会長ブログ(株式会社ヘッドウォータース代表取締役:篠田庸介)

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2011年09月27日 11:17

トリレンマ

円高がなかなか止まらない。日銀の微弱な介入では、大きな流れを変えることは難しい。そもそも、為替相場をコントロール出来る仕組みを日本は選択していない。

国際金融のトリレンマが、この時期話題となる。
・国際的な資本移動の自由
・金融政策の自立的裁量権
・安定した固定相場制
この場合のトリレンマとは、上記の三つの内二つしか同時には選択出来ないというもの。

中国で言えば、「安定した固定相場制」「金融政策の自立的裁量権」を選んだ為に、「国際的な資本移動の自由」は放棄している。日本や米国は、「金融政策の自立的裁量権」「国際的な資本移動の自由」を選ぶ代わりに、表向きは「安定した固定相場制」を放棄している。

よって、現状問題になっている円の高騰を制御する力を日本政府は持っていない。そもそも、相場のコントロールを放棄する立場を取っているので、これを御するのは理屈に合わない。これを前提に円高を語らねば、議論は成立しない。

ビジネスに対する態度にも同じ様な事が言える。

安定した所得、心の平安を職場から得たければ、チャレンジャブルなビジネスの面白さは放棄しなければならない。裁量権を極大化したければ、リスクを取らなければならない。安定した職を持ちながら、新規の事業にチャレンジするなら、自分のプライベートな時間を放棄し、ビジネスに投入しなければならない。

安定した職、ゆっくりした時間、ビジネスにおける発展。

これらを全て取るのは難しい。何某らの成功を掴んだ後なら、全てを満たすことも可能なのかもしれないが、一線を越えるまでは、選択できるのは一つだけだ。

その意味では、本来のトリレンマの意味合いに近い。3つの中から1つしか選択が出来ないのが原義で言うところのトリレンマであろう。

若いビジネスパーソン達にアドバイスがあるとすれば、自分がトリレンマの中にいると自覚しろと言うところか。自分が一番欲しいものは何なのか、よく考えて自らの意志で選択をして欲しい。

無限の裁量権が欲しければ、当面ゆっくりした時間は放棄しなければならない。ゆっくりした時間が欲しいなら、安定した職やビジネス上の発展は放棄しなければならない。何かを掴む為に、何かが失われる現実を知らなければならないのだ。そして、それは日本の金融政策と同じ様に、その損失は自ら選んだ道であることも、理解した上で将来に向かわなければならないのだ。

私個人の過去を振り返ると、ゆっくりした時間も安定した生活も全て放棄し、未来の発展だけを選んだ。多額の借金を背負い破産寸前まで行ったこともあるし、睡眠時間2時間程度で、365日仕事をしていた時もある。

才能のない自分が、トリレンマの中で発展を選択するなら、その程度の代償は必要だろうという理解だけはあった。馬鹿で未熟な若造であったが、ビジネスに対する態度は間違っていなかった様に思う。

そこまで一点突破にかけても、未だに思い描いた成功からはほど遠い。まだ足りないと言う事だろうし、依然としてトリレンマの最中に居るのだろう。

HWSにおいて、多くのエンジニア達が、錬磨した技術を武器にビジネスの世界で活躍出来る環境を作りたい。しかし、エンジニアに限らず、普通の社会人がビジネスの世界に足を踏み入れるのは簡単ではない。

実務能力のハードルが高いのではない。高いのはトリレンマの中で一点を選べるかというハードルである。リスクを取れるか。時給で換算されない、労力を支払えるか。この辺が、一般的なサラリーマンの方々がビジネスの世界に踏み込む為の壁となる。

しかし、世界を見ると、既にビジネスの世界で生きられない人材は居場所が無くなって来ている。先進諸国の給与水準は当然高い。給与が高いのは、相応の付加価値を生む義務を背負うからだ。付加価値が生めないなら、所得は激減するか、職そのものが無くなるかのどちらかなのは明白だ。

付加価値生むには、ビジネスの領域で戦うしかない。否応なく、その領域に踏み込まなければならないのだ。

無責任な世論に流されず、先ずは自分の意志でトリレンマに向き合い、人生を選択して欲しいと願う。

2011年09月22日 13:39

二軸

国内で勝利せずして、海外でのビジネスなど出来るかと言う意見がある。逆に、国内で最適化されたビジネスモデルは海外に展開しにくいと言う意見もある。双方、一理あり。

我々日本人は当然ではあるが、日本国内マーケットを熟知し、優位性を有している。日本マーケットの特殊さについて、海外企業の経営陣が話すのを何度も聞いた。マネージメントにおいても、マーケティングにおいても、自国で仕事を出来るメリットは甚大である。

そんな優位な環境でビジネスを成長させられない人間が、海外マーケットで勝てるはずが無かろうと言う意見は正論だ。これはビジネスモデルの事ではなく、個人及び組織の資質についての意見として正論である。

国内外に関わらず、ビジネスを成立させるためには多くの労力がかかる。個人で言えば、精神的な強さや、ビジネスを構築する為の戦略性などが必要となる。組織も高い生産性、パフォーマンスを発揮しなければ他社に競り勝つことは難しい。

よって、ホームである国内市場において、このパフォーマンスを示せないのなら、アウェイである海外で戦って勝利できる能力は無いという意見は正論。

これは、個人及び組織のパフォーマンスの話しである。

一方、ビジネスモデルに関しては、国内で最適化された形では、海外市場にマッチしないと言う意見も正しい。

ホームページ一つにしても、日本語のページを作り、後に翻訳して英語のページを作ると、なんとなく違和感がある。航空会社などの日本語訳のページなどを開いてみると、日本語が少したどたどしい。

日本の携帯電話も、日本マーケットの最適化して成長してきた為に、海外のシェアを取るに至らない。iモードなども良いサービスなのだが、日本以外の国で普及する余地がない。ミクシィも日本では圧倒的なシェアを得ているが、世界市場ではFacebookに対抗する事は不可能だろう。

ビジネスモデルに関して言えば、日本であまりにも最適化され過ぎると、グローバルマーケットに受け入れられない。車やデジカメなどのプロダクトなら良いが、webやモバイルを使ったサービスなどは、感性による部分が多く、展開するのは困難となる。

最初から海外マーケットをターゲットにした作り込みをしないと、サービスの展開は厳しくなる。

ビジネスモデルに関しては、日本で成功してから海外でと言う考え方は、いささか時流にマッチしていないと感じる。アメリカのIT系企業も、昨今では自国で勝利してから海外展開と言うのではなく、自国でサービスをスタートさせると同時に海外マーケットにも展開を図っていく傾向にある。

日本企業も、自国のマーケットでの展開と海外マーケットの展開を別に考えるのではなく、せめて同時に進行する意識は必要であろう。現在webの世界に存在しているプラットフォームを使用すれば、適性なコストでそれも可能であろう。

今、我々が志向すべきは、強力な戦略性、組織の高い生産性、事業を推進するパワーを秘めた組織を作ること。同時に海外マーケットへの展開を主に考えたビジネスを構築。これを同時に進行する事ではないだろうか。

最近、日本発でGoogleを超えるにはどうしたら良いか考える。アリババを超える規模に至には、どんな方法論があるかも考える。Facebook以上のユーザーを得るには、どんな手があるのか考える。

成否は別にして、チャレンジしなければ結果は近づいて来ない。構想はある。後は歩みを進めて行くのみであろう。

2011年09月20日 10:51

必須

例年よりはちょっと時期が遅れるが、そろそろ13年度卒の新卒採用が始まる。これからの時期は多くの学生と相対するので、自社への採用活動を超えて、若く未来がある方々へ必要な事を伝えたいと言う意欲を強く持っている。

年齢相応にビジネス上の経験は繰り返して来た。リアルタイムでアジアの台頭ぶりも感じて来た。それにより、これから社会に出る人材は、どうあるべきかの見解も持ってる。この見解を若者たちに伝える義務が、私にあるのではと思う。

職種業種を超えて、これから必要な技能を二つ挙げれるとすれば、「英語」と「IT」であろう。

生産もマーケットも、日本国内で完結する時代ではない。小売で圧倒的な勝者となったイオングループも、更なる成長を目指し、軸足を中国を中心とした海外に移しつつある。望む望まないではなく、日本だけを見て仕事をして行く事が許されない時代となる。

中国などを回っていると、日本からあらゆる作業が移管されている姿を目にする。大手企業でも、社内の事務作業を中国に移すケースが目立って来た。理論値で言えば、中国で一人月の仕事が増えれば、日本から一人月の仕事が減っている。

日本人が付加価値の高い仕事をしなければならないのは必然だが、同時に海外との連携が日常的になり、それに対応出来ない人間は居場所がなくなっていく。自然、英語は必須となる。

同時に国を超えたもう一つの共通ツールはITである。ITをどのレベルで利用できるかで、海外との連携のレベルも、海外での展開力も決まる。国を超えたマーケティング、国を超えた協業もITを駆使すれば、ローコストで実現出来る。この部分のリテラシーが低いのは、すでに致命的である。

英語もITも、実力を上げるには、コツコツとした積み上げが必要となる。克己が生み出す忍耐無しには、なかなか進まない。

当然、英語もITもツールであって目的ではない。料理で言えば、包丁や鍋の様なものだ。包丁の良し悪しを誇っても意味はなく、大事なのはどれだけ美味い料理を作るかと言う事。

英語やITを使い、何かしらのビジネスを形にしていくには、その他の専門知識や、事業を成立するのに必要な構想力なども当然必要だし、苦難にも微動だにしないだけの強靭さも必要だ。しかし、これらの要素は実践で戦いつつ、体得していくしかない。ハードワークの中に身を置き、実践の中でレベルを上げていくしかないのだ。

ITと英語は、実戦の外でも会得できる。だから、多くの学生にアドバイスがあるとしたら、遊んでいる時間を少し削って、これらの学習に勤しめと言う事。

ただし、覚えておいて欲しいのは、英語やITは就職の為にあるのでは無いと言う事。組織に所属する為に会得するのではなく、ビジネスを展開する為に身につけなければならないのだ。

社会に出るとは、どこかの組織に依存する事ではない。人間社会の一部を担うという事だ。一部を担う代わりに、食を得て安定した生活が出来るのだ。

英語もITも、依存の為のパスポートではない。自らの力で、自らの想いを形にする為の武器であると知り、希望溢れるビジネス人生をスタートして欲しいと願う。

2011年09月12日 16:17

背景は変わるもの

先日の日経新聞によると、富士通、ソニーがPCの輸出を拡大していると言う。富士通は生産ラインに複数の作業をこなせる多機能型ロボットを導入し、2013年度には11年度の三倍強にあたる220万台を輸出する。

ソニーはPCの設計から生産まで長野に集約し、「日本製」の旗艦機種を新興国に輸出する。

日本側で生産効率を高めていく一方で、中国では人件費が高騰している。結果的に日中のコスト差は縮まりつつある。中国の人件費は過去5年で2倍になっている。

日本で生産革新を続けていけば、品質維持や納期を効力した場合には、国内生産の方が有利になると両社とも見ている。

ヒューレット・パッカードも8月から日本で販売するノートPCの生産を中国から日本に移管した。日本HP社は「日本で生産すれば納期を短縮できコスト面でも遜色ない」としている。

世界の生産拠点として発展を続けた中国だが、その構造まま繁栄し続けるには限界がある。一方、日本を含めた他国も工夫と革新を繰り返せば、製造においても十分に対抗しうる。何かしらの優位性を、企業も国も持っている。しかし、その優位性は恒常的なものではなく、現時点での優位性に過ぎない。

日本も戦後復興において、いくつもの優位性を有していた。しかし、多くの優位性は他国の努力や、日本の発展によって消滅した。かつての優位性を頼って、未来の発展を描くことは出来ない。

優位性は時間と共に変化する。優位だった者が、その優位性にあぐらをかけば足下をすくわれる。逆に不利だった者は、いつか上位者の優位性が崩れ潮目が変わると理解し、力を蓄えなければならない。

冒頭に記したPCの話しも、中国の台頭により輸出台数が一時期の1/3になった日本企業群が生産革新に挑戦し続けた結果、人件費の低さと言う優位性で台頭した中国の状況が変わった時点で、業績を反転させる機会を掴んだのだ。

もし、状況が変化しないならば、巨大企業がその優位性を失うことも無く、倒産する事もない。かつての雄が、力を無くし瓦解した大型倒産の例など、この二十年を振り返れば山ほどある。

失われた十年と揶揄される日本だが、全ての企業が歩みを止めていた訳では無い。それぞれが生き残りをかけて創意工夫を繰り返してきたはずだ。その努力が形になるには、一定の時間が必要だが、潮目が変わる時期は必ず来る。

失われた十年だったか、繁栄の為の雌伏だったかは、未来に出される結果によって決まる。

頑張っても報われないと言う人もいる。現状の不利さを嘆き、努力を止め腐る人もいる。これらの人達は、状況が変わることを理解していない。

徳川家康も今川家、織田家に臣従していた頃は、「報われない」と思っていただろう。しかし、今川家も滅び、信長も討たれた後に、秀吉の風下に立った頃には、「状況は常に変わるものだ」と悟ったのではないか。その悟りが忍耐を生み、秀吉が没した後の天下取り繋がったのではないか。

昨今、現時点で圧倒的に強い企業群が話題になっている。Google、APPLE、国内ならDeNA、GREE辺りだろうか。お陰様で株式市場も各社の売買を中心に活性化されている。しかし、これらの企業の牙城も絶対ではない。時間が状況を変えてくれる。

我々が常に理解しておくのは、良くも悪くも状況は変わると言う事。そして、その変化の時に、勝負をかける実力を培っておく事だろう。実力とは個の力でもあり、組織の力でもある。次に仕掛けるビジネスの構築でもあるし、収益構造を強化し、潤沢な資金を蓄えておくことでもある。

変化を待つ忍耐と、時が来たら一気に仕掛ける攻撃性を、自らの内に育み、未来の繁栄を狙い続けて行きたいものである。

2011年09月08日 11:23

微妙さ

最近、ipad2を使っている。結論から言うと、極めて快適である。どこかで使う可能性がある資料は、PDFにして保存しておくので、打合せの時に必要な資料が常にある。webブラウジングも早く、打合せで話題に上がった事柄は即時検索出来る。

重さも携帯可能な範囲だし、電池の持ちも良い。仕事で一日持ち歩くには最適と言える。

常に立ち上がっている状態なので、ちょっとした打合せのメモを取りたい時も、ためらわず開いてガンガン打ち込めるし、人に見せたい資料がある時に、取り出す時間も面倒にならない。

当然、ノートPCでも同じ事は出来るのだが、使い勝手が微妙に違う。その微妙さが、結果家的に自分の仕事のスタイルを変えるほどのインパクトをもたらしている。

若い時は、ドイツ車が好きで、何台か乗り継いでいた。大して金も無かったので、もっぱらフォルクスワーゲンだったが、それでもドイツ車としての良さは十分あった。数値では日本車もドイツ車も大差は無いし、日本車の方が故障も少なかったのではと思う。しかし、実際ドイツ車に乗って運転してみると、何となく固くてカチッとした質感が全体にあり、運転していて気持ち良い。恐らく何かしらの微妙な差があったのだと思う。

この微妙な差が製品の価値を決め、イノベーションを起こすときもあるのだろう。ipadが提示したのは、驚きの最新技術ではなく、微妙な使い勝手の良さ、便利さだろう。しかし、iphoneも含め、その微妙さによって、時価総額世界一の企業が成立しているのだ。

人間の価値なども同じ様なものかもしれない。

ちょっとした気配りが出来るかどうかで、その人の評価は大きく変わる。「おはようございます」「ありがとうございます」「申し訳ありません」が心から言えるだけで、その人の評価は格段に上がる。

毎日5分遅刻する人はいずれクビになるが、毎日始業15分前には会社に来る人は、真面目だと評価される。その差は僅か20分である。

微妙な違いの積み重ねが、大きな評価の差を生む。そして、大きな評価を頂いた人が何かしらの新しい流れを生み出して行くのだろう。

私自身、ipad2を使い、その便利さ、快適さにやられている。冷静に振り返ると、PCでも代用できるし、他のタブレッドなどの選択肢もある。しかし、微妙な良さが、多くの使用者の心を掴み、ipadの人気を生んでいる。各所にて仕事のやり方が変わっている。ジョブズ氏は引退したが、当分の間は、この微妙さがもたらすアップルの優位性は保たれるのではないか。

人の何倍もの収入を掴むのに、人の何倍もの努力はいらない。人の何倍もの能力もいらない。人の何倍も時間を使う必要もない。

後一歩だけ踏み込めば、圧倒的な差が他者との間に生まれ、勝利は手中に来る。微妙たる一歩を踏み出せるかどうかが、成否の鍵なのだと感じる。

多くの方に言いたいのは、未来に希望を持って欲しいと言うことだ。成功した先人達は、この微妙な何かを知り、微妙な一歩を踏み出せたのだ。今までも頑張って来たのに、これからも無限に苦労しなければ駄目なのかと思うと大変だが、後一歩と思えば踏ん張りも効く。

成否を分けるのは、後一歩の気遣い、後一歩の執着、後一歩の努力と知り、日々の仕事に向かって欲しい。

2011年09月05日 14:35

特別な存在

シンガポールを発展へと導いたリー・クアン・ユー氏の言葉を借りれば、戦後の日本復興の源泉は「克己」と「組織の力」だと言う。また、阪神淡路大震災の復興劇も素晴らしく、アジアには日本人の様な国民はいないと評価している。

リー氏の評価では、日本人自身も自分達を特別な存在だと思っており、その思い込みが国家、会社、職場チームの別なく日本人に非常に優れた力を発揮させていると言う。

「自分達は特別な存在である」

この思い入れは、正負両面で働く。日本の復興が、リー氏の指摘どおり、この思いを基盤に実現されたとしたら、この思いは効果的に働いている。

ブラジルがサッカー大国で居続けられるのも、環境の問題もあるが、自分達は世界一サッカーが上手く、サッカーが好きな国民だという自負が根底にある。

全盛期の光通信にいたメンバー達は、自分達は日本一の営業集団だという自負があり、後発でありながら市場を席巻するほどの成果を生み出したのだろう。自分達は特別だという気持ちは、こだわり、執着を生み出す。その想いは、純粋にモチベーションとなるし、エクセレントなサービスや精巧な製品を生み出す。

当然、行き過ぎれば間違った選民思想を生み出し、端から見ていても気持ちが悪い。また、行動や実績が伴わない「俺たちは特別な・・・」が生み出すのは、言い訳と怠惰だけである。

立場が人を作るとも言う。人間は「○○であろう」と言う気持ちを持つ事によって、良い緊張感を生みだし成長を加速させる。「リーダーとして相応しい姿」「優秀なビジネスマンとして正しい言動」これらを意識して、適切に振る舞い続ける事によって、理想の姿へと近づいていく。

「俺たちは特別だ」を、行動に繋げようと思うと、実は結構しんどい。特別な自分達は、負けるわけにはいかない。特別な自分達は、隙を見せるわけにはいかない。特別な自分達は、驚きのある成果を出さなければならない。

この負荷を背負ってこそ、「俺たちは特別だ」と言う想いは美しくなる。他者を幸せにもするし、社会にも貢献する存在となる。

理由も覚悟も無く「俺たちは特別だ」と思い込んでは駄目だ。その先にあるのは、鼻持ちならない嫌らしい態度と、特別だから頑張らなくても良いと言う怠惰だけだ。同じ「俺たちは特別だ」でも、それに向き合う態度で、生まれる価値は180度違う。

HWSでは、いずれ良性の「俺たちは特別だ」を育んで行きたい。それは言うほど簡単な道でもない。自分達がやらねば、多くの人達が幸せに暮らす未来が作れないと言う勝手な思い込みを持ち、その為に他人の何倍もの努力を行い、挑戦的な未来へと歩みを進める。HWSは、そんな人間達の集団にしたいと思う。

一人一人が多くの負荷を背負ってこそ、特別な存在になれる。

逆に、それだけの執着が無ければHWSが提唱するビジョンなど具現化されない。人間の誇りは、相応に背負った努力や責務からしか育まれない。強い誇りが無ければ、継続性は生まれず、遠大な理想を実現することは不可能だ。

私がこの項で書いたのは、一つの真理であるとは思う。しかしアジア諸国を見ても、圧倒的な強さを生み出す国民性を持っている民族は少ない。自分達の強さ、特別さを自覚し、それに誇りを持って成果に繋げている民族はあまり見ない。我々が理想とする「特別さ」を身にまとうのは、相当難しいと言う事だろう。

我々は、その道に歩みを進める。

2011年09月02日 11:32

輝く時

日本の財政危機の深刻さは、周知のところだ。国民の預貯金残高が国債の発行額より多いので大丈夫だと言う意見もあるが、それも臨界点に近づいている。国家のバランスシートを見ると、案外資産があるじゃないかと言う意見もあるが、現金化出来ない資産は財政危機に際して役に立たない。皇居の土地に高値が付いたところで、これを諸外国に売って現金化を図るという選択はあるまい。つまり資産価値はあっても流動性はない財産で破綻は回避できないと言う事。この辺は会社経営と同じ。

近年の国家破産と言えばアルゼンチンを思い出す。昨日、アルゼンチンのデフォルトをアルゼンチン国内にて体験した方からお話を聴く機会があった。この話しは極めてリアルでもあり、今後の日本を占う上で参考にもなった。示唆に富んだ内容であった。

「今思えば」という事はよくある。アルゼンチンで言えば、もっと早くドル連動を放棄し、金融政策の裁量を取り戻せば打つ手があったのにと後世の人間は思う。しかし、アルゼンチンの優秀な官僚達は、デフォルトにいたる前に舵を切ることが出来なかった。

例え話しになるが、色々な資料を調べれば調べるほど、日本は何で勝てるはずもない太平洋戦争に突入したのかと思う。当時の日本人はなんて馬鹿だったのかと感じる。しかし、当時の人に話を聞くと「アメリカがあそこまで国家を挙げて臨戦態勢になるとは思わなかった。」と言う。

同じ様に、十年後に全て返還するからと、昭和五十年に初めての赤字国債を発行した日本が、様々な事由により現在の様な膨大な債務を背負うとは誰も予測出来なかったし、債務を無くす為の舵を切ることも出来なかった。

選挙に勝つために、民主党が国民に対して約束した社会保障案はいくつもある。それを実現する為の埋蔵金など無く、民主党政権になってからの国債発行額は、過去最大規模で増え続けている。間違い無く言えるのは、人口の減少が加速する日本において、この流れが数年続けば破綻は確実だと言う事だ。

破綻を避ける手段は簡単だ。歳出を減らし、歳入を増やすしかない。これを徹底する以外に道はない。歳入を増やす為の策はいくつもあるが、不確定要素も多く、「絶対に増える」と言う手はない。一方、歳出を減らす事は、物理的には簡単だ。優先順位を付け、予算をカットするだけだ。

これも会社経営と同じ。

先日、海外の赤字支社を次々と黒字された方と話したが、収益を伸ばす仕組みは色々と研究するにしろ、結局は勇気をもってコストを切り捨てて行くしかないと言っていた。

何かを変える為に必要なのは、難しい理論ではない。誰でも分かっている事を断行する勇気と行動力のみだ。この確信をアルゼンチン破綻の話しを聴きつつ得る事が出来た。

今の日本が財政的に立ち直る手は、私ごときでもいくつか思いつく。恐らく、ほとんどの政治家も、官僚も、いくつもの財政再建の手段を持っているだろう。

しかし、その手段を断行すれば、誰かが煮え湯を飲まねばならぬ。誰かに煮え湯を飲ませ、改革をオープンにフェアに断行すれば、日本の債務は消える。我々の次の世代に、言われ無き負担を継承する必要は無くなる。

政治家は万能ではない。彼らの仕事は一命を賭して、改革を断行する事であろう。それが出来て、初めてその存在が輝く。

同じ様に経営者も万能ではない。

右肩上がりの社会の中で、自分達の食い扶持をチョロチョロと稼いでいるだけなら、強いリーダーシップもいらない。しかし、激変する経済の中で強い組織を作り、新しい産業を生み出すには、いくつも危機を乗り越えるべく断固たる意志が必要となる。

びっくりする様な発想力もいらいない。学者レベルの経済知識もいらない。当たり前の真理を知り、勇気を振り絞り何かを断行することこそ、リーダーの本領であり、リーダーが輝く時なのだろう。