる衝動によって決めるものだ。

HWSは厳しい環境を目指す。その厳しい環境だけが、未来に関わったメンバーの発展と幸せを生み出せるのだ。そして、その厳しさはメンバー一人一人の内側から湧き上がるものでなくてはならないのだ。