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最近、某テレビ局で「南極大陸」という番組をやっている。脚色過多の感はあるが、この時期に日本が置かれていた状況や、日本が持っていた熱を強調して伝えたいのだろうと思う。昔NHKが番組プロジェクトXの中で、このドラマと同じ内容をドキュメンタリーとして監修し、放送していた。
南極観測船の「宗谷」は、現在お台場にある「船の科学館」に展示されている。私も一度訪れたが、思ったよりも船は小さく、この船であれだけの偉業を成し遂げたのかと思うと、胸が熱くなる。
敗戦国であり、資源もなく、インフラも破壊され、多くの人材も失った日本だが、意地と希望を糧に、世界が驚くような偉業を成した事実には、我々も学ぶ事が多い。
多くの人は上手く行かない時に、その理由として外部的な要因を探す。それは自我を守りたいという反射的な行為なのだろうが、その指向性には発展的な未来が無い。
自分以外を外部的な要因とすれば、それは時に日本の市況であったり、同僚や上司の無能さだったり、自社の組織的硬直性だったりする。それらが理由で好きなことが出来ない、物事が上手く行かないと言う人が世の中はほとんどであろう。
あまりにも基本的な話しだが、多くの人がこの指向性と決別出来ないので、あえてテーブルに上げてみる。
全ての要因は自分の内にあり、全てを解決するのは自分の意志と行動ではないのか。
宗谷の時代も、誰かが南極探索に執念を燃やし、徹底して周りを巻き込まねば協力者も現れなかったろう。金も人材も枯渇した時代である。費用対効果が見込めない「夢」に投資出来る人はいない。
しかし、本来価値ある行動には、多くの人が協力したいと思っている。周りが協力してくれない、評価してくれないと感じるなら、それは自分自身が周りを巻き込むだけの行動や発信をしていないからだ。
外部的な要因が問題ではなく、単純に自分の情熱や執着心、またそれから生まれる行動が足りないから、何事も前進しないのだ。私は少なくとも、そう思い日々の事業に当たっている。日本市場がシュリンクするのも、リーマンショックも正直なところ関係ない。その中で事業を伸ばした企業もあるし、成長した人間も多い。
事業が思うように伸びていないなら、単純に自分の情熱不足、実力不足が全ての原因である。
現在のHWSを考えれば、私が当初イメージした姿よりも遅れてはいる。会社にいるメンバーにも、リーダー達にも微塵の不満はない。能力的に未熟な部分はあるだろうが、最善を尽くしているから良い。HWSが世界にその名を轟かせていない現状に対する責務は、私自身の未熟さ故である。それ以外の理由は無い。
ただし、ビジネスにおける戦いは終わった訳では無い。日本発のグローバルIT企業として、日本の最も重要なリソースであるエンジニア達のイノベーションを実現する集団として、私自身は戦いを止める気がない。例え百戦百敗しても、最後の一勝を目指し仲間達と戦い続けるつもりだ。
宗谷の時代に比べれば、日本のポジションははるかに良い。資金調達もマーケティングも容易に出来る。外部的要因には全く不満は無く、必要なのは己を研ぎ澄ます事のみだ。己を研ぎ澄ますと同時に、リーダーとして自組織を研ぎ澄ませば良いだけだ。
会社を設立して六年の歳月が経った。私の中にあるのは、未だに掴めずにいるHWSの理想に近づかねばと言う焦燥感だけだ。一息つくこともないし、後ろを振り返ることもない。必要なのは、一線を突破すべく、前を向くことのみ。
この覚悟で七年目に突入したい。
ある程度の規模になった企業を現状維持のまま運営するだけなら何とかなる。私一人が余生を生きるならエグジットする機会も何度かあった。
しかし、ただ企業を回す事も、エグジットしてノンビリ余生を楽しむ事にも全く興味が無い。ただ、自分の人生を燃やし、自分の人生を注ぎ込み、HWSの成功に従事したい。事業を成功させ、多くの方々の幸福に寄与したい。そして、仲間達と、我々が成した偉業を祝いたい。
繰り返す。我々が生きている時代は、宗谷の時代と違う。全ての条件は整っている。この時代に何かを成すべく戦わなくして、生きていると言えようか。誤解を恐れずに言うなら、生存だけなら、犬でも植物でもしている。自分達の意志で何事かを成し遂げてこそ人間ではないか。
私自身は外部的な要因を成否に関連づけることを既に放棄している。よって、自らのスタンスを研ぎ澄ませば良いので、未来に対する迷いは一切無い。
青臭さ一杯の内容で恐縮だが、これが青臭いなら一生青臭く行きたい。
この項は、自分の想いを再度皆様にコミットすべく書いた。また、これから共闘していく仲間達に、再度決意を促すために書いた。
本日は日曜日だが、内定者研修があり、サイト制作の進捗発表をしていた。地方にいる内定者はスカイプにて参加。便利になったものである。
多くの企業が世にある中で、HWSに進路を決めてくれた内定者達は、責任を持ってしっかり育てて行きたい。育てる事と甘やかす事は逆側にあるので、育成を決意すれば、我々の態度はより厳しくなる。態度と言うよりは、要求を厳しくしなければ、育成は実現出来ない。
人間はある程度の厳しさは受け入れられる様に出来ている。そこに甘えが無ければ、厳しさに耐えられない人間などいない。社会や親が甘やかした分だけ、厳しさから逃げるのは、人間としては当然の心理だ。許されるなら、出来るだけ楽をしたいのは、普通の心情である。
しかしながら、実際には能力を上げるには修練が必要だ。適切なキャリアを積まねば、現場にて戦力にならない。適切なキャリアとは、相応のプレッシャーの中で成果を出すことだ。楽ではない。
何か大きな夢を描けば、当然それとセットになってやってくる厳しさを受け入れなければならない。スポーツや学問でも同じだが、一線を越えたレベルを得るには、地道な修練が必要だ。仕事も例外ではない。
仕事は特に直接自分の人生に関わるので、学生時代の学問やスポーツよりも深刻でもある。その競争は激しく、継続的だ。よって、一歩ビジネスの世界に踏み出した時から、修練を繰り返さなければ、優秀になるのは無理だ。
HWSの内定者には、社会において正しいスタートダッシュを行う為にも、適切な研修を行っている。一般常識よりも、理論的に正しい事を内定者研修として要求しているのが、HWSのスタンスだ。
私も、この厳しさに身を投じ20年以上になる。恐らく多くの人が逃げ出すような状況を何度も味わってきた。厳しい状況からは逃げずに、正面から向かわなければ、真の解決は無いことも理解した。
私が経験から得た結論は、厳しいかどうかを自分の行動の判断基準として反映させないということだ。
辛い、厳しい、は個人の感情だ。リーダーとは公の立場であり、個人の感情をそこに持ち込む余地はない。よって、自分にとって厳しいかどうかは、私の判断の材料とならない。組織が勝つかどうか、組織がより強くなるかどうかが、公人としての判断基準である。
私が自分の態度を決めるときの判断基準はいくつかあるが、一つ挙げるなら、常に清々しく生きたいと思っている。「その判断、その行動は清々しいか?」と言うのが私の判断基準となる。
清々しさを消す感情は、いくつかある。
「後悔」「嫉妬」「恨み」「羨望」「迷い」etc
これらの感情を持つと、人間は清々しく生きられない。
例えば、仕事について考えてみる。
自分がエンジニアとして社会に一歩を踏み出したとする。「金融に行った方が良かったかな・・・」「公務員の方が・・・」などを胸に抱えて、その業務に取り組んでは、自分のパフォーマンスを100%発揮出来ないし、自分の姿は当然清々しくない。迷いのある人間の顔に影が浮かぶ。
縁あって入社した会社があるとする。入社後に、他の会社を見て「あっちの会社の方が福利厚生が・・・」「あっちの方が楽そうだな・・・」「あっちの方が給料が1万円くらいいいな」と考えていても、自分の姿は清々しくならない。時間を巻き戻すことも出来ない。
清々しく生きたければ、「この会社をもっと良くして、全員でもっと高い給料を掴もう。」「仕事をもっとクリエイティブにする為に出来る工夫はないか。」と前向きに物事に相対してこそ、その姿に清々しさは宿る。
ベンチャーに就職した人間は、物事が上手く行かなかった時に「大手に行っていれば・・・」「公務員になっていれば」と考えるだろう。私も事業の創業期に参画し、給料もなく、日々の成果に追われた二十代の前半は、「就職しておけば良かった・・・」という感情に苛まれた。ただし、その心情は誰にも吐露したことはない。
しかし、中途半端に得そうな場所を探してキョロキョロしていても、本人が大成する事はない。本人の悩みは、ベンチャーか大手かと言うところから生まれるのではなく、道を極めずして撤退する本人の清々しくない態度が原因だからだ。
ベンチャーには大企業には出来ない役割がある。既存の社会構造に対し、アンチテーゼを訴え、全く新しい産業を作るのはベンチャーのタスクだ。マイクロソフト、グーグル、フェイスブックも、IBMやGEが生み出せなかったではないか。金や技術があれば、新しい産業が生み出される訳では無いのだ。
既存の巨大企業が受け持つべき産業もある。しかし、ベンチャーしか実現できない社会貢献もある。我々はベンチャーを選んだのだから、この道を極めなければならない。
大手には真似できないスピードやチャレンジャブルな行動を武器に、大手には生み出せない産業を作らなければならない。それに必要な企業文化や、人材育成を粛々と進めなければならない。それがベンチャー道を極めると言う事だろう。
そこに微塵も迷いも、嫉妬もいらない。他人の道は、他人の道。己の道は、己の道だ。他人の道を見て、垂涎するのではなく、己の道をひたすら進めば良いではないか。一点の曇りもないその姿には、誰も否定出来ない清々しさがある。
これから社会に出る内定者達には、損得を考える前に、清々しく生きよと伝えた。HWSは日本一清々しい人間達の集団でありたいと伝えた。清々しさは、道を極めんとする我々の姿から、自然に湧き上がって来ることだろう。
現在ハノイでは高層ビルを建設中だ。ネットによるとアジア第二位の高さになるらしい。思ったよりも家賃が安いので、LTT社の引っ越しも考えたが、ちょっと広すぎるので今回は見送った。
日本以外のアジアの各国は建設ラッシュに湧いている。ちょっと高い建物に上って周囲を見回すと、そこかしこでビルを建てている。シンガポールなど、未だに中心部でも建設ラッシュが続いている。
箱物が次々に建ち上がって来ると、当然民衆は発展を実感する。経済成長を活字や数字ではなく、五感で知る。若者達は自国の成長と成功を確信し、同時に消費も加速する。国内のマーケットは成長の一途をたどる。
成長市場に身を置くビジネスパーソンの言葉は常に強気だ。彼らは微塵の疑いもなく更なる成功を目指すので、竹を割ったような爽快感がある。逆に先進国家として踊り場に達し、シンプルに成長を語れない日本のビジネスパーソンは、彼らを見てちょっとした劣等感を抱くかもしれない。屈託無く成長を目指姿はまぶしいものだ。
我々の世代はまだ良い。過去を見てきたので、日本強さも知っているし、このタイミングで資本や技術など、ある程度のアドバンテージを背負ってアジアに歩みを進められる。今の二十代、そしてこれから社会人となる若者達は、自信のよりどころが無く、気持ちを平衡に保つのが難しいだろう。
それでもあえて言うなら、多くの若者にはアジアを見て欲しい。アジアの熱を身体で感じて欲しい。成長市場とは何か、それがもたらす影響は何たるかを知って欲しいのだ。
ある若者は、優秀かつバイタリティ溢れる他国エリート達を見て、彼らとの競争をイメージし、意気消沈するかもしれない。ある若者は、建設ラッシュの町並みを見て、日本と比較し暗澹たる気持ちになるかもしれない。ある若者は、先人達が築き上げた日本の輝かしい過去にすがり、自分の心を慰め、他国の良さを見ようとしないかもしれない。
刺激を受け、様々な感情が交差するだろうが、最後に行き着いて欲しい結論は「希望」である。
隣国の成長は、自国にも大きくプラスに働く。今までに無い市場が出現するのだから、後は良いサービス、商品を流せば共に成長出来る。例えばシンガポールはある意味アジアの中では先進国と言えるが、街を歩けば未だ日本品質に追いつかない部分が節々に見受けられる。建物などの外形は良いが、オペレーションやホスピタリティなどは、いたる所で改善の余地を感じる。
色々な感情が交差した後に、正しく他国を見れば、日本の強みが理解出来る。自分達に強みがあるなら、隣国の成長は驚異ではなく、希望である。
今の日本では、なかなか若者は大きな夢は抱けないかもしれない。飽和した市場は後発者に厳しく、目の前のハードルが高い為に、若者達は大きな夢を描きづらいだろう。描こうと思えばいくらでも描けるのかもしれないが、感情的に描く気分にはなりにくい。
しかし、アジアの市場を見れば「何かやらねば」と言う意欲が沸々と自分の内からしみ出してくる。日本の強さを知り、その上でこの意欲が沸き立ったときに、日本を含めたアジア全体であれば、歴史に影響を与える様な仕事が出来るのではと、その気になれる。すなわち、希望が湧く。人間、「その気」にならなければ、何も始まらない。
成長市場と自国を比べ、消沈する必要もない。成長途上の他国と自国の品質を比べ、こちらが上だと胸をなで下ろすのも間違っている。慢心がプラスに働くことはなく、気を抜けばアドバンテージも消える。
我々はただ、希望を感じれば良いのではないか。希望を感じ、「何事かを成そう」と全力を注げば良いのではないか。
日本の強さを知り、他国への貢献を考え、何かしらの役割を背負う。そんな心意気でビジネスの世界にて最前線へと歩みを進めて行けば良いのではないか。
就職活動、ビジネス上の成果、他人が先行すれば焦りも生まれるだろうが、常に最後は希望へとたどり着き、それを胸に自分の道を定め歩みを進めてくれればと願う。
就活中の学生の相談にたまに乗る事がある。彼らの悩みは、どの道を選ぶのが最善か?という事。言い換えれば、どの道を選ぶのが最も得かという事に尽きる。
これに対して私の返答は極めてシンプル。彼らが悩むのは、ある一つの前提を無視しているからに他ならない。就活生に対して、私が伝えるべき事実は一つだけだ。それは、未来を読む事は誰にも出来ないという事だ。
テレビを見れば、もっともらしく未来を語る評論家や政治家で溢れている。しかし、彼らが提示しているのは、あくまでも一つの可能性に過ぎない。彼らは自らが提示しした可能性に対して、何の保証もしないし、責任も取らない。そんな彼らの発言に乗って、未来を決める人間がいるとしたら、あまりにも愚かだ。
巨大企業がシンクタンクを使い、自社の業績予測を発表したりするが、これもよく外れる。金融関係の優秀なアナリスト達でさえも、リーマンショックを先読みし対応する事など出来なかった。世の中は不測の事態を前提に成立している。安定した数年の後には、不測の衝撃が必ず訪れる。
金融のプロが必死になっても読めない未来を、学者が研究に没頭しても読めない未来を、読み切れる学生など存在しない。いや、これは学生の問題ではなく、世の中に未来を読める人間など存在しないのだ。
未来がわからない以上、40年以上の歳月を過ごすビジネスの世界において、「損か得か」を判断する事も出来ない。市況の問題だけではなく、自分の体調や家族の問題など、プライベートなファクターまで混じり合う中で、最も得である選択など確定出来るものではない。
現在好況の企業でも、10年後に好況のである確率は少ない。保険や銀行など固い見られていた業種でさえ、この二十年を振り返れば、割に合わない厳しい状況をこうむった人間は多いのはずだ。レイオフもあったし、その後には業務も厳しさを増したことだろう。バブル期以前に入社した人間にとっては、「話が違う」という感情を持った人も多いはずだ。
大手メーカー、金融、食品、化粧品、あらゆる業界には、日本が世界に誇る優秀な企業がある。それらの企業は過去に素晴らしい業績を収め、現在も多くの雇用を生み出している。それは素晴らしい事だし、巨人達の功績や実力に疑いの余地はない。
しかし、巨人達は盤石かと言われれば、答えは「ノー」である。社会の枠組みが変わり、それに対応出来ず失墜した企業は山ほど有る。最近では、日本航空や東京電力などの国策企業群ですら、リスクから逃げられない事実が露呈した。
つまり、得な就業先など無いと言う事だ。結果として、得だったねという話しにはなるだろうが、予めそれを読む事は不可能だ。
多くの人は、未来を予測し、それに向かって線を結び自分の未来を決めようとする。前向きな人ほどこの傾向は強い。もっと社会人として未熟な人は、現時点しか見られないので問題外だが、ちょっと賢い人は未来と今を繋げようとする。
しかし、実際は未来の予測が正しく無いので、間違った事を前提に決めた道もやはり間違いとなる。全ての理論は前提条件が崩れれば瓦解する。安定した未来、巨人が常に強い未来が保証されているなら、得なのは強い者に巻かれる生き方だろうが、その前提が成立しないなら、正しい選択も変わる。
話しを戻すが、現実的な話しをすれば、未来は誰にも読めない。これが前提である。よって、誰かにパラサイトし、未来を保証してもらおうという行為は成立しないし、そもそも、そのメンタリティが間違っている。依存の先に安定も幸せもあるはずが無いではないか。
未来は読めないが、我々には過去の経験がある。個人的な経験もあれば、人類が貯めてきた歴史もある。また、未来は分からないが、現時点での感情や行動は制御できる。確かな事は、過去と現在である。未来は常に不透明だし、だからこそチャレンジャースピットが沸き立つというものだ。
よって、就活生は損得を考えてはいけない。損得で自分の進路や、将来を決める行為は、一種のギャンブルに近い。当たれば「得」は得られるだろうが、外れれば潰しが効かない。
私が二十代の若者に勧めるのは、どの会社、どの業種でも良いのでハードワークに身を投じよと言う事。他者と自分を分かつのは、生まれ持った才能ではなく、ビジネスの世界で培われた経験と実力だと知り、今の時間を厳しいまでにビジネスに費やせと言う事だ。
ハードワークの結果、価値ある経験と実力が手に入る。未来は分からないが、自分を支えるバックボーン(過去)と、現在を取り仕切る実力(現在)が手に入る。
必要な時にハードワーク出来ない人間が、戦えるフィールドはビジネスの世界にはない。ハードワークをした経験が無い人間が、組織を率いうることも、リーダーシップを取ることも無理だ。それもビジネスの世界の事実だろう。
就活生に対するアドバイスがあるとしたら、就職する業種や企業など、どこでも良いではないかと言う事。
大事なのは、縁があって所属した組織で、必死に働き「過去」と「現在」を手に入れる事であろう。就活など、ある意味どうでもよい。そんな物で生涯は決まらない。尤もらしいことを言う同級生の言葉に耳を傾ける必要もない。学生に未来など読めない。
前線で必死にあがけば、自分の出来ること出来ないことも見えてくる。自分が生涯をかけるべき道も見えてくる。夢を持ち、夢に己の生涯をかける人生は素晴らしい。夢が持てない若者は、まだ「あがき」が足りない。適当に生きていて、自分の成すべき事が分かるわけが無いではないか。
この項は、就活生のみならず、多くの若い社会人にも贈りたい。
世の中には、色々な経営理論が溢れている。勉強熱心な就活生などは、聞きかじったレベルの経営論を振りかざし、面接において質問をしたり自分なりの納得感を得たりして、就職活動を進めていく。
私も多くの情報から影響を受けてはいる。雑誌の記事、インターネットのニュース、書物などから得た情報により、未来の戦略を考えることもある。
しかし、影響は知らないうちに受けるが、本から学んだこと、人から指導を受けたこと基盤に経営を進めたことは無い。常に正しさは自分の内にあり、第三者が持っているものではない。
これは思い上がっての言ではない。経験があり成功を収めた人間の言葉は含蓄に富んでいる。非常に勉強になる。しかし、彼らが発する情報は、その段階では陳腐化され競争力を持たないし、所詮は彼らの言葉や理論なので、私自身の思い入れが湧かない。
自分にとっての正しさは自分の内にしかないのだ。
その意味では、マーケティングなどは無駄だ。今の市場を知り、当たりそうなサービスを考えても、それでは後追いになる。自分がどうしても欲しいサービス、自分がどうしても作りたいビジネスを目指すしか、世界が驚くようなアウトプットは実現出来ない。
綺麗なプレゼン資料を作る事も、予算計画を作る事も、ビジネスの本質ではない。要領の良さよりも、行動せざるを得ないほどの感情の量の方が格段に価値がある。
ビジネスの世界では、並の能力しか持たない常識的な上司に認められる事に意味など無い。マーケットや社会全体が、驚愕する様な未来を創造してこそビジネスパーソンとしての存在価値があり、ビジネスの醍醐味を堪能出来ると言うものだ。
他人が驚愕する様な新しいビジネスモデルは、学習によって得る事は出来ない。多くの経験を通して自分の感性を研ぎ澄まし、その結果わき出てくる内なる声に耳を傾ければ、革新的なアイディアは生み出されない。
私は未だ43歳だが、人生の終焉は確実に近づいている。残りの時間を、日々の食を得るために使っても一生だし、燃える様な仕事に没頭しても一生だ。何に時間を使うのか、自ら決める権利が人間にはある。
ゲーム、モバイル、SNSといくつかの業界が活況を見せている。上場マーケットも底打ちの感があり、来年は五十社程度の新規上場があるのではと言われている。そのほとんどは、これらの業種であり、この金脈に多くの企業も人も群がる。
しかし、私としてはその流れに多少の違和感を覚える。活況の業種があることは素晴らしいが、日本の復興を真に実現するには、世界が驚愕する様な新しい何かを狙う必要があるのではないか。特に先進国中の先進国となった日本は、その役割を背負わなければならないのではないかと思う。
人生を考えた時に、「成否」の前に「生き様」がある。
成否は大事だが、その成否を生み出すのは、自分自身の生きるスタンスであろう。HWSは、進むべき道を誤らず未来へ向かうつもりだ。我々はビジネスで世界を変える為に生まれ、成長を続ける集団である。
良い意味で、時流に乗らず、時流に流されず、内なる声に耳を傾け、新たな変革を起こしていきたい。
この項は、今は亡きジョブズ氏へ贈りたい。
変わらなければいけない、新たな枠組みが必要だ。
こう言う意見はよく聞く。HWS自体が提唱し続けて行きたのは、エンジニアの革新であり、更に言えば変貌したエンジニアが新しい産業を創造する未来である。
しかし、歴史を振り返ってみると、強い意志を自発的に持って、変化を実現した国家や組織は無いように思う。
人が変革をする時は、常に危機に際してではないだろうか。組織が変革する時は、危機に際して生き残りをかけて、今までと違ったフィールドにジャンプせざるを得ない時ではないだろうか。
実は、現在比較的市況は良い。当然、業種によって違うだろうが、感覚値で言えば国内マーケットはさほど貧窮していない。この様な時にビジネスを右肩上がりに伸ばすデザインは、さほど難しくない。かつて自社を伸ばした道を、再度トレースすれば良い。
しかし、その先にあるのは単なる規模的な拡大であって「変革」は遠ざかる。
私の感覚で言えば、現在は明確な危機的状況にある。日本という国自体も危機であるし、当然そこに軸足を置いているHWSも危機だ。
これから五年十年つつがなく経営をするのが難しいと言う事ではない。本来HWSが提唱して来た事を実現する事が可能か?日本自体が厳しいポジションに立たされた時に、皿なる飛躍を実現する実力を育めるのか?と言う観点における危機だ。
目先の市況の良さに目を奪われ、オペレーションを効率化し、現状の収益力を微増させる事に意識を奪われては、飛躍は難しい。
当然、「生きる」のは大事だ。会社が保たれない中で、ビジョンも未来も無かろう。しかし、ただ存続するだけでは、ベンチャーとしての存在意義はない。古い企業に会えてアンチテーゼを訴え、人を糾合し成立せしめた正当性がない。
難しい話しは抜きだ。
今は、明確に「危機」だ。上記の理由における危機だ。
この焦燥がなかりせば、変革は出来ない。変革を実現しないなら、HWSなど世の中に必要あるまい。今私を支配する意識はこの様なものだ。
エンジニアを変革し、彼らがグローバルマーケットで発展的なビジネスをする未来を実現しなければならない。一般的なエンジニアの給与が、金融関係よりも、商社の人間より高くしなければならない。
その為にはエンジニア達の関わるビジネスにおける収益構造を根底から変えなければならない。変革に際し、我々が有する武器は第一に技術だ。そして、これから研ぎ澄ますべきは、グローバルマーケットを席巻すべく「英語力」であり、グローバルマーケットをフラットに見る感覚であろう。
鈍い感性では、人生は変わらない。変革など不可能だ。
現状のエンジニアが変革しないなら、かつてのブラウン管のエンジニア達よろしく、低い給与と不安定な未来が待っているだけだ。社会に居場所が無くなり、低付加価値の作業しか出来ない未来が待っているだけだ。
その作業すら、人材の自由化が今後進むのは間違いないだろうから、外国人との取り合いになる。
我々は今危機にいる。
エンジニア達は、ショボイ所得の上下や、楽を求めて転職を繰り返して駄目だ。大学生達は、他人が保証してくれる安心と、見栄を追い求める様な薄っぺらい哲学で、就職活動に従事しても駄目だ。
危機を脱するに必要なのは、変革だ。変革にいたる為の危機意識だ。更に言えば、その危機意識を自覚するだけの哲学であろう。
最後に・・・
私が断言するのは、HWSは「変革」を実現すると言う事。
そして、私が若い方々に求めるのは、自らの哲学を磨けということ。
マスコミに踊らされるのでもなく、大人達の古い常識に振り回されるのでもなく、自分の頭で考え、自分の哲学を軸に、変革への歩みを進めて欲しいと願っている。
昨日、第二回グローバル塾(仮)が無事開催された。海外戦略では日本屈指の方を2名ほどゲストに招き、ベンチャー企業の経営者15名ほどとのディスカッションをメインの内容として進行した。
・メーカーと金融系企業の損切りに対する見地の違い
・現地語は覚える必要があるか、英語でOKか?
・現地法人に対する支援金の送金の仕方。損金計上出来るのか?永久債の使い方。
Etc
外形的なセミナーではなく、実際に海外に法人を出している経営者も何人も出席しているので、個別案件毎具体的な話しになった分だけ、質感があり面白い内容となった。これらは海外に限らず、経営判断に関わる事なので、全ての参加者に参考になった事と思う。
また、100%子会社にすべきか現地の資本を入れるのか?
海外に進出すると、良く出会うのが要人とのコネクションを持っているという自称「大物」。「首相の息子と繋げてあげるよ」「大臣とはツーカーの仲だよ」など、色々な大物に出会うケースが多い。多分に胡散臭いが、これが本当なのか、嘘なのかはこの際どうでもよい。偉い人と知り合いになっただけど、大金持ちになれるなら、その辺は金持ちで溢れていると、某カンボジアの友人が言っていた。
彼らの資本を持たせると、後でやっかいなのは言うまでもない。
ただし、我々にとって現地がアウェイであることは事実なので、現地の資本を入れ立ち上がりを優位にする選択も間違いではない。私の方針を言わせて頂ければ、資本参加して頂くのは「プレーヤー」のみだ。資本家やブローカーではなく、「プレーヤー」として一緒に汗を流しビジネスを作るパートナーならば、資本参加をして頂いて同じ未来を目指すのもやぶさかではない。
基本的には、業績が悪い時は資本割合に伴って、資金を援助して支え、儲かったときには資本割合に伴った分の利益を得る。これで納得してスタートすれば良いので、信頼出来る仲間と協業するならマジョリティにもこだわりはない。
我々の様な弱小ベンチャーが海外において早い立ち上がりを目指すなら、一つの方法として合弁企業は考えておくべきだろう。そのメリットは大きい。
100%自己資本で海外展開する道も決して間違いではない。完全にコントロールが効くし、独自の個性、戦略を完遂出来る。これらは各企業の必要に応じた選択なので、是非の問題ではない。
グローバル塾(仮)は勉強会と言うよりは、具体的な個別案件を詰めるので、戦略会議という位置づけが正しいのかもしれない。しかも、企業間の壁を越えて討議出来るので、価値がある。
我々ベンチャーは一社のみで、十分な資金や人材がいないケースも多い。プレーヤーとして最後は自分が全責任を背負って事に当たるにしろ、情報やアライアンスは共有し、より有利に展開できる下地作りは、共同戦線を張り、取り組むべきだろう。その意味では、価値のある会合となりそうである。
未だ海外に歩みを進めていない企業でも良いし、実際海外の事業で苦戦している企業でも良い。もし、興味があれば感想メールからでもご連絡頂きたい。Facebookのグループを作成中なので、後ほどご招待差し上げたい。
HWSは必ずやグローバルIT企業となる。その為に、必要な手段は聖域無く全て選択して行きたい。同じ様に成長を渇望する同志の一報を待つ。
久しぶりにインドの某大手企業の会長から連絡があり、今度会うことになった。5年ほど前は、一緒にビジネスを作ろうと奔走したのだが、当時の私の知識と実力では上手にビジネスをデザイン出来なかった。
お互いに信頼に勝ち取り、その後メールでのやり取りをしている。久しぶりにお互いの現状や、今後の展望をアップデートし、協業の可能性を探ろうと言う話しだ。
実は私には先方と取り込むべきアイディアがある。この数年でインド市場に対して取り組むべきビジネスを構想している。今回はそれ先方にぶつけて、先ずはブレストベースで意見交換をする予定。よって、彼を会うのが楽しみでならない。
自分自身を振り返ってみると、取り組むべき何かが明確であると、強い主張、強いリーダーシップがとれる。日々の行動もエネルギッシュになれる。逆にそれが停滞していると、自分の姿は中途半端となる。空元気しか出せず、優秀な相手を動かすだけの影響力は発揮出来ない。
当然、交渉する相手に対しても強いインパクトは与えられないし、メンバーの士気を鼓舞することも出来ない。
組織構築において、権限委譲をしていくと、自分の役割は随時シフトしていく。今までエネルギーを費やした業務、言い換えるなら自分の誇りと自信の源泉だった事は、自分の業務ではなくなる。そして、新たな領域で実務を遂行し成功する為に、新たに構想し行動しなければならない。
人が成長の階段を上がるというのは、こう言うことなのだと、最近は実感する。
強いリーダーシップには確信が必要だ。確信を得るには、頭から煙が出るほど試行錯誤を繰り返さなければならない。そして、並行して行動せねばならない。構想と行動のどちらか一方が弱いと、確信を得る事は出来ない。
仕事に対して、エネルギーを無くしている社会人をよく見かける。また、就活に挫折し活力を失っている学生もいる。どちらも共通しているのは、この確信を有していないと言う事だ。
行動も中途半端、試行錯誤も中途半端。結果として何の確信も得ていない。自分がこれから成すべき事が、不明確であり、確信がない。社会人であれば、とりあえず会社内で給与をもらい続ける事が第一であり、就活生であれば企業に潜り込むことが目的となっている。
そこに成すべき何かは無く、強い主張も強いリーダーシップも有することが出来ない。当然、未来は変わらず、周りに対する影響力も持てない。仕事も面白くならないし、就活も上手くいかない。
この項は一般的な社会人を批判する為に書いているのではない。ともすれば、自分自身がこの無気力で弱い状態に陥ってしまうので、自分自身に対する備忘録として記している。
今の私には強い確信がある。日本国内でのビジネスの方向性。中国、ベトナム、カンボジアを中心としたアジアでの展開。そして、最終的にグローバルIT企業となるべく、道が見えている。そこに決意と確信がある。
この確信をベースとしたエネルギーを武器に、HWSを牽引し、ビジネスを推進していくつもりだ。
多くの社会人にアドバイスがある。
いずれにしろ、我々はこれから何十年も仕事をしなければならない。確信無く無気力に過ごしても同じ時間が流れる。確信を持ち、エネルギッシュに生きても同じ時が流れる。後ろ向きで無気力に何事かに取り組む時間は長く感じる。嫌な時間ほど長く感じる。
成すべき事があり、強い確信を持ち、未来を見定めて生きても一生。現実から逃避し、嫌々生きても一生。どちらの道も選べるが、あくまでも自分が歩み道を選ぶのは、いつも自分だと知るべきであろう。
私が主催したビジネス勉強会も9月に無事終わった。11月に次回のビジネス勉強会を開催する予定なので、希望される方は連絡を頂ければ幸いである。今回は定員が残り20名なので、早めに連絡を頂けると助かる。
<<ビジネス勉強会開催のお知らせ>>
かれこれ10年以上続けているビジネス勉強会を11月に全三回で開催します。のべで2000名を超える方が参加しているのですが、私の実体験をベースに進めるので、実戦的でリアリティがあると思います。
無料です。
定員は40名ですので、興味がある人はお早めに申し込みお願いします。
11月
第一回 13日 11:00-14:00
(ガイダンス、ビジネスパーソンとしての基本的スタンス)
第二回 20日 11:00-14:00
(リーダーシップ、組織論、対人スキル強化)
第三回 27日 13:00-16:00
(理念と戦略)
無料でもあるので、会の品質を担保するために出席者には予め面接をさせて頂いております。
興味ある方はご一考頂ければ幸いです。
篠田
米紙フォーブスが世界の法人税を比較した記事を掲載している。世界16の国と地域の中で、日本は圧倒的な大差でナンバーワンの座についた。二位の米国と比べても実に10%以上法人税は高い。
日本企業は当初から、この環境下で国際競争を強いられる事となる。端から不利は大きい。
一方、個人に対する所得税を見ると、一位はフランス、二位は中国となる。これらの国は企業からの集金を抑え、個人に負担を課している。逆に日本は個人の税率を抑制し、企業から税金を取る。
どちらも一長一短あるだろうが、企業経営者から見ると圧倒的に高い法人税はインパクトがある。メンバー達の未来、メンバー達の生活を支えなければという責任感を持ったときに、当然企業を発展させて行く責務を背負うのだが、その為の足かせとる法人税率の高さは軽い話しではない。
この高い法人税率をもってしても、日本国は赤字財政が続いている。もはや微妙な税収税率が問題なのではなく、日本国に根本的な改革が必要な事は明らかだ。野田総理は無難に立ち上がりを見せてはいるが、改革者としての頭角は未だ示していない。
改革者とその後を整備している人間に求められる能力が180度違う。
高杉晋作と伊藤博文くらい違う。西郷隆盛と山県有朋くらい違う。改革者は理屈や常識を打破し、他人の諌言を無視して、己の信念を断行しなければならない。多くの人の意見を取り入れれば取り入れるほど、その意見は陳腐化し、断行のエネルギーを失う。
これを理解して、意識的に周りに相談もせず、組織を振り回してこそ大きな改革は実現できる。その意味では、昨今の政界に改革者いない。
改革者は一定のサイクルで必要である。平和な日々が永遠に続けば良いのだが、自国を取り巻く環境は常に変わる。その中で自分だけ変わらずにいる事は許されない。変わらなければ、次の時代において敗北者のポジションが待っている。
震災復興と同時に、日本の最大のテーマは新産業の創立だ。このテーマをベースに人材の育成に取り組み、税のデザインを行い、企業が自由にビジネスを描ける環境を作らなければ、日本の税収は減り、多額の負債に押しつぶされる。
我々企業家は、事業を作る役割を背負う。これは、既に夢とか希望という甘い話しではなく、重責であり、必達すべきノルマだ。少なくても私自身は
・新しい産業を生み出す事
・グローバルマーケットにて収益を上げること
これはノルマだと思っている。この領域に踏みこまなければ、今言えるHWSのメンバーが誇り高き人生を過ごすことは出来ない。彼らの家族を支え、生涯幸せに家庭生活を営むことは出来ない。だから、組織を挙げて、一丸となって、この二点は達成する。
現在、カンボジア発でいくつかの事業も仕込んでいる。これは既にカンボジアマーケット向けの事業でも、日本マーケット向けの事業でもない。あくまでもグローバルマーケットを意識して作り込んで行くつもりだ。
ベトナムは人口8500万人を超える。識字率も高く、平均的な労働力の品質が良い。生産拠点としても高い可能性を持っているし、マーケットとしてポテンシャルもすさまじい。
中国は自国内のマーケットのみでも膨大だ。人件費はこの五年で二倍に上昇していると言うが、その分購買力も向上し、マーケットとしての魅力は爆発的に向上している。
一方、カンボジアは人口1500万人に過ぎない。土地に比べて人口が少ないし、また肥沃な土地を抱えているので、食料の生産拠点としては適している。世界レベルで見るならば、既に食料は全人類が健康的な生活をする分はなく、最も大事なファクターになるはずだ。
食料のみに関わらず、カンボジアは完全な自由国家として成立している。当然、中国やベトナムなどの社会主義国家と違い、ネットに検閲がない。自由に海外の情報をネットから得られるし、逆にカンボジアから世界向けのサービスを自由に発信出来る。
人が少ない、民度が低いと言うイメージで、カンボジア進出をためらう企業は多いが、行ってみれば、それらが誤解だと分かる。ベトナムも中国も背負う事が出来ない役割を、カンボジアなら請け負う事が可能だ。
HWSのチャレンジは、海外の売上を全体の半分程度には増やす必要がある。グローバルIT企業へと舵を切るというのは、そういうことだ。もちろん、日本の売上も現在のボリュームでは足りない。泡沫企業の戯言など、世間は聞いてくれない。我々は自分達の主義主張を、正面から世間に捻り込みたい。
日本に必要なのも、各企業に必要なのも、この時代においては改革者であろう。改革を断行する、強さを持った人材であろう。私自身、改革者として改めて舵を切る。そして、改革者たる人材を世に送りだすべく、人の育成に当たっていこう。