会長ブログ(株式会社ヘッドウォータース代表取締役:篠田庸介)

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2010年09月24日 18:33

仕事観

話しは少し前項からの続きになるが、HWSに流れる思想の根底には、いかに日本が世界に貢献し続けられる国であるかがある。その為には、世界が必要する新産業を生み出さなければならない。その為にはある種の富国強兵が必要だ。

黒船の時代と違うので、他国の台頭があり経済的な外圧がかかろうとも、さすがに戦はイメージしないが、富国強兵はこの時代にも必要だ。

富国の前提は他国の追随を許さない独自の産業である。また今日で言う強兵は、その産業を生み出し運営する優秀なビジネスに関連する人材であり、その人材を支配する一種のビジネス観であろう。どの様なスタンスでビジネスに当たるかの常識が、強兵の根源でもあるのだ。

戦後、高度経済成長の時代にエコノミックアニマルと揶揄された日本人であるが、その没我的に仕事に注力する姿勢が日本の競争力を支えた事は否定出来ない。当時に欧米並の余暇を享受していたら、今の豊さや平和を得ることは出来なかったはずだ。

その時の日本人は、それをハードワークとは思わず、職がある事、家族が食にありつける事を幸せと考え、必死に仕事に取り組んだだろう。彼らを支配したのは、上司でも会社でも無く、その時代に流れていた価値観である。強く優秀な管理職も各組織にいたのだろうが、その強さは本人が自己啓発によって身に付けたものではなく、時代がそれぞれに授けたものだ。

よって、人材育成と言う単語は世間でも頻繁に使われるが、我々が志向する人材育成とは、単に一人一人の人間を訓練し育成する事や、その為のマネージメントシステムや教育環境を構築する事を指さない。我々の提唱する人材育成とは、日本全体を支配するビジネス観を醸造する事にある。その為には次世代に向けて新たな常識を体現する集団が必要だ。その集団が一点突破する事で、未来へ向けた正しい道が示されるのだ。

これは特殊な話ではない。マイクロソフトはPCの世界に新しい常識を生み出しただろうし、グーグルはインターネットビジネスの新しいあり方を提唱した。その後ろを多くの企業群は追随したはずだ。誰かが突破すれば、道は創られるのだ。HWSは今の日本において、その道を創る為に生を受けた集団だと規定したい。

日本の強みを活かし、未来発展を目指すなら、テクロノジーから離れる訳にはいかない。日本に40万人以上いると思われるSE達をより強い存在として世に送り出し、日本の国際的競争力の源泉としたい。彼らの力を持って、世界に貢献できる国日本の再興を図りたいのだ。ポテンシャルのある日本人エンジニア達が本来のパフォーマンスを発揮するには、彼らを突き動かす、次世代に適応した仕事観が必要となる。

その仕事観は決して甘いものではなく、耳に心地よくも無いだろう。歴史的にみても、次世代に必要な正しいスタンスは、前時代に対するアンチテーゼを多く含む。現状を否定されて喜べる人間は少ない。

明治維新の時に多くの士族は職を失い、中央集権を実現する為に、多くの農民達も飢えた。明治に入りしばらくの間は、維新を喜ぶ人間など薩長関係者だけだっただろう。しかし、中央集権の体制がなかりせば、後の日露戦争の勝利もなく、日本の領土は更に狭まっていた可能生が高い。

HWSの取り組みは、意欲としてはこれに似ている。就活生に体しては、正しい自分の身分を教え、本来の就活意味を教える。SE達の意識の改革を目指し、彼らの可能生をギリギリまで引き出したいと志向する。HWSの主張の中には、現状に対する否定が多く含まれる。それは今まで社会や、今の仕組み批判しているのではなく、ひたすら次世代の発展と生き残りをかけた戦いを見据えているからだ。

我々には目指すべき頂きがあるので、就活中の学生にもSEにも媚びない。軸を微塵もずらさず、ひたすら我々の主張を繰り返す。我々のビジョンをうったえる。

これから我々は、本来のベースをより強く意識し、HWSの第二幕を開くつもりだ。現在、私の胸中にあるのは、この意欲のみだ。モチベーションは、無意味に高めるものではない。価値ある自分の人生を、投じるにたる使命を定めた先に、自然と湧き上がるものなのだ。

2010年09月22日 15:23

ロジック

2010_0917_a.jpg今年辺りは就職活動の開始も早いらしい。既に人気企業に対する学生のアプローチは激化している。流石にHWSは10月から本格的な採用活動をスタートさせるが、大手を蹴ってでも過激なベンチャーを選ぶ希有な人材を集めたいところだ。

HWSの関連会社にライフタイムテクノロジー(以下LTT)という企業がベトナムにある。ベトナムの就活はインターンが中心だ。教授の推薦などで良さそうな企業でインターンシップを行い、そのまま就職するパターンが一般的だ。

LTT社でもインターンを大量に受け入れている。工学系ではベトナム屈指のハノイ工科大学の学生ばかりなので、総じて地頭は良い。学生だけに業務経験は無いが、技術の習得の早さは日本の一般的なエンジニアの比ではない。地頭が良い上に情報通信分野における基礎をしっかり学び、更に高い向学心を持っている。これでコミュニケーション能力に問題がなければ素材としては一級品だ。

実は彼らはベトナム国内の大手企業にもインターンで行けるのだが、進んでLTT社の様な零細企業にインターンとして来ている。ある意味不思議だが、どうやら彼らなりの考えがあるらしい。

成長市場であるベトナムに住む彼らは、彼らなりの感覚で未来を考えている。大手企業に入って日系企業の下請に甘んじるよりも、新しい技術分野に積極的に取り組み、裁量権を持って開発に当たった方が、将来の発展があると考えているのだ。当然個人差はあるが、学歴エリートがLTTを選ぶことは決して変わった事ではない。

これが日本であれば、何故そんな零細企業に行くのかと説明を両親にも友達にもしなければならない。なんだかんだ言いながら、長年の平和を享受し続けた国民の感覚から言えば、長いものには巻かれるのが賢いのだ。その常識の中で、安全で他人に対して優越な意識を持てる会社に入るのが、日本の就職活動のベースだ。そこには哲学やビジョンは無く、雰囲気が人を動かしている。

話しはちょっと変わるが、ベンチャーを希望する人間の動機はいくつかに絞られる。
・裁量権のある仕事を若いときからしたい。
・将来独立を考えているので、ベンチャーにて小企業の運営などを学びたい。
・経営者に惹かれた。
・ビジョンに共感した。
etc

2010_0917_b.jpg動機は様々で良いが、外してはいけないのがビジョンに共感する事だろう。多くのベンチャーは大手企業と比べて、待遇面でははるかに劣る。全社員にシャワーの様に降り注ぐ手厚い待遇はない。そんな中に飛び込み、時に理不尽なまでに業務への没頭を求められるベンチャーで迷い無く経験を積んで行くには、ビジョンへの共感が不可欠だ。

まあ、本当に優秀な人間はベンチャーだろうが、大手だろうが稼ぐだろうし、逆にベンチャーの方が若年で高所得もレベルの高い仕事も取り組めるので、ベンチャーを選んだ方が得でもある。本当に優秀な人間はという前提付きだが・・・。

多くの人はビジョンとはエモーショナルなものだと捉えているが、これは間違いだ。ビジョンとはあくまでもロジックだ。思い入れは必要だが、理論が破綻していては、自分も他人も本気になれない。それを感情的な部分でごまかすのは間違っている。ビジョンの共感とは、情緒的な事を指しているのではなく、ロジックが腑に落ちるているかどうかと言うことだ。

ビジョンをロジックとして捉え、冷静に受け入れていれば、企業も経営者も一貫性を持つ。そのビジョンが本物か嘘かを見極めるには、ひたすら一貫性を探ればよい。プレゼンの能力が高い人間はいくらでもいるので、表現方法や押し出しの強さでビジョンの真偽を見極めてはいけない。学生などはエモーショナルなスピーチを打ち込まれると、すぐに感化され舞い上がるので注意が必要だ。

先にありきはロジックだ。ロジックが成立しているので、未来もかけられるし感情も乗るの。情緒的な部分も沸き立つというものだ。

2010_0917_c.jpgベトナムの学生がLTTに入社するのも彼らなりのロジックがあるからだろう。新しい分野に挑戦しなければ、自分の技術が劣化することも競争優位を持てないことも分かっているので、あえてベンチャーなのだ。また、根本的な自分のポテンシャルに自信があるので企業のブランドに頼る必要性を感じていないのかも知れない。

この二十年を振り返ると、世界に飛躍したベンチャー企業は日本から出ていない。アメリカを見れば、マイクロソフト、オラクル、グーグル、デルなど世界規模で事業展開を行っている会社がいくつも出現した。巻き返し組ではアップルなどもある。

政治的な課題や日本経済の閉塞感が新聞紙面やニュースなどで叫ばれている。日本にはいくつもの課題があるのだろうが、根本を上げれば世界で戦えるような新産業が育っていないということだ。新しい芽が生まれないので、市場に活気も生まれないのだ。成長性さえ描ければ、雇用問題もデフレスパイラルもあらかた解決する。その他の金で済む問題は、全て解決する。リスクマネーも市場に流れ出す。

新産業を生み出すのは、それを促す社会的な雰囲気と、その中で立ち上がる人材であろう。日本の若い人材は能力的には他国に負けるものではない。足り無さがあるとしたら、ビジョンだ。雰囲気に流されるのではなく、自分の頭で構築したロジックに従い未来を決める意志が足りていない

あえて若いに人間に志を持てとは言わない。今は幕末では無いので命のやり取りもない。原始的な恐怖に対抗する必要も無い。普通に理屈が好きなら理屈を考え抜けばよい。大事なのは、その上で評論家でも傍観者でもなく、その理屈を自ら形にするプレーヤーになることだ。己の理屈にそこまで殉じれば、それは志となる。

雰囲気ではく、思考で判断する。感情よりも論理を優先する。今の時代背景で、この二つを徹底したなら、過去を否定し未来を創造するベンチャーと言う生き方にたどり着く。世界は動いている。過去のロジックの焼き直しでは計れない変化を迎えている。自らの頭で考えなければ我々に未来はない。

2010年09月17日 10:58

指導者の資質

先週の大会でプロゴルファの石川遼選手が優勝した。最期は、高校の先輩である園田選手とプレーオフで一騎打ちとなり、見応えのある優勝争いだった。4ホール目で園田選手が1メートル弱の10回打ったら9回は入る様なパー・パットを外し、先にパーでホールアウトしていた石川選手の優勝となった。

園田選手がパー・パットを外した瞬間の石川選手の表情をテレビカメラが映していたのだが、この時に彼の表情が尋常ではない。パットが外れた瞬間に優勝が決まり、巨額の賞金も確定するのに、彼の表情には微塵の喜色も浮かばない。言葉以上に表情が語っていたのは、もっと園田選手とこの素晴らしい時間を過ごしたかったという気持ちと、短いパットを外してしまった園田選手の気持ちを慮るスポーツマンシップであった。

石川選手が見せたような態度を取ることは、平時なら不可能ではない。ギリギリの勝負の最中に、何千万円という大金が目の前を動く中で、あの表情を見せた所が素晴らしい。余程全てを計算し、自分の立ち居振る舞いを律しているか、本物のスポーツマンとして正しい人格を作り込んで自然に取った態度なのか、どちらかであろう。いずれにしろ、18歳の青年が取れる態度ではない。

現在HWSでは内定者の研修が始まっている。社内から研修担当を募り、指導に当てている。技術も教えるし、HWSの人間として正しい態度も指導する。ビジネスパーソンとはいかなるものか、基礎から叩き込むのが教育担当の役目だ。成果への執着も、その為に払うべき代償のレベルも、言葉だけでは伝わらないので態度で示す必要がある。

マニュアルを読んで、人を指導できるなら楽なものだ。それで人材育成が出来るなら、教育者は必要ない。対象者は勝手にマニュアルを読めばよいのだ。実際は、言葉や文章だけでは、人に影響を与えることが出来ず、結果として指導は不十分となる。また、言葉の上で良いことを言っても、実際の態度が違えば誰もその良い内容を本気で聞かない。

もし石川遼選手が、園田選手がパー・パットを外した瞬間に喜色を一瞬でも浮かべれば、後に「もっと一緒にプレーしたかったです」「自分のゴルフをするだけです」などと言っても白々しく聞こえる。心の中では「ミスしろ、ミスしろ。」と願っていたのではないかと勘ぐってしまう。それはそれで普通の事なので、批判の対象にはならないが、今ほど石川選手に対する衆望は大きくはなっていない。

石川選手の正しい態度が土台にあり、初めてスポーツマンとしてのコメントも人の心を動かすのだ。

人の指導にも同じ事が言える。例えば内定者が成果に対して執着していない様な発言をしたとき、その瞬間に怒気を発せねば駄目だ。しかも、自然と発せねば駄目だ。内定者が期限に対して無責任な態度を取ったとき、内定者が規律を安易に無視したとき、正しい表情、正しい態度が取れなければ、その後に指導しても必要な効果は得られない。

この態度や表情のレベルが、その人間の指導力のレベルとも言える。

指導者は正しい態度を身につけよ。指導者は正しい態度を創る土台として、自分の哲学を組み上げよ。

これは内定者の研修に限った話しではない。社内にて部下を育てるとき、外部のパートナーと協業するとき。その都度正しい態度、正しい表情が求められ、それによりこちらの信頼度が計られるのだ。

正しい態度を身につけたときに、我々HWSは真に信頼され期待される存在となる。実力を育み、その実力を制御する社格を身につけたときに、IT業界における石川遼選手の様な存在と認知されよう。日本経済において石川遼選手の様に期待もされよう。我々の存在が多くの方々の希望となるだろう。

2010年09月13日 16:38

課題の種類

先週は出張前後で立て込んでいたので、久しぶりの更新となる。週2回は書き続けよと思って来たので、1週間更新しないと気持ちが悪いものだ。よって、今週は本日更新。

企業経営を続けて行くと、当然だが多くの失敗もあり課題は山積される。通常は課題解決の為に、もっと良い方法論を探す。それはそれで必要なのだが、案外根本的な問題は方法ではなく、その課題に取り組む意識である事が多い。

仕事において取り組む課題には、プラスマイナスゼロが求められる場合と、大きな付加価値が求められる場合がある。プラマイゼロの品質で良いのなら、オペレーションを研けばよい。付加価値が必要なら、意識から改革しなければ求める成果は得られない。

例えば弊社では、ISO27001を取得しているが、これを正しく運用するには、制度の整備が必要だ。情報セキュリティに対するメンバー全員の意識の高さは必要だが、管理体制が基準のレベルに達することが第一だ。ここに大きな付加価値は必要なく、オペレーションを研ぎ澄まし、求めるレベルに達すればよい。つまり、プラマイゼロを実現すればよい。労力は必要だが、粛々と進めれば求める成果は得られる。

先日、某所にてワタミフードサービス(株)の渡邉美樹会長の講演を聴く機会があった。流石に良い話しをされていたが、その中で記憶に残った事を一点挙げたい。

渡邉氏が言うには、今まで色々な事業を手がけて来たが、失敗したケースと成功したケースには明確な相違点があるとのこと。「頭で考えた事業は成功せず、心で感じた事業は成功する」これが結論らしい。これには強い賛同を覚えた。

現在の情報化社会において、プラマイゼロで事業が成立する事は希だ。基本的には他社との区別化がなければ事業は成り立たない。特に新興企業が成長しようと思えば、既存の競合他社との明確な差異が必要だ。それが無ければ、社会にその新興企業は必要とされない。

どれだけ「普通」「常識」を超えられるかが事業の成立要件だ。これには付加価値が必要だ。付加価値は戦略を練れば生まれる訳ではない。自社が戦略的に考ている事は大なり小なり他社も考えている。「普通」を超えるなら、キーワードは「執着」「愛着」「徹底」などとなる。その事業をどうしてもやりたいと言う衝動が無ければ、付加価値は生まれないのだ。

コンサルタントのアドバイスを受け、最新の手法を取り入れてみても事業は上手く行かない。普通の人が手放す様なフェーズで、更に事業を深掘りするには、賢さではなく思い入れが必要になる。他社が踏み込めない領域へと深く掘り進んだ結果、付加価値も個性も生まれるのだ。

多くの課題に直面する中で、再度考えなければならないのは、今自分が取り組んでいる課題はオペレーションの問題なのか、付加価値の問題なのかだ。前者であれば外部のリソースに頼るのも一手だが、後者であれば問題は自分の内側にある。

渡邉氏が取り組んで来た事業を見ると、あまり特種な業態はない。飲食、老人ホーム、病院など昔からある一般的な事業だ。この普通の事業に思い入れを持ち、入れ込んでいった結果、特種な部分が生まれ競争優位を得るに至っている。決して、戦略ありきで競争優位を実現したわけではない。

HWSも最初から特種なビジネスモデルや、パッケージ、技術領域を持ってスタートした会社ではない。あくまでもシステム開発という既存にある事業領域を進んでいる。しかし、我々には既存の業界構造やSEのあり方に対し、もっと良くすべきだという強い意志がある。

日本が世界に貢献出来る最大の武器はテクノロジーだ。そして、現在そのテクノロジーはソフトに依存する部分も大きい。日本のSEもIT業界も、革新の中で次世代での競争力を掴まなければならない。付加価値を上げなければならない。プラマイゼロのレベルであれば、中国を中心に隣国の同業者も既に十分な力を持っている。しかも、日本の数分の一のコストである。我々は付加価値生むか消え去るかの瀬戸際にある。これはSEだけの話しではなく、技術における優位性を無くした日本の未来も暗示している。

執着、愛着、使命感を持ち、この業界をリードする集団が日本には必要であろう。願わくば、HWSがその役割を担いたい。その資格が我々にあるかどうか、我々の意識が今試されている。

2010年09月05日 16:03

自然体

世の風潮では、自然体でいることを良しとしている。自分らしく無理をせずが良いと言う。懸命に訓練をし、色々事を犠牲にし、何かを成し遂げる生き方は、テレビの中の他人事であり、観ている分には感動出来るが、本当に自らが求めるのは楽で自由な未来だったりする。

私の根底には、「自分が何者であるかは、自分の意志で規定したい。」との想いがある。

自由を殺し、無理を自らに強いても、有るべき自分に近づけなければならないと思っている。私にとって自然体とは、動物としての本能のままに生きる事ではなく、「人事を尽くして天命を待つ」と行った人間として境地に近い。やりたい事に反射的、感情的に飛びつくのではなく、意志の力で己を律し、何かを極めた先に自然体は得られるのではと思う。その意味において自然体で生きる事は簡単ではない。

今、私が自分自身を規定している項目はいくつかある。「リーダーである」「事業家である」「HWSのメンバーとして恥ずかしくない人間である」等々自ら決めた事がある。感情的に求めている事と、自ら決めた規定が相反することもある。身体がしんどいから休みたいと言う感情と、成果を求めて業務に向わなければならないと言う意志は、時に相反する行動を求める。

私の場合、常に優先すべきは、己の意志で規定した自分の方だ。一時的な楽さや感情を満たすことを追う生き方では、未来に幸せになれないことを得心しているからだ。

これから2012年入社の新卒採用が始まる。彼らは自分らしく生きたいと言うし、個性を見て欲しいと言う。自分らしく生きたいと言う割には、自分らしさを規定していない。自分らしくの明確な答を持っていない。それなのに、自分らしく生きられる職場を探しているとしたら、矛盾がある。彼らは自分らしく生きたい訳ではなく、単にストレスから逃げたいだけだ。自分らしくを掲げて、成果や責任から逃げたいだけなのだ。

ビジネスの世界では、成果に繋がらない個性など必要ない。自分らしくは手段であり、それを競争力として成果に繋げる覚悟があるなら良いが、これには相当のプレッシャーが付随している。並の神経では、このスタイルを押し通せまい。成果をコミットできないなら、薄っぺらい個性や自分らしさなど捨ててしまった方が良い。自分の成長にも、組織の勝利にも邪魔なだけだ。

HWSが提唱する姿は、世に流れる多くの学生の耳に心地良い言葉とは違う。

HWSでは「能力を上げたければ厳しさに身を浸せ。」と言う。
HWSでは「ロマンを口にするなら、それに伴うリスクも負荷も受け入れろ。」と言う。
HWSでは「個性を主張するよりも、組織の勝利を最優先にせよ。」と言う。

このブログでは常に語っているが、全ては激動の未来に全メンバーが生き残り、成長して、HWSのビジョンを成し遂げる為だ。近隣の国々が台頭して来たとしても、他国の人材に負けず、日本独自の強さを活かし世界に貢献し続ける為だ。成長や勝利という、ごまかしのきかない未来を目指すには、受け入れやすさなど無視して真実を突き付けなければならない。HWSが提唱する事に難しい理屈はない。あるのはシンプルな正しさである。ただし、シンプルなだけにごまかしも効かず、厳しさを当たり前の様に要求するので、耳に心地良くはない。

世の中に人材育成を謳う企業は多い。人材育成を謳うなら、メンバーをより激戦区に送り込むしかない。厳しさを妥協無く要求しなければならない。その経験無くして、メンバーがビジネスの世界で通用する人材へと育つ訳がない。嫌になるくらいの厳しさを要求しない人間が、人の育成を真剣に考えているとは思えない。厳しさには理論が必要なので、単なる根性論や精神論はナンセンスだが、多くの研修企業などが提唱する、社員に目先の刺激を与えるカリキュラムで人材は育成されない。

この面では、現在の学校教育には正直なところ疑問がいくつもある。厳しさのレベルは年齢によるだろうが、根本的にはそれぞれの年代において必要な困難を乗り越えて来なければ、一人前の大人にはなれない。

現状、こんなHWSでも私が求める組織のレベルには未だ届いていない。何が正しいか、それぞれがHWSをどんな組織だと規定するか。また、自分自身を何者と規定し、それに殉じるか。

この面において、HWSはまだまだ組織として必要な成熟を得ていない。新卒採用は、HWSの新しい戦力を集める事が目的ではあるが、同時に現メンバーが自らを何者であるか規定する良い機会になればと思っている。

2010年09月02日 16:12

割に合う

世の中に、割に合う合わないという言葉がある。割に合わない事から逃げようと言う風潮ではあるが、案外、割に合わない事にこそ次へのステップが隠されているものだ。

私の二十代前半などは事業家を夢見て割に合わない事ばかりしていた。周りから見たら「馬鹿な奴だ」と思うだろうが、不思議なもので、二十年の歳月で考えるとそれらは割に合ってくる。そもそも割を気にしていたら起業など出来まい。

人材育成などは最たるものだ。未熟な人間に業務をふると、教える手間がかかる割には生産効率が上がらない。効率が悪いだけではなく、何かしらの失敗をすることも多いので、事後処理に工数を奪われることもしばしばだ。挙げ句の果てには、育った頃には会社を辞めたりする。とてもでは無いが割に合わない。

100902_c.jpgもし、育成した人材が手元に残れば将来にリターンが見込めるが、そう言う短期的な視点を抜きしても、人材を育成した側には多くのリターンがある。人材を育成する間に多くの経験をする。多くの葛藤も処理しなければならない。それらの時間が、自らの能力と人格を育む。

また強い組織を作り厳しい環境下でビジネスを展開するためには、メンバーに様々な負荷を強いらなければならない。自らが背負ったことのないほどの負荷をメンバーに要求するのは無理だ。その言葉に説得力はなく、誰の心を動かすことも出来ない。

割に合わない時間を使い、試行錯誤を繰り返し、負荷を背負った経験が有ってこそ説得力もマネージメントの強さも身につく。演技をしなくても、強いリーダーシップを持つ為のノウハウ本を読まなくても、自然と人を牽引する力が身についているはずだ。

新卒、中途も含めてHWSでは増員に力を入れている。とてもでは無いが、今居るメンバーだけでは仕事をこなしきれない事もあるが、HWSが提唱するビジョンを達成するためには更に社会的な影響力を増さなければならないので、現状の規模でデフェンスに回る事は許されないのだ。

エッジが立った企業な分だけ、HWSに合致する人間は他社と比較することなくHWSを選ぶ。良い人材を集めようと言うよりは、手を組むべき人材を集めようと徹底した結果、案外採用に困った事はない。意志を持った大人なら、HWSを選ぶか敬遠するか、明確に答を導き出せるはずだ。よって、他と比べることなく来る人は来るし、来ない人は来ない。その為に必要な明確さがHWSにはある。

100902_a.jpgよって、過去と同様にHWSに来るべき人は自然とHWSに集う。これから200名、300名とメンバー数が増えていく中で、当然現存のメンバーには強いリーダーシップを期待したい。強いマネージメントを期待したい。それは簡単な事ではないが、マネージメントスキルを向上させて対応すると言うよりも、各メンバーはリーダーとしての正しい覚悟を持ってその任に当って欲しい。

ここで言う覚悟とは、割に合わない事を自ら進んで背負う事だ。

様々な組織で権限委譲が叫ばれている。権限委譲にはルールがある。HWSでは極限まで権限を委譲するために様々な取り組みをしている。メンバーにも美味しいどころ取りではなく、自由と同時に背負うべき負荷も要求している。

HWSの勝利に貢献する能力も覚悟も無い人間には一切の自由も許されない。自然と降り注ぐ自由を期待してHWSの門を叩くと後悔するので、予め忠告したい。

これからHWSの門を叩く人間、またHWS現メンバーに一つアドバイスがある。HWSにいる以上は、いずれ強いリーダーシップが期待される。スキルもやる気も、ただ持っているだけでは価値がない。それらを使って成果出してこそ評価される。技術は何らかのコレクションではない。お金と同じで、使ったときにのみ価値を生み出す。HWSではひたすら成果が求められる。そこに一切の妥協はない。逃げ道もない。その成果も、出来る事をやって普通に出るような成果ではなく、現状のままでは手に入らないレベルで求められる。成長して今以上の自分になるか、HWSを逃げ出す以外に、未来の選択はない。

リーダーシップとは勝利を導く力だ。リーダーシップを定義するなら、それは勝利と同義語になる。成果や勝ち負けをテーブルに乗せずリーダーシップを論じるのは間違っている。当然、この言葉は私自身にも当てはまるので、心して事業に取り組む覚悟は持っている。繰り返すが、リーダーシップとは人を纏める力でも、調整する力でもない。ひたすら勝ち続ける力だ。

一旦、リーダーシップを発揮しようと決めたなら、勝利を最優先しなければならない。私情は捨て、勝利を追わなければならない。勝つ確率を少しでも上げる為に、割に合わない事をやり続けなければならない。勿論、ここで言う勝利とは一時的な繁栄を指さない。継続的な成果を指す。

100902_b.jpgその中で、具体的なアドバイスをするとしたら、リーダーは一番嫌な仕事は最期まで自分に残すべきだ。権限委譲により、リーダーの物理的な作業量が減るのは望ましい。自分の権限を部下に委譲し続けると自分のやるべき事が鮮明に浮かび上がる。権限委譲を徹底すると、リーダーしか出来ない仕事が残るはずだ。大きく分けて二つ残る。

一つは、リスクが極めて高い事業を推進する事だ。企業の発展を考えて攻めなければならない状況では、リーダーが陣頭指揮に立たなければならない。そして、全ての責任を取らねばならない。もう一つは、一番嫌だと思う職務は、やはりリーダーが背負わなければならない。組織を運営する中で、順調に行くことばかりではない。色々なねじれを修正し、前進しなければならない。その所々で、図らず嫌な作業が発生する。そのどうしても嫌な事は、自分の存在価値だと思い気概を持って自ら取り組まなければならないのだ。

かっこの良い言葉でまとめれば「ビジョン」と「最終責任」がリーダーの職務だと言ったところだが、実務ベースで言えば、上記の二つとなる。

そこで読者諸兄に一つだけアドバイスを残す。一番嫌なことは部下に委譲してはならない。そこそこ嫌なことは部下を育てる上で必要なので、次々に渡してしまえば良い。しかし、心から逃げ出したい局面では、自分が処理に当たらなければ駄目なのだ。

この覚悟がリーダーとしての自分を作り上げる。強いマネージメントも、対人能力も育む。しばらく割に合わないかもしれないが、いずれ自分の糧となり、未来の繁栄へと繋がる。いつか必ず割に合う様になる。