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人間がストレッサー(ストレスの原因)と対面した時に、人間の反応は概ね下記の三つとなるらしい。
1.闘争(Fight)
2.凍りつく(Freeze)
3.逃避(Flight)
これは特別な話しではなく、日常的な我々の反応に現れる。例えばゴルフ。左右OBの狭いホールでのティーショット。「OB打ったらどうしよう」と、身体が動かなくなるのはFreeze、「とりあえず結果は考えず打っちゃえ」と、結果から逃げるのはFlight、「フェアウェイのど真ん中に打って皆に良いところみせるぜ!」と、力を入れるのがFight。
ストレスがかかる場面で、平常心で居ることは難しく、いずれかの反応に囚われる事が多い。1~3のどの方向でも行きすぎると良くないので、常にバランスを取るのが大事らしい。このバランスの取り方をおぼえると、ゴルフのスコアは急激にアップすると某レッスンプロが言われていた。その方は筑波大学大学院で心理学を修め、その知識をレッスンに活かして成功されている事で有名だ。
その方が言うには、結果を囚われても駄目だが、結果を考えずにショットを打っても駄目とのこと。打つまではギリギリまでライをチェックし、距離を確認し、素振りをして自分が出したいフィーリングを掴む様に努力する。
要は結果から「Flight」せず、出来る限りを尽くし良い成果を求めなければ駄目と言うことだ。それでもプロですら全てが良いショットな訳では無いので、結果が悪かった時は、「まあ、そういうときもある。」と言ってすぐに切り替える。
「まあ、いっか」を使うなら、結果を狙っている最中に言うのではなく、決断し、実行した後にするのが、成果に繋がる正しい態度だと言われていた。
心理学的にも適度なストレスは必要とのこと。人間が最大のパフォーマンスを発揮するには、ある程度の緊張感がなくてはいけない。その緊張が、より高い集中力も生む。
これに連動し、仕事を考える。
例えばHWS。ベンチャーと言えば聞こえが良いかもしれないが、規模と実績で言えば、まだまだ無力な小企業である。志はあれど、それを実現するだけの十分な能力はそろっていない。
当然、何度も脱皮を試みて、本来目指すべき理想へとたどり着かなければならないのだが、その為には果敢な挑戦を続けなければならない。成功した企業を研究してみると、成功を掴むまでに多くの失敗を繰り返している。失敗の連続の中で、かろうじて一つか二つの機会を掴み、後の成長を実現するケースがほとんどだ。失敗事例が多いと言う事は、それだけチャレンジしているに他ならない。だから、尋常では無い成長も実現出来るのだろう。
チャレンジには、相応のストレスがかかる。上手く行けば良いのだが、それがチャレンジなだけに十中八九は上手く行かない。いつ、成果が出るか分からない。物理的なストレスもあるだろうが、ゴールが見えない精神的なストレスは案外きつい。
ベンチャーなので、宿命的に「チャレンジしなければ」という風土になる。中にいる人間は、そのストレス故に様々な反応をする。
チャレンジする前やチャレンジしている最中に、「まあいいか」「チャレンジだから結果が出なくても仕方が無い・・・」と言い「Flight」する者。
そもそも、チャレンジするだけの意志も思考も持てず「Freeze」する者。
自分が犯した失敗を受け止められず、事が終わった後、他者に責任を転嫁し、精神的に「Fligh」する者。
「Fight」する事に頭を奪われ、仲間への理解を図ったり、成果への綿密な根回しを行ったり出来ず、チャレンジに酔って満足している者。
どれも、ビジネスパーソンとして正しい姿勢ではない。正しい姿勢でないとは、成果や成長に真っ直ぐ向かってないと言う意味だ。
正しい姿は決して難しくない。
我々はベンチャーなので、チャレンジは徹底的にする。
チャレンジする時は、成果を狙ってギリギリまで出来ることは全てする。ビジネスの成功、プランした予算の達成から決して逃げない。「駄目でもしょうがない」は禁句。
チャレンジした結果、ほとんどは失敗する。しかし、失敗しても引きずらない。「つぎつぎ!」とすぐ切り替える。
過去の経験を活かし次の挑戦を始める。
(リピート)
まあ、こんな所だ。
簡単に言えば、「成果を狙い徹底して挑戦しろ。そして、その結果がどうであれ、折れずに何度でも挑戦しろ」と言う事。この姿を延々と繰り返せば良いのだ。
ビジネスの世界にプレッシャーはつきものだ。これから逃げる事は出来ないし、逃げる必要もない。その緊張感があればこそ、自分の性能は極大化される。プレッシャーと正しいスタンスで付き合い、正しい反応が出来る様に意識して訓練を積んで欲しい。
私の場合、受験勉強というものをしたことが無い。当然、塾や予備校に通った事もない。授業以外は勉強せずに、受験に当たったので結果は惨憺たるものであった。高校受験も大学受験もこんな感じなので、両親は陰で臍をかんだであろうと予想する。
当時の自分を振り返ると、過当な受験競争に対する反抗心の様なものがあった。世の中の仕組みに疑問無く乗ることへ抵抗したくて勉強を拒否したと言う体だが、その割に受験はしているし、努力せずに合格出来る範囲でより良い学校へ行こうとしていた辺りは、時代の流れに見事に沿っている。いかにも中途半端である。まあ、当時の自分が目の前にいたら、「四の五の言わず目の前の課題に全力を注げ」と一喝したであろう。
受験競争という社会的な問題に対するアンチテーゼと、自分が努力から逃避したいのをごちゃ混ぜに主張する辺りは極めて卑怯だし、幼稚である。我ながら恥ずかしい。
この様な心の持ちようは自分の為にもならない。一時的には精神的に楽になり、目の前にある課題から逃げられるかもしれないが、成長や成果と言った、本当に価値あるものを手にすることは出来ないからだ。
日本にマクドナルドを持ってきて成功させた事で有名な故藤田田氏の逸話をたまに思い出す。
氏が二十代の頃に「最初の10年は毎月5万円貯金し、次の10年は毎月10万円、その次は毎月15万円貯金する。」と決めて、最終的にやり抜いたと言う逸話がある。
途中、事業が苦しいときもあったらしいのだが、それでも当初に決めたとおり貯金を続け、三十年後には一億円を超える貯金が残ったと言う。
この逸話を時たま思い出す。
最初に決めた事を止める理由などいくらでもある。氏のケースで言えば、「今生きることが大事ではないか」「決意した時と今は状況が違う」「そもそも貯金を継続する事に価値があるのか」など、いくらでも貯金を止める理由は思いつく。そもそも、その貯金という行為に意味があるかとさえ言える。
その瞬間を切り取って考えれば、いくつもの正しさが存在する。どの選択が正しいかと考えても答えは出ないのだが、正しであろう結論は何種類も存在するのだ。答えの出ない何種類もの結論に思いを馳せていては、本当に大事な推進する力、迷い無く前進する力は生まれない。自分の意志や能力を前方に向かって集約出来ない。
藤田田氏の行動の美しさは、「決めた事について、四の五の考えず実行する。」という潔さであろう。この逸話から「継続は力なり」と言う一種のしぶとさを結論づける人もいるが、私の場合は我慢強さよりも、「一度決めたなら、その行動の意味など考える必要なし。」という開き直り加減に、氏の凄みを感じる。
冒頭の話しに戻るが、当時の私が受験に向かい合う時の正し態度は、「これは目の前にある克服すべき課題なので、最大の成果を狙う。ただし、社会のあり方には意見があるので、いずれ世に訴える。」であったのだ。
目の前に闘うべき課題があり、いずれにしろそこに向かうのであれば、先ずは全力で突破するしかあるまい。それが厳しい戦いでも、多くの負荷を背負おうとも、その道を歩むと決めた以上は、やはり四の五の言わず前進するのみだ。
前進する理由は簡単だ。「一度決めた事だから」だけで良い。五年、十年というスパンの中では振り返りも必要だろうが、ちょいちょいよそ見をしながら思案にふける行為は、努力や成果からの逃避に過ぎない。
かつては藤田田氏の凄みや、その行動の価値は理解出来ていなかった様に思う。しかし、ここ十年ちょっとの間の自分の行動を見てみると、何となく始めた事でもなかなか止められない事に気づく。そこまでやる理由が見えなくてなる時があっても、始めた事だから前進に注力をする。
それは、時間を守る事だったり、毎日の運動だったり、電車の移動では英語を勉強する事だったり、実は書き始めてから5年が経ってしまったこのブログだったりする。日曜日に開催している勉強会も形を変えつつ15年程度は続けている。
その他にも、自分で決めたルールや習慣はいくつもあるが、意味があろうがなかろうが、ゴールが見えようが見えまいが、簡単に止める事はできない。自分がそんな風になって初めて藤田田氏の逸話が持つ価値が少し分かったような気がする。そのスタイルの持つべき意味がちょっと理解できた気がするのだ。
何もかも止めずに背負ってしまったら、さぞかし生きにくいであろうと言う意見もあろう。しかし、何かを背負うからこそ、人間には厚みも深みも生まれる。個性や特殊な技能も、何かに執着し、それにこだわり続けた結果育まれるのだろう。
始めた事は続ける。そこに理由はいらない。ただ粛々と続ける。
私自身、こう見えて案外反省は頻繁に行っている。反省するのは正直好きではない。反省とは自己正当化の反対側にある。人間だれでも自分に非が無いと思いたいものだし、その傾向は私自身強い。自分のそんな性格を最近はよく理解しているので、感情的な面を一旦横に置いて反省をするようになった。
しかしながら、反省も過度になると良くない。反省をし過ぎると、人間としての勢いを無くなる。事業を推進する上で、またリーダシップを取る上で意識的に勢いを作り、勢いに乗ることも必要だ。その意味では、反省する習慣は無条件に賞賛できるものでもない。よって、反省への相対し方を確立させることは、リーダーにとって大事な要件でもある。
私が昔行っていた反省は、自分の行動や発言に間違いは無かったかという問いを自分自身に発する事であった。論理的な間違いが自分の行動に無かったかを検証したものだ。しかし、物事の正誤は立場によっても随分異なるし、これを突き詰めるとひたすら自己正当化の理論を、自分の内側に構築してしまう事になる。
最近では根本的な正誤については押さえるとして、反省するのは「もっと結果に対して最短の道は無かったか」と言う事。いつの頃か、自分の立場や自我を守る事を放棄し、組織が勝利する為の最短の道だけを追い求める様になった。「自分がどうか」と言う問いはどうでも良く、「成果を出すには」だけをテーブルに乗せる様になると感情的な悪い起伏が無くなる。
感情的な発言、感情的に議論をする人を見ると、常に「自分」を中心に言葉を発している。「自分は悪くない」「自分を低く見られたくない」「自分をもっと大事にしろ」この辺が根底にあると、発する言葉は急に感情的になる。見ていても見苦しい。私も自分の過去を振り返ってみると、感情的な発言をした事もあったが、今思えばその背景には「自分」を正当化したいと言う意識があった。
それとは別に、私が自分自身に発する反省するのが自分の性質についてである。元々私自身には武器でもあるが、マイナスでもある性質がいくつかある。
10年ほど前は、当時の友人によく指摘されたが、議論になると舌鋒が鋭すぎて、相手を傷つけてしまう事がよく有った。「正論だから良いだろう」とばかりに理詰めで相手の反論の余地を一切無くし、追い込んでしまう。その場で議論に勝っても、最終的にシコリを残してします。
最近ではあえて反応を鈍くしている。正論で人を追い詰めない様にしている。それでも本来の性質はたまに見え隠れするので、反省し注意をするようにしている。
また私の性質の悪さは、一種のドライさにある。常に先のこと、次の対処を考えるので、今起こった事、目の前の重大事に対して冷めているように見られがちだ。これはビジネス上の良い特性ではあるが、同時に人間味が感じられない。
秀吉が信長の悲報を受けたときに、側にいた黒田勘兵衛が「これは絶好の機会」と言ってしまい、秀吉にたしなめられたという。私もこれに近い反応をする事がある。本当は頭を真っ白にして一度悲しむべき場面であろうが、未来に起こすべき対処が頭を巡ってしまうのだ。悲しんではいるのだが、同時に頭が回ってしまうのである。
私の性質の話しはこの辺にしておく。
反省はより良い未来を作る為のみに行うべきだ。より良い未来まで繋げられない反省は、やるだけ無駄なだけではなく、自分に取っても周りにとっても実害しかもたらさない。
そして、反省したら過去は洗い流し、今より未来に向けて全力で進む。ストレスも明日に残らない。不満も愚痴も、批判もない。
反省の根源は、全ては自己責任で解決するという覚悟であろう。失敗や間違いを他人のせいにしては、そこから先の反省も生まれないし、対策も立てられない。自己の人格も歪む。これは論理的な過失割合を問題ではない、過失割合が9:1でも1:9でも、自分が全てを背負い形にするという立場を取ると言うこと。そうすると、過失割合の算出に頭を使わなくなる。これからどうするかと言う事だけに頭を使うようになる。
多くの社会人は、この境地に達しない。能力の問題ではなく、立ち位置の問題だろう。私自身は仕事柄、十年以上前から全てを背負わざるを得ない立場であった。誰かのせいにしたくても出来ず、またする意味がなく、リーマンショックも、ITバブル崩壊も、取引先が業績不振で債権回収が難しくても、全ては自分の動きで解決する問題であり、自己責任だと捉えて対応せざるを得ない。
この時間を過ごして来たので、逆に仕事に対してストレスはない。自分で決めて自分で責任を取る。このシンプルな境地が、全てのストレスから自分を解放してくれる。外部的な要因に解決を依存しなくて良ければ、自分で考えてひたすら動けば良いだけなのである。不安もストレスも必要がなくなる。
多くの方々が正しい反省を行い、ストレスからも解放され、未来の発展を掴まれるよう祈念しつつ、この項は綴った。
ちょっとお知らせだが、好評につき二月に全三回のビジネス勉強会を開催する。これは私が十年以上前から、無償で取り組んで来たもので、卒業生は延べで2000名を超える。一般論は本を読んで勉強してもらうとして、この勉強会で私が伝えるのは、もっと質感のある内容。私がビジネスを進める中で直面した実体験から得た本質的な事を伝えたい。
今まで参加した方々は経営者、医者、弁護士、エンジニア、戦略系コンサル、学生と幅広い。どの立場からしても、企業、ベンチャーという立ち位置からの視点は価値があるし、本質的な事は職種を超えるので、一定の評価を頂いている。
参加を希望される方は、一度面接をさせて頂く。無償での開催なのだが、その分だけ私も無駄な人間に時間をかけたくない。無駄な人間とは基本的なものを学ぶスタンス、自分の仕事や人生に対する真摯さを持っていない者のことだ。よって、その点だけは一度確認させて頂いて、それでも本人が希望される様なら心から歓迎する。
また一回だけ出てもらって意味がないので、基本的に全三回に出席できる人のみ参加可能となる。
エンジニア以外の方も過去には多く参加されている。ビジネスを真摯に学びたいと言う方は、職種に関係無く是非参加して欲しい。
参加希望者は、当ブログの感想メールにて意思表示をお願いする。
【開催場所】
株式会社ヘッドウォータース 会議室
東京都新宿区新宿2-16-6新宿イーストスクエアビル7F
03-5363-9361
【開催日時】
第1回 2月12日(日) 11:00~14:00 ガイダンス 基本スタンス
第2回 2月19日(日) 11:00~14:00 組織論 交渉力
第3回 2月26日(日) 13:00~16:00 理念と戦略
10年以上前から勉強会を開催している。
その中で私が説く内容にいくつか柱がある。その一つは、甘い誘惑に心を流されるなと言う事。至って当然の言だが、これが難しい。
よく上司への進言として、「私は良いが、みんなが言っている。」「社内にはこう言う意見が多いです。」と言う人がいる。何かしらの要求は意見を通す為に、皆の代表という立場を主張しているのだが、ビジネスに対して経験値の高い人間は、この進言に対してイラッと来るはずだ。
「みんなが言っている」と言うが、実際のパーセンテージはどうなのか?それは、本当にリサーチした結果なのか?自分の周りの数人が発している言葉を、みんな意見として言っているのではないか?
何よりも、自分の意見として発しないところに、責任感や主体者としての覚悟が感じられず、受け入れられない苛立ちをおぼえる。
「みんなが言っている」を使うと心の重荷がふっと軽くなる。その意見が受け入れなくても自分は傷つかないし、上司には「報告者」、仲間うちには「代表者」という、両側に媚びた立場が取れる。その甘さに慣れると、それは習慣化される。
経営者には、どれだけ意地をはれるかが問われる事が多くある。リーダーには、どれだけ意地を張れるかがで、その価値が決まる事が多くある。トップが衆に烏合していては、その集団にスピードもパワーも生まれない。多くの人が反対しても、多くの人が楽な方へ堕落しようとしても、そこに一石を投じ、厳しくも正しい方向へ導いてこそ、リーダーとしての存在価値がある。大衆に迎合し、耳当たりの良い事ばかり言うのがリーダーではない。
不安は人生にも仕事にもつきものである。不安を持ち、その上で前へ進むから、リーダーであり事業家なのだ。一旦、甘さを受け入れ、それに慣れると意地を張れなくなる。
未来に対する不安、成果に対するストレスを他人に背負わせて、自分は目の前の事をこなすのに集中する様になれば、それはそれで幸せではある。しかし、その生き方は自ら一歩兵として定め、残りの一生を過ごす選択と言える。
203高地に突っ込めと言われてもノーと言う立場にはない。ストレスから開放された幸せを感じながら、黙って203高地に突っ込まなければならない。これは人生における選択なので、善し悪しは個人の価値観に任せるが、大事な所を人に依存しては、最終的に自立力や自活力は持ち得ない。
スターウォーズという映画がある。あの映画に登場するジェダイ達は、厳しい修行を行い、フォースという特殊な能力を身につけていく。フォースは精神の力を物理的な力に変換して、発動されるのだが、「怒り」や「嫉妬」と言った強いパワーを持つが、暗い感情をベースに力を発揮する道もあるという設定になっている。暗い感情をベースにフォースを発揮するようになることを「ダークサイド」に落ちると言う。これには精神的な修行の必要はなく、自分の感情の赴くままに気持ち良く力を発揮すれば良い。よって、短期に強いパワーを得られるが、制御が効かないので、パワーを志向する方向に使う事も出来ず、いずれダークサイドに落ちた者は自滅する。これは極めて実社会の現実に近い。
実社会でも、ダークサイドに落ちて行くダースベーダよろしく、目先の楽さ、目先の安直な成果を得る代わりに、人からの信頼、高い位地でのビジネスをするチャンス、賞賛を得る未来etc、これらを失う事がある。甘い誘惑の中に発展的な未来が有ることは少ない。
自分を律する意志力、自分の責任で意見を発する覚悟、成果に対するコミット、これらを放棄するのは難しくない。ダークサイドには一瞬で落ちることが出来る。自分の心が軽くなる選択や、耳当たりの良い言葉を感情のままに受け入れれば良いだけだ。
だから、私に何かしらの報告や提案をするメンバーにはいくつかの要求をする。「皆の意見ではなく、君はどう思うのか?」「誰彼が言っているではなく、君は何を言いたいのか?」、そして自分の意見を言うなら、それを形にする責務も君が背負えと要求する。
この責任を背負わせるので、HWSのメンバーは気軽に提言が出来ないかもしれない。フランクに意見を言うのが今風だとしたら、それには相反する。
しかし、我々が目指すのは、気軽に責任なく意見が言い合える集団ではなく、何としても勝ち上がろう、何としても成功をしようと言う覚悟を持った集団だ。
海外に出れば実感するが、未だ日本企業群は世界に重用される技術や品質を多く持っている。有形無形に関わらず、世界市場で戦う為の武器はいくらでもある。また、強い円もあり、投資に向けられる国内資産も潤沢にある。
この日本企業群に足りないものがあるとしたら、何としても世界を相手に勝ち上がると言う覚悟だけではないか。国も頼らず、自己責任で事業を推進するという覚悟だけではないかと思う。
なりは小さいが、HWSはグローバルカンパニーたらんとしている。ベンチャーとして、日本を代表してグローバルマーケットで戦う企業になる為に、心意気くらいはそれに恥ない様にしたい。だから、甘さに流されず、正しい未来を選択して行かなければならないのだ。意地を張り、甘い誘惑に流されず、自らの未来を律していくつもりだ。
年明けから中国に来ている。非常に優秀な企業から引き合いを頂いたので、先方の予定を優先しての出張となった。良いディスカッションが出来たので、未来の協業へと繋がれば何よりである。
中国に限らず、アジア諸国でのビジネスを考えた時に、現地でのネットワークが必要だという話はよく聞く。これは一面事実であり、押えなければならないポイントは各国ともある。上手く地域や国家の発展とリンクさせて展開を考えた方が、事業を進める上で何かと有利に働く事は多い。
では、地元の有力者とコネクションがあれば事業が上手く行くのかと言うと、それは間違いである。事業を上手く行かせるのは、事業家としての腕であり、時流や市況を汲み取る感性である。有力者とのコネクションは大事だが、あくまでもそれは事業を推進させる為のパーツであり、柱ではない。
アジアで事業をしていると地元の有力者と面識がある、コネクションを持っている、と言うブローカー的な人によく出くわす。これを頼りに事業を考えると、一生事業をは形にならない。
また、有力者とコネクションがあるので成功出来ると意気込む人も見かける。 それで成功出来るなら、アジア中が成功者だらけになる。事業プランとそれを形にする為の総合的な事業化の「腕」が主であり、その他の外部的要因は全て枝葉的なビジネス上のパーツにすぎない。
事業が立ち上がり、軌道に乗ればネットワークなど自然と構築される。相手に取って有益な存在になり、有益な提案があれば、必要なコネクションはいくらでも作れるものだ。これが無い中で、人脈を求めても、有力者と面談しても、軽く扱われスルーされるだけである。そこに媚を売って、面識をつなげるのは、事業家としての誇りに反する。
この辺は日本でも他国でも変わりがない。
現在、中国で成功を収め大きくなっているのは、前身が国営だった企業ばかりではない。何のネットワークも持たず、民間から立ち上がり大きくなった企業も数多くある。成長途中で中国政府との調整は必要だろうが、それも後天的に企業努力によって構築したネットワークを使っている。つまり、元から有った政府との繋がりや、人脈を使って成功をした企業ばかりではないと言う事だ。成功している企業はそれなりの「腕」を持っているから、成功しているのだ。
当たり前の事を書いていると感じる人もいるだろうが、この当たり前がの事が、海外に出ると分からなくなる。
日本企業が中国を視察しディスカッションをしていても、政府とのコネクションはどうかと言う話に主眼を置く場面も多く見て来たし、国の有力者とつながったと言って舞い上がる日本人経営者も山ほど見てきた。しかし、そのスタンスのままで、彼らの事業が上手く行ったのを見た事はない。
中国でもベトナムでも事業を立ち上げ軌道に乗せているのは、泥臭い所に踏み込み、一つずつノウハウを積み上げ、信頼を勝ち取ってきた、己の「腕」頼りにしてきた者達だ。そこで鍛え上げられた能力と人格を武器に信用を勝ち取り、独自のネットワークも構築する。そのネットワークを使い事業を発展させるケースはあるが、これは適切だ。
中国と日本では、多くの違いがある。これに対応しなければ、他国で事業は進められないが、違いがある分だけ、 逆にどちらでも通用する共通の部分も明確になる。その共通部分は、ある意味物事の真理であり、国や人種を超えて成立する物事の本質なのであろう。
他国に来た時に、習慣の違いや、認識の差異を感じる事は多い。しかし、海で私が得た最大のもの、他国への対応についてではなく、事業を進める上で羅針盤となる物事の本質 ではないだろうか。
年が明けて、2012年がスタートした。私の場合、年始だからと特に力む事も無いのだが、2012年に辿り着かなければ場所は明確にある。
ベンチャー企業の本分とは、未来の産業を創る事であろう。既存の大手企業は、過去の日本経済を作り、雇用やGDPを生み出し、社会の一翼を担ってきた。しかし、既存の大勢力は革新的な何かを生すのが難しい。それは、能力的に弱いからではない。能力で言えば、ベンチャーが大手に勝る部分など、ほとんど無い。
大手企業達は、今の社会構造の中で巨大化し、それに最適化した事業構造や人材が集まって象られてきた。よって、人も事業も変化を好まない。立場的に今のまま続けば良いと言う場所にいるので、変化に対するエネルギーは自然と弱まる。
しかし、社会は常に変化を要求してくる。技術の革新も各所で起こるし、産業のあり方、社会のあり方も変化し続ける。その中で、変化をせずに豊かさを維持する事は不可能である。国家も企業も変化をし続ける宿命にある。変化が遅れれば、豊かさや平和が掌中からこぼれ落ちる。
現代社会では、グローバル化が進んでいるとは言え、世界の各地域は均質化していない。先進国もあれば、新興国、途上国もある。豊かさも、人材のレベルにもムラがある。共通しているのは、皆豊かになりたいと願い、新しい産業を生み出すべく必死だと言う事くらいか。先進国と言われた国々以外は一様に変化を望み、変化を仕掛けている。落ち着いた状況ではない。
当然、日本においても、企業も国家も変化を続けなければならない。その先鋒たる役目を背負っているのが、ベンチャー企業群である。
変化の先鋒たるには、過去や常識に囚われてはいけない。よって、ベンチャー企業に大事なのは、第一に「心の自由」なのだと思と。何かに囚われる、何かに縛られると、自由な発想は消える。心の自由さを失っては、革新的な新しい事業など生み出し様が無い。「うちの会社は◯◯である」と言う決めつけは、非常に危険だ。では、ただ自由でノールールなら良いのか。これに対する答えはノーである。
規律、理念、組織力、これと「自由な心」は一見相反する。自由な発想の為に、規律や理念を拒否する人も多くいる。しかし、強い組織がなければ、発想が事業となり、産業となり、社会に貢献するには至らない。では、どうすれば良いのか。
心を自由にし、あらゆる戦略や戦術を巡らす。目指すべき、かつてない新しい価値を「ビジョン」とすれば、 それを実現する為の手段、方法として戦略や戦術がある。規律、理念、組織力は目的ではない。手段であり、戦略的な要素である。要は全て制御するのが「自由な心」であり、これがあらゆる手段、要素を使いこなせば良いのだ。
企業は宗教団体ではない。教義を守ることに価値があるのではなく、最終的に創る事業が、どれだけ社会に貢献し、多くの人たちを幸せに出来るかに価値がある。
よって、規律、理念、組織を手段として使いこなし、最終的なビジョンを達成しなければ、意味が無いのだ。手段に囚われ、ゴールを見失っては本末転倒である。
これは、ベンチャー企業に所属する多くの方々へのアドバイスでもある。我々は、何かしらの縁があり未来の産業を創る使命を負ったベンチャー企業 に所属している。我々の本分は、大手企業には実現出来ない新しい価値を生み出す事だ。そして、未来の社会を担う事だ。
この使命を全うするには、心を自由に保たねばならない。何ものにも囚われてはならない。その自由な心をコアとして、あらゆる手段を駆使して、新しい産業を生み出さなければならない。手段として最も威力があるのは、強力な組織だ。強力な組織を創るには、共通の理念、共通のルール、規律などが 必要だ。
これは一見自由な心と相反する。しかし、我々が目指すべき高みは、「心の自由」と「強力な組織」を併せ持つ姿であろう。新しい価値を生み出すべく、何事にも囚われない自由な心を持ち、そのビジョン、その戦略を実行する為に、自らを意識して規律の中に置き、組織をも使いこなす姿であろう。少なくとも私が目指しているのは、この組織であり、これを実現出来る人材だ。私自身もそうあろうと思うし、HWSのメンバーにも、これを求めて行きたい。
ゴールがビジョン(成すべき価値)
御者が「自由な心」
ツール、手段が規律であり組織力
2012年になり、私が思い描くのは常にHWSが新しい価値を生み出す未来だ。その為の道を定め、本年も粛々と前進するのみだ。私が思い描く道は、過去にも常識にも囚われない。逆に、それらの逆を歩む事を是とする。HWSが新しい価値を生み出す為には、もう一皮剥けなければならない。一皮剥けるには、過去の常識とは決別する必要がある。
本質を曲げず、コアをブラさず、あらゆる手段を取る。これが2012年の方針だろう。結果として、エンジニア達の革新を実現し、日本初、日本発のグローバルIT企業として、一秒でも早くHWSが羽ばたけば良い。
これを宣言し、新年の挨拶としたい。